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2014/04/30

旅の話を考えていたら

仕事以外で 旅に行った話を思い出したので

今回はプライベート旅の話です

 

(あ … それと 小学館の 「和楽」6月号に 夫のかわせみの料理が載ります)

 

…旅です…

どうしても結婚してからは 旅に出る事が少なくなりましたので

独身時代の話ですが

 

社会人になった頃 都立第四商業高校後 北海道拓殖銀行入行ですので 銀行OL時代の話です

 

まあ 当時 『半沢直樹』ほぼ同期 花のバブル世代と呼ばれる時代感たっぷりの時期

銀行はどこの地域も忙しかったのです

この頃は まだ お札を手で数えていました(今は自動計測器にかけます)

今はどう変わったのかわかりませんが 振込みなど 当時はIBMの電算機を使って業務をしてました

機械がよく壊れちゃって 修理に来てもらったりして いろいろ忙しい理由はありましたが…

さて

最初の海外旅行は 高校の一番の友人グループの中の一人

ガルマ(初代ガンダムのキャラからの愛称)との二人旅でした

 

ガルマちゃんは女子です

 

同じような趣味を持っていたので… アニメ マンガ テレビの嗜好が似てましたし

特技?には 血を見ても平気というヘンな共通点もありました

 

(血を見ても平気なガルマちゃんは のちに 医療関連業に就職し社内結婚ました)

 

旅をする時には よほど気が合っていないと わがままが出るので よくケンカになりますが

私たちはまったくそれが無く 仲良しで海外旅行に出発

初めてなので 珍しいツアーに参加しよう!という事で

当時 まだ 海外旅行先としては 若者がまったく訪れない 中国 北京・桂林・上海のツアーを選択しました

本当に 若い人が誰も居ないツアーって 何ともいえない雰囲気ですよね…

 

ご経験ある方いらっしゃると思いますが…

 

ツアーの内容自体 まったく あわてない 時間設定で 故宮や 桂林の川くだりも超余裕の時間がありましたから

なお更 ゆーーーーーーっくりした旅をさせてもらいました

添乗員さんがベテランの60代少し前の方で 何でも知っていて 調達まで色々してくれるありがたい方でしたし

帰りに お客さんから相当感謝された様子だったのが印象に残っています

添乗員もいい仕事だなと思いました

今の旅行はたぶん テンコモリの日程をこなす 超過密旅行ではないかと思うのです

先日 知人が台湾に行き

九分でぎゅうぎゅうにされ 見学をした話を聞き

そのあまりの差にびっくりしたのですが

 

私が仕事で台湾の九分に行ったのは三回ありますが1998から2002年までに昼・夜・昼の時間帯で訪れました

どの滞在でも そういう思いをした事がありませんので 本当に驚きました

旅をする理由の 買い物や有名な場所に行く事だけに 着目しすぎると こういうぎゅうぎゅうでも 文句が言えないみたいですね…

日本の団体旅行の没個性について 海外の方からの印象の悪さを聞いたことがあったので もうやだな~と思います

 

 

…で 2回目は またもやガルマちゃんと二人で エジプトツアーに行きました

8日間のツアーですが 飛行機にほぼ1日乗るので実際は6日程度でしたが

 

イスラムの世界に カルチャーショックを受け 勉強させていただくツアーでした

 

同じツアーの若い女性客にプロポーズしてきた現地ガイドさんの ラクダ1000頭あげるから結婚してくださいには 驚きましたが…

 

全般的に ヨーロッパの方が昔からバカンスで滞在する歴史が長いということで

東洋人はほとんど 新参者としての扱いでした

 

印象に残っているのは とある ナイル川沿いの優美な休憩ポイントにバスで到着した時の事です

 

100Mほど離れた場所に 北欧の方かと思われる 色の白い皆さんがデッキチェアでくつろぐ姿が見えました

いいなあと思って そちらに行こうとすると 現地の方に制止されました

「ジャパニーズ ノー!」

 

お?ナンだって?

