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2012/07/09

前回、体臭に関するコラムを書いたところ、けっこうな反響がありましたので、引き続き体臭に関しての話題を書きましょう。みなさん大いに興味のある話題ですしね。

私たち人間にとって多くの場合、生まれてまず接するのが、お母さんの匂いだと思います。産まれたての赤ちゃんは生後すぐに、お母さんの匂いを識別するともいわれています。母親の匂いの染み込んだハンカチには興味を示すとか、乳首を嗅覚で追うとか。

お母さんやお父さんの匂いがどんな匂いだったかなんて、もうわかりませんよね。でも、産まれてすぐの刷り込みですから、実はものすごくその後の人生に大きな影響を与えてるかもしれない。異性の選択においてもこの原体験は、かなり影響するのではないかと思われます。

しかし、よく研究報告にありがちな「○○型は××型に合う」といった単純な式ではないような気がしています。嗅覚の退化した私達は多くの場合、「Aさんの体臭ってステキ・・・」なんて思って相手に引き寄せられるわけではないですしね。

今後いろんな方達にもヒアリングをしていきたいと思っていますが、私の経験談を少し。(差し障りない程度にね 笑)

この仕事をするようになってから、嗅覚を意識的に使うからか、時に電車の中で他人の、とくに異性の体臭を分析するようになりました。男性の方が女性より皮脂腺が多いため、体臭が放出されやすくなっているし、なにより女性である私は構造上、男性の匂いが判りやすいのです。というのは言い訳ですが・・・、はい、言い訳ということにしておきましょう(笑)

密室の車内は空気が循環しづらいので、匂いの分析に好都合です。・・・なんて全てを明かすと、いよいよ友達がいなくなってしまうかもしれませんのでほどほどにしておきますが(笑)、時に「この人、すっごく魅力的な匂い!」と思える人に出会うことがあります。匂いの発生源をつきとめ、外見をチェックすると、まったく好みじゃないというか、いけてないなあと思ってしまう人だったりすることが多々あります(笑)

経験からいって、

  • 「この人すごい!」という特上クラス
  • 「この人ならいいかな」という上クラス
  • 「この人はちょっと嫌かな」という規格外クラス

の3つに分類できると思います。

特上クラスに入るのはほんとうに稀です。けど、上クラスはまあまあけっこう見かけます。規格外クラスもまあまあ多いかなという印象ですが、それは日本人の場合においてのみ。外国人なども含めた全人類規模でいえば、この規格外クラスの占めるウェイトは更に多くなります。

しかし、たとえば相手が規格外クラスだったとしても、愛さえあれば乗り越えていけるのが人間なのではないか、と思うのです。逆にいうとそれは、全ての生物の中で、人間にだけ与えられた能力なのではないか、と。女性目線で書くとすれば、洗濯物が臭いくらいなら、相手が頻繁にシャワーを浴びるとか、洗濯物の洗い方をパワーアップするなどの技術でなんとかカバーできるはずです。前回のコラムに書いたとおり、体臭を「媚薬」として開発する技だってその気になれば可能なわけで、そこは創造性次第ではないでしょうか。(いつかは、そんな「魔法の香油」を開発したいと思っています。誰かの為になるのであれば。)

ただ問題は、何らかのきっかけで、そんな愛や技の泉が力つきた時です。なし崩し的に、どんどん相手の体臭が気になり始めるでしょう。いったん相手から湧き出てくる匂いを「汚い」と思い始めたら、さあ大変。残念なことに「相手」=「汚い」という構図に置き換えられてしまいます。

女性は、美しいものが好きです。「汚い」という生理的な固定観念をぬぐい去るのは、至難の業です。そこに手をつけられる専門家も、なかなかいないのではないでしょうか。

特に汗が酸化しやすくなる中年世代にとっては、これはもう試練としか言いようがないのでしょうか。「相手の匂いが変わってしまった」ことを、「相手に対する自分の想い(愛)が変わってしまった」と置き換えて錯覚し、悩んでいる女性も多いかもしれません。

また、メンタル面のコミュニケーションができなくなって、相手の体臭が気になり始めるというケースも多いようです。どこかの統計で、「夫の体臭が気になる」と答えた夫婦のほとんどは、普段のコミュニケーションがうまくいっていないということでした。

コミュニケーションが上手くいっていれば、規格外クラスの相手だって、上になりうるはずですが・・・。人間ってつくづく、複雑で繊細な生き物ですよね。

もともと体臭というのはセンシティブな問題なので、男性にとっても女性にとっても、相手の体臭に関して意見をしづらいもの。相手を傷つけるのではないか、と思ってしまう。でもだからこそ、その点に関してコミュニケーションがとれているのであれば、それは素晴らしい関係性だと思いますし、関係性を修復したいのであれば、そこから始めてみるというのもひとつの手段かもしれませんよね。

男性の方も女性の方も、良い体臭を心がけたければ、まずは運動ですよ! 新陳代謝をキープすることは、必要最低条件です。そして、きちんとお風呂に入ること(シャワーでなく)、なるべく菜食・少食、規則正しい生活を心がけること。意外にシンプルな努力で、規格外から上、あるいは特上に格上げできるかも?

