ロッティー!
ロッティー!
森の中に声をかけると、
森の中から鈴の音が聞こえ始めたかたかと思うと、
ロッティーが突然森の中から飛び出し、
庭に立っているママに向かって一目散、
自由に走り回れることが嬉しくて、
ママに声を掛けてもらえることが嬉しくて、
それは走っているというよりは、
まるで飛び跳ねているようです!!
山は秋の日射し、
予告も無しに風が吹くと、
我先にと茶色に衣替えした落ち葉が空から降ってきます、
その落ち葉を不思議そうに見上げるロッティー、
隣ではママが庭から拾い集めた毬栗を、
両足でこじ開けてツヤツヤした山栗を取り出し、
虫の入っていない山栗をバケツに、
虫の入っている栗は足元に転がしています、
隣ではロッティーが地べたに腹這いになり、
ママから貰える虫食い栗を、
カリカリいいながら食べています、
十年前は子供だった娘たちが、
ママの隣で栗の毬を剥いていたはずなのに、
今日は秋の日射しの中、
ロッティーがママの隣にペタッとくっついて、
ママが転がしてくれる、
虫食い栗を待っています、
又、空から風に吹かれた落ち葉が、
空を埋め尽くすように舞い落ちてきました、
すっと立ち上がったと思うと、
ロッティーは落ち葉を食べたいと思ったのでしょうか、
大きな口を開けて
先程から空から落ちて来る落ち葉と遊んでいます、
ロッティーが山に来始めてからちょうど半年、
山の生活にも慣れ、
森の物音にも驚くことがなくなり、
森の気配も充分感じ取ったようです、
今日はロングリードを外してノーリードに、
最初は10分おきに呼んで、
側に戻って来るたびにジャーキーをポケットから、
次第に20分おき、30おきにと、
ロッティーがちゃんと戻って来るたびにジャーキーを、
これなら大丈夫と分かると、
ママとロッティーは2人で森の中にノーリードで散歩に出かけます、
しばらくすると『パパ』と声がするので、
急いでママのいる場所に行ってみると、
ママがけらけら笑っています、
パパ、ロッティーたら、
水が食べられると思ってるみたい、
ほら小さな滝のところでロッティーが小川の水を食べようとしてるでしょ、
それが食べられないから、
ロッティーたら川の水を追いかけて、
ほら、又、水を食べようとしてる、
それでも食べられなくてどんどん小川を下って、
さっきから水の流れを追いかけているの、
『パパ、見ててね』、
ママが大きな声で、
小川の中にいるロッティーに向かって、
『ロッティー』と呼ぶと、
小川の中からこちらを振り返り、
水から上がるや否や急斜面をママに向かって駆け上がってきます、
ママのいる丘の上まで来ると、
今度はママの側を飛び跳ねるように走り回り、
ママがポケットからジャーキーを取り出すと、
ママの足元に息を弾ませながら腹這いに、
幸せそうです、
ママもロッティーも!!
切る屑を巻き上げながら、
丸太を滑るように進むチェーンソーを握りしめる手に暖かな日射し、
先程までの激しい嵐が嘘のようです、
森の中では雨が再び靄になって落ちて来た空の雲の中に戻って行きます、
草を濡らした雨粒は、
草をクリスタルガラスで縁取っています、
チェーンソーのエンジンを止めてその場を離れてみると、
私のいた場所だけが、
日の当たる場所になっています、
窓の外は別世界、
木々は風に煽られて大きく揺れ、
木々の葉は身を隠す術を知らず風に戸惑っています、
時折、木の枝が風に負けて折れる音が聞こえてきます、
窓の外の森は雨と風の白いレースのカーテンで濁っています、
私は嵐の過ぎるのを心地良いソファーに身を沈め、
窓の外の別世界をぼんやりと眺めています、
遠くで古木が風に煽られて地面に倒れたのでしょうか、
木の裂ける音と古木が地面に倒れる音が地面を伝わってきます、
裏の小川は激しい雨にかき消され、
いつもの小川を流れる水の音さえ聞こえません、
嵐が通り過ぎたのでしょうか、
急に雨が小雨になり、
森が再び静かな森に変わってきました、
テラスドアを開けてベランダに出てみると、
屋根があるはずなのに、
風で雨と木の葉が飛ばされたのでしょうか、
濡れた木の葉でベランダは足の踏み場がありません、
私をかすめる春先のような暖かな風が吹き抜けていきます、
嵐の去った森に出てみると、
