常夏のマレーシア。
日本の冬の寒さを忘れてしまうほど、年中真夏の南国。
南国の寒さと言ったら、建物の中の尋常じゃない冷房の効き具合。
遊びに来る友人達は必ずこの冷房の制裁を受けて、みんな寒い寒いと言って凍える。
住んでしまうと慣れてしまうもので、今では日本から来た友人達が寒いと言うショッピングモールでもノースリーブでいられるから不思議。
南国の寒さは冷房だけじゃない。
南国にも雨季と乾季があって、一応気温の変化がある。
マレーシアは今は雨季の時期なので、毎日数時間のスコールがやってくる。
雨が降るととても涼しくなるので、この時期はコンドミニアムのプールには誰もいない。
この時期にホテルのプールで嬉しそうに泳いでいる観光客を見ると、よく寒いのに泳げるなって思ったりする。
先日、早朝にスタバのテラスでコーヒーを飲みながら読書していたら、何だかとっても涼しい。
日本の秋みたい!って思ったほど。
・・・前方にあったスクリーンに表示されている気温を見てビックリ!!
「29.3℃」
はい!完全に体が南国仕様になっていて、29℃で涼しいと感じていました。
ショッピングモールの寒すぎる冷房には慣れるのに、外の気温の変化には慣れていないのか29℃で涼しいと思ってしまう自分にビックリ!
母とチャットで話していたら、日本は15℃くらいだとか・・・。
モスクワに住んでいる友人に聞いたらもう0℃だという・・・。
29℃で涼しいって言っている自分が、来月ヨーロッパ旅行に行くと思うと怖いなっ。。
日本人は「共通点」を見つける才能があるねっっと友達に言われた。
和を大切にする国民ということと、島国で一つの人種で構成されているから「違い」よりも「共通点」に目が行くんだと思う。
考えてみると、日本人は小さい頃から無意識のうちに「みんな同じであること」を大切に育てられている気がする。
海外で暮らすようになって、多くの人種、違う言語、異なる文化が周りにあることが日常になった。
そして、「共通点」より「違い」を見つけるほうが楽で、ついつい「違い」を見つけたくなって、その「違い」が面白さになった。
だから日々「違い」を発見するとたまらなく楽しい。
今回は風邪の時に食べるもの。
アメリカ人の友人はコーラーと言う。
また別の友達はチキンスープと言う。
ステーキ!と言う人もいて、国が違うと面白い。
そして今回一番ビックリしたのがチョコレート。
「風邪ひいちゃったよ。。」って言うと、「それならチョコレートよ!!ダークチョコレート食べなきゃ!!」と言ってGODIVAに連れて行かれる私。。
・・・えーっと。。。初耳ですよ。
風邪にチョコレート!?
なんでも咳にいいんだとか。
まぁ、甘いもの好きの私は美味しいので従うけど・・・果たして効果があったのかどうかはわからない。
南国にも、イスラム国家にもクリスマスはやってくる!
しかも日本よりも派手で、規模もスゴイ!
ショッピングモールの中にメリーゴーランドだって設置しちゃう。
イスラム教徒の人も普通に記念写真撮っているし、クリスマス=キリスト教という感覚は少ないのかもしれないです。
その点は日本人と同じですね。
語学学校の仲間と話していて、何で日本人は英語が苦手なんだろう・・・って改めて疑問に思った。
みんな何歳の頃から英語学んでる??
