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2011/09/01

9月です。
このコラムを書かせてもらってるJunk Stageさんが、今月11日に第三回公演を催される、とのことで、連動企画にちょいと参加させてもらうことに。

この企画の〆日、気づいてなかったけど今日9月1日だった!(大汗)
とはいっても、こちらはまだ8月31日。(言い訳)

ということで、連動企画として、お役に立つかどうか分からないけど、舞台にまつわるコラムを。

この時期といえば、今まさに日本に上陸しようとしている毎年お騒がせな台風と、我が母校の文化祭が思い出される。

縁あって、今年は私もこの(飛行機を利用する者にとってはコワい:台風)季節に日本に一時帰国することと相成り、正月以来の日本を楽しもうと、仕事そっちのけで帰国の準備をしていたりする。
この時期に帰るきっかけとなったのは、前述した母校の恩師の還暦パーティーに参加するためでもあります。

この恩師には、まぁぁぁぁ(遠い目)、プライベートからオフィシャル(?)にかけて、私の人生の半分は世話になっている上、高校生で上京して下宿生活を送った私たち地方出身者の親代わりをしてくれた方でもある。

このお世話になった先生のもと、高校生活3年間、毎年この季節になると文化祭で催す舞台の準備と稽古に本腰を入れて、(音楽科だったので)楽器の練習と両立しながら、あーだこーだとモメてはクラスメイトとケンカしてワーワー泣いて(泣かして)いたのを思い出す。

そんな、今回の恩師との再会や一緒に過ごした高校生活を今、ココで書いてるのもどうも不思議な感覚だけど。

あの時、舞台の準備をしながら、自分の日々の課題であるピアノの練習やら、はたまた将来への漠然とした不安との葛藤やら友人関係、人間関係の揉め事、今思い出しても鬼のようなストレスフルな精神状態でありながらも、健気にせっせと困難に向き合っていた事を思い出す。

正直に書くけど、あの時の自分が今の自分を作っている、と言って良いほど、自分にはなくてはならない時間だった。

色あせない過去ってナンカイイネ。笑
全てが素晴らしいわけじゃないけど、そこがイイ。

文化祭の舞台っていっても、それはもう、かなり本格的でした。
音楽科だからオケピ(生オケのオーケストラピット)を作って、演じるミュージカルの編曲、編集、指揮、演奏、一方で舞台衣装、演出、演技指導から舞台のプロモーションに至るまでぜーんぶ自分たちでやる。

あの時初めて感じた、舞台が始まる前の暗転したホールの雰囲気、ドキドキ感、終わった後の達成感は私の一生の宝物です。

面白いもので、今やっている仕事も本当に似た部分が多くて、そりゃプロの世界なので、音楽チームにいる私が映像班の撮影時に関わる事はほとんどないのだけど、でも、LAに移動して初めて参加したサンダンス映画祭では、音楽班と映像班、プロダクションのおエラい社長に至るまでヘベレケになって酔っぱらって騒いだ時は、まさに童心に戻った文化祭の打ち上げさながらの状態でした。笑

舞台でも映像でも、それらを作り上げて行く行程の内容や質はいかに異なったとしても、達成した時に得られるあの感覚は、万国共通、得難き幸福感なのだなぁ、と思うし、この達成感が病み付きになったからこの世界に自分が居るのは確か。その原点は、思い返せばこの、色の濃い高校生活から来ている。

もう、あの学生生活から卒業してひさ〜〜〜〜しいのにも関わらず、ほんとーにフシギなもので、いまだに、文化祭の舞台準備に追われてピアノの課題が間に合わなくて、どうしよう、とチビりそうな自分の夢や実技の卒業試験でドッカーンとミスをする夢を見る。(これがまたウソみたいにリアルな描写で、冷や汗かいて起きるんです。。。)

こないだも、あまりにもリアルに大学入試にスベッている自分の悪夢を見て、ハッと起き上がって、「あれ?わたし大学卒業してるよね?」とマジでガチで自分の過去を確認しました。(怖)

まぁ、それだけいろんなことにおいて、私の高校生活がストレスフルだったことは確か。
あの時の「ピアノの試験でミスひとつするだけで命取り」、と思っていたような神経衰弱な毎日と比べれば、今の「文化祭の準備」をしているような(笑)仕事の毎日は、はるかにHappierなものだと。
だから、当時のピアノの実技試験と現在の仕事が潜在的に自分の頭の中でリンクして、いまだに夢に出てくるのではないか、と思ったりして。

さきほども書いたけど、どんなに些細な出来事、はたから見たら小さなワンシーンでも、自分には思い出になっても輝いてる過去があるって、イイナ。

その輝きはフシギと時々「悪夢」という色に変わって私の脳内によみがえりますが。。。(はぁ。。。)

今回のJunkStage第三回公演が素敵な舞台になりますよう、心から応援しています。
どうか、出演者ならびにスタッフの皆々様の輝く未来となり、また、輝ける過去になることを願っております。

(どうか、誰一人として切迫感タップリな悪夢を見ませんように!)

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JunkStage第3回公演、9/11(日)に実施決定!
イベント特設サイト http://www.junkstage.com/110911/
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01:56 | mai | 第三回公演に寄せて。 はコメントを受け付けていません
2011/08/03

先月からドッグシッターなるものをしています。

運動大嫌いな夜型人間の代表格な私が、今現在では朝7時には起きて、仕事をし、早めの昼休みを取って犬とジョギングして汗をかく。

なんて素晴らしいこと!笑

そんな私のお相手は、スポットくん(ジャーマンショートヘア・ポインター、5ヶ月、オトコ)。


(でっかい足はこれからもっとおっきくなるしるし☆)

私にとって数少ない貴重な日本人のお友達家族が犬を飼い始めたのだけど、小さな子供もいて、犬の散歩に行くのがただでさえ大変である上、この人種(犬種だ)は猟犬で運動する事を愛して止まず、一日最低1時間は外で運動しないとストレスで気がおかしくなってしまうらしい。笑

ということで、運動不足年中MAXな私に、音楽とはまっったく関係ないオファーが来たわけ。(こういうの、初めてだな、よく考えてみたら)

