どうも。
幼稚園の頃、よく動物園に行きました。
動物を観るのが好きでした。
さらに動物園の片隅にあるガンダムみたいなロボットに乗って、
操縦する(した気分になる)のが大好きでした。
中学生になって動物園に行ったとき、片隅にあるロボットの乗り物を見て、
自分がなぜあのロボットの乗り物に、あんなにも興奮したか不思議に思いました。
そのもの自体は変わらなくても、
それを見て、触って、感じる人が変わっていれば、
同じものでも、捉え方はまったく変わってしまうようです。
はかないですね。
でも人生とは、はかないことの繰り返しなのかもしれません。
そんなことを思う今日この頃。
そろそろ小学校を卒業して、中学生の話にすすもうかと思います。
「部活選び 中学生編」
入学式から数日後、
まだ学ランの襟についている“カラー”という存在を受け入れることが出来ず、
服にプラスチック素材を装着することに違和感を拭いされずにいた。
そんな時期に、小学校で一緒に野球をしていた仲間たちの大半は、
迷うことなく野球部で仮入部を始めていた。
入学後、最初に待ち構えていたビッグイベント、
それが部活選び。
仮入部が始まって2,3日たった頃、
どこの部活にも仮入部していなかった私は、野球部の顧問を訪ねた。
野球部は夏に一番大きな大会がある。
そして、三年の夏は集大成となる。
その時期に部活に参加出来ないということは考えられない。
わかっていたことではあるが、先生の口から直接聞いて確認したかった。
おそらく、自分を説得するためだったのだろう。
少し寂しい想いもあったが、迷うことはなかった。
野球部へは入部しない。
小学校での野球部の経験はとても大きなものであり、
その経験を共にした仲間たちは、かけがえのない存在であった。
大好きな仲間たちと一緒に、まだまだ野球を続けたかった。
夢のような楽しい日々の続きをみたかった。
しかし、それを手放してでも手にしたいものが自分にはあった。
「一輪車の世界チャンピオンになる」
一輪車の国際大会は2年に1度、夏に開催される。
そして、タイミング的には自分が中学1,3年生のとき。
両立したとしても、3年の夏は大会がかぶってしまう。
決断に少し時間がかかったが、迷いはなかった。
野球に打ち込むことは、小学生のときには夢のような楽しい日々だったが、
同じ仲間と同じ野球をしても、もう同じように夢の続きがみられるとは思わなかった。
より明るい光が射している場所を見つけてしまった。
だから野球は思い出として大切にしまっておくことにした。
しかし、部活にまったく入らないというのも少し寂しい。
仲間づくり、体力向上のためにも、どこかの部活には入ろうと考えていた。
陸上、水泳、卓球、剣道、etc、、、
部活動を行っている雰囲気をみて、直感的にテニスが良いと感じた。
運動場の真ん中にネットを張り、ボールを打ち合う姿にどことなく輝きを感じた。
名古屋市内では、そこそこ強かった。
練習は基本日曜定休だった。
野球でも守るより、打つ方が好きだった。
ラケットを持って登下校するというのもどこか風情があるように感じた。
テニス部に入ろう。
こうやって、私の中学校生活は始まった。
この選択が波瀾万丈の始まりということを、
このときはまったく予想することもなかった。
どうも
少し前は温暖化ってなんなんだってくらい寒かったですが、
ここ何日かは少しずつ暖かくなってきましたね。
今日はそんな日本の春夏秋冬と、
最近の若者について言われることについて思うことをつれづれなるままに。
「流れ」
夏には冬を求め、冬には夏を追い求める。
寒いときには、暑くてうなだれていたことなんて忘れしまい、
とにかく今の寒い現状をどうにかしてもらいたいと思う。
寒いからこそ美味しい鍋や寒いからこそ楽しい行事のありがたみは感じることが出来ずに。
そして、逆もまたしかり。
これは、世の流れにも似ているように感じます。
制限が強いときは自由を求め、
自由なときには責任を回避し安定を求める。
電通が昨年末に発表した、
高校生の[なりたい職業]
1位:公務員、2位:大企業の正社員
「最近の若者は安定を求め過ぎだ。」
とか言われますが、最近の若者の問題なのでしょうか?