っという話になって、計算してみたら日本人は10年間(中学3年、高校3年、大学4年)英語を勉強してるんですよね。。
クラスメイトはまだ18歳~20歳ばかりなので、10年って言ったら驚いてた。
語学学校の入学テストの面接で先生も面白いことを言っていた。
「日本人はテストはとっても良く出来るのに、何で面接になると急に英語が出来なくなるんだろうね。」
私はノリと勢いでコミュニケーションするタイプなので、テストが出来ないのにおしゃべりは得意なので、先生にもクラスメイトにも日本人ぽくない!って笑われる。
マレーシアは、マレー人、中国人、インド人みんながマレー語と英語、人によっては中国語を日常的に使っているので2カ国語か3ヶ国語がしゃべれて当たり前。
語学学校にいるマレー人や中国人も留学を控えていたり、ビジネス英語を学びに来ている。
だから英語についての捕らえ方が日本人と全然違う。
そんなクラスメイトの中国人と話して、何で日本人はすぐに英語を話せないって言うんだろうねって話題で盛り上がった。
「ボクは、中国人特有の語尾にクセがある英語を恥ずかしいとは思うけれど、それでもコミュニケーションしたいから一生懸命話すし、間違えることは恥ずかしいことじゃないって思う。むしろ、英語話せません・わかりませんって言うほうが恥ずかしい。結局は、キレイな発音や文法じゃなくても伝わればいいんだよ。だって英語はほとんどの人が第二言語なんだから、完璧に話せる人なんて世界中でも数パーセントだと思うよ。」
海外に住むようになると、彼の言っていることがすごくよくわかる。
キレイな文法なんて誰も望んでいないし、ネイティブの発音なんて誰も期待していない。
むしろ、アメリカ人やイギリス人だって出身地によってキレイな英語をしゃべれないわけだし・・・。
英語話せません、わかりませんって言って、世界中の人と出会うチャンスや違った価値観を知るチャンスを逃す方がよっぽど恥ずかしい気がする。
たぶん、コミュニケーション全体に言えることだけど、要するに捕らえ方次第でコミュニケーションが得意になるし、不得意にもなる。
言語だって同じで、捕らえ方次第で英語が話せないと言うし、英語話せますって言えるんだと思う。
世界の言語の中で習得が難しいと言われている日本語を操っている日本人。
そんな日本人が第二言語として英語を話すとき、きっと相手は完璧さなんて求めてない。
たぶん下手な英語に付き合ってくれている目の前にいる人は、単純にあなたのことを知りたいと思っているし、真剣にコミュニケーション取りたいって思ってくれているはず。
逆のシーンで考えたら納得がいく。
英語を話す人が下手な日本語で一所懸命話をしてくれている。
そんな時、私達は「この人日本語下手だな・・・発音悪いな・・・」なんて思わない。
何とか相手の言っていることを理解しようとするし、相手の考えていることや話したいことを知りたいと思うはず。
だから日本人も胸を張って、「英語話せます!」って言えばいいと思う。
不安なら、「でもまだまだ勉強中なんだ!」って付け加えれば、きっと相手はニッコリ、ゆっくり話をしてくれるはず。
毎日英語を使ってコミュニケーションをするしかないこの環境で、言語の捕らえ方が変わった気がする。
いつも書いているけれど、マレーシアは多民族国家なので年中お祭り。
先週はインド人のDiwaliと呼ばれるヒンドゥー教の新年のお祭り。
このお祭りが一番好き。
街中にカラフルなコーラムと呼ばれる絵が描かれる。
このコーラムという絵、実はお米を色づけして、一粒づつ並べて描かれているから驚き。
ショッピングモール中に飾られていて、全てデザインが違うのも楽しみ。
こんなに綺麗な絵が、実は全部お米だということが未だに信じられない。
このお祭りの2日後には、イスラム教徒の新年のお祭りがあって、街中にぎやかだった。
そして街はこれからクリスマスに向けて飾りつけが進んでいく・・・。
一年中とにかくイベントとお祭りだらけで、南国のこの国は一年中カラフル。
多民族国家のこの国は、異なる文化と宗教が複雑に絡み合って出来ている。
街の色も衣装も、宗教も文化も、人も食べ物も全てが違っているのに、それぞれの色が絡み合って、それでいて調和が取れていて・・・
この国は美しいキャンバスのようだ。
1年半ぶりの日本。
