日本でも新聞各紙やネットニュースなどで報道されたようなので、
ご存知の方も多いと思うが、サッカー・ブータン代表が、
2018年ロシアワールドカップアジア一次予選を勝ち抜くという、
ブータンサッカー史上初の偉業を成し遂げた。
前回記事で、「ブータンにとって、初めてのワールドカップ予選への参戦、
という歴史的な瞬間となる」と書いたばかりなのだが、
まさか、二次予選に進むというさらなる歴史的快挙を達成するとは…
が、日本での報道も、また、BBCなど各国報道を見ても、
ブータンがFIFAランキング最下位、という点にフォーカスした、
「世界最弱国の下克上」的な扱い以上でも以下でも無かった。
FIFAランク最下位、“最弱”ブータンが連勝で初のW杯1次予選突破│SOCCER KING
http://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20150317/292261.html
そこで、曲がりなりにもブータンを専門に扱う本コラムでは、
この話題に関して、どこよりもディープな記事を目指したいと思う。
書き始めたら恐ろしく長くなったので、前後編に分けてお届けする。
第1戦、番狂わせの序章
ワールドカップアジア一次予選は、アジアの中でもランキング下位の国、
ブータンを含む12か国が、抽選により決まった相手1か国と、
ホーム&アウェイで2試合を戦い、勝ったほうが二次予選に進出する、
という非常にシンプルな仕組みになっている。
ブータンは、対戦相手がスリランカに決まり、
3月12日にアウェイ(スリランカ)で、3月17日にホーム(ブータン)で、
それぞれ試合を行うことになった。
第1戦が行われたスリランカの首都コロンボは、高温多湿であり、
また、これまでの両国の戦歴からも、スリランカ圧倒的有利、
という下馬評であった。
ブータンは、4-1-4-1という守備的なフォーメーションを敷き、
予想通り、スリランカの猛攻を凌ぐ時間帯が続く。
ただ、ブータンも防戦一方ではなく、時折、カウンターから、
スリランカのゴールを脅かす機会もあった。
全体を通してみれば、試合自体はやや大味。
ロングボールの蹴り合いに終始していた感は否めないが、
それでも、お互いにゴールに迫るシーンが多く、
ファンからすれば、一喜一憂しながら楽しめる試合であった。
試合が動いたのは、後半39分。
攻撃的MFのツェリン・ドルジ (Tshering Dorji) が値千金のゴールを決め、
そのまま、1-0でブータン代表が勝利を収めた。
第2戦、ホームで迎えた歓喜の瞬間
ブータンは、アウェイゴールという大きなアドバンテージを得て、
しかも、ブータンにとって有利な標高2,400mという高地にある、
首都ティンプーで第2戦を迎えることになった。
5-1-3-1という攻撃的(?)フォーメーションを敷いたブータンは、
第1戦とは打って変わって、試合開始から果敢に攻めに出る。
そして、それはすぐに結実し、前半4分、縦パスから抜け出した、
CFのチェンチョ・ギェルツェン (Chencho Gyeltshen) が、
角度の無いところから爪先で合わせたボールがゴールに吸い込まれ、
ブータンが先制に成功した。
その後、スリランカの反撃を許し、同点にされたブータンは、
あと1点取られると、アウェイゴールの差で敗退の危機に。
その後、前半は一進一退の攻防が続いてハーフタイムを迎えた。
後半も半ばを過ぎると、高地の影響からか、
スリランカ代表の足が止まり始めると、ブータンは、再三、
GKと一対一のチャンスを迎えるも決めきれず、逆に後半41分、
一瞬の隙を突かれ、決定的なヘディングシュートを許してしまう。
これを、ブータンのGKがかろうじて弾き出して事なきを得ると、
そのすぐ後の後半44分、FKのロングボールから、
再び抜け出したチェンチョが、DF2人を振り切って右足を一閃。
GKの脇をかすめてゴールに突き刺さり、決定的な2点目が入った。
このまま逃げ切ったブータンが、2-1で勝利を飾った。
なお、この試合の模様は、BBS (Bhutan Broadcasting Service) が、
生中継し、全試合をYouTubeに掲載しているため、
もし興味がある方がいれば、ぜひご覧いただきたい。
この試合、2得点を決めたチェンチョ・ギェルツェンは、
Bhutan Today紙によれば、「ブータンのロナウド」と呼ばれる、
期待の若手プレイヤーらしい。
また、Kuensel紙によれば、試合当日風邪を引いていたらしいが、
真偽のほどは不明である。
FIFAランキング最下位から脱出
ランキング174位のスリランカを、209位のブータンが倒した。
これは、ランキングの上ではもちろん番狂わせの部類に入る。
ただ、試合を見る限りは、両国にそれほどの差は無いように感じた。
現行のFIFAランキングの算出方式では、150位以下の順位は、
試合数や対戦相手に左右されやすく、あまり意味が無いとも言われる。
裏を返せば、今回はたまたまブータンが2連勝したが、
スリランカが連勝する可能性だって十分にあった、と言える。
ところで、ここで2つの勝利を積み重ねたことで、
来月発表される、新しいFIFAランキングでは、ブータン代表は、
かなりのジャンプアップが期待できる。
というのも、ワールドカップ予選は、単なる親善試合等と比べて、
ランキングポイントに与える影響が極めて大きく、
ここでの2勝は、親善試合の5勝分くらいの価値に相当する。
ちなみに、筆者が試しに計算してみると、
127.5 というランキングポイントがはじき出された。
これを、現行ランキングに当てはめると、
156位インドネシア(129)と157位香港(127)の間に入る。
まさかの50位以上の大飛躍を遂げることになる。
もちろん、他国も変動があるため、そう単純にはいかないが…
ただし、先にも述べた通り、150位以下の順位は、
あっという間に上がったり下がったりするため、
大事なのはこの後、であることを申し添えておきたい。
なお、もし計算違いがあっても、そこはご容赦いただきたい。
細かい計算方式は、興味のある人は下記を参照されたい。
なお、正式なFIFAランキングは、4月9日に発表される。
Men’s Ranking Procedure│FIFA
http://www.fifa.com/fifa-world-ranking/procedure/men.html
二次予選は日本と対戦の可能性も!?
