少し更新ペースが開いてしまってすみません。
最近の屋久島は先月末から相変わらず梅雨雲絶好調で毎日の様に雨が続いています。
ただでさえ湿気が多いのに雨が続くと湿度が90%超えて洗濯物が乾かない上に、壁やら風呂場やらカビが生え、ひどいときには電化製品(特にビデオやDVDデッキ)にカビが生え、使用不可能になってしまうという恐怖の季節。
今年の梅雨の傾向としては雷雨が多く、夜中に「ドカーン」という落雷の音で目が覚めることもしばしば。。。
落雷での停電というのは結構日常茶飯事というか屋久島の常識となっており、雷が鳴ったらまずパソコンの電源を落として、コンセントも抜いて・・・と対策をしておかないとパソコンが何台あっても足りません(泣)
夜中の雷雨→落雷→停電 であれば夜中は寝ているから電気が必要無いので全く困ることも無いのですが、(夏の寝苦しい夜にされるとたまったもんじゃないですけど)先日は朝から発電所に雷が落ちた様で、朝の7時頃から9時半頃まで停電となり、非常に迷惑を被った。
屋久島の場合は突発停電なので、出勤前に停電になると、どの部屋の電気が点いていたかとか、テレビはもう一回スイッチを押さないと消えないのだろうかとか気にしながら出勤することになり、停電が復旧してから帰宅すると、テレビとトイレの電気が点けっぱなしになっていたりと無駄な電気代を使っていたりと本当に迷惑である。
あとはいつも出勤時には途中の自動販売機でコーヒーを買って飲みながら運転するのが日課となっているのだが、停電すると自販機ももちろん動かないので近所の商店で電気の点かない真っ暗な中、目当てのコーヒーを探して、財布から小銭を探して、レジのおばちゃんも真っ暗な中、電卓を打って、お金を確認して・・・と無駄な作業が増えていくのである。
ちなみに屋久島のスーパーマーケットでは停電がしょっちゅうというこもあり、生鮮食品や冷凍庫には自家発電を備えつけて、商品が傷むことの無い様にしているらしいです。
去年屋久島に進出した大手ドラッグストアチェーン店も停電に備えて生鮮食品や冷凍庫には自家発電を備えて商品の劣化を防ぐ対策をとっていたのですが、店のシャッターが手動ではなく、自動だった為に、シャッターを開けることができず、停電が復旧するまで開店ができなかったとか・・・
ちなみにガソリンスタンドで給油するときも電気を使っての給油なので、停電中に給油に行くと店員さんが手動のハンドルを回しながら給油を行っている。しかもその手動のハンドル、1リットル入れる為にはハンドルを3回転ぐらいしないといけないそうなので、ものすごい労力らしいです。なので、停電すると休業するスタンドもあるぐらい。
島に住んでいる人にとっては当たり前の突発停電ですが、電車が無い島だからこそ当たり前で済むのだろう。
震災の影響による、輪番停電や原発事故からの疎開でうちのウィークリールームも夏場は問い合わせが殺到しております。
うちの場合は長期滞在がメインなので民宿よりは安いということでお客さんが多いのですが、それでも渋々疎開されて来られる方にお金を頂戴するというのは少し引け目を感じてしまうのでもう少し、国や市町村が被災地域住民の負担を軽くできる様な処置をとっていただけないかと日々願っております。
現状、夏は満室ですが、被災による疎開などにつきましては優先的にご利用頂ける様に調整させていただくつもりではおりますのでお気軽に御問い合わせください。
頑張ろう日本!!
