表現者であるならば、自分の表現の質を高めようと努力するのは当たり前なような気が僕はするのですが、その質を高めようとする努力の内容は人それぞれだと思います的な話をしようと思いますです。主に僕なりのヘッポコな主観になりますがお付き合い頂ければナニがソレです。
僕は、その “質” を高めようという目的のみで本を読んだり芸術に触れたりする事はほとんど無いと言ってもイイくらいに不勉強な表現者です。一時期、ソレをやってみたような時期もありましたが、どうも性に合わないナニがソレでした。
言ってしまえば、僕の場合は興味の無い事に興味は沸かないんですよね。それと、努力っていう目的の為だけにって感じもあまり好きじゃありません。赤ちゃんに難しい漢字を書けって言っているような感覚(つまり無理)です。
ヽ(-@∀@)ノ ワカリニクイタトエダ
興味のある事だけをやっていたいっていう子供じみた発想で生きている僕にとっては興味の無い事に時間を裂くって事は苦痛なのです。でも、そんな甘ったるい事を言っていてはこの声優の世界で生きていく事は出来ないでしょうし困ったものです。
じゃあ、自分の声に必要な部分や足りない部分をどう補っているのかと言いますとー
企業秘密です!
ヽ(-@∀@)ノ ワハハ
…なんてのはウソで、僕は僕なりの方法でソレを吸収しているのですが、答えはもう出ているような事で、単純に興味が湧けばソレに対する努力をするって事です。必要があれば本を読むでしょうし、意味のわからない芸術にも触れてみたりするのでしょう。しつこいようですが興味が湧けば、です。
どこかの誰かが「コレをやればナニがソレ」なんて事を言っていても、その人はその人、僕は僕なのですから、余程心を動かされて興味が湧かない限り僕が行動する事はほぼありません。
こんな話をすると怠け者みたいに思われるかもしれませんが、僕は生きている事が既に努力みたいに思っている部分もあり、五感をフルに研ぎ澄ませて目の前で起きている事から声の表現に必要なナニがソレを吸収しています。よくわからない事を言いますが、生きているだけで、自分の声の表現に必要なナニがソレを沢山吸収出来ているような気がしている勘違い野郎です。
更にクズい事を言いますと、生きているだけで、誰かが僕に色々な表現のヒントを与えて下さっているので、自発的にソレを追い求めなくても事足りるような気もしています。
僕は興味の無い事はまるで頭に入って来ないので、生きて行く事に興味があって良かったなと思います。“生きて行くイコール表現” だと思っていますからね。
表現でメシが食えなきゃ死んでしまいます。僕にとって、死ぬという事は興味を失うという事なので死なないようにしないといけません。
ヽ(-@∀@)ノ アタリマエダロ
表現力を高める為の方法は色々あるとは思いますが、僕の場合はそんな感じです。きっとソレだけではないのでしょうが、ザックリ言うとそんな感じでやってます。
吸収しようと思えばそこらにヒントは転がっています。僕にはそう見えます。いや、身体が吸収体質になっちゃってるんだと思います。
ヽ(-@∀@)ノ モハヤバケモノダナ
仕事に限らず、何にでも当てはまるような事ではあると思いますがー
人生ってのは基本的にギブ&テイク的に成り立っていますよね。
ソレが成り立たない関係っていうのは遅かれ早かれその関係が崩れて行きがちなものです。
ギブ&ギブだなんて無償の愛的な言葉がありますが、僕はそんなモノはこの世に存在しないと思っている堅物野郎です。
声優という仕事をしているからかどうなのかはわかりませんが、僕は一つのテイク(他人からのギブ)に過剰に反応してしまうような傾向があります。つまり、一つの仕事を頂く事に対して過剰にありがたみを感じ過ぎてしまい、何とかギブらなければいけないと考え過ぎてしまうという事です。
何をそんなに考え過ぎてしまうのかと言いますと、そのテイクよりもっと大きなギブを返さないと次のテイクが返って来ないのでは?という恐怖心のような事だと思います。
おかしな言い方かもしれませんが、テイクが怖いです。ギブなんてものはさせて頂けるものならいくらでもギブりたいですが、とにかくテイクに関しては必要以上に身構えてしまいます。
“仕事を頂いて、良い仕事をする”