さて、ブータンが勝ち進んだ先に待っているアジア二次予選とは、
いったいどんな戦いになるのだろうか。
一次予選で勝ち進んだ6か国に、一次予選を免除された34か国が加わり、
計40か国が、抽選によって8組に分けられて争われることになる。
ホーム&アウェーの総当たり戦(各チーム8試合ずつ)を行い、
各組1位8チームと各組2位のうち成績上位4チームの計12チームが、
アジア最終予選に進出できる。
もちろん、この40か国の中には、日本や韓国、オーストラリアなど、
アジアの強豪がひしめいている。
抽選は、FIFAランキング上位同士が同じ組に入らないように、
ランキング順に組分けされるため、ブータン代表は、
自身よりランキングがはるかに上のチームと対戦することになる。
組み合わせ抽選は4月14日に行われる。
ブータン代表と日本代表との対戦が実現する可能性は1/8。
万が一、日本との対戦が実現した暁には、
旅行代理店と組んで観戦ツアーを企画しようと思うので、乞うご期待。笑
(続く)
昨年考えたことシリーズ、第3弾(おそらく最後)はミャンマー編。
昨夏、ブータン、インドに続いて足を踏み入れたミャンマー。
急速に開発が進むこの国を、できるだけ昔の趣のあるうちに一目見たいと、
かねてより考えていたのだが、このたび、念願叶って初訪問となった。
まず、タイのバンコクからヤンゴンへ飛ぶ。
しかし、当地に降り立ってからしばらくの間は、
そこが思い描いていたミャンマーであることが認識できなかった。
それぐらい、ヤンゴンは、ほとんどリトルバンコクと言ってもいいほどに、
「あの」東南アジア独特の熱気と喧騒に満ちた街だった。
もちろん、昔のヤンゴンを知っているわけではないが、
もうここも開発が進んで、「あの」空気に呑まれてしまったのか、と、
勝手に残念な気持ちになったりもした。
その気持ちは、翌日、観光地巡りをはじめて、より深まることになる。
ミャンマーといえば、タイ同様、敬虔な仏教国であり、
観光地といえば、そのほとんどが寺院やそれに類するものだ。
そして、寺院を訪れて、驚くのは、そのあまりの煌びやかさ、であった。
悪く言えば、カネの匂いがしすぎるのだ。
これでもかというほど電飾を施された仏像。
寺院の中にこれ見よがしに置かれたATM。
ドル札が汚いという理由で入場料を上乗せしようとするがめつい門番。
金箔を貼ったり、電飾でギラギラにして、仏像を美しく輝かせることが、
信者の徳を積むことにつながっているらしく、
敬虔な仏教徒であるミャンマー人は、信心の深い者ほど、
より多くのお布施を支払う。
もちろん、その信心を否定するつもりはさらさらないのだが、
「『信じる』の横に『者』を付け足すと『儲け』になる」
とはよく言ったもので…
(写真:金ピカの仏塔がそびえるシュエダゴォン・パヤー@ヤンゴン)
いや、あるいは、日本だって、坊主がカネに汚い、という話はよくある。
むしろ、堂々とカネを無心してくる分、マシだと言えるのかもしれないが…
そんなミャンマーでは、やはり東南アジアあたりに蔓延している、
「擦れた」観光商売が幅をきかせつつある。
観光客と見るや、料金をふっかけてくるタクシー。
これ見よがしに芸を披露して小金をせしめようとする輩。
「幸運の仏像を拝め」とか何とか勝手に案内しようとするガイド。
などなど、次から次にやってきて、なかなか不快指数が高い。
しかしながら、直接面識のある方はご存知かと思うが、
筆者は、どうも、国籍年齢不詳な顔立ちをしているようで、
この点では、少々得をさせてもらったりもした。
簡単に言うと、現地人に間違われることが多々あった。
観光客扱いされないので、上記のような輩は大概スルー。
本当は地元の人しか入れないお寺に普通に入ってしまっていて、
後からその事実に気付く、なんていう事態も起きた。
ロンジー(男女ともに履く巻きスカートのようなもの)が、
なかなか快適そうだったので、1着仕入れようかと思ったのだが、
いよいよ現地人化待ったなし、となりそうで躊躇したりもした。
そういう意味では、擦れてしまった面と、擦れていない面と、
その両面を見ることができて、大変有意義な旅だった、とも言える。
そんなミャンマーではあったが、
一方で、まだまだ素朴な雰囲気も残る場所であったことは間違いない。
国内線の航空券チケットは手書きで、
機内では「好きなところに座ってもいい」とかいう適当さを味わう。
案内もなにもない洞窟寺院を拝観していたら、
いつの間にか観光客が全く居ない山中に迷い込む。
水上集落で思いがけず、地元民だけのお祭りに参加する。
煙草づくり工房見学していたら、タダでお土産をもらう。
(絶対カネを請求されると思ったら、本当にタダだった)
etc…
もちろん、たった10日間程度の滞在で、
ミャンマーを分かった気にはとてもなれないが、
この国の今昔と、そして裏表とを垣間見ながら、
いま、この時期のミャンマーを見ることができて良かった、
と素直に思った。
また、10年後くらいに、その変貌ぶりを見てみたい国の一つだ。
過日、サッカーのブータン代表チームが、
ワールドカップ予選に参加するために出発、というニュースを見て、
「あれ、ブータンってワールドカップ予選出たことあったっけ?」
という疑問がはたと湧いてきた。
さて、以前も本コラムでお伝えしたことがあるが、
サッカーのブータン代表は、現在、FIFAランキング(注1)最下位に沈んでいる。
その大きな要因は、そもそも対外試合をほとんど戦っていない、ことにある。
注1)直近4年間の「国際Aマッチ(注2)」の結果から計算される。
注2)年齢制限のない代表チーム(=Aナショナルチーム)同士の国際試合。
FIFAの公式サイトには、各国の代表チームの戦歴が載ったページがあるのだが、
ブータンのページを見て、衝撃の事実が明らかになった。
なんと、2003年以来、実に12年間も「公式戦」を行っていないのだ!
