アメリカ連邦最高裁が下した「同性婚差別に係る法律の違憲判断」は、アメリカをはじめ全世界に大きく報道されました。
アメリカでは既に州によって同性婚が制度化されていますが、アメリカ合衆国全体として、同性婚制度を導入している州の判断を尊重することが確認されたわけです。
アメリカをはじめ欧米諸国では、宗教的理由などから、LGBTに対する強烈な迫害が行われてきた歴史があります。
その結果、彼らは自分たちの権利を守るために団結して立ち上がり、コミュニティのつながりを強化して、政治における発言力を持つようになりました。欧米諸国の政治家の中には、自らがLGBTであることを公言している人も少なくありません。
全人口に占めるLGBTの割合は、3~5%とも10%未満の不確定数とも言われています。すなわち、人種や地域を問わず、潜在的には相当数のセクシャルマイノリティが存在するわけですが、社会的にカミングアウトしている人はまだまだ少ないのが現状です。
しかし、彼らが何らかの形で団結し、一致して行動をすれば、それは一大勢力として社会的に大きな影響力を持つのは必至です。
日本では、政治的に全国規模でLGBTが団結している状況には全くありません。それは、欧米諸国のLGBTとは違って、強烈な迫害の被害には遭っておらず、団結して自分たちの権利を守るための行動する必要性に乏しかったことが理由でしょう。
いわば『ぬるま湯』の中にいる日本のLGBTにとって、欧米諸国で相次いで導入されている同性婚制度はどのように映っているのでしょうか?
我が国に同性婚制度が導入される日があるとするならば、国内のLGBTが団結して政治的な組織を作り、政治への発言力が高まって、政治家がそれを無視できないレベルにまで到達した時か、国民的スターがLGBTであることを告白し、旗振り役となって同性婚制度の導入を世論に訴え、それが多くの国民の共感を得た時のいずれかの様な気がします。
政治的に熱しやすく冷めやすい国民性は、ここ10年ほどの投票行動をみると一目瞭然です。もし、同性婚制度の導入が争点となるような選挙が行われた場合、上記後者の国民的スターはLGBTにとって絶大なヒーローとなるでしょう。
現実的に上記前者も後者も起こり得ないとすれば、我が国での同性婚制度あるいはそれに類似したパートナーシップ制度の導入は、永遠にあり得ないかもしれません。
LGBTの政治への関心を高める活動を、当事者の有志は不断の努力で行う必要があるのです。
※今回のアメリカの裁判について、福岡でLGBTの皆さんのための活動をしている団体、Rainbow Soupさんより取材を受けましたので、その記事も是非お読みください⇒ここをクリックして下さい。
若年者の自殺率の増加が社会問題となっていますが、LGBTの自殺は古くからその確率の高さが懸念されてきました。
そもそも、LGBTの人口について明確なデータがないので、自殺した人がLGBTであるか否かが公式に記録されているわけではありません。
しかし、LGBT当事者の皆さんの話によると、LGBTの友人や知人の自殺の知らせに触れた事があるという方が多くいらっしゃいました。
問題なのは、その自殺の原因です。
LGBTの自殺が、セクシャルマイノリティであるということを原因としているのかどうかということです。
LGBTの皆さんは、実は孤独に陥ることが多い人達でもあります。
同じセクシャルマイノリティの仲間同士でも、詳細な個人情報を開示している人は少なく、仲間に本名を明かしているという人すら少ないのです。
LGBTであることの悩みを少しでも軽くするには、同じ悩みを持つ仲間のサポートが不可欠です。
悩みを聞いてもらえる仲間がいれば、自殺まで思いつめることも防げるのかもしれません。
昔は、LGBTの皆さんの出会いの場は、大都市にあるゲイバーなどの彼ら自身が経営するお店が主な場所だったといいます。
そうした場所に出入りすることで、恋人や友人を見つけることができたというのです。
しかし、今はインターネットの時代。
恋人や友人を見つけるにも、インターネットの各種出会い系サイト等を通じて、一対一で個人的に行動するため、必ずしもLGBTコミュニティに顔を出す必要はないのです。
「一時的に仲が良くなった友人も、しばらくすると消えていなくなりますよ。それだけの希薄な友人関係だったのでしょうね」と、寂しげに話していた方が印象的でした。
人が自殺する時、ほとんどが心を病んでいる状態だといいます。
確かに、我々人間も生物である以上、本能的に「生」への執着はあるはずです。
