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2013/01/11

こんばんは、酒井孝祥です。

結婚披露宴の司会者が、
「僭越ながら、お二人のご結婚披露宴の司会を務めさせていただきます、酒井と申します。皆様、どうぞよろしくお願いいたします。」
などという風に、宴席の最初の方で自己紹介をすることがあります。

宴席の司会進行役を承った人間が、ゲストの皆様に対し、自分のことを名乗らないままに進めてしまうのが失礼にあたるから、最初にきちんと名乗るべきだという考えに基づくことかと思います。

しかし酒井は、新郎新婦から特別な要望がない限り、宴中でその様なコメントは入れません。
もちろん、開宴前に御両家の親御様に挨拶しに行く時や、主賓の挨拶や余興をされる方などへ段取り等の確認をしにいくときには、自分のことを名乗ります。

全員の前で名乗らないことには大きく2つの理由があります。

1つは、プランナーさんを始め、キャプテン、サービス、花屋さん、写真屋さん、ビデオ屋さんなど、沢山のスタッフが働く中で、司会のポジションの人間だけが大勢の前で自己紹介をしたくないからです。

お二人とともに長い時間にわたって披露宴の準備を行ってきたプランナーさんも、当日の宴席の進行全体を取りまとめ、お二人が移動するときなど、いつもお二人の近くにいて目に入るキャプテンも、ゲストの皆様の前で名乗る機会はありません。
それなのに、司会者だけ名乗るというのが好きではありません。

司会者は、一番目立つところにいる裏方スタッフだと思っています。
裏方は自分のことを主張しません。

もう1つは、ゲストの前で名乗ることによって、司会者に対して拍手が向けられるのが嫌だからです。

拍手の少ない披露宴は締りのない印象が出てしまいます。
ですから、ゲストからの拍手を誘導するかのごとくに、あえて司会者が率先して拍手をすることがあります。
ときには、拍手を誘導する立場にある司会者に対して拍手が向けられると、まるで司会者が自分に対して拍手を催促してしまったかのような気がしてしまいます。

また、司会者は、新郎新婦の伝えるべきことを代弁する立場でもあります。
通訳の人に対して拍手が向けられることがない様に、拍手は主役に向けられるものであって、代弁者に向けられるものではありません。

新郎新婦退場後の後でも、「本日の司会は○○でした。」と名乗って、主役がいなくなった後で、その日最後の大きな拍手を受けてしまったら、何様だよという話になりかねませんね。

ここまで述べてしまうと、僕が、何が何でも自分のことを名乗らない主義のように思われるかもしれませんが、あくまで基本スタンスです。

新郎新婦お2人が、「司会者も名乗った方が失礼がないんじゃないの…」と少しでも思うようであれば、その基本スタンスに固執したりはしません。

司会者としての基本中の基本中は、自分の主義・主張がどうであれ、お2人のご要望に副えることを第一に考えることです

次回は、「わちきはおいらんでありんす」(古典芸能)をテーマにしたコラムをお届けします。

04:05 | sakai | ☆名乗るべきか、名乗らざるべきか… はコメントを受け付けていません
2013/01/10

こんばんは、酒井孝祥です。

今回は日本舞踊の話題です。

 
その昔、まだ音響機材もなかった時代、日本舞踊の稽古は、師匠が三味線を弾きながら行われた様です。
今では当然、カセットテープやCDで曲をかけますし、受講するお弟子さんの方でも、稽古で使う曲をダビングしたり、稽古の様子を録音出来ます。

そして、録音するどころか、昨今では、携帯電話やスマホで動画に録ることだって簡単に出来ます。
しかし、先生の方針によっては、稽古中に録音や録画をすることが禁止されている稽古場もあるようです。
僕が通っている稽古場では禁止はされておらず、半数以上の人が毎回録音していますし、小さな写真立てのようなスタンドを活用して、毎回スマホで録画している人も何人かいます。

稽古の様子を録音すれば、先生がどの様な注意をしたか後で聞き返すことも出来ますし、先生が曲のどのタイミングで「いち、に、さん」「イヤ、ハ、ヨイ」などと声を掛けたかを確認することが出来ます。
動画として録画しておけば、稽古中に振りが覚えられなかったとしても、後でいくらでも確認出来ます。

僕は、ここ最近は稽古時に録音も録画もしないようにしております。
ただし、稽古で使う曲の原曲はダビングさせていただきます。

 