最初は「お前、犬ぞり用にする気か」と言わんばかりにスポットに引っ張られていた私も、今では並んで1キロほどジョギングし、ドッグパークへ行ってどっちがはしゃいでるんだか分からないほど「ウキャー!」と遊びまくり、汗だくになって帰る。

そんなことを週3でやっております。
(最初は週1だったのに、今では自分からリクエストして週3。w)

もともと犬は大好きで、職場にも犬がいるし、いつもいつも癒されているけど、スポットとの時間はなんだかそれ以上のものを感じている。笑

ジャーマンショートヘア・ポインターという犬種自体、とても頭が良く、従順で順応性が高いらしい。

それまでまったく興味のなかった犬種のアレコレだけど、一度ドッグパークで他人に、スポットの犬種をうっかり「イングリッシュポインター」と大ウソを付き、言った時分は「イギリス人もドイツ人もそんなに違わないだろう」と素知らぬ振りをしていたけど、飼い主さんから「全然ちが〜う!」と怒られ(笑)、ちょっとワタクシ勉強することにしました。。。

『典雅な輪郭、とぎすまされた頭部の線、胸深豊かな筋肉質の体を持つ気品に満ちた鳥猟犬である。穏和で人なつこく、むらのない安定した気質を持っている。注意力と警戒心に富み、従順で忠実である。家庭向きの個体は子供にも親しみ、庭でのゲームなどに誘えば喜んで参加する。犬舎で飼えないこともないが、家人を慕い、自分も家族の一員と感じていたい欲求が強いため、出来れば飼い主と一つの屋根の下で暮らす方が幸せである。仲間はずれになるのが嫌いな、ちょっぴり寂しがり屋。』

以上、「犬の種類 動画図鑑」様より引用させていただきました。

上記のとおり、本当に温和で人懐っこくて、決してハンサムとは言いにくい無表情な面立ちをしているのにも関わらず、気品があるのがフシギ。それでいて、性格は極めてメロー。

一度、ドッグパークでブル系の犬同士が流血騒ぎを起こすほどの大ゲンカをして、飼い主も含めて周囲に居た犬もギャンギャン叫んで大騒ぎになった場面に遭遇したけど、スポットはひとり孤高を保ち(笑)、ベンチに座っている私の足下で置物のように微動だにせず、犬のケンカを正視していた姿はなんとも「犬種は違えど犬は犬」とは言い難い気品あふれたサマでした。

この世に出て来てまだ5ヶ月なのに、外に出てもトイレは同じところでしかしないし、ヒモを付けていない時でも私と並んで歩いてくれるし、いつも私の顔色をうかがってくれる。彼にとって何か緊急事態にならない限りは決して吠えないし、人間に対してはもちろん、他の犬にもドツくようなことは絶対しない。
寂しがりや、というのも当たっていて、ドッグパークでも、他の犬と夢中になって遊んでいると思いきや、ふと我に返った瞬間、ものすごい勢いで私の姿を探す。そして、一心不乱に私のもとにやって来る。

で、なんと言ってもこの犬種の面白いところは「鳥を見つけると人相(犬相?)が変わる」というとこ。

パーク内でハトを見つけると、それまでしていたボール遊びをすぐさま放棄、ポインターと言われる所以の片足を上げて静止するポジションをとる。これがパーク内でも大人気。
スポットがこのポジションをとると、周りの人たちが「おぉ〜!!」と喜ぶ。それを見て私は大満足。

ポイント姿に興味のある方はコチラ

A German Shorthaired Pointer

最近ではパーク内でスポットの友達だけではなく、私にも友達ができたりして、おしゃべりをしながら犬と遊んで、スポットと散歩するのが毎回楽しみな時間となっています。

なによりも、スポットが私を必要としてくれてる、という健気な眼差しと彼からの無償の愛が(笑)、今の私に一番必要なのかも、と思ったりしてる今日このごろ。。。

・・・それにしても最近仕事の話書いてないな、自分。。。
次回は久しぶりにお仕事の報告します。多分。(コラ)

03:19 | mai | 仕事より犬。 はコメントを受け付けていません
2011/07/16

またも更新が遅くなりました。

最近、暇さえあれば本を読んでる。ずーっと読んでる。
もちろん日本語の本ね。笑

先週末はコロラドに住む兄夫婦とサウスダコタ州にあるマウント・ラシュモア

と、ワイオミング州にあるデビルスタワーを観に行きました。

マウント・ラシュモアは見ればわかるように人工造形物だけど(というか、こんなところに歴代大統領の顔を掘って誇らしげに国定公園にしているアメリカ人のセンスに改めて驚愕。笑)、デビルスタワーは全くの自然から成る固体。

日本のような「奥ゆかしさ」とか「控え目」とか、アメリカ人にはなかなか理解されない美徳をほんのちょびっとでも受け継いでいる(と勝手に思っている)私としては、上記の2つは存在感バッチリの「これでもか!」というほどの体現であって、視覚的に「お腹いっぱい」になってしまった感があったけれど、それでも久しぶりの旅行はとても楽しい時間と相成りました。

さて、話はもどって、暇さえあれば本を読んでいる私。
その読んでいる本の殆どがコラム集。自分もこうしてこの場を借りてツラツラと書いているけど、やはりまだまだ文章力に乏しく、表現が稚拙だと思わずにはいられなくなる。「稚拙美」という言葉があるらしいけど、それにも到底当てはまらない。もう良い歳なのに、、、と忸怩たる思いでいっぱいになる。

ショボンとなる自分はさておき、さっきまで読んでいた本の一節に日本人の「控え目」の美しさを書いた部分があった。
最近はとんとこの「控え目」が日本人によって悪用され続けているような気がしてならない。この悪しき「控え目」の末にブチキレた代表が大阪府知事の橋下さん。笑
ま、ご存知のように、お役所の「控え目な」注意勧告を聞かない公務員である教職者を一刀両断、処罰するためにも「国旗国歌条例」を作っちゃったわけである。

