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2011/07/14

前回の記事で「佐渡裕さんのベルリンフィルデビューをこれだけ取り上げるなら、海外で活躍している日本人演奏家はもっといるのだから、日本のメディアはもっと彼らを取り上げるべきだ」という主旨の文章を書きました。

これについて電車の中で考えていて、ふとスポーツ新聞を読むサラリーマンの姿が目に入ってきました。野球やサッカーから競馬、釣り、果ては成人向けの記事まで掲載しているスポーツ新聞や某ゴシップ誌のような存在が、クラシックの世界にはありません。

そこで思ったのが、無責任でお気楽なクラシックのゴシップ誌があったら面白いのになあ、ということ。もちろん、聴衆のイメージを崩してはいけないのがクラシック音楽ではありますが、正直それはハリウッドスターをはじめとする海外セレブだって同じこと。私はワイドショーには興味がありませんし、パパラッチやワイドショーのレポーターのような存在が大嫌いですが、それでもゴシップ誌が売れ視聴率が取れるのは、所詮は他人に過ぎないのに、そういった世界に生きる人々のプライベートに憧れ興味を持つ人々が多く存在するからですよね。クラシックの世界における男女の話題は実に豊富ですし、芸能界よりも刺激的かもしれません。著名な奏者の楽団移籍は、プロ野球選手の移籍同様様々な事情があったりします。有望な若手演奏家が出てきたら特集を組んだりしても良いのですが、よくクラシック専門誌にあるようなお堅い記事ではなく、その人の趣味の世界を掘り下げていっても良い。

「●●と●●熱愛発覚!!朝まで六本木でアンコール!」なんて下世話で最低な見出しが載っていたらちょっと面白い。ひとまずモラルの問題は置いておいて、商売としてはアリじゃないでしょうか。リハーサルに行って「今朝の東クラ(「東京クラシック」、いわゆる東●ポみたいな・・・)読んだ?」「だってあそこの記事飛ばしばっかりじゃん」なんて会話が弾んだり弾まなかったりするかもしれません。

そして、演奏会の批評については、同じ演奏会について音楽評論家と演奏家、そしてその演奏会を聴きに行った全くのクラシック初心者に同時に書いてもらう。知識は豊富ながら演奏の経験がない批評家と、現場をよく知っている演奏家の意見の違いを明確にし、さらに全くの初心者がどう感じたかをはっきりさせる事でそれぞれの空気感の違いを感じ取ることが出来るように思います。

オリコンのように、「人気オーケストラ」「今月良かった演奏会」なんてありがちなランキングに始まり「男前ランキング」「ブサイクランキング」なんてコーナーもあったりして、5年連続1位に輝いたら殿堂入りしたりして。お笑い芸人と違ってブサイクはイメージダウンになるから難しいかな。最近はビジュアルを重視したクラシックのアーティストも増えてますから、女性編はそこそこ盛り上がると思います。

サッカーみたいに「国内組」「海外組」なんて分けてみたり、またフリーの演奏家に少しスポットを当ててみたり。「いま旬のフリー奏者はコイツだ!」なんて面白そうじゃないですか?そこからまたお仕事が増えるかもしれないですね。

これもサッカーとかぶりますが、オーケストラの演奏会ごとに各奏者に採点をつけるのも面白い。「××××・・・6.5 乱れがちなセクションにあって一際素晴らしい統率力を見せた」「○○○○・・・4.5 落ちる、飛び出す、プロ以前の問題」みたいな。まあ、誰が採点するのか、全員見ることが出来るのかという問題もあるのでおれは実現不可能でしょうね。

オーディション情報を発表すると共に、競馬のようにその予想をするのも楽しいかもしれません。「本命はよくエキストラに行って顔も売れている●●だが、対抗は実力で勝る○○。勝負の分かれ目は音色と人間性か」とか。そうすると前日あたりに「速報!××が棄権!!」なんて記事が出てまた盛り上げたり・・・しまいにはtotoのようにギャンブルに発展しちゃいそうですね。

電車の中で思いついて妄想をしているだけでまだまだアイディアは湧いてきます。

客層の限られているクラシック界ですから最初は無料配布から始める必要もあるでしょうし、スポンサーの力は絶対ですが、財力に余裕がある企業の方、被災地復興が落ち着いてからでも良いので、暇つぶしに発行してみませんか?

以上、くだらない思いつきでした。

 

05:03 | sumi | ■メディアから変えるクラシック はコメントを受け付けていません
2011/06/05

大変ご無沙汰しております。

このコラムを書き始めたとき、私はクラシック音楽の世界から一度引退した身だったので「少しでもクラシックの普及に繋がれば」という思いから、大した文章力もないのに、無謀ながら音楽の世界を表現する事に挑戦してきました。

しかし、4年前にクラシックの世界に復帰を果たして現場に戻ってみると、書けなくなるお話が圧倒的に多いことに気づきました。基本的にはフリーの演奏家ですから、お仕事を貰わない事には演奏の機会も無い弱い立場。なかなか面白いお話も書けず、こうして筆が鈍ってしまったという訳です。少しずつこちらのコラムも復帰していきたいとは思いますが、本当に慎重に話題を考えてからにしようと思っているので、やはり回数はそれほど増やせないかもしれません。

さて、先日、指揮者の佐渡裕さんがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会に登場して話題を集めました。「世界最高峰のオーケストラに、日本人指揮者が小澤征爾以来の登場」とクラシック界のみならず一般のニュースにもなっていましたから、ご存知の方も多いかもしれません。

その佐渡裕さんといえば、日本では吹奏楽のトップ楽団「シエナ・ウインドオーケストラ」の首席指揮者。私はこのシエナに客演させて頂く様になってから4年になりますが、シエナは毎年夏に佐渡さんとツアーを行い、10回以上の演奏会をこなしています。そういった意味で、この4年間で私が最も共演している指揮者が佐渡裕さんである事は間違いありません。おそらく50回近くは佐渡さんと本番を経験しているはずです。