さて、今年の屋久島、なんだか不思議な気候が続いています。
ゴールデンウィーク前は寒かったのにゴールデンウィークに入ったら急に暑くなったり、去年より2週間も早く、5月23日に梅雨入りしたり、先週末はなぜか台風が季節外れの上陸を迎えたり。
しかも準備にかなり時間を要したのに結果大したこと無くって良かったような・・・腹立たしい様な(笑)
ウィークリールームを始めて今夏で3年目を迎えようとしている今日この頃。
まだまだ知名度は低いですが、ホームページの効果もあってどうにかほとんど埋まっている月の方が多いのですが、宿泊施設といえば民宿がメインの屋久島では法人や療養の為の滞在の方が多く、通常の賃貸という形で入ってる方はあまりいらっしゃらないという・・・実は不安定な状況なのですが、先日珍しく長期賃貸希望のお客様がお部屋を見にいらっしゃいました。
屋久島では他の地域と同様に4月になると官公庁や学校の先生などの転勤などの関係で入れ替わりが激しいのですが、官公庁の方は公務員住宅があり、転勤の先生なんかは赴任される方と入れ替わりで決まった物件に入られる方が多く、あまりうちのアパートではそういう入れ替わりに縁が無いのですが、うちの主人は某大手レンタカー会社に勤めているので、お客さんと世間話をする中で、長期出張の為の宿泊先や、引越しの為の家を探していたりいたりされる方をみつけるとすかさず私の名刺を渡して契約に取り付けるという意外と有能な営業マンなのである(笑)
その中で、先日季節外れの転勤の為の住居を探しに来られた方と出会い、少し時間を取っていただいてうちの部屋も見ていただいた。
その方は島内にある某大手チェーン店の方で種子島店から来月急遽転勤になってしまい、家を自分で探さないといけなくなり、レンタカーを借りて1日中不動産屋回りをしていたそう。
うちの部屋も一通り見てもらい、滞在中の不動産回りについてのお話を教えていただいた。
不動産屋さんが持っている物件はさまざまだが、屋久島は意外と家不足に悩んでおり、紹介された物件はほとんどがアパートだったそうなのだが、重視する点はお部屋の広さや金銭的な部分とのこと。誰でも家探しをするときは同じ悩みを抱えるだろう。
しかし話をする中で感じたことは不動産を通した物件とうちの様な個人経営の物件の甘さの違いである。
まず、不動産経由の場合は初期費用の中に敷金・礼金・仲介手数料と掛かってくる費用が多い上に、退去時に敷金が全額戻ってくるところなんてほとんど無いということだった。
あとは家賃が安くても共益費が掛かったり、駐車場も1台だったら無料だけど2台目から有料になったりと合計してみたらあまり安くならなかったり・・・
うちの場合、駐車場は旦那が自分で砕石を敷いたり、トラロープで区画を作ったりと色々工夫してギリギリスペースを確保しているため、駐車場代の差額も無い上に、共益費は外灯などの電気代を集落で管理してもらって折半し、電気代と併せて月数百円を実費請求してるし、部屋に棚などの造作をされた場合なんかは「便利になって助かりました~」って感じでそのまま使わせていただいてるし、壁のクロスに画鋲の穴が開いたぐらいではクロスの張替えなんてもったいないから自分でパテで埋めたりと、なんでも自分達でやっているため、退去時に請求する金額なんてよっぽど部屋が汚いときに掃除代として家賃÷30日×1日分をもらうぐらいで敷金もほとんど返還させていただいている。
お客さんにも言われたが、ここが個人経営の良いところなのかもしれない。
引越し代だけでも費用がかかるのに、引越し時の初期費が莫大に掛かったら大変なので一応常識的な範囲内でという感じで敷金2ヶ月分預らせていただければ十分というのが私の考えである。
にも関わらず長期賃貸が入らないのはやはり、個人経営ならではの宣伝不足なのだろう(笑)
個人経営にはそういうデメリットもあるけどメリットも結構多いのでなんだかんだ思いながら今後も不動産屋を通すというやり方はしないんだろうな・・・
移住を希望される方はうちの様な甘いアパートにぜひどうぞ(笑)
4月までちょっと寒い日が続いていたのにゴールデンウィークから急に蒸し暑くなり、夜も寝苦しくなってきた今日この頃。昼間は思わず海に飛び込みたくなるぐらい暑い!!
震災の影響があって3月の3連休や春休み期間は観光客が激減していたのですが、ゴールデンウィークには凄まじい人手!!!
うちの主人は某全国チェーンのレンタカー会社に勤めていて、ここは島内でも保有台数が多く100台超の車を抱えているのですが、ゴールデンウィークは毎日満車になったにも関わらず、空車問い合わせの電話は鳴り止まないし空港や港から徒歩で「車空いてないですか?」と訪ねて来る方も多く、てんてこ舞いだった様だ。
通常のスタッフだけじゃ人数が足らず、臨時で3人の知り合いに手伝いに来てもらい、社長も社長夫人もフルで働いていたのだが、それでもいっぱいいっぱいで私も2日間だけ手伝いに行って来ました。
ここの会社はチェーン店なので制服もちゃんとしており、手続き時の説明事項も多いため、私は洗車と営業所間の車移動や配車引取り要員として手伝いに行ったのだが、頭数が多くても来店するお客様の数もハンパじゃないため、結局ちょこちょこ接客もさせてもらっていたのだが、「こんな格好してて接客して良いのだろうか?」と恐縮しながら接客していた(笑)
普通のレンタカー会社だと、お客さんが直接来店⇒手続き⇒貸し渡し⇒来店返却⇒終了 という流れなのだが、離島の場合は車以外の交通手段が無いため、空港や港にレンタカー会社が迎えに行って、到着口でお客様の名前を書いた看板を持ったスタッフが立っていて営業所まで送迎する仕組みになっている。もちろん返車の際も営業所から空港や港まで送ってあげるのだ。
この為、本土に比べて手間が掛かる分、人手も必要となってくる。
私も以前、ウィークリールームを始める前は別のレンタカー会社に居たのだが私が居た会社はスタッフが少なく、接客中にお客さんが車を返しに来ても送る人手が無くて、港や空港に車を乗り捨てしてもらって、後から私が歩いて車を取りに行ったりしていた経験がある。
しかし人手が多くてもお客さんが事故をしたりするとその分さらに人手が取られるので繁忙期は何人居ても人が足りないのだ・・・
屋久島の道路は信号も少ないうえに渋滞が無いので運転がしやすい。その分ペーパードライバーでも運転がしやすいのだが、道が狭いところも多い為、側溝に脱輪したり、岩に接触や乗り上げということも多いらしく、ペーパードライバーでも油断ができないのである。
幸い今回のゴールデンウィーク中にはレンタカーの大きな事故は無かったが、運転には十分気をつけましょう。
毎年のことなのだが、ゴールデンウィーク・夏場・連休の際は来島客がかなり多く、交通手段がバス・タクシー・レンタカーしかない上、バスは1時間に1本程度で金額が上乗せ式になっており、時間の制約がある上に、バスだけで移動しようとすると結構な金額になる。
タクシーも台数が限られており、島内に100台ぐらいしか無いんじゃないだろうか?