って感じですが どうやら 私たち日本人ツアー客は 歓迎されない場所の様子で

こちらのガイドさんの案内に従って ファルッカという帆掛け舟に乗るナイル川下りに 大人しく乗り込みましたが

あとで ずいぶん腹がたった覚えがあります

 

人種差別というか そこまでいかないまでも いわれの無い不快感を感じました~

 

でも エジプトの貧富の差には 驚きの連続でしたので

本当に苦労して生活している様子が伝わってきてしまって

もう ただ ピラミッドや遺跡好きのみの興味本位で旅に出るのはやめようとつくづく思いました

だって ピラミッドや アブシンベル神殿など周囲では 子供から 「バクシーシ!(ほどこし)バクシーシ!バクシーシ!」と囲まれたりして

こんなにどうしたらいいのか困る光景に あちこちで合うと 自分が働く事の意味自体を よく考えないと

国際競争に突入して いろいろな差を金銭に換算した結果のバブル時代

生き方の基準を自分の親やその前からの経験で築いているのに

全部を塗り替えちゃった人もいたようですので 今ならそう言えるんですが

当時はぜんぜん わかりませんでしたので

楽しもうとツアーに参加したのに 悩みを持ち帰ったみたいで

本当に それから 海外旅行に行きたくなくなりました

 

その後 最後にしようともう一度 今度は 違う仲良し女子メンバー三人と ローマ、パリ、マドリードのツアーに参加して…

今度は みんなのわがままがぶつかる経験をして

団体旅行の困り事…最初のローマで ナポリ観光をオプション申し込みしたのに現地で断られたという 残念な経験がきっかけですが

Kんきツーリストさんの不手際ですが 謝ってくれなかったのが ショック!

社会人として 大きなツアー会社のそういう対応って どういう態度をするべきか 当時は判りませんでしたから 泣き寝入り…

(今ならクレームをガンガン寄せるはずですね…)

 

もうおかげで 次に行った場所パリでは みんな わがままの暴走~!

フリータイムの使い方でもめました!

 

ベルサイユまで行きたい人と イヤだという私と友人 二つに分かれてしまって

軽~いケンカ状態でツアーなかばを気まずく過ごしました

 

結局 ゆっくりと 公園でのんびり半日パリの鳩においしいパン屋さんのパンくずなど投げ与えたり

有名なカフェで ご当地の常連叔父さんと談笑したりして 結構楽しく仲直りできました

 

この経験で わかったのは 余裕が無いのは とかく 人間にとって 争いを生んじゃうんだなというつまらない事でしたが

旅に出るのは 自分のわがままを お金で解消する そういう都合をぶつけるのは やめるべきだと 私は考えました

人とのつながりを 大切にする 仕事を選んでいるのに そういう態度そのものに 嫌悪があるのです

でも 本当に勉強になった事は事実でした

それからというもの

私にとって 旅は 余裕と同義語です

GWですので… みなさん 楽しい旅を!

10:53 | miya | 旅 曲独楽師 三増 巳也 はコメントを受け付けていません
2014/04/30

思わない事で とてもイヤな感情を抱え込む…

それは 凄く心の負担になりますし 毎日の暮らし方にも直結します

今回は そういう「気持ち」の話です

 

A. つらい経験が 原因となった時と

B.自分の失敗が元になる場合では

ずいぶん傷つき具合が違う事がわかりました 

 

(自分の場合ですが)

 

A.本当につらい経験の場合 やりきれない感情となって 心の深い部分に蓄積されます

 

B.自分の失敗が原因だと その後の行動自体に直接関係が出てきます

 

間接的には生まれたときから 直接的には芸人として 芸に関わって生きてきましたので そのABが表面的に現れるのは

私の場合 日常の態度の方に出ておりますが

曲独楽の舞台にも 場面構成や演出を考える基礎の部分の骨組みと関係が出ます

 

 

Aは人の生き方の理想に関係するくらい 重たいことなので なかなか変更が利きません

Bの方で調整をする事が日々の生きる糧にもつながって これは どうやら 生きがいというプラスイメージを持つものにチェンジが可能なようです

 

色々な失敗談がどなたにもあり

その失敗は とても心にひびくものです

 

私にも失敗談があります

 

温厚な紋也師(3世)のお怒りを買った事…

本当によくおぼえています

今でもあの時の苦い苦い思いは忘れていません

 

細かい失礼は ものすごくたくさんありますので省略…

 

入門後 初めての海外公演がN.Yという(1993年)ラッキーな私

有頂天状態の私の曲独楽の舞台上での取り扱い方は とてもザクザク荒っぽいものでした

 

その海外公演で ご一緒した方のパーティーがホテルで開催されましたので

紋也師に呼ばれて 曲独楽公演の後見として一緒に出演しました

 