コレが声優にとっての当たり前のギブ&テイクだとは思いますが、ソレは当たり前であって僕の中のソレとは違うんですよね。テイクされた時点でギブをしなきゃと感じてしまいますし更に良い仕事をするだけじゃなく、更にプラスα的なギブをしなければならないような気がしています。僕だけではなく、そう思っている声優は多いのではないでしょうか。
テイクに慣れすぎてしまうと、ギブする事が疎かになりがちですが、テイクされる事を当たり前だと思わずに、一つ一つのテイクに丁寧にギブして行きたいという気持ちは絶対に忘れてはいけない事だと思います。今あるテイクが一生あるわけでは無いかもしれないのですから。
ギブやテイクの形は様々ですが、僕がテイクと感じたテイクにはどんな形であれ僕なりの誠心誠意のギブをお返ししたいです。テイクされたままだと気持ちが悪いのです。それがウソのテイクであろうと僕がテイクだと感じたテイクには必要以上のギブで返したい…いや、必要以上に沢山のギブを返さないと僕みたいなアブラムシの産毛みたいな声優はギブ&テイクが成り立たないような気がするのです。
冒頭にギブ&ギブは無い的な事を口走りましたが、プロフェッショナルという立場としては絶対にテイクを求めなければいけないという意味合いを多く含む言葉です。でも僕は、限りなくギブ&ギブに近いギブ&テイクな形を理想としています。
気付かないうちに誰かからテイクされていたり、僕のギブが伝わらなかったりする事もあるかもしれません。出来る限りそんな事が無いように僕なりに気を配って生きています。
ちょっと下衆っぽい考え方かもしれませんが、ギブ&テイクが上手く行くって事は仕事や人生が上手く行くという事ではないのかなって思います。
…なんて事を思って声優の仕事に取り組んでいますよー的なお話でした。ギブやテイクの意味が混乱しそうなコラムで申し訳ありませんでした。
役者のような仕事をしていると、どうしても商品としての自分を客観的に分析する必要が出てきます。
自分をイケメンだと思ってイケメンみたいな芝居ばかりしていても、他人が自分をイケメンだと思ってくれなかったらただの勘違い野郎的になっちゃう感じになると思うので、他人の目線で自分を客観的に見るというような作業が必要な気が今の僕はしています…
え?その自分をイケメンだと思ってる勘違い野郎ってお前の事じゃないか?ですって!?
ヽ(-@∀@)ノ エ?
ひいー!!
僕ちゃんイケメンじゃなかったんですか?わはー!今までずっと勘違いしてました!イケメンだと思ってました!今日から自分を客観的に見るように心掛けます!ありがとうございます!
…
そんなこんなは置いておいてっと…。
自分を客観的に見て、その客観的にも自分的にも合致したような役者的なイメージをアピールしていって、そのアピールの対価として自分に合うような仕事を得るような戦略的な事が必要なんですよ的な話なのですがー
声優って声の仕事なんだから声さえ良ければソレでいいんじゃないの?ってな事を思われる人もいらっしゃるかもしれませんが、自分の持ってる声のイメージをどうアピールして仕事を得るかの一つの方法として、自分という全体のイメージを自分の声とリンクさせるような事が出来ると自分という声優を知らない人にも効率的に良いアピールが出来るんじゃないかしら?的な事ですね。
そんなこんなな意味を含め、自分を客観的に見るっていう作業は重要なんだろうなーって事なのです。
客観的に自分を分析するって事は、簡単そうで実は難しく(僕は)一体自分って何者なんだろうなんていう変な迷路に迷いこんだ事もある僕ちゃんですが、深く自分という人間を掘り下げて行けば行く程に、どうして今の自分という形が出来上がったのかなんて事も見えて来るような感じもあり、夏休みの自由研究などにもオススメです…なんて事も言ってみたくなりますが、なかなかショッキングな部分もあったりしますので、自己分析をちゃんとやろうと思うのであればそれなりの覚悟が必要かもしれません。
役者のような仕事を生業としている人間であれば自己分析的な作業は避けて通れませんがー
今の自分が今の形で存在している意味は、自分が今までの人生をどう生き抜いて来たかという事の現時点での集大成であるわけですから、客観的に深く分析してみると、色々な事がわかってくると思います。それがわかったから何だ?って話かもしれませんが、自分の本質を振り返る良い機会になるかもしれませんのでそんな時間を作ってみるのも宜しいのではないでしょうか。