そう考えるとレンタカーが一番割安で動きやすいのだが、繁忙期は予約をしないと厳しいので屋久島に行かれる際は交通手段なども全て予約してから行かないと不便になので気をつけてください。
また、人が多いと事故も増えやすい傾向にありますのでなるべくなら連休よりもウィークデーにのんびり行かれることをお勧めします。
しかし、レンタカー会社って大変だなぁ・・・
もうすぐゴールデンウィークですね。
屋久島にもようやく春がやってきた様で昼間は車内がサウナ状態なのですが、まだ風が冷たく、朝晩はまだまだ冷え込んでます。例年ならゴールデンウィークには海とか入れるんだけどな・・・
我が家の長女は今年から小学校2年生に上がり、長男は保育園の年長になりました。子供の成長は本当に早いですよね。
この時期は保育園も学校も役員決めがあり、幼少期は東京に居た私には考えられないぐらい大変なイベントがある。
私が子供の頃は小学校での役員はクラスから2人程度しか専任されず、役員が回って来なければ年に2~3度程度の保護者会以外は学校に呼び出されることはほとんどなく、保護者会に関しても決定した事項を聞く程度なのだが、屋久島の小学校では役員は「専門部会」という名前になっており、保護者全員がいずれかの部会に参加しないといけない決まりとなっているのだ。
いずれの部会も学期に1~2回程度学校に呼び出され、何かしら学校生活の補助活動をしないといけないのだ。
ちなみに昨年は「生活指導部」なるものに所属しており、年に2回ほど近所の横断歩道で旗持ちをしたり、町の夏祭りが終わったあとに寄り道してる子供が居ないかの見回りや夏休みに海水浴場に行き、子供だけで泳いでいる子供が居ないかの確認や監視体制がきっちりしてるかなど名前の通り、子供達の生活指導を目的とした活動を行っていた。
今年は仲の良いママ友達と子供が同じクラスになったので、同じ部会に入ろうと決めていて、「広報部が楽らしい」という噂を聞き、広報部に入ろうと狙っていたのだが、周りの雰囲気に流され、なぜか「クラスの学級委員長及び2年生の学年委員長」という大きな役目を引き受けることになってしまった。
何をするかというと、学年レクリエーションを仕切らないといけないのである。
普通の小学校では親子で参加するイベントというと、学校がだいたい考えてくれる、運動会・学芸会・展覧会などがあるのだが、屋久島の小学校ではこれ以外にクラスの学級委員が考える「親子レクリエーション」というものを年に2~3度程行い、同じ学年の子供だけでなく親も仲良くしようという考えなのである。
しかし、こちらは共働きの家庭が多く、平日の開催は無理な為、必然的に土日の開催となり、学級委員が他の役員と話し合いをし、いつ・何を開催するのかとか必要な物・場所の手配・予算配分なども全て行わないといけないのである。
ちなみに土日に開催される上、任意参加なのにも関わらず、参加率は毎回90%超だからすごい。
こういう風習?があるから屋久島の人達の連帯感はすごいのかなとつくづく感じた。
ちょっと話がそれるが、公務員は島から本土、本土から島への転勤というのも毎年あるのだが、島から本土に行く人には必ず盛大な見送りがあり、よくテレビで見るようなフェリーでの紙テープ投げは当たり前で、空港や港で万歳三唱をして送り出すのが常識である。
こういうのも島の良い文化なのかなと3月は本当に感動させられた。
屋久島出身のうちの旦那様は「都会って隣に住んでる人の顔も知らないのが普通なんでしょ?」などと私に聞いてくるが屋久島ではどの集落にも「民生委員」というのが存在し、単身世帯のお年寄りや生活保護世帯の見回りや声掛けを定期的に行っている。
小さい島だけど学校でも地域でも交流を絶やさないのがこの島や島に住んでいる人の良いところなんだろう。
島の人の温かさと連帯感はまさにこういうところから築きあげられているとつくづく感じた今日この頃でした。しかし学年レクリエーションを考える苦悩はまだまだ続きそうです。
この度の東日本大震災により、犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、被災された皆様、並びにご家族の方々に対しまして心よりお見舞い申し上げます。
一日も早い復旧と復興をお祈り申し上げます。
さて、東京から屋久島に戻ってきて早3週間。
震災のときは東京に1人で暮らす母が心配で居ても立っても居られず、確定申告が終わっていないにも関わらず東京へ行き、申告期限の翌日に帰宅。