変わらない美しさと気品ある 紋也師の曲独楽の風格と

横に居させていただく 新参者の私では 天地の違いがあり

舞台上ではそれがまた お客様にはお楽しみとなっていましたから

公演も それはそれは楽しくさせて頂く事が出来ました

 

問題は その後です

 

ああ 書いていくのが つらいですねえ

 

連載を休みたいくらいイヤ…

(^^;)失敗とは そういうマイナス効果たっぷりですなあ

 

私の有頂天が なくなったのは この経験が元です

 

お客様である方 仮に iさんとします

 

iさんから 後日 紋也師あてに 郵便物が送られてきました

 

私の所に 師匠から電話があり 「すぐ来られるかい?」

 

紋也師のお宅は 当時 すごく粋な 新宿区納戸町でした

神楽坂と隣り合わせの地域で

裏千家の東京事務所や 勅使河原映画監督のお宅など すぐご近所で

当時の日本ハム上田監督や 女優FじMなみさんや 志ん朝師…お歴々がいらっしゃったのです

 

急いで紋也師宅へ伺うと

 

珍しく 怒られました

「おまえさんは 慌て物なんだよ」

 

今でも よく 口のある部分から この時の事を思うと 苦いものが染み出てくるんですが…

今日も出ました おお 胃にこたえる

 

そう

小道具を 演技終了後 控え室に忘れて

iさんが 公演の感謝の言葉を添えて 私の小道具を送ってくださったのでした

 

本当に 本当に

寝られないほど 苦い感情が生まれて

この時 私は思ったのでした

 

二度とするまい

 

たったこれだけの話ですが

 

曲独楽の小道具は 替えが利きません

個人の身体の特長によって その道具も違うので

忘れたから貸してもらうとか

お店で買ってきて間に合わせる

 

そんな道具では無いからです

 

特に 入門当時 私の為に

紋也師が 直接ご自分の手で 作ってくださった小道具で

とんでもなく貴重な品でしたから

本当に 申し訳なく

 

ものすごく落ち込んだのでした

しかし この経験こそ

道具に対するこだわりを生むきっかけであり

その後の舞台構成の考え方の基礎の基礎となり

どういう風に 曲独楽を取り扱いたいかという 自分の理想をはっきり形にするという 責任の取り方を考える最初の出来事でした

 

貴重な体験でした

 

06:14 | miya | 曲独楽師三増 巳也 あなたなら失敗・間違い・ど忘れ…どうしますか? はコメントを受け付けていません
2014/04/28

NHKスペシャル 調査報告 女性たちの貧困 ~”新たな連鎖”の衝撃~

昨日 あまりにびっくりしたので この件について 書いてみます

2014.1.27 にNHKのクローズアップ現代で「あしたが見えない」

http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3458_all.html

同様に 女性がどうしても 生活するにあたって 困窮する経済状態から脱するために

風俗店での労働を選択する人や 住居を持たない生活 など 人の暮らしを考える場合に

通常の暮らしとは リズムが著しく違う組み立てを選ぶ

 

その実例を示されて

驚愕しております

 

私が東京を離れてから10数年が経過しました

愛媛県の山間部で生活しておりますが

 

確かに 金銭的には困窮状態に近いのですよ (^^;)

 

しかし 人同士の つながりの深さの 仕組みそのものが この例とは ものすごく違う…

 

同様に なぜ 最も困っている状況の人が 国の支援などから もれてしまうのか

 

これって とても悲しい事です

 

この 個人の 生き方や 暮らしの違いについて 制度がまったく機能していない事を意味しているし

 

日本は 近代の経済発展の時の基準を 全国共通として しっかり作ったから

硬直的な対応しか できなくなっているという事でしょうか

 

これは 古典という 芸能の枠組みと 大衆芸の 自由さとの関係にもよく似ています

人の奔放さは まったく 形を越えていきます

 

ですが

生きていくということ

この状態に どう対応するのか 芸能の場合と違って 生存の権利に直結している件ですから

どうにかしてもらいたいと思うばかりです

08:18 | miya | 確かに衝撃だった2014.4.27NHK調査報告 女性たちの貧困 ~”新たな連鎖”の衝撃~ はコメントを受け付けていません
2014/04/26
曲独楽師三増 巳也八重桜と塩