日々、色んな表現に耳を傾けて隙あらば自分の芸の肥やしにしてやろうなんて思ったりしている僕ですが、クソ真面目にソレをやり過ぎてもつまんない表現に…と言いますかー、誰かが既にやっている表現であったり、表現の世界の中での常識(そんなモノはありませんが)にとらわれてしまう、とらわれてしまっているのではないか、なんて思ったりする事があります。
ある程度の経験があると、アレはダメ、コレはダメ…なんて知識が自然と身について来るように思うのですが、その消去法で残った表現というのは、どこかで聴いた事のあるような表現だったりする場合が多いように思います。良しとされてきた実績のある表現みたいなモノしか残されませんからね。
勉強熱心であればある程に、非常識的な表現を避けがちになる時期があるように思いますが、その非常識は本当に非常識なのかどうか…勝手に自分の中という小さな世界で物事を判断していないか…などと疑心暗鬼的になるような時期もまたあるように思います。
コレらは、情報量で善し悪しを判断してしまうというような実に学業っぽい考え方な気がしますが、役者のような正解の無い世界にいる人ですら学業っぽく物事を考えたりしてしまう時があるように思います。
では、そのような考え方で今回のコラムのタイトルのような今までに無い斬新な表現は生まれるのでしょうか?
生まれる場合もあるかもしれませんが、なかなか難しいのではないでしょうか。
斬新な表現を生む必要があるのかどうかという問題もあります。斬新さを求めなくても、ちゃんと堅実な表現を心掛けて行けばソレはソレで良いようにも思いますが、なんか僕は僕にしか出来ないような斬新な表現を見つけ出したいという願望が強いです。
そもそも見つけ出したい、なんて思っているようでは斬新な表現なんてものは出て来ないのかもしれませんが、何とかひねり出したいものです。
クソ真面目に空気を読んだり、クソ真面目に勉強家だったりすると、斬新さがかき消されるように思ってしまっている今の所の僕ですが、何か自分の殻を破って新たな世界を覗いてみたいものです。あ、いや…僕は空気もロクに読めないですし、勉強家でもありませんので、まずはソコから始めないといけないのかもしれません…って!おい!1からのスタートやないかいっ!
まずは斬新的な人生を生きてみる事から始めたいと思います。
ヽ(-@∀@)ノ ナンダソリャ
人間性が表現に反映されると思いますから。
“良いところを伸ばす” なんて言葉がありますよね。僕ら声優の仕事でも、いえ…どんな仕事でも同じかもしれませんが、良いところを伸ばして悪い事はありませんよね。良いところってのは成長も早いですし、何か一つ突出した部分があるならば僕らの仕事では大きな武器となります。
ところがー
僕は元々、あまり良い部分を持ち合わせていないような人間でしたので…
え?「でしたのでって何だよ?お前には今でも良いところなんてないだろ?」ですってーっ!?
ヽ(-@∀@)ノ ウエエン
…ハイソウデス。調子こきました。今も昔も良いところなんて何も無いゴミクズのような人間ですコレでいいいですかそうですか話を続けます!
苦手な部分や悪いところを何とか伸ばそうとアレやコレやと頑張っちゃって来たような気がしないでもない声優人生ですが、僕に何かしら良いところがあって、その良いところを徹底的に伸ばして行ったら人生は変わっていたかもしれません。今より良い人生になったか、悪い人生になったかって話は置いておきますが。
アレができない、コレができないってのは正直悔しかったですし、とにかくガムシャラに色んな事に取り組みました。
そして、今の中途半端に小器用な僕みたいな声優が出来上がったのですが、もし僕に良いところがあって良いところを伸ばして行ったならばどんな声優になっていたのか興味が湧きます。
その伸ばした良いところ的な部分の仕事が多くなるでしょうからある意味、“ある意味で” ですが楽なのかもしれません。
しかしながら、悪いところを伸ばした結果の今の僕は、ソレを後悔しているわけもなく「やっておいて良かった」なんて思う事も沢山あります。
僕はどんな苦しい事があっても結果的に「今が良ければソレでいいや」なんて思いがちな人間なので、ソレはソレでいいのですが、なんと…今は良いところを伸ばして行こうなんて事を思ったりしています!