その本能すら機能しない状態に陥るということは、病的な要素が当然あるということでしょう。
医療によるサポートが必要なら、それを勧めてくれる人も必要なわけで、孤独に陥ることで、その最低限のセーフティーネットも崩壊してしまいます。
LGBTの皆さんが安心して悩みを相談できたり、仲間を得ることのできるコミュニティの必要性が増しています。
今回は中橋とレイラさん(仮名・26歳)の対談です。
中「レイラさんのセクシャリティは、トランスジェンダーということで間違いないですか?」
レ「はい。以前は、体は男で、心は女の子でした。今は、身も心も女の子です。戸籍上の性別も変更したので」
中「どう見ても女性にしか見えませんね。失礼な発言かもしれないですけど、顔の整形はしてる?」
レ「ちょっとイジってます。でも、プチ整形レベルですよ。目を少しね。あとは化粧です(笑)」
中「戸籍も女性になって、今は完全に女性としての人生を歩んでおられると思いますが、これからの人生の抱負は何でしょう?」
レ「う~ん、難しい質問ですね。私は、10代の初めの頃から、女の子になるのが夢でした。だから、その夢が実現した今としては、この先の事は未知数ですね。毎日がワクワクです」
中「ということは、女性としての幸せを追求して、結婚ですか?」
レ「私は結婚しても子供は産めませんからね。結婚が幸せとは、あまり思えないです。もちろん、こんな私でも結婚したいと思ってくれるような男性が現れたら、話は別でしょうけど、結婚はハードル高いですし、正直、避けて通りたいかもしれません」
中「そうですね。結婚が女性にとっての幸せとは限りませんね。すいません。子供が産めないという言葉、とても重い言葉ですね」
レ「はい。戸籍上は女性になったと言っても、生物学的には、完全な女じゃないんですよ。わかってますけど、やはり虚しさはあります。子供が産める女性は、母性を持ってるじゃないですか。私なんか、見た目だけの女で、やはりニセモノなのかなぁと」
中「女性の本質とは何か?という問題にも聞こえますね。ただ、子供を産む事が女性であるための条件だとは思いませんよ。確かに妊娠や出産といった過程は、女性をダイナミックに母親に変身させる、ある意味、神秘的な変化だと思いますが、そういう事を望まないからといって女性でないわけではありません」
レ「自分は母性を持つことには興味はなくて、女としての性に執着があります。結局それが仕事になっちゃってるわけですが…」
中「レイラさんが、風俗業で働いているのは、女としての性に執着した結果ということ?」
レ「かっこよく言い過ぎですかね。もちろん、ニューハーフが普通の仕事に就くのは難しいという理由で、楽な業界に流れてしまったということもありますけど、でも、女としての性を、自分の女としての価値を常に試してみたいという気持ちで、風俗で働き始めたことは間違いありません」
中「つまり、男性に女性として、性的な視線で見られたいということですか?」
レ「はい。それが自分の価値のように思えるんです」
中「そもそもの疑問ですが、レイラさんは、勤務先でお客さんにニューハーフであることは秘密にしてるのですか?」
レ「秘密にしてないですよ。そもそも、ニューハーフだけの風俗店ですから」
中「えっ、それだと、女性としての価値を試すことにはならないのでは?ニューハーフとしての価値は試すことはできるのかもしれませんが」
レ「それでもいいんです。だって、ニューハーフは、天然の女性とはどうしても違うものだから、真っ向から競うのはちょっと変でしょ」
中「でも、風俗嬢としての人気が高まったからといって、女性の価値が高まったとは思いませんよ。あるいは、ニューハーフとしての価値が高まっているとも思いません。セクシャリティとセックス自体は区別して考えるべきです」
レ「私の心が病んでるのかもしれませんが、自分への風俗嬢としての評価が高まれば高まるほど、心が満たされるんです」
中「もし、その評価が低下していったらどうします?」
レ「それ、ヤバイですね。整形しまくるかも(爆)」
中「人は歳をとります。いつまでも若くて綺麗でいられるはずはありません。整形したとしても、いずれ限界は来ますよ。今の考え方では、将来、精神的に追い詰められてしまいませんか?」
レ「自堕落で、その場限りな思考回路は、LGBTにありがちなものですよ。将来をハッピーに描けない事情が我々にはあるんです。宿命みたいなものですよ」
