北海道の自然や野生動物を写真に記録するという活動を続ける中で、いつの頃からか
北海道の昔のことが気になり始めた。
それは、この北海道の豊かな自然や野生動物達は、昔の人達にとってどのような存在
だったのか、そしてどのように関わってきたのか・・・という素朴な疑問から始まった。
様々なことを調べていく内に先住民はいつ頃から、そしてどこから北海道にやってきて
どんな生活をしていたのかということが気になりはじめた。
思えば北海道に生まれ育った自分でさえ、学校教育では北海道の歴史は明治時代以降の
ことしか教わらなかったように思う。それ以前の時代といえば先住民族が自然と共に暮らし
ていた時代であるが、この時代の事については当時の国の政策や政治的背景が要因で「北
海道には先住民族が住んでいた」という過去形の表現が短く教科書に記されていただけで、
深く触れることはなかったのである。
近頃は博物館や資料館に足を運び、また研究者の方の文献を読み漁る中でアイヌ民族のこと
や、それ以前の時代の人達のことが少しずつわかってきた。
その中でも僕が興味を抱いたのは先住民の精神世界や自然との関わり方であった。
先日、博物館を見学していてとても興味深いことを知った。
それは、過去に日本国内で2ヶ所の古代の壁画が発見されたというのだが、驚くべきことに
2箇所のいずれもが北海道内に現存しているという。
早速、その内の1ヶ所に足を運び、実物を目の当たりにした。
それは今から1600年前、本州の弥生時代の終わり頃から古墳時代の初期、北海道の時代
区分では続縄文時代の頃に作製されたものだという。
(洞窟内に描かれた壁画)
岩盤には「角のある人」や「仮面をつけた人」が多数刻まれているが、どんな人が何の為に
刻んだものなのか、現在でもはっきりしたことはわかってはいない。
しかし、シベリアの岩壁画によく見られた「角のある人」が刻まれていることから、当時の
シャーマンを描いたものではないかという説が有力だという。
だとすれば、この頃から北海道に暮らしていた続縄文文化の人達が北東アジアの人々と交流
していたということか・・・。
そして北海道にもシャーマニズムが存在していたということだろうか・・・。
(写真は上記壁画写真をわかりやすく示した全体図)
この壁画は北海道の古代人のたくさんのことを物語っているように思えた。
当時の精神世界を知る上でもとても貴重な遺跡といえるだろう。
古代北海道の探求に更なる興味が募る。
南東アラスカのジュノーに降り立つ。
ジュノーはアラスカの州都であるが、人口はわずかに約3万人ほどで、
アラスカ本土の南端に位置しながらも市外へ通ずる道路や鉄道はない。
ここも水路と空路が重要な役割を担っている。
また、この辺りの海もほかの南東アラスカの地域と同様、周囲には大小
たくさんの島々が浮かんでいて、どの島も海岸線ぎりぎりまで森林が
迫り、複雑なフィヨルド地形となっていた。
町から遠く離れた海に浮かぶ島々はどれも無人島であったが、時折
島の森の中にポツンと小さなログハウスや人間の生活の痕跡を見る
ことがあった。
現在でもこうして時代に逆行するように、人目を避けるようにひっそり
と暮らしている人達がいると思うとなんだか不思議に思えた。
彼らは一体どのような生活を送っているのだろうか・・・。
船の上からの眺めは目に映るものすべてが新しくて興味の尽きること
がなかった。
ジュノーでは朝から晩まで小さなボートに乗って鯨の姿を求めた。
これまでカナダからアラスカへ向かう船の上で本当にたくさんのクジラ
の姿を見てきたのだが、やはり近距離での撮影は小さなボートに勝る
ものはない。
今回の旅では南東アラスカの中でも「クジラのメッカ」と言われる
ジュノーで撮影をすることをあらかじめ決めていた。
春を迎えた今、少しずつ南からザトウクジラがこの地へ戻ってきている。
様々な期待と不安を胸にボートに乗り込んだ。