曲独楽師三増 巳也八重桜と塩

3月のコラムで 自宅の敷地の山を歩いた事を書きましたが
しばらくたってみると
色々気がつくことが多いので
再度の掲載となりました

思っていたよりも早く満開になった八重桜の塩漬けをあわてて作りました

 

GW前であったので

様々な遠い場所から かわせみに来られるお客様と お話しています

 

フランス オランダ インドネシア などなど

海外の方が ずいぶん多く来られるようになりました

 

まるで私は 国際言語を操る天才のように聞こえますね

 

あしからず 相変わらず使うのは 日本語と中学生程度の英語です

 

皆さんに 印象を聞いてみると

 

人柄の良さを真っ先に あげられます

 

これは相当なことです

 

しかも 愛媛に来て

 

この「南予」と呼ばれる 愛媛の南の地域

そして

内子町というところが 最もそれを感じられたそうです

 

皆さん ご自分の国・地域まで

その印象をお持ち帰りになります

 

観光の役割の大きさを感じました

 

内子町にとっての観光は その人柄の良さを感じていただくことかもしれません

会いに来る

会いに行く

 

それで

人の事を考えるわけですから

とても気持ちが清清しくなりますね

 

その 人柄を形成するのは

この風土ということで

住んでみて徐々に感じるものが増えています

 

山間部

低いので 山である事に気がつかない程度の丘陵が続く地域や

なだらかなので 実際に歩いてみないと登りか下りか気づかない坂道などなど

本当に 歩いてみないとわからない事がすごくあるのです

 

遍路という事が 内子町の道には長い長い人の交流の基礎を作っていますが

(2014年は遍路1200年の記念の年だということです…)

ピンポイント的に車で数ヶ所を訪れる現代のやり方よりも

山道を歩くという 歩き遍路でないと

なかなか本来の感覚が理解できないみたいです

 

しかも 山の樹木の中を 人やケモノが歩いて踏み固めた跡に沿って歩く

そういう経験がないと 

生きているものが他にもいるという

ありがたみとか

安心感の 基準が 

 

道路標識とか 地図 ガイドブック

そんなモノに置き換えられたまま 違和感が無くなる

感覚のにぶり

そういう事にすり替わってしまう

 

それに対する 地域の人の持つ 違和感とか 不快感を考えると

 

山道を歩く事の大切さが 本当に身にしみました

 

ぜひ皆さんも

 

機会がありましたら

 

歩く遍路を 体験してみてください

 

 

06:35 | miya | 曲独楽師三増 巳也;自宅の山を歩いたら2 はコメントを受け付けていません
2014/03/30
三増巳也イン旭館で曲独楽

三増巳也イン旭館で曲独楽

前の原稿に書きましたが

テレビ愛媛さんの 愛媛県内放送番組「いーよ!」で

私 三増 巳也を取材していただきました

撮影を どこでしようか相談したら

 

旭館を使わせていただける事になり 感激です!

 愛媛県の内子町にある 古い映画館 旭館で

初めて 曲独楽の公演を 旭館の 中で 特別にさせていただきました~!

 

この 旭館が 国の有形文化財に指定されて 今年は 春と秋にまた 映画上映会があります

地元 内子町の皆さんが懐かしがるこの旭館が 壊さずに残ることは

本当に 嬉しい話です

 

当日の撮影で えひめのご当地アイドル ひめキュンフルーツ缶の まいまい … 岡本真依ちゃん!

と ご一緒しました!  (まだ放送前なのであとはナイショ)

http://ameblo.jp/mai-okamoto/

 

何事にも 頑張るまいちゃんに 思わず 二段独楽のおみやげを差し上げて…

 

旭館の雰囲気は 天井がイイ!

 

… 地元の映画好きの雰囲気は いろんな場所の古い広告や 映画宣伝のポスター

 

35ミリ映写機も すごくいい

 

また 旭館へ遊びに行こうと思います

 

今度の旭館映画イベントは5月25日 「黄色いハンカチ」高倉健さん主演 桃井かおりさん 武田哲也さんの作品が決まっています

当時の人気作品を 大きなスクリーンで見るのは いいですね…

 

今回は 撮影させていただき 感謝感激です!