中「LGBTの皆さんが、生きづらさを感じているのは理解できますが、だからといって将来を悲観したり、自堕落に生きることを肯定することにはならないですよ。それぞれの努力で自分の人生を切り開いていくのは、セクシャリティを問わず、人としての宿命です。セクシャリティのせいにして逃げているだけではないですか?」
レ「そうですねぇ。逃げ、かもしれないですね。将来を考えるのがただ怖いだけかもしれません。でも、今で精一杯なんですよ」
中「レイラさんには、もっと自分を大切にしてほしいです。風俗の仕事を否定するわけではありませんが、そこで人気が出たとしても、それはあなたの本当の価値を高めるものではありません。あなたのことを本当に大切に思う人に早く出会って欲しいです」
レ「性転換した事や風俗という仕事で女を前面に出していることが、自分にとって全部仮面であるような気はしていました。本当の自分は、もっと別の所にあるのではないかって」
中「レイラさんの心の闇は、とても深いようですね。でも、それを少しずつでも直視して、極端な方法で葬り去ってしまうような行動は控えた方がいいでしょう。自分を傷つけ続けてしまうことになるような気がして心配です」
レ「ありがとうございます。こういう生き方しかできないのが自分の悪いところだとはわかっています。真面目に色々考えてみますね」
中「自分を大切にして下さいね。そして、本当に大切にしてくれる人と出会って幸せになって下さい」
4兆円市場と言われる魅力的なLGBT市場へ参入をしたいけれども、企業イメージや大多数のヘテロセクシャル(異性愛者)の顧客の反応を考慮して、具体的な商品やサービス開発は先送りする会社が多くあります。
今はまだ時期尚早という結論に至るわけですが、そこから一歩踏み出して、実際の商品やサービスの開発に着手したとしても、ニーズのデータが不足しているため、客観的で正確な情報に基づいたマーケティングが困難なのも事実です。
セクシャルマイノリティ特有の需要を考えるには、彼らのライフスタイルを分析しなければならないわけですが、LG(レズビアンとゲイ、すなわち同性愛者)とB(バイセクシャル、すなわち両性愛者)とT(トランスジェンダー)では、そのライフスタイル自体も異なるので、LGBT市場全体にグサっと串刺しのように突き刺さる商品やサービスの開発は難しいのです。
さらに、セクシャリティの違いだけで、それが商品やサービスの購入者・受益者としてヘテロセクシャルと明確な行動相違をもたらすとは限りません。
厳密にLGBT向け商品・サービス開発をしようと思えば思う程、その作業は困難を極めます。
商品やサービスをLGBT当事者にも好意的に受け止められるような内容にするとか、ファッションやイメージ戦略によって、セクシャリティによる壁を感じさせないような演出をするといった、緩やかな融合路線なら近々に取り組む事が出来るはずです。
ただ、以下にあげる具体的な商品・サービスは、LGBT当事者の方から熱望する声の多いものです。
①同性同士(特に男性同士)で宿泊可能な温泉旅館宿泊プラン
②海外のゲイスポット(ビアンやトランスジェンダーのスポットの場合も)への観光をオプションとして選択できるツアー
③携帯電話のいわゆる家族割に、同性のパートナーも含んで欲しい(既に対応済みの通信会社もあるとか…)
④同性パートナーと一緒に入れるお墓(納骨堂など)
⑤LGBT向けの介護施設(老人ホームやデイサービスなど)
⑥LGBT向けの政治・経済情報誌(非アダルト情報)
⑦LGBT向けの不動産賃貸仲介・販売
⑧LGBT向けの冠婚・葬祭
これらの8つは、レインボーサポートネットにLGBT当事者の皆さんから、当該事業を行っている会社やお店の紹介を求める問い合わせが多いものです。LGBT市場への参入をお考えの方、参考にされて下さい。
次に問題なのは、こうした商品やサービスを開発したとして、それをLGBT当事者にピンポイントに周知するために、どのように広告・宣伝したら良いのか?という点です。
これについては、現在のところ唯一、インターネットが解決してくれるでしょう。
様々な市場の掘り起こしが経済の活性化にもつながるはずです。経済の観点からLGBTに光が当たれば、その存在は無視できないものとして、接遇向上にも効果をもたらすと思います。
あらゆるマイノリティ向けのサービスは、その質を高めることで、多数者のサービスの質の向上にも貢献し、企業価値を高める効果もあります。その事に、多くの事業者が気づいて欲しいものです。
昨年、ある町の家庭教育学級で「第三の性教育」と題して、小中学校に通う子供を持つ保護者の皆さんを対象に講演を行いました。