海へ出て1時間ほど経った頃、島の沿岸で高々と吹き上がるクジラの
ブローが見えた。
初めてアラスカの海で聞くクジラの呼吸音、浮上のたびに見える彼らの
大きな背中・・・。
落ち着いてファインダーを覗きつつも、ココロの中では沸々と嬉しさと
感動が込み上げてきた。
その後は幾つかのクジラの姿を見つけるも撮影には及ばず、ボートは
ただひたすら寒風を切りながら次から次へと撮影を可能にしてくれる
クジラを求めて走り続けた。
そして、やっと夕日が傾きかけた午後7時、観察していた一頭のザトウ
クジラが突如として何度も宙へ舞い上がり、遂に彼らの全身を間近で
見ることができた。
彼らの巨体もさることながら、落下した時の水面の爆発は想像以上の
ものだった。
地元北海道でこれまで何度も鯨類の撮影を行ってきたが、アラスカの
ザトウクジラはやはり格別なもの。
またいつかこの地に戻ってきてじっくりと向き合ってみたい・・・。
アラスカのクジラはそんな思いを大きく抱かせてくれるものだった。
アラスカの大いなる自然に出会えたことに感謝したい。
カナダブリティッシュコロンビア州バンクーバーに降り立った翌日、船でアラスカ州
へ入った。
南東アラスカの海域には小さな島が無数に浮かび、大きな島の海岸線はどこも複雑な
フィヨルド地形となっていた。
降り立ったのはバラノフ島シトカ。
人口9000人程が海と山に囲まれた環境に暮らしている。
ここはかつてアラスカ先住民「Tlingit」の聖地であったが、一時アラスカがロシアの統治下
にあった時代には両者の間に激しい衝突があり、その後も微妙な関係を保っていたことを
知る。
町を歩くと幾つものロシア建築の建物を目にする為、アラスカ先住民の聖地としてはどこか
異質な印象を受けた。
先住民族「Tlingit」は北海道のアイヌ民族との共通点も多いという。
アイヌ民族の生活圏が北海道以外にも樺太、千島、カムチャツカに至る広範囲に及んでいた
ことを考えると、両者の関係になんらかの繋がりがあっても不思議ではない。
実際、南東アラスカの「Tlingit」とカナダ北西沿岸の先住民族「Haida」の伝説には過去に
アイヌ民族との接触があったことを伝える物語が幾つかあるという。
「Tlingit」文化の最大の特徴ともいえるトーテムポールは、アイヌ民族の文化には存在しない。
トーテムポールに刻まれている様々な動物達や人間の姿は、それぞれの家系やそれぞれが
所有する伝説や物語の登場者で、家の中や家の前、また墓地などに建てられていたのだという。
夕暮れ近くに海岸に面した森に入ると、すぐにどこからともなくワタリガラスの声が聞こえ
てきた。
この地の先住民族にとって”raven”は人間や動物を創った神話の主人公であり、特別な存在
としてトーテムポールにも刻まれている。
ワタリガラスの声は日本のカラスとは全く違っていて、どうにも言葉では形容しがたい不思
議な声だ。
そしてまた、時折聞こえてくるのがハクトウワシの甲高い声。
静まり返った夕刻の森にトーテムポールに刻まれた”主人公達”の声が響き渡ると、一気に
アラスカ先住民の世界に導かれていくようだった。
森の中でトーテムポールを見つけると、しばらく立ち止まってポールに刻まれた動物達を
ひとつひとつ見上げた。
森を見つめるポール、海を見つめるポール。
森の木々に溶け込むように建てられたポールをじっと見つめていると、それぞれのポールが
まるで魂を持って自然や人間を見据えているように思えてくる。
南東アラスカからカナダにかけて先住民族が信仰したトーテムポールの文化は一体いつ頃
から始まったものなのか・・・。
朽ち果て、土に帰ることを前提に建立されてきたトーテムポールだけに、その起源は
わかってはいないという。
確実に消えゆく真の時代のトーテムポールは静かに見守りながらも、その文化は積極的に
今の時代へ伝えてゆこうとするアラスカ先住民の姿をいくつかの場所で見てきた。
