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こんばんは、酒井孝祥です。
今回は日本舞踊の話題です。
その昔、まだ音響機材もなかった時代、日本舞踊の稽古は、師匠が三味線を弾きながら行われた様です。
今では当然、カセットテープやCDで曲をかけますし、受講するお弟子さんの方でも、稽古で使う曲をダビングしたり、稽古の様子を録音出来ます。
そして、録音するどころか、昨今では、携帯電話やスマホで動画に録ることだって簡単に出来ます。
しかし、先生の方針によっては、稽古中に録音や録画をすることが禁止されている稽古場もあるようです。
僕が通っている稽古場では禁止はされておらず、半数以上の人が毎回録音していますし、小さな写真立てのようなスタンドを活用して、毎回スマホで録画している人も何人かいます。
稽古の様子を録音すれば、先生がどの様な注意をしたか後で聞き返すことも出来ますし、先生が曲のどのタイミングで「いち、に、さん」「イヤ、ハ、ヨイ」などと声を掛けたかを確認することが出来ます。
動画として録画しておけば、稽古中に振りが覚えられなかったとしても、後でいくらでも確認出来ます。
僕は、ここ最近は稽古時に録音も録画もしないようにしております。
ただし、稽古で使う曲の原曲はダビングさせていただきます。
以前は、毎回稽古を録音していました。
そのことは、稽古時にうまく理解出来なかった部分も、後で録音を聞き返せば分かるであろうという安心感に繋がりました。
しかし、先生が口頭で説明した録音を聞き返しても、意外と分からないものです。
それに、いつでも聞き返すことが出来ると思っていて、忙しさにかまけているうちに、結局聞かないままに次の稽古日を迎えてしまうこともありました。
そうなってしまうと、稽古時には後で聞けると思って少し気が抜けていた上に、結局聞くこともしなかったのですから、そのときの稽古内容は、結果的に薄いものになってしまいます。
だったら、いっそのことを録るのをやめて、1回の稽古に全神経を集中させてみようと思いました。
稽古のときには忘れまい忘れまいと全神経を集中させ、終ったらすぐさまノートを出して、新しい振りを習ったときであれば、記憶に残っている範囲で、すぐさま舞踊符(踊りの形を絵のような記号に置き換えたもの)に書き起こし、稽古の中で先生から口頭で言われたダメ出しを、覚えている限り、箇条書きします。
録音することをあえて止めてみてから、その次の稽古のときに、前回稽古のときのことを覚えている割合が増えたと思います。
そもそも日本舞踊は、録音機器もなく、そういう風に稽古するしか選択肢がなかった時代に磨かれてきた芸能です。
録画に関しては、客観的に自身の動きを見て反省材料にするという目的で、時折(1~2ヶ月に1度くらい)行なっています。
毎回録画をすれば、確かに振りは確実に入ります。
しかし、前述の録音同様に、後で確認出来るという安心感が、稽古に対する集中力を削いでしまいますし、映像を見なければ振りが覚えられないようになってしまうかもしれません。
それは避けたいです。
本番が近いのに振りが入っていないというのであればともかくとして…
日本舞踊の稽古の基本は、師匠が横で一緒に踊っている動きを見て、それをそっくりそのまま真似ることです。
師匠の動きを視覚に入れて、その見た通りに動く脳の回路を作っていきます。
ダンスのスタジオと違って日舞の稽古場には鏡がありません。
僕が思うに、もし鏡があったとしたら、鏡に映った師匠の姿を基準に、鏡に映った自分の姿をそれと同じようにする意識で動くことになり、見たまま見た通りに自分自身が動くことの妨げになってしまうからかもしれません。
ですから、映像で正面から録ったものを見て振りを覚えるのも、同様に望ましくはないと思います。
ただし、形を修正するために、自分の状態を客観的に見ることに関しては、録画以上に有効な方法はありません。
僕は不器用だからこそ、あえて基本的には録音も録画もせずに、稽古時と稽古終了後の時間に神経を集中しています。
それが他の人において必ずしも有効かどうかは分かりません。
人によっては、毎回きっちり録画することによって、確実に振りを自分のものに出来ることだってあるでしょう。
自分にとってはどの様にするのが一番良いのか、思考錯誤してみるのがよろしいかと思います。
次回は、「名乗るべきか、名乗らざるべきか…」(ブライダル)をテーマにしたコラムをお届けします。