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2011/09/23

以前「ピンクが嫌いな女たち」というコラムを書きましたが、
今回は男性にとってピンクとは一体どんな意味を持っているのか
カラーセラピー的に掘り下げて行きたいと思います。

本来色には男性の色、女性の色など存在しないのですが
ピンクだけは別のようでイヤでも「女性」を連想させてしまうようです。
それもただの女性ではなく、女性らしさに富み、愛情と優しさに溢れ、
保護本能を刺激する可愛らしさも併せ持っている…
いわゆる一昔前のお嫁さんにしたいタイプ…と言うイメージでしょうか。

確かにピンクには上記のキーワードが詰め込まれていますが
だからと言って女性だけの色ではないはずです。
最近では男性でもスーツに薄いピンクのシャツやネクタイを合わせたり
ファッションにピンクを取り入れている人をよく見かけます。
しかしそれとは逆に「男がピンクなんか着れるものか!」と
断固抵抗している男性も少なくありません。

ではピンクに抵抗のある男性とそうでない男性の違いは
一体何なのでしょう?

私の周りでピンクを抵抗なく身に着けている人の殆どは
自由業の人たちです。
細かく言うと、美容師、ファッション関係、飲食業、等など
組織や年功序列などの世界にあまり縛られない人たちでしょうか。

そして面白いことに彼らは男女の役割についても非常に柔軟で
男はこうあるべき、女はこうあるべき、と言った固定観念に
あまり縛られていないのも特徴の一つです。
それは男女関係のみならず、他の人間関係、仕事の運び方なども
「ねばならない」ではなく、柔軟で自由な発想と考えに基づきます。

彼らがピンクに抵抗が無い理由は
「ピンクは女性の色だ」と言う一般的な固定観念に捕らわれず
クリエイターならではの感性を大切にしているからなのかもしれません。

では逆にピンク嫌いの男性はどうでしょう。

実は私の周りには結構多く、
それは熊本と言う土地柄のせいもあるかもしれません。
特に団塊の世代以前の男性にかなり顕著にその傾向が伺えます。
土地柄や年代的なものが大きく関係しているのは間違いないでしょう。

ピンク嫌いの彼らにとって何より大切なのは「男らしさ」。
「男とはこうあるべき」と言う彼らなりのイメージが
しっかりと心と身体に沁みついています。
彼らにとってピンクとは女の色そのものなので
ピンクを着ると言う発想は1ミリたりとも存在しません。

そしてそれは彼らの生き方にまで及びます。

「女はこうあるべき」
「結婚はこうあるべき」
「子供はこうあるべき」
「仕事はこうあるべき」等など…

ピンク嫌いの男性は固定観念や既成概念に縛られまくられ
自分の信念を頑なに守り絶対に崩そうとはしません。
それがどんなに苦しいことであっても
歯を食いしばって我慢し続けるのです。

そしてそんな彼らに惹きつけられる女性が現れます。
そう…
ピンク過剰な女性たちです。

「この人は私が側にいて支えてあげないとダメなの…」

こうして共依存の関係が出来上がると言う訳です。

ピンク嫌いの男性は自分のイメージした男らしさ確かめる為に
ピンク過剰の支配しやすい女性が必要なのです。

このからくりを踏まえた上で…
パートナーにピンクのシャツをプレゼントしてみてはいかがでしょう?

既に持ってる?

だったら彼は柔軟性があるという証拠ですね。

08:37 | kimiyo | ピンクが嫌いな男たち はコメントを受け付けていません
2011/08/23

6月下旬、スタッフの桃生さんから第三回JunkStage舞台イベント連動企画として
「瑠璃色」に関してのコラムを執筆して欲しいとのメールが入りました。

JunkStageにカラーセラピーのコラムを書き始めて2年あまり経ちますが
私にとって瑠璃色はこれまで中々手を出し難い色だったので
お話しを頂いた時には正直ちょっと戸惑いがありました。
しかしこれはきっと(きちんとこの色に向き合いなさい)と
私の内面からのメッセージであることも分かっていたので
いよいよこの時期が来たのか…と腹を括り向き合うことにしたのです。