 

*写真は、週末に行ってた御蔵島で嗅いだサクユリ。鈴木あやのさんにお会いできるかな〜と思ったのですが。 笑。

 

 

03:07 | maki | 異性の匂い はコメントを受け付けていません
2012/06/28

みなさん、なぜ「梅雨(つゆ)」は「梅の雨」と書くかご存知ですか?
いま、ちょうど梅が実をつける時期なのです。ちょうど南高梅などがスーパーに出回っています。私も今年は梅干し作りに初挑戦!と2袋買って、熟すまで置いておいたのです。

ところが、熟すなり、うっすらと黴が生え始めてくるんです。それだけ黴の生えやすいシーズンなのでしょうけど、漬ける前の梅がこんなに貧弱だということにはちょっとビックリ。いわゆる「梅干し」は、お弁当にひとつ入れておくと、それだけで防腐剤代わりになるのに・・・。梅は塩に漬けることで、じぶんが腐りにくくなるだけでなく、他も腐りにくくする強さを持つようになる。梅干しは、人類の貴重な発明ですよね。

石垣島でのキャンプ生活でも、梅干しは必需品でした。炊いた白米は通常、翌日までもたないものなのですが、梅干しを埋めておけば、なんとかもつのです。すごい威力です。梅そのものや、一緒に漬け込む赤紫蘇の香りに、その秘密があるのではないか?と私は睨んでおります。香りには、リモートで黴菌を殺す力があるということは、精油などの研究でわかっていますしね。

しかし、香りには、殺菌作用だけではない何かがある。そう思ったのは、い草マットで寝始めてからです。友人が「涼しく寝れるよ」と勧めてくれた100円ショップのい草マットを敷いて寝るようになってからは、蓄膿の調子がわりと良いのです。

私は花粉症が酷くなってから、ダニやハウスダストへのアレルギーを併発してしまったので、なるべく「ハウスダスト・フリー」目指して環境整備しています。しかし、布団から完全にダニを退治するなんて無理だし、寝るときはどうしても舞ってしまうし、鼻が発生源に近い。ところが、い草マットを敷いてからは、「すっきり感」があるんです。気づくと起床時の鼻詰まりがない。

い草には、ハウスダストや黴を「不活性化」させる作用があるのではないか? と思ったのです。もしかしたら「マイナスイオン」というものと関係してるかもしれません。その先は、その道の方に説明を求めるとしましょう。寝苦しいこれからの季節、体感温度も涼しくなるし、何より森林のような爽快な香りで癒してくれる「い草」マット。たったの100円ですよ〜。おすすめです。

さて。これから気温が上がってくるとみなさん気になるのが、「体臭」だと思います。ドラッグ・ストアにはズラッと消臭剤が並んでいますが、私は体臭を消すなんてもったいない!と思ってしまう派。それよりは、いかに「体臭」を「魅力的な香り」に変えられるか。じぶんの体を使って日々実験をしております。(^^)

たとえば。サンダルウッド(白檀)などの精油を、無臭のさらっとしたオイル(ホホバなど)に混ぜて香油を作り、それを腋などのニオイの気になるところに塗り込んだり。ヘア・オイルとしても使えますしね。もっとニオイの蒸れるところ(股下など)は、サンダルウッドじゃ効かないな、ローズかジャスミンを足そうかな、それとももっと動物的な香料(ホワイトムスク)にしようかな、など、試行錯誤をしています。

ローズの香りもジャスミンの香りも、「シベット」という猫の尿のようなニオイのする香料と組み合わせると、単体の時よりもずっと魅力的な香りになるものです。このように、良い芳香と嫌な芳香は、組み合わせることにより、魅力がお互いに引き出される。この法則を覚えておけば、十分です。あとは相性なので、いろいろ組み合わせてみるのみ。みなさんも是非試してみてください。じぶんの体臭を否定する必要はありません。じぶんの体臭ならではの、魅力的・魅惑的な香りを、創造してみましょう〜。(^^)

 

今回は、本エッセイにも関係する私の作品たちをちょっとご紹介しましょう。

 

↓あるパフォーマンスのドキュメンテーションとして、7人のダンサーの体臭を衣裳から抽出した「香水作品」。7人7色のにおいがします。

 詳細はこちら

 

↓い草の香りを蒸留で抽出して、作品にしました。他にも「ぬか漬け」「せっけん」「味噌汁」など、日本女性にまつわるにおいを蒸留。名付けて 「PERFECT JAPANESE WOMANの香水」。

詳細はこちら

07:14 | maki | じぶんの体臭ならではの、魅力的な香り はコメントを受け付けていません
2012/06/15

先日、ロンドン経由で日本に帰ってきました。ロンドン五輪の下見です。・・・というのは冗談で、仕事のご縁がロンドンにあるのです。ブリティッシュ・エアウェイーズ(以下BA)の日本〜欧州便が最近安いので、ロンドンはアムステルダムから東京に飛ぶときに、途中下車して寄ることが多いです。