今まで確定申告を遅れたことが無かったのでどうしたら良いのかわからず、帰ってからまず、管轄の種子島税務署へ電話をし、急遽震災の関係で東京に行くことになった経緯を説明してどうしたら良いのか指示を仰いだところ、今回は震災による延長取扱申請を提出して良いということになり、申告期限を2ヶ月延ばしてもらった。しかし、長男が保育園通いの為、収入証明を出さないと保育料が決定しないということで結局急いで出す羽目に・・・・世の中そんなに甘くないってことですよね。
今回の震災の影響で食料や電池が不足している話は以前もしましたが、先日関東で水道水に放射成分が混入されているという報道がニュースで流れ、その日から屋久島も一時期ミネラルウォーターが買えないという、水道水を飲むのが普通な屋久島では考えられないような事態が発生しております。今は少々落ち着いた様な気がしますが、店によっては水のコーナーだけ張り紙が貼ってある様です。
私の姉も去年子供が生まれたばかりで現在神奈川に住んでいるのですが、水は危ない、米はスーパーの開店から並ばないと買えないし、オムツは売ってないし、計画停電はあるしと不便が続いていると電話が掛かってきた。
私自身、たくさん買ってはいけないと思いつつも小さい子供が居るからしょうがないと急いで島中を探して水と米と電池を入手して送った。しかしこんな不便な状況が続くのであれば無理に買えない物を入手しようとするより「一時的に屋久島に避難すれば?」というアイデアを出したのだが、どんなに不便でも住み慣れたところを離れたくないというのが姉の意見だった。先日帰省した際に母も同じことを言っていた。
確かに不便であっても私が東京に住んでいたらきっと同じ結論を出すだろうと思ったのだが。
うちの家族はそういう意見だったが最近屋久島に一時的に避難をされる方が増えている様で私のやっているウィークリーYAKUSHIMAでも一時避難の相談が相次いでいる。
今までは法人の数ヶ月滞在だったりのんびり療養をされにいらっしゃる方が多かったのだがここ最近は関東方面からの一時的滞在のご相談が増えた。
理由は水道水が危ないこと、これから暑くなるのに計画停電でエアコンが使えなかったら熱中症の危険があるからということだ。確かに小さいお子さんが居るご家庭であればお子さんが第一になるだろうからそういうことも考えるだろう。
うちとしてはできるだけ避難に来られるお客様を優先的に迎えてあげたいと考えている。しかし何よりも今のこの問題が解決することが一番なのだが。
1日も早い復興を重ね重ねお祈り申し上げます。
確定申告用の書類をまとめるのに4時間もかかり、こんな時間になってしまった。来年こそは少しずつやって早めに提出しようと思った今日この頃でした。
ちなみに屋久島では震災の影響で現在タバコが入荷しづらい状況になっており、私の友人は必死になって自分の吸う銘柄を探しているそうです。
被災者の皆様には重ね重ねお見舞い申し上げます。
先日まで東京で1人暮らしをする母が心配で東京に行っておりましたが、余震がある程度落ち着いたのとこれ以上の休暇が仕事的に厳しいので16日、屋久島に戻りました。
東京では品不足・計画停電・ガソリン不足等でかなりの混乱が起きていましたが屋久島は現時点ではいつもと変わりませんでしたが、屋久島では船が欠航したらスーパーに食材が無いのが当たり前だし、近所のお店の閉店時間はだいたい19時とかだし発電所や夜間工事などによる夜間の計画停電も日常茶飯事でガソリン不足は無いけれどガソリンの値段は本土よりも1リットルあたり40円程度高いのでこういった不便さっていうのは慣れておくも大事なことだとつくづく実感。
多分、ずーっと東京に住んでいたら今回の不足騒動に関して私自身も買い溜めに走ってしまうタイプだろうと思うのだが、屋久島の不便さに慣れてしまうと、買い溜めに走る都会の人々が不思議に感じてしょうがない。
今回の震災で屋久島の住民もかなり心を痛めていて、率先して郵便局を通じて赤十字に募金をした方も多いようです。
保険の仕事で官公庁に出入りしているのですが、東京から帰宅した翌日、某官公庁に行ったらいつもは点いているはずの廊下の電気や事務所の電気が消えていた。
偉い方に「節電ですか?」と聞いたら「東北や関東の人達は電気が足りないわけだから自分達もできることから協力しないといけないからね。」と言っていた。その部署は一般の人は立ち入りができない場所なので見せかけの節電ではなく、自分達できちんと心がけている停電なのだなとつくづく実感・尊敬した。
前日まで東京に行っていた事、自分が見た東京の現在の状況などをお話しし、「節電・募金などできることからみんなでやって行きましょう」という私の個人的意見もみなさんに賛同頂き、とても嬉しく思った。
今回の震災で、学校関係・会社関係では募金活動を行っているところが多く、私の住んでいる地区でも募金活動をすると言っていたのだが、うちの地区では区民の家を役員が回って募金を回収し、区としてまとめて寄付すると言っていたのだがこの案は賛否両論である。