いたるところに風に耐えられなくなった葉が、
枝を付けたまま森の中に散乱しています、
地面には1〜2mの枝が所々に刺さっています、
強風で折れた枝が地面に刺さっているようです、
中には枝を付けた3mの太い枝も地面に刺さっています、
嵐のときは絶対に森の中は歩かないようにと聞かされていましたが、
森の中を歩いていて、
こんな枝が空から真っ逆さまに落ちて来たらと思うとぞっとします、
栗の木の下を通りかかると、
青々とした栗のイガの中にまだベージュ色した栗の実を付けたまま、
秋の実りの季節を前にイガ栗が地面を覆いつくしています、
裏の小川に行ってみると、
いつもは透き通るような山の水が流れているはずなのに、
今日は茶色く激しい流れに変わっています、
先程の地鳴りを引き起こした倒れた20mの古木が、
根元から折れて倒木となって小川に横たわっています、
風の過ぎ去った森の中にただ立っていると、
穏やかなで私に都合の良い、
この森を見過ぎたのかもしれません、
いつも自然の恵みをただ利用しようとしていたのかもしれません、
今日は私に都合の悪い自然が、
私の前に現れたようです、
まだ小雨降る森の中にブルーシートを張り、
時折風に煽られながら作業場を作ります、
森の中のベランダは、
床板を貼り終え手すりを取り付け終わり、
今日はガラスの屋根用の梁の加工作業まで進んできました、
裏山から細めの杉丸太を切り出し、
皮をむき十分乾かした杉丸太、
墨つぼで線を引き、
チェーンソーで寸法どうりに加工、
そしてディスクサンダーで表面を整えて仕上げます、
作業に飽きると、
庭に椅子を持ち出し一休み、
気持ちの整理が終わると、
再びチェーンソーのエンジンを回し始めます、
なんの情報も入って来ないこの森の中で、
一日を使う為には、
ひたす手を動かし続けて一日を使い切るしかありません、
雨が止み薄日が射してきました、
私のいる場所が急に明るくなってきました、
やっと一本の杉丸太の加工を終えると、
足元の草影から秋の虫の声が聞こえてきます、
こんな嵐の過ぎ去った森の中で、
虫たちが昨日と同じように鳴いています、
チェーンソーを持ったまま顔を上げると、
雨の上がったベランダから、
ママが微笑みながら私にカメラを向けています、
嵐の去った森は、
いつもの優しい森に変わり、
作業をしている私に、
日射しが降りて来て、
雨で濡れた私を暖めてくれています。
そっと足を踏み入れると、
地面は奇麗に藁で覆われて、
そこはまるでベットの様に柔らかく、
青々とした葉は胸の高さまで伸び、
水滴で縁取りされた葉をそっと手でかき分けて、
柔らかな地面から咲いた薄黄色い花を見つけるや否やしゃがみ込み、
後は柔らかな地面の中に手を差し入れて、
薄黄色い花の咲いているふっくらと固い莟をもぎ取るだけです、
畑全体が食をそそるようなジンジャーの香りで噎せ返るようです
赤い莟は群生しているので、
一旦しゃがんだら、
後は手の届く範囲の茗荷を取り続けるだけです、
例え濡れた落ち葉が手に絡んで来ようとも、
足元がぐしょぐしょになろうとも、
地面から直接咲いている、
薄黄色い花を探してはその莟を取るだけです、
近所でママと娘の声が聞こえていますが、
皆、しゃがんで、
薄黄色い花の莟を取るのに一生懸命で、
誰がどこにいるのか分からないまま、
私たち家族は、
茗荷畑で、
花が咲いてしまい、
売り物にならない茗荷を、
取りまくっております、
昔、始めて茗荷畑を目にした時に、
誰がこんなところにティッシュペーパーを捨てるんだろうと思って、
思わず地面に落ちていたティッシュを拾おうとしてしゃがんでみると、
なんとそれは茗荷の花でした、
葉の陰で光がまったく入らない場所で、
茗荷の花は、
蝶にも会うことなく、
蜂たちにも会うことなく、
受粉することもなく、
ひっそりと咲いておりました、
売り物にならない花の咲いた茗荷、
なんて愛おしい花なんでしょうか、
山の庭でチェーンソーを持って作業をしていると、
管理人が遊びに来るなり、
売り物にならない茗荷があるけど食べるかと言い出します、
あそこの畑の右の林の置くにある茗荷畑、
うちはもう取ったから、
もし食べるんだったら全部取っても良いぞ、
なんて山の人は心が豊なのでしょうか!
