オランダにあって、日本にないもののひとつに、「健全なジャーナリズム」があります。今回は、先週金曜日にスキー事故に遭ったオランダ第二王子、フリソ王子にまつわる報道を例に挙げましょう。
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先週金曜日。フリソ王子がオーストリアの山中インスブルック病院にて、意識不明の重体という報道が流れました。コース外でスキーをしていた際、雪崩に巻き込まれたのです。
翌朝。オランダの経済系有力紙、NRCハンデルスブラットの一面の記事が、オランダ中を驚かせました。
「…わたしはたまたま、脳神経外科の医師である夫の出張についてインスブルック病院に来ていました。すると、夫がレクチャーを担当したその科に、フリソ王子が運ばれて来るではないですか。
わたしはNRCのジャーナリストです。ここでわたしが目にし、耳にする情報を記事にするかどうか、迷いました。」
という書き出しのです。いつもと違って、私的な感じがします。
「夫はフリソ王子の担当医師の同僚であるばかりでなく、フリソ王子の妻・マーベルともご近所さんとして、仲良くしていました。そしてフリソ王子のお父上の手術も担当しました。公私ともども、一家と良好な関係を持っています。」
なんと、神様が引き合わせたというしかないような偶然が、そこに重なっているではないですか・・・。それはそれはドラマチックです。読者は引き込まれます。記事は続きます。
「フリソ王子の担当医師とわたしの夫が、話をしました。最初はわたし抜きで会話がすすめら、途中からわたしも入りました。わたしはNRC紙の記者であり、この会話で得られた情報を記事にする可能性がある、という前提で。
フリソ王子は、頭蓋骨骨折の可能性はないということ。スキャンの結果、脳に異常は見られなかったこと。しかし、救助隊が王子を救助するまで、20分かかったこと。蘇生にかなりの時間を要したこと。生命の危機であることには変わりない事。そういった事実を伝えられました。」
そして記事はこう結ばれています。
「わたしたちの夕食に、担当医師が遅れてやってきました。仮にフリソ王子に脳内圧迫が起こった場合、右前方から穴を掘って圧力を抜く、その執刀をするのが彼なので、心配しました。しかし、遅れた理由はフリソ王子ではなく、他の患者だったようで、安堵しました。
では、フリソ王子はどうなるのか? 脳内圧迫はまだ起こりうるのか? そう彼らに問いました。
24時間だ。そのデッドラインを過ぎれば、その心配はとりあえずなくなる。」
オランダ国民が驚いたのは、王子の状態ではなく、あらゆる「偶然」により得られるはずのない情報が我らにもたらされた、という事実でした。
いや、王子に頭蓋骨骨折があるとか、そういうもっと危機的な状態であれば、そっちに意識がいったのかもしれませんが・・・概ね、記事は、国民を安心させてくれる内容でしたから。
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この記事を庇護するように、編集長からのメッセージも同時に掲載されていました。
「我々ジャーナリストは、事実を記事にするのが仕事だ。しかし、いつも突き当たるのは、プライバシーの問題だ。今回、NRCベテラン・ジャーナリストであるジャネットが、いくつかの偶然が重なり、その場にいた。なので、彼女の上げてくれた情報を掲載するかどうか、慎重に議論した。そこで、プライバシーに配慮し、フリソ王子の容態に関する事実のみを掲載することにした。すべての情報を載せているわけではない。
インスブルック病院も患者のプライバシーを守るためにプレスを閉め出す。王室報道室も報道をコントロールしたがる。けれどもわれわれには、事実を知る権利もある。」
これらの記事により、NRC紙が売り上げを伸ばしたことはいうまでもありません。(^^)
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しかも、その翌日はさらにこんな記事が。
「オーストリアの報道によると、本誌が流した報道が概ねまちがっている、とのことです。」
じぶんの新聞に対する批判も、あたかも他紙に対する批判のように、ドライにさらりと載せてしまう。このNRCは、オランダ各紙の中でもとくに、そういった健全なジャーナリズム精神をもった新聞です。
もちろん、反駁の記事も。ジャネット(冒頭記事を書いたジャーナリスト)からです。
「私は3回も、夫を通じて担当医師にチェックしてもらったんです。間違っているはずありません。」
このバトルにより、さらにNRC紙が売り上げを伸ばしたことはいうまでもありません。(^^)
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さらにその翌日も、まだ続きます。
「オランダの医師界において、記者の夫である医師が、医師として患者のプライバシーを守る責任を怠ったという批判が渦巻いています。
彼は、記者である奥さんからフリソ王子の状態を聞かれたときに、”わたしの患者じゃないから、知らない” と答えるべきだった、という見解が出ています。」
もちろん、裏面に、こんどはジャネットの夫医師からの反駁記事も載ってます。
「わたしはまず、フリソ王子の妻、マーベルとご近所さんでした。ですので、医師の立場を超え、彼らを助けたいと思いました。フリソ王子が頭蓋骨骨折しているという憶測が飛び交っているのを知り、いたずらな噂を止めるため、一定の事実を公表したまでに過ぎません。
フリソ王子に関する、ポジティブな展望のみが記事になっているはずです。ネガティブな展望は削ぎ落としましたから。」
このバトルにより、さらにさらにNRC紙が売り上げを伸ばしたことはいうまでもありません。(^^)
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さて、みなさんはどう思いましたか?
わたしはというと、正直、「人のゴシップをお金にする・・・ってどこの国でも同じなんだな・・・こんな健全なジャーナリズムが育ってるオランダさえ、こうなのだから。」と思ってしまいました。そもそも、それを求める人間臭いわたしたちがそうさせるのですが・・・。この件だって、私の日常とはおよそ関係のないフリソ王子ですが、やっぱり次のニュースが気になりますもの。
けれども、このNRC紙のスキャンダラスでゴシップ的な一連の記事の奥には、ジャーナリズムのあり方への真摯な問いかけもうかがえます。
じぶんで、じぶんを問う。この場合、「新聞が、紙面で、己を問う」ですね。個人のレベルだってなかなかできることではないのに、新聞という会社組織が、こういうスキャンダラスな文脈の中で、コレクティブとしてその問いかけを発信するのです。他紙にはできなかったでしょう。そういう「メタ」なラインを読めるようになると、このNRC紙を読むのがぐっと楽しくなります。
最後に:このメディア論争の中、当のフリソ王子は、まだ予断を許さない状態が続いているといいます。報道を見る限りは、障害無く元の生活を送れるようになるかもしれないという楽観的な展望。ほんとに、そうあってほしいと、祈っています。