第三の性というと、いわゆる半陰陽や両性具有を指す場合もありますが、私の言う第三の性教育は、セクシャリティに関する教育ということを意味します。
LGBTの区別や特徴、子供のLGBT当事者が抱える悩みを実例を紹介しながらお話しました。
講演から約1年経った先日、講演を聞いて下さった保護者の方から、児童・生徒のセクシャリティの問題に対して、より一層理解を深めるために、勉強会を作り、その成果発表を行ったという知らせを頂きました。
子供がセクシャリティに関する悩みを抱えている時、家族がその悩みを理解してあげることは、その後の人生を左右するほど重要なことです。
悩みを打ち明けられたら、その話を遮ったり、既成概念を押し付けるようなアドバイスをしたりせず、一緒に時間をかけて考えていこうという姿勢が必要です。
LGBT当事者には、家族関係が良好でないという方が多く見受けられます。
家族がセクシャルマイノリティに対する正しい理解と対応を身につけてくれていれば、少なくとも家族の中で孤立するようなことはないでしょう。
今回の家庭教育学級の受講者の皆さんのように、自発的にLGBT当事者への理解を深めようとする動きが、他の保護者の皆さんにも広がることを祈るばかりです。
子供の最大の拠り所は『家庭』であるはずです。その家庭内で、自分の居場所を失うことほど悲しいことはありません。
LGBT当事者の多くは、10歳未満の年齢で、既に自分自身がセクシャルマイノリティであるということを自認していたと言います。
子供のいる家庭の多くは、自分の家庭には無関係だと思い込んでいるのが現状でしょうが、それは大変危険です。
知らず知らずのうちに、我が子に家庭内での疎外感を感じさせないようにするためにも、第三の性教育を全ての家庭で実践して欲しいと願っています。
今日、5月3日は憲法記念日です。1947年5月3日に日本国憲法が施行されたのを記念して、5月3日が憲法記念日と定められました。
日頃の日常生活で憲法を意識することは滅多に有りませんが、最近は憲法改正の議論に伴い『憲法』という文字の露出度が増えているような気がします。
LGBTにとって、わが国の憲法は、その権利を保障してくれていると捉えることができる半面、解釈に悩む条項があるのも事実です。
そもそも、日本国憲法の条文には、セクシャリティ(性的指向)に関する文言は一切登場しません。
性別に関しては、憲法第14条と第24条に、
第14条第1項 :すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
第24条第1項:婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
第2項:配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
という登場をします。
男女が平等であることを強調している条文となっています。
これには、戦前の日本が、女性の権利を制限し、結婚に関しても女性本人の自由が重んじられずに、女性の人権が虐げられていたという状況にあったため、新憲法ではそのような状況を防ぐために、いわば、女性の人権を保障し、男女平等の原則を謳うという理由があります。
以前にも書きましたが、同性婚で問題になるのが、憲法24条第1項の条文の「両性の合意のみ…」という部分で、文言どおりに読むと、同性婚を禁止しているように読み取れますが、制定当時はそのような趣旨ではなく、女性が自分の意思に反して結婚させられることを防ごうというものだったわけです。
しかし、こういう書き方をしている以上、当時の社会状況と現在の社会状況が違うとはいえ、同性婚制度の創設には大きな障害であるとも言えるわけです。
憲法改正の議論が進んでいますが、政権与党が進めようとしているように、憲法改正手続のハードル自体が下がれば、憲法上、同性婚制度を容認するような条文の追加や修正も将来的には有り得るかもしれません。
そうした意味では、私は現在の憲法改正条項(第96条)の改正には賛成です。
憲法改正のハードルが下がることへの警戒感や、政権側からの提案であることの危機感は理解できますが、国会の発議要件を引き下げたとしても、最終的には国民投票による審判を受けるわけですので、国民主権の根幹は揺らがないと思います。
憲法も時代に応じた形に変化させていくことは非常に重要なはずです。解釈論だけで乗り越えようとする発想は、憲法自体を形骸化する恐れが強いのではないでしょうか?