私自身、募金に関しては賛成だし、うちの母も「私は被災者じゃないから」と地震保険でおりるお金をそのまま郵便局を通して赤十字に寄付したそうだし、旦那も「明日は我が身。こういうときこそ助け合わないといけない」ということで会社を通して寄付をしたそう。私も会社を通して寄付をするつもりである。
しかし、募金というのはあくまでも任意というか善意なわけで、役員が家を回って回収に来るというのはどうなんだろうかと疑問に思う。
信用性・・・と言ったら失礼になるかもしれないが、屋久島の人はあっけらかんとしていると言うのだろうか・・・各家庭を回りながら「××さんはいくら入れてたよ。」とか「みんなだいたい○○○円ぐらい入れてるよ」なんていう風に言われるんじゃ無いかと思うと人それぞれの気持ちっていうのがあるわけだからそういうのがきちんと発揮できない気がしてしょうがない。
ま、私自身偉そうなことを言える立場では無いのだが、地区の募金活動に関しては公民館に募金箱を置く程度にして、区費を使って区の予算からもいくらか募金するとかそういう程度に留めるべきじゃないかと思う。
屋久島は地盤の関係で大地震が起きづらいという話を昔聞いたことがあるのだが、その話を知人にしたら、「地盤なんてきちんと見たことある人が居るわけ無いんだし、地盤一つでわかったら地震なんか未然に防げるでしょ?」と言われた。確かにそうかもしれない。
保険の仕事をしてる中で「自分はガン家系じゃないから」とか「今まで入院なんて一度もしたこと無いから」とかと言って保険に入らない人が結構居ますが、いつ病気になるかとかいつ死ぬかなんて誰にもわからない。それと一緒でいつ災害が起きるかなんて誰にも予測はできないわけです。
明日は我が身。屋久島でもみんなが一丸となって復興に協力できるようになりたいと思う今日この頃でした。
1日でも早い復興を心よりお祈り申し上げます。
連投で失礼します。
しかし、一人でも多くの方々に現在の状況を知っていただきたく思い、敢えて連投させていただきます。
携帯電話には自分が居るエリアで大きな地震が起こると
「緊急地震速報 ○○県で地震発生。強い揺れに備えてください(気象庁)」という内容のメールが大きな警告音と共に自動的に送信されてくることになっている様で、13日から1日に数回はこんな内容のメールにドキドキさせられている。もちろん、このメールが届くと同時に揺れを感じるので毎日不安な日々を過ごしている。
しかも震源地が安定しておらず、明日は我が身と感じるのは一緒の様で、13日からコンビニからは食料品・水・乾電池・電池式の携帯充電器・カップめん・パンなどが棚から一気になくなったきり、入荷未定の状態が続いている。
コンビニだけじゃなく、大手家電量販店ではこれ以外にもラジオや懐中電灯が品切れとなり、入荷日未定の状態が続いているようだ。
今日に限っては輪番停電などの影響により、どこの店に行っても節電の為に店の照明の数を減らして営業していたり、営業時間を短くしたり、終日閉店にしていたり、輪番停電が予想される時間帯の電車が運休になったりとどこに行ってもいつもの東京都は思えないような光景が続いている。
しかし、この状況の中でもいつもどおりに照明を点灯して営業している店もあり、一番電気を食うんじゃないかと思われるゲームセンターやパチンコ店は普通に営業しているんだから不思議というかちょっと無神経極まりない。
結局現時点では電気の供給量が確保できそうとのことで第5グループからの輪番停電のみ実施ということになったようだが、東京23区は荒川区以外除外地域というのもどうかと思う。
こういうときこそみんなで協力するものでは無いのだろうか。確かに交通機関やら官公庁等が麻痺するのは大変なことだとは思うが、電気が完全に供給不足になってしまったら3時間程度の停電では済まなくなるのだから・・・
今回の被災に伴い、至る所で募金活動が始まっています。
私の友達が働いている屋久島の喫茶店でも募金箱の設置とメニューによって売上の一部を募金する活動を始めたようです。
道端で手作りの募金箱を持って立ってらっしゃる方もいますが、失礼な話、こういうときにも関わらず人の善意を利用してお金を得ようとする方も居ると思います。
なので極力自分で郵便局などを使って義援金窓口などに送金するか、信用できる機関での募金をしたい思っています。
たとえば、日本の人口の半分の6千万人が一人100円募金したら60億のお金が貯まります。
これってちょっとの善意がたくさんの人を救えるってことですよね。
私の大好きな友達も今岩手で避難所生活を送っています。
少しでも早い復旧を願って皆さんも募金活動、節電に協力しませんか?