以前は、毎回稽古を録音していました。
そのことは、稽古時にうまく理解出来なかった部分も、後で録音を聞き返せば分かるであろうという安心感に繋がりました。
しかし、先生が口頭で説明した録音を聞き返しても、意外と分からないものです。

それに、いつでも聞き返すことが出来ると思っていて、忙しさにかまけているうちに、結局聞かないままに次の稽古日を迎えてしまうこともありました。
そうなってしまうと、稽古時には後で聞けると思って少し気が抜けていた上に、結局聞くこともしなかったのですから、そのときの稽古内容は、結果的に薄いものになってしまいます。

だったら、いっそのことを録るのをやめて、1回の稽古に全神経を集中させてみようと思いました。
稽古のときには忘れまい忘れまいと全神経を集中させ、終ったらすぐさまノートを出して、新しい振りを習ったときであれば、記憶に残っている範囲で、すぐさま舞踊符(踊りの形を絵のような記号に置き換えたもの)に書き起こし、稽古の中で先生から口頭で言われたダメ出しを、覚えている限り、箇条書きします。
録音することをあえて止めてみてから、その次の稽古のときに、前回稽古のときのことを覚えている割合が増えたと思います。

そもそも日本舞踊は、録音機器もなく、そういう風に稽古するしか選択肢がなかった時代に磨かれてきた芸能です。

 

録画に関しては、客観的に自身の動きを見て反省材料にするという目的で、時折(1~2ヶ月に1度くらい)行なっています。

毎回録画をすれば、確かに振りは確実に入ります。
しかし、前述の録音同様に、後で確認出来るという安心感が、稽古に対する集中力を削いでしまいますし、映像を見なければ振りが覚えられないようになってしまうかもしれません。
それは避けたいです。
本番が近いのに振りが入っていないというのであればともかくとして…

日本舞踊の稽古の基本は、師匠が横で一緒に踊っている動きを見て、それをそっくりそのまま真似ることです。
師匠の動きを視覚に入れて、その見た通りに動く脳の回路を作っていきます。

ダンスのスタジオと違って日舞の稽古場には鏡がありません。
僕が思うに、もし鏡があったとしたら、鏡に映った師匠の姿を基準に、鏡に映った自分の姿をそれと同じようにする意識で動くことになり、見たまま見た通りに自分自身が動くことの妨げになってしまうからかもしれません。
ですから、映像で正面から録ったものを見て振りを覚えるのも、同様に望ましくはないと思います。
ただし、形を修正するために、自分の状態を客観的に見ることに関しては、録画以上に有効な方法はありません。

 

僕は不器用だからこそ、あえて基本的には録音も録画もせずに、稽古時と稽古終了後の時間に神経を集中しています。
それが他の人において必ずしも有効かどうかは分かりません。
人によっては、毎回きっちり録画することによって、確実に振りを自分のものに出来ることだってあるでしょう。

自分にとってはどの様にするのが一番良いのか、思考錯誤してみるのがよろしいかと思います。

 

次回は、「名乗るべきか、名乗らざるべきか…」(ブライダル)をテーマにしたコラムをお届けします。

11:32 | sakai | 録るべきか、録らざるべきか… はコメントを受け付けていません
2013/01/08

こんばんは、酒井孝祥です。

酒井が歌舞伎を観るようになって間もない頃、「おお、これは正に特撮の戦隊ヒーローではないか!」とびっくりしたことがありました。
それは「白浪五人男」という作品を観ていたときのことです。

女装して詐欺を働く弁天小僧菊之助の「知らざぁ言ってきかせやしょう…」から始まる長台詞が有名なお芝居ですが、作品中に“稲瀬川勢揃いの場”と呼ばれる場面があります。
この場面のストーリーを説明すると、5人組の盗賊である「白浪五人男」が稲瀬川の側を通りがかると、そこに捕り手が大勢で現れたので5人組が捕り手達を蹴散らすという、内容としてはそれだけです。

それだけのシーンでありながら、ここでの見所は、5人の名乗りです。
捕り手達が現れるやいなや、5人組は一列に整列し、1人づつ、それぞれの出自や特性などを語った後で、最後にポーズを決めながら自分の名前を名乗ります。
5人全員が名乗り終わった後、最後には全員で声を揃えて口上を述べます。
そして、なぜか5人が語っている間、捕り手達は誰一人として彼らを捕まえようとせず、名乗りが全て終るまで、静止して待っています。