ただし、茗荷畑に入る時は、
着ているものも靴も総て新しいものしてから入るようにな、
昔この地域は、
『茗荷の里』と言われていたのに、
イノシシが現れて、
そこら中の畑を歩き回った後に茗荷畑に入り、
土の中のミミズを食べるもんだから、
ほとんどの茗荷畑が病気になってしまい、
今は全盛期の1/3程度しか取れなくなったのさ、
茗荷畑に入る時は、
必ず新しい服を着てくれよな、
そうこうしていると、
畑に行っていたママが帰ってきました、
トランクを開けるなり、
ビニール袋にぎゅうぎゅうに、
インゲン、茄子、トマト、が押し込まれています、
畑に行ったらさ、
隣のおばさんがインゲンのフレームをかたずけるから、
インゲンが欲しかったら全部持って良いよって言うからさ、
私、ビニールに入るだけ貰ってきたよ、
そしたら茄子もトマトもくれたんだ、
山の畑って、
私、野菜作ってないのに、
畑に行くだびに誰かが野菜くれるから好きよと言いながら、
管理人さんに、
コーヒーを差し出しています、
私が、もう止めたと大声を出し立ち上がると、
茗荷畑の5m先からママが立ち上がり、
私の後ろの方から遅れて娘が立ち上がり、
茗荷畑の端の方で山友2号の奥さんが立ち上がります、
皆、着ているものはびしょびしょ、
片方の手にはビニール袋に花の付いた茗荷がぎっしり、
皆、茗荷を取るのに一生懸命だったせいなのか、
言葉少なに茗荷畑を出て、
林道まで黙って歩いています、
林道まで出ると、
ママが乾いた地面の足元に落ちている、
青い毬栗を見つけるやいなや、
今度は皆で栗拾いだねと一言、
なんて欲深い家族なのでしょうか!!
今朝起きると、
朝食に茗荷の甘酢漬け、
ン〜〜〜〜〜〜、
今回の花の付いた茗荷は、
妙に美味しく、
食をそそるような、
ジンジャーの香りで頭の中が、
噎せ返るようです。
『大丈夫ですか』
『顔が真白ですけど、
一人で歩けますか、痛くはありませんか、
こちらにどうぞ、
今日は保険証はお持ちですか』
『一時間前に、
あなたはバギーという車から落ち腰を強打して歩けなくなって、
この病院に来られたんですよね』
いえ、そうじゃなくて、
先程も説明したように、
私はバギーから落ちたんじゃなくて、
私がバギーで山を登っていたら、
もちろん一人ですよ、
一人で森の中を走っていたんですよ、
それで途中まではエンジンも調子よく動いてくれてたんですけど、
私がアクセルをフルスロットルにした瞬間に、
エンジンがプスプスっていって止まったんですよ、
深い森の中でエンジンがストップ、
私に出来る事といったら、
そのまま森の中で一夜を明かす事か、
携帯で友人を呼んで私の森の中に招待するしかなかったんですよ、
青い空の中を行き交う雲を見上げていると、
どこからともなく友人の軽トラが私の森に中に入ってきたんです、
二人で軽トラの荷台にバギー車を積んだんですが、
バギーが長過ぎて軽トラの荷台の後ろの扉が閉まらなかったんですよ、
どうせ帰りは下り坂だったので、
私も軽トラの荷台に載ってバギーを押さえながら山を下り始めたんですよ、
私は荷台からぼんやりと空を見上げていると、
空の景色も森の景色も、
私の前を通り過ぎていくんですよ、
私を気にする様子もなく、
私がいることなんか目もくれず、
私の前から夏の季節を総て運び去っていくんですよ、
私は過ぎ去っていく夏の季節を探そうと、
荷台に積んだバギー車にまたがって、
立ったまま両手を広げて追いかけたんですよ、
木の梢が両手に触れるたびに、
森の木漏れ日が私の中を通り過ぎていくんですよ、
私は思わず目をつぶり、
まるで森の中を自由に飛びまわる鳥になれそうな気がしたんですよ、
看護士さん、
森の中の鳥って、
森の中を流れる風が見えるんですね、
私が軽トラの荷台に積まれたバギー車にまたがって、
森の中を両手を広げて飛びまわっていると、
次第に森の中を流れる風が見えてきたんですよ、
見えるはずのない風が見え始めるんですよ、