彼らの活動は北海道の先住民同様、今の時代に失われつつある”人間が生きていく上で大切
な精神”の継承であるように思われる。
美しきトーテムポールの森にはいつまでもワタリガラスの声が響き渡り、そして静かに夕闇に包まれていった・・・。
世の中がGWを迎える中、僕はトラクターに乗って急ピッチで雪解け後の田んぼを耕し
ていた。
トラクターは毎日早朝から日没後までフル稼働で、エンジン全開による爆音と熱と振動
で体の感覚がおかしくなりそうだった。
先日、仕事を終えて夜空に浮かび上がった満月を眺めていると、なにやら遠くに「獣」
のシルエットが見えた。
どこからともなく2頭のキツネが駆け足でやってきて、夕闇の耕した田んぼの中で
じぁれ合っていた。
この田舎ではごく日常的な光景も、僕の目にはとても新鮮に映り、最後まで興味深く
観察した。
僕は毎年春の一時期だけ知り合いの米作農家を手伝っている。
もちろん「仕事」ではあるのだが、どちらかといえばこれは僕の趣味に近い。
なにより春の農作業は気持ちが良いのだ。
田んぼのあぜではフキノトウが一斉に芽吹き、時折北へ向かうハクチョウやガンの群れ
が頭上を通過してゆく。スコップで土を掘り起こしていると、まだ冬眠から覚めやら
ぬカエルまで起こしてしまい、そんな時は静かに土の中に埋め戻したりする。
今シーズンも例年同様に様々な発見を楽しみながら農作業を進めてきたのだが、実は
今年は本格的な田植えを前にしてここを離れることになっていた。
例によって「旅」に出るのだ。
農家のご主人さんの意向によってギリギリまでトラクターに乗っていた為、出発の前日
になって慌てて準備を始めた。
今回は荷物が多い為、撮影機材の種類は最小限に抑えなければいけないのだが、内容は
第一線で活躍している重量級のものばかりになってしまった。
本来は少しでも軽量化を図りたいところだが、やはりここは妥協できないのだ。
明日、いよいよ出発となる。
「田植え作業」に後ろ髪を引かれながら、旅モードへ気持ちを切り替えてゆく。
今回はどんな素晴らしい光景を見ることができるのか、そして新しい作品創造への期待
を胸に「旅立ちの時」を待つ。
近頃は野山にも暖かな風が流れ始めて急速に春が進んでいる。
つい先日までフカフカの雪の上をスノーシューで歩き回っていたはず
なのに、今はもう積雪がぐんと下がって笹の葉が立ち始めてる。
近頃は森の中や田園にキツネの姿を多く見かけるようになった。
この日森の中で出会ったこのキツネはどうやら食べ物を探しているらし
かった。
地面の匂いを嗅ぎながら、忙しそうに木の間を縫うように歩き回っている。
予期せぬ出会いであったが、僕はとっさに首からぶら下げていたカメラの
ファインダーを覗いて狙いを定めてシャッターを切った。
幸いにもこの日はカメラに300mmの望遠レンズがセットしてあり、
瞬時に程良い大きさでキツネをファインダーの中に収めることができた。
捉えたかったのはキツネの可愛らしい姿ではなく、野生らしい表情。
常にせわしなく動き回るキツネであったが、連射した写真の中にわずかに
数カットだけ狙い通りの表情が捉えられていた。
動物との出会いはいつも不意に訪れる。
そんな時、決まってシャッターチャンスは一瞬だ。
その一瞬を捉えられるかどうかが野生動物写真の決め手であり、
醍醐味である。
この日、野生らしい表情を撮らせてくれたキタキツネに感謝する。
高台から沖合を望む。
海を隔てて見えるのはユルリ島。
無人島であるが、希少な海鳥達の繁殖地として北海道の天然記念物
に指定されている。
本土からはわずか数㎞。本当に目の前に見えるが、残念ながら
島全体が保護されている為に上陸することはできない。
ここは根室市郊外の海岸。
周囲には北海道東部特有の草原が限りなく広がっていた。
海岸から続くなだらかな丘陵地帯にはエゾシカの群れがゆっくりと
移動しているのが見えた。
彼らの足取りにはどこか厳しい冬を乗り越えたことによる安心感が