ヒーロー達が1人づつ決め台詞を述べて派手なポーズを取る場面とあまりにも酷似していると思ったら、実際、戦隊ヒーローの名乗りのシーンには、「白浪五人男」を参考にしているようです。

特撮のヒーロー作品を観ていて、「名乗っている間に攻撃すればいいじゃないか…」とリアリズムを考えたことは誰しもがあると思います。
ヒーローの名乗りの場面は、普通にドラマを作ろうとしてもなかなか発想出来るものではなく、歌舞伎の様式美的な表現の先例があったからこそ生まれたものだと思います。

そして、歌舞伎のその様な名乗りシーンの大元になっているのは、恐らくですが、戦のときの武士の名乗りなのではないでしょうか?
戦国もののドラマなどで、「やあやあ我こそは…」などと武士が自分の筋書きを名乗ってから戦いに挑む場面を目にするかと思います。

これは、武士としてのプライドを誇示する行為なのかもしれませんが、一説によれば、大声で名前を名乗って、周囲の武士達に自分の名前を認知させ、敵将の首を取ったり等の手柄を上げたとき、手柄を上げたのが自分であることを、その場に居合わせた武士達に証人になってもらう目的で行なわれたようです。
鎧や兜のデザインが派手だったりするのも同じ理由で、手柄を上げたときに、それが自分だということが誰の目にも分かるように、インパクトの強い格好をしたようです。

「白浪五人男」の“稲瀬川勢揃いの場”がベースになった、特撮ヒーローの名乗りの演出は、30年以上も続いています。
日本の古典芸能の演出方法は、古典芸能以外の作品に流用しても大きな効果を得ることが出来る証ではないでしょうか?

俳優として僕が目指しているのはそういうところで、日本舞踊の身体表現や浄瑠璃の音声表現を学んで身につけたことを、違うジャンルの舞台に流用することで、作品の魅力を倍増させるのです。
それを目指せることが、古典芸能の家には生まれなかったけれど、古典芸能を愛する俳優の特権ではないでしょうか?

次回は、「録るべきか、録らざるべきか…」(古典芸能)をテーマにしたコラムをお届けします。

01:06 | sakai | 特撮ヒーローの元祖!? はコメントを受け付けていません
2013/01/06

こんばんは、酒井孝祥です。

酒井にとって、これまでで一番良かった司会だと思うのはどの披露宴かと問われれば、この先どんなに司会経験を積んだとしても、それは、初めて司会の仕事を承った披露宴と答えるでしょう。

初めてのときは、それはそれは凄まじいプレッシャーでした。
それまで、サービスの仕事で披露宴の現場は大量に経験してきましたが、サービスの場合、自分一人が何かちょっとミスをしたとしても、他にフォローしてくれる人がいるものの、司会の場合、司会を出来るのはその披露宴で一人しかいないのです。
司会の良し悪しが披露宴の良し悪しを決めるとさえ言われます。
新郎新婦お二人が、何百万というお金を使って、その日を人生最良の日にしようとしていることに対し、重大な責任を負うことになるのです。

だからこそ、必死になりました。
幸い、本番を迎えるまでに時間的な余裕があったので、お二人からのプロフィールシートや打ち合わせの内容をもとに、実戦用の原稿を作り、それもあらゆる場合を想定して、何パターンも作り、嫌になるくらい反復練習しました。
今でも、そのときの主賓挨拶の人などの肩書きやお名前をそらで言えそうなくらいです。

単純に考えて、そこまで時間とエネルギーを注ぎ込んで前準備が出来る司会は、一番最初の司会だけです。
技術的には未熟であったとしても、お二人の幸せのために最も一生懸命になれる司会は、一番最初の司会です。
その一生懸命さが伝わるからこそ、技術的な問題を超越して、良い司会だったと思われるのでしょう。

初めての打ち合わせに行くまでは、とにかく自分が未経験であることを悟られないことに必死でした。
今でさえ、男性司会者としては若い方で、見た目は実年齢よりも若く思われることがほとんどです。
こんなに若い人で大丈夫なのか?この人は一体何回司会をやったことがあるのか?
などと不安な気持ちを与えてしまったはお終いです。
打ち合わせのシュミレーションも何度もしました。

