仕事をするようになってから、1年の区切りが1月からスタート→12月が最後、から小学生のように4月の桜でドキドキスタート→3月で終わり、という周期が強くなった。ということで、あと少しで、ボクの中のこの1年が終わる。ゆく年くる年。なんとなく雑煮でも食べてコタツで丸くならねばならん。
今年度はムリだと言われながら(ウチの水族館にとって)大きな入館者目標を立てて達成できなかったらボーズになる、と腕力主義・陰の番長スタイルで公約を掲げてきたけど、1月の初旬で難なくクリア、今月末<年度末>までの年間入館者は目標値よりも4万人近く多い記録になった。
今年度は、魚の本は本屋で月刊誌をパラパラ立ち読みするだけでほとんど読まず、圧倒的にビジネス書・自己啓発書を読みまくった。もぉ魚好き人間は卒業した。
本屋で有名凄腕ビジネスマンの本を見つけるとすかさず近寄り、ハイエナ眼をして買い、メラメラして寝る前にいつも読んだ。30冊くらい読んだ。そんなに読んだのは少年のころのエロ本以来だ。いや、ウソだ!!
しかしながら残念なことに、寝る前、布団に入って読んでいると光の速さで眠くなり、気絶睡眠してしまうので、多くのスバラシイ本の内容はほとんど覚えていない、という悲しい自体が多い。
それでも、カンブリア宮殿シリーズの本や、社長の金言、ユニクロ社長系、ソフトバンクの社長系、トヨタ流改善実行系、ドトールの社長の本、その他いろいろ。ソフトバンクの孫正義さんについての本はたくさん読んで、そこから坂本龍馬に派生して、龍馬ファンになった。
スゴイ社長や坂本龍馬に共通することは、みんな「オレはゼッタイやってやるゼ」という強い意思と「こんなことをしてこんな風にしたい!」という強い志、「みんなが良くなるように」という私利私欲に走らないスタイル。すごいなぁ、と思うと同時に、オレもそうしなきゃいかん!っと立ち上がることが多かった。
ま、立ち上がったところでなにもできず、また布団に入って寝てしまうのだが。
これからは簡単に寝てしまわずに、立ち上がったまま、オノレが何をすべきか、そのためにどうすればいいか、世のため人のためにどうすればいいか、とかいろいろ考えて、支えてくれる人や水族館に来てくれる人を笑顔にして、みんなが幸せになれるような仕事の内容や志をしっかり持たねばいかん!と強く思いながら、布団に入って寝る次第であります。
さて、公約入館者数をはるかに上回り、周りの人の期待を裏切ってボーズを回避する起爆となったたぶん全国初の「深海魚のタッチングプール」に続いて、水面下では新たなニュープロジェクトが動きだしている。深海タッチングプールに続く「2つ目の爆弾」が来年度に投下される予定で、今日は昼からずっと建築業者や電気屋や配管業者とアレコレ作戦会議をしていた。
深海タッチプールは子供の要望からの実現化だったので、次は大人のためのものを作る予定。しかしお金はないので、やることは小さい事。しかし内容は大きな事。小さいけど大きい。大きいけど小さい。これがテーマ。まぁ、すぐに寝てしまわずに、真剣に考えます。みんなを幸せにできる水族館を目指して!わしゃもっともっとやったるけん。
2月2日が誕生日であったけど、オレッチは下関に反省+自分探しの旅・飼育員全国大会に行って(行かされて)いたので、ホテルで一人ミスドを食べながら次の日の発表の練習をしていた。
つー涙ナシには語れない夜を過ごしたんだけどね、帰ってきて泣いていたら職場の後輩たちが誕生日会をやってくれる、という。鬼に金棒、こばやしに優しい後輩、である。
何でもしてあげる、と職場の戸舘(トダテ)くんが愛人ラマンのような口調で言うので、菜々緒とかいう今イチオシのモデルに会いたい、と言ったら却下された。
なので、ロッククライミング!と言うことになった。普段、水に触ってばかりいるのでたまには逆方向の山に勝負を賭けてみたいではないか。
といいながら月日は流れ、月末の休館日。集まったのは幹事で運転手の戸舘くん、ゲテモノ食いの三田くん、自称オトメ須田ちゃん、そしてワタクシの4人。戸舘氏の車で2時間弱。お隣の県の浜松にあるナンチャラコンタラセンターに着いた。
ボルダリングとかいう壁に着いた突起物をつかんで登っていく、というのは今ヒソカなブームらしくていろいろな場所にあるらしいが、ココは登れる高さが14メートルあり国内有数だと言う。実際の山の崖を登るわけではない。それはキケンすぎるらしい。もっとも、であれば勝手に山に行って勝手にその辺の採石場の壁などに勝手に登って勝手に落下して死ねばいい、ということらしい。
さっそく、装備をしてロープの結び方や注意の講習を受けたあと、出発。というか、よじ登る。あんなもの簡単に田舎の夏の玄関ガラスのヤモリやカエルのようにワシワシ登ってやるぜ!楽勝、楽勝!っと思っていたら、カベに付いている様々の無数ある突起物は同じ色のもの1色しか使ってはいけないルールであるらしいことを知った。何!?難しくねぇだか?