感じられる。
ある時、広い草原に座り込んだエゾシカと出会い、少しずつ接近
を試みた。
警戒されないようにしゃがみこんで時間を掛けて一歩、また一歩・・・。
結局、3mまでにじり寄ったが王者は立ち上がる気配もなく、巨大な
角をアピールするようにどっしりと構えてこちらを見据えていた。
間近でみる巨体に少々圧倒されながらも、彼らの様子に集中しすぎて
おかしな殺気が出ないように、時々視線を遠くに向けてリラックスを
心掛ける。
周囲にいた数頭の若いオスジカも一定の距離を置いている。
どうやら彼らも一目置いているようだ。
刺激しないように少しの間撮影を続けていると、意外にも王者は
暖かい日差しの元でウトウトと居眠りを始めた。
こちらもすっかりとリラックス状態となり、その様子を撮り終えて、
驚かさないようにまたゆっくりと後退してその場を離れた。
自然と一体になって野生動物と対峙できた瞬間は本当に嬉しい。
早春の風に乗って流れてくる潮の香りがなんとも心地良かった。
先日、久しぶりにタンチョウの姿を求めて鶴居村を訪ねた。
今年は2月以降に例年にない気温の高さが目立ち、なかなか厳冬の世界を表現できない。
タンチョウの背景にはしんしんと降る雪や早朝の樹氷がどうしてもほしかったが
残念ながら今回の遠征中にその願いを叶えることはできなかった。
実はここ近年はタンチョウの撮影はご無沙汰していたのだが、最近はもう一度彼ら
の美しさを表現したいと思うようになった。
それにはあるきっかけがあったのだが、彼らの「舞」には言葉を必要としない美しさがあり、
且つ、彼らこそがこの北の大地を象徴する生き物であることを改めて実感したからだ。
自然はなかなか思い描くような写真を撮らせてはくれない。
でも、だからこそ写真を撮ることの面白さと自然の奥深さを強く感じるのである。
自分の中で自分なりの「追及することの意義」を問い直しながら、これからまだまだ撮影に
挑んでいきたい。
先日、札幌市が主催するヒグマフォーラムに参加した。
街なかの会場に足を運ぶと、僕の提供したヒグマの写真が大きな
ポスターとなって掲示されていた。
起用していただいたのは昨年に引き続いて2回目だ。
さて、北の大都市「札幌」ではここ近年ヒグマが相次いで出没するように
なり、住民のヒグマに対する意識も少しづつ高まりつつある。
会場には子供から若い女性、年配者に至るまで多くの人達が集まっていた。
現在、札幌市はヒグマ対策の専門機関を設置し、住民とヒグマとのトラブル
を防ぐ為にさまざまな活動に取り組んでいる。
例えば、市内に点在する自然公園等のパトロールを行ってその情報を細かく
発信したり、道路際や河川敷の見通しをよくする為に草刈を行ったり、また
出没時には迅速な対応をこなして、住民の安全を守っている。
そして市民向けにこのようなフォーラムを開催して現状や対策などを発表している。
僕が幼少の頃の札幌市内は今よりはるかに野山が多かったはずなのに、ヒグマが
出没したなどという話は聞いたことがなかった。しかし、不思議と都会化が進む
につれてそのようなニュースが頻繁に聞かれるようになった。
その要因についてはいろいろと考えられるのだが、長くなるのでここでは省略しよう。
僕が研究者の方のお話に興味を持ったのは以下のような話だ。
これまでは移動距離の長いオスのヒグマが食べ物を求めて山奥から緑の回廊となる
森を伝って人里に出てきていたというパターンがほとんどだったという。移動距離
の長いオスのヒグマは数十キロという広範囲にわたって徘徊する為、一時的に人里
近くに現れても割と短い期間でまた立ち去ってゆく。しかし近年は移動距離がごく
短いメスの存在が住宅地付近で度々確認されているという。つまりこれは長距離を
移動しないメスのヒグマが安定的に市内に隣接した山林で年間を通して生活している
ということを意味している。
ヒグマの習性と出没の事実をもとにしたこのお話はもっともであると感じたのだが、
