どういう訳か、最近よく財布を忘れ出勤する。
以前は定期入れもよく忘れて出かけた。
定期=電子マネーカードに慣れ、いつもならピッとすればパッと通れるのに
その都度切符を買わなくてはならない。
いったいどこまでがどう連絡線でいくらなのかと考えてるうちに電車を逃す。
何度か苦い経験をし、財布は忘れても定期は忘れないように、と
家の鍵と定期入れをセットにした。
そういう訳で、忘れる時は財布である。
年明け早々、休みボケなのか、
携帯よし、会社携帯よし、iPadよし、ハンカチよし、まで確認したのに、
財布よし!を忘れた。
気がついたのは、会社の最寄り駅に到着し、
朝ゴハンのオニギリを、正に今、買わんとする時。
しかしここはそんな慌てぶりは微塵も見せず、ピッ、とする。
駅周りのコンビニは便利である。
それからその日1日、お財布=現金がどこで必要かを考える。
外出は電車なので、まず問題ない。
昼は社食のプリペイドカードがあるし、おやつもコンビニなら、ピッで済む。
しかもオートチャージ機能付きのクレジットカードを定期にしているので、
帰りの電車代まで使い果たして帰れない、なんてこともない。
そこでハタと気がつく。
クレジットカード、あるじゃん。
そこで果敢にも同僚とランチに外へ出ることにした。
万が一カードが使えない場合は、1000円借りるね、と保険を張る。
トマトパスタ、コーヒー付きで890円。
割と頻繁に、カードの使用は2000円から、というお店があるので、
普段だったらちょっと高いんじゃない、と思う価格も安すぎに感じ、ドキドキである。
けれど、そんな心配をよそに、
大丈夫ですよー、と店員さんが、シュッとカードを通す。
1000円以下でカードを使ったのは初めてかもしれない。
ふと昔の記憶が蘇る。
NYにいた頃、スーパーマーケットのレジで並んでいたら、
前の女性がポテトチップス69セントだか、89セントだか、
とにかく1ドルに満たない額を、シュッとクレジットカードで支払う。
円換算したら、100円以下である。
額は10倍だけれど、ええっ、と驚いた、あの女性になった気分である。
しかし驚くのはそれだけではない。
その女性がレジに置いたのは、開封され、バリバリ食べ歩いてたポテトチップス。
つまり、棚からポテトチップスをとり、開けて食べながらレジに並び
それを今、購入中なわけである。
すでに在米5年以上は経っていたけれど
あらためてアメリカって国はすごいわ、と思う。
そして、いつか私もやってみたい事リストに、
この、開けて食べながらレジに並ぶ、が結構長いこと入っている。
年末になると、1年間どんな映画を映画館で見たかを振り返る。
今年はびっくりするぐらいに映画館に行かなかった、という印象だったけれど
単に前半に偏っていて、後半に行ってないだけの、印象の問題だった。
テッド【Ted】
馬鹿馬鹿しくて、でもちょっと芯がある映画は
単なる時間つぶしだけじゃない娯楽の良さを感じる。
無責任と楽しむことは違うけど、毎日気持ちをリフレッシュして
そして周りの有象無象も昇華してしまえるパワー、面白すぎた。
LOOPER/ルーパー【LOOPER】
時間の歪みの話は個人的に大好きです。
現実的ではないけれど、科学の進歩と一緒に出てくる疑問は
映画や小説に描かれ、いつか実現化される、という可能性を秘めているので。
アウトロー【Jack Reacher】
トム・クルーズかブラッド・ピットか、と言われると
演技的、と言うより作品の色的にトム・クルーズの方が好きです。
これはこれで、まぁ、うん、ハリウッドの流行り?という感想だったので、
ジャッキー・コーガンは見なかった。
フライト【Flight】
“ザ・ウォーカー”から私の中で印象がガラリと変わったデンゼル・ワシントン、
この映画も良かった。
社会のルールの“善”と自分の個性の社会的な基準で言うところの“悪”
ただのアル中の話なのに、この折り合いの付け方が豪快です。
ジャックと天空の巨人【Jack The Giant Slayer】
CG、の進歩を確認。ジャックと豆の木がこんな風に実写されるのも科学の進歩。
今が子供時代の世代にとってこれが普通になるんだろうなぁ、