瑠璃色の「瑠璃」とは、いわゆるパワーストーンのことです。
ラピスラズリと言えばご存知の方も多いかもしれません。

地色は深い群青色から明るい青色まであり
多くの場合金色の粒子や白いカルサイトを伴います。
ラピスラズリは水晶と並び最も古くかつ強力な霊石で
世界各地で聖なる石として邪気払いや神に繋がる石として
様々な儀式や呪術に用いられました。
古代エジプトではファラオや王族しか持ってはいけないとされた時期も
あり、ツタンカーメンの黄金のマスクの青い部分はラピスラズリでした。
またラピスラズリは仏教における七宝の一つにも数えられ
日本でも水晶と瑠璃は「幸運の守り石」とされました。

では何故ラピスラズリがそんなに強力なパワーを持っているのでしょう。
それは対応するチャクラと大きく関係しています。

ラピスラズリが対応しているチャクラは6番目のチャクラ。
眉間の部分にあることから一般に「ブラウチャクラ」と呼ばれていますが
時にサードアイ(三番目の眼)と呼ばれることもあり、
肉眼では決して見ることの出来ない真実を私たちに教えてくれるからです。

私が瑠璃色に戸惑ったその一番の理由は、
対応するこのブラウチャクラが所謂スピリチュアルなキーワードで
埋め尽くされているからなのです。
特にサイキック、超能力等に関係しており
このチャクラを開く訓練をして
霊能力や超能力を身に着ける人もいるほどです。

ですので、このチャクラは非常に魅力的であると同時に
落とし穴的な危険な要素も併せ持っていますので
以前「スピリチュアルの落とし穴」というコラムにも書きましたように
安易かつ面白半分に近づくのではなく、
下位のチャクラをしっかり機能させた上で
虹の階段を着実に一歩一歩登りながら順番に開くことが大切なのです。

その為にはまず基盤(土台)の赤をしっかり地中に根付かせ
楽しみのオレンジ、意志のイエロー、愛情のグリーン、洞察のブルーと
階段を登った先にいよいよ霊感の瑠璃色…
そして最後に叡知の紫へと繋がって行くのです。

順番に登った先に待っているこの瑠璃色の霊感は
私たちに計りしれない恩恵を与えてくれます。

それはインスピレーションとして突然答えが湧いて来たり
偶然の一致やメッセージやサインが度重なったり
危険を回避させてくれたり、ヴィジョンを見せてくれたり
願い事が叶うのを手助けしてくれたり…等など
常識を遥かに超えた方法でやって来るのです。

瑠璃色に固定観念や既成概念は存在しません。
あるのは宇宙の意思のみ。
その大いなる流れに身を任せることにより
これまでのように小賢しく立ち回る必要もなければ
意地になって向かい風の方向に進む必要もなくなるのです。

そこには人知を超えた何かが明らかに存在して
私たちをいつでもサポートしてくれるのですから。

何故今私が瑠璃色に向き合う必要があるのか…
それは義母の死と大きく関係しているように思います。

そのメッセージを与えてくれたJunkStageに心から感謝致します。
やはり全ての出来事には意味があるのですね。。

9月11日の公演の成功を心よりお祈り申し上げます。

JunkStage第3回公演、9/11(日)に実施決定!
イベント特設サイト http://www.junkstage.com/110911/

05:41 | kimiyo | 瑠璃色に向き合う時 はコメントを受け付けていません
2011/07/27

今月3日…夫の母が急逝しました。
まだ73歳。
現在の日本女性の平均寿命から考えると明らかに早すぎる死です。

40代半ばから高血圧の持病を抱え、
60代後半からは心臓を悪くし、何度か入退院を繰り返しましたが
それでも何とか元気でいてくれた義母でした。

しかし今回、義母が倒れたと知らされた時は様子が違いました。
搬送された病院先で既に意識不明とのこと。
電話を貰った時は既に夜中で、私と息子は就寝中でしたが
取るものも取りあえず病院に駆けつけました。

医師の説明では、左脳にこぶし大の出血が見られ
意識を回復するのは極めて難しいとのこと。。
ベッドに横たわる義母は人工呼吸器を装着され
かろうじて心臓が動いている状態でした。