BAには、男性のフライト・アテンダントが多いです。なぜでしょうね。しかも、坊主頭が多い。清潔で品があります。(ときに「この人、きっとゲイだよね、・・・」と思われる人も。)

BAの彼らは、まさにイギリス国民の「ジェントルマン文化」代表選手のようです。みんな優しく、笑顔で、なにひとつ嫌な顔をせず対応してくれます。

イギリスといえば紅茶なので、キッチンエリアによく行っては「紅茶ください」と頼んでみるのですが、

「紅茶に砂糖・ミルクは入れますか?」
「ミルクだけお願いします。」
「ああ、あなたはきっと十分スィートだから、砂糖はいらないんですね。」

こんなさりげなくウィットな、上品なやりとりが、必ずあるんです。長く退屈な12時間のフライトでは、こんな映画のようなやりとりが、かけがえのない癒しとなります。

いろんな航空会社を使いますが、ブリティッシュ(の男性)ほどその応対に安心感と好感が持てるエアはなかったです。あれ、でも、これってひょっとして女性目線でしょうか ・・・(^^)

女性のフライト・アテンダントの品格でいったら、やはり日本航空の右に出る者はいないのでは。きっと世界の男性たちから「さすがは日本女性・・・」と礼賛を受けているに違いありません。

一方で、エアー・フランスは、なかなかユニークです。ふつうのサービスを担当するフライト・アテンダントの他に、「セキュリティ要員」がいるのです。名札に「SECURITY」とあります。その時は4人乗っていました。ゴツい男性だけかと思ったら、驚いたことに女性もいるんです。空手の黒帯保持者でしょうか。彼らはフライト中ずっと、通路を行ったり来たり、うろうろしているだけなんですが、さすがにディナー時などはフライト・アテンダントの邪魔になってしまうので、下膳を手伝っていました。マッチョな黒人のおじさんが狭苦しい機内で下膳してる姿は、とってもチャーミングでした。

また、BAのお話に戻りまして、オランダのアムステルダム空港での話です。BAエリア内にある、セキュリティ・チェックにて。

私の前のおじさん(オランダ人)が、靴を脱いでも、ベルトを外しても、ジャケットを脱いでも、「ピピー」と警報が鳴ってしまう。ひとつひとつ脱ぎながら何度も装置を通るんですが、またか、とためいき。そんなおじさんにBAセキュリティ・スタッフがこんなひとことを。

「ではジェントルマン、こんどはズボンも脱いでもらいましょうか」

そんな、ストリップ劇場じゃないんだから (^^) 。普通のセキュリティ・チェックであれば、なにぐずぐずしてるんだとちょっとイラっとしがちなところを、こんなウィットなジョークで場を和ませてくれるとは、素敵です。

さすがに本家ロンドンのヒースロー空港では、いつも長蛇の列なので、セキュリティ・スタッフもピリピリしていますけどね。

イギリスはあらゆる意味で、米国と並ぶ世界のリーディング国家です。単に英語圏であることが現代ではとても有利なので、そういう構図になっているだけなのですが、そんな国でのオリンピック、楽しみですね。

02:24 | maki | 「ではジェントルマン、こんどはズボンも脱いでもらいましょうか」 はコメントを受け付けていません
2012/05/21

オランダにはあって、日本にはないもの・・・

そんなもののひとつに、
「ケチであること」があげられます。

「ケチ」というと、とってもネガティブに聞こえますよね。
オランダのみなさん、すみません。
でも事実ですから。
きっと他のヨーロッパ諸国の方々も、
「うん、オランダ人はケチだ」とうなずくでしょう。

いちおう名誉挽回させていただくと、
正確にいうとすれば、
「値段交渉好きである」「値踏みが好きである」
「投資価値の吟味が好きである」。
そんな表現になるかな。

オランダでは「ケチ」はひとつの文化であり、美徳であるともいえます。
数字の交渉をすることを、みなさん楽しんでいるかのようでもあります。

金額の交渉。条件の交渉。
交渉にありとあらゆる議論を持ち出し、
自分の「見方」を相手に伝えようとする努力。
それは、お互いのコミットメントを明確にするためのコミュニケーションであると、オランダ人は考えてます。
さすが、自由貿易への熱意によりできあがった国。

交渉を有利に持っていくために、
「ウチにはお金がない」的に見られるための演出をすることだってあります。
オランダでのビジネスでは特に、質素に見られる方が得な場合があります。
そのためか、オランダ人は概ね、見栄とかファッションとか、あまり気にしません。

取引先とのコミュニケーションを図るための会食だとか、ゴルフだとか、
そんなものも皆無です。
平日18時以降と休日はファミリーのための時間なので、
そんな時間帯に仕事をするなんてまっぴらだし、
交渉はもっとストレートで現実に即すべきだ、というのが大方の意見。

以前、「女王様の日の国中フリーマーケット」について書きましたが、
オランダの子ども達は1年に1回、じぶんでビジネスを作る機会が与えられます。
要らなくなったオモチャをレジャーシートに広げて売ったり、

