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2011/12/15

安心しきっていた。
これが一番の甘さだった。
必ずとか、絶対なんて存在しないと、
つくづく思ってはいたが、
いざ、その意気込み、
言葉の強さからして、
自分の尺度で何か安堵を覚え、
だったら大丈夫か、と、
思う自分が甘いのだ、
それを改めて痛感した。

この世は狭いと感じた、
いや、感じる前に教えられた、他人から、
何故、他人から・・・、
関係のない知人から・・・、
それが不思議でならない。
不思議でもないのだろうか、
その事実を、さらさらと聞く、
平静な自分が居た。

可笑しなものだ、一体どうなってる、・・・って、何が、

遠まわしは止めよう、ありのままを出せるのがこのステージの特徴だ、

「ビジネスライクが消えた」

あなたがいないと意味がない、
あなたがいたから動き出したはずの、
あなたが、あなたが、行方不明となった。

ニューヨークから届いたメッセージ、

ここから、何を想う・・・。

09:36 | nishikawa | 「裏も表も無いザマ」 はコメントを受け付けていません
2011/12/10

肥満大国といわれるアメリカ、
ジャンクフードのメッカ、
貧富の差も激しい、
けれど、
刺激に溢れた国、
夢「dream」を叶えるという事が、
リアルに体現できる国、
人種の坩堝。
ここに来ればという期待を誰もが持つ、
持っていたと考えようか、今としては。

今、一部の学校給食にて、
日本の「蒟蒻の粉」を取り入れて、
子供の肥満防止に動いてらっしゃる、
日本人社長がいる。
光野幸子さんというが、
この「蒟蒻」の持つ特質を最大限に活かし、
社会貢献に役立てたいと、ニューヨークでは、
ミス・コンニャクとして有名な方である。

現在、ニューヨークにある、日本人オーナーが経営する
ほとんどのレストランにて、この光野社長が提供する、
純粋蒟蒻粉「ⓒコンニャクマンナンフラワー」を使用している。

正味、坩堝の国においては、
食の幅、乱れとでもいうのか、
整然としたレストランもあれば、
唖然とするジャンクフードショップもある。
色んな素材を本来の形すら留めることなく調理する、
素材への冒涜とも言えるようなサービス、
ただ、そういうところに考えを及ばすと、
短なる評論家でしかない。

何がその人にとって美味しいとか、
食べて懐かしいと感じるか、
多様でいいと思う。
今更収拾つけようとすればそれこそデモクラシーに
成りかねない。でも、
健康管理において、一番の悩みどころは便秘に尽きるのでは
ないだろうか。消化できないという、
循環を基とする人間の体において、留めることの
苦しみはストレスに繋がる。
不安や不満の要素にも成りえる。

欧米人は「蒟蒻」を見ると気持ち悪いと感じるという。
その感触、無味からして、
中々理解をすぐには得られないものらしい。

さて、子供の頃、人参嫌い、
ピーマン嫌いってよくみんな言っていたと思う。
何でだろうと言われても、
釈然としない回答で誤魔化す、大人になって何となく、
気付いたら御酒やビールが美味しく感じられるようになる、
同様で、
見慣れない素材はやはり誰もが抵抗を感じるのであろう。

例えば、「ゴーヤ」にしてもそう、
ここ最近の沖縄ブームで定着化してはいるが、
最初は大概、苦いとか、見た目で判断する。
判断すること自体、可笑しなもんだと思うが、
見た目の良くない野菜ほどたくさんの栄養素を持っている。

日本の北から南にかけてまで、
まるで素材の食し方が違うというのに、
それを堪能するより外の国に目が向く、
やれイタリアだフランスだ、タイだ中国だと、
他国中心に想いを寄せては、その味なりを嗜む。

多種多様ではある世の中で、
食については、
今一度、
日本人であることが誇りに思えるよう、
生きていきたいと改めて自分に伝える。

06:45 | nishikawa | 「ニューヨークとニッポン」 はコメントを受け付けていません
2011/12/05

何でも、
だって前にあったじゃないか・・・とか、
以前こういう例があって・・・と、
都合のよい引出を開ける。
前提ありきで考える人、人、
人、。。。。。。たくさんいる、が、
とかいう自分も、
どうこう頭の中では予防線を張っている。
矛盾を抱えながら、時間は過ぎていく。

近頃、一人の時間が多い。
考える事が偏る。
例えば本を選ぶにしても、
本屋で買いたいタイムリーな内容は無い、
ならばと図書館に向かい、静かに言葉を選ぶ。
表紙の言葉からピンときた本に手が伸びる。
要は今、
自分が対話したい言葉がそこにあるから。

そこで見つけた、というかピンときた言葉が2,3日、
自分に寄り添う、
  
「前提を疑え」
  
決まり、定めのないこの世で、
支配されることなく己を生きる、
誰だって守りたい何かがある、
僕の場合は特にモノへの固執がない分、
それは自分への執着であろう。

今、新しいモノを創造している最中である。
おそらく自然とそれは成り立ち、
ひとつのブランドとして形になると思う。
過去それは1,000円ないと出来ないと言ってた事が、
100円あれば十分できると言い換えられる程に、
スマートに時は運ぶ。