ルノワールやゴッフォの絵のように、
風には色があったんですよ、
どちらかと言うと見えるんじゃなくて、
色を感じることが出来るようになれるんですよ、
木漏れ日の森を過ぎると薄暗い森の中に入って行くんですよ、
その時に風の中に彼女が現れたんですよ、
現れたというか風の向こうに漂っているんですよ、
私の探していた彼女が風の向こうに現れたんですよ、
あなたをもっと自由にしてあげるから、
今日までの思い出を総て消し去ることが出来ますかって聞くんです、
彼女が、今あなたが考えている願いを叶えてあげるって言うんですよ、
看護士さん、
彼女はなんだったんでしょうかね、
彼女はワインを口に含むと、
私の上に馬乗りになって仰向けになっている私の口の中に、
赤くてフルーティーなワインを注ぎ込むんですよ、
赤いワインは彼女の口からいつまでもいつまでも流れ出て来るんですよ、
あなたがもっと自由になりたいんだったら、
今日まであなたが大事に持ち続けていた重い荷物を総て下ろしなさいって言うんですよ、
私は裸で仰向けに寝ているはずなのに、
荷物なんか何も持っていないはずなのに、
赤いワインが私の身体の隅々まで行き渡ると、
彼女は私の重たい荷物を一つずつ手に取って、
私に見えるようにさし出すんですよ、
私が誰にも見つけられないように隠しておいた荷物さえ、
彼女は探し出すんですよ、
そして彼女は、
あなたの隠している重たい荷物も総て捨てなさいね、
何度も何度も言うんですよ、
もうあなたは今までのあなたには戻れないわよ、
あなたが自由になりたいんだったら、
覚悟してねって言うんですよ、
私は血の気が去り、
顔面がスッと白くなるのを感じたんですよ、
怖かったというよりは、
自分の隠していた秘密を彼女にこじ開けられた感じかがして、
ただ恥ずかしかったのかもしれないな、
あなたの隠していたプライドってなんなの、
あなたの実力ってなんなの、
一流企業で働いているってことなの、
あなたってそんなちっぽけなの、
あなたは世界を見てきたって言うけれど、なんなの、
ただ世界の街を見てきただけじゃない、
永遠の悲しみを何一つ感じようとしなかったじゃない、
あなたは間違えたことをしてないって言うけれど、
あなたにとって間違ったことって、なんなの、
誰にでもよく思われようと自分を演技することなの、
いつまでそんなことにすがっているの、
あなたのプライドってなんなの、
そんなこと誰も気にしてなんかないわよ、
あなたの寂しさを安心させる為の道具じゃないの、
そんなの、ただのあなたの御荷物にすぎないのよ、
そんな荷物なんてさっさと捨てなさいよ、
いつまであなたはプライドの中に自分を隠してるつもり、
いつまであなたは自分のプライドを傷つけようとすることから、
避けていれば気がすむの、
あなたって本当の恋をしたことがあるの、
あなたって他人の寂しさを感じたことがあるの、
森はいつのまにか夏の夕焼け、
両手を広げた私の手の中からすり抜けていった、
私は夕焼けの奇麗な森に見捨てられるのがいやで、
いつまでもバギーに乗って追いかけていたんですよ、
森の梢が私の広げた両手に触れるたびに、
私は次第に森の風を感じることが出来るようになり、
森は再び夏の森に帰ってきたんですよ、
そして軽トラが止まったかと思うと、
私の身体が前のめりになりバギーから振り落とされそうで、
私は思わず両膝を絞って、
バギーのシートに身体を固定しようとした瞬間に、
今度は軽トラがシフトダウンして急発進したもんだから、
私とバギーは軽トラのスピードに着いていけず、
軽トラの荷台から落ちていったんですよ、
私はバギーにまたがり両手を広げて立ったまま、
看護士さん、
目の前が真白になるってことあるんですね、
私は軽トラの荷台から後ろ向きに腰から落ちたようなんです、
緑の森が一瞬で真白になり、
息が出来ずにいたら、
人生が走馬灯のように映りだすかと思いましたよ、
『それじゃあなたは、
