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2010/10/16

どうも。

 

 すっかり秋めいてきましたね。

カフェで自然とホットを頼んでしまうようになってきたことで、

 自分の身体も自然と秋モードになっていることを感じます。

 

 

「野球部 キャプテン」

 

4月になり、本格的に部活が始まると、

私は先生からキャプテンに指名された。

キャプテン、6番、ファースト、左打ち左投げ。

うん、中途半端。

どうせキャプテンやるなら、

小学生らしく4番でピッチャーとかであって欲しいところ。

でもこれが身の丈にあった、またはそれ以上のポジションだったのだろう。

 

練習は平日のほぼ毎日。

時間は授業終了から暗くなるまで。

土曜は弁当持参で午後からは練習や練習試合。

顧問の先生が熱心だったため、基本的に毎日練習に来て指導してくれた。

 

そして驚くことに、自分以外のレギュラーは全員、

地域の野球クラブにも所属していた。

私たちが住んでいた地域には、

ドジャーズとビクトリーズという2チームの野球クラブがあり、

それぞれ5人くらいずつ所属して各々活躍していたため、

小学校でのチームはオールスターのようだった。

 

そんな中、レギュラーひとりだけ一輪車クラブ。

しかもキャプテンが。

今思うと、よく自分だけ野球クラブに入らなかったなと思う。

周りがそんな状況だとしたら、合わせてしまいそうなのだが。

 

ただ、その時は入りたいという希望も、入らなくてはという義務感もなかった。

もちろん野球は楽しかったし、みんなとももっと長く練習したかった。

しかし、日曜は一輪車クラブに行きたいという思いの方が強かったのだろう。

平日は小学校の友達と野球することが最高の楽しみだったし、

休日は一輪車クラブの友達と一輪車に乗ることが最高の楽しみだった。

どちらかだけを選ぶことは出来なかった。

 

他の部員より野球をしている時間が短いからこそ、

部活の間は誰よりも集中して練習しようとした。

そして、キャプテンとしての威厳を保つために、

他の選手に厳しい言葉を浴びせながら、自分に言い聞かせた。

しかし、このときはおそらく行動よりも口の方が先走っていたように思う。

小学生とはいえ男の世界だったため、

厳しいことを言って何糞根性を奮い立たせることで統率していた。

そのときの野球部には、そんなやんちゃをも受け入れ、

応えてくれるような強くたくましく頼もしいメンバーがそろっていた。

 

 

話は少しとんでしまうが、

小学校を卒業してちょうど1年が経つ頃、

母校の小学校を訪れ、顧問の先生と話をする機会があった。

私はそこで衝撃的な事実を知ることになる。

 

中学生になってからの出来事を一通り話した後に、 

自分たちが野球部だった頃の話をしていると、

先生は真面目な顔をして冷静な口調で、

 

「 お前をレギュラーにするかどうかは少し悩んだ。 」

と口にした。

 

「 技術的には、他にも良い選手がいた。

  技術だけをみたら、他の選手の方が上だったかもしれない。


  しかし、おまえのチームをまとめたりひっぱる力は、

  チームになくてはならないものだった。 」

 

正直、このあと数日間は、最初の一言のインパクトが強すぎて、

自分の技術が足りていなかったことをショックに感じ、

他の選手に悪かったと悔やんだ。

 

しかし、時間がたつにつれ、

技術が劣っていてもチームに必要とされるということは、

どういうことなのかを考え始めた。

 

 このとき、“チームへの貢献の仕方”、“勝利に必要なもの”、

さらに“スポーツ”は技術だけではないということを初めて知った。

 

2010/10/16 11:29 | yuta | No Comments