自由を求める世代が世を自由な方向にひきつければ、
その歪みをみてきた次の世代は、世を安定の方向にひきつけようとする。
すると次はまたその逆へ。
次の世代を批評するのは、前の世代の人たちが中心なので、
自分たちと違うことを批判する。
今の若者の現状は、若者の悪い特性なのでしょうか?
与えられた環境の中で一所懸命生きようとしている現れのような気がします。
でも自由を求めることがいいとか、安定を求めることがいいとかではなく、
そうやって右に左に揺れ動くのが時代であり、人生なのかもしれないということ。
私には自然現象、自然な時の流れのように感じます。
流れはなかなか変えられないかもしれないけれど、
その流れの中でどう生きるかは変えられるのではないでしょうか。
あけましておめでとうございます。
昨年は皆さんのおかげで、
このコラムを書き続けることが出来ました。
コラムを読んでいるというお話を伺うたびに、
恥ずかしい想い半分、がんばって更新しようと思わせていただきました。
ありがとうございます。
本年も精進していきたいと思いますので、
宜しくお願い致します。
「充実した日々」
私が小学生だったとき、
名古屋では、夏休みには「夏の生活」冬休みには「冬の生活」という、
国語や算数等すべての教科が1冊にまとめられた課題が配られた。
基本的にはこの冊子と読書感想文が長期休みの宿題になる。
私は小学生の頃から、
こういったタグイのものを計画的にすすめることが出来ず、
2学期が始まる数日前、もしくは始まってからのロスタイムで行っていた。
小学6年生のとき、「夏の生活」の最後のページに、
「夏休みを振り返って感想を書きましょう」とあった。
そこで私は色々と書いた最後に、
「充実した夏休みだった。」 と書いた。
自分としては、何も考えずに率直に書いたつもりだったが、
担任の先生からは、
「小学生で“充実した夏休み”なんて書いたのは、
今まで長い教員生活をしてきておまえだけだ。」
と言われたことを今でも覚えている。
全日本大会年齢別優勝、野球部県大会ベスト8、
友達と3人でつくった立体作品『伊勢湾台風後の松栄小学校』がなにかの賞に選ばれる、
立体作品製作中に彫刻刀で指を掘り5針縫う、
手を包帯で巻いたまま陸上部でリレーに出場
感想なんて言われても、
ひとつひとつ書いていたらきりがないし、
何か簡単に書けないかなと思っていたときに、
自然と出てきた言葉が“充実”だった。
おそらく漢字が書けず辞書で引いた気がする。
【実】
1、うそ偽りのないこと。
2、内容。
3、誠実な気持ち。まごころ。
【充つ】
1、いっぱいにする。満たす。
2、望みなどをかなえる。満足させる。
【充実】とは“誠実な気持ち”を“満足させる”と書く。
同じ何かを行う日々だったとしても、
“忙しい日々”と“充実した日々”では、まったく違う。
人生とは1日1日の繰り返し。
幸せな人生とは、1日1日をどう過ごすか。
せっかくの一度の人生、
心を亡くした日々の繰り返しではなく、
充分に実った日々の繰り返しでありたい。
今年一年もそんな年にしたいと思います。
本年も宜しくお願い致します。
昨日、新幹線に乗ると通路を挟んだ隣の席に、
小学低学年と高学年くらいの兄弟とお母さんが座っていました。
おやつどきだったため、
お母さんがドアラによく似た動物が描かれたマーチを取り出しました。
箱に入ったものではなく、小さな袋に入ったものだったため、
2人でハンブンコすると有袋哺乳類は数匹しか食べることが出来ませんでした。
「えーこんだけー!?」と声を合わせてなげく兄弟。
すると、「じゃあひとつひとつ大切に食べよ。」とお兄ちゃん。
各コアラをトーナメント戦で戦わせながら、
どのコアラが一番強いかを決めはじめました。
もちろん弱いコアラから食べられていきます。
そして、勝ち残ったコアラは光栄なことに、