でも、後の楽しみがない気がしてもったいない気もする。
オブリビオン【Oblivion】
2013年のベスト3です。ベスト2は前述の“フライト”。
コラムにも書いたけれど“月に囚われた男”があって
このオブリビオンがあって、という順番で良かったかも。
エンターテイメントってこういうモノだなぁ、というぐらい、映像も綺麗で
映画館で見ている間、どこにいるのかを忘れてしまった。
スクリーンで見て良かった映画。
31年目の夫婦喧嘩【Hope Springs】
今、老夫婦のセックスライフがテーマの映画を見るのもどうかと思うけど、
メリル・ストリープとトミー・リー・ジョーンズだからねぇ、見てしまった。
歳とった、いわゆる往年の二人がそのままな感じで素敵でした。
風立ちぬ
宮崎県監督の若かりし思い出かな、とか、
いろいろな作品での空を飛ぶことへの表現の原点かな、とか、緩やかに見た。
生きた記憶は、人の生き死にと共に長くて100年、そんな過程を感じた。
きっとうまくいく【3 Idiots】
2013年のベスト1。ロングランで絶大な人気で、それだけの評判の訳がある。
この映画を見て、“グッド・ウィル・ハンティング“を思い出し、コラムも書いた。
教育、知識欲、人間性。
尊敬される人になることは、ただ素直でいればいいだけかもしれないです。
クロニクル【Chronicle】
ベスト3に入れるには暴力的すぎるので、番外編特別賞、的に衝撃的でした。
“フライト”が大人の社会の善悪の話なら、子供の、高校生の社会が学校の中にしかない
その人間的な悪が剥き出しで、本当に怖く、もろく、悪だとしても純粋な悲しい話です。
これはすごすぎる。
ウルバリン:SAMURAI【The Wolverine】
外国人が好みそうな日本の描き方がベタベタで、気が散ってしまった。
ヒュー・ジャックマンファンじゃないと、乗り越えられない演出だなぁ。
ただ、真田広之はうまかった。
英語も、発音も、ちゃんと演技レッスンしてるんだろうな、と思う。
クラウド・アトラス【Cloud Atlas】
見る前の期待が大きすぎたのか、
私的には、何かボタンをかけ違った映画に思えてしっくりこなかった。
ソンミの話も、都度表現される人間的な葛藤もとても興味深く面白かったのに
トム・ハンクスとハル・ベリーで締めくくる必要があったのか、とか。
並べてみると、自分の関心がどこにあるのかが分かって面白い。
今年は社会の中の自分と、個性としての自分の戦いだったようです。
その結果はあるようでないようで。しばらく映画館とは離れていたので、
来年の初映画館で何を見るのか、それが楽しみです。
この間、サザンオールスターズの『愛しのエリー』を皆で歌っていて
ラララ、と口ずさむ帰り道にふと思い出した。
父方の叔母が英語の先生で
昔、『ラボ』なる子供向けの英会話教室に携わっていた時期がある。
ちょっと記憶が定かじゃないけど、多分『ラボ』、
教材がカセットテープの大きい版で
専用の再生機に上からがちゃんとはめ込むかたち。
夏になると、アメリカンスタイルの『サマースクール』があって
小学校と中学校時代に、少なくとも合わせて2回は参加した。
思えば私が英語と英語文化に初めて触れたのはココだと思う。
皆でバスに乗ってキャンプ場へ行く。
飯ごう炊飯はなかったような気がするけれど、
オリエンテーションみたいなアクティビティやキャンプファイヤーがあって。
行ったことはないが、きっと日本の臨海学校のようなもの。
ただ、英会話教室らしく、昼は英語のレッスンもある。
夜のキャンプファイヤーではギターが出てきて、英語の歌を歌う。
大人より子供に近い高校生か大学生ぐらいのお兄さんやお姉さんが
グループごとに1人ついていて、海外ドラマの中のベビーシッターのごとく
小学生や中学生の面倒をみる。
私や私の兄弟は夏だけの参加で、普段の英会話レッスンに行っているわけじゃないから
プチ転校生みたいなもので、毎回皆と仲良くなれるか
ドキドキしながら行った。
その移動中のバスで歌を歌う。
その中に『愛しのエリー』があって、カーブの多い山道を
右に左に揺られながら子供タチが皆で大合唱する。
他の歌は何も覚えていないのに、その曲と夏とバスの中だけ覚えている。
