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2013/08/31

グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち
【GOOD WILL HUNTING】1997年

節目になると、ふとこの映画を思い出すよう。
そして、いつも題名より、映像が目に浮かぶ。

DVDを見なおし始めて、おやっ、と思う。
このコラムで取り上げたことがあるような。

やっぱりあった。ちょうど3年前。
グッド・ウィル・ハンティング/天才であること

この時はベン・アフレック演じる友人チャッキーの言葉がいいな、と思った。

50年後の俺たち、俺は今と同じ(このクソッタレな)環境にいてもいい、
でもお前は違う、お前には違う舞台がある、と。
他のことは知らない、でも、それだけは知っている、と。

『50年後』の時間の感覚はマット・デイモン演じるウィルの口からも出てくる。

ある日仲間とハーバード大学が多く集まるバーに飲みに行く。
チャッキーが女子学生に声をかけると、
横からいわゆるインテリ男子学生が、労働者連中にはない知識だろうとタカをくくり、
チャッキーに論争をふっかける。

教科書丸暗記の知識を、ウィルがこれまた見事な丸暗記ぶりでまくし立て抑えこむ。
そして言う。

あたかも自分の考察のように ひけらかすのが趣味?
女にモテたくていた俺の友達をコケに?

50年後 お前のような男は やっと自分の頭で考えて こう悟る
“人の文章を盗むな”
盗みたきゃ 15万もの授業料を払わず 図書館で盗める

すると男子学生は言う

だが学位はもらえる
僕は出世、君はレストランのウェイター

ハハハっっ、ウィルは笑って答える。

だが(俺は)自分でものを考えている
Year, maybe, but at least I won’t be unoriginal.

そして
文句があるなら表へ出よう

と労働ゆえ鍛えられた労働者の得意分野で脅し、話をしめる。
ブラボー、文武両道、ぐうの音も出せない。

not be unoriginal = be original

本を読んだり映画を見たりして、こうやって人の言葉を拾っていると
コピペ人生だなぁ、と気がつきつつある最近の自分には、なかなか刺さる言葉。

そしてふと思う。
やっぱりウィルも50年後を見据えるの?

大学生と同じ歳ぐらいなら若くても18歳、50年後なら68歳。
労働者のひとくくり、変わらない、抜け出せない一生が50年という単位なのかしら
と、
だからチャッキーもウィルに50年後のお前、と言ったのかしら
と。

ちなみに男子学生のセリフは『俺は出世、お前はウェイター』のセリフは
原文だと、お前の将来なんて、俺の家族のスキー旅行に立ち寄ったドライブスルーで、
俺の子供達にフライドポテトを売ってるのがせいぜいだ、になっている。
You’ll be serving my kids fries at a drive through on our way to skking trip.

出世、なんて一言も言ってないが、家族もいてスキー旅行にも行けるステイタス
=成功者→出世、という訳。

これまた授業料が高くて学問を学校で学べない労働者階級の現実が
そのままセリフとなって浮き彫りになっている。

知識、というものに対しての辿り着き方には決して気持ちに違いがないものの
学校、というものの役目が大きい。
ウィルが言うように図書館の書物から知識を得ることはできる。
でも広がり切らない限界があり、学校にはそれがあり、
グッド・ウィル・ハンティングはそういう話。

最近見たインド映画の『 きっと、うまくいく 』にも同じテーマがあった。
『 きっと、うまくいく 』を見たから、ウィルを思い出したのかもしれない。

好きこそ物の上手なれ、
好きという純粋な欲が、才能によって得る二次産物の名声とか財産とか、の欲に勝れば
才能は得手としてうまくいく。

副産物として恩恵を受けるのなら、それは次の誰かの才能の為に渡してしまえば良く
そうやって(もうだいぶすぎちゃったけど)50年をすごすのは素敵だなぁ。

04:42 | masaki | グッド・ウィル・ハンティング/50年後のオリジナリティ はコメントを受け付けていません
2013/08/29

節目、というのは突然やってくる、

ように見えて、意思を持っていれば、
それは淡々と、そして確実にやってくる。

長いリサーチ期間の末、ある日ぽっと思い描いていた理想のジャケットが目の前に現れ
長いリサーチ期間があったからこそ迷うことなく躊躇することなく
衝動買いをしたかのごとく、手に入れるのと似ている。