噛むことなく口の中で自然解糖して食べてもらえたようです。
めでたしめでたし。
カワイイコアラの死闘のマーチが終わって15分後。
今度は、兄弟の死闘のマーチが繰り広げられていたため、
小さな演奏者に向けて、「そろそろ富士山が見えるよ。」とお母さん。
子どもにとっての富士山は瞬間最高視聴率120%超え。
しかし、残念ながら曇っていて頂上付近はハッキリ見えませんでした。
「えーハッキリ見えなーい!?」と声を合わせてなげく兄弟。
それでも富士山が見えなくなるまで平均視聴率は100%以上を持続。
見終わると、「でも少しでも見れてよかったね。」とお兄ちゃん。
「帰りはハッキリ見れるように、おばあちゃん家でテルテル坊主をつくりましょ。」とお母さん。
「つくるー!」と弟。
私は彼らのポテンシャルにひとり感動していました。
半分入った飲み物を見て、
半分しかないと思うか、半分もあると思うか。
どう捉えるかによって見え方は変わります。
これはよく言われることです。
更に、その半分をどうするか、
そして、半分で満足出来ないならどうするのか。
大切なのは捉え方だけではなく、
そこからどう動くかかもしれないですね。
そんなことを
仲間由紀恵似のお母さんと、
おそらく父親似のなんちゃって“まえだまえだ”から教わりました。
そんなこんなで、2010年最後は、
3ヶ月間にわたった野球部の話の“番外編”でしめくくりたいと思います。
「 3年間の努力が崩れ落ちた3時間後 」
いつもは楽しく笑い声が絶えなかった帰りの車の中だったが、
この日は、涙をすする音しか聞こえない長い時間となった。
誰ひとり口を開くことなく、野球帽を深くかぶり涙を流した。
学校に戻り、いつもどおり反省会が開かれた。
各自、悔しい想いや反省の念を、歯を食いしばりながら言葉にした。
そのとき、自分が何を言ったかはもう覚えていない。
しかし、最後にいつも勝っても厳しい先生から頂いた、思いもよらない言葉は今でも克明に覚えている。
「 負けてよかったな。
今日、君たちは初めて負けた者の気持ちを知ることが出来た。
今まで勝つことで、たくさん嬉しい思いをしてきた。
しかし、その陰では今の君たちのように悔しい思いをしてきた人たちがいる。
それを知っていることはこれから生きていく中でとても大きな財産となる。 」
その後、私たちに勝利した小牧パンサーズは県大会で優勝した。
1ヶ月後、新聞で、
〝小牧パンサーズ東海大会優勝、全国大会出場〟
という記事を目にした。
そのとき、
『 負けてよかったのか? あのとき勝っていれば今ごろは。。 』
正直、そう思った。
そして、今思うことは。。
『 負けてよかったのかもね。 あのとき勝っていたら今ごろは。。 』
ほんとーにほんとーにおしまい。
ちゃんちゃん♪
最近、“なにか”を持っているなんとか王子のおかげで、
ちまたでは“なにか”を考えることが流行っているようです。
そのため、自分で言うことではないと思いつつも、
最後に、負けた試合で感じた“なにか”について書いてみようと思います。
負けた試合中に感じた“なにか”、
負ける原因と言うことも出来る“なにか”こそが、
3話にもわたった「野球部 最後の夏」シリーズのサブタイトルに書いてきた、
“自信”だと感じました。
“自信”を持つこと、自分たちが行ってきた練習や仲間を信じることは、
緊張などのネガティブ要因から解き放ち、
ベストパフォーマンスを引き出してくれます。
その効果によって、ここまで勝ち続けることが出来たと思います。
しかし、負ける原因のひとつとなったのもまたこの“自信”ではないでしょうか。
悪い方向に働いているので、“過信”と言った方がわかりやすいかもしれません。
では“自信”が“過信”となる(自信が良い方向ではなく悪い方向へと働く)のはなぜでしょうか。
そして、いつ“自信”が“過信”となるのでしょうか。
この度、書きながら考えた答えは、