エリーと言うからには、そしてその曲に出会ったのが『ラボ』だったからか、
しばらく外国の歌だと思っていた。
愛しのエリーがサザンからリリースされたその10年後の1989年に、
レイ・チャールズ【Ray Charies】の『Ellie My Love』を、
カバーしたと知らずに聞いた時は「やっぱり外国の歌だったの?」と思ったもの。
そしてふと気がついた。
私がアメリカに留学しようと思ったのは、高校になってから、
と思っていたけれど、
実は随分昔から英語文化に触れていて、土壌があったのだなぁ、と。
ショーシャンクの空に
【The Shawshank Redemption】1994年
出会う人の8割ぐらいに好きな映画は、と聞くとそのまた8割ぐらいが
この「ショーシャンクの空に」をベスト3に入れる。
私自身は、まだ見たことがなく、
アメリカからの荷物にはVHS版があったのに、それは家の本棚で10年埃を被り
いつか、とも、その内、とも思いつつ今に至る。
“良い” と言われるものを見るタイミングは難しい。
それが最近何かのタイミングで、原作がスティーヴン・キング【Stephen King】と知り
ちょうど彼の児童書『ドラゴンの眼【The Eyes of the Dragon】』を
読んでいたので、これはタイミングがやって来た、と奮い立つ。
モーガン・フリーマン【Morgan Freeman】の淡々としたナレーション、
の、妙な安定感にうっかり忘れてしまいそうになるが、
日常の出来事のようにさらっと社会のダークな部分が組み込まれていて、
ちょっと待てよ、と考え直すと、本質的な悪が見え隠れ、むしろ前面にも出てくる。
あえてそこをえぐる、S・キングらしくすごいところだなぁ、と思う。
ツボにはまったのは、言葉の言い回しが面白いセリフが多いところで、
一つ一つを抜粋すると、結局台本全部になってしまいそうに
言葉が美しい。
主人公アンディ【Andy】(ティム・ロビンス【Tim Robbins】)が
ショーシャンク刑務所にやって来て1ヶ月、なんで奥さんを殺したんだ、と
刑務所内の調達屋レッド【Red】(モーガン・フリーマン)が聞くと、
アンディが答える。
殺してないさ
I didn’t, since you ask.
こういう風にsinceを使う言い回し、好きな英語の言葉のひとつ。
“あえて” 君が聞くから答えるけれど、やってない、
どうせ無実、って言っても刑務所にいるんだから信じないだろうけれど、
聞かれたから答えるよ、っていう意味が since you ask に組み込まれる。
初めてこの言い回しを知ったのはアメリカに行ってからで
何故、時間的な『〜から』という意味を持つsinceが、
理由の『だから』の意味を持つことになったのかがすごく興味深かった。
sinceの語源を調べると、時が理由のキーである場合の接続詞であり
since 1999 のように時を刻む『から』、
since she left him, he has been very miserable
(彼女が去ってから彼は落ち込んでいる)のように
因果関係のある出来事がつながれ、時と理由の両方を持つ『から』、
そして今回のように理由の『から』に三段活用されている、らしい、ざっくり言うと。
自分調べなので確かではないが、感覚的に納得。
日本語で考えるとbecauseを使ってしまいそうなところをsinceを使う。
響きがいいなぁ。
社会人になってもうそろそろ20年になる。
ここ数年、ぐっと、“新卒”の後輩と一緒に仕事をすることが多くなり、
『あの頃は』的にいろいろ思い出す。
会社勤めとなって一番衝撃的だったのは、
給料が後払いで家賃が先払いという世の中のしくみ。
しかも人間は食べないと生きていけなくて、食費も実質先払い、ということ。
バイトぐらいはしたこともあり、労働をお金に変えるしくみは知っていたが
学費と生活費は親が出してくれていたので、
つまりは学生時代のバイト代はおこずかいだった。
大学卒業後はさすがにそういうわけにもいかない。
どう貯めたのか覚えがないが、多少あった貯金で1年間の就職活動生活。
いよいよ貯えも底をつく、というタイミングで社員採用!