久しぶりの日本はたった3日間の帰国だったけど、南国暮らしに慣れると実に新鮮。
「安全で綺麗な国」
よく日本に行ったことがある外国人がそう言うけど、それはきっとホントだと思う。
道が平らで綺麗。
トイレが綺麗。
ゴミが落ちてない。
電車で眠れるくらい安全。
店員さんが無駄話してない。
ぼったくりに合うことはない。
なんていい国なんだぁーー。
国は一日してならない。
国民性も一日にして作られるわけじゃない。
オリンピック誘致の最終プレゼンで話題になった「おもてなし」
きっとこの「おもてなしの精神」は、私達日本人が世代を超えて気の遠くなるような時間を重ねて培った価値観だと思う。
それは小さい頃から培われていて、「他人におもちゃを貸してあげる」「列に並ぶ」「使い終わったらキレイにして元に戻す」「ありがとうを言う」「いただきますを言う」・・・とてもささいな行動の積み重ねがやがて他者を思いやることができて、安全でキレイで丁寧な国になっていくんだと思う。
海外で暮らすようになると、日本の良さも強さも弱さも感じるようになる。
国際社会の中で日本は競争力が弱いと言われる。
けれど、日本には「細やかさ」という強さがある。
そしてその細やかさは生活の中にも社会の中にも根付いていて、「おもてなし」につながっていく。
繊細な日本食や和菓子、四季を楽しむ余裕、丁寧にお辞儀をして礼儀を重んじる文化・・・
日本には日本の強さがある。
海外で暮らすようになって、私は日本という国が大好きになった。
マレーシアは7年連続で住みたい国No1.の国。
気候も1年中32度の南国。
実際に生活してみて、住みやすい国だなぁ~っと思うことは多い。
日本に帰りたくない!!という駐在員も多い。
けれど、良いことばかりじゃない。
だってここは外国。日本と全く同じように住めるわけではない。
だから時々、マレーシアが合わなくて帰国されるロングステイの方を見かける。
南国な雰囲気いっぱいのレストランで夫とブランチをしていて、テーブルをはっていくアリを見てふっと思ったこと。
南国暮らしが向いていないってどういうことだろう。。
南国暮らしのあるあるを並べてみた。
・スコールが毎日やってくる=雨に濡れても気にならなくなる
・日差しが強い=日焼けが気にならなくなる
・虫が多い=刺さない虫なら気にならなくなる
・店員さんがのんびりしてる=おしゃべりに夢中で自分のレジをしてもらえないことにイライラしなくなる
・何でもいい加減=約束通りに事が運ぶなんて思わなくなる。約束通り作業員や人はやってこない
・飲食店が不衛生=お腹壊さない程度なら大丈夫になる
・家に小バエやヤモリやアリがやってくる=刺さないから問題なしと考えるようになる
・道路がすぐ冠水する=車が進める程度なら気にならなくなる
・気が利くなんて絶対ない=要望がある時はハッきり言葉にして伝えるようになる
・なんでも「Nevermind!」と言われる=大抵のことは怒らず呆れて諦めるようになる
・決して誰も急がない=せかせかする自分が悪いと思えるようになる
こうやって並べてみると、一言で言うなら「いい加減!!」。
だからきっと、神経質な人は南国暮らしに向かない。
これはたぶん東南アジアに限定したことかもしれないけれど・・・。
そういう私は何と言うかとってもいい加減で適当な性格なので、南国暮らし向きかもしれない。
イスラム国家は、犠牲祭と呼ばれるイスラム教徒の祝いの時期。
聖地メッカ巡礼の最終日のお祝いとして、メッカ巡礼に行かない人も羊や牛、ラクダなどを生贄に捧げるこのお祭り。
街中のモスクで動物が生贄として捧げられている様子は、少しグロテスクて刺激が強すぎる。
生贄は、羊・牛・ラクダが一般的。
羊は値段が安く、ラクダはお金持ちしか買えないんだそう。
羊は安いと言っても動物一匹買うのは大変なこと。
親戚中でお金を出し合って動物を買って、生贄に捧げ、モスクで殺してもらって、親戚みんなで祝いとして食べる。
街中のモスクですごい数の動物が殺されるので、血の海とかしているモスクも多くて外国人には直視できないのがこのお祭り。
このお祭りで捧げられたお肉のうち、1/3は貧しい人に寄付されるそうで、現代は生贄用の動物の売り上げ金の1/3が寄付にまわされることもあるのだそう。