応援する野球チームが同じ阪神タイガースだったり、ベルリンに共通の知人が居ることなどもあって雑談もよくさせて頂くのですが、そんな中で感じるのは佐渡さんの人間力、包容力の大きさ。一昨年、私が「子供が出来たので妻に応援メッセージを下さい」とお願いしたら「俺はタモリさんか!」と笑いながら「安産ぽ~ん!!」とサイン色紙を気軽に書いて下さり、妻がいたく感激した事もありました。
感情豊かで、涙腺の弱さは私の知る人の中でもトップクラス。ベルリンフィルの指揮についても一切格好つけることなく「子供の頃からの夢だった」「リハーサル初日、聴いた事ない凄い音がした」なんて、まるで少年のような感想を素直に言えてしまう純粋さがこの人の凄さでしょう。

私は音楽大学時代に見たベルリンフィルの映像に衝撃を受け「いつかベルリンフィルで弾きたい」というだけの理由でベルリンに留学しました。昨年亡くなられましたが、首席を引退されたばかりの先生の下で修行し、毎週ベルリンフィルを聴きに通っていました。父がよくエキストラとして客演していたこと、母の友人が多く在籍していた事もあってベルリンフィルは非常に身近なオーケストラでしたが、演奏家としての私からは遥かに遠い存在でした。

帰国して日本で演奏活動をしてみると、ドイツの奏法があまり理解されていない事に気づきました。楽器の鳴らしかた、弓の使い方に対する考え方が根本から違う。人間は体験したことのない物を素直に受け入れる事がなかなか出来ない生き物ですから、中には「あれは都市伝説だから」なんて表現している人もいるくらいです。
手の角度がどう、スピードがどう、力がどうと理屈で解説する人も多いんですが、そうじゃない、感覚なんですよね。あのサウンドや音楽は、実体験からしか理解出来ません。ベルリンフィルで演奏した事はありませんが、先生から奏法を学び、実際に目の前でその技術を体感し、毎週ホールで聴いたあの体験は、言葉や理屈で説明出来るものじゃないんです。

結局帰国した私は自分を貫く事が出来ず、生活のためにお仕事を頂くことを最優先し、いつの日かお仕事に呼んで頂いたオーケストラの弾き方に合わせるようなプレイヤーとなり、「ベルリンフィルで弾く」という夢を諦めていました。そんな私にとって、佐渡さんの今回の演奏会の成功は心から嬉しい出来事でした。

ただ一つだけ、日本のメディアの報道の仕方には疑問を感じました。あくまでも今回は客演であり、今後に繋がるかどうかが大事なところなのに、日本ではさながらベルリンフィルの音楽監督になったような報道ぶり。
定期演奏会以外の舞台も含めれば、これまでにベルリンフィルを指揮した日本人指揮者はそれなりに存在しますし、それを言うなら50年前に日本人として初めて入団したヴィオラの土屋さん、20年以上もコンサートマスターを務めた安永さんの功績はもっと称賛されるべき。
現在も女性ながら現在ヴィオラの首席を務める清水さん、そして新しくコンサートマスターに就任した樫本君、ヴァイオリンの町田さんなどベルリンフィルと日本人の関わりは意外に多く、他にも素晴らしい日本人プレイヤーが活躍していることも、もっと取り上げて欲しいのです。
まあ、安永さんや土屋さんの時代は今ほどメディアに情報を伝える手段が無かった事もあるでしょうし、佐渡さんが「題名のない音楽会」の司会を始めメディアに露出する機会が多いことも理由のひとつだろうし、一人のプレイヤーよりも指揮者という肩書きを重視する日本人らしい取り上げかたなのかもしれませんね。

いろいろ書きましたが、佐渡さんがベルリンフィルを指揮した事は凄いし素晴らしいことです。実際振りたくてもベルリンフィルを指揮出来ない指揮者は世界中にいくらでもおりますし、その中からベルリンフィルの選択肢に入り、さらに選ばれた事は紛れも無い事実で、これはニュースになって然るべき出来事です。

人間が飛躍的に成長するには「上の世界」を実際に経験する事が一番だと思っています。上のレベルを知らない人間は「想像」するしかない。例えば優秀なオーケストラで弾いた事のない奏者は「上の世界」を知らない訳ですから、そのレベルがどんなものか想像するしかない。想像が妄想になる事はあっても実際に現実を超える事は難しく、経験、実体験に勝る財産はありません。その意味で、佐渡さんは今回頂点のひとつを経験した訳ですから、これは今後の活動において間違いなく財産になると思います。

今年は佐渡さんが多忙のためシエナでの共演は夏の富士山河口湖音楽祭の一度きり。そこで、少しでもその財産を感じてみたいと今から楽しみで仕方ありません。

07:45 | sumi | ■佐渡裕、ベルリンフィルデビュー はコメントを受け付けていません
2010/09/22

今週はシエナのツアー日程が最もキツい一週間です。

今週から月末にかけて花巻、秋田、宇都宮、南足柄、東京での定期を経て山形、仙台、そして題名のない音楽会の収録と続き、9日間で8回本番。ちょっとタイトなスケジュールなので、一日休みの今日、まとめて記録を残しておきます。

特筆すべきは連休中の東北のお客様雰囲気の温かさ!

花巻、秋田とも完売、満員御礼。
秋田は発売30分で売り切れたとのこと。

基本的にコントラバスは本番前に楽器を舞台に置いておくので、私は開演前に他の演奏者より早めに舞台に行って調弦を行うのですが、だいたいその時に聴衆の雰囲気を感じる事が出来ます。

これ、不思議なもので、会場の雰囲気って手に取るように身体に感じるんです。本番後に演奏者同士で話すと「今日は温かかったね」「今日はちょっと違ったね」とだいたい一致したりします。

特にコントラバスは一番客席側に位置しますから、例えば真横に座っているお客さんが「よし、どんなもんか聴いてやろう」的な、粗探しをしに来たような雰囲気だったり、最初からそれほど前向きじゃない視線だったりするとむしろ燃えたりもしますが、そういう時は残念ながら逆にあまり良い音、良い演奏にはなりません。

しかし、そこで聴衆からワクワクするような期待感なんか感じるとテンションも上がり、本番はより良いパフォーマンスを見せることが出来たりします。もちろん、プロですからいつも同じ状態で舞台に上がらなければならないのですが、やはり人間ですから、精神状態、アドレナリンには大きく左右されます。どんな偉大な演奏家でも、気づかないうちに聴衆の雰囲気に後押しされて名演を生む事ってあるんじゃないでしょうか。

花巻、秋田の公演はそういった意味でまさに聴衆と演奏者が一体になり作り上げた空間だったように思います。

特に秋田でのスタンディングオベーションは凄かった!!