人生うまくまわるもんだ、と思った。
いざ働き始めて、はた、と気がつく。
ランチを食べるお金がないのである。
銀行口座の残高で給料日まで暮らすとしたら
1日5ドル程度の出費じゃないと乗り越えられない、ぐらいであったと記憶する。
今思えば5×30日=150ドル=1万5000円もなかったのか?と
自分の記憶に若干自信がないが、気持ちはそれぐらい。
確かに、職が決まり、何も考えず生活を一新!と
郊外からマンハッタン市内に引越しをしている。
敷金礼金と引越し代、それに家具も新しく揃え、
給料が入るからと使い切った、そんな無謀感がうろ覚えながらもある。
問題に気がついたのは、呑気なことに会社に通い始めてから。
朝はコーヒーとベーグルがセットで1ドル
ランチはパキスタン屋台と2杯目のコーヒーで6ドル、
帰り道に韓国料理やインド料理を食べて帰ると8ドル、
1日15ドル出費が続き、給料日まで残り2週間というところで
残高がないことに気がつく。
会社は歩いて通える距離だったので、まず交通費は問題ない。
外食さえしなければ、、
お弁当という手もあるが、手間がかかる。
でも、とにかく家にある食材を使い倒して乗り切るしかない。
そこで、ランチは家で食べることにした。
会社から家へ戻るのに徒歩20分、ストックの袋ラーメンを茹でるのに5分、
食べるのに5分、猫のミックとたわむれ5分、会社に行きたくないなーと思いつつ
歯磨きをし準備するのに5分、そしてまたてくてくと20分かけて戻ると
1時間の昼休みがちょうど終わる。
家は東28丁目、会社は西44丁目。
34丁目にあるエンパイア・ステート・ビルディング【the Empire State Building】
を見上げながら、1日に2往復、脇をわっせわっせと歩く。
本当に給料はもらえるんだろうか、とか、
お腹がすくって、こういうことか、から始まり
これからこの街で暮らしていけるのか、今の会社で働いていけるのか、
日本にいつか帰るのか、アメリカでどう生きていくのか、と
歩きながらいろいろ堂々巡りなことを考えた。
精神的にも肉体的にも、ひもじい=hungry、と刻まれたのは、
間違いなくこの時だったなぁ。
マイ・ブルーベリー・ナイツ
【My Blueberry Nights】2007年
日本では2社目、アメリカを入れると3社目、に転職してすぐの頃。
ポスターの構図と、ビビッドな緑と赤の配色が良くて見に行った。
帰国して丸5年目、スクリーンの中のもの、
カフェだったり、バーだったり、金属音を鳴らして通りすぎる電車の
何もかもが懐かしく、帰りたいとは思わなかったけれど、
その時いた日本が異国に感じるほど馴染みのある空間だった。
今見るとそれはもう逆になっていて、ハイウェイや黒人のマスターや、
それこそブルーベリーパイまでもが外国のものに見えるようになっていて、
あれから随分たったのだなぁと思わされる。
セリフがシンプルで、英語も分かりやすく、でもひとつひとつが選ばれた言葉の塊で
ざらっとした画面が時折入り、あれ、こんな雰囲気ある映画だっけ?