「金魚釣り1回1ユーロ」的なゲームを考えたり、
楽器を演奏したり、ジャグリングを披露したり。
おそらくオランダのほとんどの子どもがこの日、自分なりの「ビジネス」を試みた事があるはず。
大人は「そんなことしてもたいした額にはならない」と考えたとしても、
子どもにとって、1ユーロでも2ユーロでも、じぶんの力で稼げるチャンスというのは
とてつもない魅力なのです。
(高校時代のアルバイトを思い出してみましょう。)
想像力豊かな子ども時代にそういったチャンスに恵まれる。

これは想像以上にこの国のルーツとなっていると私は思います。

私はフリーランスのアーティストですので、交渉ごとはもう日常茶飯事です。

フィーの交渉と、展示期間や空間、PRなどの条件の交渉は、まるごとセット。
「こんなに大きな空間を埋める作品を展示するんだから、もっとフィーをくれ!」という私の主張も、
「今回は申請した助成の70%しか取れてないから、もっと安くしてくれ!」という依頼人の主張も、
双方が遠慮なく出し合うことのできる文化です。

そこに求められるコードは、敢えていえば、「クールであること」と「ユーモア」でしょうか。
深刻にならず、熱くなりすぎず。軽く、冷静に、ときに笑いを交えて。

大阪で仕事をしたときにも似たような値段交渉の文化を感じ、快く思いました。
大阪では、デパートでも値段交渉するんですってね!
さすが商人の街。
大阪のこのカルチャーは、大いに国際的に通用すると思います。

橋下さん率いる大阪が、ひょっとしたら今後の日本のkeyになるのかもしれませんね。

 

07:47 | maki | オランダにはあって、日本にはないもの (3) ケチであること はコメントを受け付けていません
2012/05/09
オランダの話です。

息子がポケモンカードを整理するのに使っているゴムバンドがある。
それは太めのパスタのような、幅広ゴムバンド。

頑丈。長い。ラテックス素材で肌触りも滑らか。明らかにプロ仕様の高級ゴムバンド。
ちょっとしたことで切れたり、手の産毛が引っかかる、あの「輪ゴム」とは格が違う。

「どうしたの、それ?」
「道に落ちてるのを拾ってくるんだよ。」
「そんなにたくさん落ちてるの?」
「うん、郵便配達のおじさんが落として行くの」

どうやら、そのゴムバンドはストリートごとに郵便物を束ねるために使われているようで、
配り終えたら配達のおじさん、
不要になったゴムバンドをポトンと落として行くのだそうだ。

「えー? ゴミはのポイ捨てはいけないんじゃないの?」
「ゴミじゃないよ。みんなのために落としていってくれるんだよ。」

うーんなるほど。そういうことなのか。

実際おじさん達、子ども達のために「わざと」落としていくのだそうだ。
本来なら、回収して、郵便局でリサイクルするべきものだろう。
そこを、「気づかずに落としちゃった」振りをしてくれるのだ。

街には、目に見えないところで、こんなささやかな「愛」が巡り巡っている。
それを見つけられるかどうかは、感性によるのだな。

そして息子も大きくなったらきっと、自ら「愛」を振りまいてくれることだろう。
03:36 | maki | 郵便配達のおじさんからのささやかな愛 はコメントを受け付けていません
2012/05/03

私が匂いのアートを始めたのは、じつは料理好きが高じてのことです。

匂いも味も、一見ちがうもののように思えますが、
じつは同じ感覚器官(嗅覚)で感じるものです。

味覚の80パーセント以上は嗅覚の担当といわれています。
味のうちでも
塩味、甘味、苦味、酸味、旨味は舌で感じるものですが、
それ以外は嗅覚。
風邪をひいて鼻が詰まってしまったら、
オレンジの味も「なんだか甘酸っぱい」としか感じられなかったりしますよね。
そのせいだと思いますが、
匂いや香りの視点から料理をしてみるとたいてい、どんなものでも、美味しく仕上がります。

たとえば、私が使っているテクを挙げてみると・・・

・スープを作るときは香りを逃がさないように必ず蓋をする。

・しょうがやニンニクは、香りを出すために、潰してからスライスorみじん切り

・しょうがやニンニク、鷹の爪、ローズマリーやタイムなどは低温で炒め、油に香りを移す。焦がさないように。

・イタリアンのパスタなどには、ドライトマトとニンニクを漬けるのに使ったオリーブオイルを使う。香りが染みていて、旨味も凝縮されている。

・スパイス類は、油に香りを馴染ませると良い。たとえばカレーを作るときは、水を加える前。

・バジル・パセリなどのハーブは、熱を加えると味が変わる。目安は、乾燥したときにどんな味がするか。その味を出したいときは熱を加えるが、それ以外は非加熱で使う。

・胡椒は挽きたてがいちばんなので、常に胡椒専用の小さい乳鉢(100円ショップ購入)を用意しておく

・その他スパイス類は基本、ホールのものを買い置く。保存はアルミ缶(蓋がついてるアルミ缶のコーヒーボトルを、重曹で洗って香りを落としたものを使う)で涼しいところで。使う都度、すり鉢や乳鉢で擦る。