アンコール演奏終了と同時に巻き起こった、まるで大きなうねりが会場を包むかのような総立ちには、一瞬泣きそうになりました。ああいう雰囲気の時には、本当に楽器をやっていて良かったと思いますね。会場との一体感を作り出すシエナの演奏ももちろんですが、会場参加型の構成や企画、そしてトークで場を盛り上げる佐渡さんのお人柄によるものだと思います。

新幹線を乗り継ぎ4時間移動した後の本番などもあり、今回は肉体的、精神的に鍛えられそうなツアーで、技術的な事は割愛しますが、個人的には葛藤を抱えながら演奏をする場面も多く、非常に良い経験になっています。

ちなみに24日、池袋の芸術劇場で開催される定期演奏会はまだ若干チケットもあるようです。皆様ぜひご来場下さい。!!

さて、まだ来月までツアーは続きます。
バテてしまわないように、今日は久しぶりに早く眠りたいと思います。
 
 

06:22 | sumi | ■聴衆との一体感 はコメントを受け付けていません
2010/09/03

昨晩、みのもんたさんの対談番組を見ていたのですが、はるな愛さんとの対談のさなか、みのさんが一度アナウンサーを辞めてサラリーマンになった時の話になっていました。

ラジオ番組で名前が売れたものの、ラジオブームが去ると仕事が無くなり、仕方なく父親の仕事を手伝いサラリーマンになったこと、しばらくしてテレビ局から声がかかり、プロ野球ニュースのキャスターになり、平日はサラリーマン、土日はキャスターの生活を続けたこと、どの話も一度音楽を辞めてサラリーマンになり、再度音楽の世界に復帰した私には深く共感出来る内容でした。

一番胸に刺さったのは「この世界は意外に冷たくて、復帰してみると『何をいまさら』なんて声が聞こえてくるんだよね」という部分。他人事ではありませんでした。

実際私も辞めた時には「変な宗教にハマった」などと心ない噂を流され、復帰してみたら、一度辞めた人間に仕事の依頼をくれる人は限られていて、「見返したい、頑張らなきゃ」と思う反面、正直「元通りのペースで仕事をするのはもう無理なんじゃないか」と思う時もよくあります。

もちろん、自分が仕事を依頼する立場なら、ブランクがあって復帰した人間の技術には疑問を持つでしょうから、この状況も納得はしていませんが理解はしています。

でも、そんな中でもお仕事、演奏機会があるだけでもまだ良い方だと思うようにしていますし、だからこそチャンスをくれる人や団体には心から感謝の気持ちを持っており、客演する際にはベストを尽くすべく努力しているつもりですし、自らも積極的に演奏の機会を作るようにしています。

実は、私も復帰してしばらくは生活費捻出の為に派遣社員をやりながらの演奏活動でした。完全復帰までは全く休みなど無く、本当に多くの人と知り合い、いろんな体験をしましたし、今では他人にどう思われようが何を言われようが気にならない、他人の噂に流されず自分で判断をする強さが身につきました。

そして、一度離れた事で音楽に浸れる時間に心から喜びを感じるようになりました。ギャラの金額なんて大した事じゃない。弾く場所があるだけで本当に幸せなんです。

まだまだ書きたい事はたくさんあるんですが、そんな意味で昨晩の番組はいろいろ考えさせられ、現在大成功を収めているみのもんたさんには勇気や希望を頂き、今後もう一度頑張るべく気合いを入れ直す良いきっかけになりました。  
 
みのさん、勇気をありがとう。
 
 

04:09 | sumi | ■みのもんたさんに貰った勇気 はコメントを受け付けていません
2010/08/30

今月から、佐渡裕さん&シエナ・ウインドオーケストラでのツアーが始まりました。

8/16からリハーサルが始まり、8/21の富士山河口湖音楽祭への出演をスタートに10/16の沖縄公演まで約2ヶ月間、ツアーが続き、関東周辺と東北、そして沖縄といったところを周ります。

「ツアー」というと皆さん、ずっとホテル暮らしでの演奏旅行を想像されるかもしれませんが、意外にそんなこともなく日帰りも多かったりします。新幹線などで交通至便となった昨今では、群馬や山形程度なら日帰り出来てしまうんです。こうなると地方の名産物を堪能する時間もなく、個人的にはとっても残念ですが、主催する側にしてみれば移動費宿泊費の大幅な縮減となり助かるのでしょう。

数年前まで演奏させていただいたバレエ団のツアーなどでも、長くて1クール3泊くらいでしたから、最近は長期間に亘ってのツアーの仕事は確実に減りつつあります。
 
 
ツアーの楽しみといえば、先ほども書いたように各地の美味しい食べ物や名所を楽しむことですが、他にも、ずっと同じ曲を演奏するので確実にその曲に対する理解度が深まり、アンサンブルが仕上がっていく事からくる演奏の楽しみもあります。もちろん、ツアーの最初だからといって完成度が低い訳ではありません。むしろ緊張感は初めのほうがあるかもしれません。しかし本番を重ねる毎に、その緊張感が昇華され音楽への浸透に変化していくと思っています。ですから、ツアーの最初の公演と千秋楽を聴き比べるのもまた面白いと思います。

それから、各地のホテルも楽しみのひとつ。

とんでもなく豪華なホテルで優雅な一夜を過ごせることも「たまに」ありますが、門限があったり、信じられないくらい狭かったり、壁が薄かったり、周囲に何も無かったりといったホテルに泊まることもしょっちゅう。これまでで一番凄かったのは、静岡県のあるホテル。門限は23時、おまけに洋室のはずの5畳くらいの部屋にはなぜか畳が積み重なってその上に布団が敷かれベッドのようになっており、挙句水道はちょっと濁っているという凄まじさでした。あのホテル、まだあるのかな?