と思ったら、ウァン・カーウァイ【Wong Kar Wai】の映画。
特に大ファンではないけれど、『ブエノスアイレス』ではなく、
『花様年華【In the Mood for Love】(2000年)』で初めて彼の名前を覚えた。
失恋したエリザベス(ノラ・ジョーンズ)が、以前恋人と行ったカフェにやって来て
今度彼を見たら返して、と店の経営者のジェイミー(ジュード・ロウ)に合鍵を預ける。
それからエリザベスは何度も鍵の様子を見に閉店間際のお店にやってくる。
ずっと置き去りの鍵、でも本当は誰かと話がしたいから。
何が理由でダメになったのか知りたがるエリザベスに
理由がないことだってあるさ、とジェイミー。
それでもすべてに理由があるはずと訴えるエリザベスに言う。
カフェでは毎日、何故かブルーベリーパイが売れ残る。
チーズケーキとアップルパイはいつも売り切れ。
ピーチ・コブラー(って初めて聞いた!Cobbleからくる、クッキーの塊が寄せ集まった
ザクザクしたコブケーキらしい!)とチョコレート・ムースもほぼ完売。
でもブルーベリーパイはいつも手付かずで残ってしまう。
理由なんてなにも
パイのせいじゃなく 注文がない
It’s nothing wrong with blueberry pie. Just people make up choices.
You can’t blame blueberry pie, but no one wants it.
そして捨てられそうになったパイを、私が食べる!とエリザベス。
これがブルーベリー・ナイツの始まり。
『You can’t blame blueberry pie』、ブルーベリーパイを責めることはできないよ、
=パイのせいじゃない、っていう表現がどうにもこうにも可愛らしい。
ブルーベリーがどう頑張ってもアップルやチーズになれないように
本質的な自分の美味しいところ、持ち味、は変わらないし変えられない。
ブルーベリーだからブルーベリーパイになった訳で、
それを責めたってしょうがない。
とつまりはジェイミーはエリザベスを慰める。
ここが一番ラブ・ストーリーっぽいけれど、すごく本質でもあるなぁと。
それからエリザベスは傷心旅行へと飛び出す。
道中カフェやバーで働き、数々の“傷つく人”に出会う。
知らずにそれは心に負った傷を癒していき、そして自分の自信を取り戻していく。
個人的には癒す、というより、気持ちに慣れる、に近い気がする。
時は流れていても、気持ちの時間が止まっていることってあるよね、と思い
それを動かすのは結局自分次第なのね、と辛くなる。
その描き方がなかなか良くて
久しぶりにDVDで見直したら、5年前に見た気持ちとは
また違う気持ちで心に響いてしまった。
悲しくても、悔しくても、傷ついても、
嬉しくても、伝えたい人には声に出して伝えないと、進まないのね、と思う。
自然を大満喫したオーストラリア旅行の最終日、
Perth北のWaveRockからの帰り道、ちょっとした町に寄ってティータイム。
同じテーブルに座ったおばあちゃまに近いおばさまとその連れの女性と世間話。
あなたたちどこから来たの?と私と友人に聞くおばちゃま。
日本からよ!と私たち。
お友達同士なの?と聞かれ、ええ、と。
それから、おふたりはどういう知り合いですか?と聞き返す。
ちょっと不思議な間があって、
長い話を短くするとね、、と前置きがあって、
She is my granddaughter’s step-mother.