現状では、LGBTの権利保障が憲法でダイレクトに謳われることは、まだまだ先の様な気がしますが、憲法改正の手続自体のハードルが下がれば、来るべき時が来れば、セクシャリティに関する直接的な憲法条項が記載される可能性はきっとあるでしょう。
日本国憲法の最大の肝である第13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」という条項を具体化させる条項が、時代の要請によって新たに創設される必要性は高いはずです。
今回は、レズビアンのマリコさん(仮名・28歳)と中橋との対談です。
中「マリコさんとは、去年招いて頂いた『ビアンのための終勝勉強会』からのお付き合いですが、その後、勉強会に参加された方に何か変化はありましたか?」
マ「勧めて頂いたエンディングノートを書き始めたメンバーがいますよ。私もその一人です」
中「それは良かったです。それにしてもナイスなネーミングでしたよね。『終活』じゃなくて『終勝』って(笑)」
マ「私が負けずいなので(笑) つい、何事にも勝とうとしちゃうんですよ。だから、終活でも勝とうということで名づけましたが、私の意図するところを超えて、終わり良ければすべて良し的な人生の最期を迎えようという趣旨で皆さん捉えていましたよね」
中「そうですね。私も時々、別の講演で使わせて頂いております(笑) 勉強会は今も続いていますか?」
マ「はい。季節に1回は集まって、メンバーが色々な専門家を招いてお話を伺っています。興味深かったのは、メンバーの彼女さんが葬祭ディレクターをされていて、その方にお話して頂いた、葬式や供養のことです。実際の現場の立場から、貴重なアドバイスを色々もらいました」
中「それは良かったですね。勉強会を通じて、マリコさんの中で何か変化はありましたか?」
マ「はい。女性って、結婚してもしなくても、最期は同じ境遇なんだなぁと思うようになりました」
中「どういう意味ですか?」
マ「男性と結婚して、高齢になって、夫が先に亡くなって、その後かなり時間が経ってから自分の最期が訪れるわけですね、平均寿命的には。そして、最期は、自分1人で死ぬと。もちろん、子供ができれば、子供に看取られてということもあるかもしれませんが、最近は、高齢者施設や老人病院で亡くなることも多く、必ずしも家族に看取られる場合も多くないという現実。中には、子供とは同居せずに、1人暮らしを貫き、自宅で突然亡くなって、後日発見されるケースも多いとか。それって、ビアンの最期と変わらないなぁと」
中「確かに、統計的には、女性は男性より長生きですから、最期は自分一人が取り残される可能性は高いですね。子供がいたとしても、最期の場面に立ち会ってくれるとは限りませんし、今は同居するケースは減って、高齢者施設などで晩年を過ごす方が多くなってきましたね」
マ「ビアンの全員とは言いませんが、私のような年齢になると、結婚について、妥協できる相手がいたら、結婚すべきかなぁって悩むわけですよ。周囲からいろいろなプレュシャーがありますからね」
中「えっ?でも、ビアンですよね。結婚は男性とするということですか?」
マ「はい。ビアンであっても、男性と結婚しなければならない境遇の人は多くいますよ。もちろん賛否両論はあると思いますし、自分自身や周囲の人、相手を欺くような行為であることではありますが、自分自身が我慢すれば、結婚という選択肢もあり得るんです。生きるための手段として、男性との結婚を選ぶビアンも多くいるんです」
中「確かに、ゲイの男性も、自分自身のセクシャリティを隠して結婚する人も多くいますね」
マ「ビアンに限らず、この国では女性が一人で生きていくのは、まだまだ難しい状況です。都会ならいざ知らず、私のように、地方の実家で暮らしている結婚適齢期の女性にとっては、結婚が人生の就職、永久就職ってやつですかね、なわけですよ。恋愛と結婚は別と言いますが、本当にそういう状態なんです」