偉そうなことを言って本当にすみません。
重ね重ねになりますが、震災地域の早い復旧を心よりお祈り申し上げます。
実家にはネット環境が無いため、ネットカフェでの投稿ということもあり、こっちにいる間はしょっちゅう投稿ができるわけでは無いですがまた何か気付いた点、皆様にお知らせしたい点がありましたらできる限り情報提供をさせていただきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
3/14 22:42 人口を間違えていたため訂正しました。
まず、震災の地域にお住まいの皆様には心よりお見舞い申し上げます。
3月12日、保険の仕事でお客さんの家を訪問している際に、臨時の町内放送で「東北地区の大地震の影響により、屋久島にも津波警報が発令されました」との放送があったため、状況を把握すべくお客さんの家でテレビを見せていただいたら宮城県、岩手県でのすさまじい津波の様子と、震災時の映像が流れていた。
最初テレビの映像を見た時には言葉も出ないというか「本当にこれが現実?」と状況を受け入れられないままテレビに釘付けになっていたのですが、よく見てみると「東北・関東で大地震」と書いてあり、思わず東京に一人で暮らしている母の安否が心配になり、電話を掛けてみたのですがそのときは結局連絡がつかず、夕方以降もずっと掛けてみましたが今度は電話がつながらないため、居ても立ってもいたれず、急遽東京へ向かうことにした。
ちなみにうちの実家はマンションの12階で、マンションの下をちょうど地下鉄が通っているので地下鉄が通るだけでも多少の振動を感じていたので震度5の地震があったらどんなことになるのかだいたいの想像はついていた。
本来だったら、営業回りが終わってから一度会社に戻り、退勤登録をしてから家に帰るのだが、屋久島発の最終便に飛び乗るとしたら会社に戻っていたら間に合わないのでお客さんの家も足早に帰らせていただき、自宅へ向かった。
とりあえずは航空券の手配をしないといけないので帰ってからパソコンの前に直行し、屋久島発の最終便から乗継可能な鹿児島発羽田行きの便を探したのだが、なぜか購入ができず、とりあえず荷造りを先にしてから会社に直帰の連絡と休暇の連絡を入れて再度パソコンに向き合った。
どうもニュースの状況と照らし合わせてみると、当日は羽田空港が閉鎖になる可能性が高いようだったので当日の出発はあきらめて、すぐに翌日朝一で東京に行ける便への予約に切り替えた。
結局その日の夜は母からの連絡は来ず、眠れない一夜を過ごして翌朝屋久島空港に向かった。
前日に手配をしたときは屋久島発の便も鹿児島発の便も空席に余裕があったのだが、当日空港に到着したら人でごった返していた上に飛行機は全便満席になっていた。
やはり考えることは皆同じなのだろう。震災地域に家族の居る方や家のある方々が急遽関東地方に向かった様子でキャンセル待ちのや航空券の変更をする人で長蛇の列ができていた。
私は幸いにも前日から予約を入れていたので予定通り屋久島から飛行機に乗ることができたのだが、鹿児島からの乗り継ぎ便が欠航になってしまい、鹿児島空港で足止めを食ってしまった。
幸いにも母から無事との連絡を受けたのでさほど急ぐ必要はなかったのだが、まだまだ余震に油断ができない状況だったので少しでも早く母の元へ行きたかった。
結局、欠航便の次の便のキャンセル待ちを入れたのだが、この便に乗れる確証がなかったので、空港のインターネットコーナーで他社の便の空席と発着状況を確認したら全日空の便に空席があったため、キャンセル待ちした分は払い戻しをしてもらい、全日空の便に切り替えて東京に向かった。
交通機関に乱れは出ていたが幸いにも羽田から自宅近くまで行くバスは通常運行していたため、そのバスに飛び乗り、自宅へ向かった。
途中で東京タワーの近くが見えるのだが、テレビで放送していた通り、てっぺんが曲がっていて今回の地震の規模を改めて思い知った。
同じバスの乗客は東京タワーが見えた瞬間、ざわつき始め、携帯のシャッター音まで背後から聞こえてきた。
確かに珍しいことかもしれないけどあまりにも不謹慎過ぎる行動ではないかと思う。
屋久島の家を出発してから6時間後、ようやく実家に到着し5たのだが、家の中の様子を見て愕然とした。
ガラスケースに飾られていた母の趣味の香水やブランデーの瓶は全て倒れていたり割れていて、本棚の本は全部崩れ、壁に飾ってあった額縁も斜めになり、タンスの位置も絨毯と一緒に横にずれていた。