03:34 | miya | 曲独楽師 三増 巳也 旧活動写真館旭館で 初めて はコメントを受け付けていません
2014/03/29

福井県の縄文時代の貝塚から見つかった漆の木が、これまでで最も古い1万2000年余り前のものだったことが分かり、海外でも有名な日本の漆文化の起源を考えるうえで貴重な発見として注目されています。

…こういうニュースが数年前にありました

 

 

仏教と一緒に大陸から渡ってきました

 

これは教科書で習った記述ですが

 

日本に古来から漆の木が 自生していたのでは…という出土品の話やら

 

もしかしたら 歴史的に自分が習ってきた教科書の話は どんどん書き換えられているんじゃないか…

 

そう思ったので 調べてみることにしました

 

やはり 今の常識は 私の学生時代とはだいぶ変わっている様子です

 

 

 

昔は中国から伝わった

 

そういう安易な説明も減ってきたようですので

 

自分的には しっかり情報を更新して 書いていこうと思います

 

さてさて 刀剣の装飾 つば の工人の技術の伝わり方 人の移動の事を前回書きました

 

今回は 漆と螺鈿の事が気になるので

調べてみました

 

同時代の違う物の動きをみていくのは 他の切り口の発見ができるかもしれないという期待ですが

どちらかというと

刀と 漆や螺鈿について 男性的と女性的というふうに私は今まで勝手に分類していて

一緒の時代であるにもかかわらず ちっとも注目してこなかったのです

 

実際には 持つことで身分を高め 社会には身分の証として そういう装飾をほどこした刀剣は使われるのであって

決して 江戸後期の頃のような 装飾目的で刀を所持する文化と一緒の扱いではなかったのだと

不勉強を嘆くばかりですが

 

その刀の螺鈿技術 象嵌 伝来の話は 国宝の記録を公開している文化庁の国宝公開データページでも

変わっていないので安心しました

 

でも 始めに書いた 漆は どうやら 国内産で あるていど 漆の保存効果を使用していたのでは…と

 

福井県の古墳で発見された漆の木の出土品は

新事実を想起させる興味深いニュースです

 

さて 話を技術の事に絞ります

 

その伝来してきた技術が

自分たちの腕より凄かったら

やはり 習いたいと思いますよね

 

だから 国産であった技術と 輸入の技術を比べて取り入れていく

 

そういう日本の工人の工夫の歴史は

 

いまだに 続いていると言ってもいいでしょうね

 

ですので

独楽は伝来したのではなく 日本独自で発生していて

最先端として 鉄芯の曲独楽は大陸経由で伝来したのか…

その技術者を連れてきて 伝わったのか…

または 何かの工人か文人の趣味か郷土の遊びの形で伝来したのか…

 

そういう事が考えられます

 

正倉院の国宝の螺鈿紫檀五絃琵琶ですが

当初 完全に 装飾品として 国も取り扱っていたけれど

再調査で 楽器使用目的で制作されたようです

 

この時代は 奈良の大仏建立で 大規模な演奏や舞踊があり

たくさんの楽器が必要だったとか

 

楽器の作り自体はわかりませんが

装飾の技術は

高価な大陸輸入のものを使わなくても

最初は輸入の螺鈿技術で学習していた螺鈿工人が

やがて螺鈿の技術を習得し

国内 琉球や南の島にある貝素材で 作ることが可能になったということです

 

日本では 技術を発展させる得意技を 発揮してきた歴史は長いものなのですね~

2014.4初旬 愛媛県内テレビ出演します テレビ愛媛「い~よ!」

2014.4初旬 愛媛県内テレビ出演します テレビ愛媛「い~よ!」

06:52 | miya | 三増巳也、今回は正倉院国宝の琵琶から漆と螺鈿の話を見てみました はコメントを受け付けていません
2014/03/29
三増巳也曲独楽の木小鹿野で

三増巳也曲独楽の木小鹿野で

そういえば 小鹿野町で 苦労して持ち帰った木の写真を載せていなかったので 掲載します

実際には 前にも書きましたが 木がとても堅くて

刃物の減りを考えると この木を曲独楽には作れないという作者の先生の意見を尊重し

結局 曲独楽の材料にはならなかったわけですが

経験した事の 深さは 財産になっています

おかげで先日 山と木の素晴らしさを 息子たちに体験させてあげられたので満足です

さて 今回は 曲独楽の伝わり方について また少し面白いヒントをみつけました

巳也メモつば意匠短冊

巳也メモつば意匠短冊

物事の伝わり方は 人の移動に関係しますし

移動は時流 事件様々なきっかけがあることも いろいろなヒントを取り入れて 考えてきました

今回のヒントは古本からです

思わずキレイな物を見つけると スケッチしてしまうのですが

刀の話は あまりにも日本的な重厚さに食指が動かず 今まで調べる事を怠っておりました

でも古本で見た刀のつばの部分の意匠に感動してしまって

一気に調べ始めたのが その つばの歴史です

 

