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2012/02/26

 

問: もし、魚なら

1.自然の中で常にキケンいっぱい、その日暮らしノタレ死に覚悟人生

2.水族館で狭いけれど生活が保障され敵皆無、やや運動不足動脈硬化血圧高め

のどちらがいいでしょうか???

                                                          

どちらともいえないでしょうか?ある人は自分の意思で生きていく自然で男らしく敵に食われるのを覚悟で生きる!と言うかもしれないし、ある人はこの寒い時期だけでもコタツの中から出たくないグウタラ者ですからアタシャ水族館でヌクヌクと暮らしたい、と言うかもしれない。そもそも、魚にはなりたくない、と思う人もいるでしょうね。

ブラックゴースト

魚にはシアワセ、フシアワセ、ヨロコビ、カナシミ、ヨクボウ、愛情、憎悪、その他、いろんな感情があるのでしょうか?そこのあなた、どー思います?

「魚類の脳は非常に小さく、そもそも痛みを感じることすら出来ないという研究結果も出ています。人に比べその発達は著しく劣り、そのため感情はないものと思われます。えっへん。」

とか言う人とは、ボクは友達になりたくないなぁ。一緒にメシとか食えないなぁ。すぐにその辺に穴を掘って埋めてやりたい。

ムラサメモンガラ

                                                            

水族館で魚や生き物を見ていると、コイツ何を考えているんだろう?と思うことが良くあります。お客さんたちも、そんなことを考える方は多いようです。水族館の生き物は幸せなのだろうか。オレが担当している水槽の魚たちは幸せなのか。文句はあるのか。…あるだろうなぁ。

プテラポゴン

バッキャロウ!出しやがれ!こんな箱の中に入れやがって!なんだ!見るんじゃねぇ!コンチクショウ!腹減ったなぁ。

とか、水族館の魚は思っているんだろうか。

イトヒキテンジクダイ

アシカなんか明らかに毎日いろんなことを考えていて、意思表示もする。ウチのアシカはショーがやりたくないようだ。この態度および表情は、もはや 「やりたくないようだ」 というより、「やりたくないと言っている」。

自分以外の生き物が、どんな生活をしていて、何を思って生きているのか、なにが楽しそうか、なにが悲しそうか、メシはうまいのか、好きな子が同じ水槽の中にいるのか、ガラス越しにこちらのことも見ていて何か思っているのか?

水族館でそんなことをいろいろ思うのは面白いと思います。水族館で生き物を見ながらいろんなことを思って、水の世界を素直に感じて、それを今後の人生のヒントや、生きる知恵、励ましのメッセージにしていけたらいいんじゃないか。あるいは、何も得られなくても、ココロがホッコリするだけでもいいと思う。

エレファントナイフ

なんていう名前か、どこに住んでいるのか、地球を守ろう!とか、そういうことは、あとでいいと思うし、学校の宿題の時だけでいい。そういうことを先に真剣になって考えて勉強してしまうと、頭でっかちになっちゃって、うまくいかない気がします。

ボクは自館にいる魚と飼った事のある魚くらいしか、魚の名前は知らないし、正直勉強もあまりしてない。図鑑もあまり持ってない。いかんなぁ。職業なんだから勉強しなきゃね。

ヒトが魚を見て、いろんなことを学んで(教科書的な勉強!じゃなくて)、喜んで、笑って、家族や好きな人と話をして、何かを感じとれれば、それが水族館の魚にとって幸せや喜びの一つであるかもしれない。と、思うわけだよな。水族館は奥が深い。

野生から自分の意思とはおそらく関係ナシに捕まって、水槽の中に入って、ヒトに見られる。それは、それを考えると、とても申し訳ないことをしている。じゃぁやめるか、ではなくて、その申し訳なさを活かさなければいけない。それは水族館に魚がいなければ、人々は世界の水中世界を自分でダイビングしなければ実物を見れないし、ダイビングできないヒトは知ることができない。深海なんかダイビングできない。潜水艦に乗らねばならん。そんなことができるのは限られた研究者だけです。

ベニテグリ

水族館の魚たちは、オレたちはここにいる!すごいんだぞ!だからオマエもいろいろ考えて頑張るんだぞ!自分以外には優しくするんだぞ!ということを人々に教える代表選手。イイ水族館にして、そういうことを来る人に溢れんばかりに伝えるようにしなきゃいかん。

 

2012/02/26 11:03 | kobayashi | No Comments