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2012/12/20

JunkStageをご覧のみなさま、こんばんは。
このコーナーも1月空いてしまいましたが、気が付けばもう年末なのですね。
早いなーと思いつつ、年末年始のお休みはコラムを読んで楽しもうと思います!
さて、年内最後のご紹介となる今回のコラムは師走という字面にふさわしい、全力で奮闘するこの先生を取り上げたいと思います。


■vol.15 地質学者・高倉清香さん

――鉱物の形や岩石を構成している鉱物名なんて、後からでいいんです。
  勉強を始めるきっかけなんて単純に越したことはない、と思っています。(高倉清香)

愛媛大学修士課程卒業後、インドネシアの国立ゴロンタロ大学の地質学科で講師として勤務中。地質学やゴロンタロでの生活について執筆。
http://www.junkstage.com/sayaka/

 

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自明のことではありますが、人は、教育によっていろいろなものを学ぶ生き物です。
教育、といっても学校で教えることだけではない。例えば生活習慣や、テーブルマナー、身を置いた環境も含めて、その人の価値観や生活スタイルが作られていく。意識的にしろ、無意識にしろ、「その人っぽさ」の背後にある文化というものは、こういうところから滲むものではないでしょうか。
急にこんな話をしてしまったのは、今回ご紹介する高倉さんが日本とは文化も教育のやり方も全く違う、インドネシアで「教える」ということをし、またご自身でもかの地を「知る」という姿勢を貫いていらっしゃるからだと思います。

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高倉さんは、現在赤道直下の国・インドネシアにて、ゴロンタロ大学の地理学科の講師として勤務されています。

そのあたりの経歴はこちらに詳しいので譲りますが、着任当初から今に至るまで主に大学の中で東奔西走していらっしゃるのは、ひとえに異文化、というものが具体的に教育の場において現れるからではないでしょうか。
確かに、日本の大学制度から考えると、「えええ!?」と驚くようなことがままある、大学での授業風景。
例えば授業のスケジュールを生徒が知らなかったり、そもそも教科書がなかったり、大学教授と言えば研究というイメージがありますがかの地ではどうもそうではない模様。

上記の例は本当にごく一部ではありますが、日本で学生生活を送った多くの方は仰天されるような、ゴロンタロ大学での“常識”と“普通”。こうした事態に直面するたびに、高倉さんは「 私の普通は通用しない、ここはゴロンタロだ、日本じゃない」と自分に言い聞かせている、とのことでした。

そんななかでも課外授業(しかも生徒に人気だそう!)を行うなど学ぶ楽しさを自ら模索し与え続けている高倉さんですが、そこでも文化の壁、というか、文化の違いをまざまざと感じることがあると言います。

例えば、ラマダンまっただなかのフィールドワーク。水も飲めないという陽中の作業、もちろんランチで休憩も不可。それから、生徒への呼び方や呼びかけられ方。これはまさに異文化のための悩みや問題ではないでしょうか。

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また、文化そのものと言う点への高倉さんの好奇心は留まるところを知りません。
例えば、かの地でのお給料事情。なぜかお掃除の度に濡れる、トイレットペーパー。果ては無駄毛の処理の方法まで突っ込んで聞く、あるいは確認をする高倉さんは、本当に楽しそうにその様子をコラムにちりばめています。

文化が違うのは、当たり前のこと。
その上で、自分が何が出来るのか、あるいは何を出来るのか。
高倉さんのコラムには、「教える」ということ以上に、そのようなきらきらした視点があるように思います。

その根底にありそうな、この言葉

「自身もこんな都会に住めたらいいのになぁ、と強く思ったことも事実です。
しかし、なぜでしょう。
ゴロンタロ空港に到着した時の安心感と帰ってきた感。」

高倉さんは自分が今住んでいる、この場所が本当に好きなのだなあ、と思わせられる部分です。

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異文化のギャップと、それを埋めるための努力。
まさに走り続ける「師」である高倉さんのコラムには、そんなヒントがたくさん溢れています。

2012/12/20 08:00 | sp | No Comments