中「自分自身に嘘をついて生きていかなければならないというのは、不幸なことだと思います。それでも、そういう選択をしなければならない境遇の人が多くいるというのが、現実なんですね。しかし、その選択自体は、ある意味、楽な方を選んでしまっているのではないかとも思うんですけど。こんなことを言うと、怒られてしまうかもしれませんが…」
マ「確かに、自分自身のセクシャリティに嘘をついてしまう事は、自分自身を否定しているようで、引け目はありますよ。世間一般の慣習や親からのプレュシャーに流されてしまうという事は、そういうものに負けてしまった感もあります。でも、自分自身を尽き通せないという事情も理解して頂きたいのです。セクマイのために、様々な活動をして、先頭に立って、自分の本名なども晒して、フルオープンに活動出来たら、どんなにいいかなって思いますけど、それは自分には無理です。同じような感覚の方は、実際には多いですよ」
中「自分自身の人生ですから、どういう選択をしても、自己責任ですね。それがわかった上での行動ですから、批判することはできませんが、まだまだ地方のビアンさんには生きにくい時代なんですね」
マ「そうですね。で、結局、ビアンでも、独身のヘテロセクシャルの女性でも、結婚した女性でも、人生の最期の状況は変わらないんだということが、勉強会を通じてわかってきたんです。それで、ちょっと、安心しました」
中「安心したという事は、それ以前はどう思っていたのですか?」
マ「ビアンの人生の最期というのを、とても悲劇的な最期なのではないかという、漠然とした不安として捉えていました。言い方は悪いかもしれませんが、孤独や無様さのようなネガティブなイメージです」
中「人生の最期をどのように迎えるのかを事前に完全に把握することは、誰であっても困難でしょう。それはセクシャリティに関わらず、誰しもそうだと思います。一般的に、人生の最期をポジティブに考える人はまだまだ少ないです。ネガティブなイメージは自然なことでしょうね。そのイメージを覆し、一種の心構えをすることによって、少しでもポジティブに位置づけようとするのが、いわゆる「終活」なのではないでしょうか」
マ「要は意識の問題ですね。セクマイは、マイノリティとしての存在から、多くの人が不自由さや社会に対する引け目を感じて生きています。潜在的な不安感から、人生に対して前向きに考える事が出来ない人も多いんです。極端に自堕落に生きてみたり、破天荒な言動をする人もいます。終活を知ることで、そうした不安を一つ一つ解消するきっかけになっていけばと思います」
中「一般的に終活は、高齢世代から始める人が多いですが、マリコさんのお話を聞いていると、結婚適齢期から始めてみるのもいいかもしれませんね。人生設計に関わることですからね」
マ「そうですね。そのとおりだと思います。セクマイが人生の分岐点で考えることは、もし、ヘテロセクシャルだったらどうだろう?ということです。もし、セクシャリティに関わらず、どうせ同じ結論や状況が訪れるのなら、自分自身のセクシャリティに正直に生きていこうという選択をする人が増えるかもしれません」
中「漠然とした不安から解放される事は、とても大切なことですね。これからも勉強会を通じて、皆さんの不安の解消につながる活動を頑張って下さい」
マ「はい。ありがとうございます。私自身、迷いの中にいますが、いつかこの迷いから解き放たれることを願いつつ、活動を頑張ります」
ゲイやレズビアンにとって、法律上の結婚が出来ない我が国では、パートナーを法的な伴侶に近い存在として位置付けるためには、様々な制度の利用をする必要があります。
最も単純な方法は、養子縁組をして、法律上の親子関係となることですが、これには抵抗がある方も多く、厳密には親子関係を構築したいわけではないので、法的な有効性にも疑義があります。しかし、その疑義自体を立証するのも難しいことですし、昔からよく行われている手法ではあります。
養子縁組をせずに、パートナーに法的な婚姻関係と同様の効果を持たせる方法として、任意後見契約と遺言書の作成があります。