「なぜ?」に対しては、“謙虚さ”や“誠実さ”を失うからであり、
「いつ?」に対しては、それを失ったときだと感じました。
自分を信じる割合の問題で、“自信”と“過信”が変わるのではなく、
自分を信じる割合が同じであれ、“謙虚さ”や“誠実さ”を失ったときに“過信”となるのではないでしょうか。
また逆を言えば、自分を信じる割合が多くなろうと、それを失わなければ“過信”とはならないのではないでしょうか。
“謙虚さ”や“誠実さ”の喪失は、自信の割合が増えたときに起こりやすいので、
“過信”とは“自信”の量が増えることだと思われているのかもしれません。
しかし本質的な問題は量ではなく、“謙虚さ”や“誠実さ”の喪失であり、
その結果、冷静な判断を失うからではないでしょうか。
例えば、私の野球部の経験から言えば、
自分たちは強いという“自信”から、
優勝候補相手にもひるむことなく自分達のプレーを信じてベストパフォーマンスを発揮しました。
自分たちは強いと“自信”を持ちながらも、
優勝候補が相手ということもあり、“謙虚さ”や“誠実さ”を持ち兼ねていました。
そのため、常にミスをしないように、そのとき出来るベストは何かを意識してプレーしていました。
しかし、負けてしまった準決勝の試合では、
優勝候補を破った翌日であり、更に初回で先制したことで、
“謙虚さ”や“誠実さ”を失い、冷静な判断が出来なくなっていました。
監督のサインを間違えたり、送りバントを失敗したりというミス。
点数がとられても、いつでも取り返せるから大丈夫という楽観視。
完全に精細を欠いていました。
小学生のときに感じた“なにか”は、
“自信”が“過信”になり、大切なものを失った感覚だったのではないでしょうか。
言葉にしてしまうと陳腐になってしまいますね。
いや、言葉にする能力の問題でしょうか。
おそらく、こういった言葉にはしづらいものを、
一輪車やスポーツ、様々な経験から、感覚的に沢山学んできたように思います。
どうも。
前回から引き続き、キャンプの話を少し。
だいたい、キャンプの夜ご飯はカレーライス。
カッコつけ男子は火起こしを担当するのが定番。
手際よく火を起こせると、たちまちヒーロー。
It’s a 小学生。
私はいつもそのヒーローを目指して率先して火起こしをおこないました。
火がつきだすと料理のための火起こしということを忘れて、
いかに大きな火をあげられるかということに目的が変更します。
そして、大きく燃え上がる火に喜び、他のグループに自慢したりしていると、
薪を追加することを忘れて火が消えそうになってしまいます。
そこで初めて「あ、カレーつくらなきゃ。」と思い出す始末。
キャンプを何度おこなっても、毎回この繰り返しでした。
わかっていても、小学生にとって“火”というものは、
すべてを忘れさせるくらい、テンションをあげるものでした。
火によって、目的であり、薪を追加することであり、
大事なことを忘れてしまうことで、
美味しいカレーを食べることが出来なくなってしまうのが私のキャンプでした。
そして、ヒーローからたちまちコゲつき戦犯へ。。
「 野球部 最後の夏 〜自信火消〜 」
優勝候補との激戦の末、劇的な勝利をおさめた翌日。
<準々決勝>
松栄A(松栄小学校 野球部)対 小牧パンサーズ(小牧市 少年野球クラブ)
4対5。
4番スクイズ、逆転サヨナラ負け。
いつかのバスケットマンガを思い出さずにはいられない結果だった。
序盤に4点を取り、順調かと思われた。
しかしそれ以降、思うように点数を取ることが出来なかった。
なにかが、今までと違う。
しかし、その“なにか”がわからないまま、
自分たちのミスもあり少しずつ点数をとられる。
ついに最終回に追いつかれて、更に1死3塁、バッター4番。
うちのピッチャーなら絶対打ち取れると思った瞬間、
まさかのスクイズでゲーム終了。
小学生最後の夏が終わった。