・胡麻、ナッツなどは、使う前に空煎りし、香ばしい香りを出す。

・ひじきなどの海草類を油で(低温で)炒めると、香りが出て良い

・海草類は油と相性が良い。

・乾燥の磯海苔は、油で和えると、水分が抜けてパリッとして香りが出る。

・似たような香りのものを数種類組み合わせる。例:にんじんとセリの味噌汁。

・鰹、昆布、椎茸などの出汁をとるときは、香りを逃がさないように時間をかけて低温で抽出。

その他にもまだまだたくさんあります。

まあ、料理の基本中の基本のことをしているだけ、ともいえますけどね!
でも嗅覚的な視点を持つか持たないかで、味はグンと違ってきます。
是非試してみてくださいね。
* こちらは上級編。見栄えは悪いですが、「ムスク」のセクシーな香りが口中に広がる、豆腐の漬け物。男性的な、官能的な香りです。味噌と酒粕を半々ずつ、日本酒を溶いてペースト状にしたものに、木綿豆腐を1cmに切って漬けます。毎日味を見て、今回は2日目くらいにその味に達しました(^^)。豆腐もプロテインの一種と考えれば、納得。
06:08 | maki | アロマ・クッキング はコメントを受け付けていません
2012/04/11


先日、作家活動のベースとしているロッテルダムにて、ある「嗅覚のアート」に関するイベントにて、プレゼンテーションをしてきました。

展示したのは、OLFACTOSCAPE という2010年の作品。布で作られた直径3mの空間で、「空間における匂いのコンポジション」をテーマにしています。タイトルの” OLFACTOSCAPE” は、OLFACTO = 嗅覚SCAPE = あるシーン、この2つの単語で作った造語です。

今回は、サブテーマとして、 deconstructing Chanel No. 5 を掲げました。直訳すると「シャネル5番の分解」

円筒状のカーテンに、シャネル5番の重要コンポーネントを別々にぐるっとスプレーします。理論的に推論すれば、真ん中に立ったときに、「シャネル5番」のトータルな匂いが嗅げるはず。そして、カーテン沿いに歩けば単独の匂いが嗅げるはずです。音楽に例えれば、トータルな匂いが「ハーモニー」で、それを構成する単独の匂いが「トーン」です。そんなズーム・イン/アウト的な嗅覚体験を観客に楽しんでもらう、というインスタレーションです。

その詳しい内容は、すみませんが私の作家活動ブログの方をご覧ください。

http://witch-lab.blogspot.jp/2012/03/olfactoscape-deconstructing-chanel-no-5.html

どこの世界でもそうですが、この世界にも競争があります。西洋人はエゴ丸出しになり、いかに多くマイクを握って発言するか、・・・みたいな競争も始まります。発言しないと、存在しないことになってしまう文化ですから。遠慮とか謙虚とかいう言葉は、彼らの辞書には存在しません (笑)

しかし私は長年のヨーロッパ生活から学んだことですが、それは日本人のネイチャーとして、不可能とはいわないけど、かなり無理があると最初から諦めています。特にヨーロピアンがマジョリティなこういうイベントでは・・・。言葉の問題もありますが、根本的なアティテュードの問題です。

でも、それが悪いわけではありません。いかに中身で勝負できるか、いかに言葉で説明せずに理解してもらうことができるか、いかに作品自体に語らせることができるか、そういう方向にベクトルを向ければいいのです。結果、ストイックになり、作品にも強い芯が通ります。

今回のプレゼンテーションは、明らかにそのベクトルが産み出した結晶といえます。

イベントでは明らかに、私の作品が人気でした。体験するための長い列ができたほどです。あとから友人から聞いたところによると、プレゼンしている私の姿もチャーミングだったとか(笑)。そうでした・・・日本人女性はなぜかありがたいことに、どんなことをしようと、チャーミングに見えるんです。西洋人との比較の問題ですが・・・。だから、カッコ良く見せたり、賢こぶったり、雄弁になったりするのは、得ではありません。変に「私が、私が、」としゃしゃり出るより、沈黙を選んだ方が、みんな勝手に「なんかエキセントリックでチャーミング(魅力的)かも」と解釈してくれる(笑)。それに前に出て行こうとするとなにしろ疲れます。そんなに若くもないし、体力もついてきません。これを学ぶのに10年かかりました。

イベントに先立ってオーガナイザーがインタビューをビデオにまとめてくれたのですが、「これほどシンプルに意図を説明してくれたアーティストはあまりいないよ」と評価されました。みんな、言葉で説明しようと必死になるため、いろいろな訂正が入って、編集が大変なのだとか。(笑)

そもそも、アートって、言葉にならない部分を表現して、直感的に感じてもらうもの。それなのに言葉を使って説明しないといけないないなんて、おかしいなあ・・・ と、オランダに移住して間もない頃は思っていました。だって、英語やオランダ語で説明を求められるのは、苦痛でしたから。「んもう、わかってよ!」とどれだけ思ったか。(そんなことが重なり、結果的に「もっとも直感的で本能的な感覚」である嗅覚への表現にいってしまったのかしら・・・。)