橋下さんを悪く言いたくて仕方ないマスコミがこれまた「控え目に」、「公務員に対して」という言葉を故意に削って報道したりするから、よく事情の飲み込めない国民は「え?自分たちに対して強制的になるの?」なんて疑心を持つ。

いつからこんなふうになっちゃったのかな。
本当に言わなきゃいけない事を「控え目」表現して、ソースの不確かな、不安をあおるような事ばかりをあたかも「真実」かのように言う。これじゃ震災が起きてからの東電や政府の詭弁を聞いていれば誰だってため息のひとつもつきたくなる。

でもね、みなさんも分かっていると思うけど、やっぱり事件は現場で起きているんです。青島刑事の言う通りなんです。
東電の、こないだまで表舞台で理路整然と「お役所論文」を発表していた西山某やら、新しく出て来た同じよーな人物が「控え目」(ここまで来ると「ウソ」とも言う。)発表をしている裏では、現場で命を削って一刻一刻を争って修復作業をしている名も無きファイターが居る事を、私たちは忘れてはならぬのです。
もちろん、ファイターを支えている家族、周辺地域の方々の血の滲むような努力も然り。

実は先週の7月4日、こちらは独立記念日だったのだけど、偶然にも仕事で「The Star-Spangled Banner」すなわちアメリカ国歌のピアノアレンジを頼まれて、数日間ヨソの国の国歌とにらめっこしてました。別に独立記念日に使われる訳ではなくて、とあるメジャーチャンネルのドキュメンタリーに使われる予定なのだけど。

この国の歴史は浅いのと同様、国歌も極めて現代風。何度も聞いてると、ひと小節ごとにいろんな和音(コード)を入れられるポッシビリティが生まれて、仕事的には面白くて夢中になりました。でもアレンジしてる途中で何度も日本の国歌を思い出しては「やっぱり日本の国歌ってサイコーだぜ」と思いましたよ。

言いたい事は、極めて控え目な旋律に不動の和音進行があるわけです。今風でない、と笑いたいヤツは笑えば良し。音楽的に見ても、私は良き「控え目」日本文化の象徴だと思うのです。

話は戻って、ヨソ様アメリカの国歌をニホンジンの私がアレンジするさなか、youtubeで良い資料はないかなぁ、と、色んな場面で唄われてるアメリカ国歌を聞いたわけです。

すると出てくる出てくる。面白いくらい出てくる。
アメリカでは、公立学校はもちろん、スポーツの場面でも、地方大会から全国区に至るまで、事が始まる前に国歌を斉唱する。最近ではそういったアメリカの場面を観ること事態珍しくないから、みなさんも想像できるだろうけど、メジャーリーグもそうだし、バスケもそう。
5月6月と、アナハイムとオークランドで野球を観に行ったけど、この国歌斉唱は試合開始のサインでもあるから、駐車場でまごついてる間「オ〜オセ〜イキャ〜ンユースィ〜〜〜〜♪」と言う歌声が聞こえてきたら「あ、試合が始まるぞ!」とダッシュしなくちゃいけない合図にもなる。

でも、控え目文化が無い、それこそドド〜ンと自然の宝庫に大統領の顔を掘っちゃうようなお国の人たちからでも学ばなくてはいけないこともある。

彼らはいつだって誇りを持って国歌を歌う。
MLBでもNBAの試合でも、まだ10歳にもならない子供が出て来て、誇らしげに国歌を歌う。国歌の意味なんてまだ分からないだろう。でも、それでも、何万人、何十万人という人間が起立して静粛な中歌う彼女たちのそれは、きっと彼女たちにとって一生の誇りになる。一生懸命練習して、多くの人間の前で歌った事が、今後の彼女たちの人生を大きく動かすことは間違いないのだ。

日本だって、そうしたら良い。
意味なんて分かんない、国歌の存在って何なのかワカンナイ、それで良いのです。
こんなこと書いてる私だっていまだ考え中なのですから。

賛否両論あろうとも、ニホンジンは日本人なのだから。
どの国にも思い出したくない過去、苦しい思いが秘められて今の国ができていると思うのです。
それは負けを知らない(というか、認めない)アメリカだって同じ。

どんな小さな場面でも、小さいときから慣れ親しみ、歌い続けた歌は、意味など分からなくてもそれが個々の人生の歴史の一部になって誇りと自信が生まれ、悪しき「控え目」の風潮など無くなるのではないか、とyoutubeで数多くの「The Star-Spangled Banner」を聞いて思った次第です。

ちなみに、一番感動した国歌パフォーマンスはこれ。
彼女たちは成長してからも、プロとして活躍されているようです。

National Anthem by 5 little girls (youtube)

しかし、こんなエラそーなことを書いている私も、今日の仕事のミーティングで「堂々と発言しろ、日本人的控え目な考えは捨てろ」とまたも(!今までに何度も言われているセリフだったりして☆)ボスに言われちゃいました。笑

でもね〜?土足でズカズカと人んち入って行っちゃうような言動は避けたい、とやっぱりニホンジンな私は思うのでした。。。

01:00 | mai | 「控え目」の悪用。 はコメントを受け付けていません
2011/06/09

コラムを書く前にみなさんに質問。

みなさんは、日本にある8つの「海の無い」県、言えますか?
先日、サンタモニカ近くのお寿司屋さんに行ったところ、自分の出身地が栃木である、ということをマスターに伝えたところ、突然

「では、日本には海に面していない県が7つあります!それはどこでしょう!はい、答えて!」

と言われ、答えに窮して赤っ恥をかいたワタシ。。。

でも、マスター自身、7つだと思い込んでいたところ、8つだということが分かり、最終的にはウェイトレスのおねーさんまで巻き込んで大論争に。

なんだかんだの論争で最終的に8つの県全て出そろったわけですが、そんなの、知らないよ。笑

愛国心は人並み以上に持ち合わせている私ですが、海の無い県なんて、栃木と群馬くらいしかパッと出て来ないよ。。。(他の海無し県のみなさま、すみません!)

