昨日、新幹線に乗ると通路を挟んだ隣の席に、
小学低学年と高学年くらいの兄弟とお母さんが座っていました。
おやつどきだったため、
お母さんがドアラによく似た動物が描かれたマーチを取り出しました。
箱に入ったものではなく、小さな袋に入ったものだったため、
2人でハンブンコすると有袋哺乳類は数匹しか食べることが出来ませんでした。
「えーこんだけー!?」と声を合わせてなげく兄弟。
すると、「じゃあひとつひとつ大切に食べよ。」とお兄ちゃん。
各コアラをトーナメント戦で戦わせながら、
どのコアラが一番強いかを決めはじめました。
もちろん弱いコアラから食べられていきます。
そして、勝ち残ったコアラは光栄なことに、
噛むことなく口の中で自然解糖して食べてもらえたようです。
めでたしめでたし。
カワイイコアラの死闘のマーチが終わって15分後。
今度は、兄弟の死闘のマーチが繰り広げられていたため、
小さな演奏者に向けて、「そろそろ富士山が見えるよ。」とお母さん。
子どもにとっての富士山は瞬間最高視聴率120%超え。
しかし、残念ながら曇っていて頂上付近はハッキリ見えませんでした。
「えーハッキリ見えなーい!?」と声を合わせてなげく兄弟。
それでも富士山が見えなくなるまで平均視聴率は100%以上を持続。
見終わると、「でも少しでも見れてよかったね。」とお兄ちゃん。
「帰りはハッキリ見れるように、おばあちゃん家でテルテル坊主をつくりましょ。」とお母さん。
「つくるー!」と弟。
私は彼らのポテンシャルにひとり感動していました。
半分入った飲み物を見て、
半分しかないと思うか、半分もあると思うか。
どう捉えるかによって見え方は変わります。
これはよく言われることです。
更に、その半分をどうするか、
そして、半分で満足出来ないならどうするのか。
大切なのは捉え方だけではなく、
そこからどう動くかかもしれないですね。
そんなことを
仲間由紀恵似のお母さんと、
おそらく父親似のなんちゃって“まえだまえだ”から教わりました。
そんなこんなで、2010年最後は、
3ヶ月間にわたった野球部の話の“番外編”でしめくくりたいと思います。
「 3年間の努力が崩れ落ちた3時間後 」
いつもは楽しく笑い声が絶えなかった帰りの車の中だったが、
この日は、涙をすする音しか聞こえない長い時間となった。
誰ひとり口を開くことなく、野球帽を深くかぶり涙を流した。
学校に戻り、いつもどおり反省会が開かれた。
各自、悔しい想いや反省の念を、歯を食いしばりながら言葉にした。
そのとき、自分が何を言ったかはもう覚えていない。
しかし、最後にいつも勝っても厳しい先生から頂いた、思いもよらない言葉は今でも克明に覚えている。
「 負けてよかったな。
今日、君たちは初めて負けた者の気持ちを知ることが出来た。
今まで勝つことで、たくさん嬉しい思いをしてきた。
しかし、その陰では今の君たちのように悔しい思いをしてきた人たちがいる。
それを知っていることはこれから生きていく中でとても大きな財産となる。 」
その後、私たちに勝利した小牧パンサーズは県大会で優勝した。
1ヶ月後、新聞で、
〝小牧パンサーズ東海大会優勝、全国大会出場〟
という記事を目にした。
そのとき、
『 負けてよかったのか? あのとき勝っていれば今ごろは。。 』
正直、そう思った。
そして、今思うことは。。
『 負けてよかったのかもね。 あのとき勝っていたら今ごろは。。 』
ほんとーにほんとーにおしまい。
ちゃんちゃん♪