結果的に打ち合わせのときには「さすがプロですね!」などと言われ、未経験だったことなど微塵も疑われずに本番をお開きにし、ゲストからも「司会良かったですね」と声をかけられましたし、お二人からも「酒井さんを選んで良かった。」とメールを頂き、感無量でした。

経験を積めば積むほど、技術的には進歩するものの、初めての司会のときには出すことの出来た一生懸命さが、なかなか出なくなります。
初めての司会のときに新郎新婦に喜んでもらったときの気持ちをいつまでも忘れずに、毎回を新鮮な気持ちで挑むことが、僕の司会者としてのモットーです。

これから結婚式を行なう皆様、もし、会場側で選定された司会者やご自身で選ばれた司会者が、若くて経験が乏しそうな人であったとしたら、そのことを不安に思う必要はありません。
経験が浅いからこそ、きっと、良い司会をしてくれると思います。

次回は、「特撮ヒーローの元祖!?」(古典芸能)をテーマにしたコラムをお届けします。

12:45 | sakai | ☆これまでで一番良かった司会 はコメントを受け付けていません
2013/01/05

こんばんは、酒井孝祥です。

お正月に上演される歌舞伎の演目の中には、“曽我物”などと呼ばれる、曽我十郎・五郎兄弟の仇討をベースにした作品が大抵含まれています。
その曽我兄弟の仇討の他、「忠臣蔵」として描かれる赤穂浪士の討ち入り事件、荒木又右衛門と渡辺数馬による伊賀越えの仇討(鍵屋の辻の決闘)の三つが、日本の三大仇討ちなどと称されます。

ちなみに、お正月の初夢で見ると縁起が良いとされるものに、“一富士、二鷹、三なすび”があります。
一説によれば、曽我兄弟の仇討ちが富士での狩に乗じて行われたもので、赤穂藩の浅野家の家紋が鷹の羽で、伊賀越えの伊賀がなすびの産地だったことがその由来とのことです。

仇討というのは、私怨による復讐行為で、現代人の感性からは誉められたものではありません。
しかし、武士道に由来するからなのか、昔の日本ではそれが美徳として考えられたこともあったようです。
江戸時代の一時期にはきちんとそれが法制化され、諸条件を満たせば、自分の親などを殺した相手を復讐のために殺害しても、罪に問われなかったようです。

現代では、殺人を犯した人が、法的処置によって死刑になることはあります。
法制化されていた仇討ちは、いわば死刑執行を被害者の遺族が実施するようなものです。
もちろん、仇討の仇討は禁止です。
それが認められたら、罪に問われない殺人がエンドレスに続いてしまいます。

歌舞伎や浄瑠璃などの作品において、仇討を成し遂げることは非常にポイントの高い行為とみなされるようです。
「仮名手本中心蔵」の六段目においては、心ならずも早野勘平が殺してしまった相手が、実は、義父を殺害した犯人だと発覚し、本人の意思とは関係ないものの、結果的に義父の仇討を成し遂げていた勘平は、死ぬ間際に義士の一人として迎え入れられます。

それこそ昔話の「さるかに合戦」や「カチカチ山」だって仇討ちの話で、小さな子どもが読む物語でさえ、それが美徳の様に描かれています。

外国で仇討を題材にした作品は何があるのかと考えてみたら、シェイクスピアの「ハムレット」などは、まさに仇討の作品ですね。
しかし、日本の仇討作品で見られるような、痛快さなどはなく、ハムレットの行為が賞賛される様子もなく、誰も幸せにならずに終っています。

同じシェイクスピアの「マクベス」だって、後半は親を殺されたマルコムの仇討とも言えましょうが、マクベスがとんでもなく悪い存在であるため、親を殺されたことへの復習行為というより、勧善懲悪の方が近いかもしれません。
結果的に私怨の復讐が成し遂げられるにせよ、それが主目的の物語はあまり聞かない気がします。

日本でも明治期に入ると、仇討を禁止する法律が出来ました。
幕末の動乱の中、暗殺などがあちこちで行なわれた後で、その実行者を私怨で殺害することが認められてしまったら、それは大変なことになるでしょう。
それでも、日本人の根底に仇討を賞賛するものがあるのか、それを題材にしたお芝居などは人気を博したようです。

しかし、外国の人から見れば、仇討や切腹のシーンを見て拍手して喜んでいる日本人の姿は、とても危険に映ったかもしれません。
それが、第二次世界大戦終結後の古典芸能の暗黒時代に繋がったと言えましょう。
そのことはいずれ別の機会で…

