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またも更新が遅くなりました。
最近、暇さえあれば本を読んでる。ずーっと読んでる。
もちろん日本語の本ね。笑
先週末はコロラドに住む兄夫婦とサウスダコタ州にあるマウント・ラシュモア
と、ワイオミング州にあるデビルスタワーを観に行きました。
マウント・ラシュモアは見ればわかるように人工造形物だけど(というか、こんなところに歴代大統領の顔を掘って誇らしげに国定公園にしているアメリカ人のセンスに改めて驚愕。笑)、デビルスタワーは全くの自然から成る固体。
日本のような「奥ゆかしさ」とか「控え目」とか、アメリカ人にはなかなか理解されない美徳をほんのちょびっとでも受け継いでいる(と勝手に思っている)私としては、上記の2つは存在感バッチリの「これでもか!」というほどの体現であって、視覚的に「お腹いっぱい」になってしまった感があったけれど、それでも久しぶりの旅行はとても楽しい時間と相成りました。
さて、話はもどって、暇さえあれば本を読んでいる私。
その読んでいる本の殆どがコラム集。自分もこうしてこの場を借りてツラツラと書いているけど、やはりまだまだ文章力に乏しく、表現が稚拙だと思わずにはいられなくなる。「稚拙美」という言葉があるらしいけど、それにも到底当てはまらない。もう良い歳なのに、、、と忸怩たる思いでいっぱいになる。
ショボンとなる自分はさておき、さっきまで読んでいた本の一節に日本人の「控え目」の美しさを書いた部分があった。
最近はとんとこの「控え目」が日本人によって悪用され続けているような気がしてならない。この悪しき「控え目」の末にブチキレた代表が大阪府知事の橋下さん。笑
ま、ご存知のように、お役所の「控え目な」注意勧告を聞かない公務員である教職者を一刀両断、処罰するためにも「国旗国歌条例」を作っちゃったわけである。
橋下さんを悪く言いたくて仕方ないマスコミがこれまた「控え目に」、「公務員に対して」という言葉を故意に削って報道したりするから、よく事情の飲み込めない国民は「え?自分たちに対して強制的になるの?」なんて疑心を持つ。
いつからこんなふうになっちゃったのかな。
本当に言わなきゃいけない事を「控え目」表現して、ソースの不確かな、不安をあおるような事ばかりをあたかも「真実」かのように言う。これじゃ震災が起きてからの東電や政府の詭弁を聞いていれば誰だってため息のひとつもつきたくなる。
でもね、みなさんも分かっていると思うけど、やっぱり事件は現場で起きているんです。青島刑事の言う通りなんです。
東電の、こないだまで表舞台で理路整然と「お役所論文」を発表していた西山某やら、新しく出て来た同じよーな人物が「控え目」(ここまで来ると「ウソ」とも言う。)発表をしている裏では、現場で命を削って一刻一刻を争って修復作業をしている名も無きファイターが居る事を、私たちは忘れてはならぬのです。
もちろん、ファイターを支えている家族、周辺地域の方々の血の滲むような努力も然り。
実は先週の7月4日、こちらは独立記念日だったのだけど、偶然にも仕事で「The Star-Spangled Banner」すなわちアメリカ国歌のピアノアレンジを頼まれて、数日間ヨソの国の国歌とにらめっこしてました。別に独立記念日に使われる訳ではなくて、とあるメジャーチャンネルのドキュメンタリーに使われる予定なのだけど。
この国の歴史は浅いのと同様、国歌も極めて現代風。何度も聞いてると、ひと小節ごとにいろんな和音(コード)を入れられるポッシビリティが生まれて、仕事的には面白くて夢中になりました。でもアレンジしてる途中で何度も日本の国歌を思い出しては「やっぱり日本の国歌ってサイコーだぜ」と思いましたよ。
言いたい事は、極めて控え目な旋律に不動の和音進行があるわけです。今風でない、と笑いたいヤツは笑えば良し。音楽的に見ても、私は良き「控え目」日本文化の象徴だと思うのです。
話は戻って、ヨソ様アメリカの国歌をニホンジンの私がアレンジするさなか、youtubeで良い資料はないかなぁ、と、色んな場面で唄われてるアメリカ国歌を聞いたわけです。
すると出てくる出てくる。面白いくらい出てくる。
アメリカでは、公立学校はもちろん、スポーツの場面でも、地方大会から全国区に至るまで、事が始まる前に国歌を斉唱する。最近ではそういったアメリカの場面を観ること事態珍しくないから、みなさんも想像できるだろうけど、メジャーリーグもそうだし、バスケもそう。
5月6月と、アナハイムとオークランドで野球を観に行ったけど、この国歌斉唱は試合開始のサインでもあるから、駐車場でまごついてる間「オ〜オセ〜イキャ〜ンユースィ〜〜〜〜♪」と言う歌声が聞こえてきたら「あ、試合が始まるぞ!」とダッシュしなくちゃいけない合図にもなる。
でも、控え目文化が無い、それこそドド〜ンと自然の宝庫に大統領の顔を掘っちゃうようなお国の人たちからでも学ばなくてはいけないこともある。
彼らはいつだって誇りを持って国歌を歌う。
MLBでもNBAの試合でも、まだ10歳にもならない子供が出て来て、誇らしげに国歌を歌う。国歌の意味なんてまだ分からないだろう。でも、それでも、何万人、何十万人という人間が起立して静粛な中歌う彼女たちのそれは、きっと彼女たちにとって一生の誇りになる。一生懸命練習して、多くの人間の前で歌った事が、今後の彼女たちの人生を大きく動かすことは間違いないのだ。
日本だって、そうしたら良い。
意味なんて分かんない、国歌の存在って何なのかワカンナイ、それで良いのです。
こんなこと書いてる私だっていまだ考え中なのですから。
賛否両論あろうとも、ニホンジンは日本人なのだから。
どの国にも思い出したくない過去、苦しい思いが秘められて今の国ができていると思うのです。
それは負けを知らない(というか、認めない)アメリカだって同じ。
どんな小さな場面でも、小さいときから慣れ親しみ、歌い続けた歌は、意味など分からなくてもそれが個々の人生の歴史の一部になって誇りと自信が生まれ、悪しき「控え目」の風潮など無くなるのではないか、とyoutubeで数多くの「The Star-Spangled Banner」を聞いて思った次第です。
ちなみに、一番感動した国歌パフォーマンスはこれ。
彼女たちは成長してからも、プロとして活躍されているようです。
National Anthem by 5 little girls (youtube)
しかし、こんなエラそーなことを書いている私も、今日の仕事のミーティングで「堂々と発言しろ、日本人的控え目な考えは捨てろ」とまたも(!今までに何度も言われているセリフだったりして☆)ボスに言われちゃいました。笑
でもね〜?土足でズカズカと人んち入って行っちゃうような言動は避けたい、とやっぱりニホンジンな私は思うのでした。。。