軽トラの荷台に積んだバギーという車に乗り、
両手を広げ立ったままバギーと一緒に、
高さ3mの軽トラの荷台から、
後ろ向きに落ちたんですね、
分かりました、
私はそれが知りたかったんです、
先生にそう説明しておきますから、
それまではそこの車椅子に座って待って頂けませか』
すみません、看護士さん、
私が森の中で見た彼女のことは先生に話すんですか、
『彼女はあなたを自由にしてくれたんですよね、
彼女はあなたを軽トラの荷台から突き落としたわけじゃないですよね、
それでは彼女のことは、
私とあなたの秘密にしておきましょうね、
それで宜しいですか』
『それから、今度又彼女に会うことがあったら、
彼女に伝えてもらえますか、
私も自分のプライドという殻に閉じこもった彼氏を、
車のドアを開けて蹴り落としたことがあるって、
伝えてもらえますか』
『おばちゃん』、
あの扉の中でメグが熱いよ熱いよって言ってるよ、
メグが青い空に昇るのは嫌だって言ってるよ、
何も知らない2歳の進君が、
喋りだします、
今日は15年間可愛がられた友人の愛犬メグが火葬にされる日です、
空は雲一つない青空、
15年前に空から舞い降りてきたメグが、
今日は再び空に戻っていく日です、
ペット用の火葬場は思ったよりも奇麗に作られており、
シルバー色に輝いたステンレスの扉が4つ、
今日は私たち以外は誰もいないようです、
最後のお別れ、
皆でメグの棺に花を手向けます、
友人の愛犬メグとのお別れです、
『おばちゃん』、
メグは暗くて狭いよと言ってるよ、
昨日メグが眠った起きなかったけど、
おばちゃんこれからメグはどこに行くの、
葬儀の担当者が、
こちらに向かって深々とお辞儀をし、
メグの入っていったステンレスの扉に向かって、
深々とお辞儀をします、
白い手袋をした指が慣れた手つきで、
まるでメグの運命を決めるかのように、
ステンレスの扉の横にある赤いボタンを押します、
音もしなければ臭いもしません、
ただ赤いパイロットランプが点灯しただけです、
メグがこの地上から喜びと悲しみの思い出だけを残して、
去っていくようです、
骨を骨壺にいれてもらい、
友人の自宅に戻って来ると、
進君が喋りだしました、
『おばちゃん』、
昨日はメグちゃんが眠ったま起きなかったの、
今日はメグちゃんどこに行ったかと思ったけど、
メグちゃんママの後を追っかけて、
お家に戻ってきたんだね、
メグちゃんが家の中でママの後を追っかけて楽しそうだよ、
『おばちゃん』、
メグちゃんが、
ママに御飯をねだってるよ、
『進君、進君はどこから来たの』、
僕、
ええとね、
青い空にいたんだ、
そしたらママと目が合って、
あの人が僕のママだったら良いなって思ったんだ、
そしたら急に暗くなったんだ、
でもそこはとても暖かく、
自由に動けたよ、
それから僕、
くるっと回りながら細いところを通ったら、
急に明るくなったんだ、
そしたらママの声が聞こえたんだよ、
『おばちゃん』、
メグがあんなにママに御飯を御ねだりしてるのに、
ママったらなんで御飯上げないの、
何でメグと遊んであげないの、
ママったらメグが見えないみたいだね、
良かったメグが帰ってきてくれて。
『進君、おばちゃんのビッケは見えるの』、
進君は少し首をかしげていたが、
思い出したように喋り始めた、
ママが言ってたけど、
おばちゃんが飼っていた犬の事、
僕は知らないけど、
今、ここにはいないよ、
きっと遠く青い空から呼ばれたんだよ、
皆青い空から来るんだけど、
誰かが青い空から呼ぶんだ、
『戻ってきなさいって』
そしたら皆どこにいても青い空に戻るんだよ、
きっとおばさんのビッケも、
青い空にいるはずだよ、
でもおばさんの事は忘れないよ
隣にいたママが大粒の涙を流して泣き出しました、
『パパ、ビッケはどこに行ったんだろうね、
私は今でも哀しくてたまらないんだ』、
『パパ、ハグして』、
庭には向日葵、
空には夏の入道雲、
『パパ、
パパって、汗臭い』!!