次回は、「これまでで一番良かった司会」(ブライダル)をテーマにしたコラムをお届けします。

11:10 | sakai | 仇討 はコメントを受け付けていません
2013/01/01

明けましておめでとうございます、酒井孝祥です。

本年第1回目の投稿ということで、まずは、今年の予定から述べさせていただきます。
本年の活動予定といたしまして、今のところほぼ決まっているであろうものを挙げると、3月に浄瑠璃の会、4月に日舞の稽古場公演、7月あたりにも浄瑠璃の会、9月に東京の神社でお芝居、10月に山梨のお寺でお芝居といったところです。

ただ、浄瑠璃や日舞の舞台は、お芝居とは違って、本番前に連日稽古するようなこともなく、9月の芝居の稽古が始まる7月あたりまでは、比較的時間に余裕があるため、どこかのタイミングでお芝居が出来ないかと思っています。
万が一、このコラムを読んで酒井と一緒にお芝居をしたいなどという方がいらっしゃいましたら、お声がけいただければ嬉しいです。
(mixiやFacebookに本名で登録しております)
もちろん、ブライダル司会のお申し込みは、よほど本番と重ならない限り、基本的にどの時期でもウェルカムです。

さて、酒井が自分の道を歩むことをやめずにいられるのは、数年前に抱いた、日本を学ぶ俳優であろうという信念が根底にあり、なんだかんだ言って、その信念を貫くための手助けをして下さる人達が、常に周囲にいて下さるからです。
そして、昨年10月にお声かけいただき、11月からコラムを連載させていただくことになったジャンクステージには、これまで出会った人達とは別の形で、大きな手助けをしていただけることになりました。

それは、僕が多くの人に共感して欲しいと思っている古典芸能の魅力を、言葉を通じて、これまで個人のサイトで掲載していたときとは比較にならない程沢山の人に伝えられる場所を与えていただいていることです。
また、コラム連載を開始したことで、改めて、古典芸能のことを勉強し直す機会も与えていただいております。

実は、今年5月には、日本舞踊においての大きな転機があります。
このタイミングでジャンクステージに出会うことが出来たことと合わせ、2013年は、酒井にとって大きな転機の年になるかもしれません…というよりも、そうなるように精進していきます。

古典芸能に関することを勉強していることに手ごたえを感じているだけで、酒井本人には何の変化もない…などと言われないように、言われたとしてもめげずに、謙虚に地道にしぶとく、2013年を歩んでいきたいと思います。

本年もよろしくお願いいたします!

次回は、「仇討」(古典芸能)をテーマにしたコラムをお届けします。

12:10 | sakai | 本年もよろしくお願いいたします! はコメントを受け付けていません
2012/12/31

こんばんは、酒井孝祥です。

今年もラスト1日を切りました。
ご縁があって、11月よりジャンクステージでコラムを連載させていただくことになり、古典芸能に関することを調べ直したり、昔買ったCDを聴き返したりして、かえって自分自身が勉強し直しております。
そういう意味でも、ジャンクステージに出会えたことは、もしかしたら今年一番の収穫だったかもしれません。

さて、当初コラム連載のお話をいただいたとき、役者として活動をしたり、養成所で勉強していながらも、古典芸能に全く触れたことのない人をメインターゲットに、日本の古典芸能を知らないことがあまりにも勿体無いと気が付かせ、それに興味を持つ入り口になるようなコンセプトで連載をしようと考えました。
そういう目的で、役者さんに最もお勧めする古典芸能作品は、なんといっても落語「淀五郎」です。
役者にとってバイブルの様な作品だと言えると思います。
CDでも出ていますから、CDショップの落語コーナーで購入出来ますし、図書館で借りることも出来ると思います。

ただ、非常にお勧めな作品ではありながらも、大きな問題があります。
それは、「仮名手本忠臣蔵」を知らないと作品の意味が理解出来ないことです。
落語の中には、「忠臣蔵」ものの作品が沢山あって、「仮名手本忠臣蔵」の中に出てくる台詞がネタになっていたり、その場面のパロディ的な内容だったりします。
「仮名手本忠臣蔵」の内容を知っていて当たり前という前提のもので話されます。