今回は作品が雄弁に語ってくれました。評判が評判を呼び、オランダの全国紙に掲載されるわ、リトアニアの雑誌に掲載されるわで、大満足です。

そういえば、「日本での展示はないのですか」とよく聞かれるのですが、日本はリスクの高い実験的なアートはあまり好まないお国柄ですので、嗅覚のアートなんて認められるのは、5年とか10年とか先、ヨーロッパやアメリカでもう使い古された頃の話かもしれませんね。残念ながら。(笑)

02:44 | maki | アートって、言葉にならない部分を表現して、直感的に感じてもらうもの。 はコメントを受け付けていません
2012/03/23

3月上旬、オランダの北海沿岸に浮かぶワッデン(Wadden)諸島のひとつ、テルシュヘリング(Terschelling)島に行って来ました。

目的はバケーションと喘息のリトリートを兼ねて。貸別荘を1週間弱借りてのんびりしました。のどかな牧場の光景が広がる島です。

貸別荘の2軒隣に毛糸屋さんがありました。素敵なマダムが出迎えてくれ、まず「コーヒーはいかが?」。あのー、ここ、カフェでしたっけ? (^^)

結果、すっかり編みものにハマってしまいました。この毛糸屋さんのマダムのお店がとても素敵で、その世界がインスピレーションに溢れていたからでしょうか。もともと嫌いではないのですが、編みものはなにしろ時間がかかる。でも、全てはインスピレーション次第ですね。忙しいけど、ハマってしまうのですから・・・。

息子は牧場で、足こぎ車を乗り回し、どろんこに・・・ 私はコーヒー片手に、せっせと編みもの。なにかの絵本のようです。

この島は、あたり一面羊だらけ。羊毛や毛糸の本場であり、編みものは伝統工芸です。昔は漁師達が、寒い冬の海に耐えられるように、羊毛のセーターを着たのだとか。意外ですよね? 羊毛は他の自然素材に比べて、雨を吸収しにくく、保温性に優れているんです。

機械織りが発達する前は、手で編むしかなかったので、島の女性の殆どは編みの達人です。おばあちゃん達の世代では学校で靴下の編み方を習ったとか・・・。

そうかー、それなら私もせっかくだから、靴下編みを習いたい! と思ったのですが、お店のマダムはその1つ下の世代なので、靴下編みはできないとのこと・・・。けっきょく、Youtubeで自習しました (^^)

今回は、「ダッチ・ヒール」という、オランダの伝統的なかかと編みで、ソックスを編みました。かかとが立体的で、ちょっとかっこよくて、しかも強度が高いんです。「ダッチ・ヒールが編める」といえば、ちょっとした達人なんですよ〜。(・・・ごめんなさい、マニアックですね)

そもそも編みものは、ものごころつく前に母から習ったのですが、もともと祖母が相当な編み手だったようで、山のような編み道具を遺品として受け継ぎました。北海道の家系ですので、これも必要から発生したホビーだったのでしょう。

人生、いつ、何が、どこで変化するか、わからないものです。編みものなんて、それに費やす時間はもったいない、バカバカしい、とさえ昔は思っていたのです。

転機は数年前、喘息をはじめとするアレルギーでした。本を読むような集中力もなく、眠いけれども眠れない、でも横になっていなければいけない日が増えたのです。そんなとき、編みものはちょうどいいんです。編んでると、感覚が自分の内側に入り込んでいき、ちょっとした瞑想状態になります。しかも、その時間を誰か大事な人のために使えて、喜んでもらえる。一石二鳥じゃないですか。

でも今回は、久しぶりに自分のために編みました。いや〜、毛糸の靴下の、暖かいこと・・・。冷え性の方には絶賛オススメです。

09:19 | maki | 羊だらけの島でダッチ・ヒール・ソックスを編む はコメントを受け付けていません
2012/03/08


日本で誕生日というと、人にお祝いしてもらうものですが、

オランダでは、
自分でイニシアチブをとり、周囲を盛り上げます。
どちらかというと、「自分から周囲にお祝いする」といった感じです。

日本では、
「今日、誕生日なんだ!」っていうと、
「だからお祝いしてよ!」と押し付けがましく聞こえてしまうケースもありますよね。

もちろん、ケース・バイ・ケースですけど、
周りの人がその人の誕生日であることを思い出してあげることができなかったら、
ちょっと気遣いの足りない人だと思われたり。

わたしも悪気はないのだけど、
人の誕生日を覚える方ではないので、
日本ではなんとも不便です。

そんなあなた!
オランダは楽ですよ。
誕生日の人が、「今日、誕生日でっす!」と周りに宣言するのが一般的なので。

もし日本人的に、控え目に、いちにちを過ごしたとして、
なにかの瞬間に
「じつは、昨日誕生日だったんだよね・・・」
なんてことを口走ってしまった日には、さあたいへん!
「なんで、言ってくれなかったんだ!」
と怒る人さえ出て来るかもしれません(^^)
だって、すっごーく失礼なことなのですから。
じぶんから言わなかった→周りに祝って欲しくない→拒否されている
みたいにとられてもおかしくはないのです。