そして3か月前に私が誕生日プレゼントにと贈ったテレビも落下の衝撃で液晶が割れて見れなくなってしまったのだが、母がなんとも無かったのがせめてもの救いだった。
ちなみに震災時、母は家には居なかったそうなので被害に遭わずに済んだようだ。
我が家の時計は自身の地震の衝撃で止まっていた。
今でも行方不明の方や孤立してしまっている方、亡くなったり負傷された方はたくさん居るのでうちの母が無事だったからと言って良かったとは決して言えないが、早い復旧を願いたい。
15日までにマグニチュード7程度の余震が来る可能性は70%ということだがこれ以上の被害が拡大しないことを心から願いたい。
東京での状況については次のコラムへ・・・・
まず、震災の地域にお住まいの皆様には心よりお見舞い申し上げます。
3月12日、保険の仕事でお客さんの家を訪問している際に、臨時の町内放送で「東北地区の大地震の影響により、屋久島にも津波警報が発令されました」との放送があったため、状況を把握すべくお客さんの家でテレビを見せていただいたら宮城県、岩手県でのすさまじい津波の様子と、震災時の映像が流れていた。
最初テレビの映像を見た時には言葉も出ないというか「本当にこれが現実?」と状況を受け入れられないままテレビに釘付けになっていたのですが、よく見てみると「東北・関東で大地震」と書いてあり、思わず東京に一人で暮らしている母の安否が心配になり、電話を掛けてみたのですがそのときは結局連絡がつかず、夕方以降もずっと掛けてみましたが今度は電話がつながらないため、居ても立ってもいたれず、急遽東京へ向かうことにした。
ちなみにうちの実家はマンションの12階で、マンションの下をちょうど地下鉄が通っているので地下鉄が通るだけでも多少の振動を感じていたので震度5の地震があったらどんなことになるのかだいたいの想像はついていた。
本来だったら、営業回りが終わってから一度会社に戻り、退勤登録をしてから家に帰るのだが、屋久島発の最終便に飛び乗るとしたら会社に戻っていたら間に合わないのでお客さんの家も足早に帰らせていただき、自宅へ向かった。
とりあえずは航空券の手配をしないといけないので帰ってからパソコンの前に直行し、屋久島発の最終便から乗継可能な鹿児島発羽田行きの便を探したのだが、なぜか購入ができず、とりあえず荷造りを先にしてから会社に直帰の連絡と休暇の連絡を入れて再度パソコンに向き合った。
どうもニュースの状況と照らし合わせてみると、当日は羽田空港が閉鎖になる可能性が高いようだったので当日の出発はあきらめて、すぐに翌日朝一で東京に行ける便への予約に切り替えた。
結局その日の夜は母からの連絡は来ず、眠れない一夜を過ごして翌朝屋久島空港に向かった。
前日に手配をしたときは屋久島発の便も鹿児島発の便も空席に余裕があったのだが、当日空港に到着したら人でごった返していた上に飛行機は全便満席になっていた。
やはり考えることは皆同じなのだろう。震災地域に家族の居る方や家のある方々が急遽関東地方に向かった様子でキャンセル待ちのや航空券の変更をする人で長蛇の列ができていた。
私は幸いにも前日から予約を入れていたので予定通り屋久島から飛行機に乗ることができたのだが、鹿児島からの乗り継ぎ便が欠航になってしまい、鹿児島空港で足止めを食ってしまった。
幸いにも母から無事との連絡を受けたのでさほど急ぐ必要はなかったのだが、まだまだ余震に油断ができない状況だったので少しでも早く母の元へ行きたかった。
結局、欠航便の次の便のキャンセル待ちを入れたのだが、この便に乗れる確証がなかったので、空港のインターネットコーナーで他社の便の空席と発着状況を確認したら全日空の便に空席があったため、キャンセル待ちした分は払い戻しをしてもらい、全日空の便に切り替えて東京に向かった。
交通機関に乱れは出ていたが幸いにも羽田から自宅近くまで行くバスは通常運行していたため、そのバスに飛び乗り、自宅へ向かった。
途中で東京タワーの近くが見えるのだが、テレビで放送していた通り、てっぺんが曲がっていて今回の地震の規模を改めて思い知った。
同じバスの乗客は東京タワーが見えた瞬間、ざわつき始め、携帯のシャッター音まで背後から聞こえてきた。
確かに珍しいことかもしれないけどあまりにも不謹慎過ぎる行動ではないかと思う。
屋久島の家を出発してから6時間後、ようやく実家に到着し5たのだが、家の中の様子を見て愕然とした。