どの突起でも勝手につかんで登っていいわけではなく、使っていい色によって登る難易度が変わるらしい。好き勝手つかんで足をかけて登れると思っていたから、なんだか急に制約を受けて自信がなくなり困った。
トップバッターの須田が緑の突起だけを使ってガンガン登っていき、あっと言う間に頂上制覇。さすが最若手。水族館に勤めてから筋肉がモリモリになり、今やウチの職員はサメに噛まれるより、アシカに襲われるより、彼女のハリテにおびえているだけのことはある。
色指定とはいえ登るだけだからやはり簡単なんだな、と思い、ボクは二番手で挑んだ。
が、結構コレが大変。腕の力が結構必要で、なんせ高さは14メートル。ビルの4階相当らしい。下を向くと、今まで下から見てヤジを飛ばしていた時よりも15倍くらい高くて、一刻も早く地上に降りたくなった。
登るのは2人一組制で、登っているヒトのヒモをたぐり寄せて、いつ落下しても高速降下身体大破しないようにロープを調節するヒトが必要。コイツが信用できないやつだと登っているヒトは簡単に地面に叩きつけられて壁どころか天に登ることになる。しっかりした相方にロープを持ってもらえば、登り終わった後やギブアップの時はユックリと安全に消防士のように降りてくることができる。
ボクが登ったときは、下で三田くんがロープを持っていた。登りきった後、かなりの迷いがあったが三田くんに全てを任せてカベから手を離したら、案の定、マッサカサマに地面に落下、たたきつけられて目玉脳みそがブチ飛んだ、、、ということはなく、無事に地上に生還した。
簡単な緑突起指定のやつは全員クリア。
難易度をあげて挑戦。なんだ、簡単じゃないか、と思っていたら、中盤あたりで指定色の突起がなくなってしまうのだ。次に手でつかむであろう突起ははるか上のほうにポツンと孤独に見える。
え?あんなに上の遠くにあるやつが次なの???どしよっかな。。。飛んでつかめばいいのかな、つかみ損なって失敗したら落ちるな(実際には下でロープを持っているヒトがいるので落ちずに宙釣り状態となる)どーしよっかなあ。。。
などと考えていると、次第に手の握力がなくなってきて、ウデが痛くなってくる。迷って壁に張り付いていると、それだけで体力が消耗し、ウデの力がなくなり、手足がプルプル震えてくる。苦しまぎれに近場の突起に手や足をかけると、下から、その色は違いまーす!!とヤジが来る。身動きができないので、このままカベと一体化してヌリカベのようになりたい。
壁に張り付いて、初めはクモ男だが、疲れて動けなくなり、次につかむ突起もつかめないでロトウに迷っていると、身動きが取れなくなり壁に張り付いた生まれたての子ヤギのようななんとも不思議な風景を下から見られてしまう。
自分の腕の筋肉がブチブチと大きな音でちぎれている感覚に襲われ、子ヤギは限界を感じて、死にそうなジジイヤギの声でギブアップする。
14メートルのカベのほかに3mくらいの低い壁もあり、こちらはロープを使わずに登る。これをボルダリングというらしい。こちらも指定色しか使ってはいかん。いろんな色の突起がついているのも関わらず、1色の突起しか使ってはいかん、というのは不便だ。それでも後輩はこちらのほうも面白いらしく、ハマっていた。
登る難易度はそれぞれの指定色の突起の位置や大きさ、距離で決まるらしい。結局、初めてということもあり楽勝だと思っていたのに、2、3パターンの難度しかクリアできずに、全員でウデの筋繊維を合計48万7千本くらい破損して時間になってしまった。
その後、付近にあったイオンをブラブラして誕生日記念に皆でプリクラを撮った。プリクラを撮るのは10年ぶりくらいだ。信じられないくらい機能が発達してハイテクになっており、ボクはオメメパッチリ、マツゲカールのオカマバーの店長のようになってしまった。
夜メシは、浜松でウマイと言われているインドカレー屋でナンを食べる。全員、カベ登りでウデから手にかけて筋肉を大破しているので、ナンを持つ手がおぼつかず、もはや握力は両手とも3くらいなのでナンがちぎれないのではないかと心配したが、ナンだけにナンとか完食。老婆の乳のような巨大なナンだ。ほんのり甘みのあるナンで、カレーをつけなくても食べれる。ウマイ。文句ない。拍手。合掌。
みんなのおかげで、楽しい誕生日会になった。
いつも海や川ばかりな半魚人なので、山方面に行くのも新鮮で楽しい。
問: もし、魚なら
1.自然の中で常にキケンいっぱい、その日暮らしノタレ死に覚悟人生
2.水族館で狭いけれど生活が保障され敵皆無、やや運動不足動脈硬化血圧高め
のどちらがいいでしょうか???
どちらともいえないでしょうか?ある人は自分の意思で生きていく自然で男らしく敵に食われるのを覚悟で生きる!と言うかもしれないし、ある人はこの寒い時期だけでもコタツの中から出たくないグウタラ者ですからアタシャ水族館でヌクヌクと暮らしたい、と言うかもしれない。そもそも、魚にはなりたくない、と思う人もいるでしょうね。
魚にはシアワセ、フシアワセ、ヨロコビ、カナシミ、ヨクボウ、愛情、憎悪、その他、いろんな感情があるのでしょうか?そこのあなた、どー思います?
「魚類の脳は非常に小さく、そもそも痛みを感じることすら出来ないという研究結果も出ています。人に比べその発達は著しく劣り、そのため感情はないものと思われます。えっへん。」
とか言う人とは、ボクは友達になりたくないなぁ。一緒にメシとか食えないなぁ。すぐにその辺に穴を掘って埋めてやりたい。
水族館で魚や生き物を見ていると、コイツ何を考えているんだろう?と思うことが良くあります。お客さんたちも、そんなことを考える方は多いようです。水族館の生き物は幸せなのだろうか。オレが担当している水槽の魚たちは幸せなのか。文句はあるのか。…あるだろうなぁ。
バッキャロウ!出しやがれ!こんな箱の中に入れやがって!なんだ!見るんじゃねぇ!コンチクショウ!腹減ったなぁ。
とか、水族館の魚は思っているんだろうか。
アシカなんか明らかに毎日いろんなことを考えていて、意思表示もする。ウチのアシカはショーがやりたくないようだ。この態度および表情は、もはや 「やりたくないようだ」 というより、「やりたくないと言っている」。
自分以外の生き物が、どんな生活をしていて、何を思って生きているのか、なにが楽しそうか、なにが悲しそうか、メシはうまいのか、好きな子が同じ水槽の中にいるのか、ガラス越しにこちらのことも見ていて何か思っているのか?