え?「お前に良いところなんてないだろ!」ですって!?しつこいなぁ!あるんですよ見つけたんですよ思い込みかもしれないですけどねっ!!
ヽ(-@∀@)ノ ウエエイ
良いところを伸ばすにしろ悪いところを伸ばすにしろ、ソレをしっかりやる事が出来れば結果はついてくると思います。どちらを選択するかは人それぞれだと思いますが、どちらにせよ要するにやるかやらないかって事だと思います。僕はやるしかないのでやるしかないのですが。
やりますよ。
この世界で生き延びるために。
例えばー
“笑う” という表現一つにしても、笑い方なんてものは人それぞれですし、状況や感情によっても様々なわけで無限に近い程の選択肢が存在するように思います。
無限に存在する笑いの表現の中から、僕ら声優はソレであろう笑いを選択する事になるのですが、選択したソレが、演出側が思っているソレと違うのであれば当然、演出側からテコ入れが入るわけです。
無限に近い程の表現から選んだたった一つの表現が、演出側からも良しとされたならばソレはある意味運命の出会い的なナニがソレみたいな感じが無きにしも非ずですよね(笑)。
その演出側が求める無限の中の一つのソレに、僕らはピンポイントにそのソレを投げ込む必要があったり、逆に僕が選んだ無限の中の一つのソレを演出側に納得して貰うかのナニがソレなわけです。
その駆け引きの中で妥協が生まれる場合もありますが、出来れば演出側と僕が相思相愛である事がベストだと思います。
無限にある選択肢の中からたった一つを選ぶという作業は怖い事です。更にはソレが聴いてる側の欲求を満たす表現でなくてはならないという事が大前提だと思うので、今更ながら恐ろしい仕事をしているのだなと痛感します。
恐ろしい仕事だとは思いますがー
ソコがこの仕事の面白さでもあるのだと思います。
“砂漠の中から針を探す”
そんな言葉が何となく思い浮かびましたとさ。
「やってやったぜ!」
…なんて思ってOAなどをチェックしてみるとー
「大してやれてねーぇ!!」
…なんて思う事があります。
ヽ(-@∀@)ノ ガッカリダヨ
色濃い表現を出したと思ってても薄く聴こえる場合があるのです。
気持ちみたいな部分が高まっていても、その気持ちが声の表現として成り立たっていないという事になってしまうと残念な結果になってしまうという事です。
よく「やりすぎ位が丁度いい」なんて事を言われたりするような世界なのですが、声だけで表現するという事を考えると、顔の表情や動きという表現が使えないので、声に表情をつけるためには多少大袈裟にやらないと物足りない表現になってしまうような感じだと思うんですよね。
最近、僕の中のマイブームで “心技体の一致” みたいな剣道っぽい言葉があるのですが、声の表現もソレらが一致しないと良い表現にならないんですよね。
現場に入っていきなり心技体が一致したような表現を出すというのはなかなか難しいものです。ソレらが一致するまで待ってくれるような仕事ではないので、ソレらのピークをマイク前でちゃんと出せるように自分のコンディションを整えるという作業が必要になります。
色んな部分を鍛えていかないと良い仕事は出来ないんだなー、なんて当たり前の事を思いながら今日も明日も明後日も、もがき苦しんで行くのだと思います。
声優という商売をやっていると、何が正解で何が不正解か…という事がわからなくなる事がよくあります。
声優の生き方には正解なんて無いですし、正解なんてモノを求めてはいけないってのはわかっているのですが、自分を向上させるには人の意見というモノに耳を貸さなければならないような部分があるような無いような感じに思います。
僕以外の他人には僕に対する意見が沢山あると思います。他人というのは客観的に僕の事を見てくれるので、自分では気付けないような斬新な意見が得られるような場合もあったり無かったりするわけです。
でも、沢山の人の意見を全て間に受けてしまうと結局、何がしたいのかわからないような “自分というモノを持たない薄っぺらい役者” になってしまうような気が僕はしてしまうので、今の所の僕の結論は「自分がやりたいようにやる」という感じに落ち着いています。
元々、人から何かを教わる事が大嫌いなタイプだってのもありますが、やりたいようにやれないのであれば他の仕事をした方がマシみたいに思っている部分もあるのでやりたいようにやるようにしてます。
ソレが受け入れられないのであればソレはソレで仕方が無いです…なんて強気な事を言いたい所ですが、商売にならないようではソレはただの頑固者なので、余りにも受け入れられないのであればそんな自分を改造して新たな自分を作り上げたりする卑怯者です僕は(笑)。
卑怯者でも何でもいいんです。商売が成り立ちさえすれば。僕みたいなダンゴムシの足みたいな存在の声優はこの世界で何としても生き延びて行く事がアイデンティティなのですから。
「何とでも言え!メシが食えりゃソレでいいのよ!」ってなスタイルがイッツマイスタイル!です!