 

どうも 私が以前調べた 長州大工と呼ばれた 周防大島の移動とも 関係がある内容で

日本国内の 職人の移動について

代表的な 刀剣関連の技術者が どういう理由で 仕事の場所を変えていくのかを知ると

これに 付随的な 他の大衆文化も これとほとんど似ているんじゃないかと感じます

私の読んだ古本の中に 面白い書き方があって

刀のつばで 今も残っているのは

時代が古くて 装飾的なものが大半であること

そして その理由として 美しいことがあげられていました

これは 以前 陶磁器の骨董の話を 夫がしていて

キレイじゃないと 市場に出ない時代のものがある

というのと 同じでした

まあ この場合 どっかの本が情報源だからと思いますが

陶磁器と 刀剣の違いは

再利用する時の 姿の違いが考えられます

陶磁器は再利用する時 トルコの王朝に保存されているアジアのものと

自国で尊重される金製の素材を接着したようにして鑑賞対象とするか

あるいは 佐賀県など 陶磁器の産地で多い

陶片を活用した家屋の塀や 道の舗装に使うような 素材として利用する方法です

陶磁器の場合 形がいくばくか残るのが特徴です

でも 刀剣類の場合

多くは 金属ですから 溶かして完全に違うものに再生されるため

素朴な形の初期の刀剣や装飾の部類は 古墳近隣の生活者や 合戦での発掘品しか存在しない

ということです

ちょっとしたことなのですが

これは本当に 感心しました

完全に溶かされたら 確かに形は残りません

だから 技術の移動を知る場合

産地・所属が書類で記述されたり 銘を刻む事をはじめた人の仕事の場所がわかるものが大切だという事です

室町初期まで 刀の装飾品を制作していたのは 当初 専業ではなく

鎧兜を作るのと一緒に作ったり

刀鍛冶が作ったりしたという時代があり

それ以降は 刀の役割が 馬に乗れる身分の持ち物だけでなく

雑兵が持てるほどたくさんでき 戦い方も 歩いて山を越えて攻め入るため

より早く動くことが大事になり

重い太刀より 軽い刀が必要になったということで

身分の高い人の持ち物として 装飾を施して持つ必要もあったから

より精巧な飾りをする人が登場し それを元にした一門ができ

やがて専業化して 記名するほどの作家へと江戸時代は 変貌して行きます

だから 戦場がめまぐるしく変化していた戦国時代の刀作りなどの職人は

戦況が負けそうになると 勝ち組へと移動して行き

やがて時代が安定していくと 住む土地を決めて 所属の武家が決定して

そこで地名の流派や 作者の得意部門の流派として完成し

これは どこかで見たなと思ったのです

曲独楽がたどる人の動きと変わらないのですね…

この技術にしても 結局爆発的に変化したのが 南北朝や秀吉そして江戸後期明治ほぼ実用面は消滅となります

日本の人が生み出した 色の濃い物事…

今後はどうなっていくのでしょうかね…

04:49 | miya | 曲独楽師三増巳也考、独楽の伝わり方、曲独楽の伝わるルートのヒント はコメントを受け付けていません
2014/03/29

三増巳也曲独楽小鹿野で

三増巳也曲独楽小鹿野で

曲独楽のコマの材料である 木材を探すため 
あちこちへ行き

埼玉県の小鹿野町の方に お世話になった話を書いていますが

今回は 2000年に行った 当時の山で感じたいろいろな事を思い出したので

原野に近い山に入る体験とは どういうものか

それを実際に もっと 私も しっかり考えたいと思ったのであります

里山というのは

住んでいて 人が開いた土地であるという事が約束されている場所です

しかし 日本全国には

かつて 里山だった 今は人が住んでいない場所が

とても多いと聞いています

私がいる地域 愛媛県喜多郡内子町の大瀬の喜田村という地区にも

昔は家があって 畑だったであろう場所が