フロントガラスに映るのは森の坂道、
遠く長い道だったはずなのに、
何度も何度も通った道のはずなのに、
ソワソワするのはなぜ、
こんな気持ちになるなんて、
2人で作った森が、
いつの日にか私の幸せな場所、
私の膝の上の冷たいパピコ、
冷たく感じないのはなぜ、
フロントガラスに映る森の坂道は、
雨も降っていないのに、
しだいに雨粒で覆いつくされていくのはなぜ、
『おや、
今日は子供たちはいないのかね、
そうかそうか、
子供たちも大きくなって山に来なくなっちゃったか、
それじゃ今日は旦那と2人か、
ほれ、そこにあるジャガイモ持って行きな、
それと、このパピコも持ってきな、
そんな、遠慮しないで、
おらなんか、
旦那も死んじゃったし、
一人息子も死んじゃったのさ、
今じゃ一人、
仲良くアイスを分けて食べる事さえ出来ないんだよ、
ほら、そのパピコ、
中に二つ入ってるから、
戻ったらおまえさんと旦那で仲良く食べなよ、
好きな人と一緒って良いもんだよ、
生きてる間は、
おまえさんも旦那と仲良くするんだよ』
丘の上まで来ると、
午後の坂道から、
小さな小さな山小屋が、
陽に照らされて見えるはずなのに、
私の目の前に映る風景が、
次第に涙で前が見えなくなっていくのはなぜ。
遠くの山の空では入道雲が陽に照らされて、
明るく輝いています、
森の上の空では秋のスジ雲、
そして飛行機雲が、
青い空に直線を描いています、
私の周りには、
静かな時間だけが流れています、
庭の椅子に座り、
たった今塗り終わったばかりのベランダは、
まるで鏡のように森をベランダに映しています、
ここしばらく毎週のように雨模様だったため、
ベランダの塗装が出来ませんでしたが、
今週はなんとかベダンだの床板に塗料を塗る事が出来ました、
木製のベランダは東京では20年は持ちますが、
山の中ではせいぜい12年くらいしか持ちません、
森の中では空気中を腐敗菌が常に浮遊しているので、
適度な湿気と温度さえ有れば命を失った森の生物は総て、
腐敗菌で腐り森の循環に飲み込まれてしまいます、
ただし腐敗菌は使いかたによっては、
醗酵という形でチーズや納豆を作り出す事が出来ますが、
この森に中ではひたすら命を失った生物を、
森の土に戻す循環に組み込まれてしまいます、
塗料は色々な塗料を試してみましたが、
今ではオランダ製の塗料を使っています、
私がこの森の中で生きている間くらいは、
ベランダを腐敗菌から守ってくれるはずです、
これからしばらくの間は、
塗料が乾くまでは外での作業が出来ないので、
わたしは森の中の椅子に座り、
ただ時間の過ぎるのを待っています、
森の中の庭では、
時折背丈程の植物がグサグサって動きます、
ママが雑草を刈っているようです、
先程からロッティーが懸命に穴を掘っています、
最近、穴堀の楽しみに気がついたのでしょうか、
庭のいたるところにロッティーの掘った穴が転がっています、
遠くの山の空では入道雲が陽に照らされて、
明るく輝いています、
森の上の空には秋のスジ雲、
そして飛行機雲が、
青い空に直線を描いています、
私の周りには、
静かな時間だけが流れています。
どこにいても視線を感じるのはなぜ、
そのミルク色の視線、
いったい私はどうしたら良いの、
麦わら帽子をかぶったまま、
草影からあなたに微笑むと、
あなたの瞳が、
まるで子供のように、
安心するのはなぜ、
梅雨明けだというのに、
森では、
まるで小石が叩き付けるような激しい雨、
雨が止むのを待ちきれないように、
お日様が雨雲の隙き間から、
森の様子をうかがうように、
森の空からは、
まるでダイヤモンドの欠片のように、
陽に照らされた大粒の激しい雨、
晴れ間を待ちかねたかのように、
ダイヤモンドの欠片で埋め尽くされた、
森の中の庭に迷い込み、
花の剪定をしていると、
どこにいても視線を感じるのはなぜ、
そのミルク色の視線は、
私を心地良くさせるのはなぜ、
遠くの草の隙き間から感じるあなたの瞳は、
あなたを守ってあげる、
あなたにどんな事が有っても、
あなたを守ってあげる、
私にそんなことを言わせるあなたの瞳、
麦わら帽子をかぶったまま、
顔を上げると、
晴れわたる森の空に、
流れる雲、
そしてあなたが花を咲かせて、
そっと私にミルク色の視線。
