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2014/08/19

今回の東ブータン訪問の最大の目的は、ブータンの大学へ来ることだった。
日本には馴染みが薄いシステムだが、ブータンの大学制度は、
ブータン王立大学という一つの大学の下に、いくつかのカレッジがぶらさがる、
というかたちを取っている。

今回訪問したのは、そのうちの2校。
ジグメ・ナムゲル工科学院(Jigme Namgyel Polytecnic)と、
シェラブツェカレッジ(Sherubtse College)。
前者はその名の通り、理工系の学科が揃う大学で、
後者は、数学、物理学、社会科学などの学部を擁する、
ブータンで最も歴史がある大学である。

両校を訪れた理由は、自分自身の研究(ブータンの情報化)について、
調査の際の身元受け入れ先となる学部、または、研究者を探すこと。
何らかのコラボレーションを実現させることで、
ブータンでの研究がぐっとはかどり易くなるからだ。

ブータンに一般の観光客として入国する場合、
1日当たり200〜250USドルの公定料金がかかる。
車からガイドから宿泊から食事まで、全て込みの料金なので、
純粋に観光目的で来る分には分かりやすいシステムなのだが、
こと長期滞在するとなると、カネがいくらあっても足りない。
そもそも、観光ビザの滞在日数は最大2週間までしか許されていないので、
長期滞在すること自体が不可能なのだが。

ごく有り体に言ってしまえば、現地大学に受け入れてもらって、
研究ビザ、または、学生ビザを取ることができなければ、
実質、ブータン研究を長く続けることは限りなく難しい。
もちろん、これは多分、ブータンに限らず、世界中の研究者が、
海外でフィールドワークをする際に必ずぶつかる関門だろう。


まず訪れたジグメ・ナムゲル工科学院は、
実は、昨夏、同校の学長が日本を訪れており、
その際、ご縁があって、自分がコーディネート役になって、
当大学の理工学部を視察していただく機会を持ったことがあった。

学長は、末席にいた若僧のことを覚えていていただいたようで、
訪問してお話を伺いたい旨を連絡したところ、快く招き入れてくれた。
しかも、学長直々に校内を案内していただき、夕食までごちそうになった。
すぐに具体的な話には繋がらなかったものの、今後も引き続き交流をしながら、
何らかの可能性を探っていこう、という形になった。

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(写真:新築の図書館兼IT棟)

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(写真:機械実習室はちょっと古めかしい)

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(写真:キャンパスからの眺め。遥か向こうの平原はインド)

次に訪れたシェラブツェカレッジでは、
以前から、自分の研究に多少なりとも関心を持っていただいており、
もう少し具体的に、何らかのコラボレーションの可能性を探るために、
時間をたっぷり取って打合せをしよう、ということになっていたのだが…

何故か、訪問していきなり学長室に通され、
学長から「さあ、君は何ができるんだ」と、割とド直球を投げられる事態に。
念のため用意していた研究計画のプレゼンを慌ててしたところ、
示されたオプションは二つ。

一つは、研究者の交流や交換留学等を含む、大学間または学部間協定を締結し、
協定校の交換留学生として訪問すること。
そうすれば、ほぼ大学持ちで、安価に、しかも、より長期の滞在が可能になる。
もう一つは、自費留学生として同校に籍を置くこと。
この場合、学費+滞在費で、観光ビザまではいかないものの、結構な額がかかる。

当然、可能であれば前者の選択肢を選びたいところなのだが、
さすがにしがない学生の身では、「じゃあやりましょう」と即答はできない。
持ち帰って検討してみます、と言ってみたのだが、
さて、そもそも、協定を結ぶために何をすればいいのか、皆目検討もつかない。

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(写真:シェラブツェカレッジ正門)

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(写真:ITレクチャールームにて)

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(写真:キャンパス風景。時計塔は…止まってる)

大学の交換留学制度とかを上手く使えば、
2週間くらいの短期の交換留学程度なら、意外とセッティングできそうな気もする。
というか、そのプログラムを考えるのは、なんだか結構面白そうだ。
自分の研究そっちのけで、普通に仕事として請け負ってもいいレベルで。

そういえば、最近は、気仙沼でのプロジェクトも、
直接のアドバイザー業務もさることながら、コーディネート業も増えてきた。
だんだんと、コーディネーター役のほうが性に合っている気さえしてきて、
完全に本末転倒になりかけているが。

今回のブータン訪問は、そもそもが、暗中模索からのスタートだった。
さらに、シェラブツェカレッジまでの道程が、文字通りの五里霧中
学生の身分で、協定の締結なんて、それこそ雲を掴むような話だ。

大体、一学生の身分で、現地の大学の学長に立て続けに二人も会える、
なんてことは、日本ではちょっと起こり難い。
せいぜい、学部長と廊下ですれ違うくらいがいいところだ。
有難い機会をいただいたということで、しばし暗躍してみようと思う。

そういえば、高校の頃は、あやしいメキシコ人の校長と何故か仲が良かったので、
卒業後も連絡を取って会いに行ったりする間柄だったことを思い出した。
が、それはまた別のお話。

(続く)

2014/08/19 12:00 | fujiwara | No Comments