最近だと「国盗り」や「コロプラ」といったGPS機能を利用した携帯ゲームもあるので、そちらを目一杯愉しむために移動手段を考えたりするのも楽しいですね。

そうそう、基本的にツアーの際には交通費、宿泊費は主催者側の全額負担。新幹線や飛行機のチケットを直接くれるところもあれば旅費などを手渡してくれるところもありますが、チケットをキャンセルすれば自分で手配も出来るので、格安パックなどを利用してちょっと移動費を「浮かす」なんてことも出来ます。ただ、早めに動かないと赤字になることもあるんですが・・・・。

「ツアー」といってもずっと公演がある訳でもないので、空いた日には東京に戻りレッスンをしたり別の楽団にお邪魔したりも出来ます。空いていればどんどん他の仕事を入れる、貧乏暇なしってヤツですね。
 
 
という訳で、これからしばらくはツアー便り、ということになりそうです。
  
ちなみに先日の群馬公演では早速面白いネタがあったんですが、それはまた次回にしましょう。
  

03:20 | sumi | ■ツアー開始! はコメントを受け付けていません
2010/08/02

私事ですが、先日、母校が甲子園出場を決めました。

実は私が高校2年生のときにも母校は甲子園出場を決めており、吹奏楽部だった私は吹奏楽コンクールの練習も兼ねて京都で合宿を行い、そのまま甲子園で1回戦の応援をしたものです。当然コントラバスを太陽にさらす訳にはいかないので私はうちわ太鼓という打楽器での応援でした。

その時は予選が決勝まで全てコールド勝ち、後に4番が中日ドラゴンズ、エースが広島東洋カープに入団するほどの戦力で、「東の横綱」とまで呼ばれていたにも関わらずエースと4番が負傷に泣き甲子園は初戦敗退。私たちは東京に戻り自らの9年連続吹奏楽コンクール全国大会出場を決めました。

特に因果関係は無く偶然だと思われますが、面白いもので、野球部が強い高校はだいたい吹奏楽部も全国レベルにあったりします。当時の我が吹奏楽部も全国常連校で、NHKの実況では「いやあ、応援が上手ですねえ!」と言われたりしたものです。

あの頃はまだ男子校、しかもかなり硬派な雰囲気を持つ学校だったので応援もそれなりに迫力がありました。まだ応援団が存在しており、応援団、吹奏楽部、野球部がうまく連携を保ち、甲子園の前には生徒を集めて「応援練習」という企画もあったほどです。

応援の流れとしては、私たち吹奏楽部と野球部で話し合って基本的な野球部選手個人の希望を聞いてそれぞれのテーマ曲を決め、選手の名前のコールや音頭は応援団が取り仕切り、ヒットマーチなどは吹奏楽部が試合の流れを見ながら状況に応じて演奏仕分ける、というものでした。

それが先日地区予選の準決勝、決勝と観戦に行った際には、共学化の影響か応援団が無くなっておりチアガールになっていていて、吹奏楽部は試合の流れに関係なくただひたすら個人のテーマを演奏するだけ。満塁になってもアニメの主題歌を演奏するのを目の当たりにして我慢出来なくなった私たちOBが勝手に曲を変更するとチアガールから苦情がくる、そんな状態で応援席の一体感の欠如が目立ちました。決勝なんかは試合こそ勝ちましたが応援のまとまりではコールド負けといっても良いくらいの差があり、帰宅してテレビで聴いた母校の応援はテンポ感もなく酷いものでした。

高校野球の試合を生で観に行くと分かりますが、応援の力ってかなり影響力があります。同じヒットマーチ(ヒットが出たときに演奏されるファンファーレ)でも、バッターが塁に達してから演奏するのと、打球が弾むのと同時に演奏するのでは観衆のノリが違う。ランナーのいない状況で個人のテーマ曲を演奏しても構いませんが、ランナーが得点圏に居たら迫力のある曲、勢いのある曲で相手投手に威圧感を与え打者の気持ちを乗らせる、そんな演奏が大事になります。

どんなスポーツの試合でもホームチームの勝率が高いのは応援にまとまり、力があるからだと思います。その応援の方法が音楽であれば、もちろんまとまった迫力ある演奏が出来たほうが良いに決まってます。だからこそ、今回の母校の応援は残念でなりませんでした。

長々と書いてきましたが、音楽の力ってこうした場面にも生きている、って事を言いたかっただけなんです。

今回の甲子園、吹奏楽部は吹奏楽コンクールの影響で甲子園に行かず、OBだけでブラバンを結成する話も出ているようです。私はうまく試合日程が合わなければ甲子園に行くことは出来ませんが、もし行けたら少しでも良い応援になるよう力になりたいと思っています。

今年の夏は応援席の演奏、こんなところに興味を持って甲子園を観てみるのも良いかもしれません。
 
 

01:03 | sumi | ■ブラバン甲子園 はコメントを受け付けていません
2010/05/15

お久しぶりです。

来月はサッカーのワールドカップ南アフリカ大会、日本代表メンバーも発表されて私は既にサッカーモード。これまでW杯が開催され日本代表が出場した98年フランス大会、02年日韓大会、06年ドイツ大会と私は開催月である6月に一切の出演依頼をお断りしサッカー観戦に集中してきたものですが、さすがに今回は一児の父という立場もありお仕事は請けさせて頂いております。オトナですからね 笑 

ちなみに日本代表最大の試練でもあるオランダ戦の日、私は舞鶴で15時から演奏会本番をやって帰宅後観戦予定。正直どんなに頑張っても後半からの観戦になりそうなので、一切の情報を遮断して帰宅し、録画で観戦しようかと思っています。

そんなサッカーとオーケストラにはいろんな共通点があります。

まずは監督の存在。

サッカーにも監督がいるように、オーケストラには音楽監督が存在します。サッカーの監督が戦術やチームカラーを出していくように、その楽団の方向性や音色を造り上げるのは音楽監督です。音楽監督が自ら指揮をする演奏会もありますが、他の指揮者がタクトを振る場合もあります。そういった意味では、音楽監督はサッカーチームで言うならGMのような存在とも言えますね。演奏会本番を担当する指揮者が現場監督というところかな?

