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2015/03/07

先日、札幌市が主催するヒグマフォーラムに参加した。

街なかの会場に足を運ぶと、僕の提供したヒグマの写真が大きな

ポスターとなって掲示されていた。

起用していただいたのは昨年に引き続いて2回目だ。

masayuki_yamada_20150307_1

さて、北の大都市「札幌」ではここ近年ヒグマが相次いで出没するように

なり、住民のヒグマに対する意識も少しづつ高まりつつある。

会場には子供から若い女性、年配者に至るまで多くの人達が集まっていた。

現在、札幌市はヒグマ対策の専門機関を設置し、住民とヒグマとのトラブル

を防ぐ為にさまざまな活動に取り組んでいる。

例えば、市内に点在する自然公園等のパトロールを行ってその情報を細かく

発信したり、道路際や河川敷の見通しをよくする為に草刈を行ったり、また

出没時には迅速な対応をこなして、住民の安全を守っている。

そして市民向けにこのようなフォーラムを開催して現状や対策などを発表している。

masayuki_yamada_20150307_2

僕が幼少の頃の札幌市内は今よりはるかに野山が多かったはずなのに、ヒグマが

出没したなどという話は聞いたことがなかった。しかし、不思議と都会化が進む

につれてそのようなニュースが頻繁に聞かれるようになった。

その要因についてはいろいろと考えられるのだが、長くなるのでここでは省略しよう。

僕が研究者の方のお話に興味を持ったのは以下のような話だ。

これまでは移動距離の長いオスのヒグマが食べ物を求めて山奥から緑の回廊となる

森を伝って人里に出てきていたというパターンがほとんどだったという。移動距離

の長いオスのヒグマは数十キロという広範囲にわたって徘徊する為、一時的に人里

近くに現れても割と短い期間でまた立ち去ってゆく。しかし近年は移動距離がごく

短いメスの存在が住宅地付近で度々確認されているという。つまりこれは長距離を

移動しないメスのヒグマが安定的に市内に隣接した山林で年間を通して生活している

ということを意味している。

ヒグマの習性と出没の事実をもとにしたこのお話はもっともであると感じたのだが、

何よりこのことからヒグマの生態が現代に順応する為に少しずつ変わりつつあると

いうことがよくわかる。

僕は、「人とヒグマの共存」という言葉が幾度となくささやかれる中で、果たして

お互いの生活域が重なる中での「共存」が本当に望ましいことなのかという疑問が

いつも頭の中をよぎる。

動物と人間が対等ではなくなってしまった今の時代、過大に権力を持ってしまった

私達は、なにか自分たちに不都合が起きると結局彼らの生き方や習性を尊重すること

なく一方的に彼ら生命を脅かす。少なくともこれまでは幾度となくそれを繰り返して

きた。

本当の意味での共存とは、大地の中で人間と動物達の棲み分けが確立している上

でお互いの生活を脅かさないということではないだろうか。

つまり一番大切なのは、彼らの本来の生活圏を荒らさず、奪わないということでは

ないかと思うのである。

以前、国立公園でヒグマの業務を務めていた時は、フィールドは常にヒグマ優先の土地

であり、そこに人間が立ち入るにあたって時間規制まであったほどだ。

しかし、都会近くの山林に生活するヒグマへの対応はこうも違うものかと思うことがある。

 

「野生動物と人間社会」の存続を考える時、本当に自然を大切にしなければいけないと

考える者もいれば、自然よりも安全や有益を求める者もたくさんいる。

この多用な価値観の中で深い自然の象徴であるヒグマや彼らの生きる環境をどうしたら

守っていけるのか・・・。

改めて本当に難しい問題であると実感した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015/03/07 12:38 | yamada | No Comments