水族館でそんなことをいろいろ思うのは面白いと思います。水族館で生き物を見ながらいろんなことを思って、水の世界を素直に感じて、それを今後の人生のヒントや、生きる知恵、励ましのメッセージにしていけたらいいんじゃないか。あるいは、何も得られなくても、ココロがホッコリするだけでもいいと思う。
なんていう名前か、どこに住んでいるのか、地球を守ろう!とか、そういうことは、あとでいいと思うし、学校の宿題の時だけでいい。そういうことを先に真剣になって考えて勉強してしまうと、頭でっかちになっちゃって、うまくいかない気がします。
ボクは自館にいる魚と飼った事のある魚くらいしか、魚の名前は知らないし、正直勉強もあまりしてない。図鑑もあまり持ってない。いかんなぁ。職業なんだから勉強しなきゃね。
ヒトが魚を見て、いろんなことを学んで(教科書的な勉強!じゃなくて)、喜んで、笑って、家族や好きな人と話をして、何かを感じとれれば、それが水族館の魚にとって幸せや喜びの一つであるかもしれない。と、思うわけだよな。水族館は奥が深い。
野生から自分の意思とはおそらく関係ナシに捕まって、水槽の中に入って、ヒトに見られる。それは、それを考えると、とても申し訳ないことをしている。じゃぁやめるか、ではなくて、その申し訳なさを活かさなければいけない。それは水族館に魚がいなければ、人々は世界の水中世界を自分でダイビングしなければ実物を見れないし、ダイビングできないヒトは知ることができない。深海なんかダイビングできない。潜水艦に乗らねばならん。そんなことができるのは限られた研究者だけです。
水族館の魚たちは、オレたちはここにいる!すごいんだぞ!だからオマエもいろいろ考えて頑張るんだぞ!自分以外には優しくするんだぞ!ということを人々に教える代表選手。イイ水族館にして、そういうことを来る人に溢れんばかりに伝えるようにしなきゃいかん。
※ 「るたお水族館」よりトドの飼い方、セイウチの飼い方参照。
少年:「香里奈に似ているおかぁさん!海でクモのバケモノを拾ったよ!コレを飼いたい!」
母:「ぎゃぁ!」
ギャル男:「カッコウィーねぇー!飼っちゃいましょーよぉー!」
飼育員:「それは世界最大のカニ、タカアシガニです。飼い方を特別に教えましょう」
母:「そんな大きなクモはギャル男とまとめて海へ捨ててしまいなさい」
~ タカアシガニの飼い方 ~
①水槽を用意しよう!
小僧:「水槽はどんなのを用意したらいいですか?」
飼育員:「少なくとも、カニの足を広げた長さの2.5倍ほどの幅、1.5倍ほどの奥行きの水槽は用意したいですね。」
母:「そんな水槽ウチには置けません!夫も怒ります」
ギャル男:「ママさーん、お風呂で飼っちゃいなよぉ~!」
おじさん:「大変そうだから食べてしまいましょう」
少年:「水は海の水ですか?」
飼育員:「そうですね。新鮮な海の水が大量に必要です。1週間に1回、3分の1の量を水換えしないといけません」
おじさん:「だからさぁ、食べちゃおうよ。」
母:「お風呂のお水に伯方の塩を入れたのではダメですか?」
飼育員:「残念ながら海の生き物は家庭用食塩ではうまく飼えません。本当の海の水と成分が大幅に違うのです。飼う場合は新鮮な天然海水か、観賞魚店で人工海水の素を買う必要があります。タカアシガニの場合、3トンくらいの水が必要になりますので、これを人工海水で作ると、約2万5千円かかります。少しでも安いヤフーショッピングとかで購入しましょう。」
ギャル女:「ヤバイね、そのお金でプリクラ何枚撮れる?」
②水を冷やそう!
少年:「タカアシガニで有名な竹島水族館で聞いたら、イケメンの学芸員さんがタカアシガニは深海の生き物って言ってました。」
飼育員:「そうですね。たしかにイケメンの学芸員です。」
ギャル女:「ヤバイね、明日見に行かなきゃ!」
おじさん:「キミの苗字は高橋カニ?タカハシカニ?タカアシガニ?なんつって」
ギャル男:「おっさん、だまってろよ。」
飼育員:「深海の生き物なので、水を13℃に保ちます。今の時期はいいですが、夏は水槽用クーラーが必須です。夏はこれがフル稼働しますので、電気代は凄まじく、エコの時代に背く飼育です。しかし、深海の生き物は他にもいろいろいて、タカアシガニと一緒に飼える生き物もいっぱいいます。」
おじさん:「大変だよぉ。だからさぁ、食べちゃおうよ。」
③エサをあげよう!
少年:「エサは何を食べますか?」
ギャル女:「よっちゃんイカとかでいいんじゃない?」
飼育員:「一番簡単なのは、アジです。手のひらくらいの大きさのアジを、1週間に2本あげます。人間は毎日3食食べますが、タカアシガニは1週間に2回です」
ギャル男:「スゲェなぁ!」
おじさん:「おじさんは毎日ビールがあれば何にもいらないなぁ。」
飼育員:「(無視して)骨も頭も食べてしまいますので、そのままハサミに持たせてあげれば大丈夫です。」
母:「息子がハサミにはさまれたら死にますか?」
飼育員:「毒はなく、死にませんが3m級のオスにやられると大人でも泣きます。骨にヒビがはえて半月ほど腫れが引きません。近所の人に触らせる場合は、ハサミにテープを巻きましょう。」
おじさん:「危ないから食べちゃおうよ」
ギャル女:「オヤジ!食いたい食いたいって、うっせーんだよ!…アレ?お父さん???」
おじさん:「え!?よしえ(娘)じゃないか!?オマエ、こんなところでこんな時間まで!それになんだ!そのハデな格好と化粧は!!その横のチャラチャラした男は誰だ!!離れなさい!!」
④ショーをしよう!
少年:「アシカさんみたいにショーはできますか?」
飼育員:「多くの海獣類のように報酬や強化といったトレーニングが難しく、報酬の量も1日に限られているので大変困難と思われます。」
ギャル男:「おっさん、わけわからんから簡単に言ってくれよ。ショーはできるのかよ?」
ギャル女・父:「(口論している)」
飼育員:「ショーは難しいですね」
少年:「ボク見たことあるよ!水族館ではお魚はエサやりショーがあるんだぁ。輪くぐりとかもできるよ!」
おじさん:「すみません、娘は家に帰しました。カニとはジャンケンショーが出来ますよ。チビッコのお客さんとカニをじゃんけんさせて、勝ったらチビッコに記念品をあげます」
飼育員:「全員グーを出しますね。」
⑤食べてみよう!