(引用:http://www.fifa.com/associations/association=bhu/index.html)
ちなみに、その、最後に行われた試合は、2003年10月17日、
相手はイエメン代表で、0-4で敗戦している。
俄然、興味が湧いてきたので、さらに調べを進めていくと、
「公式戦」と、いわゆる「親善試合」との意外な関係が見えてきた。
日本代表を見ている感覚では、親善試合とはその名の通り、
特にタイトルの懸かっていないテストマッチ的なものをイメージする。
互いに利害が一致した相手との調整を兼ねた試合、という位置付けだろう。
ところが、中には国際大会であっても親善試合扱いをされているものがある、
ということがわかってきた。
その前に、まず、説明しておかなければならないのは、
ブータン代表を組織しているブータンサッカー連盟は、
言わずと知れた、「FIFA(国際サッカー連盟)」、
日本も所属する、「AFC(アジアサッカー連盟)」、
そして、その下部連盟にあたる「SAFF(南アジアサッカー連盟)」、
以上の3つの連盟に所属している、ということ。
まず、FIFA主催試合で最も代表的なものは、
ご存知、4年に一度開かれるサッカーの祭典、FIFAワールドカップである。
ブータンは、2000年にFIFAに加盟したのだが、
これまで、ワールドカップには、予選にすら参加がかなわなかった。
つまり、今度行われる2018年大会の予選参加が、ブータンにとって、
初めてのワールドカップ予選への参戦、という歴史的な瞬間となる。
次に、AFC主催試合と言えば、先日日本代表がベスト8で敗退した、
AFCアジアカップが真っ先にあげられるだろう。
ブータンはというと、2000年、2004年と地区予選敗退、
その後は、ワールドカップ同様、予選にすら参加できてない。
ちなみに、前述の、12年前に最後に行われた公式戦は、
この、2004年アジアカップの地区最終予選であった。
残念ながらこのとき、ブータン代表は、6戦全敗、得点0、失点26で、
ダントツの最下位に沈んでいる。
そして、おそらく日本人の大半がその存在すら知らない大会で、
AFCチャレンジカップ、というAFC主催の大会がある。
簡単に言うと、アジアカップの下位ランクの大会。
AFC加盟国のうち、FIFAランキングで下から数えて16ヵ国が出場できる。
要するに、どんなにがんばってもFIFAワールドカップはおろか、
アジアカップ本大会に出ることすら夢のまた夢、という国を集めて、
下位層の底上げを目的として創設された大会、らしい。
(なお、2014年大会を最後に、その役目を終えたとして終了が決まった)
この大会は、実は、予選の試合は全て「親善試合」扱いとなる。
ブータンは残念ながら、2008年、2010年、2012年と、予選で敗退。
したがって、FIFAサイト上では、全て親善試合扱いとなっている。
最後に、SAFF主催試合で、南アジアサッカー選手権という大会がある。
ブータンは、この大会に積極的に参加しており、
2003年から、6大会連続(ほぼ2年おきに開催)で出場している。
が、この大会もまた、国際大会ではあるものの、全て親善試合扱い。
まあ、SAFF加盟国の中で圧倒的な強さを誇るインドですら、
FIFAランキング171位(2015年2月現在)という時点で、
大会自体のレベルも推して知るべし、といったところではあるのだが…
とここまで調べてきたところで、はたと立ち止まる。
「あれ、親善試合しかやってないにも関わらず、
ブータンのFIFAランキングがここ数年上下しているのはいったい…?」
(引用:http://www.fifa.com/fifa-world-ranking/associations/association=bhu/men/index.html)
と、ここまできてようやく、一つの誤解に気づく。
そう、筆者はこれまで、親善試合はあくまでも非公式試合であって、
FIFAランキングには影響しない、と考えていたのだが、
どうやらそうではない、ということ。
「親善試合」も、きちんと国際Aマッチとして、
ランキングポイントに加算されている、ということがわかった。
これ、意外と知らなかった人も多いのではないだろうか?
タイトルでわざと誤解を招くような書き方をしてみたが、
あくまでも、FIFAのサイト上で「国際大会公式戦」と表記するか、
あるいは、「親善試合」と書くか、という、
形式上の取り扱いに過ぎない、ということのようだ。
つまり、ブータンが、この空白の12年間で行った「親善試合」は、
名実ともに、れっきとした「公式戦」だった、ということが判明した。
という、なんとも締まりの無いオチである。
まあ、何れにせよ、FIFAが認める国際大会の予選会に出るのは、
実に12年ぶり、という点だけは確かである。
ここまで、ブータンのサッカー事情を追いかけてきたわけだが、
こんなくだらないことを真面目に調べているのは、たぶん自分くらいだろう。
ところで、最近、ブータンのサッカー界隈ではこんな話題も。
伊藤壇、ブータンのチームと契約!国と地域18番目│スポーツ報知
http://www.hochi.co.jp/soccer/world/20150227-OHT1T50203.html
アジア18カ国目のブータンリーグに挑戦。海外転戦の先駆者・伊藤壇の生き様│J SPORTS
http://www.jsports.co.jp/press/article/N2015030211210302.html
当然、ブータン国内のサッカーリーグはプロではないので、
契約、と言っても具体的にはどういう待遇なのか、
そもそも、どうやって生計を立てていくつもりなのか、
興味は尽きない。
今度、ブータンを訪れた際に、それとなく探りを入れてみようか。
2015/3/12追記
本日行われたワールドカップ一次予選第1戦で、
ブータン代表はスリランカを相手にアウェイで1-0の勝利!
歴史上初めて、ワールドカップ予選での勝ち星を得た。
次戦、3月17日、ホームでの戦いで引き分け以上であれば、
勝ち抜け、二次予選への進出が決まる。
ちなみに、ホームスタジアムがある首都ティンプーは、
標高2,000mを超える高地にあり、対戦相手に不利と言われる。
もし、二次予選に進めば、ドロー次第では日本と対戦の可能性も…
そうなれば、少なくとも日本での試合は見に行きたいものだ。
ところで、改めてFIFA公式サイトを見ると、
なんと、代表チームの戦歴が更新されている!
先日見たときは、2003年10月17日のアジアカップ地区最終予選、
対イエメン戦が最終戦歴で、その後の試合は親善試合扱いになっていたが、
2013年9月6日、南アジアサッカー選手権グループリーグ、
相手は奇しくもスリランカ、が最終戦歴になっていた。
まさかの、後付けで親善試合が「公式戦」扱いになっていた、
という、さらに締まりのない展開。
それだけ、ブータン代表が国際試合を行うことが珍しいことの証明、
ということだろうか。
昨年考えたことシリーズ、今回はインド編。
昨年は、2010年以来となるインド訪問を果たした。
といっても、ブータンへ陸路で出入国するための足がかりとして、
丸2日ほどの滞在でしかなかったのだが。
それでも、久しぶりにインドの雑踏と喧騒にまみれているうちに、
以前も気になった幾つかの疑問が、改めて沸々とわき上がってきた。
まず真っ先に浮かんだのは、「なぜ牛や犬は路上で寝るのか?」という問い。
インドに限らず、アジアの国々で車を走らせていると、
交通量の多い道路のど真ん中に悠然と牛や犬が寝そべっている光景に出くわす。
道路の脇には、広大な土地があるにも関わらず、である。
もちろん、牧草地で優雅に草を食んでいる牛もたくさんいるが、
一定数の牛は、なぜか必ず道路へと出てくる。
彼らにとっても、車を運転するヒトにとっても、お互いに危険極まりない。
どう考えても、Lose-Loseの関係だ。
それなのに、いったい何が、
彼らをあのような「寝そべり行為」へと駆り立てるのか?