ついこないだ義母と話した時は元気そうだったのに、どうして…

私の頭の中は混乱し、まるで現実感がなく、幻でも見るかのように
ただ呆然と義母を見つめることしか出来ませんでした。

私が夫と結婚したのは丁度10年前。

結婚に至るまでも、そしてこの10年間も
決してスムーズに事が運んだわけではありません。
どこの家庭でも大なり小なりあるかもしれませんが
私たち夫婦にも何度か危機が訪れたことがあります。

そんな中、私の唯一の味方になってくれたのが義母でした。

夫の実家は歩いて10分足らずの場所と言うこともあり
そんな時、義母は家に来てくれて私の話しを真剣に聞いてくれました。
それだけで私の心はすっかり軽くなり
何とか頑張ろう…と言う気になれたものです。

そしてカラーセラピーの仕事を始める時も
義母が一番に協力してくれました。

当時まだ幼稚園の年中だった息子を義母が預かってくれたお陰で
私は安心して講座やワークショップに集中する事が出来たわけです。

義母の支えなくして私がカラーセラピストを続けることは不可能でした。

義母が他界してまだ一ヶ月経っていないと言うこともあり、
未だ現実感が湧かず、自分自身と向き合う事が中々出来ません。

ここ暫くは正直コラムを書く気持ちにも中々なれず…
それどころかパソコンさえ開く気にもなれず…
今の私には自分の夢や希望といった欲求が殆どない状態です。

今はただ義母という支えを失くして揺らいでいる基盤を元に戻す為に
毎日の生活をしっかりとこなすことが重要なのかもしれません。

「虹色の魔法」の最初のコラムにも書きましたが
人間の欲求や成長には階段を登るように順番があります。
まずは第一チャクラの赤の基盤作りをしっかりしてこそ
次のステップに安心して進めるわけです。

義母の死を通して、何を学び何に気付かされるのか…
今私は身を持って体験しているところです。

11:29 | kimiyo | 義母の死 はコメントを受け付けていません
2011/05/20

心ここにあらずの時、その心は一体何処に行っているのでしょうか。

未来について悩んでる時は、未来へ。
過去について悔んでいる時は、過去へ。
恋愛や人間関係でで苦しんでいる時は、その相手の元へ。

このように心はいとも簡単に時空を超えて何処へでも行くことが出来ます。
ポジティブな気持ちで未来に想いを馳せるのとは違って
心ここにあらずの時はどちらかと言うとネガティブな状態の時が多いようです。

その証拠に心ここにあらずの時は
あり得ないようなケアレスミスを犯したり
ちょっとしたトラブルに巻き込まれたり
集中力が散漫になり仕事や勉強が捗りません。

肉体面に於いては、心が留守になっている状態なので
風邪を引きやすかったり、疲れが取れなかったり
怪我をしやすかったりします。

心ここにあらずの時は所謂地に足が着いていません。
身体と心が一致していないので、現実感がなくいつもふわふわと
宙を浮いたような感覚で、外に出るよりも家の中で過ごす事を好みます。

ではこういう時にどうすれば良いのでしょうか。

カラーセラピー的に言うとこういう時は「赤」がかなり不足している状態です。
赤には「行動、情熱、地に足を着ける」等がありますが
ここでいきなり赤を身につけたり、身の周りに置くと
逆にエネルギーを吸い取られることにもなりかねません。
それだけ「赤」と言う色にはパワーがあるのです。

こういう時は赤と言う色に拘らず、同じ効果を持つ行動に出るのがベターです。

例えば

散歩に出て自然に触れてみる(鳥のさえずりや風を感じてみる)
大きな木を抱きしめてみる(木はルートチャクラのシンボルでもあります)
裸足で過ごしてみる(出来れば地面を歩いてみる)。
軽い運動をして身体を動かしてみる(肉体を意識する)。

これらの行動を取ることにより、何処かへふらついていた心が
しっかりと自分の中の帰るべき場所に納まり
身体と心と精神が三位一体となって
自分自身をしっかり味わうことが出来るようになるでしょう。

そしてこの三つ(肉体、心、精神)がしっかり手を繋ぎ合うことにより
今この瞬間を生きることが可能になるのです。

11:38 | kimiyo | 心ここにあらずの時 はコメントを受け付けていません
2011/04/18

どうでもいいことなのにスルー出来ず、
いつまでもその出来事や言われたことについて考え続けたり
ちょっとした一言に過敏に反応して傷ついてしまう…
そんなことってありませんか?