ちゃんちゃん♪
どうも。
私は小さい頃、毎年夏休みになると友達数人と一緒に、
児童館などで募集している2泊3日くらいのキャンプに行ったことを覚えています。
やはりキャンプの醍醐味と言えば、夜のキャンプファイヤー。
火の周りで話したり歌ったり踊ったりしていると、
その日あった嫌なこととか、ちっぽけな悩みとかはどこかに忘れてしまい、
そのときだけはなんでも出来るような気になり自然と笑顔になりました。
隣の友達の顔を見ると、なんだか一段と大人っぽく見えたのを覚えています。
人類が初めて使った“火”。
これはやはり人にとって特別なものなのかもしれません。
力や体の大きさなど、様々な面で他の生き物に劣っている人間ですが、
“火”を持ったときには、何よりも強くなった気になれるのかもしれません。
そして、この“火”を物質的に使いこなすと同時に、
心の中にも灯すことを覚えたのも人間の進化なのかもしれません。
心に火を灯したときもまた、
人は自信と笑顔を手に入れることが出来るのではないでしょうか。
「 野球部 最後の夏 〜自信化笑〜 」
ベスト8を賭けた豊田虎との1戦。
自分をはじめ、メンバーは皆いつも以上に気合いが入っていた。
打たれたら打ち返し、抑えたら抑え返されの繰り返し。
一本のミスが試合を左右するような張りつめた空気の中、
12歳の少年たちは集中力を切らすことはなかった。
お互い一歩も譲らない熱戦の末、7回終わって同点。
(※備考:小学生の大会は、9回ではなく7回が最終回。)
延長戦は勝敗をつけるための特別ルールが適用された。
お互い1回の攻守だけ。
1アウト満塁から始め、得点数で勝敗をつけることとなった。
後攻だった私たちは、最初に守備についた。
普段は強気のヤンチャボーズたちも、この慣れない状況には少し困惑していた。
ピッチャーは気持ちを落ち着かせようと、まず軽くサードに牽制した。
が、その何気ない一球が裏目に出た。
ボールはジャンプしたサードのグローブの上を超えていった。
必死に追いかけるサードとレフト。
しかし、余裕でサードランナーがホームベースを踏み、
無惨にもセカンドランナーもすぐ後に続いた。
この瞬間、メンバーや応援していた人の多くが「終わった」と思っただろう。
しかし、終わってはいなかった。
むしろ、始まってもいなかった。
審判はランナーにベースに戻るように伝え、その場は騒然となった。
なんと、審判が「プレーボール」という言葉を発する前に牽制したため、
プレーは認められず、もちろん得点も認められずに最初からやり直しとなった。
偉大なる大先輩の言葉をお借りするならば、「野球の神様 ありがとう。」
命拾いした私たちは落ち着きを取り戻し、難なく満塁を0点で切り抜け、
続く攻撃では、先頭打者がヒットを放ちサヨナラ。
あの一瞬の悲劇はなんだったのだろうかと思うような、
順調過ぎる結末であった。
激戦の末、優勝候補を破っての勝利は、
それまでの20以上の勝利の中でも飛び抜けて嬉しかった。
帰りの車の中はいつも以上に盛り上がった。
お互いの好プレーを褒めあったり、
試合前の緊張したメンバーの顔を真似して笑ったり、
優勝候補もたいしたことなかったと虚勢を張ってみたり。
このときばかりは、何を言っても面白く感じた。
とにかく、今までみたこともないようなみんなの笑顔が広がっていた。
そして「このチームなら絶対優勝出来る!」と本気で思った。
圧倒的に実力があると言われた豊田虎を破ったことで、
私たちが新たな優勝候補と呼ばれるようになった。
残っているチームの中でも間違いなく実力No.1だと評価された。
いっきに注目を集め、勢いも絶好調な状態で準々決勝を迎える。
12歳の小さくて大きなドラマはまだ終わらなかった。
とぅーびーこんてぃにゅー
どうも。
びっくりするくらいのこの寒さ。
おぃおぃ、つい最近までネイバーフッドだった猛暑はどこへ?