インド、ということで、牛が神聖視されているため、
どこに居ても、彼らの安全が脅かされることはない、という意見もあるだろう。
だが、それはあくまでもインドの牛に限っての話。
他の国の例や、ましてや犬については全く説明になっていない。
動物行動学に詳しい人で、誰か説明してくれる人はいないだろうか。
もう一つの疑問は、交通事情について。
特に踏切などの場面で顕著に見られるのが、狭い道幅に対して、
「扇状にあらゆる方向から我先に車が突っ込もうとしている」光景だ。
そこには、「道に沿って順番に並ぼう」などという意識は皆無である。
これに関しては、なぜ彼らがそういった暴挙に及ぶのか、
といった部分には、実はそれほど興味は無い。
たぶん、国民性とか、そういう言葉で説明されてしまいそうだからだ。
むしろ気になっているのは、交通工学の観点から、
真面目に順番に並んだ場合と、誰もが思い思いに突入した場合とで、
都市交通シミュレーション上、どちらがより効率が良いのか、
という疑問である。
これ、分解すると、2つの疑問を含んでいる。
より効率的に「全体が通過できる」方はどちらか、という問題と、
より効率的に「ある個人が通過できる」方はどちらか、という問題。
前者の疑問は、おそらく、順番に並んだ方が早いだろう、と思う。
というか、そうでなければ、あまりにも衝撃的すぎる事実だ。
世界中の交通事情がエラいことになる。
問題は後者だ。
おそらく、多くのインド人は「いかに自分が早く通過するか」を考えており、
渋滞全体の解消なんてのは知ったこっちゃない。
このとき、自身のいる位置が後ろであればあるほど、
大人しく待つより突っ込んだ方が、通過スピードの期待値は高まりそうだ。
結果、後ろにいるやつほど、前へ前へと迫り出してきて、あの事態を招く。
ここまでの推論が仮に正しいとするならば、どこかに閾値があるはずだ。
そう、どこかのラインより後ろの人たちは、
無闇に突っ込むよりも、きちんと列を作った方が、
通過時間が短くて済むはずなのだ。
ただし。
そこで真面目に、じゃあ自分は待とう、というのは愚策でしかない。
そんなことをしても、どんどん後ろから追い抜かれるからだ。
全員が右に倣えで列を作らない限りは、この論理には意味がない。
そもそも、いったいインドの教習所では何を教えているのだろうか?
インドの教本にどんな規則が書かれていて、
どこまでが守るべきで、どこからが「暗黙知」に頼る部分なのか、
そういうことは、どこまで教えているのだろうか?
これは道路事情に依るところも大きいのだが、
インド人ドライバーは、数センチの隙間もすり抜けるような、
抜群のドライビングテクニックの持ち主ばかりだ。
というより、そうでなければあの国でハンドルを握る資格が無い。
少なくとも、技術面に関しては、かなり凄腕の教官が多そうだが…
以上。
特に学問的な考察も裏付けも何も無い、ただの雑文なので、
何を馬鹿なことを真面目に考えてんだ、とご笑読いただきたいのだが、
もし、上述の内容に触れた論文等を見かけたことがあるという方は、
どうぞご紹介いただきたい。
気がつけば、あっという間に、2014年が終わって2015年になっていた。
時間が年々加速しているように感じるのは、やはり歳のせいだろうか。
一説によれば、
小さい頃は、その1年がそれまでの人生に占める割合が大きいのに対し、
(例えば、10歳のときの1年は、人生の10%を占める)
大人になると、その割合が年々減少していくので、
(例えば、30歳のときの1年は、人生の3%ちょっとしかない)
相対的に、短く感じるんだとか。
合点がいくような、いかないような…
さて、昨年も、あちこち飛び回っていた一年だった。
一応、ブータン研究者を名乗っているので、今回はブータンの話をしよう。
とはいっても、もう既に、昨年の現地旅行記は全3回に渡って書いたので、
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=583
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=592
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=601
今回は、一歩引いた目線から、現地で考えていたこととかをば。
ブータン、という国で特筆すべきことは、
まず第一に、山岳国家である、という点だと思う。
ブータンを訪れれば訪れるほどに、その印象は強くなっていく。
日本も山岳国家と言われることもあるが、ブータンはちょっと次元が違う。
スイスも山岳国家とか言っているが、一度ブータンを経験すれば、
あんなの平地にちょっと山があるだけに見える。
それぐらい、ブータンには、どこまでも山しかないのだ。
ところで、ブータンの国土面積は、九州と同じ程度しかない。
日本全土に比べて1/10程度、世界全体では136位に相当する。
にもかかわらず、ブータンで東西横断(九州の南北とほぼ同じ長さ)すると、
車で走り続けても、二泊三日コースで20時間くらいかかる。
本州縦断(青森から山口まで)するのと同じくらいだ。
筆者は、そのブータンならではの道路事情を、
延々といろは坂を走っているようなもの、と形容することにしている。
単純な平地に比べて、山地のほうが、
同じ底面積に対して、表面積は多い。
もしも、国土面積を厳密な表面積をもとに測ったならば、
ブータンは世界で何位になるのだろうか?