日本人の奥ゆかしさは、
ここオランダでは裏目に出てしまうことが多々ありますが、
これはそのひとつの例。
私も、経験しながら学びました。

さて。では、オランダ人のみなさんはどうやって「じぶんでお祝い」しているのでしょうか。

いちばん良いのは、バースデーバーティを主催する事です。
自宅でやるのも良し。外でやるのも良し。
2週間くらい前にインビテーションを送ります。
18:00に招いた場合はディナーから、20:00以降であればドリンク&スナックのみ、
そんな暗黙の了解があります。
もちろん主宰者(誕生日の本人)が、食べ物やドリンクを用意します。
外でやる場合は、バーが多いです。
全額負担する場合もありますし、2ドリンクのみ負担するやり方もあります。
招かれた側は、ワインなりプレゼントなりを持参します。
プレゼントも20ユーロ(2000円)ていどに収め、豪華にはしません。

ここでポイントは、「自分が主宰者」であるということ。
他の人が主宰者の場合は、たいてい「サプライズ・パーティ」です。

昼間、会社でもじぶんで率先して「お祝い」をします。
そのツールとして、アップルパイを焼いて持って行く・・・という習慣があります。
そのためか、ここではゴツい男性も女性も、見かけによらず、
多くの人がアップルパイを焼けます。
円形のケーキをみんなで分けて食べる、という行為に意味があるのだとか。

でもクラスメートが多い学校でそれをやると大変なので、
日本のバレンタインデーの義理チョコみたいに、
マフィンや小さいオモチャなどを小分けして持って行き、みんなに配ります。
(よく私は、息子のクラスメート全員に、折紙で何か作ります。)

15分ほどのお祝いの時間が設けられ、
みんなでバースデイ・ソングを歌ってお祝いします。
主役は先生から「あなたはx年前、どこで生まれたの?」とインタビューを受ける事も・・・。
子どもが幼稚園生のうちは、親も出席してお祝いします。

私がとくに感動したのは、子ども達みんなが順番に私のところにも来て、
「あなたの息子さんの誕生日、おめでとう」と祝ってくれることです。
誕生日である本人のみならず、
家族全員にとってもめでたい日。
それは、とても自然な考え方に思えました。

息子の学校では、誕生日の人は王冠の飾りを頭にかぶり、胸にバッヂをつけ、
色紙一枚を持って学校中のクラスを廻り、
全員の先生にお祝いの言葉を書いてもらう、という習慣があります。
これはオランダでもユニークな習慣のようです。


下級生にとっては、上級生のクラスに足を運び、
担任の先生とクラス全員に顔を覚えてもらう良い機会。
上級生にとっては、下級生を上から目線で眺める良い機会かと(^^)。

今年は息子も「パジャマ・パーティ」を催し、
5人の男の子が泊まりに来ました。
我が家は、まるで、動物園のように賑やか。

私はといえば、毎年恒例のケーキを2台焼き、
クラスメートと先生に配るクッキーを50枚焼き・・・
ことしもその嵐が去り、ホッとしてます。

・・・さて。オランダ式のバースデイ、いかがでしたか?
日本でもオランダ式に、誕生日パーティをじぶんで主催してはいかがでしょう。
私も数年前に、東京の青山のカフェでやったことがあります。
「来たいときに来て、飲み食いしたいものを注文して、その分のお金を置いて行ってね!そのかわりプレゼント不要!」式で。

自分を介して、知らない人同士が友達になったりして・・・
「気兼ねせず、いいね」と、けっこう喜ばれましたよ!

12:38 | maki | オランダにあって、日本にないもの(2) 誕生日をじぶんから祝う習慣 はコメントを受け付けていません
2012/02/21

オランダにあって、日本にないもののひとつに、「健全なジャーナリズム」があります。今回は、先週金曜日にスキー事故に遭ったオランダ第二王子、フリソ王子にまつわる報道を例に挙げましょう。

フリソ王子(NRCより)

先週金曜日。フリソ王子がオーストリアの山中インスブルック病院にて、意識不明の重体という報道が流れました。コース外でスキーをしていた際、雪崩に巻き込まれたのです。

翌朝。オランダの経済系有力紙、NRCハンデルスブラットの一面の記事が、オランダ中を驚かせました。

「…わたしはたまたま、脳神経外科の医師である夫の出張についてインスブルック病院に来ていました。すると、夫がレクチャーを担当したその科に、フリソ王子が運ばれて来るではないですか。

わたしはNRCのジャーナリストです。ここでわたしが目にし、耳にする情報を記事にするかどうか、迷いました。」

という書き出しのです。いつもと違って、私的な感じがします。

「夫はフリソ王子の担当医師の同僚であるばかりでなく、フリソ王子の妻・マーベルともご近所さんとして、仲良くしていました。そしてフリソ王子のお父上の手術も担当しました。公私ともども、一家と良好な関係を持っています。」

なんと、神様が引き合わせたというしかないような偶然が、そこに重なっているではないですか・・・。それはそれはドラマチックです。読者は引き込まれます。記事は続きます。

「フリソ王子の担当医師とわたしの夫が、話をしました。最初はわたし抜きで会話がすすめら、途中からわたしも入りました。わたしはNRC紙の記者であり、この会話で得られた情報を記事にする可能性がある、という前提で。

