運営のかたにもきのうお伝えしたのだが
当コラムの更新を3月末でいったん終了とさせていただく。
ネットで短歌を詠むこと自体を一区切りとしよう
と思っているのであとしばらくだけおつきあいいただければ幸いである。
理由は、たくさんあるといえばたくさんあるし
うまくいえないといえばうまくいえない。
ただひとつ言えることは
たとえばいつだって自分の行動の理由を説明するには
それまで体験してきたすべてのことや自分なりの価値観や判断などが
いろんな面でくっつきあっててひとことでこうと言えないことのほうが多い。
でも日常の会話のなかではいちいちそこで立ち止まって会話をとめてられないから
「これこれこうでこういうことです」というふうにとりあえずその場でさらっと
自分のことを説明したりする。
でもほんとはそうじゃないんだ、という気持ちが心の中では浮かんでいるかもしれない。
いや今いったこともまったく嘘ではないんだけどでもそれだけじゃないし
今いったこととはまったく正反対のような気持ちもふくまれていて、でもそのことを
ここで言ってもかえって話が伝わりにくくなるし自分も相手も混乱するばかりだから
ここではいちばん自然な、無理のない、妥当な短さと納得してもらいやすい理由と
そしてディープすぎない程度の深さ(自己開示度)として日常のもろもろしたことを
こなしていくわけだが、そういう漏れ落ちる気持ちや言いきれなかった気持ち、
伝えきれずに自分のなかに残ってしまうもの、そういうものこそが短歌を詠む理由で
あったのかもしれないと思う。
その意味において、
自分自身今は、言ってることと考えてること、感じていることと行動することが
ほぼ一致してきているのだろうと思う。
言いたいことを言って、やりたいことをやって、
そしてこれが自分のやりたいことなのだと自分自身に対して自然に胸をはっていられる状態。
日常生活を営むうえで過剰な無理を背負い込まないようになっているのでそれで
ひと頃よりは、というより短歌を詠みはじめたのが2008年4月からだからちょうど
4年かけてもう生き死にのかかった歌を詠まなくてもよくなってきた、
そういう地点にいるのだろうと思う。
短歌を詠む人がもうあんまり短歌を詠まなくなるまでをえがいた
世にも奇妙な短歌コラムになったが結果的にはそれもまたよしかと思う。
いろんなことを信じてみようと思うのです。
日常とか言葉とかつながりとか思いとか
そういうことを信じていいんだと教えてくれたひとが
短歌を詠んできたこの4年のあいだにたくさんいました。
なかには連絡のつかなくなった人もいるけど、
届いていました。届いています。ありがとう。元気です。
・ ありがとうと何回言っても言いきれた気がしないけどでももう行くね (瀬波麻人)