今回、ブータンの、どこまでも続く山道を走りながら、
そんなことに思いを巡らせていた。
ところで、以前どこかで触れたかもしれないが、
ブータンには未だ、世界遺産が存在しない。
世界遺産は、現在、世界中で1,000を超える件数が登録されている。
その中で、文化遺産と自然遺産の両方の条件を兼ね備えた、
いわゆる複合遺産は、たったの30件ほどしかない。
その代表格は、ペルーの「マチュ・ピチュの歴史保護区」だ。
ちなみに、日本には複合遺産は存在しない。
2013年に世界遺産に登録された富士山は、
当初、自然遺産としての登録を目指していたが断念し、
「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」という名称で、
文化遺産として登録された経緯がある。
個人的には、富士山は複合遺産を取れてもおかしくないと思うが、
それだけ、複合遺産に登録されるのは難しい、ということになる。
閑話休題。
ブータンは、本当かどうかは定かではないが、
かつては、あえて世界遺産に申請していなかった、と言われている。
その理由は、多くの観光客が訪れることで、重要な信仰の対象が、
単なる観光名所として消費されてしまうことを恐れたのだとか。
2001年に世界遺産条約を批准し、
これまでに8件の暫定リスト(要するに登録候補)を載せているが、
現在まで、そのいずれも登録には至っていない。
参考)ブータンの世界遺産暫定リスト
http://whc.unesco.org/en/statesparties/BT/
自然遺産候補も、文化遺産候補も、優れたものを保持しているものの、
現実的に、登録のためには、その保存体制の継続性なども審査対象となり、
その障壁を乗り越えるのは容易ではない。
例えば、ブータン最大の聖地と呼ばれ、多くの外国人観光客も訪れる、
タクツァン僧院という寺院がある。
この寺院は、標高2,000mを超えるパロ谷の断崖絶壁に位置しており、
また、8世紀にチベットから仏教を伝えた高僧が虎に乗って飛来した地、
という伝承の残っている由緒ある仏教史跡である。
しかし、1998年、火災により全焼。
2005年に再建されたものの、残念ながら、その歴史的価値に瑕がついた。
本来であれば、単独での登録も十分可能な重要史跡であったはずだが、
現在、暫定リストにおいて、
「パジョ・ドゥコム・シクポとその後継者たちに縁のある聖所群」を
構成する史跡の一つに数えられるに留まっている。
さらに、2012年には、ウォンディ・ポダン県の県庁であり、
宗教上の中心地でもあるウォンディ・ポダン ゾンの焼失事件も起きた。
こちらは未だ再建のメドが立っていないものの、やはり、暫定リスト上で、
「ゾン群 : 世俗的権威および宗教的権威の中心地」を
構成する史跡の一つとなっている。
こうした事実が、ブータンにおいて、歴史的建造物を保護し続けることが、
いかに難しいか、という負の証明になってしまっている点は否めない。
今回、ブータンの山々を抜け、いくつかの仏教寺院や史跡を訪問した。
その中で考えたのは、一つ一つの史跡や自然景観の登録が困難であれば、
もういっそのこと、ブータンの国全体を、
「ブータン-チベット仏教史跡群を擁するヒマラヤの大渓谷」とか、
そういう名称で、複合遺産登録してしまえばいいのに、
という、身も蓋もない発想。
さすがに乱暴すぎるだろうか。
一応、「バチカン」が国をまるごと世界遺産登録した、という前例もあるし、
ブータンは、国家政策で「自然環境保全」と「伝統文化保護」を謳っており、
あながち有り得ない話でもないと思っているのだが…
先般、ご案内させていただいた、今年のブータンシンポジウムが、
先週末、盛況のうちに、無事幕を閉じた。
中身が濃い議論が繰り広げられ満足した、との声を多数いただき、
まずは一安心、といったところである。
事務方として、100人規模の「シンポジウム」なるものを運営する、
という作業を、これで3年間続けたことになる。
3回も同じことをすれば、人間、それなりに経験というものが蓄積される。
手前味噌ではあるが、今回はなかなか上手くいったのではないかと思う。
ただし。
あまり冒険をしなかったので、当然といえば当然の結果でもある。
もちろん、安全に安全を見越していても想定外の事故はつきものだし、
そういう意味では、事故無く終われたことを喜ぶべきなのだが、
どうしても、「置きにいった」感は否めない。
そして、そのこと自体の良し悪しは、現時点ではまだわからない。
過去2回は、いずれも、「パネルディスカッション」方式を採用した。
念のため説明すると、
「掲げられたテーマについて、異なる意見を持った複数(3人以上)の討論者によって、公開で討議を行う」(Wikipedia調べ)
方法のことである。
たぶん、一番わかりやすい例は、
選挙の際にテレビで放送される党首討論、だろうか。
ただ、単なる足の引っ張り合いで討論の体を成していないこともあり、
あまり良い例とは言えないかもしれないが…
パネルディスカッション方式の狙いは、
一つは、議論を戦わせながら、最終的にテーマに沿った結論が導かれること。
もう一つは、さまざまな意見が交わされている様子を見て、
聴衆の一人一人が、何らかの新しい着想を持ち帰ること。
この二点ではないかと思う。
ところで、ひょっとすると、
「掲げられたテーマについて、異なる意見を持った複数で討議を行う」
という文言を見て、「ワークショップ」という手法が頭に浮かんだ方も、
あるいはいらっしゃるかもしれない。
主にまちづくりにおける住民参画の現場で用いられる集団討議の方法で、
「多くに人が集まって意見を出し合い、より良いアイデアを創出すること」
がその大きな目的となる。
個人の意見の単純な足し算(場合によっては引き算)ではなく、
掛け合わせて全く新しいアイデアを生み出そうと試みること、
と言い換えてもいい。
どちらの方式にも、上手くいくための共通のルールがある。
それは、議論の着地点が明確でなければならない、ということ。
ただ発散するだけのパネルディスカッションは、
聴講者は、何の話をしていたのか文脈をつかみ切れず、
パネリストも、議論が噛み合わずに消化不良に終わる、
と、あまり良いことがない。
ちなみに、着地点を定めるといっても、
あらかじめ結論を用意しておく、ということではない。
それでは、パネルディスカッションやワークショップが持つ、
「複数人で議論することで、新たなアイデアを発見する」
という、発想法としての側面が全く機能しなくなってしまう。
翻って、今回のシンポジウムでは、上述の問題を踏まえて、
オーソドックスな「講演」形式を採ることにした。
パネルディスカッション形式は、異なる意見を持つ者を集める、
ということになっているが、実際には、
異なる分野、異なるジャンルの人同士を集めてしまうと、
意見が違いすぎて、そもそも議論にすらならない。
また、聴衆は、さらに分野、ジャンルがバラバラの人が集まっており、
パネリストは、聴衆に配慮して、自分がどういう経歴を持っているのか、
という背景事情から懇切丁寧に説明しなければならない。
そして、そんなことを一人一人やっていたら、
それだけであっという間にタイムアップになってしまう。
ある限定された分野、ジャンルの中で、
パネリスト、聴衆ともに、共通のバックボーンを持つ、
そういう場合でのみ、パネルディスカッション形式は効果を発揮する。
というのが、いまのところの筆者の見解である。