コンサートマスターはサッカーチームでいうなら主将でしょうか。

サッカーなら実際にプレーするのは選手、オーケストラなら実際に音を出すのは演奏者ですから、その中心となり、一挙手一投足が大きな影響力を持ち、高い技術とリーダーシップを備え、周囲から信頼されなければならないコンサートマスターはキャプテンと呼ばれるに相応しいかもしれません。時と場合によってはコンサートマスターがリハーサルを進めていくこともあり、頼りにならない指揮者の演奏会ではオーケストラはコンサートマスターについていきますから、重要極まりないポジションです。

さて、ポジション別に見てみると、まず守護神、ゴールキーパーはオーケストラならティンパニーを中心とする打楽器群ではないでしょうか。最後方から全体を見守り、崩れそうなリズムを立て直すといった役割はそっくりですね。

続いてディフェンダーはコントラバスやテューバなどの低音楽器群。全く目立たないながらも居なくなると困る、たまにオーバーラップ(旋律を奏でる)こともある、そんな縁の下の力持ち。演奏上闘莉王選手のような過剰なオーバーラップはありませんから、イメージとしてはやっぱりドンと構えるバルセロナのプジョルでしょうか。

中盤はチェロやホルン、木管楽器群あたり。演奏全体のバランスを司り、美しいメロディーだけではなく渋い和音も聞かせる働きをします。サッカー選手で言うなら中村俊輔選手や今野選手の役割を同時にこなすポジション。玄人受けする演奏者の多いポジションですね。

最後にフォワードは何と言ってもトランペットやヴァイオリンなど旋律やここ一番の華やかなサウンドを聞かせる楽器でしょう。特に金管楽器の一発の決定力は大事です。いくら外しても1発決めれば許されるサッカーのFWに比べたら、1発のミスも許されない金管楽器のほうがシビアなんじゃないかな?

他にも、サッカーのホペイロやドクター、フィジカルトレーナーはオーケストラで言うならライブラリアンやステージマネージャーにあたるでしょうし、探せば共通点はキリがありません。

いよいよ来月から開催されるワールドカップ、試合を観ながら「この選手はオーケストラならこんな楽器かな?」と考えながら見るのも面白いかもしれません。但し皆さん、くれぐれも寝不足にならないようご注意ください。

あ、一番注意しなければならないのは私自身ですね・・・・・
 
 
 
 

09:47 | sumi | ■サッカーとオーケストラ はコメントを受け付けていません
2010/03/24

今回も前回に続いて武田さんとの対談をお楽しみ下さい。  
 
⇒ 前編はこちら
  
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~音楽大学について~

S:梢ちゃんは附属高校からだけど、音楽大学に対して望むことはありますか?

T:うーん…

S:じゃあ、音大ってどんなところですか?

T:先が見えないと目標を見失いがちですけど、私がいた頃でいえばピアノ演奏家コースは本当にレベルが高くて、素晴らしい音楽をなさる優秀な先輩や同級生、後輩も大勢いらっしゃりましたから、そういった環境で刺激を受けられたことは大きいです。

S:専攻分野を極めるには良い環境だけど、自分がしっかりしてないと、いくらでも堕落出来る場所でもあるよね。俺もそうだったけどほとんどの学生はその日を楽しく暮らしちゃってて、先を見れてない。計画的に過ごせばあんなに有意義な4年間は無いと思うけどね。

T:本番も少ないですよね。

S:それ、俺が代表として学生時代に署名活動したことある。プロ予備軍なのに1回の本番の為に半年も練習する意味があるのか、プロは3日で練習して本番やっちゃう訳で、そのサイクルに少し近づける事が必要なんじゃないかって。酷かったのは「現場での経験が少ない指揮者に指導されても説得力に欠ける」って 笑 当時は学生時代からプロのオーケストラに客演している連中が多かったから、金管楽器にも声かけて学長にまで持っていったけど、俺は事務の人に呼び出されて怒られた 笑

T:それで何も変わらず?

S:練習時間が多少延びたりはしたけど、それくらいかな。学校を動かすのって大変だからね。でも、高い意識持った仲間が大勢居たから、オーケストラの授業でも指揮者に「演奏の質を上げるために席順を変えさせてくれ」とか提案しにいってたなあ。今じゃ署名に賛同してくれた仲間の多くがオーケストラの首席をはじめ楽団員になっているよ。

T:素晴らしい。ピアノ科はソロ楽器なので、オーケストラもないですし、弦楽器より本番の機会が少ないと思いますね。

S:「プロ」の定義がそもそも音楽の世界は曖昧だから。「自称プロ」なんていくらでもいるし。たぶん俺だってオーケストラから出演依頼が来るから「プロと言ってもいいのかな」って思ってるけど、取りかた次第ではどうにだってなる。悪意を持って見たらツッコミどころ満載な業界だから。

~趣味~

S:音楽以外の趣味は?

T:なんだろう。音楽鑑賞やバレエ鑑賞…それと美術館行くのも好きです。

S:美術館?

T:絵や彫刻が大好きなんです。画集を眺めるのも好きですね。あと、読書。小説や物語も好きだけど、特に万葉集や和歌を読むのが好きです。笑

S:ええっ?

T:なんで読み始めたんだろう…日本に生まれながら西洋のクラシック音楽を学んでいるので、日本の心、美を理解したいと思って。初めて万葉集や古今和歌集を読んだ時、千年以上の時を経ても少しも変わらない人間の姿や心、想いに驚いたんです。昔のヨーロッパの昔の詩集や物語を読んでも感じることであり、通じることですが。圧倒的な自然の美しさを目の当たりにした時の感動や感謝、誰しもが心の中にある、人を愛する気持ちや愛する人を失った時の悲しみ、絶望や苦しみ、祈り…そして、そういった言葉にならない人の変わらぬ心、時代を超えて誰しもが持つ普遍的な気持ちを音で表現したものが、音楽だと思うんですよね。クラシック音楽はいつからか敷居が高く堅苦しいものだ、というイメージを持たれてしまうようになった気がしますが、芸術って常に人の心の側にあり、とても人間的なものだと私は思うんです。だからこそ、この移り変わりの激しい時代の中で、人々と共に笑い、時には泣き、生き続けてきたんだと思います。

…話がそれてしまいましたが、読んでみてください。 笑

S:手に取ったことも無いよ 笑 そこらで売ってんの?授業以来久しぶりに聞いた単語だなあ。

T:ありますよ~。感動しますよ!笑
 
 
~留学~

S:留学先はパリ・エコール・ノルマル音楽院だっけ?

