« 「事前指示書」のお話です。(その1) | Home | アメリカに11年、日本に10年 »
前回のコラムにも書いたように
ぼくは「未来」という短歌の会に所属していて、
短歌のそういう集まりをなんかものものしい言い方で
「結社」っていうんだけど
その≪短歌結社「未来」≫の出してる短歌の
月刊誌の名前が『未来』っていうのね。
こういう結社誌の流通というのは
基本は会員や購読を申し込んでる人の
自宅に送られてくる形式なんだけど
東京とか名古屋の一部書店でも販売していて
ツイッターでぼくの短歌を読んでくれたある人が、
ある人っていうかまだ中学生の女の子なんだけど、
新宿の紀伊国屋までわざわざそのマニアックな
短歌誌を買い求めに行ってくれて、
歌詠みとしてたいへん光栄でもあり、
ありがたくも思った次第でありました
ということがごく最近あって
ほんとにとてもうれしかったのと
1月というキリのいいタイミングでもあるので
こちらのコラムの更新のうち月1は結社誌に
載った短歌を紹介しようかと思う。
〆切が毎月15日で1人10首までの投稿。
10首のうち選者の選を受けた歌が載るので
10首全部が載ることもあるし8首とか7首くらいの
こともある、という感覚的にはそんな感じです。
それで、えっと
たとえば今回1月号に載った歌というのは
10月の15日〆切で投稿した歌なのね。
いつもきっちり3か月ズレで本に載る。
だからおおむね今回詠んでいる歌は
前回の〆切である9月15日から
10月の14日までのあいだにおおむね
詠んだ歌だというふうに考えてもらえば
だいたいぼくがその頃どういう精神状態で
何を思っていたのかが
おぼろげにわかったりするというシステムになっています。
プラスで言うと、
自分自身にとっても3か月前の気持ちのスナップや
強い感情が印画紙に焼き付いたようなそんな感覚の歌、
その時の気持ちをまざまざと思い起こすという
タイムマシンのような感情の鮮明な記憶装置となっています。
短歌にはそんな効果もあるなあ、と毎月の結社誌を手にして
3か月前に投稿した歌を読む度そう思うのです。
・
・
・
月と好きと君の名前は似ているね間違って今言うとこだった
「でもそこは嵐なんでしょ」「そこからはそう見えるよねそばにおいでよ」
セルリーとあなたが口にする時のセロリはひかる楽器みたいだ
好きだけでどこまで通じ合えるだろう語彙が減ってく月の夜です
「ないしょ」ってうごくあなたのくちびるをながめていたら朝になってた
動かない国道23号のきのう郷里に行くバスでした
繰り返したコピーのように霞んでく もう忘れてもいいんでしょうか
傷つける光ばかりじゃないんだよ ほら目をあけてキスをしようよ
見上ぐるに空の深さは変わらない とても孤独な復讐だった
クラスタ化していく世界に片隅という概念はない now & here.