そう考えると、ブータンという共通項はあるものの、
それだけではあまりにも幅が広すぎて、
結局、それぞれ好きなように喋って、まとまりを欠いたまま散会、
という過去2回の苦い記憶が蘇ってくる。
あれはあれで、議論があっちこっち飛んで予測がつかなくて面白かった、
というマニアックなご意見もあるにはあったのだが…
というわけで、今回は、一人一人にまとまった持ち時間を与えて、
好きなように喋ってもらおう、と相成ったわけである。
結果的に、今回に関しては、この変更は功を奏した、と思われる。
特に、それぞれの喋り方や資料の使い方にも個性が表れ、
約4時間近い長丁場でも、中だるみせずに楽しんで聞くことができた。
また、この形式であれば、聴衆は、自分の興味のあるトピックスだけを
集中して聴く、ということももちろんできる。
やや全体のテーマに対してとってつけた感が否めない部分もあったが、
だからこそ、もしパネルディスカッションにしていたら、
もっと無理矢理感が出て、それぞれの面白い部分が消されてしまったかも、
とも思う。
何よりも、タイムマネジメントが圧倒的に楽である。
講演者がある程度時間を守ってくれることが前提ではあるが、
少なくとも、今回に関しては、みなさまのご協力もあって、
驚くほど時間通りにきっちりと終了することができた。
さて、次回はどうしようか。
また「講演」形式にするのか、「パネル」にチャレンジするのか。
はたまた、全く違う新しい試みを取り入れていくのか。
いや、そもそも次回も自分が事務方をやるのか。
このあと、おそらく反省会があるので、そこで議論されることになるが、
さあ、どうなることやら。
ブータン研究者のはしくれとして、
「日本ブータン友好協会」なるところに、以前から顔を出している。
というか、頻繁に顔を出しているうちに、
若い小間使いが不足しているという、割とありがちな理由で、
あれよあれよという間に、幹事になってしまった。
同会は、日本とブータンが国交を結ぶより前から存在しているという、
ブータン界隈においては由緒ある会の一つ。
現在においても、未だ、日本にはブータン大使館が無いため、
要人の来日時の懇親会開催や留学生の受け入れなど、
随所でその存在感を発揮している。
さて。
同会では、例年12月に、ずばり「ブータン」をテーマにしたシンポジウム、
その名の通り「ブータンシンポジウム」を開催してきたのだが、
今年は、普段より少し早い、11月29日(土)に開催する運びとなった。
というわけで、小間使い要員として、その準備に追われる日々である。
今年のテーマは、「ブータンに近代化はなぜ必要か?」。
「ブータンに近代化は必要か?」ではないところがミソだ。
2011年の国王来日以来、ブータンという国の名前だけは知っている、
という日本人はかなり増えた。
体感では、1,000倍くらいになった。冗談抜きで。
もちろん、10,000人に1人だったのが、10人に1人になった、
くらいの感覚ではあるのだが。
ただし、多くの人がブータンとセットで思い浮かべるのは、
一つは、アントニオ◯木似の国王と美人の王妃さま、
もう一つは、「幸せの国」というキャッチフレーズ、
以上終了、というところであろう。
別にそれが悪いというわけではなく、
メディアでも、連日そういう取り上げられ方しかしなかったのだから、
至極、当然の結果である。
が、どうやらそのあたりの話が、ちょっと捻くれて伝わっている面もあり、
「ブータンは、経済的には貧しくても幸せなのだから、
無理に開発を進めるべきではないのではないか?」
「ブータンに近代化は必要なのか?」
という声さえ囁かれるようになってきた。
これまで長年、ブータンに携わってきた人たちからすると、
こうした言説には、「ちょっと待ってくれ」と異を唱える声が噴出している。
ここで多くを語るには紙幅が足りないが、
ブータンの掲げる国是である「GNH(国民総幸福)」の柱の一つに、
「公正な社会経済発展」という文言がある。
これは、公正さを欠いた徒らな経済発展は競争を煽るばかりだが、
一定レベルの近代化は、国民の最低限度の生活を保障するために必要、
という意思表示でもある。
そして、これまでブータンに関わってきた多くの日本人は、
JICA(国際協力機構)をはじめ、このブータンの目指す道をサポートし、
共に開発を進めてきた、そういった人たちが大半を占めているのだ。
そのあたりの事実関係と、そして、これからの展望とを丁寧に説明すること、
それが、今回のシンポジウムの大きな狙いである。
以下、概要を掲載するが、詳しく知りたい方は、
ぜひリンク先の公式サイトを閲覧いただくことをオススメしたい。
http://www.japan-bhutan.org/symposium/3rd/
◎概要
日時:2014年11月29日(土) 13:00 本会議開場
10:00 – 12:00 分科会(観光セミナー/ブータン勉強会)
13:30 – 17:15 本会議
17:30 – 19:30 懇親会 於:JICA地球ひろば 2階 カフェ
会場:JICA地球ひろば 2階 国際会議場 (JICA市ヶ谷ビル)
〒162-8433 東京都新宿区市谷本村町10-5
定員:130人(先着順) / 懇親会定員:70人
会費:本会議 日・ブ協会会員,学生1,000円 / 一般1,500円 (当日2,000円)
懇親会 日・ブ協会会員,学生4,000円 / 一般5,000円 (当日5,500円)
◎本会議登壇者
・上田晶子「よい近代化、わるい近代化」
名古屋大学 大学院国際開発研究科 准教授
・小川康「ブータンから描く新しい医薬学教育」
チベット医/薬剤師/早稲田大学大学院 文学研究科 修士課程
・白井一「技術工学教育と知識の移転による近代化とGNH」
NPO法人 国際建設機械専門家協議会 代表理事
・津川智明 「ブータンの地方行政から見た近代化」
JICA 地方行政支援プロジェクト 専門家
◎申込方法
下記、申込専用サイト(こくちーず)よりお申込みください。
http://kokucheese.com/event/index/220939/
なお、当日の10:00〜12:00まで、同会場(JICA地球ひろば 2階)において、
分科会として、以下2つのセッションを開催する予定である。
・ブータン観光セミナー
対象:ブータン旅行にご関心のある、すべての皆さま
会場:セミナールーム201AB
主催:ブータン政府観光局
・ブータン勉強会
発表題目:「中尾佐助生誕100年、そのルートを検証する」
発表者:高橋 洋(『地球の歩き方 ブータン』執筆)
会場:国際会議場
主催:日本ブータン研究所
定員は、各セッション 40人(先着順)。
参加費は、本会議と別で、500円(観光セミナー/勉強会共通)。
勉強会は、「中尾佐助」という名前にピンとくる方にはオススメだが、
ある程度、ブータンに関する予備知識が必要な上級者向け。
観光セミナーは、まだブータンへ行ったことが無いが、一度は行ってみたい、
という、ブータン初心者向けとなっている。
申込方法含めて、詳細については下記を参照されたい。
http://www.japan-bhutan.org/symposium/3rd/branch/
ちなみに、過去2回のシンポジウムの際にも、
本コラムにおいて記事を書いているので、ご参考まで。
第1回ブータンシンポジウム
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=398