T:はい。エコール・ノルマルの6eme Division Execution=最上級演奏家ディプロマという過程へ留学し、ジャン=マルク・ルイサダ氏のもとで勉強します。

S:留学にかける思いというか、何かやりたい事はある?

T:やっぱり作曲家たちが生きていた街ですし、クラシック音楽が生活に溶け込んでいる国だと思うので、街並みや文化、歴史に触れてその空気を感じたいです。

S:向こうでリサイタルやったりとかは?

T:いずれはやらせて頂ける機会があったらいいなと思います。6emeのExeは試験がリサイタルプログラム並みの演目だそうなので、良い準備になるかな。

S:何年くらい行くつもり? 

T:3年はいたいですね。

S:途中から生徒さんとか集まれば向こうで生活も出来るよね。

T:そうですね。でもまずは自分の勉強が一番かな。笑

S:さて、本日は留学前の忙しい時間にありがとうございました。留学で多くのものを得られるよう祈ってます。今度、一緒に何か演奏会やりましょう。

T:ぜひやりましょう、今日はありがとうございました!
 
 
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こうして楽しく対談を終え無事に渡仏した武田さんから、新たにメッセージが届きました!
 
 
~パリに留学して~

パリに来て半年が経とうとしています。パリに来てからの生活は一分一秒が宝物。感じること、考えること、想うこと、感動、刺激が多すぎてなんとなく過ごす日なんて一日もありません。

偶然ですが、今住んでいるアパルトマンの近くにはショパンが生前住んでいた家が4つもあります。パリにはショパンやドビュッシー、サン=サーンス、フォーレ、サティ、フランクなど、沢山の作曲家たちの足跡がいたるところに残っています。縁の場所を訪ねた時に感じる、楽譜を通じてしか出会えなかった作曲家たちがたしかにここに生きていたんだという感動は言葉になりません。また、伝記や音楽史という本の中の出来事を立体的に感じることができ、果てしないイメージが広がる瞬間です。

ルイサダ先生はピアニストとしてご活躍なさっている方でお忙しいため、門下生が7人と少ないので、自分以外のレッスンも聴講するマスタークラス式なのですが、門下の先輩たちがあまりにも素晴らしい演奏をなさることにも刺激を受けています。ルイサダ先生のレッスンからは、音楽に対する様々な感覚が宝石箱のように湧き出てきます。

コンサートを聞きに行ったり、バレエを見に行ったり、美術館へ出かけたり、インスピレーションや胸が震えるほどの感動を得る機会も多く、この素晴らしい環境で勉強できることに感謝して、この時間が音になっていくように、今の私にできる100パーセントを使ってできる限りのことを吸収したい、勉強したいと強く思います。がんばります!

武田 梢
 
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武田さんの今後のご活躍をお祈りし、皆様の応援をお願いして今回の対談を終了させて頂きたいと思います。
  
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◆武田梢 プロフィール◆

武田 梢(たけだ・こずえ)/ピアノ

1986年秋田県秋田市に生まれる
秋田大学教育文化学部附属小学校、秋田大学教育文化学部附属中学校卒業
ABS秋田放送より取材を受け、“特集:シリーズ旅立ち~15歳の決断・夢はピアニスト”が放映される

2002年東京音楽大学付属高等学校にピアノ演奏家コースとして入学
同校在学中、実技成績優秀により、同校出身のピアニスト小川典子氏より特別レッスンを受講(高2~高3)
並びに、モスクワ音楽院教授セルゲイツ・ドレンスキー氏より公開レッスンを推奨生として受講

2005年東京音楽大学にピアノ演奏家コースとして入学
同校在学中、フランス国立音楽院教授ジャック・ルヴィエ氏の国際音楽セミナーを推奨生として受講並びに修了コンサート出演
特にS.ラフマニノフ、K.シマノフスキに於いて高い評価を得る

これまでに全日本学生音楽コンクール東京大会入選、ピティナピアノコンペティションソロ部門B級C級D級E級・デュオ部門初級中級にて優秀賞受賞、全日本ジュニアクラシック音楽コンクール入賞、秋田市民音楽コンクール第一位並びに文化団体連盟賞、秋田県青少年音楽コンクール最優秀並びにグランプリ受賞(大会初)日本ショパン協会主催、青少年のためのショパンコンクール金賞並びにカワイ奨励賞受賞(史上最年少)アジアクラシック音楽コンクール新人賞受賞

2009年秋よりフランス、パリ・エコール・ノルマル音楽院ディプロマコース6eme Division≪Execution≫(シジエム・ディヴィジオン≪エグゼキュシオン≫=最上級演奏ディプロマ)へ留学、ジャン=マルク・ルイサダ氏のもとで研鑽を積んでいる
 
武田梢BLOG
  
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02:28 | sumi | ■演奏家対談シリーズvol.2 武田梢~後編~ はコメントを受け付けていません
2010/03/09

前回の対談から随分と間が空きましたが、演奏家対談シリーズ第2弾は、大学の後輩でもありピアニストとしてフランスに留学中の武田梢さんをお迎えしました。対談は留学直前に行われ、期待と不安に胸いっぱいの若き才能の胸の内に迫ってみました。
 
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~楽器を始めたきっかけ~

鷲見(以下S):まずは楽器を始めたきっかけからいきましょうか。

武田(以下T):はい、よろしくお願い致します。
 母がクラシック音楽を聴くのが好きで、家ではいつもクラシック音楽が流れていました。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ「月光」が大好きで、いつか弾いてみたいと強く憧れていたことを鮮明に覚えています。3歳の時、ピアニストの方が月光を弾いている番組を見て、この曲を弾いてみたい。ピアノを習いたい。と自分から両親にお願いしました。
 また、日本音楽コンクールの覇者であり、今や世界を舞台にご活躍中のピアニスト、佐藤卓史さんが同郷で小中学校と同じだったのですが、幼い頃から親しくして頃から親しくして頂いており、私はいつも卓史さんの演奏に憧れ、尊敬してきました。身近なところに素晴らしいピアニストがいて下さったため、コンクールに出た高校から親元を離れ音高に進学したのは、ごく自然な流れでした。

S:3歳で!早いね~。ピアノはもともと家にあったの?