ということで、8つ全部出て来ないそこのアナタ。是非ウィキってみてください。

さて、話は本題にもどって。
先月末、初めてダウンタウンにあるロサンゼルス・フィルハーモニーの本拠地、ディズニーホールでLAフィルのコンサートに行ってまいりました。

私のLA生活も、もう5年が経とうとしているのに、何故かLAフィルを聴きに行った事がこれまでなかったんですねー。ボストン在住時代は、お金と時間さえあれば、というくらい、足繁くボストン・シンフォニーのコンサートに行っていたのに。

なかなか面白いデザインでしょ。

プログラムはブラームスの3番とポーランドの現代作曲家、ヘンリク・グレツキのシンフォニー3番。

先月からLAシンフォニーはブラームス月間を催していて、1番から6番まで、1週間ごとに演奏していく、というスタイル。本当は1番を聴きたかったのだけど、気づいた時には既に遅し。チケットが取れなかったので、2番か3番にしよう、ということに。2番と3番なら3番の方が当然(私は)大好きなので、3番を聴きにいくことに決定。

指揮者のグスタボくんは新進気鋭の若い指揮者で、2年くらい前に就任したのかな。彼が来た時は、よく話題になったものです。ヨーロッパ出身の若手ならなんてこたぁないのだけど、彼は南米出身の上、LAに来た時はまだ20代後半になったばかり。

LAフィルって、そんなに悪くないオケなのだけど、歴史の浅いアメリカでもいわゆる「老舗」オーケストラの存在はあって、ボストンもそうだし、ニューヨークもそう。フィラデルフィア、クリーブランドなんかも有名だし、小沢征爾もボストンの他にシカゴでも指揮をしてたり。でも、アメリカの中でも特に歴史の浅いLAのクラシック事情っていうのは、上記の老舗オケと比べるとあんまり陽の目を見ていない、というか、クラシック音楽を勉強する学生もたいていは東側に行くし、日本人の場合は決まってヨーロッパに行く場合が多かったりする。

そんな前評判を、5年位前までは聞いていたのだけど、グスタボくんが現れたこの近年、NYに住む友達ですら「最近LAフィルがすごく良いらしいよ」と言ってきたり。ドイツに住む友人の話でも「前にLAフィルがケルンでコンサートをやったんだけど、チケット完売で、ラッシュチケットですら取れなかった」という。

グスタボの魅力&威力発揮、といったところでしょうか。
こちらのローカルコミュ雑誌にも「今日も彼のカーリーヘアがジャンプする」(笑)みたいな見出しで4ページくらいグスタボの特集をしていたり、LAフィルが新境地を迎えている事は間違いない、という印象。

そう、こんな感じ。笑

実際、コンサートでは演奏前にグスタボくん、マイク片手に演説始めちゃったもんね。w
本当はグレツキのシンフォニーを演奏したあとに、ブラ3を演奏するってプログラムだったんだけど、曲を入れ替えて、ブラ3から演奏しまーす、とのこと。そして、グレツキのシンフォニーは音楽家にとってはとても有名だけれど、まだまだ世間的には知名度が低く、暗く厳かな曲なので、お願いだから観客のみなさん、怒って声を出したりしないでね、とかなんとかジョークまで交えて挨拶してました。

ブラームスの3番はご存知の名曲ですが、ブラームスにしては1番と比べてとても穏やかで上品な作り。でも、私はこの3番が大好きで、沢山のブラームス「節」というか、彼のフレーバーが沢山入っていて、とても熱中して聴けました。でも、多くの観客が期待したであろう、グスタボくんのジャンピングアップ、エモーショナル(?)コンダクティングの姿は最後まで見られず、それもあってか、3楽章前後は見渡せる限りの観客の多くが首を上下に振って居眠り三昧の様子でした。w

でもねー、みんな寝てるけど、客席はほぼ満席。ディズニーホールってそんなに小さなコンサートホールではないから、そこそこの人数でしたよ。(寝てる人たくさんいたけどサ。)

音響はともかく、なかなか素敵なホールでした。

先月はフルオケのcopyistの仕事をしていたこともあって、楽器編成も再確認しながらどういう場面でどんな楽器を使っているか、かなり敏感にチェックできたし、ブラームスはそういう「美味しいオーケストレーション」を熟知していた人だから、そんなことも考えたりして、私にとっては本当に楽しい時間となりました。

しかも、グスタボくんのオケのセットアップは、めずらしく通常と反対。
ホールの音響の関係もあるのかもしれないけど、オケを正面に、左側からファーストヴァイオリン、チェロ、その後ろにコントラバス、中央から右手がヴィオラ、右側がセカンドヴァイオリン、という形態で、この数年リアルにオケを見て来なかった私にとっては初めて見るオケセッティングで、これにもちょっと感動。

グレツキの3番も、めずらしいことにソプラノボーカルが入る形態で、残念ながら3階から聴いていた私にはあまりオケの音も、ソプラノも響いてこなかったけど、なかなか面白かったです。

ブラ3を聴いている時、ふと、高校生の時、自分は他の科目の必修があったから取れなかったけど、その必修の授業をサボってまで「お忍び」でブラームスの音楽理論の授業を聞きにいったのを思い出した。笑
あの時も確か3番のレクチャーだった。あの時から、3番3楽章のあの単純だけど切ないメロディーに惚れちゃってる私です。

でも良いね、たまにオケのコンサートに行くっていうのは。
長い間忘れてたオケの魅力をフワッと思い出させてくれたひとときでした。
夏には大好きなヒラリー・ハーンも来るみたいだし、お金貯めて、頻繁に聴きに行こうかな。

11:01 | mai | 初グスタボ。 はコメントを受け付けていません
2011/05/27

大変長らくお待たせしました、久しぶりのコラム。。。
本当にすみません、なんか今シーズン(というか今年)はコラムを書く前に躊躇するクセが付いてしまったようで、書きたいことがあってもなかなかそれを表現するに至らない、という悪循環が発生中。

この1ヶ月はいろんなことがありました。
先月から今月あたまにかけてのゴールデンウィーク中に両親が初アメリカ訪問。
といっても、母は一度ボストンを訪れた事があるので、母のみ二回目。父にとっては初めてのアメリカ大陸上陸となりました。

