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これまで、気仙沼で復興支援と銘打ちつつも、
お世話しつつお世話されつつの、ほどよい関係を築いてきた。
中でも、お世話になっている箇所の一つが、
学部生のフィールドスタディツアーでたびたび訪れている、
リアスアーク美術館である。
http://www.riasark.com/
同館は、美術館でありながら、博物館色も混淆した、
さながら、地域の総合ミュージアム、といった趣をなしている。
震災以前から、郷土の民俗資料、特に「食」をテーマとした、
海と山にかかわる農耕・漁労文化について常設展示を行うなど、
地域に密着した文化活動の継承役を担ってきた。
東日本大震災後、しばらくの間、休館となっていたのだが、
2012年7月に一部再開、2013年4月に全面再開となった。
再開後、筆者自身が同館を訪れた最大の目的は、
新たな常設展『東日本大震災の記録と津波の災害史』を拝覧するためであった。
同展の主たるキーワードは、「記憶」である。
常設展の冒頭には、
「東日本大震災をいかに表現するか、地域の未来の為にどう活かしていくか」
という問いかけがある。
同展示の目的を、端的に表すとすれば、
震災の記録を残し、
その記録を、正しい表現を用いて伝達し、
それを以て、人々に記憶として定着させ、
来るべき未来の災害を防ぐ、
ということになるだろうか。
展示品は、写真203点、被災物155点、歴史資料等137点からなる。
震災後、被災者でもある学芸員自らが、約30,000点もの現場写真を撮影し、
250点もの被災物(中には数mに及ぶ巨大なものもある)を収集した。
それら膨大な一次資料を元に、同展示は構成されている。
写真には、それを撮影した瞬間の学芸員の生々しい言葉が付されている。
被災物には、その持ち主(あるいは関係者)のエピソードが、半分実話、
半分フィクション、という虚実入り交じる形で掲載されている。
一点一点を丁寧に見ていくと、長ければ丸半日程度の時間を要する、
非常に見る側の体力・精神力を求める展示、でもある。
併せて、震災を考えるためのキーワードと、想起すべき短い論考とが、
学芸係長(震災当時、学芸員)の山内氏によって書き起こされている。
被災した者に対して、あるいは、被災していない者に対して、
投げかけられる言葉は、あまりにも率直で、そして、強い。
例えば、以下のようなものである。
瓦礫(ガレキ)とは、瓦片と小石とを意味する。また価値のない物、つまらない物を意味する。
被災した私たちにとって「ガレキ」などというものはない。それらは破壊され、奪われた大切な家であり、家財であり、何よりも、大切な人生の記憶である。例えゴミのような姿になっていても、その価値が失われたわけではない。しかし世間ではそれを放射能まみれの有害物質、ガレキと呼ぶ。大切な誰かの遺体を死体、死骸とは表現しないだろう。ならば、あれをガレキと表現するべきではない。
個人的には、既に同美術館に4-5回訪れており、
その度に、同展示を拝覧させていただいている。
変わらぬ写真、被災物、キーワードの展示でありながら、
時が経つにつれて、その意味合いが少しずつ変化していく。
そんな経験をさせてもらっている。
驚くほどに、全く飽きることがない。
気仙沼市内各所で見聞を重ね、その都度、この展示に戻ってくると、
断片化した誰かの喋ったことや何処かで見たことが、頭の中で反芻される。
こうした脳内の反復作業を通して、脳内のHDDに記憶が焼き付いていく。
「記憶」の獲得の瞬間を、実感として認識することができる。
正直言って、この展示のためだけに気仙沼に行く価値がある、
それぐらいに、インパクトのある内容となっている。
なお、この展示について、
いくつか写真・映像付きのレポートやインタビューを見つけたので、
雰囲気を掴んでいただくためにも参照されたい。
後世に記録を伝える │ NHK東日本大震災アーカイブス
http://www9.nhk.or.jp/311shogen/map/#/evidence/detail/D0007010160_00000
リアス・アーク美術館常設展示「東日本大震災の記録と津波の災害史」、N.E.blood21 Vol. 46:千葉奈穂子 展、Vol. 47:石川深雪 展 │ artscape
http://artscape.jp/report/curator/10087541_1634.html
東北のいまvol.16 リアス・アーク美術館常設展 「東日本大震災の記録と津波の災害史」 残すこと、伝えること。 │ 東北復興新聞
http://www.rise-tohoku.jp/?p=4988
展示作品を収めた図録『東日本大震災の記録と津波の災害史』も出色である。
同書のあとがきの言葉を紹介して、本稿を締めたい。
当館が編集した「東日本大震災の記録と津波の災害史」常設展示には、震災以前からその地で暮らし、その地で被災者となり、これからもその地で生きていく者でなければ見えない事実、感じられない感覚を伝えるための表現を詰め込んだ。単なる資料の羅列ではなく、記憶を紡ぐための装置として資料を昇華し編集した。そしてその内容をこの図録に込めた。
我々の目的は風化を食い止めることでもなければ忘れさせないことでもない。知らなかったことに出会い、心を動かし、思考を巡らせ新たに記憶してもらうことである。
同一の経験がなくても、相似する経験を組み合わせ、想像力を働かせれば記憶は獲得できる。人間にはそういう力があると信じている。一人でも多くの人に、我われが経験したこと、我われが気付いてしまったことを共有してほしい。そして大切な人が暮らす未来を守ってほしい。
図録は、郵送でも購入可能だ。
あまり他人にモノを勧めることのない筆者だが、
これは、自信を持ってオススメしたい、珠玉の一冊である。
http://www.riasark.com/modules/news/article.php?storyid=133