イスラム教もヒンドゥー教もキリスト教も、分け与えるということを当然とする宗教なため、食べ物やお金を貧しい人に寄付する習慣がある。
だからマレーシアはホームレスが圧倒的に少ない。お金、衣服、食べ物を提供してくれる場所は街中いたるところにあって、毎日色々な場所で炊き出しも行われている。
宗教の力とはすごいものだなぁっと思うのと、多民族・多宗教のマレーシアは特に面白いと思う。
この国は、イスラム教、ヒンドゥー教、中国仏教が混在していて、それぞれの寺院がいたるところにあって、それぞれの宗教を信仰する人が毎日祈り、お供え物をして、それぞれの宗教を大切にして生きている。
だから、時々”動物”について混乱することがある。
イスラム教は、”豚”を穢れた生き物としているため食べない。そして”犬”は禁忌としてペットとしても嫌がられる。他の動物のお肉も、イスラム教で決められた方法で殺したお肉以外は口にしない。
ヒンドゥー教は、”牛”を神聖なものとして食べることは絶対にしない。”牛”のミルクを飲むこともしないため、ヒンドゥー教徒のミルクは”羊”。そしてヒンドゥー教徒は”牛”以外のお肉も口にしないベジタリアンが多い。
中国仏教は、私達日本人と同じで、”豚”、”牛”、”羊”・・・何でも食べる。
一つの国の国民が、それぞれの宗教の戒律に従っているため、同じマレー人でもあっても、ある人は”豚”を食べないし、ある人は”牛”を食べないし、ある人は野菜しか食べないし、ある人は”犬”だって食べる。
この不思議なバランスの上で成り立っている多民族国家はたまらなく面白い。
レストランやフードコートに行っても、各宗教・各人種に沿ったお店がしっかりと用意されている。
この国は宗教・民族の違いに寛容的で、共存することを知っている。
普通に考えたら喧嘩になりそうなものだ。
ヒンドゥー教徒にとって神聖な”牛”を生贄に使ってしまうイスラム教徒がいて、イスラム教徒にとって穢れた”豚”を食べる人種がいて、禁忌である”犬”をペットにする人種がいて、それを食べる人種までいる。
きっとそれぞれの宗教ごとに、他の宗教や人種に対して思うところはあるんだろうけど、それでも表面的にはお互いの宗教を尊重して喧嘩したりしない。
多民族・多宗教の国家ならではの絶妙なバランスは何とも不思議な感じがする。
インド人のお友達からメイドさんに関する相談を受けた。
「メイドが急に来なくなったり、見張ってないとサボって掃除もしないで帰るの!強く言うと怒るし・・・日本人はどうやってメイド使ってる?」
ちょうど同じ日に日本人の友達からもメイドさんについてこんな悩みを聞いた。
「メイドさんが来る日は、事前に物を片付けて掃除をしやすいようにしておかないといけないから忙しい。汚い部屋だと悪いと思って自分で事前にお部屋をキレイにしちゃう・・・。文句も言えない・・・。」
東南アジアは人件費が安いのでメイドさんやドライバーさんを雇っている人は多い。
マレーシアは物価が上昇していることもあって、私のようにメイドさんを雇ってない人も多いけれど、お子さんがいたり部屋が広い方はメイドさんを雇っている。
マレーシアの場合、メイドさんは出稼ぎの方なのでインドネシア、カンボジア、ネパール、フィリピン、中国人・・・と様々な人種がいる。
他の東南アジア諸国と比べて高いと言われているメイドさんのお給料。けれど、自給600円~900円なので安いと感じる人が多く需要はある。
一番人気はフィリピン人。
フィリピンは国策として出稼ぎを掲げていることもあり、メイドさんがしっかりと教育されている。そしてしっかりとした英語を話す。
二番人気は中国人。
中国本土から来ている出稼ぎの方は、経験が豊富&料理が美味しいのでベビーシッターさんとしての人気が高い。
私はというと、子供もいないし広いお家にも住んでないし、何より人にお掃除やアイロン、お洗濯などを他の人にしてもらう気苦労が嫌なのでメイドさんは雇っていない。
インド人のお友達と話していて印象的だったのは、インドはカースト制度がある国なので、人を使うということに慣れているのでメイドさんへの要求が高い。
メイドなんだからしっかり働いて当然!雇い主の言うことは聞くのが当然!という立場でメイドさんに対する悩みを持っている。
一方で日本人は、単一国家で出稼ぎ労働者という存在にも慣れていないし、みんな平等という教育を受けているので、人に何かをしてもらうということに対する恐縮する気持ちがある。