震災が起きて、一時は頓挫しかけた今回の旅行企画。
でも、計画自体は今年の1月ごろから始めていて、兄夫婦もデンバーに居る事だし、こんな機会もまたと無いから、ということで一時は心が完全に折れてしまっていた父も、母に促されて計画続行を決断。

実際、両親が訪れた日のロサンゼルスは気持ちの良い快晴。LAは平日だったので、土日はごった返すロデオドライブやサンタモニカビーチもスイスイと歩けたし、何と言っても「これぞアメリカ」と言わんばかりの雑多な人種、言語、性格に、両親は興味津々でいろんなことを車中やレストラン、歩きながら話しました。

私がまだ日本に住んでいた時、よく母や兄と一緒にこちらのテレビドラマ「ER」を観ていたのだけど、嬉しいことに、メインキャストであるカーター先生こと、俳優ノア・ワイリーとビバリーウィルシャー(フォーシーズンス)ホテルのValet Parkingで遭遇。

「あれ、カーター先生じゃない?」と私が言うと、母はおもむろに彼を凝視。
「あー!そうかも!あの顔はカーター先生だわ!!」と一気に興奮。

まさか「一緒に写真撮ってくださーい」なんて事は言えなかった私たちだったけど、母は大満足。偶然来ていたカーター先生に感謝しないと。(笑)

私はともかく、ハリウッドの俳優、女優に、わずか一泊の滞在で一人でも遭遇できるなんて、うーん、母の運は強すぎる!

一方、私の愛車を使ってLAじゅうを走り回っていると、夕方はもちろん渋滞に遭遇。
平日の夕方なんて、車社会のLAで空いてる道を探す方が至難の業なので、致し方なく長い列に紛れる事に。

亀よりも遅い速度で進行していると、「ヘ〜〜〜イ!!」という声が車の窓越しから聞こえてくる。
なんだなんだ、と窓を開けると隣の車線のオープンカーに乗っているおっちゃんがチョイチョイ、そこの君、という感じで手を振っている。

「なーに?」と返事をすると、
「君の車のバックナンバープレートのフレームがBoston Redsoxのものだけど、どうして?」
と聞いてきた。
渋滞のさなか、自分がボストンで勉強していたこと、バークリーに通っていた事を説明すると、おっちゃんは超エキサイト。w
「オレもボストン出身なんだよ!バークリー近くのボイルストン沿いに住んでたんだ!こないだもボストンに行ってきたところなんだヨ☆」

とかなんとか。

「へぇぇ、そーなんだぁ」とお互い笑顔で頷きあったあと「じゃぁね」と手を振ってバイバイ。

車の窓を閉めて、となりに座っている父をみると、目を皿のように開いてあんぐりしている。

「おまえ、あのオジさんと知り合いなのか?」

と聞くので

「んなわけないでしょうが。。。」

と返事をすると、日本ではありえない、このフレンドリー(なれなれしい、とも言う)加減、と実に驚いた様子。w

実際、私もLAに来たばかりの頃はこういったハプニングをボストンで経験したことがなかったので、大いに困惑し、驚いたもんです。

それにしても、ナンバープレートに付けたRedSoxのフレームは効果絶大。

いつだったかも、渋滞の中、後ろの車が割り込みをさせてくれた時、「レッドソックスファンだから入れてあげたんだよ☆」と、あとで車線変更をして車が隣同士になった時、わざわざ教えてくれたり。(もちろん冗談だろうけど)

両親と一緒にその後べガス、デンバーを訪れたのだけど、べガス滞在中にレッドソックスTシャツを来ているとホテルの従業員が「僕もボストン出身なんだ、困った事があったら何でも聞いてね」と、こちらは何も聞いていないのに声をかけてきたり。w

LAではレッドソックスのパーカーを着ていた時に、すれ違い様、綺麗な金髪のおねーさんに「Wow! RedSox! Lovely!」と言われた事がある。w

なんなんですかね、この奇妙なLA人のレッドソックス愛。

まぁ、そんなこんなもあって、両親はロサンゼルスにたった1泊しかしなかったにも関わらず、ホテルの部屋を2段階グレードアップしてもらえたり、俳優をチラ見したり、日本のように客でごった返していないプラダで買い物したり(笑)、渋滞で娘がオッサンに声をかけられるサマを見たり、ハリウッドならではの映画制作スタジオ見学に行ったり、それなりに満足してもらえたのではないかな、と思ってます。

ロサンゼルスをあとにして、べガスに二泊、そして兄夫婦の住むデンバーに更に二泊。
べガスもデンバーもJTBのガイドを個人で付けてもらったので、たかだか1泊2日のLAガイドをしただけなのにヘトヘトになった私にとっては、ホトケサマのように親切で優しいガイドさん達が居てくれて本当に救われた次第。w

そして旅程を完全遂行して、シアトルで両親を見送り、LAに戻ってきてはや一ヶ月。
仕事、仕事、仕事にシステムトラブルシューティングな毎日です。

でも、たった二年しか私はボストンに居なかったのに、私の存在を覚えていてくれているだけでなく(笑)システムトラブルの相談に乗ってくれたボストン在住のS氏。この場をお借りして改めて感謝いたします!そしていつも話相手になってくれている、やはりボストンからLAに引っ越してきたばかりのMちゃんにも感謝です。

震災の直後もボストンでお世話になった恩師から連絡をいただき、私のボストン愛はどうやら冷める事はなさそうです。

なんか、最終的に言いたかったのはBoston Loveってことなのかな、今回。w

そんなことより、これからはもう少しマメにコラム更新できるように頑張ります。。。(反省)

09:40 | mai | ボストン愛。 はコメントを受け付けていません
2011/04/13

前回の更新から今まで、長い期間あいてしまったこと、お詫び申し上げます。

本当にこの1ヶ月はめまぐるしく、愛する故郷からそう遠く離れていない場所で天災により多くの命が奪われ、今は悲しみの中でも助け合って、未来を信じて生きてく、そんな被災地の皆様の姿を見ては、遠い大陸に居る私のちっぽけな存在を奮い立たせては、涙を落としてしまう、そんな日々が続いています。