でもそれは決して衝動的ではなく
獲物を狙い、追い詰め一瞬のチャンスを逃さない、
野生動物的なハンターのようなもの。

まぁ、そこまで大げさで立派なことではないけれど
割と自分の行動パターンが、じっと地中で春を待つ草花の種だったり
せみの幼虫的だったり、というのは知っていて
だから今、動く瞬間は衝動的なのに、後悔、というものをあまりしない、のだと思う。

アメリカに行くと決めた時、高校2年生の春休みにアメリカに短期留学するまで、
大学へ行く意味が分からず、得意な科目から自分の将来が描けなかった矢先の
目から鱗の新しい世界。帰って来てからほとんど迷わず留学することを決めていた。

NYに移った時は確かにただ彼氏について行った形で、まぁ若かった。
結果論だが、果たしてボストンでの就職先に限界があるのでは、と思っていた私に
思ってもみなかった選択肢がふってきたのは確か。

日本に帰国を決めた時も、これまたその時の彼氏が最後の後押しをした形だったけれど、
それまで両親も兄弟も家族と呼べる人たちが日本にいるのに
離れてアメリカにいる意味はどれだけあるのだろうか、
と考え続けていた上でのタイミングだった。

多分、やっぱり、アメリカの文化は理解はしてたけれど
生活をするのならば、四季が豊かな慣れ親しみ育った日本が好きだったのだと思う。

そして何よりも日本語でデザインをする会社にいるのに、
本場日本での経験がなく、日本の印刷のクオリティの高さに
この業界にいるならばちゃんと本場を知りたい、と思った訳で。

それはまるでフランス料理人やイタリア料理人が
本場ヨーロッパに修行に行くという感覚だったと思う。
私の場合、完全逆輸入、ですね。

日本で1つ目の職につき、そこから転職した時の最初の動機は、
『仕事の辛さ』や『人間関係』。冷静に考えれば、そんなことどの職場にいってもある。
『今の現状が嫌だから環境を変える、ということはやめよう』と思ってからなんと2年
自分が何に満足してなくて、何をしたいのか、客観的になった上での転職活動から
とんとんトン、とモノゴトが決まった。

そして今の会社に早7年、長い間意識して避けてきた、そう、避けてきた!
外資の仕事をこの1年担当してみて、
英語を使い英語の文法で考え、英語の文化で物事を動かすようになって、
自分の得手不得手が浮き彫りになり、やりたいことやりたくないこと、克服したいこと、
が箇条書きにされ、頭の中でいろんなものが分解され、組みたて直されてきた。

これは次の目標に向かって、『節目』を待つ体制。
でもただぼけっとしている『待つ』ではなく、『うかがう』。
英語だと、単に『wait for opportunity』より『wait for the right opportunity』と
『好機』をうかがうってこと。

冷静に考えると、ちょっと待ちすぎかもしれない、のは課題ごとだけれど
これしかできないのも、私の本質。目的に達するのならば、良しとしよう。

02:51 | masaki | 節目/wait for the right opportunity はコメントを受け付けていません
2013/07/31

今、会社用に使っている鞄は、数年前ポルトガル旅行に行った時に購入。
A4がすっぽり入って、仕切りで3パーツに分かれていて、
さらに両サイドの2つがジッパー付きで閉じることができる。
真ん中はマグネットで止まり、左右のポケットが閉じれるようになっている、

もう7年にもなるので、はしばしが擦り切れてきて、さすがにくたびれてきた。

その前に使っていた鞄も同じくA4がすっぽり入って、仕切りで3パーツに分かれていて、
左右もジッパー付きで閉じることができた。

このタイプが一番使いやすい。

こちらは日本に帰国後、初めてアメリカに帰った時に、
住んでいた頃よく通っていたグリニッジビレッジの鞄屋で買った。
よく、と言っても、ふらりと年に1回、でも数年、という感じ。

