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先般、ご案内させていただいた、今年のブータンシンポジウムが、
先週末、盛況のうちに、無事幕を閉じた。
中身が濃い議論が繰り広げられ満足した、との声を多数いただき、
まずは一安心、といったところである。
事務方として、100人規模の「シンポジウム」なるものを運営する、
という作業を、これで3年間続けたことになる。
3回も同じことをすれば、人間、それなりに経験というものが蓄積される。
手前味噌ではあるが、今回はなかなか上手くいったのではないかと思う。
ただし。
あまり冒険をしなかったので、当然といえば当然の結果でもある。
もちろん、安全に安全を見越していても想定外の事故はつきものだし、
そういう意味では、事故無く終われたことを喜ぶべきなのだが、
どうしても、「置きにいった」感は否めない。
そして、そのこと自体の良し悪しは、現時点ではまだわからない。
過去2回は、いずれも、「パネルディスカッション」方式を採用した。
念のため説明すると、
「掲げられたテーマについて、異なる意見を持った複数(3人以上)の討論者によって、公開で討議を行う」(Wikipedia調べ)
方法のことである。
たぶん、一番わかりやすい例は、
選挙の際にテレビで放送される党首討論、だろうか。
ただ、単なる足の引っ張り合いで討論の体を成していないこともあり、
あまり良い例とは言えないかもしれないが…
パネルディスカッション方式の狙いは、
一つは、議論を戦わせながら、最終的にテーマに沿った結論が導かれること。
もう一つは、さまざまな意見が交わされている様子を見て、
聴衆の一人一人が、何らかの新しい着想を持ち帰ること。
この二点ではないかと思う。
ところで、ひょっとすると、
「掲げられたテーマについて、異なる意見を持った複数で討議を行う」
という文言を見て、「ワークショップ」という手法が頭に浮かんだ方も、
あるいはいらっしゃるかもしれない。
主にまちづくりにおける住民参画の現場で用いられる集団討議の方法で、
「多くに人が集まって意見を出し合い、より良いアイデアを創出すること」
がその大きな目的となる。
個人の意見の単純な足し算(場合によっては引き算)ではなく、
掛け合わせて全く新しいアイデアを生み出そうと試みること、
と言い換えてもいい。
どちらの方式にも、上手くいくための共通のルールがある。
それは、議論の着地点が明確でなければならない、ということ。
ただ発散するだけのパネルディスカッションは、
聴講者は、何の話をしていたのか文脈をつかみ切れず、
パネリストも、議論が噛み合わずに消化不良に終わる、
と、あまり良いことがない。
ちなみに、着地点を定めるといっても、
あらかじめ結論を用意しておく、ということではない。
それでは、パネルディスカッションやワークショップが持つ、
「複数人で議論することで、新たなアイデアを発見する」
という、発想法としての側面が全く機能しなくなってしまう。
翻って、今回のシンポジウムでは、上述の問題を踏まえて、
オーソドックスな「講演」形式を採ることにした。
パネルディスカッション形式は、異なる意見を持つ者を集める、
ということになっているが、実際には、
異なる分野、異なるジャンルの人同士を集めてしまうと、
意見が違いすぎて、そもそも議論にすらならない。
また、聴衆は、さらに分野、ジャンルがバラバラの人が集まっており、
パネリストは、聴衆に配慮して、自分がどういう経歴を持っているのか、
という背景事情から懇切丁寧に説明しなければならない。
そして、そんなことを一人一人やっていたら、
それだけであっという間にタイムアップになってしまう。
ある限定された分野、ジャンルの中で、
パネリスト、聴衆ともに、共通のバックボーンを持つ、
そういう場合でのみ、パネルディスカッション形式は効果を発揮する。
というのが、いまのところの筆者の見解である。
そう考えると、ブータンという共通項はあるものの、
それだけではあまりにも幅が広すぎて、
結局、それぞれ好きなように喋って、まとまりを欠いたまま散会、
という過去2回の苦い記憶が蘇ってくる。
あれはあれで、議論があっちこっち飛んで予測がつかなくて面白かった、
というマニアックなご意見もあるにはあったのだが…
というわけで、今回は、一人一人にまとまった持ち時間を与えて、
好きなように喋ってもらおう、と相成ったわけである。
結果的に、今回に関しては、この変更は功を奏した、と思われる。
特に、それぞれの喋り方や資料の使い方にも個性が表れ、
約4時間近い長丁場でも、中だるみせずに楽しんで聞くことができた。
また、この形式であれば、聴衆は、自分の興味のあるトピックスだけを
集中して聴く、ということももちろんできる。
やや全体のテーマに対してとってつけた感が否めない部分もあったが、
だからこそ、もしパネルディスカッションにしていたら、
もっと無理矢理感が出て、それぞれの面白い部分が消されてしまったかも、
とも思う。
何よりも、タイムマネジメントが圧倒的に楽である。
講演者がある程度時間を守ってくれることが前提ではあるが、
少なくとも、今回に関しては、みなさまのご協力もあって、
驚くほど時間通りにきっちりと終了することができた。
さて、次回はどうしようか。
また「講演」形式にするのか、「パネル」にチャレンジするのか。
はたまた、全く違う新しい試みを取り入れていくのか。
いや、そもそも次回も自分が事務方をやるのか。
このあと、おそらく反省会があるので、そこで議論されることになるが、
さあ、どうなることやら。