地震が起きて以降、本当に何をココで書けば良いのか全く分かりませんでした。

政府の対応にムカつく、東電の不明瞭な説明に更に腹を立てる、そして不見識な人間が、同じ日本人にも関わらず、まるで他人事のような言い方で原発やら放射能汚染の文句を言っているのを聞いて、悲しくなる。

そんなことがもはや当たり前のようになっているのも事実。

そんなアレやコレをここで書くのは簡単なこと。
でも、言いたい事はそんなことではなくて。

もっと自分が考えなくてはならないのは、日本の国土を今後どうやって守っていくのか、国土を守るということは尊い日本人の命をどうやって守っていくのか、ということ。

とは言いつつも、いつもいつも「今出来る事をやろう」と考えている私ですが、現実に起きている事があまりにも受け入れ難く、そして自分の気持ちもずっと落ち着かず、このコラムを書くまでにずいぶんと時間を要しました。

先日日本で大きな余震が起きたその時、私は前回のコラムで書いた、愛するギタリスト、ルーディのメモリアルコンサートに行っていました。

何もかもがモヤモヤしている自分だったけれど、ルーディの、決して長くはなかったその人生を、短くても精一杯生きて、楽しんで、まっとうした、そんな彼の人生を、コンサートに集まった仲間からあらためて聞いて、死んでしまった辛さを共感するのではなく、ともに生きた喜びを共感する大切さを学びました。

彼のためのメモリアルだけど、私が日本人であることを知っている人はみな、「日本の家族は大丈夫?」と聞いてくれ、沢山の人にハグしてもらい、これもルーディが天から何か示してくれているんじゃないか、と思ったら、涙を抑えることができませんでした。

「それでも、君は生きていくんだよ。」

と言われたような気がする。

まだまだ復興には時間がかかるし、私たちは10年後、20年後の日本の将来をどんなかたちであれ担っていく責任がある。

偉そうな事を書いているかもしれないけど、これはおごり高ぶらず、自戒の意味も込めて、私たちが自覚すべきことだと思っています。

最後に、あるシンガーソングライターさんの歌から一節拝借。

「どんなことでも、いつしかあなたの微笑みに変われば良い。」

はやく、みなさんの笑顔がもどりますように。

がんばろう、私たち。

03:10 | mai | 笑顔が戻りますように。 はコメントを受け付けていません
2011/02/10

rudy_photo.png

 

誰にだって人生において岐路があって、出会いと別れはその都度あるのだけど。

分かっちゃいるけど、いつだって涙が無条件に出るのが、永遠のお別れの時。

今日はロサンゼルスに来た当初から仕事上の大先輩としてお世話になった、ギタリスト、ルーディー・ゲス氏の訃報を聞きました。

実は昨年の暮れ、12月31日に亡くなったのだけど、私が日本に帰っていたのと、私の家族の具合が悪かったりで、ボスも気を遣って、今まで黙っていてくれました。

ルーディーとの出会いは唐突で、私がLAに引っ越して翌日から仕事を始めて、その3日後にはレコーディングセッションがあるから、譜面を大急ぎで作って、彼の自宅兼スタジオまで行った時だった。
目がとても鋭いので最初はコワいオジさんなのかなー、と思ったけど、話してみると、とても紳士で穏やかな人でした。

それからというもの、譜面が必要になれば制作屋として出張したり、ピアノを弾きに行ったり、ボスと一緒にプライベートで飲みに行ったり、バーベキューしたり、と、私のLA生活でもかなりポジションを占めてた(笑)、大変お世話になった人でした。

一昨年、ボスの友人の誕生日に「ビートルズ・メドレーをやるぞ〜!」ってことになった時も、私にアレンジの殆どを任せてくれて、アドバイスがある時は、「このコードを使うと、よりビートルズらしさが出るんだよ」と、おどけながら教えてくれたり、また、彼はキャロル・キングの専属ギタリストでもあったから、日本公演のついでにキャロルと一緒にSmap x Smapに出演したときは、収録時のSmapの一挙手一投足をくまなく教えてくれたり、見た目とは違う、どこかしら良い子供っぽさも持ち合わせた紳士さんでした。

これはちょっとボケちゃってるけど、誕生日の「ビートルズ・ライブ」終了後のルーディー(右)とベーシスト。
(私はピアノを弾いてたからピアノサイドから片手で撮った。w)

 

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このライブの時も休み時間は、「ちょっと何か一緒に弾こうよ」と言ってくれたりして、クラシック育ちな私にもイヤな顔することなく、なんちゃってビートルズを弾いたりして、そんなことがいつもいつも楽しかったです。

別に、そうそういっつも会ってた人じゃない、亡くなる前は、もう半年くらい会えてなかったけど、ルーディーは私にとって癒しそのもので、こういった、些細なことだけど、でも楽しい、そんなハプニングが彼とはもう起こらないんだ、と思うと、ただそれだけのことなのに、ほんとにそれだけのことなのに、、、とても寂しい。

ただ、ボスは、大粒の涙を落とす私を見て、

「泣くことないんだよ、彼は他の人よりちょっと短い人生だったかもしれないけど、十分に人生を満喫したし、僕たちも彼と一緒に十分楽しんだ。形としては残らないかもしれないけど、思い出は宝になるから!」

と晴れ晴れとした様子だった。ほんとに。

ほんとそうだよなぁ。なんと、ルーディーは亡くなる3週間前にピザ屋のギグ(ライブ)に参加してたそうな。これには私も泣き笑い。

「どうせ先は長かぁねんだから、弾きたいもん弾いておくぞ!」

という、周りの人も驚くような元気&サッパリ感だったらしい。

最後に、ルーディーさま。
貴方と出会えて本当に幸せでした。お疲れさまです。貴方からもらった幾多の人生、音楽のアドバイス、決して忘れません。
次回は夢ん中でセッションしましょう!