面白いことに、何があるかなんてそのお店に行かないとわからないのに
行く時の気持ちは、いい鞄を探しに行く、ではなく、すでに『鞄を買いに行く』。

つまり、その日どんなカバンがあるかわからないけれど、
まるで魚屋とか八百屋で買い物するみたいに、その日にある鞄から
気に入ったものを選んで買う、ってこと。

その鞄屋は、いろいろなメーカーの革の鞄を取り揃えている
いわゆるセレクトショップのようなお店。
不思議に、今日は買うものがない、と外れることがなかった。

カバン自体それほど多く持っていないが、少なくとも4つは確実にそのお店。
4回、もしくは4年は通った、ということ。

今、新しい鞄が欲しいな、とは思うものの
あのお店のような、行けば何かある、という鞄屋に出会えていない。

そんなお店に出会えるのはまれ、と分かってはいるものの
どこかにないかしら、とやっぱり思う。

ホント、どこかにないかしら?

11:10 | masaki | 行けば気にいる鞄がある、そういう革の鞄屋 はコメントを受け付けていません
2013/07/30

月に囚われた男
【MOON】
2009年 同僚のすすめでビデオで見る。

先日、と言っても少し前だが、トム・クルーズ主演の
オブリビオン【Oblivion】を見た。見終わって、ストーリーの展開や
圧倒されるCGでの見事な情景、と見え方は異なるものの、大元の発想とコンセプトは
『月に囚われた男』と同じじゃないかしら?と感じ見直してみる。

必要なエネルギーを月で採掘し、それを地球に送るため、
3年間の任務で単身月で働くサム。唯一の会話は、基地のこと、
サムの身の回りのことを全てこなすガーティ【Gerty】と呼ばれるロボットとのみ。
通信機の故障から地球とはライブで連絡を取り合うことができず、
ビデオレターのやり取りだけが他の“ヒト”との交流手段。

自分がこの環境にいたら、気が狂いそうである。
3年という時間は短いようで、ヒトが一人ですごすには長すぎる。

ちなみにガーディの声は、オープニングにクレジットが出てくるがケビン・スペイシー。
特徴ある声なので、すぐ分かる。

あと2週間で地球に帰る、という期間に入り、サムは採掘場で事故に遭う。
そして幻覚なのか現実なのか、基地に自分以外の男が現れる、、
というところから話が始まる。

果たして、最終的なメッセージは『月に〜』の方が社会に訴えている要素が多いが
ひょっとしたら近い将来、私たちのまわりで起こりうるのでは、という本筋が
オブリビオンととても似ていた。ネタバレになるので、そのテーマは映画で見て欲しい。

『月に〜』独自の面白いところ、と言えば
その3年という孤独な過酷な日々が、サムに自分自身を振り返させ、反省させ、
すぐに頭に血がのぼるタイプから、他人への思いやりを持つまでに変換されたことが、
後半の会話や各シーンのシチュエーションから読み取れるところ。
2度目に見て気がついた。

その変化が分かるシーンの一つで、
特に大きな事ではないがちょっと気になった言葉。

どうにもこうにも、この基地はおかしい、
『俺たちの知らないエリアがあるはずさ。見つけるぞ。』
と意気込み基地の中を探索し始める男に
達観したのか慣れなのか、特段慌てずサムが冗談交じりに答える。

===

財宝も見つかるといいな
Yeah, maybe you’ll find some buried treasure, too.

===

単純に、財宝は、“buried” されていて、埋もれているから財宝なんだな、と。
埋もれているからには、誰かが埋め、
埋めるに至るには誰かが財を集めなくてはならない。

宝に等しい言葉で、gold mine という言葉があるが、金鉱、と
自然に出来あがっている宝の山的な意味が強い。

それに比べるとtreasureはとても人為的な産物なのだなぁ、と思う。

何もない月の基地に、一体誰がどんな財宝を隠せるのやら、
単に茶化して言ってる言葉だけど、すでにサムはすみずみまで探し済みで、
探せるなら掘り当ててみろ、的な、彼の気の長くなるような3年間を感じる一言でした。

04:50 | masaki | 月に囚われた男/集めるから財宝となる はコメントを受け付けていません
2013/06/30

最近読んだ アーシュラ・K・ル=グウィン【Ursula K. Le Guin】の
『空飛び猫【Catwin】』の一節にこんな文章がある。

===
「お母さんはここを出て行きたいとは思いません」とタビーお母さんは静かに言いました。「私はここで生きていきます。ゆうべトム・ジョーンズさんが私に、結婚の申しこみをしました。私はその申しこみを受けるつもりです。そうなると、子供たちは邪魔になるのです。」