T:なかったので買ってもらったのですが、最初はアップライトピアノでした。

S:そうだったんだ。入門編だね。

T:教わるのも最初は通っていた幼稚園の近くの、小さなこどもに教えている先生でした。

S:基礎からやった訳だ。

T:そうですね、でも音符が大きい簡単な楽譜を渡されても練習する気にならなくて、自分の弾きたい曲ばかり弾いていました。それこそ月光をハ長調に直して弾いたりしていました。笑
  
 
~コンクールについて~

S:で、新しい先生にはいつから?

T:小学校に入ってから今でも秋田に帰ると教わっている若松マキ先生に師事するようになりました。

S:コンクール受け始めたのは小学校から?

T:小学校1年生から受けるようになって、4年生の時、学生のためのショパンコンクールで1位を頂き、学生コンクールでも入選しました。でも、小学校高学年になるにつれ、コンクールが嫌になってしまった時期もありました。

S:なんで?

T:ピアノは好きだったんですけど、コンクールのプレッシャーというか…

S:あ~なるほど。小さいのに変に背負い込んじゃったんだね。

T:音楽が、ピアノが大好きなはずなのに、コンクールのためにピアノ弾いてるのかなって悩んでしまって…。
 だけど、小学校6年生の時、ナウム・シュタルクマン氏のコンサートで、ピアノをはじめたきっかけとなったベートーヴェンの「月光」を聞き、やっぱり私はピアノが好きだ、と再確認できたと同時に、音楽を追求するために弾いていこうと思えるようになりました。
 巨匠シュタルクマン氏の奏でる月光は、ベートーヴェンとシュタルクマン氏の人生を感じたほど、悲しく、優しく、静かでありながら強く美しい演奏で、強い感動と衝撃を受けました。会場にいたほとんどの人が涙を流して聞いていました・・・あの日、舞台に立って演奏することの意味がわかった気がします。
 いつか、作曲家と対話し、自分の内に向かい、音楽に向かい、そして聞く人々の心に訴える、あのような演奏ができるようになりたいと強く思うようになりました。
 でもホント、子供ってあやうい生き物ですよね。今みたいに自我が出来ていれば、コンクールも自分のためになるって思えるのに。

S:個人的には政治的要素も大きいし、音楽に点数つけるコンクールの存在自体に反対だからなあ、何ともコメントが難しいところだね。そこまで考えられる先生との出会いが大事になるね。
 

~一人暮らし~

S:東京に出てきたのはいつ?

T:レッスンに通うようになったのは中学2年生です。

S:一人暮らしは中学3年から?

T:高校1年生からです。

S:東京音楽大学は附属高校から?

T:はい。

S:東京に来て違うなあと思ったことは?

T:落ち込んだ時や悲しい時に、実家にいた頃はおいしいご飯が出てきて、あったかいお風呂があって、家族とも話せて気が紛れていたのに、一人暮らしだと家に帰って来ても冬は寒いし、疲れていてもご飯は作らないといけないし、何だかさみしかったです。笑

S:ははは。

T:東京に来て家族のありがたみがわかりました。

S:良い言葉だ!! 笑

S:一人暮らしだと、料理は外食?

T:自炊ですよー♪

S:節約生活?そうなんだ~。料理得意?

T:そうですね、高校生から一人暮らしをしていると一通りは作れるようになります。和食も中華もイタリアンもフレンチも。

S:一番得意なのは?

T:うーん、なんだろう? カルボナーラ、ハンバーグ…和食だと肉じゃがや出し巻き卵、中華だと酢豚、チンジャオロース…でも、冷蔵庫にあるものでパパッと作るのが一番得意かも。笑。あとブラウニーとプリンは自分でも美味しいと思います。笑
 
 
~好きな作曲家、曲~

S:好きな作曲家と好きな曲は?

T:沢山いて選べないですよね…。ショパンもリストもシューマンもブラームスもラヴェルもバッハもモーツァルトもベートーヴェンも好き。ラフマニノフ、シマノフスキ、プロコフィエフなど、雪国の人というか、雪が見える曲を書く人も好きです。

S:俺の感覚からいうとシベリウスなんかもそうかな?

T:そうですね!そうそう。

S:この前シベリウスの曲やったんだけど、指揮者が「シベリウスは一見退屈に感じるけど、ほんの一瞬、たまに素敵なところがあってね、そこが彼の良いところだと思います」って言ってた 笑

T:あはは、シベリウス天国で泣いていますね。笑

S:好きな曲は?

T:ものすごく沢山あってあげきれないほどですが、それこそシベリウスのヴァイオリンコンチェルトは大好きですね。ヴァイオリンコンチェルトといえばドヴォルザークのロマンスf mollもすごく好きです。もちろんピアノ曲にも好きな曲が山ほどあって、よく聞きますけど、ヴァイオリンやチェロ、交響曲も多いかな。ピアノは音域が広いですし、いろんな楽器の音を出していけるようになりたいです。

S:感受性豊かっぽいよね?

T:よく言われます。笑。コンサートに行っても絵を見ても涙が止まらなくなりますし、うれしくても悲しくても感動してもすぐ涙が出ますし…。ふとした瞬間の中に色々と感じる気持ちや見える景色、色彩や曲もありますね。

S:嫌いな作曲家は?

T:特にいないです。ただ、現代曲はちょっと苦手かな・・・

S:表立って言わないけど多くの演奏家がそうだとは思うよね。良い曲もたまにあるんだけど。

作品やメロディーが出きっちゃってる感があって、作曲家が可哀想な時代だとは思うよね。

T:そうですよね。

S:話が危険な方向にいきつつあるので、この話題はこの辺にしときましょう。
  
 
~練習~

S:練習は好きですか?