右手も薬指の先端が紫色に染まっていく、
石を積み始めてどのくらい経っただろうか、
石垣はちょうど膝の高さまで積み上がっていた、
昔、フランスの海岸地帯で見た石垣の長さには及ばないが、
それなりに満足出来る長さの石垣が積み上がってきた、
石を一つ積む度に次の石を目で探す、
どれでも良いという分けではない、
出来れば隙き間なく組み上げる為に、
次に積む石の断面を気にしながら、
石を目で探す、
『次は、私の番よ!!』と、
囁く石を見つけその石を積み上げる、
私に囁く石とは違う石を手に取り、
積み上げようとすると、
なぜか石を置くタイミングを外し、
指の先が紫色に染まりる、
単調な作業のはずなのに、
私はこの石積みの作業が楽しくてならない、
石の囁く声を感じるのが楽しくてならない、
小雨が降り始めてきた、
Tシャツが肌にまとわりつく、
私は石を積み上げる、
私は楽しくてならない、
もう右手の薬指の痛みすら覚えていない、
私は小雨の中、
楽しくてならない、
彼女が耳元で囁く声に目を覚ます、
シーツの下にあるベッドの暖かさを、
右の頬に感じながら夢の中で目を覚ます、
どれくらい前から彼女は、
シーツを左の頬で暖めていたんだろう、
彼女が囁くたびに、
彼女の左の頬のシーツのしわで出来た赤い線が見える、
まるでナイフで斬りつけられたように、
彼女の奇麗な頬に赤い線が刻み付けられている、
『あなたは、上着を重ね着するように恋する事が出来ると言うけれど、
私は上着を脱ぎ捨てるようにしか恋が出来ないの、
どんなに着心地が良い上着を着ていても、
それはいつの日か脱ぐ日が来る事を知っているの、
あなたは目で見える世界を生きようとしてるけど、
私は感じる世界を生きていたいの、
だから、どんな時だって幸せでいられるの、
それが自分にとって幸せな事だと思えれば、
私は幸せになれるの、
今、眠っているあなたに話しかけているこの時でさえ、
私は幸せで満たされているのよ、
ただ、あなたが目に見える世界しか、
信じようとしない事が、
私は哀しいの』
いつのまにか小雨は止み、
石組みは腰の高さまで積み上がっていた、
青い空と、
森の緑と、
積み上げられたばかりの石組み、
私が残った石の上に腰掛けていると、
ママが石垣の前にテーブルと椅子を並べ、
花を飾り、
アイスティーと、
クッキーを置き、
私の方をちらっと見た気がした、
私が瞬きをすると、
ママの左の頬には、
私をずっと見ていたかのように、
私にだけしか見えない、
シーツのしわで刻み付けられたような、
赤い線が浮かび上がってきた。
それは目の前しか見ることの出来ない空間に漂っている感覚です、
陽の光も届く事も出来ず森がぼやけています、
周りでは音が聞こえているはずなのに、
総ての音が遠くに消え去って行くようです、
森の中にいるはずなのに、
青空の下で緑が見えるはずなのに、
取りのさえずりが聞こえるはずなのに、
総ては霧の中に隠されてしまったようです、
時折、丸太の木肌を手の平でさすりながら、
私は心地良い曲線を丸太から探し出そうとしているようです、
ディスクサンダーを持った手はまるでその曲線を、
私の為に見つけ出そうと必死になって、
丸太の木肌を滑りながら削り続けています、
細かな削りくずは森の風の中に舞い、
森の中の光も音も私から隠そうとしているようです、
私は全身丸太から削ったばかりの削りくずで、
粉まみれになりながら丸太と遊んでいます、
丸太は粉になって私と一体になろうとしているようです、
丸太を削っていたディスクサンダーのスイッチを切り、
丸太の木肌を再び手の平でさすり、
滑らかな曲線を手の平で感じると、
7月の森の中で日暮らしが鳴いています、
紫陽花の花が陽の光で白く輝いています、
私は再びこの森に帰って来たようです、
私は小さな旅に出かけていたのかもしれません、
総ての物事を遮断する旅を楽しんでいたのかもしれません、
私は一番心地良く静かで、
誰にも邪魔されない空間を、
彷徨っていたのかもしれません、
削りだした総てのベランダの手すり用の支柱を並べて、
色付けをしていると、
ママの声が聞こえてきます、
『パパ、アフリカの太鼓、作ってんの!!』
『ちょっと、旅行に行って来たんだ!!』
私の声が、
7月の森の中に消えて行きます。