この「淀五郎」という作品においては、「仮名手本忠臣蔵」の三段目と四段目がネタになっています(主に四段目です)。
三段目は、以前のコラム(http://www.junkstage.com/sakai/?p=94)で述べた様に、高師直から散々に侮辱された塩治判官が、怒りの余りに殿中で刀を抜いて師直に切りかかるシーンで、四段目は、その罪を背負った判官が切腹するシーンです。
切腹の作法を再現した様なシーンで、かなりの長丁場です。

判官がこれからまさに腹を切って死のうとするところなのですが、家老である大星由良助がまだその場に到着しない。
せめて由良助に想いを伝えてから死にたいと、ぎりぎりまで待ってみるものの、現れる気配がないため、断念して腹に刀を突き立てます。
それと同時に由良助が到着し、判官は腹に刀が入ったまま「由良助か…待ちかねた…」と言い、自分の想いを由良助に伝えてから息絶えます。

落語の「淀五郎」では、判官役を演じる役者が病気になってしまったため、若手俳優の淀五郎が急遽代役として、大役である判官を演じることになります。
しかし、切腹シーンの芝居があまりにも下手なので、腹に刀を突き立てても、由良助役のベテラン俳優が出て来てくれない。
終演後に何故出てきてくれなかったのか尋ねると、“判官が腹を切っていないで淀五郎が腹を切っている。由良助は判官のところに行くのであって、淀五郎のところに行くのではない。”などと手厳しいことを言われます。

落胆した淀五郎は別のベテラン俳優から助言を受けて、また舞台に上がることになるのですが、この落語は、俳優としての真髄を描いたような作品です。
上記の続きは、是非とも寄席かCD屋か図書館に足を運んだ上で、体感していただきたいと思います。

次回のコラムのテーマは、年が明けてから考えようと思います。
2ヶ月足らずではありましたが、今年はお世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。

03:13 | sakai | 俳優としてのバイブルの様な落語 はコメントを受け付けていません
2012/12/30

こんばんは、酒井孝祥です。

「客席に帰れ!」
芝居の稽古やレッスンのときに、そんな風にダメ出し(?)を受けたことがあります。

本来客席にいるはずの演劇ファンが演劇を愛好するあまり、鑑賞するだけではあきたらず、自分が舞台に立ちたいと思うようになった。
そのため、ファンの立場として嬉しい様な決め台詞などに手応えを感じ、格好良く役を振る舞うことに酔いしれる。
ミーハーな気持ちの延長で舞台に立って、それを楽しんでいる、役ではないその人自身の姿が見える。

「客席に帰れ!」と言うのは、そんな状態になっていることの指摘で、そんなことをする様な奴は、舞台の上に立とうとするのではなく、本来いるべきはずの客席に戻れという意味合いです。

こんな人もいます。
アクションが苦手なのにアクションシーンのある舞台に出たいと思っており、アクションのレッスンに参加していますが、お金やら仕事などの問題で、参加しているアクションのレッスンにはほとんど来ない。
それでいて、好きな俳優が出演する商業公演には、それが地方であろうとも、時間と旅費を割いて、軽いフットワークで足を運ぶ。
良い作品を作るために自分を高めるよりも、自分が好きな舞台を観にいく方が大事だったら、何も自分が舞台に立たなくても、客席で観劇して楽しんでさえいればいいじゃないかと思います。

しかし、当然のことながら、そもそも演劇を愛好する気持ちがなく、演劇ファンの心を持たない人間が、舞台に立ちたいなどと思うわけはありません。
それでは、双方とも演劇が好きで好きで舞台に立っているにも関わらず、客席に帰るべき人と、舞台に残るべき人の違いは何なのでしょうか?

色々な考え方があると思いますが、一つの解釈として、第一に、自分のために舞台に立つのか、お客のために舞台に立つのかの意識の違いが挙げられでしょう。
言い方を変えれば、自分のパフォーマンスをお客にみとめられ、評価されることを第一に考えるか、お客さんが心を動かして満足していってくれることを第一に考えられるか…ということです。

また、自分のために作品があると思うのか、作品のために自分があると思うのかの違いもあると思います。
演出兼脚本家に「今回の芝居では、僕に感動的な見せ場を作ってくれるんですか?」と尋ねる俳優の姿を見たことがありますが、もしも僕がそう尋ねられたとしたら、その俳優に見せ場を作ることが危険に思うことでしょう。

自分を見て欲しいと思う俳優の自意識、それが舞台空間で最も見苦しいものかと思います。
そのことを題材にした「淀五郎」という落語がありますが、それはまた次回に述べます。