彼女は孫娘の義母なの!、と。
一瞬、何がややこしくて、長い話になるんだ?と、考え、
なるほどー、息子が子連れで再婚した奥さんね、と理解。
I see! ははーん、と頷いたら、おばちゃま達も、ふふっ、と笑う。
その時はそれで何も考えず、日本に戻ってきてから、友人にその話をする。
すでに詳細な記憶も、正確にどんな言葉だったかの一字一句も残っていない。
で、本当にそういう話だったか、一抹の不安が。
孫娘の母なら、自分の息子の奥さんなので、
She is my son’s wife でも、my step-daughter でもいい。
ちっともややこしくない。
それをわざわざ、孫娘の義母、と言ったのは
息子に娘ができ、何らかの経緯で再婚した奥さんが一緒に旅行している方、ってこと。
もしくは、
孫娘が息子の娘なら、何らかの経緯で孫娘が実母について行き、
更に何らかの経緯で実母ではなく、その義父の連れ子となり、
義父が再婚した奥さんが、今一緒に旅行している女性、ということもありえる。
そうなると孫娘は血のつながりのない両親と暮らしていることになり
それなら観光ツアーに来れるぐらいの財力があるおばちゃまが引き取るだろう。
または、
孫娘が娘の娘なら、何らかの経緯で孫娘が実父についていき、
その再婚相手が今一緒に旅行している女性
むむむ、この可能性はあるぞ!
はたまた、何らかの理由で息子か娘がその子ども(孫娘)を手放し、
里親がその女性、という可能性も。
でも、その場合でもやっぱりおばあちゃまが引き取ると考えられる。
改めて思ったのは『my』 をつける家族には血のつながりがあり、
そしておばあちゃまの血は孫娘までつながれ、
家族関係はその血の優先順位で語られる、というところ。
おばちゃまに娘や息子がいてもいなくても、孫がおらず、
連れの女性がおばちゃまの結婚相手の連れ子なら、step-daughterでいい。
孫娘がいなくて、息子の再婚相手なら最初の奥さんだろうが何番目だろうが
my son’s wifeでいい。
でも血のつながった孫娘がいる。
おばちゃまと息子と連れの女性の関係の他に、
孫娘と彼女の関係も盛り込んで説明しなくちゃならない。
だから、
She is my granddaughter’s step-mother.
おばちゃまには血を分けた孫娘がいて、
孫娘と連れの女性は血は繋がっていないが、今、親子関係にあり、
それがふたりが一緒に旅行することになったきっかけ、ということ。
結局あの時、そこまで深く突っ込んで聞かなかったし、I see!と言って、
そうなのよ、と笑い話で終わるぐらいだから、おそらく息子の再婚相手なのだろう。
けれど、今落ち着いて考えれば、娘の前夫孫娘引き取り再婚説もある。
もう少し深く聞いて確認すれば良かったなぁ、とちょっと反省。
でも、こんなふたりが一緒に旅行に行くぐらいなのだから
孫娘は少なくとも大事にされているのだろうな、と思う。
プリンス・オブ・ペルシャ/時間の砂
【Prince of Persia: The sands of time】2010年
CG技術の向上やら、テーマの深みや意外性やらを求めると
内容が過激に暴力的になる昨今、ディズニー映画ほど
そこをコントロールしている映画はない、とつくづく思う。
子供タチが見る映画に入れてはいけないシーン10か条、とか
使ってはいけないセリフ100、とかありそうである。
バシッとそう思ったのが『パイレーツ・オブ・カリビアン (2003)』あたりから。
それまではディズニー=アニメ、で、実写はミュージカル調のいかにもお子様、
というのは語弊があるものの、大人が映画館に足を運ぶには
やや、やや、味気ないもの、という印象だった。
で、調べてみたら、なんと!
『三銃士 (1993)』とか『アルマゲドン (1998)』『ナショナル・トレジャー (2004)』
とかはそれっぽいものの、ちょっと激しいけどストーリーが深い『ザ・ロック (1996)』
や『フェイス/オフ (1997)』、『ネゴシエイター (1997)』、『デジャヴ (2006)』も、
ディズニー実写映画!
更にえぇ、と思ったのは
『スターシップ・トゥルーパーズ(1997)』と『コン・エアー (1997)』
スターシップ・トゥルーパーズは宇宙虫と戦う戦士タチ、というテーマだけで
グロくなりそうなのに、意外にスッキリしていたし、
コン・エアーは極悪人と爆発と精神異常者を全部入れして混ぜ合わせた感じなのに
危ういギリギリな線上であったけれど、アメコミ風のヒーロー感をキープし続けたのは、
ディズニーレギュレーションかぁ、と勝手に納得。
で、パイレーツの次に再び “コントロールされているなぁ” と思ったのが
このプリンス・オブ・ペルシャ。
これまた調べてみたら、なんと!