母:「息子とよく相談しましたが、飼うのは難しそうです。夫が単身赴任から帰ってきて、お風呂にこんな大きなカニがいたら怒ると思いますし。。。なので、今晩の夕飯のおかずにします。」
おじさん:「待ってましたぁ!冷蔵庫にビールまだあったかなぁ。」
学芸員:「タカアシガニは水っぽくてマズイ、と言われていますが、これは大きすぎて料理が大変なため胴体をバキバキ折ってしまうので、そこから成分やダシが出てしまってマズくなるのだと思います。そのためなるべく大きなデカ鍋で調理するのがいいでしょう。ベストなのはドラム缶などで丸茹でです。茹でて食べるのがオススメです。鍋にして後でゾウスイを作ってもいいですね」
少年:「かわいそうかなぁ」
学芸員:「人間は生き物の命を奪って生きているんだよ。だからしっかり見ておいて、ちゃんといただきますとごちそうさまを感謝の気持ちで言おうね。そして残さず食べようね。」
おじさん:「ウッヒー!うまそう!足を折って引っ張ると、中の身がズルズル!!って出てくるね!マヨネーズをつけて食うと最高ですナァ!」
一同:「カニさん、本当にありがとうございました!ごちそうさまでした。」
こーみえても、毎日アシカショーをやっている。ナメンナヨ。
とは言うものも、毎日寒くてショーをやるのは大変です。
最近では室内にショースタジアムと称する立派な建物があり、プールもあって快適・安心・品質保証の適温環境で座ってショーが見れる施設もあるけど、たいていの水族館ではショーは外でショーをやる。見るほうも大変だけど、やるほうはもっと大変なんだから。
寒さで手がマヒしてきて、アシカに向かって投げる輪投げの輪のコントロールができなくなる。またく予期せぬ方向に輪が飛んでいってしまい、アシカに (おい、それはいくら何でも取れん) という顔をされることもある。
そんな時はこう言うのだ。
「コラ!今よそ見したでしょ!ちゃんと集中して輪を見てなきゃダメでしょ!」
さて、我が水族館は結構昔からアシカショーをやっていて、ボクは4代目のアシカのお兄さんだ。現在7代目までいる。
1代目が引退した後、2代目との間にかなりのブランク期間があり、市の予算が付いて再びアシカ導入、獣舎新築が決まり、そのとき2代目のトレーナーとして名乗り出た、というか指名されたのが現副館長で、多くの人から定評のある今の当館のアシカショーの基礎を作り上げた人で、若い頃静岡の水族館へ単身研修行き、何度も噛み付かれながらショーを構成した。
ボクの中で謎なのが
「初代アシカのお兄さんはどんな人でどんなショーをやっていたのか?」
ということであった。資料室へいって半日かけて昔の資料を探しても、アシカに関するものは出てこなくて見つかったのは数枚の写真のみ。謎は深まるばかりである。
こーいうことは博物館に聞こう!と思って、近所の市立博物館のO学芸員さんに情報を頼むと、博物館の収蔵庫から大昔の水族館のパンフレットを探し出してくれて、見せてくれた。水族館の資料庫から見つかった写真とほぼ同じ。おじさんがショーをやっている。
気になり、ずっと情報を探し、追い求めると少しずつ歴史が見えてきて、
①写真のように、当時としてはかなり珍しくアシカが2頭編成でショーをやっていた。
②アシカショーではなく、「アシカの曲芸」と名乗ってやっていた。
③いいかげんだった。
という情報が得られた。
初代アシカのお兄さん、じゃなかった、アシカのおじさんはKさんで、おぉ、なんとウチから自転車で5分の同じ町内在住ではないか。さっそく当時の「アシカの曲芸」がどんなだったか電話をしてみた。息子さん(といっても、もはや息子もオヤジ)が電話に出た。
「あぁ、ウチのおじいさん?アシカをやってたみたいだねぇ。」
「今いらっしゃいますか?」
「となりのおるよ(いるよ)。」
「かわっていただけますか?」
「ムリだねぇ」
「どうしてですか」
「もぉおじいさん、ボケちゃって話ができんよ」
「…。」
本人から直接、当時の状況を聞くことはできなかった。
その後、唯一当時のショーを鮮明に覚えている!いう人物、前の館長に話を聞く機会があり、驚愕した。
①「曲芸」の開催時間は毎日特に決まっていなく、かわいいお姉さんが来ると、突発的に開始された。
②そのため、エサはあらかじめ用意されていなく凍ったエサのままショーがお姉さんの前で行われ、アシカは凍ったエサをもらいながらショー、じゃなかった曲芸をやった。そのため下痢をよくしていた。「おかしい、アシカが調子が悪い、下痢をする」と、いつもおじさんは悩んでいたそうだ。
③エサの魚やイカをストーブで頻繁に焼いて自分が食べていた。
④おじさんは元々、市役所から派遣されてきた普通の役所の人で、まったくもって本格的な飼育員ではなくて「なぜオレがアシカをやらなきゃいかんのだ!」といつも怒っていたらしい。
⑤ショープールは現在のように整備されていなくて、藻やコケが繁茂していた。当時、種目で「皿回し」をしていて、失敗してプールに皿を落とすと、アシカが自分で拾いに行く。皿を頭に乗せてステージに帰ってくる。プール内に繁茂した藻類がアシカの頭について、頭には皿が載っている。「カッパです」というと大いにウケた。
⑥ステージの壁には「アシカが種目を失敗してもあしからず」という看板が貼ってあった。
⑦洗濯用のゴム手袋を標準装備してショーをやっていた。
⑧よくお客さんをナンパしていた。
などの情報が得られた。
当時は大変だったんだなぁ。それに当時は今よりも自由な水族館だったんだなぁ。
2日間ある全国の水族館飼育員の集結会議。2日目の頭からワタクシの発表が始まる。
ワクワクドキドキして、会場へ行くとやっぱり当然、昨日と同じように水族館の人たちがいっぱいいた。
「へ?全国たわし職人研究会じゃないの?」
と言って、間違えてネジリハチマキで会場に来ている、たわしを作る人というのは一人もいなかった。
昨日の夜、一人で誕生日を祝いながら自主練をしたので、準備および対策は万全である!よっしゃ、やったるけん!