子供たちはみんなしくしく泣きました。でもみんなにはわかっていました。猫の親子にとってはそれが当たり前なのだということが。子猫たちはまた誇らしくも思いました。これなら大丈夫、もうちゃんと独り立ちできるとお母さんが認めてくれたわけですから。
===

何故自分の子供たちに羽が生えて生まれたのかがずっと分からなかった
お母さん猫ジェーン・タビー【Mrs. Jane Tabby】が、ある日犬から逃げるために
ふわっと飛んだ一番ちび猫のハリエット【Harriet】を目撃、環境の悪いこの街を出て
もっと良い地へ飛んで行くための翼だと悟り、子供たちに旅立ちを促す。

気になったのは『子供たちは邪魔になるのです。』と言い切り
子供たちも『猫の親子にとってはそれが当たり前』というところ。

この本は猫の家族の話であるけれど、読み手は人間の子供である。
原作が1988年(アメリカ)、村上春樹氏の訳本が1993年。

正直な印象は、猫一家の話とは言え、
再婚するから前の旦那との子供は邪魔なのよ、だからあなたたちは自分たちで生きなさい
ということかしら? 子供たちを旅立たせたいとは言えそんな表現でいいの? と驚いた。

1988年、まだ日本にいた自分のまわりには『お母さんだけ』『お父さんだけ』
という家族が少なく、たまに病気で、という話を聞くことがある程度の環境。

もともとそういう話題に疎い、という性格と、多分本当にまわりに少なかった、
という環境のせいか、『離婚した』『再婚した』という話題は
1991年にボストンの大学寮の生活を始めてから聞くようになる。

私のように両親が生まれた時から一緒(というのでしょうか)という友達と
両親が離婚して、再婚して、家族構成が変わった、という友達が半々ぐらいに。

最初親が離婚して、再婚して、と聞かされ、なんと答えて良いやら、と戸惑った。
それが、何か情をもった返答を求められ言われていることではなく
単に情報として伝えられていること、つまり家庭にはそれぞれの形がある、
と理解してからは、聞いてもあまり気張らなくなった。

(この話は深いので今回はここまでに留めます。いつか言葉にできる時が来るまで)

その時と同じくらいの気持ちでこの一節は割と重く響いた。

だから原文を読むことになったら、
そこがどういう風になっているかを確認しよう、と思っていた。

===
“I have no wish to leave,” said Mrs. Tabby quietly.
“My work is here. Tom Jones proposed to me last night, and I intend to accept him.
I don’t want you children underfoot!”

All the children wept, but they knew that that is the way it must be, in cat families.
They were proud,too, than their mother trusted to them look after themselves.
===

すぐには意味がわからなかったが『underfoot』がポイントに違いない、
と調べてみる。

underfootは副詞で『足元に』という意味、
leave ~ underfootは~を足元に残す、という意味。

子供たちが母親や大人の“足元にいる”=“まとわりつく”=“邪魔をする”
の意で多く使われている。

可愛い子には旅をさせよ、ライオンは子供ライオンを谷に突き落とす、というように
タビーお母さんは何としてでも子供たちを旅立たせたかった。
だから『邪魔になるのです』、と。

そしてそもそも、新しい旦那トム・ジョーンズとの新生活はただの口実にすぎず
離婚だ、再婚だ、なんて話は私の取り越し苦労であった。

けれど、人間に当てはめると当たり前ではないから
『猫の親子のとってはそれが当たり前【that is the way it must be, in cat families】
の一文が入っているならば、この箇所はやっぱりそうそう楽観的な事ではない。

訳者の村上春樹氏に葛藤があったかは分からないが、
1993年の私が訳していたら躊躇していたと思う。

そして躊躇した結果、最終的にタビーお母さんの心情を言葉にしたら
やっぱり『子供たちは邪魔になるのです』としていたとも思う。
だから今、この訳にたどり着く訳者という職の素晴らしさを思う。

