« そろそろ「政治家定年制」を真剣に議論するべきでは? | Home | ときどきフェルト »
今回は まず どこから演目は出来上がったのか ちょっと これから長いことかかるとおもいますが書いていきます
演目というのは 曲独楽をどういう使い方で 演じていったのかという事になります
ざっと 資料を収集家と研究者の先生方のものから 書き出していったら 少しずつ その方法というか
方向性が見つかってきたものもあるので
あくまで 自分の考えだから備忘録的なものですが 取り上げて整理する方が良いのではないかと考えています
整理していく事についてネット上に公開しているある方の 資料館建設寄贈断念という 少し悲しい現実問題も 聞こえましたから
やはり 芸の事などは それで生きているという瞬間の つながりだけなのかなと思ってしまうのですが…
常に後からの行動となる 収集や整理というのは 何とも冷たい感触なので
当時の事は 血肉が存在する時代感覚だけが 理解できる鍵を持っているのではないかと考えます
その当時 人の移動について 今までどういう理由で動くのかを
目の前にある 自分が住んでいる地域の建物や言葉 独楽の遊びで追ってきてみました
とても わかりやすいし 飲み込めました
独楽の動きが違う つまり
置いて回すのか 横にして回すのかという事に今回注目してみたら
結構面白い違いが 自分で回してみてあったのです
横の形での回し方には 他人の独楽との関係が少ない…
つまり 対戦するつもりで回していないので
より純粋に自分の世界に入っているんじゃないかと思います
日本では最古の独楽というと
縄文時代の遺跡から出土したという 独楽の場合 どのように回したのかは もう想像するしかないのですが
置いて回すほうが 起源的には古いのかもしれません
どんぐりや 回転させられる形の物を独楽の動きで考えた場合
置くという状態の方が より 偶然回転するという事を発見しやすいからそう思うのです
さて
じゃあ 横型の起源はいつなのか
大陸伝来説が 私はやはり 有力じゃないかと 今は 思います
じゃがたら つまり インドネシアに秀吉時代盛んに交流していたので
この頃伝わって しかも 子供の遊びとして人と一緒に来た可能性が高く
インドネシアの子供の遊びが 日本軍が侵攻した先の戦争よりもうんと古くからあったという話を聞いたので そう考えました
いろいろ 演目の起源を 考えていくきっかけは あるのです
置くか 横か…