その自意識に打ち勝つ方法は、立っている役者自身の目的、欲求ではなく、その役が作品の中で持っている目的、欲求に集中することでしょう。
そして、それを助けてくれるのが、相手役が与えてくれる刺激です。
相手役に集中していれば、結果、自分の役に集中することにもなります。

僕が「客席に帰れ!」と言われたのは、もう何年も前の話で、ここ何年かで出会った演出家から、そういう言い方では指摘を受けたことはありませんが、同じ様なことは思われているかもしれません。
最大の敵は自意識です。
来年こそはこの自意識を瞬殺出来ることを目標にしたいと思いつつも、永遠に戦い続ければならない相手であるような気もします。

最大の目標は、客席に帰るように言われるどころか、舞台と客席が一体化したような素晴らしい舞台空間を創り上げることですね。

次回は、「俳優としてのバイブルの様な落語」(古典芸能)をテーマにしたコラムをお届けします。

07:31 | sakai | ★Return to the seats for the audience. はコメントを受け付けていません
2012/12/28

こんにちは、酒井孝祥です。

以前、既婚者の知人女性に結婚式をどこで挙げたのかを尋ねると、式は挙げず、ウェディング姿の写真だけを記念に撮ったと返ってきました。
彼女は結婚式を挙げるのが嫌で、なぜそんなことをするのか理由が分からないと言います。

彼女に限らず、僕がブライダル業界にも携わっている話をすると、結婚式にお金を使うなんて、勿体無くて馬鹿みたい…という反応をする人も稀にいます。

結婚式を行うにあたっては、莫大な費用がかかりますし、その準備には大変な労力を要します。
そのお金と時間を別のことに費やせば、より幸せな道を歩むことが出来るかもしれません。
それも一つの歩み方であり、結婚して結婚式を行うか否か、どちらが良いかは人それぞれでしょう。
そもそも、結婚を行うかどうか自体、どちらが正しい生き方というわけでもなく、人それぞれです。

僕自身が結婚をしているわけではないので、披露宴を経験された沢山の人達からの受け売りを投合したものでありますが、結婚式は、二人で新しい人生を歩み出し、どんなことがあっても離れまいと、これまで自分達を支えてくれた人達の前で誓いを立てる儀式であると思います。

そして、式の後で行われる結婚披露宴は、これまでの人生で自分を支えて下さった人達と、これから新しい人生を歩み出す自分達二人の力になってくれる人達が一同に会し、かけがえのない人達へのおもてなしを精一杯行うことで、その絆を確かめ合う場であると思います。

披露宴を行うことによって、自分達がいかに沢山の人達に支えられながら生きていることを心に刻みつけるか否かで、それから先の人生の歩み方は大きく変わることでしょう。

素敵な結婚式・披露宴を行うためには、それなりの困難が伴います。
そもそもの金策から、会場選び、ゲストへの招待手続き、ドレスや料理などの様々なチョイス、当日の演出プランの決定…
やるべきことは山ほどあります。
20年くらい前には、ケーキ入刀のことを「初めての共同作業」なんてよく言ったりしたようですが(僕が司会をするときにはそのフレーズは使いません)、結婚式・披露宴を行うにあたって乗り越える困難、試練そのものこそが、二人で初めて乗り越える共同作業であります。

生涯において、お世話になった方々におもてなしをする機会は何度もあると思います。
自分達を育ててくれた親や親戚であったり、学校でお世話になった恩師であったり、仕事でお世話になった上司であったり、ともに楽しい時間を過ごした友人達であったり…
しかし、それぞれに対しておもてなしをする機会が何度かあるにせよ、その全ての方達を、同じ時に同じ場所にお招きしてもてなす機会があるのは、生涯で一度、結婚披露宴の場しかないでしょう。

その良し悪しはともかくとして、結婚式を行った人生と行なわなかった人生とでは、その後の人生は異なったものになると言えると思います。
そして、結婚式を行うことを決意したお二人より、その日の進行をまかされた司会者は、結婚式を挙げて本当に良かったと思いながら、お二人がこれからの人生を歩めるように、一組一組に全力を尽くします。