何よりこのことからヒグマの生態が現代に順応する為に少しずつ変わりつつあると
いうことがよくわかる。
僕は、「人とヒグマの共存」という言葉が幾度となくささやかれる中で、果たして
お互いの生活域が重なる中での「共存」が本当に望ましいことなのかという疑問が
いつも頭の中をよぎる。
動物と人間が対等ではなくなってしまった今の時代、過大に権力を持ってしまった
私達は、なにか自分たちに不都合が起きると結局彼らの生き方や習性を尊重すること
なく一方的に彼ら生命を脅かす。少なくともこれまでは幾度となくそれを繰り返して
きた。
本当の意味での共存とは、大地の中で人間と動物達の棲み分けが確立している上
でお互いの生活を脅かさないということではないだろうか。
つまり一番大切なのは、彼らの本来の生活圏を荒らさず、奪わないということでは
ないかと思うのである。
以前、国立公園でヒグマの業務を務めていた時は、フィールドは常にヒグマ優先の土地
であり、そこに人間が立ち入るにあたって時間規制まであったほどだ。
しかし、都会近くの山林に生活するヒグマへの対応はこうも違うものかと思うことがある。
「野生動物と人間社会」の存続を考える時、本当に自然を大切にしなければいけないと
考える者もいれば、自然よりも安全や有益を求める者もたくさんいる。
この多用な価値観の中で深い自然の象徴であるヒグマや彼らの生きる環境をどうしたら
守っていけるのか・・・。
改めて本当に難しい問題であると実感した。
ここ数日は高気圧に覆われ、2月だというのに気温がプラスに転じていた。
厳冬の景色を求めてやってきた北海道東部であるが、連日の高い気温によって
なかなか凍てついた氷の世界に出会うことができない。
今日も夜明け前から外で待機するが、未明の気温は氷点下6度。
いつものように手足がしびれるほどの極寒の感覚はない。
例年なら一番冷える時期にこの穏やか空気が少し物足りなかった。
まだ闇の中の撮影ポイントに立ち、太陽が昇るのを待った。
午前6時。
水平線が白み始めたかと思うと、あっという間にダークブルーの空が
オレンジ色に変わってゆく。
大地に光が差すと決まってどこからともなくやってくる者がいる。
彼らは目の前の一本の老木の上に止まったかと思うとすぐに天に
向かって鋭いくちばしを開いた。
そのけたたましい声は夜明けの静寂を破り、一日の始まりを告げるように
大地に響き渡る。
「野生」を象徴するようなオジロワシの甲高い声と今自分の目の前にある
この景色。
草原の中にたった一本の木が立っているだけなのに、一日の中である瞬間、
本当に素晴らしい光景を見せてくれる。
この景色、どうかいつまでも残されていてほしい。
日本最北の不凍湖。
山岳地帯に囲まれた周囲約40㎞のカルデラ湖「支笏湖」を眼下に見下ろ
した。
山の上からは標高1000m前後の比較的小さな山の連なりが遠くまで
見渡せた。
「山」といえばいつも大きな山に惹かれて遠くまで足を延すのだが、札幌
近郊にもなかなか魅力的な景色はあるものだ。
自宅から約1時間。
今日は軽い気持ちで運動がてら・・・と思ってやってきたスノーシュー登山。
目的の山頂まで行ってすぐに戻るつもりだったが、この景色の美しさに
惹かれて少し足を延してみることに。
というのも、先ほどすれ違った登山者の方が親切にもおすすめの縦走路を
教えてくれたのだ。
湖を横目に見ながら広い台地上の雪原を進んでゆく。
あちこちに点在するキツネやウサギの足跡。
このロケーションの中で動物を撮影できたら素晴らしい写真になるだろうなぁ。
次回、ぜひ挑戦してみよう。
もっともっと・・・、あの山の頂まで歩いてみたい。
なだらかなに続く尾根は、どこまでも行ける気がした。
そんな心境に囚われるが、今日は見晴らしい丘の上で途中退散。
次回は動物を待ちながらここで夕焼けと月光の支笏湖を望みながらテントで
一晩を過ごしてみたい。