敏感=いわゆる感受性が強いと言うことでもあるので
芸術方面では必要な要素でもあるのですが
問題なのは敏感に反応するあまり
自分自身の心身を傷つけてしまうと言う点です。

数年前に「鈍感力」と言う本が流行りましたが
一見マイナスに思われている「鈍感」と言う言葉の中に
実は幸せに生きる為のヒントが隠されている…
と言う事実に気付いた方も多くいらっしゃるのでは…と思います。

私たちが普段悩み苦しむ内容の中には
実は悩まなくても良い事柄と言うのが多く含まれています。

例えば極端な話ですが…

「あなたってバカよね」

と友人から言われた時に
殆どの人が自分を否定されたと思って傷つくことでしょう。

ある人は咄嗟に「自分はバカじゃないんだ!」と
声を荒げてその友人に反抗して大喧嘩に発展するかもしれませんし
またある人は直接反抗出来ない代わりに
心の中でいつまでもその言葉を反芻し友人を恨み続けるかもしれません。

いずれにしても
その友人の言葉に捕らわれ過ぎて
自分自身の心身を必要以上に傷つけている事は確かです。

しかし鈍感力がある人は
友人から「バカよね」と言われても
華麗にスルー出来ることが出来るわけです。
その言葉で自分自身の誇りを傷つけられることは決してありません。

何故ならその人には本当の自信があるからであり、
自分ときちんと調和出来ているからなのです。

自分の一番の味方は自分以外にあり得ません。
究極に言えば、世界中の人が自分を否定したとしても
自分が自分自身を肯定し受け入れていれば
何も怖いものはないのです。

逆も然りで
世界中の人がどんなに自分を肯定してくれても
その人が自分を否定し続けていれば
ハートは閉ざされ、傷つき、次第に身体も病んで行くでしょう。。

一番重要なのは
敏感になるべき部分と鈍感になるべき部分の見極めだと思います。

敏感になるべきところで鈍感になったり
鈍感になるべきところで敏感になると
一気に歯車が狂い出し、せっかくの流れが堰き止められてしまいます。

敏感と鈍感のバランスを取ることにより
これまでの悩みや苦しみが半減し
幸せが増大することは間違いないと思います。

03:13 | kimiyo | 敏感と鈍感のバランス はコメントを受け付けていません
2011/03/31

誰しもが、心が折れそうな時があると思います。
仕事が上手く行かなかったり、人間関係のいざこざだったり、失恋したり…etc…
要因は人それぞれで、誰かと比べられるものではないのでしょうが

『今確かに自分は傷ついて心が悲鳴をあげている。。』

こんな時にまず一番大切なのは
心が折れていると言う事実に対し、自分自身が目を逸らさずに受け入れる事です。

私は大丈夫。
こんなことくらいで泣いたりなんかしない。

等と下手に強がらない事がとても重要なのです。

だからと言って、自分の弱さを急に吐露出来る人は少ないでしょう。
何故なら弱さを見せる事=相手に否定される(嫌われる)かもしれない
という図式が殆どの人に刷り込まれているからです。

どんな時も弱音を吐かずに強くいること。
ポジティブシンキングで苦難を乗り越えること。
マリア様のようにいつも寛容で優しく他人を受け入れること。

私たちは小さい頃から、親や教師を含め周りの人たちから
このように刷り込みをされて育って来ました。

逆に

弱音を吐いてもいいんだよ。
ネガティブな感情を持っても大丈夫なんだよ。
時には悪魔のように嫉妬したり怒ってもいいんだよ。

そんなことを言ってくれる人は
そうそう周りにいないような気がします

私自身、上記の言葉を受け入れる事によって
人は本当に優しく強くなれると確信しているので
カラーセラピストとしてクライアント始め友人等には
そのような言葉掛けをしているのですが
自分自身にはまだ許せていないのが現状なのです。

こんな事を書くと
偉そうにカラーセラピーのコラムなんか書いていて
何の説得力もないわ…と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