次回は、「Return to the seats for the audience.」(俳優道)をテーマにしたコラムをお届けします。

05:03 | sakai | ☆そもそも何で結婚式をやるの? はコメントを受け付けていません
2012/12/28

こんばんは、酒井孝祥です。

先日、映画版「レ・ミゼラブル」を観てきました。
ロンドンのミュージカル版をもとに映画化した作品でしたが、しばらく他の映画や舞台を観なくても思うくらいに感動しました。
声を上げて号泣しそうになるのを堪えるのに必死でした。
翌日になってもナンバーが頭の中で流れ続け、とうとう2日連続で観に行ってしまいました。

もともと日本語ミュージカル版の「レ・ミゼラブル」も好きで、マチネを観終えたときに、その世界からまだ離れたくないという思いに包まれ、その場でソワレの当日券を買ってしまったこともあります。

 

しかし、この映画を観て感じたのですが、ミュージカルナンバーを日本人が日本語で歌うよりも、やはり西洋人が英語で歌うのを聞いている方が、腹に落ちる感覚がして、心に強く響くものがあります。

決して、もともと英語圏で作られたミュージカルを日本語で上演したものが、前者に劣ると言っているわけではありません。
日本人俳優が演じるからこその独特の雰囲気もありますし、何よりも、日本人が鑑賞するにあたり、言葉の意味が分かることで、ストーリーに入りこめます。

しかし、本来英語で歌うことを想定されて作られたミュージカルのナンバーを日本語に置き換えた以上、英語で歌われる場合と比較して、ところどころで不自然に感じる部分が出てくるのはどうしても否めません。
もちろん逆に、歌詞を直訳したら語呂が合わないので、意味合いを同じくしながらも、メロディに合う言葉を選ぶ翻訳家のセンスが光る部分もあるかとは思います。

 

そもそも、ドレミファソラシドの音階は、西洋圏の音楽文化において作られたものです。
英語をはじめとした西洋圏の言葉と日本語との決定的な違いの一つとして、母音(有声音)の多さが上げられると思います。
“It’s fine today.”と「本日は晴天なり。」という同じ意味の一文を比較してみます。

「イッツ ファイン トゥデー」
「ホンジツ ワ セイテン ナリ」

前者で“イッツ”の“ツ”や“トゥデー”の“トゥ”が無声化されているとみなせば、母音(有声音)は4つと考えることが出来るでしょう。
それに対し、後者は、“ホンジツ”の“ツ”が無声化されれば8つと考えられます。
同じ意味のことを説明するのに、母音(有声音)の数が倍も違っています。

例えば、童謡の「咲いた 咲いた チューリップの花が」の“ドレミ ドレミ ソミレドレミレ”のメロディの範囲の中で、先ほど挙げた英語と日本語の例文を何回繰り返し歌えるか試すと、英語では無理なく4回繰り返せると思いますが、日本語では2回が限界でしょう(超早口で歌うならともかく)。
一番最初の“ドレミ”の段階で英語なら「イッツ(ド) ファイン(レ) トゥデー(ミ)」と全部歌えますが、日本語で不自然な速さにならないように歌えば「ホン(ド) ジツ(レ) ワ(ミ)」までしかいかないでしょう。

つまり、歌いながら一つのことを説明するのに、英語と日本語では、それに要するメロディの長さが倍くらい違ってしまうということになるわけですから、同じメロディで同じ様なことを歌うには、ある程度の無理が生じます。

 

では、明治期にドレミが輸入される前の、古典的な日本の音楽はどう発展してきていたのかと言えば、母音が多い分、母音を長くのばして震わせることで、その節を楽しむように作られてきたという一面があると思います。

例えば、浄瑠璃で「仇夢」という一つの言葉を歌うのに、「あだゆめーええーええ、えーえーええええーえええーえーええええーええ、えーええええーええ」くらいに長く、節をつけながら、「え」をのばし続けることだってあります。

その節の中で、その場面の雰囲気の情緒を感じることも出来ると思います。
それが、日本語の文化圏で発展する歌の形として自然なあり様なのかもしれません。

古典的な純邦楽の歌では、前述した様にのばして節をつけるのと同時に、だらだらとのばし続けずに、のびた音をきっちりと切ることでアクセントを出す部分などもあります。
西洋音楽であったとしても、日本語の語感で歌う場合、そういう要素をさり気なくでも入れてみたら、また違った味わいが出てくるのではないか…などと思っています。

 

次回は、「そもそも何で結婚式をやるの?」(ブライダル)をテーマにしたコラムをお届けします。

03:49 | sakai | ドレミが輸入される前の歌 はコメントを受け付けていません

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