T:好きですよ、ピアノを弾くことが好きなので。ちゃんと練習する時間と、好きな曲を自分のために趣味で弾く時間とあります。
 趣味で弾く曲はシューマンのトロイメライやラフマニノフのヴォカリーズ、エレジー、シベリウスの樅の木、グリーグの風の精、ラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌ、フォーレのパヴァーヌ、ショパンのノクターンやプレリュード、マズルカなど、譜面はそんなに難しくなくても、心に染みわたるような小品が好きですね。

S:俺は練習を苦にしなくなったの最近だよ 苦笑

T:私は1日弾いていても平気です。涙が自然と流れる感覚というか、言葉にならない気持ちを音に託すというか…。特に悲しい時ほどピアノ弾きますね。そんな時に限ってピアノってすごく優しい音がしたりするものですよね。

S:おお、カッコイイ 笑

T:ピアノを弾くことと泣くことが似ているなぁと思うのは、言葉にならない気持ちとか想いとか、言葉に表現できない悲しみとか喜びが、泣きたいわけじゃなくても涙になって自然にこぼれてしまうように、言葉にならない気持ちとか心とか音に重ねてこぼれた方が自然な気がするから…。

S:先日のリサイタルはどんな感じだったの?

T:今回はショパンとラフマニノフがメインにプログラムを組みました。ピアノのための作品を数多く残し、また優れたピアニストであったショパンとラフマニノフは、多くのピアニストにとって特別な作曲家であると思います。
 ショパンが祖国ポーランドを離れ、パリに出たのは22歳の時。また彼がパリで初のリサイタルを行ったのが22歳ということから、今22歳である私の心を重ねて奏でられるよう、ショパンが22歳の時の作品である「別れの曲」を取り入れて、彼らしい詩のような音楽を選曲しました。
 現存する録音も数多くあるラフマニノフは、ピアニストとしても敬愛している作曲家です。ラフマニノフは22歳で交響曲1番の初演に失敗し、極度の神経衰弱に陥りますが、それを乗り越え数々の傑作を残しています。
 ラフマニノフ最後のピアノ独奏曲となった“コレルリの主題による変奏曲”を中心に思い入れのある小品を組み合わせ、第1部では、ショパンとラフマニノフという私にとって特別な作曲家に焦点をあてた、また、ピアノという楽器の多角的な魅力を楽しんで頂けるようなプログラムになったのではないかなと思います。
 第2部では同い年のヴァイオリニスト、鍵冨弦太郎くんをゲストに迎え、フランス系ヴァイオリンソナタの最高傑作と言われているフランクの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」を演奏しました。

S:作曲家と自分を重ね合わせたようなプログラミングだね?

T:そうですね。

S:22歳、節目と捉えてる訳ですね。リサイタル前に誰かの録音を参考にしたりする?それとも自分でイメージを作るまでは聴かない?

T:最初は楽譜だけですね、初見が得意なので、まずサラッと弾いてみます。初めて弾いた時に自分が感じた感覚はとても大切だと思います。参考というか、ショパンはルービンシュタインの演奏が本当に好きなので、日頃からよく聞いています。

 
(続きは後編へ・・・・)
 
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◆武田梢 プロフィール◆

武田 梢(たけだ・こずえ)/ピアノ

1986年秋田県秋田市に生まれる
秋田大学教育文化学部附属小学校、秋田大学教育文化学部附属中学校卒業
ABS秋田放送より取材を受け、“特集:シリーズ旅立ち~15歳の決断・夢はピアニスト”が放映される

2002年東京音楽大学付属高等学校にピアノ演奏家コースとして入学
同校在学中、実技成績優秀により、同校出身のピアニスト小川典子氏より特別レッスンを受講(高2~高3)
並びに、モスクワ音楽院教授セルゲイツ・ドレンスキー氏より公開レッスンを推奨生として受講

2005年東京音楽大学にピアノ演奏家コースとして入学
同校在学中、フランス国立音楽院教授ジャック・ルヴィエ氏の国際音楽セミナーを推奨生として受講並びに修了コンサート出演
特にS.ラフマニノフ、K.シマノフスキに於いて高い評価を得る

これまでに全日本学生音楽コンクール東京大会入選、ピティナピアノコンペティションソロ部門B級C級D級E級・デュオ部門初級中級にて優秀賞受賞、全日本ジュニアクラシック音楽コンクール入賞、秋田市民音楽コンクール第一位並びに文化団体連盟賞、秋田県青少年音楽コンクール最優秀並びにグランプリ受賞(大会初)日本ショパン協会主催、青少年のためのショパンコンクール金賞並びにカワイ奨励賞受賞(史上最年少)アジアクラシック音楽コンクール新人賞受賞

2009年秋よりフランス、パリ・エコール・ノルマル音楽院ディプロマコース6eme Division≪Execution≫(シジエム・ディヴィジオン≪エグゼキュシオン≫=最上級演奏ディプロマ)へ留学、ジャン=マルク・ルイサダ氏のもとで研鑽を積んでいる
 
武田梢BLOG
  
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10:35 | sumi | ■演奏家対談シリーズvol.2 武田梢~前編~ はコメントを受け付けていません
2010/02/26

連載が滞ってしまって申し訳ありません。

JunkStageにコラムを書くようになってもう3年くらいになるのでしょうか。

最初は演奏の世界から引退した立場で、離れたところからクラシックの客層を広げる為尽力したいという気持ちで参加していました。ですから「もう失うものはない」とばかり思ったことをそのまま文章にしていました。

それが、演奏の世界に復帰してからは「演奏依頼を頂く」という立場を考えると正直書けないことも増えましたし、日常的に「私程度のレベルの演奏者が偉そうに何かを語って良いのだろうか」という念にかられてもおり、文章を書いては破棄する毎日。この1ヶ月も10近い記事を破棄しました。自身のブログもやっている関係上、出演した演奏会に関してブログと同じ記事を書く訳にもいかず、最近は非常に悩んでいました。楽しみにして下さっている方々、そして編集部の皆さんには大変ご迷惑をおかけして申し訳ありません。

今後なんですが、対談を挟みつつ、私の生い立ち「紆余曲折伝」を、周囲に迷惑をかけない程度に少しずつ書いてみようと思っています。それから、皆さんからの質問に答える「音楽の質問箱」コーナーを設けようと思っていますので、宜しければ音楽関連でもそれ以外でも結構ですから、私に対する質問がある方はJunkStage編集部までお便り下さい!!

 
JunkStage開始当初からのメンバーとして、クラシック音楽普及のためこれからも何とか続けていきたいと思っていますので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。

鷲見精一

11:56 | sumi | ■連載について はコメントを受け付けていません

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