参考)
村上春樹氏の訳書 『犬の人生』についてのコラムは こちら から

***
全く余談ですが、2年前に猫を火葬したら、
肩甲骨が綺麗に形が残ったままで、まるで羽のようだったことがある。

火葬場の人曰く、人間の肩甲骨は滅多に形は残らず、
犬や猫は時々あんな風に形が保たれることがあるそう。

多分その昔、こんな風に“羽”が残った、生前に人徳ある人がいて、
それが背中に翼“天使の羽”を持つ、天使誕生の由来かなぁ、
と思うほどそれは対になった、真っ白で大きなだ円を描く翼でした。

05:23 | masaki | 空飛び猫/猫の当たり前、ヒトの当たり前 はコメントを受け付けていません
2013/06/17

ワーキング・ガール
【Working Girl】
1988年

『ワーキング・ガール』と『プリティ・ウーマン(1900)』が
単なる女性のシンデレラ的サクセスストーリー映画、と、ざっくりした記憶だったけれど
いやいや、メラニー・グリフィス【Melanie Griffith】が演じる主人公のテス【Tess】は
努力のヒトでした。

昼休みには話し方教室【Speach Class】、
定時後には株式講座【Emerging Marets seminar】、
そして、学歴優先で選ばれる証券マン養成コース【the entree program】を
なんとか受けたいと思うけれど、結局は夜学と秘書養成学校卒、と馬鹿にされる。
【You’ve got some night school, some secretarial time on your sheet.】

アシスタントを探しているから、と紹介されたボブは仕事を餌にデートしたいだけ。

アシスタントの話はウソね
Bob, you’re not seriously looking for a new assistant, are you?
と問い詰めると
早急に求めてはいないが、いずれ…
Not at this moment. But I’m always on the lookout for new blood.
とごまかすボブ (ちなみにここだけの登場ですが、ボブ役にケビン・スペイシーが)

そんな彼にテスは言い放つ。

=====

テス: 見損なわないで
I am hungry, but I am not that hungry.

=====

この“that”がいい。やれることは、やるわよ。
でも自分の誇りを売ってまで言いなりになるつもりはない、という威厳。

テスは女性だったけれど、本来この志に男女の差はなく、そして時代の差もなく
働く、という面での自分と社会との本質的な境界線の意識と思う。

この後更に女性上司からの裏切りを受け、そっちがそうくるなら、と戦闘体制に入り、
シリアスな内容ながらも、コメディタッチで話は進んで行く。

この時代にすでに男性上司vs女性部下から
女性上司vs女性部下の時代に入っていたのだな、と
改めてアメリカと日本の女性の働き方の時差を垣間見る。

* * *

アカデミー主題歌賞を受賞したオープニング曲も印象的で、
自由の女神とフェリーからの通勤の雑踏とその音楽の組み合わせは忘れられない。

ボストンからNYに職を探して移ると決めた時に
私もああやって将来は船で職場に通うんだ!と思っていたし、
NYはフェリーじゃないと通えない、とも思っていた。

実際Wall Streetはマンハッタンのだいぶ南に位置していて、
コニーアイランドやニュージャージー州から通う金融関連の友達もいた。

私の職場はミッドタウンで、家は近くに、が基本で選んでいたので
ほとんど歩きで通い、憧れてたフェリー通勤には縁がなかった。
それなのにあの曲を聞くと自然とNYでの仕事時代を思い出す。

いつかまたNYを訪れ、Let the River Runを聞きながら、
頑張ってた日々に思いを巡らせ、ハドソン川の風に吹かれるのもいいなぁ。

10:38 | masaki | ワーキング・ガール/やり切るコトとやらないコトと はコメントを受け付けていません
2013/05/31

最近の関東近郊のパンケーキブームはすごい。
続々と“美味しいパンケーキ”が特集される。
そして、いくつも新しいお店がオープンし、人気店には何時間待ちする人の行列が。

美味しいものは好きだけれど、さすがにそこまで待てない。

そんな中とうとう私もリコッタパンケーキが美味い、というお台場のbillsに行ってきた。
もちろん1時間待ち、でも食べると決めていたので、頑張った。

感想は、やっぱりうまい!