ガラスケースに飾られていた母の趣味の香水やブランデーの瓶は全て倒れていたり割れていて、本棚の本は全部崩れ、壁に飾ってあった額縁も斜めになり、タンスの位置も絨毯と一緒に横にずれていた。
そして3か月前に私が誕生日プレゼントにと贈ったテレビも液晶が割れて見れなくなってしまったのだが、母がなんとも無かったのがせめてもの救いだった。
そして我が家の時計は地震が起きた時間で止まっていた。
ちなみに震災時、母は家には居なかったそうなので被害に遭わずに済んだようだ。
今でも行方不明の方や孤立してしまっている方、亡くなったり負傷された方はたくさん居るのでうちの母が無事だったからと言って良かったとは決して言えないが、早い復旧を願いたい。
15日までにマグニチュード7程度の余震が来る可能性は70%ということだがこれ以上の被害が拡大しないことを心から願いたい。
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だいぶ日中は暖かくなりましたが最近は雨期に入ったんじゃないかと思うぐらい雨の日が続いています。
今年は鹿児島本土の新燃岳噴火の影響もあり、宮崎や鹿児島本土などの近県から入荷される野菜の値段が高くってスーパーで買い物をするときも値札の金額を見て、買う予定の物を変更したり、もう一件寄り道して違う店で買ったりと、主婦としては予定を大幅に狂わされて困っている毎日である。
しかしこの野菜の物価高騰の島に去年から救世主が居たのだ。
私の住んでいるところは安房(あんぼう)という島で二番目に栄えていると言われている集落で、スーパーも銀行も郵便局も近くにあるし、会社は宮之浦という島で一番栄えている集落にあるため、毎日会社から家まで往復する中で必要な用事は全て済んでしまうので、島外から来た友達を観光案内に連れて行くときや魚釣りに行くときぐらいしか島の西部や南部に行くことはそうそう無いのだが、今日は子供達とランチでも…ということで急遽島の南部に行くことになった。
屋久島は一周約105キロで世界自然遺産に認定されてるだけあって、山林が島の大部分を占めている。
そんな小さい島でも場所によって天気や気温が異なるから自然というのは不思議である。
今日行った集落は島の最南部にあたる、平内というよそからの移住者が多く、島で一番暖かいことで有名な集落である。
たまたまここに来たときに不思議なお店を発見!!
以前通ったときには何も無かったはずなのに、小さいお店の前には
「産地直売所」
と書いたのぼりが…
行きは目的地に急いで居たため素通りしたのだが、帰りに立ち寄ってみることにした。
島内では農家の方も多いのだが、野菜の販売方法は「無人市」というその名の通り、常時誰も居ない小屋の中に野菜が並べられて料金箱が置いてあり、そこに購入金額を入れるという、平和な島ならではの販売方法で、人件費がかからないこともあるからか、料金はほとんどが一袋100円で販売されている。
気がねなく買えて良いのだが、ふらっと寄ったときに小銭を持っていないと購入できないのもあり私はあまり立ち寄らない。ちなみに今の時期だと並んでいるのはほとんどタンカンという屋久島特産のミカンばかりだ。
あとの販売方法としてはお土産屋さんの片隅に「地産地消コーナー」と称して特設スペースが設けられ、並べられている方法だ。
この場合だとお土産屋さんの販売促進も兼ねている上に地元の人だけでなく、観光客の目につくため、客層の幅が広がるのだが、その分値段も少し高いのでこちらにしても私はあまり利用しない
そしてこの産地直売所に恐る恐る足を踏み入れてみたのだが、まずは値段にビックリした。
キャベツやら水菜やら大根やら・・・スーパーで買ったら今の相場では200円~300円というのが普通のラインなのにほとんどが100円だったのだ。
お店の方に聞いた話だと、「無人市の延長でやってるからほとんど100円で販売できるようにしています」とのこと。地元産の新鮮野菜の上にこんなに値段が安いのなら毎日でも寄りたいぐらいである。
屋久島には観光客向けのお店や民宿というのが年々増加しているが、観光客がこれからも増加傾向にあるかと言われると100%の保障が無い今だからこそこういった地域密着型の地産地消の商売というのが一番なんでは無いだろうかと感じた日であった。
安房・宮之浦方面からだと、平内集落に入ってすぐぐらいのところにありますので平内に行った際にはぜひともここで値段と品質の良さに感動してください(笑)
地産地消最高!!
補足