フリソ王子は、頭蓋骨骨折の可能性はないということ。スキャンの結果、脳に異常は見られなかったこと。しかし、救助隊が王子を救助するまで、20分かかったこと。蘇生にかなりの時間を要したこと。生命の危機であることには変わりない事。そういった事実を伝えられました。」

そして記事はこう結ばれています。

「わたしたちの夕食に、担当医師が遅れてやってきました。仮にフリソ王子に脳内圧迫が起こった場合、右前方から穴を掘って圧力を抜く、その執刀をするのが彼なので、心配しました。しかし、遅れた理由はフリソ王子ではなく、他の患者だったようで、安堵しました。

では、フリソ王子はどうなるのか? 脳内圧迫はまだ起こりうるのか? そう彼らに問いました。

24時間だ。そのデッドラインを過ぎれば、その心配はとりあえずなくなる。」

オランダ国民が驚いたのは、王子の状態ではなく、あらゆる「偶然」により得られるはずのない情報が我らにもたらされた、という事実でした。

いや、王子に頭蓋骨骨折があるとか、そういうもっと危機的な状態であれば、そっちに意識がいったのかもしれませんが・・・概ね、記事は、国民を安心させてくれる内容でしたから。

この記事を庇護するように、編集長からのメッセージも同時に掲載されていました。

「我々ジャーナリストは、事実を記事にするのが仕事だ。しかし、いつも突き当たるのは、プライバシーの問題だ。今回、NRCベテラン・ジャーナリストであるジャネットが、いくつかの偶然が重なり、その場にいた。なので、彼女の上げてくれた情報を掲載するかどうか、慎重に議論した。そこで、プライバシーに配慮し、フリソ王子の容態に関する事実のみを掲載することにした。すべての情報を載せているわけではない。

インスブルック病院も患者のプライバシーを守るためにプレスを閉め出す。王室報道室も報道をコントロールしたがる。けれどもわれわれには、事実を知る権利もある。」

これらの記事により、NRC紙が売り上げを伸ばしたことはいうまでもありません。(^^)

しかも、その翌日はさらにこんな記事が。

「オーストリアの報道によると、本誌が流した報道が概ねまちがっている、とのことです。」

じぶんの新聞に対する批判も、あたかも他紙に対する批判のように、ドライにさらりと載せてしまう。このNRCは、オランダ各紙の中でもとくに、そういった健全なジャーナリズム精神をもった新聞です。

もちろん、反駁の記事も。ジャネット(冒頭記事を書いたジャーナリスト)からです。

「私は3回も、夫を通じて担当医師にチェックしてもらったんです。間違っているはずありません。」

このバトルにより、さらにNRC紙が売り上げを伸ばしたことはいうまでもありません。(^^)

さらにその翌日も、まだ続きます。

「オランダの医師界において、記者の夫である医師が、医師として患者のプライバシーを守る責任を怠ったという批判が渦巻いています。

彼は、記者である奥さんからフリソ王子の状態を聞かれたときに、”わたしの患者じゃないから、知らない” と答えるべきだった、という見解が出ています。」

もちろん、裏面に、こんどはジャネットの夫医師からの反駁記事も載ってます。

「わたしはまず、フリソ王子の妻、マーベルとご近所さんでした。ですので、医師の立場を超え、彼らを助けたいと思いました。フリソ王子が頭蓋骨骨折しているという憶測が飛び交っているのを知り、いたずらな噂を止めるため、一定の事実を公表したまでに過ぎません。

フリソ王子に関する、ポジティブな展望のみが記事になっているはずです。ネガティブな展望は削ぎ落としましたから。」

このバトルにより、さらにさらにNRC紙が売り上げを伸ばしたことはいうまでもありません。(^^)

さて、みなさんはどう思いましたか?

わたしはというと、正直、「人のゴシップをお金にする・・・ってどこの国でも同じなんだな・・・こんな健全なジャーナリズムが育ってるオランダさえ、こうなのだから。」と思ってしまいました。そもそも、それを求める人間臭いわたしたちがそうさせるのですが・・・。この件だって、私の日常とはおよそ関係のないフリソ王子ですが、やっぱり次のニュースが気になりますもの。

けれども、このNRC紙のスキャンダラスでゴシップ的な一連の記事の奥には、ジャーナリズムのあり方への真摯な問いかけもうかがえます。

じぶんで、じぶんを問う。この場合、「新聞が、紙面で、己を問う」ですね。個人のレベルだってなかなかできることではないのに、新聞という会社組織が、こういうスキャンダラスな文脈の中で、コレクティブとしてその問いかけを発信するのです。他紙にはできなかったでしょう。そういう「メタ」なラインを読めるようになると、このNRC紙を読むのがぐっと楽しくなります。

最後に:このメディア論争の中、当のフリソ王子は、まだ予断を許さない状態が続いているといいます。報道を見る限りは、障害無く元の生活を送れるようになるかもしれないという楽観的な展望。ほんとに、そうあってほしいと、祈っています。

03:29 | maki | オランダにあって、日本にないもの(1): 健全なジャーナリズム はコメントを受け付けていません

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