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2012/01/19

今の仕事がクビになったらお好み焼き屋をやろうと思いたち、スキを見て広島へ行ってきた。

しっかし、今では何も知らずに行ってしまうというのは、かなりオロカな行為なのですね、ネットで検索すれば格安プランがいくらでも見つかり安くいける。全てにおいて「知らないと損」な時代なのだなぁ。

のぞみで行った。早かった。

         

                                            

広島駅から路電などに乗ってガイドブックなどに載っていた有名っぽいお好み焼き屋にホイホイ入っていき、2つのお店で1日1回お好み焼きを食べた。路電は我が愛知県の豊橋にもあり、子供頃は部活の練習試合などで他校へ行く時に乗ったりしていたが、広島の路面電車は4両編成ぐらいで少しの風ではビクともせず長くて立派だった。

本場の店でうどんの敷いてあるお好み焼きを始めて食った。モチ入り。デカイ。いろいろ食いたいが、1皿で腹いっぱい。2店ともお客さんが満員で、サラリーマンなどは、いつものおねがい、的オーダーで食いなれた顔や手つきでワシワシ食っており、外人もはしゃぎながらウマイデス、ウマイデス、と言って(英語だからわからんが)集団笑顔で食い漁っていた。

2つめに行った店では、威勢のいい広島のおっかさんたち約5名が営む熟女好きにはたまらない店で、ベテランオババ集団が手際よく焼いた、ソバ敷きのモヤシ猛烈お好み焼きは感動的にうまく、腹がいっぱいになったのを忘れて食べ死にした。

            

                    

お好み焼きを食べた後、日本人として必ず行っておきたかったのは、原爆ドームと資料館。ボクのおじいちゃんも戦争に行っていたし、おばあちゃんは、夫を戦地に送り出した。戦争のおろかさや、苦しさは子供の頃から聞くと悲しい顔でよく話してくれた。日本は初めて核による爆撃をうけ、悲しい歴史がある。日本人としては行かねばならんところだと思う。

悲惨だった。苦しいなんてものではなかっただろうと思った。しかし、翌日からすぐに生存者は町の復興を始めたらしい。その力はスゴイ。戦時の精神力、生きる力、太い思いや希望は時代や立場が違えど今の人にあるのだろうか、と思った。

             

                          

2日目は宮島へ行った。平清盛的エリアで、今なかなかホットな場所なのだ。といっても、大河ドラマは最近やっと龍馬伝を最近DVDで見て燃えていたばかりだし、はらたいらは知っているが、たいらのきよもりは良く知らない。

振り返ってみると、授業で縄文や弥生の平和的暮らしは面白かったが、平清盛あたりでその信憑性に疑いを持ち、ほんとうに昔こんなことが起きていたのか?だれかのデッチアゲの昔話ではないか?そもそも過去より未来だろ、とかホザいて、覚えるのを放棄してしまったので、宮島に来たからといって、松山ケンイチを探したり、小雪を探したりはしない。

シカがいて、馴れ馴れしかった。さわっても平気。うちのオタリアも見習ってもらいたいものだ。

厳島神社の景観や建物は芸術的で、勉強になった。なんとなく何か仕事やその後の人生に役立ちそうなことが吸収できた。何かは自分でもわからんが。

それより、宮島はウマイものが多く、ずっと歩きながら食べてばかりいた。牡蠣は有名でそこらじゅうにあるし、もみじ饅頭の揚げたヤツとか、焼き芋とか、なんやらかんやら美味くて感動して海上の赤い鳥居に向かって走って行き、ウマイコンチクショウ!とか無意味に大声で叫びたくなった。特に焼き芋は美味くて、2回食った。うまくて思わずそのあたりの立て看板などを感激のあまり全力で蹴り上げてしまいたくなる。

     

        

そのあと、リニューアルしたという、宮島水族館・ミヤジマリンに行ってきた。魚がいっぱいでキレイだった。

2012/01/19 10:30 | kobayashi | No Comments