監督でも脚本家でもなく、映画プロデューサーが同じで、
両方ともジェリー・ブラッカイマー【Jerry Bruckheimer】。
正直この肩書き“映画プロデューサー”が、結果映画の良し悪しに
どう影響を与えているのかがイマイチピンとこないが、
彼が手がけた作品リストを見ると、これまた前述した映画が複数被る。
ザ・ロック、コン・エアー、アルマゲドン、パイレーツ・オブ・カリビアン、
ナショナル・トレジャー、デジャヴ、プリンス・オブ・ペルシャ
そしてディズニー映画以外だが
フラッシュダンス (1983)、ビバリーヒルズ・コップ (1984)、トップガン (1986)、
バッドボーイズ (1995)、コヨーテ・アグリー (2000)、パール・ハーバー (2001)
と、誰もが、あぁ、と思うような作品を手掛ける。
人気のTVシリーズ『CSI』もこの人。
なるほどね、私、すっかり王道×王道にノセられているよう。
でもね、過激な描写だけがヒトの内面をえぐり、真の何かを気づかせる訳ではない。
安心してみれる、それでもテーマの深さが理解でき、コトバが刺さる
そういう映画は貴重。
『プリンス・オブ・ペルシャ』からだいぶそれたので、字幕の話に戻る。
今回気になったセリフは、なんともない呼びかけの一言。
両親のいない貧民街の少年ダスタンが、王の騎馬兵の前にうっかり飛び出した
友人ビスを助けようと、兵士たちをあの手この手で翻弄させる。
その勇気と技量に感銘した王がダスタンを王族に迎えるべく、弟の二ザムに言う。
===
馬に乗せろ
Brother, take him up!
===
この “Brother” のセリフ、王と王の弟である二ザムの関係性が
すごく味濃く出ていて、ぜひ字幕にも入れて欲しいなあ、と。
でも『弟よ、馬に乗せろ』じゃあまりにも命令的で、
Brother の言葉に含まれる血族ゆえの親しみと信頼感が出ないしなぁ、と。
で、もしかして!と思い吹き替え音声を確認。
二ザム、乗せてやれ
おぉ、これだ!もうちょい!
日本語には兄さん、姉さん、兄者、兄様、姉様、があっても
それに該当する弟、妹的な言葉がないから難しい。
もちろん英語のBrotherにも上か下かの区別はない。
それならば『兄弟、馬に乗せろ』、と思ったが、なんかしっくりこない。
現実の世界だと兄弟同士でこういう親しみを表すならあだ名、
例えば妹、弟に家族ゆえの親しみをもって私が呼びかけるとしたら
⚪︎⚪︎ーちゃん、⚪︎⚪︎くん、みたいな。
『ニーくん、乗せてやれ』
。。。いやいや、王様の言葉ではないね。
結局『二ザム、馬に乗せろ』か
意訳だけれど気持ち的に『二ザム、連れて行くぞ』かなぁ。
何気ない呼びかけ言葉だけど、その気持ちも字幕に込められたらいいのに、と思う。
ザ・ウォーカー
【The Book of Eli】2010年
直近の5年の中でベスト映画は、と言えば絶対入れたいのがこの映画。
とにかく映画館で見て、ものすごく感動した。
もちろんいわゆる最後の謎解きも感動のひとつだけれど、見終わった後に、
この映画の原題が邦題と全く異なる「The Book of Ely」イーライの本、
である、ということに深い意味を感じた時、なんだかすごくいろいろなことが合致した。
デンゼル・ワシントン【Denzel Washington】演じる “歩く者” 、
ある “本” を探し求めるゲイリー・オールドマン【Gary Oldman】演じる
カーネギー【Carnegie】。そして男は “本” を持つ。
本には名前がなく、男にも名前がない。
話は単純で後はふたりの追っかけっこ、それにカーネギーに自由を捕らえられていた娘
ソラーラ【Solara】が男と旅を供にすることになり話は淡々と進む。
カーネギーの手下達は男を “ウォーカー” と呼び