ヽ(-@∀@)ノ ナンテダササダ!
僕は基本的に何となく洋楽ばっかり聴いているのですが、洋楽ってのは当たり前ですけど日本語な歌詞じゃないわけなので、頭の悪い僕には歌詞の意味がよく分からず&変に感情移入しなくて済むようなナニがソレもあり、精神的に楽なので何となく洋楽を聴いている感じが無きにしも非ずです、仕事前などは特に。
最近、ふとした興味からとある邦楽をポチっとしてしまい、何となく携帯のプレイリストに入れてみたのですがー
日本語の歌詞って凄いですね(笑)!
僕も言葉を喋る仕事をしているので常に言葉に対して何を詰め込むかみたいな事を考えているのですが、良いメロディーに良い歌詞が乗るってのは殺人的な破壊力だなーなんて思いました。勿論、歌に込められた想いみたいなモノも日本語だと伝わりやすいので頭の中に色んな想いが流れ込んで来ます。
声優の仕事も、僕が発する声に台本や原稿上の言葉を乗せるわけで、ある意味で邦楽のようなものなのではないかな、なんて思うわけです。
僕が発した言葉が誰かに届いて、その人の心を動かす事ができたなら素晴らしい事だな…なんて事を柄にもなく考えてしまったりしまわなかったり。
今更思う事では無いのですが、人に想いを伝える事の素晴らしさや難しさを酷く痛感しております。
僕の想いを伝えられているかいないかは僕の声を聴いた人にしかわからない事ですが、僕は一方的に想いを伝えようと日々、四苦八苦しているわけです。
いい加減に出来る仕事では無いです。本当に奥が深く難しい仕事です、喋る仕事は。
一生懸命喋ります。
僕なりに、ではありますが。邦楽に負けないように。
どうも僕は自分の声が好きになれません。
まぁ、アレやコレやみたいな沢山の声色を使うようになったのはもしかしたらそのせいなのかもしれないなー、なんて思ったり思わなかったりするわけです。
そんなこんな事をしているウチに、声なんてどーでもいい、表現の方法の方が重要なんだとか、いや!やっぱり声だ!いやいや!生き方だ!いやいやいや!逆に頑張らない方がいいんだ!なんて色んな事を思ってみたり、我ながら迷走し続けているような声優人生だと思います。
アレもコレも何でもやります、やれます!なんて事も言って来たような気もしますし、アレはやりたくない、コレはやりたくないなんて拘りも特に無く、目の前にある事を僕なりに一所懸命やってきたつもりです。
そんなこんなをこなして来たら小器用に色々出来るような使い勝手の良いような声優になったような気がしますが、ソレが果たして声優的に良いのか悪いのか…なんて話は置いおきましてー
何をやっても自分の声は好きになれません(笑)。
どーしたら自分の声を好きになれるんでしょうか?
いつになったら自分の声を好きになれるんでしょうか?
本当に謎です。
きっと一生、僕は自分の声を好きになる事は無いのかもしれません。
自分でも満足のいくような声を手に入れる為に一生悩み続けるのでしょう。
悩まなくなったら僕は向上しようと思わないでしょうからそれでいいのだとも思いますが、正直、楽な道ではありません。
今度こそ、今度こそと満足のいくような声を求めて仕事に挑みますが、なかなか満足のいくような声は出てくれません。
発声だとか滑舌って問題では無く(それもありますが)、北沢力という人間がマルッと声に出てしまうので、北沢力自体を鍛えて行く必要があるのでしょう。
筋トレしよっと!
ヽ(-@∀@)ノ ソーユーモンダイジャネーダロ