でも
これが本当の私なのです。

私は今
とても弱くて、どうしていいか分からなくて、右往左往していて
心が折れそうな状態です。

こういう時に
カラーセラピストとしてアドバイスをするとしたら
「赤」は絶対に勧めません。
何故なら赤には「頑張りなさい」と言う大きなメッセージがあるからです。

心が折れている時に頑張る必要なんてありません。
これは今被災されている方たちにも言えることだと思います。

こんな時に必要な色は「ベビーピンク」。
赤ちゃんのように思い切り頼って甘えていいのです。

そして心のエネルギーが満タンに近づきそうになったら
赤のパワーで頑張って行動に移して行けばいいのだと思います。

07:05 | kimiyo | 心が折れそうな時 はコメントを受け付けていません
2011/03/14

東北地方太平洋沖地震におきまして
被災された皆さまには心よりお見舞い申し上げるとともに
犠牲になられた方とご遺族の皆さまに対し深くお悔やみ申し上げます。

先週金曜日のありふれた午後。
500年に一度と言われる大地震が日本を襲うと誰が想像したでしょうか。

昨日と同じように今日も明日も来るはず…
私たちは当たり前のようにそう信じています。
それが一瞬の出来事で根こそぎ奪われてしまう。
言葉ではとても言い表せない衝撃だと思います。

時間の経過と共に被害の大きさが生々しく報道され
被災されている方々の苦しさや悲しみがTVに映し出されるのを見て
私は何も出来ない悔しさともどかしさで胸が締め付けられる思いで一杯です。

どうかこれ以上被害が拡大しませんように。
どうか被災された方々が一日も早く普通の生活に戻れますように。
そして笑顔が戻りますように。

何も出来ない私は祈るしかないのです。

会ったこともない人たちなのに、とても他人事とは思えない感情が
胸の奥から溢れて来て止めることが出来ません。

不思議なのですが
こういう究極の状況に於いて
私は「一体感」を感じずにはいられません。

一体感は喜びや嬉しさと言うポジティブな感情だけではなく
苦しみや悲しさを通して感じることも出来るのです。

これは私に限ったことではなく、コラムを読んでいる皆さんもそうでしょうし
震災を知った世界中の人たちも同じ気持ちかもしれません。
その証拠に世界中から祈りのメッセージがぞくぞくと日本に届けられています。

これらを見ていると
祈りとは決して気休めなどではなく
本当に力があるのだと感じずにはいられません。
祈りを通して世界中の人々の気持ちが一つになろうとしているのです。

私たち人間は
国を超え、宗教を超え、一つに繋がっている存在(ワンネス)なのだと言うことを
祈りによって感じることが出来るのです。

だからきっと
この世界中の祈りの力が
被災された人たちの心に
何か変化をもたらす事が出来ると
私は信じています。

http://news.livedoor.com/article/detail/5409856/

08:01 | kimiyo | 祈りの力 はコメントを受け付けていません
2011/02/17

私は普段右脳をとても大事にしているのですが、
講座を行ったりコラムを書く時にはどうしても左脳の力が必要です。
気持ちや思考をいかに分かりやすく説明したり理路整然と文章に表すことが出来るか。
この作業はとてもエネルギーが要るので、
私の場合終了後は一切左脳を使いたくなくなります。
そしてぼーっと音楽を聴いたりDVDを観たりして
左脳のスイッチをオフにしてしまうのです。

ここで左脳と右脳の役割を大まかに説明したいと思います。

左脳→分析、言語、計算、論理的構成、観念構成、意識的
右脳→直感、感性、感受性、空間処理、総合判断、無意識
(※カラーセラピーでは左脳は黄色、右脳は青として表されます)

面白いのは左脳の黄色と右脳の青を混ぜると緑になると言うこと。
緑には「バランス」と言うキーワードがあるのですが、
左脳と右脳のバランスをいかに保つかが色んな意味で重要なのです。

左脳だけに頼ると、頭でっかちで独断的な判断になり
右脳だけに頼ると、思い込みの激しい独りよがりな判断になります。

そこで最近左脳ばかり使っているなぁ…と感じた時には
青の補色を使って内面に向きあったり、音楽を聴くなどして
感性を磨くコトで右脳を活性化させ左脳とのバランスを取り、
逆に右脳ばっかり使ってるなぁ…と感じた時には
黄色の補色を使って理性的に分析することにより左脳を活性化させ
肥大化した右脳とのバランスを取ることが出来るわけです。