さて、“自信過剰”という言葉がありますが、
意外と過剰なくらいがちょうどよかったり、
過剰だからこそ上手くいくこともある気がします。
もちろん、いつもの話ではありません。
普段は謙虚な姿勢が大切であり、
その謙虚さから厳しい練習の中でも自分を律することが出来ることもあります。
しかし、試合でベストを尽くすには、
自分のやってきたことをしっかりと(少しくらい過剰にでも)受け止めて、
自信につなげていく作業も必要かと思います。
言い換えると、本番前に過剰になれるくらい、
普段の練習では謙虚であるべきなのかもしれません。
「 野球部 最後の夏 〜自信火昇〜 」
夏が近づくにつれ、毎週のように練習試合が組まれるようになった。
私の母校は校庭が狭かったため、相手校を訪れることが多かった。
バスや地下鉄、歩きでの行き帰り。
特に試合後に歩いて学校に戻るのは体力的につらかったが、
勝利の後に、みんなでワイワイ帰る時間は楽しみのひとつだった。
そんな楽しみもありながら、
普段は自分にはもちろん、周りにも厳しい姿勢で、
小学校の部活とは思えないようなキツい練習の日々であった。
ミスを繰り返すと、先生だけでなく部員全員から厳しい言葉がとんだ。
ノック練習では「お願いします!」が聞こえないと、
打った瞬間に耳の横を通り過ぎているような速い打球が放たれた。
消極的なプレーをすると、その日次のチャンスは巡ってこなかった。
そのため、練習とはいえ緊張感は試合に引けを取らないものがあった。
そんな練習を毎日繰り返しながら週末に練習試合を行っていると、
夏の大会本番を迎える頃には、練習試合での連勝が15程に延びていた。
そして、夏本番。
中日新聞が主催する中日大会は小学校の部活動だけでなく、
地域の野球クラブも参加することが出来る名古屋の野球少年にとっては一番大きな大会だった。
練習試合では連勝を続けていたとはいえ、
初戦からの数試合は、自分たちの調子も出せず苦戦することもあった。
が、試合を重ねる毎に、気がついてしまった。
「自分たち、やっぱり強い。」
数試合後にはそんじょそこらの相手には負ける気がしなかった。
そして単純なガキんちょたちは、自信を持つことで更に勢いづいていった。
名古屋市の地区ブロック大会では強豪を破り優勝。
各ブロックで優勝したチームで争われる県大会も、
順調にベスト16まで勝ち進んだ。
第3回戦
松栄A(松栄小学校) 対 豊田虎(豊田市 少年野球クラブ)
ベスト8をかけた対戦相手は、
昨年の優勝クラブで今年も優勝候補の名高い名門クラブ“豊田虎”。
この頃には、部活動のチームはほとんどなく、
残っているのは地域のクラブチームばかりであった。
そんな中でも、私たちは自分たちの勝利を信じてやまなかった。
分析の“ぶ”の字も知らない小学生にとって、
相手が強いかどうかを知る判断材料は、
ピッチャーの球が速いかどうかと4番バッターがデカいかどうか、
そして監督のサングラスが似合っているかどうかくらいしかない。
だから相手が強いかどうかより、自分たちが強いかどうかしか気にしていなかった。
いや、それすらも気にせず、
「自分たちは強い。だから勝つ。」としか思っていなかった。
勢いづいてしまっているわんぱくボーズともなると、優勝候補なんてなんのその。
自分たちが強いことを証明出来るとワクワクするくらいだった。
そしてベスト8を賭けた豊田虎との1戦。
そこには12歳とは思えないドラマが待っていた。
とぅーびーこんてぃにゅー
どうも。
すっかり秋めいてきましたね。
カフェで自然とホットを頼んでしまうようになってきたことで、
自分の身体も自然と秋モードになっていることを感じます。
「野球部 キャプテン」
4月になり、本格的に部活が始まると、
私は先生からキャプテンに指名された。
キャプテン、6番、ファースト、左打ち左投げ。
うん、中途半端。
どうせキャプテンやるなら、
小学生らしく4番でピッチャーとかであって欲しいところ。
でもこれが身の丈にあった、またはそれ以上のポジションだったのだろう。
練習は平日のほぼ毎日。
時間は授業終了から暗くなるまで。
土曜は弁当持参で午後からは練習や練習試合。
顧問の先生が熱心だったため、基本的に毎日練習に来て指導してくれた。
そして驚くことに、自分以外のレギュラーは全員、
地域の野球クラブにも所属していた。
私たちが住んでいた地域には、
ドジャーズとビクトリーズという2チームの野球クラブがあり、