今はただの 平らな階段状の山として

たいていは そこに 持ち主が 将来しっかりした生活を計画したために植えた

杉とヒノキの林か

あるいは

猛烈に雑草が生えまくった荒地として残っています

さて今回は 先日

小学生の息子たちを連れて

自分の住んでいる家の 山を歩いてみることにした時の話です

写真のように

小鹿野町で2000年に私を招待してくださった山仕事の方の現場は

実に整備されていました

ご覧のように 歩く場所をキレイに整地して

人と道具運搬用のトロッコもレールがいつも点検されて安全な状態でお使いになってました

しかし

ひとたび 山の中で 人が住まなくなったらどうなるか

これは 実際に入ってみないとわからない…

私の住む山の竹林を整地して

今 たけのこ畑にしていますが

その場所からすぐ下に向かって

小さい道があったので

どこへ行く道なのか

確かめてみたいと思っていました


子供は探検が大好きです

三増巳也小鹿野トロッコ

三増巳也小鹿野トロッコ

こういう楽しいトロッコを つけるのも楽しいでしょうねぇ~

… でも 我が家のその道は プツンと切れていました

山の中に 杉がたくさん植えてあり

薄暗い道です そして行き止まりには崖があって そこから下は 結構落差がある杉林です

10Mくらい下の方に 大岩があり そこから大木が岩を囲んで数本生えていて

その下の地面はどうやら 小さい川があるらしい…

ここからは 下まで降りられないね…

ということで 竹林から反対側へ移動し

他の人の土地との境目にある 軽自動車がやっと通れる程度の幅の

地域の人が 割れた瓦を敷き詰めたと思われる道をたどって 山の中を行く事にしました

我が家は標高300M弱ですから 竹林はだいたいそれより低いわけです

約200M超の山を降りて

目指したのは 車でいつも学校へ送り迎えする車道へ出ることでした

昔の道って

山をそのまま上までまっすぐに登っていたから

車道を歩いて登ると 遠い距離でも

歩いたら近いはずですよね

そういう 昔学校へ通うのに使っていた

お隣のおばあちゃんの話を聞いていた私は

いつか調べてやるぞと 思っていた道探しでした

杉林の山の中を歩いて

使っている道と

そうじゃない道の判断は簡単です

使っていない場所は 枯葉や堆積物でフワフワ

しょっちゅう歩いている道は カチカチです

歩きやすいのは 人が歩くから?

いいえ違います

動物が歩いて固まっている道もあります

獣道です

おかげで歩きやすい道ができているんですね

さて その道を歩いたり

道が無かったらそのまま下の方へ どんどん降りて行き

途中に 昔住んでいただろう段々畑の跡や

誰が使っているのか ほんの少しの しいたけ栽培があったり

車道横を流れる川の音を目指して

1時間かかって無事に到着

車ならほんの5分の道です

親子で盛り上がるのは こういう冒険ですなあ

帰りに登るのが 少し大変でしたが

昔使っていたという道を1本発見し

登り道はそちらを行きました

でも 曲がり場所がわからなくて一回迷いましたが

また1時間かかって夕方5時に無事帰宅

日が暮れる前にちゃんと帰れて安心しました

方向って わからないものです

山の中に入ってしまうと どっちを向いて歩いているのか

ぜんぜんわかりませんでした

また行ってみようと思います!!!

楽しい!!!!!

03:14 | miya | 里山暮らしの曲独楽師三増巳也、自宅の山を歩いてみたら はコメントを受け付けていません
2014/03/28

曲独楽三増巳也小鹿野町木材

曲独楽三増巳也小鹿野町木材

前々回の続きです

※ 曲独楽の材料となる 木材の用意が困難になったという話を ご紹介しました
そして それを調達する為にお世話になった 埼玉県の小鹿野町での話を 今回はさせて頂きます