ボクの発表内容は、昨日までの生物科学的研究内容とは違い、水族館の解説パネルについてなので、皆様の発表とはジャンルが違い「?」と思われたかもしれないが、しかし逆にそれを狙って「???!!」となるのを楽しもう、と思っていた。
・飼育レベルというのは進歩しているが、その進歩に比べて、それを伝えるお客さんに対する解説パネルのレベルは低く、進化の努力が足りない。
・なぜか?
・ウチの水族館でそれを打開するべく行われた一例とお客さんの顕著な食いつきの変化・効果
などを10枚のスライドで紹介発表した。
前列に座っている、アインシュタインのようなオヤッサンや、フビライ・ハンのようないでたちのオジィ、イワシの一夜干しのような体型と顔をしたオヤジなどのオエライサン軍団から、爆弾砲撃のようなキツイ突っ込み質問が来るかと思いきや、おじさんたちは静かに前を見ており、ときおり隣同士でコチョコチョと小さく話をするだけで、攻撃はなされなかった。そこ!私語はつつしみなさい!!、、、とココロのなかで。。。
フビライ・ハンって何をやった人だったっけ。
質問は1つだけ受けて、時間の関係もあって終わってしまった。勝者・コバヤシ。●水族館重役 - ○コバーシ (決まり手:上手出し投げ) いや、別になにか勝負をしていたわけではない。
そのあと、デカイ魚の輸送とか3題発表があって、午前中に会議が無事終了。面白いのが、終了したときや、会議の休憩の時は、「みなさんたいへんお疲れ様でした」とか言い、途中の話では「みなさんお疲れで大変でしょうが、お聞きください」とか、どーも話しのフシブシで「大変だけど、疲れるけど、がんばろーね」的はげまし言葉がやたら多かった。なんだ、みんなガマンして疲れて会議に参加しておるのか?じゃ、やめればいいのに。
昼飯を食って、会議の場となった下関にある水族館へ移動して、最後はみんなで「施設見学」。
下関「海響館(かいきょうかん)」という水族館だ。立派だ。負けた。 ○海響館 – ●竹島水族館 (決まり手:四の字固め)。
「ふく」の有名な土地なので、水槽にはフグの仲間がわんさか展示されていた。初めてみる外国のフグと目が合い「Oh!Hello~!」とか言った。フグの展示では日本一だ。
最近出来た「ペンギン村」というペンギン展示コーナーが特筆すべき水槽で、お客さんは非常にトキメイテいた。実は、ある動物福祉に関する選考大会で、この「ぺんぎん村」は大賞に輝いている。そして、この水槽さえできなければ我が水族館の応募作品が大賞になっていたのだ!コノヤロ的水槽だったが、いや、実際見てみると「うん、そーだよね、負けたよ」という気持ちになった。かけているお金の額もケタ違いだ。ペンギン村には数億円の建設費をつぎ込んだ壮大なスーパー水槽なのだ。ウチが応募した「アサリの吊るくしエサヤリ」というものは費用総額3000円だ。
海響館は非常に大きくて立派な施設だった。初めのエントランスにウチの水族館が入るのではないか?という規模。下関市と蒲郡市の違いか。頑張ろう蒲郡。頑張らないなら下関海響館とM&Aしよう。
アシカとイルカの共演という変わったショーもあった。アシカがイルカにエサを与えたり、一緒にジャンプしたりしていた。しかし、施設見学と称して全国の水族館の人がドドド!っと押し寄せてきてショーを見ているので、ショーのお姉さんは小学校の授業参観の3000倍くらいのプレッシャーで、ものすごくやりづらそうだった。
お時間ある方、お近くに行かれる方は、ぜひお立ち寄りください。楽しい水族館です!
施設見学を終えて、のぞみで帰る。のぞみの車内ではゴルゴ13を読み、時々寝た。発表も無事終わり、ご褒美にリッチに車内販売のアイスクリームでも食おう!と思ったのだけれど、こーいう時に限って車内販売のオネーサンは、どれだけ待っても現われないのだなぁ。
おしまい。
・凄く好きで、尊敬していた千石正一氏がお亡くなりになられた。テレビを通じて生き物と人の架け橋となり活躍されていた。ご冥福をお祈りいたします。
いろいろあったから、前・後編じゃなくて、前・中・後の長編小説なのだ!!次回の芥川賞はもらった。
でもワタクシ、なんだか疲れちゃって、ちょっとメンドウなんだよね。でも、そんなこと言うと、「ホレ!見たことか!いつも最初だけで、だんだんヤッツケ仕事になって文章が投げやりで面白くなくなるんだから!!」と怒られてしまうので、、、エット、どこまで書いたっけか。
わたくしは以前から、自分の水族館や水族館界全体に何か新しい半歩、欲を言えば一歩、を踏み出して足跡をつけたいと思い、そのためには同じようなヒトと平和に暮らしていては革命は出来ない!と思い立ち、立ち上がったものの、どうしていいかわからず、また座った。
なるべく必要以上の同業者との交流をさけて、俗に言う「浸かる・漬かる」という無意識なヌルマユに身をゆだねるのを恐れ、同じ半魚人でも熱帯魚屋とか釣り人とか、漁師とかさらに魚とはまったくちがうジャンルの偉人や達人と関わって面白い知識を得て、それを仕事に生かすことを目指していた。(今もだから、いる。か)
同じ水族館の相方のT君もそんな感じだったらしく、だから彼の発想はスゴイし、変態だから気が合う。のかな?違ったらゴメン。キライにならないでね。
これは土佐を脱藩して広く日本や世界を見て様々な人に会い、様々な意見を聞いて、最終的には大政奉還を導いた坂本龍馬な感じじゃないの。ワクワク。まぁ坂本龍馬も敵が多かったから、大変だろうなぁ。
しかし、そんなわたくしのささやかな決意に正面衝突して爆破するかのごとく目の前の会場はすべて「水族館の人」でうめつくされていた。あぁ、、、。