私の夢の中はすごいぞ、会った事も無いのにリストと酒飲んだことあるんだから。www

下のリンクは、2008年の日本公演の時。この時は、私はLAに居たので、母を招待してくださいました。
本当にありがとう、ルーディー!
でも、I miss you so much。

キャロル・キング UP ON THE ROOF

11:51 | mai | Rudyへ、愛を込めて。 はコメントを受け付けていません
2011/02/04

先月末、最後の週末を使ってユタ州パークシティで行われているサンダンス映画祭に行ってきました。

今年は、年始早々家族が病気になったり、自分も怪我をしたりで、LAに戻って間もない状態でユタに行くのは難しいなぁ、と思っていたので、制作チームは23日あたりからサンダンスに行っていたのですが、私はそれには合流しない事を決めてました。

ただ、その後、デンバーにいる兄夫婦から連絡があって、「お前は今後また行く機会があるかもしれないけど、俺たちは、もうこんな機会今後あるかないか分からないから」と後押しされた形で「やっぱり」行く事に。w

前回は2007年度の映画祭に参加して、サンダンスで1作品、同じパークシティで行われているもうひとつの映画祭、スラムダンス映画祭でも1作品、上映されて、制作チームの一員として参加しました。自分たちの制作した作品を映画祭で観る事も感慨深いものがあったけれど、それよりも、毎晩のように行われる関係者のパーティーが大変で、一緒に参加していた同世代のスタッフ仲間は毎晩のようにヘベレケに酔っぱらっていたのを覚えてる。。。

今年の映画祭ではサンダンスに2作品、上映される事が決定して、一つはネイティブアメリカンの祈祷式のドキュメンタリー「GRAB」という作品と、Chaz Bonoという子タレで有名だった女性が性転換をして、戸籍上も「男性」として認定されるまでの経過を追った「Becoming Chaz」という作品が上映されました。

この2作品に関しては、いつも無理難題を言われて泣くのは私だったのに、今回はボスが大泣きするハメに陥り、ここまで来るのにもすったもんだの(毎度のことだけど)涙・涙の制作期間を要しました。

結構今までのコラムにも書いているけれど、作曲担当って、本当に難しい立場なんですよね。自分が「コレがベストだ!」と思う音楽を付けても、いわゆる感受性、ぶっちゃけセンスが相容れられないディレクターが相手だったりすると、いとも簡単にボツ宣告を食らってしまう。

今回のこの作品制作に至っては、その作曲家とディレクターの「感性の不一致」がハンパではなかった上、ディレクターのキレ方がもっとハンパではなく、
「こんな音楽しか作れないようなら、君をクビにして、他の作曲家に頼む!」とスタジオまで怒鳴りにきたそうな。。。

私はその場にはいなかったから良かったものの、その事件が起きた日の夜、たまたまボスと年末の忘年会をする約束をしていて、ボスの落ち込みようったら、そりゃもう、見てられなかった。
私がもしその怒鳴り込みの場面に居合わせたら、多分大泣きしてただろうな。それか、ブチキレて「お前なんか呪われちゃえ!」とか暴言を吐くか。。。

「こんな音楽しか作れない」って簡単に言うけどね、ほんとーーーーーーに色々苦労して、たかだか1分のシーンに何十時間もかけて音楽制作するんですよ。合わない、気に入らないのもしょうがないけど、もう少し言葉を選んで欲しいもんです。アメリカ人ってキレると後ろから殴って気絶でもさせないかぎり、スイッチが切れないんですから。

そんなこんなもあった、非常に辛い制作期間ではあったけど、ディレクターにしこたま泣かされたボスもサンダンスに行き、前回同様、上映後の関係者のパーティーでひたすら飲みまくって「サンダンスに行くのは4日間が限度だ」とボヤイておりました。

今回、私は自費で兄夫婦と、単純に上記の2作品のみを観に行ったので、週末のみの滞在。
チケットはすでに満席、完売だったけど、ボスやプロダクションがサンダンスと掛け合ってくれて、無事チケットも入手できて、映画を観る事ができました。

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もう、陽が陰っているから暗いけど。。。
気温は1℃くらい。でも思っていたよりかは寒くなかったかなぁ。LAとは20℃以上の差があるから、どうしても寒く感じられるのは否めないのだけど。

ということで、土曜日に2つの作品を連続で見て、日曜は飛行機の時間までに余裕があったので、ソルトレイクシティに寄る事に。

ところが、ソルトレイクの日曜って、人がいないんですか?ってくらい何もなければ、人もほとんどいない。

ソルトレイクと言えば、モルモン教のメッカ。この宗教に関してはまるで興味がなかったけど、苦労してこんな僻地に、今となっては世界規模の宗教を確立したモルモンさんたちの聖地にちょこっとお邪魔することに。

純粋に建造物として見ると、それはそれはキレイな建物でした。

礼拝堂。

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礼拝堂の中。

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その昔、私が三重県伊勢市に住んでいたころ、あの頃はあんまり見かけなかったいわゆるネクタイ姿の「ガイジンさん」が二人、自転車に乗って走っているのを何度も見た事があったけれど、彼らはモルモン教の宣教師たちだったんですねー。
こーんなソルトレイクのさっぶい僻地から、やれ布教だー!と言って世界各地に飛び回る信者さんたち。ある意味スゴい。

あ、モルモン教の宣伝してるんじゃないですからね。(笑)

宗教云々は自分には無関心(その宗教の歴史や営みには興味あるけど)なので、なんとなく異文化というか、お化け屋敷に入ったような感覚。

それにしても、日曜日なのかなんなのか、ソルトレイクには人がいない。街も死んだように眠っていて、兄夫婦ともども、「もうええわ」の一言で、4時間も早く空港に到着。あったかい空港の中でまったりした後、帰ってきました。w

ともあれ、無事に作品も観られて、去年すったもんだで作った作品も、映画祭のあとはテレビでの放送を待つのみとなりました。もちろん、放送時間等分かりましたら、また宣伝させてもらいます。今回のこの2作品はとりわけ私はピアノを弾かされているので(笑)、在米のみなさん、お時間があったら是非そこのところ注目して見て頂ければ、と思います。

07:20 | mai | 二度目のサンダンス。 はコメントを受け付けていません
2011/01/17

今回の帰省はほんとごくごくわずかな人にしか伝えていなかった私。
でも、巷で「女子会」と呼ばれる定例会だけ(!)はきっちり計画&遂行。
のんび〜りとしたお正月休みを過ごせていたはずの年明け。