汚い部屋を見られるのが恥ずかしい。要望を言わないほうがいいのかなっ。という立場でメイドさんに対する悩みを持つ。
育ってきた環境というのは面白い。
お友達から聞いた日本人とメイドさんの面白いエピソードがある。
メイドさんの面接をすることになったあるご夫人。
その日は不安で旦那様にも同席してもらった。
約束通りメイドさん候補の方が到着。
奥さんは席をたって、キッチンへ・・・。
いつも通り、旦那様にお茶を出した。
もちろん来客頂いたメイドさん候補にも。
するとメイドさん候補が驚いた顔でこう言う。
メイドさん候補:「この方はあなたの奥さんではないんですか?」
ご夫婦はメイドさん候補が言っている意味がわからない。
夫:「どういう意味ですか?」
メイドさん候補:「なぜ奥様が、メイドの面接に来た私にお茶を入れるんですか?彼女がメイドの仕事をしているので、既にメイドさんがいるのかと思ってしまいました」
ご夫婦は苦笑い・・・。
そしてメイドさん候補は一言。
メイドさん候補:「マダム、私以外にも他にも面接をするのであれば、マダムはメイドさん候補にお茶をだしてはいけません。そのメイドさん候補は、この家のマダムはメイドに慣れていないから何をやっても大丈夫だと思われます。」
こうしてこの素直な温かな一言で、ご夫婦はこのメイドさん候補の方を雇うことにしました。
このお話を聞いたとき、なるほど!と思ってしまった。
いくら面接に来たと言っても来客という捕らえ方をするのが日本人なのかもしれない。
腰が低いということが美徳とされる日本で育っている私たちは、人を使うということ、メイドとは身分が違うということを簡単には理解できない。
小さい頃から育ってきた環境とは本当に不思議なもので、急に価値観を変えることは出来ない。
だから日本人はメイドさんやドライバーさんを雇うときにストレスを感じるのかもしれない。
異国の地にいると、こんな些細な面白い発見があって毎日刺激的!
またシンガポールに行ってきた。
エアアジアのお陰で、片道1500円ほどでシンガポールに行けるので、気分は国内旅行。
日本から来たお友達と待ち合わせして、食べ歩き。。
話は変わって、マレー語のレッスンで先生がみんなに面白い話をしてくれた。
先生が、「みんな夫のお給料がいつ出てて、いくら貰っているか知ってる?」と質問してきた。
海外にいるということもあって、女性がATMで大金を下ろすのは危ないので、お財布管理は夫と言う人が多い。
クラスには定年退職したご夫婦も何組もいるけれど、クラスの80%くらいは夫のお給料について詳しく把握してないということがわかった。
マレー人の先生も夫婦共働きだから夫のお給料額を知らないのだとか。
けれど、イスラム教徒の女性は夫のお給料を把握したいのだと言う。
ここにはイスラム教らしい理由があった。
夫のお給料の額を知っていれば、他に奥さんがいるかどうか分かるからだそうだ。
マレーシアのイスラム教徒の男性は4人まで妻を持って良いが、正妻以外の妻を持つ場合は、正妻(第一夫人)の許可が必要とされている。
しかしここには抜け穴があって、お隣タイで結婚を済ませてしまえば正妻の許可がなくても結婚が出来てしまう。
だから、先生の妹は実際に正妻に内緒で結婚して第二夫人になったんだそうだ。
いくらイスラム教徒の文化だからと言っても、やっぱり自分以外に愛する妻となる人がいるというのは女性として複雑なもの。
だから多くの場合、夫が第二夫人を持つと言っても、正妻が認めないことが多く、正妻が第二夫人になる人のご両親に「お宅のお嬢さんと夫との結婚を辞めさせて欲しい」とお願いしにくるパターンがあるんだとか。
先生の妹さんのケースでも、正妻がご両親に「二人の関係を破談にさせて欲しい。だからご両親も協力して下さい」と頼みに来たらしい。
両親としてもやっぱり可愛い娘だから第二夫人よりも第一夫人となって欲しいので、正妻に協力することにした。
けれど、正妻も両親も知らないところで、当人同士はタイ旅行に行き、結婚してしまったんだそうだ。
数年たって事実が発覚し、両親も激怒、正妻も激怒ということになったようだ。