見渡す限り水族館関係者。オールスター大水族館。水族館の人祭り。魚大好き。水族館バンザイ。水族館の人だらけ。 「まちがえて来ました。オレ、ラーメン屋の店長です。」 なんて人は一人もいなかった。
全国各地の水族館から 「よし!オレが行く!」 とか、 「センパイ、自分に行かせてクダサイ!!」 とか、 「私にかまわないで、はやく!行って!」 とか、 「必ずや戦地では一撃必殺、祖国のために敵艦をみごと沈めて見せます!ばんざい!」 とか、 「マジでかよぉ、オレやっぱりじゃんけん弱いんだよなぁ、ちくしょう、オレかよぉ」 とか、 「行って来い!そして2度と帰ってくるな!」 とか、様々な思いを抱いて水族館関係者が下関に集結したのだ。それはそれでスゴイよね。
大学の後輩も出席していて会えてホッとしたり、下関には「東京チビッコ会議」で出会ったステキな熱血水族館人たちもいるし、その昔、なぜか台風の日に荒波の海へ船で出て一緒にタチウオを釣った名前も顔も荒波のかなたに忘れかけていた方などにも再会して喜んだり、なーんだ、なかなか楽しいじゃないか。
「は!?アンタ、アインシュタインじゃないの!?」 と思わず叫んでしまいたくなるレベルの見た目のオヤッサンが挨拶で水族館に勤めている人は現在全国で1,000何人か(何百人といったが、覚えていない)おるのだと言っていた。と、思ったけどナァ。忘れた。
立派な会場で会議が始まった。今日は20個くらい朝から晩まで研究発表が行われる。ボクの発表は明日だから、今日は黙って来る時の新幹線のオヤジのように無表情無反応で座っていればいい。
そんな、手抜きのボクを見越してか、職場では報告資料を提出しなければいけないので、あまり幽体離脱していても怒られてしまう。それぞれの発表をメモしなければいかん。まぁ適当にだが。
みなさん、真剣に生き物の科学的学術的研究をしておられて、ご苦労様なことだ。中には、そんなことしてどうするのだ?と、それこそ意味不明です、といわれそうな発表もあったけど、そういうのに限って、最先端だ!すばらしい!今後も頑張ってくれ!と盛大な拍手や突っ込んだ質問がかわされる。
この状態、坂本龍馬だったら今頃寝てるかナァ。とか思って、あたりを見渡すと、寝てる人はいなくて、みんな真剣にマジメに聞いている。オレはスゴイところに来てしまったもんだ。
知り合いたちと用意された弁当の昼飯を食って、後半突入。後半もバカなボクには、そうですか、ご苦労様です。という感想しか述べられないレベルの高い研究発表が続いた。みんな凄いもんだナァ。それに研究する時間やお金があることがうらやましい。
どこかのビンボウ水族館なんてボールペン1本買うのにも財政的困難を極めており、アシカショーをしながら、水槽の水換えをするという平行作業をして、ショー中に水を入れて放置していた水槽から水が溢れ大洪水が起こる、とか、息子を風呂に入れなければならんからもぉ帰る、とかいう時間の使い方をしているのに、全国には100以上も水族館があるから、それぞれ立場や境遇が違うんだなぁ、と感心した。
なんとか、ドトウの研究発表が終わった。腹が減ったぜ。メシだ。
フグとクジラ、肉も出た。立食パーティーである。なんと、秋篠宮さまもご出席。お昼から来られて発表をお聞きになっていたのだ。
いただきます、の前にお偉いさんのご挨拶があり、そのときから我々は始まったらダッシュだ、と目をつけていたが、やはり用意されたフグは瞬時に無くなった。しかしクジラもウマイ。ウマイご飯で立食パティー。情報交換会。
そのあと二次会があったけど、ボクは生まれつきお酒が飲めないし、知らない酔っ払いとシラフで絡むことができない小心者だ。何よりも何よりも、明日発表が控えている。練習せねばならん。今日の発表では、重役達からなかり攻撃的な突っ込み質問が出ていたので、あんな質問されたら、わしゃぁかなわん。
ホテルに戻ることにした。なんと、この日はオレ、誕生日だったんだよね。帰り道のミスドでドーナツとスターバックスでラテを買って、ホテルの部屋で寂しく我が誕生日を一人で祝った。チェックインの時、生年月日を書いたので、ホテルの人は、この人、誕生日じゃん!と知ったらしく、部屋のベッドの上に、「お誕生日おめでとうございます」とメッセージが書かれた紙がおいてあった。
目がしらが熱くなった。
うっせーよ!!と叫んでそれをゴミ箱に捨てた。オレの顔も知らず、祝うキモチも少しもないくせに、よけーなことスンナよ。
発表の準備だ。
つづく。
年に一回、全国に70ぐらいあるといわれる仲良しこよしグループの水族館の人たちが一同に集まられて集会がおこなわれる。そこでは、日ごろの研究を発表したり、飯を食いながらお互いの親睦を深めたり、開催地にある水族館の団体押しかけ訪問などが、おごそかにおこなわれるのだ。
それに、行け、と言われたので、え~!やだよ~!でも、オモシロそうだから行くぅ~!と言って、ヨタヨタと山口県の下関まで行ってきた。ただ行くだけでは何とももったいないので、発表もした。
会議は2日間だけど遠いので前日入りして3日間。行かねばならんのだ!!っと泣きすがる美女の手をふりほどいて、じゃなかった実際には、あくびするアシカを横目に10時に出発した。
そのうち下関に着いた。ケツが痛いぜ。しかしアレですね、新幹線からのぞいていると日本の景色つーのはどこまで行っても同じなのですね。会社・家・コンビニ・田んぼ・車。以上5つの繰り返しエンドレスで下関到着。トンネルを抜けると雪国だった、ということはなく、トンネルを抜けても田んぼだった。