道中、男の名前はただ一度、バッグに貼り付けられた名札が出てくるのみ。
(Kmart ロゴ) Hello, my name is ELI
Kマート店員 イーライと訳されているが直訳は見ての通り
“こんにちは、私はイーライです”
しかもそれを見つけるソラーラは字が読めないので彼の名前、と気がついていない。
そして本はイーライやカーネギーが時折つぶやくセリフから、
聖書であることは観客の私たちには分かる。
この映画は単純な作りだけれど、名前がある物ない物、
名前が呼ばれる者呼ばれない者、が意図的に振り分けられているように思う。
見えるままのもの見えているのに気がつかないもの、見えないけれどあると感じるもの、
名前の意味、文字の意味、読む意味、理解する意味、をじわっと考えさせられる。
そしてこの映画全体のトーン、白黒っぽい、セピアっぽい、古めいた映画っぽい
そのざらっとした質感が派手なアクションの中にあるイーライの淡々とした、
けれど確実な一歩一歩の前進を更に際立たせる。
目的地目前にしてイーライは言う。
My name is Eli.
I have a King James Bible in my prossesion.
俺はイーライ
聖書を持っている
King James Bibleを調べてみると、聖書の中でも欽定訳聖書と呼ばれる、
国王による命名、つまり公的に訳された英訳聖書。
更には欽定訳聖書と言えばこのジェイムズ王訳と言われる格調高いもの。
そして何故「持っている」を “have” だけにとどめず “in my prossesion”、
〜の所有である、と “形のないモノ” を含む「持つ」にしたのか。
ありきたりだけれどイーライが物理的に所有した書物を、
旅を通しその言葉の意味までを理解し自分のものとしたから、という単純な意味。
けれどやはりそこにたどり着くには
私たちも約2時間、イーライと供に旅を続けたからこそ分かる感動
そこが一番だったのだと思う。
その過程を淡々と、時に強靭なアクションで演じたD・ワシントン、
私の中ではもう、デンゼル・ワシントン=ザ・ウォーカーだなぁ。
そして毎回コラムではついつい真面目なことばかりを書いていますが、この映画も、
普通にアクション映画的に気楽に楽しめるので、機会があればぜひ見てみてください!
生まれて初めて!というのはいささか大げさだけれども、それでも文字通り、
初めて南半球に、オセアニア(Oceania)に、そう、オーストラリアに行ってきた。
英語圏だけれど、方言があると知っていたので、アメリカ英語で通じるのか
かなりドキドキしてたけれど、想像していたほど訛りも強くなく、
むしろNYにいた頃の方が世界中の訛りが交じった英語を聞いていたかもしれない。
そんな出だし順調な1日目の観光ツアーが終わり、ガイドさんの締めの言葉におっ、と。
『サンキュー フォー チュージング アイ アイ ティー キング』
おや?
ツアー会社名はAAT Kingだったはず?
!
そう、これが想像していた、『SUNDAY=サンデイ』を『サンダイ』と
A=エイをアイと発音するオーストラリア英語ではないか!
よくよく気をつけて聞いていると
『AYERS ROCK=エアーズロック』も『アイヤーズ ロック』と言っているような。
ふむ、イギリス英語に近いな、ぐらいは思っていたが、すっかり聞き逃していた。
ちなみにエレベーターは『Lift=リフト』、
トイレはRestroomではなく『Toilet=トイレット』
オーストラリアはもともとイギリス連邦(Commonwealth)だしね、と
英在住の友人に教えてもらう。確かにユニオンジャック!
遠い昔、中学の英語の教科書に出ていたものを、今更ながら体感し純粋に感動。
まだまだ新しいことってたくさんありますね。