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『大丈夫ですか』
『顔が真白ですけど、
一人で歩けますか、痛くはありませんか、
こちらにどうぞ、
今日は保険証はお持ちですか』
『一時間前に、
あなたはバギーという車から落ち腰を強打して歩けなくなって、
この病院に来られたんですよね』
いえ、そうじゃなくて、
先程も説明したように、
私はバギーから落ちたんじゃなくて、
私がバギーで山を登っていたら、
もちろん一人ですよ、
一人で森の中を走っていたんですよ、
それで途中まではエンジンも調子よく動いてくれてたんですけど、
私がアクセルをフルスロットルにした瞬間に、
エンジンがプスプスっていって止まったんですよ、
深い森の中でエンジンがストップ、
私に出来る事といったら、
そのまま森の中で一夜を明かす事か、
携帯で友人を呼んで私の森の中に招待するしかなかったんですよ、
青い空の中を行き交う雲を見上げていると、
どこからともなく友人の軽トラが私の森に中に入ってきたんです、
二人で軽トラの荷台にバギー車を積んだんですが、
バギーが長過ぎて軽トラの荷台の後ろの扉が閉まらなかったんですよ、
どうせ帰りは下り坂だったので、
私も軽トラの荷台に載ってバギーを押さえながら山を下り始めたんですよ、
私は荷台からぼんやりと空を見上げていると、
空の景色も森の景色も、
私の前を通り過ぎていくんですよ、
私を気にする様子もなく、
私がいることなんか目もくれず、
私の前から夏の季節を総て運び去っていくんですよ、
私は過ぎ去っていく夏の季節を探そうと、
荷台に積んだバギー車にまたがって、
立ったまま両手を広げて追いかけたんですよ、
木の梢が両手に触れるたびに、
森の木漏れ日が私の中を通り過ぎていくんですよ、
私は思わず目をつぶり、
まるで森の中を自由に飛びまわる鳥になれそうな気がしたんですよ、
看護士さん、
森の中の鳥って、
森の中を流れる風が見えるんですね、
私が軽トラの荷台に積まれたバギー車にまたがって、
森の中を両手を広げて飛びまわっていると、
次第に森の中を流れる風が見えてきたんですよ、
見えるはずのない風が見え始めるんですよ、
ルノワールやゴッフォの絵のように、
風には色があったんですよ、
どちらかと言うと見えるんじゃなくて、
色を感じることが出来るようになれるんですよ、
木漏れ日の森を過ぎると薄暗い森の中に入って行くんですよ、
その時に風の中に彼女が現れたんですよ、
現れたというか風の向こうに漂っているんですよ、
私の探していた彼女が風の向こうに現れたんですよ、
あなたをもっと自由にしてあげるから、
今日までの思い出を総て消し去ることが出来ますかって聞くんです、
彼女が、今あなたが考えている願いを叶えてあげるって言うんですよ、
看護士さん、
彼女はなんだったんでしょうかね、
彼女はワインを口に含むと、
私の上に馬乗りになって仰向けになっている私の口の中に、
赤くてフルーティーなワインを注ぎ込むんですよ、
赤いワインは彼女の口からいつまでもいつまでも流れ出て来るんですよ、
あなたがもっと自由になりたいんだったら、
今日まであなたが大事に持ち続けていた重い荷物を総て下ろしなさいって言うんですよ、
私は裸で仰向けに寝ているはずなのに、
荷物なんか何も持っていないはずなのに、
赤いワインが私の身体の隅々まで行き渡ると、
彼女は私の重たい荷物を一つずつ手に取って、
私に見えるようにさし出すんですよ、
私が誰にも見つけられないように隠しておいた荷物さえ、
彼女は探し出すんですよ、
そして彼女は、
あなたの隠している重たい荷物も総て捨てなさいね、
何度も何度も言うんですよ、
もうあなたは今までのあなたには戻れないわよ、
あなたが自由になりたいんだったら、
覚悟してねって言うんですよ、
私は血の気が去り、
顔面がスッと白くなるのを感じたんですよ、
怖かったというよりは、
自分の隠していた秘密を彼女にこじ開けられた感じかがして、
ただ恥ずかしかったのかもしれないな、
あなたの隠していたプライドってなんなの、
あなたの実力ってなんなの、
一流企業で働いているってことなの、
あなたってそんなちっぽけなの、
あなたは世界を見てきたって言うけれど、なんなの、
ただ世界の街を見てきただけじゃない、
永遠の悲しみを何一つ感じようとしなかったじゃない、
あなたは間違えたことをしてないって言うけれど、
あなたにとって間違ったことって、なんなの、
誰にでもよく思われようと自分を演技することなの、
いつまでそんなことにすがっているの、
あなたのプライドってなんなの、
そんなこと誰も気にしてなんかないわよ、
あなたの寂しさを安心させる為の道具じゃないの、
そんなの、ただのあなたの御荷物にすぎないのよ、
そんな荷物なんてさっさと捨てなさいよ、
いつまであなたはプライドの中に自分を隠してるつもり、
いつまであなたは自分のプライドを傷つけようとすることから、
避けていれば気がすむの、
あなたって本当の恋をしたことがあるの、
あなたって他人の寂しさを感じたことがあるの、
森はいつのまにか夏の夕焼け、
両手を広げた私の手の中からすり抜けていった、
私は夕焼けの奇麗な森に見捨てられるのがいやで、
いつまでもバギーに乗って追いかけていたんですよ、
森の梢が私の広げた両手に触れるたびに、
私は次第に森の風を感じることが出来るようになり、
森は再び夏の森に帰ってきたんですよ、
そして軽トラが止まったかと思うと、
私の身体が前のめりになりバギーから振り落とされそうで、
私は思わず両膝を絞って、
バギーのシートに身体を固定しようとした瞬間に、
今度は軽トラがシフトダウンして急発進したもんだから、
私とバギーは軽トラのスピードに着いていけず、
軽トラの荷台から落ちていったんですよ、
私はバギーにまたがり両手を広げて立ったまま、
看護士さん、
目の前が真白になるってことあるんですね、
私は軽トラの荷台から後ろ向きに腰から落ちたようなんです、
緑の森が一瞬で真白になり、
息が出来ずにいたら、
人生が走馬灯のように映りだすかと思いましたよ、
『それじゃあなたは、
軽トラの荷台に積んだバギーという車に乗り、
両手を広げ立ったままバギーと一緒に、
高さ3mの軽トラの荷台から、
後ろ向きに落ちたんですね、
分かりました、
私はそれが知りたかったんです、
先生にそう説明しておきますから、
それまではそこの車椅子に座って待って頂けませか』
すみません、看護士さん、
私が森の中で見た彼女のことは先生に話すんですか、
『彼女はあなたを自由にしてくれたんですよね、
彼女はあなたを軽トラの荷台から突き落としたわけじゃないですよね、
それでは彼女のことは、
私とあなたの秘密にしておきましょうね、
それで宜しいですか』
『それから、今度又彼女に会うことがあったら、
彼女に伝えてもらえますか、
私も自分のプライドという殻に閉じこもった彼氏を、
車のドアを開けて蹴り落としたことがあるって、
伝えてもらえますか』