任意後見契約は、本人が認知症などで判断能力が失われた場合に、本人に代わって、その財産を管理したり、療養看護に関する事務手続を行う権限をパートナーに持たせるものです。これは、法律上の夫婦の関係よりもパートナーを代理するという意味では強い権限があり、本人の万が一の場合にパートナーが全てお世話をしますよというような内容になります。
さて、今回の本題は遺言書についてです。
遺言書というのは主に、本人の財産を死後、誰に譲るのかという事を決めておくものですが、近年の保険法の改正により、死亡保険金の受取人を変更するための道具としても使用できるということが明文化されました。
セクシャルマイノリティの場合、自分自身が契約している死亡保険金の受取人を親や兄弟などの親族に契約上は指定している事が多いのですが、これを遺言書でパートナーに変更することができるというのは、とても画期的な事です。
我が国の大半の保険会社では、死亡保険金の受取人は、本人の親族に限るところが多いので、保険契約の段階では同性のパートナーを指定できないのです。
さらに、保険契約の際に、自分のセクシャリティをカミングアウトするような話の流れにもなりかねず、困った問題として存在していました。
そこで、保険契約の段階では、死亡保険金の受取人は親や兄弟姉妹等の親族にしておいて、遺言書でパートナーに変更するという手段をとるのです。
同性パートナーもお付き合いが長くなれば、本当に実際の夫婦と変わらない家族という存在になります。
愛する家族のために、万が一に備えようとする動機は、とても尊い考えです。
法律上の結婚は出来なくても、法律上の夫婦と同じような権利をパートナーに与える方法がここにもあるということを知っておいて頂きたいです。
但し、保険の契約内容や契約時期などによっては可能とは限りませんので、遺言書を作成する公証役場などで確認することをお勧めします。
友情結婚を一定期間で円満に解消することを友情離婚と呼んでいます。
友情離婚をする理由は、友情結婚を維持する必要が無くなったからですが、その必要性の度合いは友情結婚をしている夫婦によって異なります。
短い期間でも結婚していたという事実だけが欲しい夫婦は、数か月~1年程度で友情離婚に到る場合が多いようです。
親が他界するまでとか、40歳になるまでとか、かなり具体的な条件を離婚の条件にしている場合には、数年~10数年の結婚期間となるでしょう。
なお、友情結婚をした夫婦が必ずしも離婚するとは限りません。夫婦としての在り方は、夫婦により異なるわけなので、時を経て、夫婦として添い遂げる方も当然おられます。
友情離婚は、円満な離婚に限られます。離婚するかしないか、離婚するにしてもその条件が合わないなどで揉めると、それはもう円満な離婚から遠ざかり、友情離婚とは言えなくなるからです。
友情結婚生活自体はとても良好であっても、夫(又は妻)が離婚を切り出したとたんに、関係が不穏になり、気持ちのすれ違いからトラブルになることも少なくありません。
友情結婚は、結婚生活自体にもリスクがありますが、結婚を解消しようとする場面にも多くのリスクがあることを忘れてはいけません。
友情結婚はもちろん、友情離婚の件数は全く不明なので、私に入ってくる情報から推測する範囲での予想ですが、友情結婚から友情離婚に至る夫婦の数は増えているように思います。
これは、同性の恋人との関係をより深めるために、友情結婚は解消して、本来の人生の伴侶と添い遂げていきたいと考えるビアンやゲイの方が増えているからではないかと分析しています。
未婚率が増え、結婚していない事が特別ではない状況になってきている我が国では、セクシャルマイノリティが自分のセクシャリティに嘘をついてまで結婚する必要が無くなってきているのです。
友情結婚や友情離婚は、何やら新しい響きのする言葉ですが、実は昔からあるそれは、今やもう古いものになってきているのかもしれません。
自分自身に嘘をつかない生き方ができれば最高ですね。
今回は、中橋とゲイの佐々木さん(仮名・70歳代)の対談です。
中「佐々木さんは、現在はどういう生活を送っておられるのですか?」
佐「この歳だからね。もう現役は引退。老人ホームで暮らしてますよ」
中「現役時代は何をされていたのですか?」