一人で遠くまで行くのは久々なので、未来に来た過去の少年のような目で景色を眺めていたが、じきに飽きてしまった。のぞみの車内を見渡すと、同じように飽きちゃった人や、もー何回も乗ってるからね、景色なんぞ見んよ。的な出張オヤジなどが、行儀良く席に座ってそれぞれの時間の流れにひたっておった。なんだかみんな弁当箱の中のおかずのような顔をして、無反応無表情なアホ顔で大阪方面に高速移動している。気持ちが悪くなってきた。オレが一番アホですか。
時折、静寂を破るように申し訳ないですぅ~っと言いながら車内販売のお姉さんが現われるけど、弁当おかず顔達は完全に無表情無反応を決めとおしていた。時折、たくわん的身分のやさしいオジサン(どんなだ!?)が 「あ、じゃ、えっと、ポッキーいくら?」 とか言って挙動不審に買い求めている。車内販売のお姉さんはそんなに可愛くなかったけど、その笑顔を見たら、買ってもらえて良かったねぇ、これで病床のおとっつぁんの薬が買えるねぇ。っと思い幸せな気分になった。いやそんなことない。
小倉まで行って、下関に戻った。シモノセキ。シモノセワではない。
駅前に大丸とかいうデパートがあったので、フラフラした。その横のショッピングモールもフラフラ。しかし、もぉすぐ閉店だから出て行け、という。そんなぁ。旅人に冷たいのである。
腹が減ったので晩飯。下関といえばフグだから豪快に食おうと思ったけど、フグセットは2800円したからごめんなさいと謝って、インド料理屋でナンセット1050円。
あのね、一人でインド料理屋に入ってナンを食うというのも勇気が必要だったんだよね。だけど地元じゃなくてヨソの土地だから関係ない。ナンだけにナンでも出来るのだ。地元で一人でナン食ってたら、だれかにバレたらスグに 「こばーしが一人で寂しそうにナンを食っていた」 と言われ、町内放送などを使って朝から瞬く間に市内に広まってしまう。
ナンはまことにもってウマかった。3度のメシよりナンが大好き。これで下関も少し好きになった。
ホテルは駅地下、じゃない駅近のビジネスホテル。2泊で1万ジャスト。ベッドに自殺風に倒れてゴロゴロしたり、行く時に名古屋駅のキオスクで買ったゴルゴ13を読んだりして、時おりゴルゴ的にカーテンを少しだけ開けて、窓から町の様子をうかがったりしていた。そのうち夜中になって寝た。さみしい。ナンだか寝れない。ナンを食ったせいだろうか。
ホテルで一人で寝れないと、この部屋なんかあるんじゃ!?とか思いません?
ますます寝れなくなる。見てはいけないものが出てくるのではないかと思って、コレはいかんパターンだ!っとゴルゴ的態度から急速にゴルゴに狙われたヒト的なオビエ態度になってしまった。相手はプロだ。文字通り必死で寝た。
そのうち朝が来た。寝不足。8時半から受付が始まるので、8時半にホテルを出てキオスクでリポビタンDを飲んで、会場へ向かった。歩いて10分。寒い。
立派な会場で、すでに何十人も全国から集結した水族館の方たちが受付を済ませワラワラ動き回っていたり座っていたりした。同じ職業のヒトが嬉しそうにしかし少し緊張して部屋の中を動き回っているのはナンだか釣りで使うエサの「ゴカイ」が透明プラスチックのタッパのなかで互いにからみ合いウネウネしているようでナンだか気持ちが悪くなった。ナンを食ったからだろうか。
つづく。
久々に予定のないオフで、誰も遊んでくれないので名古屋方面へ逃走した。目的は「サンゴ」。
先日、後輩の三田君が「なかなか良かったですよ!オススメです!」と自信に満ちたオススメ顔で教えてくれた観賞用海水魚のお店へ、自信に満ちた顔で行ってみた。そんな顔で行く必要ないけど。
彼とボクはその昔、「愛知の観賞魚店を踏み倒して勝手に制覇する会」(会員約2名)を立ち上げていたが、今は活動を休止して個別に行きたいときにお店に行っている。三田君は会の事実上解散後もヒソカに活動を続けていたのだ。エライなぁ。
目的はサンゴだけど、それにはちょっとワケがあって実は水面下でサンゴを含む水槽のプロジェクトを企んでいる。まだ秘密で今は、コレだけしかいえないけど、なかなか面白いことです。
サンゴは魚よりも飼育が難しいけれど、バッチリ気合を入れて展示すればその展示効果はヘタな生き物よりも断然高い。
水族館関係で新しいことをする時はボクは、必ず十分な下調べや勉強をすること徹底している。本を何冊も読み、試験的に水槽を稼動させる、ネットで検索しまくって調べる。そして今日のように出来る限り足を使いその場へ足を運ぶ。そぅすれば不安材料は減り、やることに自信が満ちる。失敗は、ない。
学生時代、これくらいの意気込みで勉強していたら、今ボクは政治家か起業家になっていて、金持ちになり、ザギンあたりでシースーをパイイツ食っていただろうになぁ。
サンゴの飼育や、観賞用のキレイな魚とかに関しては、ボクは正直、水族館のオッサンよりも一般の趣味でやってる方のほうが知識や経験・技術は上だと思いますね。世の雰囲気は、家でやってるやつオタッキー、水族館の人エライ、という感じだけど、全然違う。オタッキーなのは一部の暗い人だけで、大抵のホームアクアリスト(家庭内観賞魚愛好家)は気さくで、愉快で優しくて友達を求めていることが多い。そして時に若干エロい。
ナビに任せて1時間ほど車を走らす。サンゴと言えば南国沖縄なので、車内BGMはビギンの島唄ベスト。いーやぁさぁさぁ、はぁーいーやぁ。
名古屋のその店はすごくキレイで石垣島のような水槽が何個もあり、思わず「わぁキレイ」とわめいてしまう。
店内はカラフルでトゲトゲの状態のよいサンゴで溢れていた。
よく、大阪あたりの悪いお兄ちゃんが「てめぇ!ケツの穴から手突っ込んで奥歯ガタガタいわしたろか!!」とか言うけど、「てめぇ!ケツの穴からカラフルなトゲトゲサンゴ突っ込んでグリグリしたろうか!!」というほうが現実味があり限りなく痔になるだろうなぁ、なんて思いながら店内を見てまわった。