ビックリしたことに母が病に伏せるハメに。

実は、これまであまり触れて来なかった事なのだけど、去年はアメリカで仕事するためのビザの更新で、期限の迫った数ヶ月は更新がちゃんとできるかどうかでかなりヤキモキさせられていたのです。会社員でない私の持つビザって、それなりに申請内容に信憑性と信頼性が無いと、いとも簡単に却下されちゃうわけなんです。

でも、幸い、すんなりと更新許可が下り、新規の時と違って、前回と同じ種類のビザであれば、新しいビザをパスポートに貼ってもらうのも、郵送での申請で良かったりして(新規だと、アメリカ大使館まで行って面接を受けなくてはならない)、こんかいの日本帰省は、そんなビザの更新に際してもタイミングバッチリで、郵送での申請もきっちり1週間でパスポートが返却されて、「ああ、良かった良かった!」と一息ついたりしていた、そんな矢先の出来事、これまで病気らしい病気をしたことのない母が原因不明の体調不良、高熱に見舞われ、当然私が看病することに。。。

看病する事は至極当然なのだけれど、私の場合、帰る自分の家への距離が距離なだけに、「あーん、帰れへん」と一時うなだれる。

飛行機のリスケをするのにも300ドル。決して安かぁない、ビミョーな金額。

とは言っても、母を一人にはさせられないので、1週間日本滞在を延ばすことに決定。

母は一時本当に辛そうで、見ているこちらも辛かったけど、大事に至る事も無く、少しずつではあったけれど、回復の兆しが見えて、倒れてから4日後くらいにはいつもの毒舌トークが復活しつつあって、こちらも一安心。

しかしだな。。。

安心した先には落とし穴だってあるんだい。(泣)

母の点滴を済ませたあと、父と晩ご飯を食べに行こうと近くのレストランに足を運んだ、そんなある日の夜。

駐車して3歩も歩かないうちに、私の右足が見事に車の駐車止めの縁石の魔の手に引っかかり、運悪くそんな時にだけポケットに手を突っ込んでいた私は、なす術も無く「おっとっと」の後、顔からアスファルトの地面にスライディング着地。

痛かったのなんの。

でも、痛覚より気になったのは、まず歯が折れてたらどーしよーもなーい!!!!ということ。

マンガでよく見られる、アホなヤツがうつ伏せになって足をハの字にして転んでる、まさに情けないその姿をムクッと起こし、鼻下や唇から流れる血を無視して、私が父に言ったこの言葉。

「歯、折れてる!?!?!?」

父は、「おそらく大丈夫、とりあえずその顔と手と足を治療せんと。。。」

そう、実は大事な商売道具の手や、膝のお皿まで強打していたワタシ。。。

見るも無惨、気持ちも無惨。

後に更なる痛みが湧いて出て来て、もう、泣いた泣いた。(笑)
3歳児並みに大粒の涙をボタボタ落としました。

幸いうちは医療施設経営をしているので、父親に応急処置してもらいました。

治療中も

「イタッ、いだいよぉぉぉ」

と泣く私。

「良い歳して泣くな馬鹿タレ」

と父に怒られても、痛いもんなんですよね、怪我って。

おかげで、LAにもどって来た今も膝に擦り傷と大きな青タン、鼻下にも擦り傷の跡が残ってる。

日本に居たときはマスクで顔半分を隠していたけれど、私はどうもこのマスクが好きになれない。

二年前、盲腸切った時に、腹の傷をご近所のおっちゃんに見せたら

「カッコいいじゃん、大人のオンナは腹や顔に傷の一個や二個、会った方がカッコいいもんだよ!」

(・・・もちろん、数年は消えないであろう傷を抱えてしまった私に対する、アメリカ流の励ましの言葉である。)

と言われたのを思い出して、怪我をしてから2日後、一大決心してマスクを外して外に出る事に。

まず、父の働く診療所の事務員さんにその悲惨な姿を披露する事に。

「怪我しちゃったんだけど、こんな顔でも町歩いて平気かなぁ」

と後ろから声をかけてみる。

事務員 「!!!!! ブホっっっっ!!!(笑いで咳き込む)」

私「(こりゃあかん。。。)」

という反応があったあと、事務員さんは無言でマスクをよこして来ました。

マスク二個になっちゃったじゃん。。。(泣)

そんなこんなで、母には更なる心労をかけて申し訳ない事をしたけれど、幸い私の歯が折れる事も無く、口や鼻の傷もそれはそれはスピーディーに治癒していき、今ではまるで「あんな大惨事」なかったかのような顔してLAを闊歩しておりますですよ。

年始早々、コケて、早1年分くらいの涙をこぼしたワタシですが、あれくらいのコケで良かったのかも、と今では思ってます。ただ単に「転んだ」と言っても、膝を割ってしまう人、それこそ歯が折れてしまう人、骨折だなんだ、と、実は陸上にはキケンがいっぱいなのです!!!(誰に向かって言ってるんだか)

さて、字余り的な感じですが、告知です、宣伝です。

今月、新しい楽譜が発売されました。

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前回に引き続き、フィギュアスケートで使われている楽曲を、今回はとってーもやさしくアレンジしたものです。バイエルやブルグミューラーあたりを練習している人たちにお薦めです。

でも、内容は濃いぃですよ。(笑)
是非お試しあれ。

前回は、他の編集者さんたちとの共著であったため、私の名前は出てませんが、今回の楽譜はピンでやらせて頂いたので、名前も載せてもらっちゃいました☆

アマゾンはこちら

1050円(安い!)、前回と同じく全音さんからです。

今年もこういうお仕事、沢山できれば良いなぁと思ってます。楽譜はコケませんように!(切望)

10:14 | mai | 年始初コケ大忙し。 はコメントを受け付けていません
2011/01/01

 

☆おめでとうございます☆

 

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昨年は、みなさまにこのコラムを読んで頂き、非常に実り多き1年でした。

 

本年も頑張ってまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 

まずは、新年のご挨拶まで。

 

まい@実は日本帰省中。

 

 

04:15 | mai | 明けまして。 はコメントを受け付けていません

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