佐「一応、銀行員。職場では閑職だったけどね(苦笑) 定年で辞めた後、70歳まで第二の就職で不動産関係の会社に勤めた後、今はもう完全にリタイヤ」
中「老人ホームで生活されているとのことですが、ホームの生活で、セクシャリティ的に不便を感じたりすることはありますか?」
佐「そうだねぇ。僕はワカセン(※若い人が好みということ)だから、ホームの介護士や相談員にポ~としてしまうことかなぁ(笑) 他は特にないよ。そもそもホームでカミングアウトしているわけじゃないし、男の入所者は、認知症が酷い人以外は、そもそも独身とか、嫁さんに先立たれたとか、そういう人ばかりだから、男やもめの巣窟なんで、気をつかう事なんてほとんどないからね」
中「佐々木さんの暮らしておられる老人ホームは、どういう感じのホームなのですか?」
佐「老人ホームという表現が適切かどうかわからないけども、元気なうちはワンルームマンションに住んでいるような感じで、介護が必要になったらケアをしてくれる棟に移るという所で、退職金はたいて入所しました(笑)」
中「う~ん、かなり高級そうなホームですね。やはり、終の棲家として意識されたのですか?」
佐「もちろん、そう。ゲイの最期は孤独なもんだよ。ずっとそう思って、自分の死に場所をどうするかを考えていたね。こういう老人ホームも何件も見学や説明会に出席して、自分なりに納得する所をようやく見つけたんだよ」
中「ゲイの最期は孤独…というのは、どういう意味ですか?」
佐「ゲイ全体を指すような言い方は悪かったかね。ただ、私の周りでは、孤独に死んでいく人が多かった。恋人と言えども、最期の瞬間に立ち会えなかったり、そもそも、立ち会ってくれなかったり、そういう人生の末期まで恋人を持つ事すら出来ない人も多かった。家族といっても、兄弟とは疎遠になる人がほとんどで、結局、年老いて自分ひとりなんだよね。せめて、自分の終の棲家は、そういう自分の周辺の事情をもってしても、安心してその時を迎えることのできる環境が欲しかったんだよ。私たちの世代は、器用な人は、女性と結婚して子を持ち、密かにゲイの活動をしている人がほとんどなんだ。そういった意味では、私は不器用だったね。自分自身に対しては正直だったのかもしれないけれど、今の若い人たちとは社会も家庭も環境がまるで違ったんだね。そういう世代だよ」
中「世代の高いゲイの方々は、結婚している人が多いということは、私も業界事情をよく知る方からお聞きしたことがあります。そういう方は、いわば普通に家族に看取られて亡くなっていくのでしょうね」
佐「うん、そういうことだろうね。でも、男が最期に取り残されるっていう場合もあるわけだよ。例えば、私のホームの住人で男世帯の人は、奥さんに先立たれた人が多いわけ。そういう人は、結局のところ、最期は独身者と変わらない状況になってるということだね」
中「誰しもが家族に看取られて亡くなるわけではないですね」
佐「そうだよ。人は、孤独に死んでいくものなんだよ。本来は。家族に看取られて死ぬ人って、案外少ないんじゃないかと思うね」
中「自分の死に場所は自分で考えるということですかね」
佐「究極的にはそうだろうね。しかし、いきなり死ぬわけではないからね。老後の衰えが頭と体に来る。大病しなくても、色々な意味で衰弱していくんだよ。それが老いだから、避けることはできない。終の棲家探しは、死そのものよりも、そこに到る過程を快適に過ごせるかどうかが大切なんだ」
中「今、終活ブームと言われていますが、若い世代のLGBTの皆さんに、これからの終活を考える上で、何かアドバイスはありませんか?」
佐「そうだねぇ。とにかく、金を貯めなさい!と言いたいね。自分の最期を自分の思い通りにするには、金がかかる。終の棲家もそう。金で人の愛や心は買えないけれど、老後の安心を買うことは正直できるんだよ。今の時代はね。だから、家族縁の薄い状況に陥りやすい我々は、お金でそこを補うしかない。老後に困らないように、まずは貯金して欲しいね」
中「非常に説得力のあるお話で、とても勉強になりました。ありがとうございました」
佐「こちらこそ。言いたい放題言いました(笑)」