第2回ブータンシンポジウム
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=530
今回の東ブータン訪問の最大の目的は、ブータンの大学へ来ることだった。
日本には馴染みが薄いシステムだが、ブータンの大学制度は、
ブータン王立大学という一つの大学の下に、いくつかのカレッジがぶらさがる、
というかたちを取っている。
今回訪問したのは、そのうちの2校。
ジグメ・ナムゲル工科学院(Jigme Namgyel Polytecnic)と、
シェラブツェカレッジ(Sherubtse College)。
前者はその名の通り、理工系の学科が揃う大学で、
後者は、数学、物理学、社会科学などの学部を擁する、
ブータンで最も歴史がある大学である。
両校を訪れた理由は、自分自身の研究(ブータンの情報化)について、
調査の際の身元受け入れ先となる学部、または、研究者を探すこと。
何らかのコラボレーションを実現させることで、
ブータンでの研究がぐっとはかどり易くなるからだ。
ブータンに一般の観光客として入国する場合、
1日当たり200〜250USドルの公定料金がかかる。
車からガイドから宿泊から食事まで、全て込みの料金なので、
純粋に観光目的で来る分には分かりやすいシステムなのだが、
こと長期滞在するとなると、カネがいくらあっても足りない。
そもそも、観光ビザの滞在日数は最大2週間までしか許されていないので、
長期滞在すること自体が不可能なのだが。
ごく有り体に言ってしまえば、現地大学に受け入れてもらって、
研究ビザ、または、学生ビザを取ることができなければ、
実質、ブータン研究を長く続けることは限りなく難しい。
もちろん、これは多分、ブータンに限らず、世界中の研究者が、
海外でフィールドワークをする際に必ずぶつかる関門だろう。
まず訪れたジグメ・ナムゲル工科学院は、
実は、昨夏、同校の学長が日本を訪れており、
その際、ご縁があって、自分がコーディネート役になって、
当大学の理工学部を視察していただく機会を持ったことがあった。
学長は、末席にいた若僧のことを覚えていていただいたようで、
訪問してお話を伺いたい旨を連絡したところ、快く招き入れてくれた。
しかも、学長直々に校内を案内していただき、夕食までごちそうになった。
すぐに具体的な話には繋がらなかったものの、今後も引き続き交流をしながら、
何らかの可能性を探っていこう、という形になった。
(写真:キャンパスからの眺め。遥か向こうの平原はインド)
次に訪れたシェラブツェカレッジでは、
以前から、自分の研究に多少なりとも関心を持っていただいており、
もう少し具体的に、何らかのコラボレーションの可能性を探るために、
時間をたっぷり取って打合せをしよう、ということになっていたのだが…
何故か、訪問していきなり学長室に通され、
学長から「さあ、君は何ができるんだ」と、割とド直球を投げられる事態に。
念のため用意していた研究計画のプレゼンを慌ててしたところ、
示されたオプションは二つ。
一つは、研究者の交流や交換留学等を含む、大学間または学部間協定を締結し、
協定校の交換留学生として訪問すること。
そうすれば、ほぼ大学持ちで、安価に、しかも、より長期の滞在が可能になる。
もう一つは、自費留学生として同校に籍を置くこと。
この場合、学費+滞在費で、観光ビザまではいかないものの、結構な額がかかる。
当然、可能であれば前者の選択肢を選びたいところなのだが、
さすがにしがない学生の身では、「じゃあやりましょう」と即答はできない。
持ち帰って検討してみます、と言ってみたのだが、
さて、そもそも、協定を結ぶために何をすればいいのか、皆目検討もつかない。
大学の交換留学制度とかを上手く使えば、
2週間くらいの短期の交換留学程度なら、意外とセッティングできそうな気もする。
というか、そのプログラムを考えるのは、なんだか結構面白そうだ。
自分の研究そっちのけで、普通に仕事として請け負ってもいいレベルで。
そういえば、最近は、気仙沼でのプロジェクトも、
直接のアドバイザー業務もさることながら、コーディネート業も増えてきた。
だんだんと、コーディネーター役のほうが性に合っている気さえしてきて、
完全に本末転倒になりかけているが。
今回のブータン訪問は、そもそもが、暗中模索からのスタートだった。
さらに、シェラブツェカレッジまでの道程が、文字通りの五里霧中。
学生の身分で、協定の締結なんて、それこそ雲を掴むような話だ。
大体、一学生の身分で、現地の大学の学長に立て続けに二人も会える、
なんてことは、日本ではちょっと起こり難い。
せいぜい、学部長と廊下ですれ違うくらいがいいところだ。
有難い機会をいただいたということで、しばし暗躍してみようと思う。
そういえば、高校の頃は、あやしいメキシコ人の校長と何故か仲が良かったので、
卒業後も連絡を取って会いに行ったりする間柄だったことを思い出した。
が、それはまた別のお話。
(続く)
5度目のブータン訪問で、初めて、東ブータンへ足を踏み入れた。
(ずっと4度目と思っていたが、よく数えたら5度目だった)
首都のティンプーをはじめ、国際空港のあるパロも、西に位置しており、
おのずと、ブータン初心者の足は西へ向きやすくなる。
しかし、多民族国家であるブータンでは、
東と西で、言語から食生活まで大きく異なる。
西しか知らないブータン研究者など「もぐり」だと後ろ指をさされてしまう…
なんてことも、あったりなかったりするようだが、
とにかく、個人的に、一度は訪れなければならない地域だとは感じていた。
そもそも、ブータンは、国のサイズ自体が九州くらいしかない。
しかし、ちょうど九州を横に倒したような横長の国土を横断しようとすると、
同じくらいの距離を走る九州新幹線が1時間半程度で駆け抜ける長さを、
約24時間(12時間*2日、又は、8時間*3日)かけて車で走破する羽目になる。
ヒマラヤ山脈の南斜面に位置するブータンは、
国土のほぼ全てが急峻な山々で覆われていて、直線道路がほとんど無い。
どこまで行っても「いろは坂」を走り続けなければいけないようなもの、
と書くと、少しはその状況がつかめるだろうか。
なんか、こんなようなことを、過去にも何度か書いたような気がする。
そんな劣悪な交通事情に、さらに追い打ちをかけるのが、天候である。
夏のブータンは、雨期にあたる。
ブータンの道路は、山肌をくり抜いて作られたものがほとんどなのだが、
残念ながら、そのくり抜かれた斜面は酷く脆いため、
雨が降ると、あちこちで土砂崩れが発生して道を塞ぐ。
さらに、道路そのものが崩れ落ちる、崖崩れも頻繁に起きる。
ちなみに、崖の下は、数百m下の谷底、という場所も珍しくない。
(写真:天気がよければ、実に気持ちの良いドライブなのだが…)
どんなに広くても片側1車線、あるいは全部で1.5車線程度しかない道幅で、
土砂崩れや崖崩れに見舞われると、どうなるか。
対向車とすれ違うたびに、あと数十cmで崖下へ転落する恐怖に怯えながら、
熟練ドライバーの腕と、あとは、運を天に任せるほかなくなる。
そんなスリルが、下手すれば8時間とか12時間とか続くことになるのだ。
ちなみに、冬はというと、もっと状況が悪い。
東西を貫通する道路は、ところどころで峠を越えなければならないのだが、
この峠、日本人の感覚とはだいぶ趣が異なる。
簡単に言うと、富士山より高い峠がごろごろある。