やはり何事にもバランスが大事。

最近の私はかなり右脳が活発だったので
そろそろ左脳(黄色)でバランスを取る時期なのかもしれません。

09:08 | kimiyo | 左脳と右脳のバランス はコメントを受け付けていません
2011/02/07

ここ数年「妄想する」と言う言葉をあちこちで見聞きするようになりました。
そこでふと思ったのですが、何故想像ではなく妄想と使ってしまうのか、
この二つの言葉の違いは一体何なのか、せっかくなので考えてみるコトにしました。

まずYahoo辞書で想像を調べてみると

実際には経験していない事柄などを推し量ること。また、現実には存在しない事柄を心の中に思い描くこと。

とあります。

私たちは想像と言う言葉をよくイメージと言う言葉に置き換えて表現しますが
「イメージングで願望を達成する」と言う方法があるように
現実には存在しない事柄でありながら実はとても現実的で
地に足のついた内容である事が多いようです。

例えば
○進学したい大学に自分が通っているところを想像する。
○欲しい車に既に乗っているところを想像する。

等願望実現として使用することもあれば

○こういう態度を取ったら彼女が傷つくことが想像出来るから止めておく。
○イライラしながら運転したら事故に繋がるかもしれないと想像して冷静になる。

等、他人の気持ちを推し量ったり、未来の予測としても使います。

これをカラーセラピー的に考えると
想像とは『赤の行動力』に基づいた非常に現実的な行為なのです。
願望達成にしても他人の気持ちにしても未来予測にしても
実際の自分の行動と多いに関係してくる訳です。

次に妄想を調べてみると

1 根拠もなくあれこれと想像すること。また、その想像。2 とらわれの心によって、真実でないものを真実であると誤って考えること。また、その誤った考え。妄念。邪念。

3 根拠のないありえない内容であるにもかかわらず確信をもち、事実や論理によって訂正することができない主観的な信念。

とあります。

想像との大きな違いは、まず「根拠がない」という部分。
想像は根拠と言う現実に即しているのに対して妄想にはそれがないのです。
また2、3にもあるように、かなり独りよがりで歪んだ内容が多いので、
「誇大妄想」「被害妄想」と言う言葉があるように、度が過ぎると
他人に迷惑をかけたり、社会生活を送ることさえ難しくなってくるのです。
しかし妄想に捕らわれている人はそれが真実だと思い込んでいるので
どんなに他人が諭しても聞き入れずに拒否します。
ストーカーなどはその典型的な例だと言えるでしょう。

カラーセラピー的に言うと
妄想は紫がマイナスかつ過剰に出ることによって引き起こされるようです。
紫のプラスののキーワードには「精神性の高さ、スピリチュアル、感性の鋭さ」等
精神や魂の部分に関する内容が主なのですが、これがマイナスになると
「地に足がつかない、現実逃避、妄想癖、行動が伴わない」等
視野が極端に狭まり、独自の偏った世界観に陥っていくのです。
ある種の新興宗教集団を想い浮かべて頂ければ分かりやすいかもしれません。

以上のように想像と妄想では実はこんなに違いがあるのですね。。

普段お遊び感覚で「妄想」と使っている分には全く構わないのですが
度を過ぎるとこのような危険性も孕んでいるということをお忘れなく…。

01:55 | kimiyo | 想像と妄想 はコメントを受け付けていません
2011/01/25

外側から定義づけられているもの…

私の名前。
日本人。
女性。
大人。
長女。
O型。
天秤座。
母。
妻。
長男の嫁。
PTA役員。
カラーセラピスト。

内側から否定的に定義づけられているもの…

スポーツが苦手。
アウトドアが苦手。
理数系が苦手。
ジーンズが似合わない。
原色が似合わない。
ショートヘアが似合わない。
ノーと言えない。
優柔不断。
堪え性が無い。
気が強い。
保守的。

等など…

「私って○○○なのよね」
と無意識のうちに自分を定義づけていることを
一枚一枚薄皮を剥ぐようにして取り除いた先に
本当の自分自身が現れるのだと思います。

カラーセラピーというツールを通して
クライアントだけではなく自分自身の固定観念を取り除いて行くことが
私のライフワークなのかもしれません。

02:36 | kimiyo | 自分を定義づけるものからの解放 はコメントを受け付けていません

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