ただこのケースでは、夫もお金持ち、正妻もキャリアウーマン、第二夫人もキャリアウーマンだったので、正妻と第二夫人それぞれが自分で自分名義の家や車を持っていたために金銭面のトラブルにはならなかったようだ。
結局、10年経ってようやく正妻が、第二夫人が子供ももうけないことを知り第二夫人の存在を認めるようになったそうだ。
マレーシアの場合、複数の妻を持つ時は月々それぞれの奥さんに同額の生活費を渡すことが決まりで、例えば車を買ってあげる時も平等に買い与えなくては行けない。
だから、夫のお給料の額を知っていれば、自分がもらう額と照らし合わせると、他の家庭にお金が流れているかどうかがわかるんだそうだ。
一夫多妻の文化がない国で育っているので、この辺りの心境はわからないけれど・・・。
やっぱりいくら文化だから言っても、第二夫人になる本人もその親も複雑な心境だということらしい。
先生が最後に言ったことが印象的だった。
「私は自分の娘には小さい頃から、必ず自分だけを愛してくれる人と結婚しなさい。結婚する時は、他に夫人を持つ気はないかを確認しなさい。もし他に夫人を持ちたいと言われたらすぐにお母さんに相談に来なさい」と教えている。
「イスラム教の文化で一夫多妻が認められている」言葉にしたらシンプルで、日本とは違う文化なんだなぁっと思ってあっさり受け流せるけれど、やっぱりそこには女性の複雑な気持ちがあるわけで、第一夫人には第一夫人なりの気持ちがあり、第二夫人には第二夫人なりの気持ちがある。
そして両親には両親の気持ち、夫には夫の気持ちがある。
日本人とは違う文化・価値観なんだって言ってしまったらそれまでだけど、異なった文化の深いところには必ず人の心があるわけで、文化が違っても嬉しさや悲しさは一緒だ。
だって同じ心を持った人間なんだから。
イスラム教の第二夫人の気持ち。
考えると、幸せと寂しさが入り混じった香りがする。
今日は中秋の名月。
中国人は月餅を親しい人に贈る。
甘い甘~いこのお菓子を夫が沢山頂いて持って帰ってこないことを祈るばかりです(笑)
異国の地に暮らすようになって、日本が好きだという方によく会うようになった。
日本の文化、景色、食事、アニメ、マンガ、街、人・・・日本の気に入っている部分は様々だけど、日本という国に興味を持ってもらって、好きだと言ってくれることは、やっぱり日本人として嬉しい。
先日見かけて北海道の広告。
それぞれの季節の写真が大きく展示されていて、道行く人たちが写真を撮っていた。
広告業界にいたので、ついつい職業病のようにプロモーションの仕掛けを考えてしまうけど・・・日本人の私が見ても「北海道行きたい!!」って思える広告だった。
ご招待頂いて、Japanese Film Festivalに行った。日本の映画を映画館で放映するこのフェスティバル。
満席の作品もあったし、中国人や欧米人の姿もあって、日本の独特な世界観や映像の作り方が海外の人にどう受け入れられるのか考えるとウキウキした。
日本人にとっては普通の光景の場面で海外の方が反応しているのを見るのも面白かったし。
クスって笑えるところで、海外の方も笑っているのを感じて、あぁーこの世界観は受け入れられるんだって思うと嬉しかった。
連日放映していた名探偵コナン。
こちらのローカルのテレビでも放送されているだけあって多くの人に支持されていた。
語学学校のクラスメイトのアラブ人も初対面の時、「ラン姉ちゃん!!」が第一声だった笑
日本のアニメは確立されたジャンルとして認識されているし、こんなにもアニメやマンガが世界で支持されている何てこの地に来るまで実感したことがなかった。
有りがたいことに、マレーシアは親日家で、「日本人だ」って言えばみんなパッと表情が明るくなって、嬉しそうにしてくれる。
もちろん世界には、日本人のことが嫌いな国もあるし、日本人と聞くと辛い思い出を思い出す国もあると思う。
けれど、こうして海外に住んでみると、日本にいた時より日本人としてのアイデンティティを強く持つし、「日本が好きだよ」って言ってもらえるのは嬉しいから、多くの人に日本という国を知って欲しいし、日本を好きになってもらいたいと思う。
そして、そう思うと同時に、他の国のことも知りたいと思うし、違った価値観や文化も知りたいって思う。
自分の国を好きになって、他の国のことも好きなる。
このシンプルな好きという気持ちが平和に繋がるんじゃないかと思った。