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先週の日曜日1月13日は
私の属する短歌結社未来の新年会があり
懇親会にて未来賞の表彰式もあるため
東京飯田橋の日本出版クラブ会館に行ってきました。
表彰式では未来短歌会の発行人であり昭和3年生まれ御年85歳、
子どもの時家に帰ったら斎藤茂吉が畳で寝ていたという
生ける伝説的歌人岡井隆先生から表彰状をもらいました。
wikipedia 岡井隆
表彰状にはこう書いてあります。
賞状
未来賞 瀬波麻人殿
あなたは二〇一二年度の未来賞に応募されまして
その二十首は詠はすぐれた短歌作品でありました
わたくしども仲間としてこのことをふかくよろこび
「未来賞」を差しあげたいとおもいます
今後の研鑽を祈ります
二〇一三年一月十三日
未来短歌会
未来賞選考委員会 代表 岡井隆
あらためて読んでみて身の引き締まる思いがする。感動も。
表彰式の後、岡井先生とお話した時にも言っていただいていたのだが
あくまで未来という結社は
「偉い先生がいてあなたに短歌を教えてあげましょう」という場ではない。
85歳の岡井先生があくまで同じ仲間として年齢は半分以下、
歌歴にいたっては10倍以上(!)の差があっても
「いい短歌を詠めたね。そのことを同じ歌の仲間としてうれしく思うよ」
という意味あいでよろこんでくれてこれからの研鑽を祈ってくれる。
そういう場であり、そういう表彰式であった。
ありがたいと思う。
未来賞の受賞にともない
歌誌『未来』での短歌の掲載場所がかわる。
加藤治郎先生率いる彗星集の一員であることにかわりはないのだが
そのなかでも「ニューアトランティスopera」という最近新説の
無選歌欄にちょうどこの1月号からうつっている。
無選歌欄とは選歌を受けないということだ。
基本的には、よっぽどよっぽどの問題がなければ、
送った歌がそのまま載るということであり、それはつまり
出来も不出来もいいこともわるいことも全部含めて
その人であり味わいであり作品であり生きざまである、と。
そのような歌として読みますしそのような歌として作品を受けとります。
長く続けていくことで見えてくるものもあるでしょう。
がんばりなさいな、とそんな意味に思えてくる。
そのような自覚と責任をもって詠みなさい、ということだとも思う。
あたたかいと思う。
厳しいと思う。
がんばっていこうと思う。
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その無選歌欄 ニューアトランティスoperaにおける
第一作デビュー作はこんな歌です。
未来賞二十首とともに載ることを当然ながら強く意識して選んだ一首です。
私からあらゆるものが遠ざかる激流の中つなぐ手のひら (瀬波麻人「未来」2013年1月号)
十月に詠んだ歌です。
歌誌『未来』には毎月の月詠として十首送ることができますが
今回はあえてのこの一首だけを送りその一首がはじめての無選歌欄に載りました。
ここからまた一からはじめていこうと思います。
がんばります。ありがとうございます。ありがとうございました。