当然、冬になると、路面は凍結してしまうため、
峠を越えること自体が不可能になる、というわけだ。
さて。
今回、東ブータンを訪れたのは7月、ということで雨期真っただ中である。
もちろん、雨期のブータンを訪れるのは初めてではないので、
土砂崩れや崖崩れは、歓迎はしないが、ある程度想定済みであった。
が、今回、最も困らされたのは、実は「濃霧」だった。
たしかに、以前も濃霧に遭遇したことがなかったわけではないが、
今回ほど、命の危険を感じたことはなかった。
霧そのものが問題なわけではない。
霧がかかることによって、上述の全てのリスクが、大体5割増しになる、
ということが問題なのだ。
霧がかかっていると、
前方に崩れてきた土砂が堆積しているか判別できない。
前方の崖が崩れて道がなくなっていることがギリギリまでわからない。
前方からやってくる対向車が直前まで認識できない。
とまあ、こういった具合になる。
普段は、峠を攻める暴走車さながらに、
S字カーブを、クラクションを鳴らしながら減速せずに駆け抜ける、
走り屋顔負けのブータン人ドライバーたちも、
このときばかりは、かなり慎重な、若葉マーク付運転手のようになる。
ただ、その慎重さを補って余りあるリスクがそこにはあるのだが…
と、ここまで、ブータンの道路事情を書き連ねてきただけで、
結構な文量になってしまったので、今回はこのぐらいで。
次回は、なぜ東ブータンを訪れることになったのか、
その理由についてお話したいと思う。
これまで、気仙沼で復興支援と銘打ちつつも、
お世話しつつお世話されつつの、ほどよい関係を築いてきた。
中でも、お世話になっている箇所の一つが、
学部生のフィールドスタディツアーでたびたび訪れている、
リアスアーク美術館である。
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同館は、美術館でありながら、博物館色も混淆した、
さながら、地域の総合ミュージアム、といった趣をなしている。
震災以前から、郷土の民俗資料、特に「食」をテーマとした、
海と山にかかわる農耕・漁労文化について常設展示を行うなど、
地域に密着した文化活動の継承役を担ってきた。
東日本大震災後、しばらくの間、休館となっていたのだが、
2012年7月に一部再開、2013年4月に全面再開となった。
再開後、筆者自身が同館を訪れた最大の目的は、
新たな常設展『東日本大震災の記録と津波の災害史』を拝覧するためであった。
同展の主たるキーワードは、「記憶」である。
常設展の冒頭には、
「東日本大震災をいかに表現するか、地域の未来の為にどう活かしていくか」
という問いかけがある。
同展示の目的を、端的に表すとすれば、
震災の記録を残し、
その記録を、正しい表現を用いて伝達し、
それを以て、人々に記憶として定着させ、
来るべき未来の災害を防ぐ、
ということになるだろうか。
展示品は、写真203点、被災物155点、歴史資料等137点からなる。
震災後、被災者でもある学芸員自らが、約30,000点もの現場写真を撮影し、
250点もの被災物(中には数mに及ぶ巨大なものもある)を収集した。
それら膨大な一次資料を元に、同展示は構成されている。
写真には、それを撮影した瞬間の学芸員の生々しい言葉が付されている。
被災物には、その持ち主(あるいは関係者)のエピソードが、半分実話、
半分フィクション、という虚実入り交じる形で掲載されている。
一点一点を丁寧に見ていくと、長ければ丸半日程度の時間を要する、
非常に見る側の体力・精神力を求める展示、でもある。
併せて、震災を考えるためのキーワードと、想起すべき短い論考とが、
学芸係長(震災当時、学芸員)の山内氏によって書き起こされている。
被災した者に対して、あるいは、被災していない者に対して、
投げかけられる言葉は、あまりにも率直で、そして、強い。
例えば、以下のようなものである。
瓦礫(ガレキ)とは、瓦片と小石とを意味する。また価値のない物、つまらない物を意味する。
被災した私たちにとって「ガレキ」などというものはない。それらは破壊され、奪われた大切な家であり、家財であり、何よりも、大切な人生の記憶である。例えゴミのような姿になっていても、その価値が失われたわけではない。しかし世間ではそれを放射能まみれの有害物質、ガレキと呼ぶ。大切な誰かの遺体を死体、死骸とは表現しないだろう。ならば、あれをガレキと表現するべきではない。
個人的には、既に同美術館に4-5回訪れており、
その度に、同展示を拝覧させていただいている。
変わらぬ写真、被災物、キーワードの展示でありながら、
時が経つにつれて、その意味合いが少しずつ変化していく。
そんな経験をさせてもらっている。
驚くほどに、全く飽きることがない。
気仙沼市内各所で見聞を重ね、その都度、この展示に戻ってくると、
断片化した誰かの喋ったことや何処かで見たことが、頭の中で反芻される。
こうした脳内の反復作業を通して、脳内のHDDに記憶が焼き付いていく。
「記憶」の獲得の瞬間を、実感として認識することができる。
正直言って、この展示のためだけに気仙沼に行く価値がある、
それぐらいに、インパクトのある内容となっている。
なお、この展示について、
いくつか写真・映像付きのレポートやインタビューを見つけたので、
雰囲気を掴んでいただくためにも参照されたい。
後世に記録を伝える │ NHK東日本大震災アーカイブス
http://www9.nhk.or.jp/311shogen/map/#/evidence/detail/D0007010160_00000
リアス・アーク美術館常設展示「東日本大震災の記録と津波の災害史」、N.E.blood21 Vol. 46:千葉奈穂子 展、Vol. 47:石川深雪 展 │ artscape
http://artscape.jp/report/curator/10087541_1634.html
東北のいまvol.16 リアス・アーク美術館常設展 「東日本大震災の記録と津波の災害史」 残すこと、伝えること。 │ 東北復興新聞
http://www.rise-tohoku.jp/?p=4988
展示作品を収めた図録『東日本大震災の記録と津波の災害史』も出色である。
同書のあとがきの言葉を紹介して、本稿を締めたい。
当館が編集した「東日本大震災の記録と津波の災害史」常設展示には、震災以前からその地で暮らし、その地で被災者となり、これからもその地で生きていく者でなければ見えない事実、感じられない感覚を伝えるための表現を詰め込んだ。単なる資料の羅列ではなく、記憶を紡ぐための装置として資料を昇華し編集した。そしてその内容をこの図録に込めた。
我々の目的は風化を食い止めることでもなければ忘れさせないことでもない。知らなかったことに出会い、心を動かし、思考を巡らせ新たに記憶してもらうことである。
同一の経験がなくても、相似する経験を組み合わせ、想像力を働かせれば記憶は獲得できる。人間にはそういう力があると信じている。一人でも多くの人に、我われが経験したこと、我われが気付いてしまったことを共有してほしい。そして大切な人が暮らす未来を守ってほしい。
図録は、郵送でも購入可能だ。
あまり他人にモノを勧めることのない筆者だが、
これは、自信を持ってオススメしたい、珠玉の一冊である。
http://www.riasark.com/modules/news/article.php?storyid=133