小鹿野町は 昔から長野と江戸を結ぶ街道として 人の往来が盛んでした

埼玉県の秩父の西に位置している 山あいの町です

交易の品物を運ぶ街道は とても道が整備され 山郷としても

暮らしは豊かだったのではないかと思います

さて 曲独楽の素材探しで

各所 例えば 横浜市の公園で 桜を伐採するから譲ってあげるとか

某所の川の流木を処分するので 持って行ってくれとか

そういう事で 一門の時間調整できるメンバーが

木材を取りに現場まで行くのはいいのですが

切った木を動かすことができないで 大抵そのまま持って帰れず

曲独楽制作の先生のお仲間の貴重な木材を譲り受けられなかったら

本当に無駄足ばかりで

やる気そのものが失せていく毎日が続きました

愛好家の愛は 本物の愛です

とにかく
 
私たち プロの曲独楽師は

製作者と 周囲の協力者の愛で 活動を継続しています

だけど

いつまで そういうありがたい状況は存在するのか不明です

近年

私が小鹿野町でお世話になった皆さんとの出会いのような

そういう話を非常に大切な事として聞いてくださる方が増えてきました

3月の原稿が遅れた理由として

これはちょっと書き添えますが

地元 テレビ愛媛の「い~よ!」という番組に出演が突然決まって

収録と演出 両方ちょっとずつしたためです

曲独楽の保全環境の悪化は これからも最大の問題なので

絶えず取り上げていきますが

私が小鹿野町の山で木を切ってもらう体験をしに行ったこと

それは 本当に良い経験になりました

木を切るのは 命がけで

運ぶのも相当危険な事です

怪我も落命もそこには瞬時に発生し

人間の工夫と体力それと コミュニケーションの力と自然界での限界をまざまざと体験します

写真をしみじみ 当時のものを見返して

本当に木を切る現場に入った事を今実感するんですが

実は

実生活でもまた

山の中でうろうろ

しかも 今度は小学生の兄弟を連れて

我が家の山を探検してしまった私なのでした

これはまた 機会を変えて説明します

とても楽しい話なのです…ハイ

巳也曲独楽投げ2

巳也曲独楽投げ2

01:53 | miya | 三増巳也、曲独楽小道具 山と木 小鹿野町編その2 「言わずば回れ」 はコメントを受け付けていません
2014/02/28

三増 巳也曲独楽イメージ

三増 巳也曲独楽イメージ

今回は まず どこから演目は出来上がったのか ちょっと これから長いことかかるとおもいますが書いていきます

演目というのは 曲独楽をどういう使い方で 演じていったのかという事になります

ざっと 資料を収集家と研究者の先生方のものから 書き出していったら 少しずつ その方法というか

方向性が見つかってきたものもあるので

あくまで 自分の考えだから備忘録的なものですが 取り上げて整理する方が良いのではないかと考えています

整理していく事についてネット上に公開しているある方の 資料館建設寄贈断念という 少し悲しい現実問題も 聞こえましたから

やはり 芸の事などは それで生きているという瞬間の つながりだけなのかなと思ってしまうのですが…

常に後からの行動となる 収集や整理というのは 何とも冷たい感触なので

当時の事は 血肉が存在する時代感覚だけが 理解できる鍵を持っているのではないかと考えます

その当時 人の移動について 今までどういう理由で動くのかを

目の前にある 自分が住んでいる地域の建物や言葉 独楽の遊びで追ってきてみました

とても わかりやすいし 飲み込めました

独楽の動きが違う つまり 

独楽巳也縦横

独楽巳也縦横

置いて回すのか 横にして回すのかという事に今回注目してみたら

結構面白い違いが 自分で回してみてあったのです

横の形での回し方には 他人の独楽との関係が少ない…

つまり 対戦するつもりで回していないので

より純粋に自分の世界に入っているんじゃないかと思います

日本では最古の独楽というと

縄文時代の遺跡から出土したという 独楽の場合 どのように回したのかは もう想像するしかないのですが

置いて回すほうが 起源的には古いのかもしれません

どんぐりや 回転させられる形の物を独楽の動きで考えた場合

置くという状態の方が より 偶然回転するという事を発見しやすいからそう思うのです

さて

じゃあ 横型の起源はいつなのか

大陸伝来説が 私はやはり 有力じゃないかと 今は 思います

じゃがたら つまり インドネシアに秀吉時代盛んに交流していたので

この頃伝わって しかも 子供の遊びとして人と一緒に来た可能性が高く

インドネシアの子供の遊びが 日本軍が侵攻した先の戦争よりもうんと古くからあったという話を聞いたので そう考えました

いろいろ 演目の起源を 考えていくきっかけは あるのです

置くか 横か…

12:07 | miya | 三増 巳也「言わずば回れ」曲独楽 置くか 横か 演目の起源1 はコメントを受け付けていません

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