でも今回はパンケーキが主なコラムではない。

billsにまた行こう!と思ったのは、卵メニューの方。
スクランブルエッグメニューがあると聞いていたが、
ちょうどディナータイムだったのでメニューには載っておらず。
思い切って店員さんに聞いてみたら、『終日朝昼晩関係なく、定番でありますよー』と。

確かに、パンケーキに卵は欠かせないから、作れない訳がない。
久々に夕食に卵料理を食べたら、アメリカ生活を思い出した。

アメリカにいた頃、平日の残業帰りや、友達と待ち合わせておしゃべりしたり、したのが
コーヒーショップ。しかも24時間開いている。
週末レイトショーに、飲みに、踊りに行っても、最後はコーヒーショップ。

そして定番は、1 egg, any style、卵1個をお好みの焼き方で。
定番はサニーサイドアップのオーバー!【Sunny Side Up, Over】
いわゆる両面焼き、か、スクランブルエッグ。

それにトーストしたイングリッシュマフィンかベーグル、たまにカリカリベーコン、
言わなくてもついてくる皮のママ乱切りし、玉ねぎと炒め塩コショウした多量のポテト、
そしていつまでもお代りができる、マグカップの熱いコーヒー。

美味しくもまずくもできないシンプルな料理なので、
どこのコーヒーショップに行っても外れたことがない。

書いているだけで、食べたくなってきた!

日本にいる今も、仕事で遅くなると、コーヒーショップがあるといいのにと本当に思う。
ないのなら、自分で開くか、と時々真剣に思う。

コーヒーショップとは違うけれど、最近オープンした、サラベス【Sarabeth’s】、
NYにもあって、サラベス・キッチンと言っていた気がするが、
確かあそこの卵料理も美味しかったはず。エッグベネディクト、とか!

パンケーキ屋にはうまい卵料理もあると知った今、
頑張って並んで、待って、食べに行ってみようかしら。

10:37 | masaki | パンケーキ屋とコーヒーショップと卵料理 はコメントを受け付けていません
2013/05/27

魔女の宅急便
【KIKI’S DELIVERY SERVICE】
1989年

最近、劇場公開の映画で、おもしろそう、見よう!、と思えるものがない。
映画タチが面白くないのではなく、私の見る気持ち、の問題と思う。

何度か劇場に足を運ぶものの、空振りで帰る。
どうしたことか。

始まりの時間が合わない、とか、上映が終わってしまっていた、とか、
たまたま行った映画館に目当ての映画がない、とか。
とにかくなんともない理由ばかり。

特に“2時間”を劇場で過ごす時間がないわけではなく、
単に現実が日々アクシデント続きで、その出来事が物語を超えていて、
今はドラマがいらない、ってだけかもしれない。

そんな時にぼーっ、と見るならジブリ映画の『魔女の宅急便』、、、の英語版、
“KIKI’S DELIVERY SERVICE”

NYにいた頃ビデオをみつけそれをよく見てた。
ビデオは2000年に発売されていて、もちろん日本語は入っていなかったが、
今はDVDになり1枚で英語も日本語も両方見れる。

思うに日本映画の英語版を見たのはこれが始めてで、
ひょっとしたらちゃんと魔女の宅急便を見たのはこの英語版からかもしれない。

何がいい、って、魔女は16歳になったら家を出て修行の旅に出る、ってところ。
誰も知らない街で新しい人に会い、自分の生活を積み重ねていくところは
自分の18歳を思い出させる。きっと状況は違えど誰にでもある時期。

辛い時もあるけれど、それ以上に未来への希望に満ちている。
他のジブリ作品にある、人類の危機、とか、種族の、とかそんな重い話は全くなくて
ただの港町の新しい生活、個人の葛藤、なところがいい訳で。

この英語版、細かくセリフを付き合わせていくと、かなり意訳が多い。
それが聞き取りやすく、わかりやすくて、『英語が分かる』感がもらえて楽しい。

例えばキキが魔法の力をなくし飛べなくなり、
絵描きのウルスラの住む森を訪ね、夜を語り合いすごすシーン。
物語としては重要なシーンで、やはりここも英語のセリフがものすごい意訳的。
けれど、それはそれでいいセリフ。

===

魔法って 呪文を唱えるんじゃないんだ
うん、血で飛ぶんだって
魔女の血か・・・ そういうの好きよ
魔女の血、絵描きの血、パン職人の血
神さまか誰かがくれた力なんだよね
おかげで苦労もするけれど

When you fly, you relay on what is inside of you, don’t you?
Mm-hmm. We fly with our spirit.
Trusting your spirit, yes, yes, that exactly what I’m talking about.
The same spirit is what makes me paint, and makes your friend bake.
and we each need to find out own explanation, Kiki.
Sometimes it’s not easy.