店員はヤンキーあがり風な気さくなおとっつぁんで、私は水族館人を隠して素人のフリをしたので質問するとイロイロ親身に教えてくれた。許可を取ってアイフォンで撮影させていただいた。
しっかし、キレイにサンゴが飾られた水槽はキレイだったなぁ。あんなタイプの水槽は水族館にはないパターン。基本は同じだけど水族館とは少し飼い方も違うし、水族館のデカ水槽とは水の量が違って、家庭で楽しむ水槽は水量が少ないので、そのぶん早く水が汚れ安定しづらいので、水族館よりシビアでテクニックがいる。
わが水族館でもサンゴは展示しているが、簡単な種類にとどめており、いわゆるサンゴ礁をイメージするケツの穴突っ込み型のサンゴは設備上、展示飼育できていない。全国の水族館でも少ないし、あっても飼い方やそもそもの展示形態が違うので、今日のお店ほど感動的な水槽はない。キレイなサンゴ水槽は鳥羽水族館は凄かった。
サンゴは6年前、実は試験的にボクは自宅で本格的にやったことがあった。しかし結論から言うと「金がかかる」。
設備投資にカナリの額。サンゴは生き物だけど、エサは食べず、代わりに金を食うのだ。サンゴは強い光とカルシウムを食って成長し生きているのだ。そのために強い照明器具と電気代、カルシウムの添加が必要。水温を年中キープする装置も必要。ビンボウなボクは玄関を沖縄にする!っと鼻息を荒くして最小限の機材でやっていたが、金がかかりやめた。それでも、なかなかキレイで、玄関においていたので来客や集金に来る近所のオババなどにはウケがよくて、コバヤシさん家には玄関にサンゴがある、と評判で、実家に帰ってきた近所のオッカサンが子供を連れて見に来る、とかもあった。
海中の雰囲気を出すマリンブルーの強い照明でサンゴを照らすので、夜は玄関の窓ガラスから家の外に青い光が大量に漏れる。それを見た近所のババァはコバヤシの家の玄関にUFOが降りたと騒いでいた。
今日は、サンゴを中心に名古屋のほうの4件のお店をハイエナ的に徘徊ハシゴしてきた。お金も使わず勉強になった。そのうち展示に活かしてお客さんを魅了させます。
今の仕事がクビになったらお好み焼き屋をやろうと思いたち、スキを見て広島へ行ってきた。
しっかし、今では何も知らずに行ってしまうというのは、かなりオロカな行為なのですね、ネットで検索すれば格安プランがいくらでも見つかり安くいける。全てにおいて「知らないと損」な時代なのだなぁ。
のぞみで行った。早かった。
広島駅から路電などに乗ってガイドブックなどに載っていた有名っぽいお好み焼き屋にホイホイ入っていき、2つのお店で1日1回お好み焼きを食べた。路電は我が愛知県の豊橋にもあり、子供頃は部活の練習試合などで他校へ行く時に乗ったりしていたが、広島の路面電車は4両編成ぐらいで少しの風ではビクともせず長くて立派だった。
本場の店でうどんの敷いてあるお好み焼きを始めて食った。モチ入り。デカイ。いろいろ食いたいが、1皿で腹いっぱい。2店ともお客さんが満員で、サラリーマンなどは、いつものおねがい、的オーダーで食いなれた顔や手つきでワシワシ食っており、外人もはしゃぎながらウマイデス、ウマイデス、と言って(英語だからわからんが)集団笑顔で食い漁っていた。
2つめに行った店では、威勢のいい広島のおっかさんたち約5名が営む熟女好きにはたまらない店で、ベテランオババ集団が手際よく焼いた、ソバ敷きのモヤシ猛烈お好み焼きは感動的にうまく、腹がいっぱいになったのを忘れて食べ死にした。
お好み焼きを食べた後、日本人として必ず行っておきたかったのは、原爆ドームと資料館。ボクのおじいちゃんも戦争に行っていたし、おばあちゃんは、夫を戦地に送り出した。戦争のおろかさや、苦しさは子供の頃から聞くと悲しい顔でよく話してくれた。日本は初めて核による爆撃をうけ、悲しい歴史がある。日本人としては行かねばならんところだと思う。
悲惨だった。苦しいなんてものではなかっただろうと思った。しかし、翌日からすぐに生存者は町の復興を始めたらしい。その力はスゴイ。戦時の精神力、生きる力、太い思いや希望は時代や立場が違えど今の人にあるのだろうか、と思った。
2日目は宮島へ行った。平清盛的エリアで、今なかなかホットな場所なのだ。といっても、大河ドラマは最近やっと龍馬伝を最近DVDで見て燃えていたばかりだし、はらたいらは知っているが、たいらのきよもりは良く知らない。
振り返ってみると、授業で縄文や弥生の平和的暮らしは面白かったが、平清盛あたりでその信憑性に疑いを持ち、ほんとうに昔こんなことが起きていたのか?だれかのデッチアゲの昔話ではないか?そもそも過去より未来だろ、とかホザいて、覚えるのを放棄してしまったので、宮島に来たからといって、松山ケンイチを探したり、小雪を探したりはしない。
シカがいて、馴れ馴れしかった。さわっても平気。うちのオタリアも見習ってもらいたいものだ。
厳島神社の景観や建物は芸術的で、勉強になった。なんとなく何か仕事やその後の人生に役立ちそうなことが吸収できた。何かは自分でもわからんが。
それより、宮島はウマイものが多く、ずっと歩きながら食べてばかりいた。牡蠣は有名でそこらじゅうにあるし、もみじ饅頭の揚げたヤツとか、焼き芋とか、なんやらかんやら美味くて感動して海上の赤い鳥居に向かって走って行き、ウマイコンチクショウ!とか無意味に大声で叫びたくなった。特に焼き芋は美味くて、2回食った。うまくて思わずそのあたりの立て看板などを感激のあまり全力で蹴り上げてしまいたくなる。
そのあと、リニューアルしたという、宮島水族館・ミヤジマリンに行ってきた。魚がいっぱいでキレイだった。