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仕事に限らず、何にでも当てはまるような事ではあると思いますがー
人生ってのは基本的にギブ&テイク的に成り立っていますよね。
ソレが成り立たない関係っていうのは遅かれ早かれその関係が崩れて行きがちなものです。
ギブ&ギブだなんて無償の愛的な言葉がありますが、僕はそんなモノはこの世に存在しないと思っている堅物野郎です。
声優という仕事をしているからかどうなのかはわかりませんが、僕は一つのテイク(他人からのギブ)に過剰に反応してしまうような傾向があります。つまり、一つの仕事を頂く事に対して過剰にありがたみを感じ過ぎてしまい、何とかギブらなければいけないと考え過ぎてしまうという事です。
何をそんなに考え過ぎてしまうのかと言いますと、そのテイクよりもっと大きなギブを返さないと次のテイクが返って来ないのでは?という恐怖心のような事だと思います。
おかしな言い方かもしれませんが、テイクが怖いです。ギブなんてものはさせて頂けるものならいくらでもギブりたいですが、とにかくテイクに関しては必要以上に身構えてしまいます。
“仕事を頂いて、良い仕事をする”
コレが声優にとっての当たり前のギブ&テイクだとは思いますが、ソレは当たり前であって僕の中のソレとは違うんですよね。テイクされた時点でギブをしなきゃと感じてしまいますし更に良い仕事をするだけじゃなく、更にプラスα的なギブをしなければならないような気がしています。僕だけではなく、そう思っている声優は多いのではないでしょうか。
テイクに慣れすぎてしまうと、ギブする事が疎かになりがちですが、テイクされる事を当たり前だと思わずに、一つ一つのテイクに丁寧にギブして行きたいという気持ちは絶対に忘れてはいけない事だと思います。今あるテイクが一生あるわけでは無いかもしれないのですから。
ギブやテイクの形は様々ですが、僕がテイクと感じたテイクにはどんな形であれ僕なりの誠心誠意のギブをお返ししたいです。テイクされたままだと気持ちが悪いのです。それがウソのテイクであろうと僕がテイクだと感じたテイクには必要以上のギブで返したい…いや、必要以上に沢山のギブを返さないと僕みたいなアブラムシの産毛みたいな声優はギブ&テイクが成り立たないような気がするのです。
冒頭にギブ&ギブは無い的な事を口走りましたが、プロフェッショナルという立場としては絶対にテイクを求めなければいけないという意味合いを多く含む言葉です。でも僕は、限りなくギブ&ギブに近いギブ&テイクな形を理想としています。
気付かないうちに誰かからテイクされていたり、僕のギブが伝わらなかったりする事もあるかもしれません。出来る限りそんな事が無いように僕なりに気を配って生きています。
ちょっと下衆っぽい考え方かもしれませんが、ギブ&テイクが上手く行くって事は仕事や人生が上手く行くという事ではないのかなって思います。
…なんて事を思って声優の仕事に取り組んでいますよー的なお話でした。ギブやテイクの意味が混乱しそうなコラムで申し訳ありませんでした。