===

血はspiritとなり、spirit makes〜で神がかり的なものが表されているが
神様自体は出てこない。

GODはやはりクリスチャンの神様になり、
結局多宗教の国だと神様は精霊になり、
それって日本の八百万の神(やおよろずの かみ)と一緒だな、と。

単一民族と言われ、それ故視野が狭いと思われがちな日本が、
結局根底に八百万の神の文化を持っていることに改めて面白さを感じる。

ちなみに英語字幕だと割と日本語のセリフに忠実。
To fly, you don’t chant a spell or something, right?
Mm-hmm. We fly with our spirit.
The witch’s spirit? Perfect! That’s what I’m talking about.
The spirit of witch. The spirit of artists.
I suppose it must be a power given by God.
Sometimes you suffer for it.

すごくテンポも良く分かりやすい英語なので
DVDを持ってる方はBGMのつもりで、一度英語で見てみるといいと思う。

01:13 | masaki | 魔女の宅急便/KIKI’S DELIVERY SERVICE はコメントを受け付けていません
2013/04/30

ギター弾きの恋
【Sweet and Lowdown】
1999年 人生で最も体重が減った年

ウッディ・アレンの映画を好きな人はとことん好き、という友人が周りに多く、
いつも気になっていたけれど、映画館に行くチャンスがなかなかなかった。
食わず嫌いに近くて、なんか小難しそう、という思いが強かった。

それがある日突然ふらりと見に行くことになった。

アッパーウエストのリンカーンセンターの、
いわゆる日本で言う単館系を扱う映画館だったと思う。

そこを散歩していた、ということは多分セントラルパークの東側、メトロポリタン・ミュージアムから
公園を抜けててくてく歩いて来た帰り道だったのだと思う。

それとも、わざわざ調べて見にいったのか、、多分違う。

行き先はどこだったにしろ、どこかからの帰り道にたまたま映画館の前を通り、
三日月に乗ったギター弾きのポスターにつられ入ったらウッディ・アレンだった、
という具合だったと思う。

いろんな登場人物が主人公のギター弾きエミットに関してしゃべり
伝記のように進行する物語の中、更にエミットが早口でまくしたてる、という
言葉だらけの映画で、一瞬しまった、とも思う。

もちろん日本語の字幕なんてついておらず、結局何となく雰囲気だけを感じとり
最後は何だかいい映画だったな、と思って出てきた。

有名ギターリストエミットが口がきけないハッティに出会い
自分のペースを守りつつも愛情を注いで行く、そういう話。

原題のSweet and Lowdownに関しては結構解釈が難しいのだが、
映画を一通り見た後の私の中では、優しさと堕落と、ということにした。

そしてセリフひとつひとつに意味はあるだろうけれど、言葉あそび的要素が強い映画である。

その後いくつかウッディ・アレンの映画を見て、
とにかく『軽い話し言葉が好きな人なのだな』というのが思ったこと。

例えば、この映画の中盤、
エミットのマネージャー、シドが無駄遣いをやめろと忠告する場面。
なんだかんだと節約できないとしぶるエミットが思い出したように
これまた早口でまくしたてる。

=====

張り合って 100ドル札を燃やした
相手は70ドル 俺は200ドルを灰にした
バカだった

I had burned 100 dollars once, the guy ………. me ……..
He burned 50, I burned a hundred,
He burned 20, I burned another hundred
I could cut out

=====

この英語のセリフのテンポがいい。
字幕は最初からたしあげて相手が70ドル燃やし、俺が200ドル燃やした、と言ってるが
実際のセリフは、あいつが50ドル燃やしたから俺は100ドル燃やしてやった、
それでもあいつが(びびって)20ドル燃やしたが、
俺は(同じくまた)100ドル燃やしてやった!
と、得意げに言い、そしてふと気がつく。