それぞれ5人くらいずつ所属して各々活躍していたため、
小学校でのチームはオールスターのようだった。
そんな中、レギュラーひとりだけ一輪車クラブ。
しかもキャプテンが。
今思うと、よく自分だけ野球クラブに入らなかったなと思う。
周りがそんな状況だとしたら、合わせてしまいそうなのだが。
ただ、その時は入りたいという希望も、入らなくてはという義務感もなかった。
もちろん野球は楽しかったし、みんなとももっと長く練習したかった。
しかし、日曜は一輪車クラブに行きたいという思いの方が強かったのだろう。
平日は小学校の友達と野球することが最高の楽しみだったし、
休日は一輪車クラブの友達と一輪車に乗ることが最高の楽しみだった。
どちらかだけを選ぶことは出来なかった。
他の部員より野球をしている時間が短いからこそ、
部活の間は誰よりも集中して練習しようとした。
そして、キャプテンとしての威厳を保つために、
他の選手に厳しい言葉を浴びせながら、自分に言い聞かせた。
しかし、このときはおそらく行動よりも口の方が先走っていたように思う。
小学生とはいえ男の世界だったため、
厳しいことを言って何糞根性を奮い立たせることで統率していた。
そのときの野球部には、そんなやんちゃをも受け入れ、
応えてくれるような強くたくましく頼もしいメンバーがそろっていた。
話は少しとんでしまうが、
小学校を卒業してちょうど1年が経つ頃、
母校の小学校を訪れ、顧問の先生と話をする機会があった。
私はそこで衝撃的な事実を知ることになる。
中学生になってからの出来事を一通り話した後に、
自分たちが野球部だった頃の話をしていると、
先生は真面目な顔をして冷静な口調で、
「 お前をレギュラーにするかどうかは少し悩んだ。 」
と口にした。
「 技術的には、他にも良い選手がいた。
技術だけをみたら、他の選手の方が上だったかもしれない。
しかし、おまえのチームをまとめたりひっぱる力は、
チームになくてはならないものだった。 」
正直、このあと数日間は、最初の一言のインパクトが強すぎて、
自分の技術が足りていなかったことをショックに感じ、
他の選手に悪かったと悔やんだ。
しかし、時間がたつにつれ、
技術が劣っていてもチームに必要とされるということは、
どういうことなのかを考え始めた。
このとき、“チームへの貢献の仕方”、“勝利に必要なもの”、
さらに“スポーツ”は技術だけではないということを初めて知った。
どうも。
先日iTunesをアップデートしました。
いつものマイナーチェンジとは少々異なり、
今回はロゴまで変わりました。
しかし新しくなったことはわかるのですが、
前のロゴを思い出すことが出来ません。。
meijiやdocomoのロゴもここ数年で新しくなり、
「なんか前の方が良かったな〜」とは思いながらも、
前のロゴがどんなロゴだったかは思い出せず。。
変化したものの記憶はすぐに失ってしまうんですね。
それは人に関しても同じかもしれないな。。と思う今日この頃。
「野球部 朝練」
4年生から始めた野球部。
顧問の先生が力を入れていたことや、
良き先輩に恵まれたこともあり、
小学生にして勝負の厳しい世界を体験することが出来た。
私の学年の野球部員は特に野球が大好きだった。
6年生になる直前、2月くらいのこと。
レギュラーを中心に10人くらいで集まり、
なんと小学生にして、自主的に朝練を始めた。
しかし、先生にも内緒で行うため、
小学校の校庭が使えず、近くの公園に集合。
そして、練習後に朝食を食べて集団登校をしなくてはならないために、
練習時間は朝の5時〜6時半。
ニット帽をかぶり、手袋をして、白い息を吐きながらの練習。
キャッチボールから始まり、トスバッティングやノックetc…
最後には簡単な試合形式的なものを行い、
いっちょうまえに打率を付けたりもしていた。
その練習効果がどれくらいあったかはわからないが、
各々の野球に向き合う姿勢を確認することが出来、
半年後の結果の原動力になったことは間違いないと思う。
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地区大会 優勝
県大会 ベスト8
通算30勝2敗(練習試合含む)
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この結果までの経緯(いきさつ)はまた次回。