ふむ、(俺はバカか)それこそ節約できるじゃないか!と本当の節約を決意する。

2回も燃やせば反省もする。

そういうアホらしくも切ない話と共に
俳優ショーン・ペンがおかしな口調と見事なギター弾きの手つきで進行する。

一言も声を出さないハッティ役のサマンサ・モートンの目力も印象的で
何度見ても一言もしゃべらないのに強烈な演技に感心する。

ただ、何故か私の記憶ではしゃべれないハッティが
唯一声をあげ大泣きするシーンがあるはずなのだけれど
そんなシーンは出てこず、記憶違いだったらしい。

※前回コラムに書いたのですが、この映画のDVDに英語字幕機能がついておらず、
残念ながら耳でも正確に聞き取れず、
the guy ………. me …….. の部分が未記入なことご了承ください。

11:36 | masaki | ギター弾きの恋/ウッディ・アレンの言葉あそび はコメントを受け付けていません
2013/04/30

アメリカにいた頃もそうだが、
いくら日常生活ができるようになったからと言って、
テレビ番組や映画のセリフ一字一句聞き取れるようになる訳ではない。

11年もアメリカに住んではいたけれど、最後まで英語は不得手なもので
日常的な会話や、表現が難しくないものは問題ないが、
法律もの、アクセントが強いもの、人間関係が複雑でそれを説明されたり
コメディものや、早口でまくし立てたり、言葉遊びでストーリーが成り立つものなどは
ほとんど意味がわからなかった。

もともと日本にいた時からテレビを見る習慣がなかったこともあり、
テレビ番組を見るのは面倒で、結局は今頃初めて海外ドラマの楽しさを知る、
ということになる。

一方映画は好きだったので良く見たが、理解力の状況は変わらず、
身振りや手振り、表情、そしてその後の展開からなんとなく言っている事を想像し、
ストーリーを楽しんだ。

だからその頃見た映画を改めて日本で字幕付きでみると、
大筋はあっていて、楽しむポイントにはそうズレはないが、
ところどころ記憶と全然違っていたりする。

けれどコラムに書く時はそうもいかない。
書くからには、そして書く理由がそもそも表現の違いなのだから
“こんな感じ?!”で進行するわけにはいかない。

最初に映画を見ながら英語のセリフを耳で拾い、
日本語字幕を目で見て、面白そう、と思うと
改めて英語の字幕表示に設定し、原文を確認する。

そんな作業をしていると、アメリカのテレビの機能に
『キャプション』というのがあったことを思い出す。

調べてみると正式には“closed captioning”と呼ばれる聴覚障害者及び難聴の人への
アナログテレビの文字多重放送、といものらしい。
そして、この文字表示はテレビ側にも表示機能がついていないと見ることができない。

私たち留学生の間では、この“キャプション付きテレビ”というのが
英語の聞き取りの勉強にもなるし、テレビ番組の内容もわかるので、
すごく重宝していた。

もし、海外ドラマや映画から英語を勉強したい、と思っている人がいるならば
ぜひこの英語字幕表示をうまく活用することをおすすめする。

まずは字幕なしで見て、そして次に英語字幕で見る、というのがいいと思う。
耳で聞き取れなかった言葉を一字一句照らし合わせられ、不明な単語は調べればいいし、
何よりも音として言語を覚えることができ、どんな状況で、
どんな表情や情緒で使われるかも分かり、それが体得への近道となる。

ところで、だが、たまにだけれど英語の字幕がないDVDがある。
今コラム用に調べているウッディ・アレンの『ギター弾きの恋』が正にそれ。

いくつか違う種類のDVDが出ているのでいろいろ調べて見たが
結局英語字幕の入ったDVDは見つけられなかった。
更に、英語のシナリオがどこかに落ちていないかWEB検索してみたけれど、収穫なし。

なので耳で聞き取り、日本語吹替を聞き情報を補い組み立てることに。
それほど重要ではない箇所とは思うが、もし、と思うと確実にはしたいところ。
果たして仕上げることができるのか、、かなり心配です。

02:25 | masaki | 英語の字幕で映画を見る/キャプション付きテレビ はコメントを受け付けていません

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