それは神のみぞ知ると、背中をポンポン叩いてみては、
間違いでない時間軸を歩いているんだなと、確認し、実践している。
右左向けばたくさんの人だかり、電波の渦の中で混線している日もある。
大自然を夢観て、少し緑の奥を彷徨いたくなる日もある。

名前も知らない野草が先ごろ活き活きと眼を開いている、
この凛とした姿、輝き、今を精いっぱいに、
咲かせて咲かせて、
そして朽ちる。
短い生命なる生物もあれば、
人間のようにある程度寿命の解る生物もいる。

奇跡とは夢でもないし幻でもない、
自らが引き起こした事象であって、
自分にしか解りえない事象、
それらを通して、きっと道は開けると、
想い願い続けた日々の数だけ、
事は起こりやすい。
前提に踊らされてはならない、
自分が前提と化すからこそ、
それこそが奇跡という痕跡になるのだと思う。

11:32 | nishikawa | 「前提ありきで考える逃げ道を閉じよ」 はコメントを受け付けていません
2011/12/02

「糀」「蒟蒻」

いろんな方々が研究し、
その成果を見させていただきながら、
大切に調理させていただく。
生食では毒素を排出するが、
加工することで栄養素と化す。
また、体内に吸収されることで
栄養素に変化する。
そもそもこうして生活してること自体が
不思議だが、
考える動物「人間」、
ま、本来「草食動物」だったといわれる「人間」。

気づいたらブクブク太ってしまい、
「飽食人種」と化した御国方もある。
コカコーラにタピオカ入れてたり、
全ては自己責任ではあるが、
欲望の種、いかんせん「贅沢」さらには、
「悪趣味」を覚えると
なかなか元には戻れない。

「粗食」という言葉がある。
給食問題等に精通した
幕内秀男先生が云うところだ、
必要な分量を必要な加減で
必要に応じて改め直すのは、
いまさら簡単なことではないが、
気持ちからでも、
自分にとって「栄養」って何かと
問いかけるのもいいと思う。

ベジタリアンやマクロビまでは
いかないが、
基本、今、菜食中心生活にあこがれる。
環境の変化もあると思う。
また何よりも自らの「意識」が、
ずっとこの時を
待ち焦がれてたのかもしれない。

しかし、
あまりにも子供のうちから菜食生活してしまうと危険で、やはり必要な時期に必要な栄養素は取るべきであって、大人の習慣を子供に当てはめてはいけないなとは思う。
ましてやこのご時世、仏教徒だから肉食べてはならないとか、誰が決めたか、食べていいと思う。あまり固定観念、規律、縛られることが好きなm-styleならokでしょうが、
Worldwideに情報分野は開かれ、
日々、煩悩が本心を覆い隠してしまいそうな中にいながらも、考え抜いていきたいものだ。

そんなこんなしている中で、
来週から「国境なき料理団」メンバーが
ニューヨークへ
料理デモンストレーションと、
ちょっとした会食を開催する。

少しずつだが、動き始めている。

 
潜在能力の高い、
日本風土から生まれた、
素材たちが持つ、
高い魔法のような力。
  
着々と披露されていく。

  

07:19 | nishikawa | 「魔法のような潜在能力の高い日本の持つ素材の力」 はコメントを受け付けていません
2011/11/26

告白しますが、
一度、
無実不起訴にて拘置所生活を過ごしたことがあります。

ついまだ半年も経ってないかな、・・・知ってる人からすると、
彼は何故、あのロン毛がトレードマークだったのにと
思ったかもしれません。
今だから笑い話です。
係る方々全てにおいて迷惑をかけたことに対しての断髪でございました。

どういうこと・・・、何で、
何が正しいんだろうか、解らない。
答えはあるのか、彷徨うばかりで、
陽の当らない地下の牢屋生活を経験しました。
もう二度とない経験、あり得ないと思っていたけれど、
まさか自分が、
未来が閉ざされるってこの感じかという程、
大粒の涙が零れおちました。

何年ぶりだっただろう、あれだけの涙を流したのは・・・。

人は栄養を摂取しないと爪が伸びませんね、
人は一週間以上歩かないと歩き方が不憫に感じますね、
人は他人の心は見えないけれど、何も無い場所に来ると、
自分の心がすっきりと日を追うごとに見えてきますね。

朝が来るのが有難くて感謝、
そして自分自身と向き合うが為に瞑想、
まるで修行僧のような生活であったが、
「更生」というのはこういうことなんだろう。

仕事ばかりの日々の中で、何もすることができない日々。
ただ・・・考えることしか。

だから考えていた。
番号で呼ばれる日々の時間の中で、
餌のように配給される食物を頂きながら、
この世の矛盾に従うか、
自らの真実を曲げることなく伝え続けるか、
弱き者はその言葉の裏にある駆引きに気付かずして、
真実を曲げ、他人に委ねる、正しいはずのことを主張できずに、
命と引き換えに、精神と引き換えに、心と引き換えに。

あれから5カ月は経っただろうか、
原因があるから結果がある、原因の元を辿れば、
答えが見つかる、OVERWORKから来ていたことも。
時が過ぎ去ってから解ることがあるということも。

適した時期に適した肥料を与え適した環境で素材を育む、
当たり前の事に改めて気付いた時、
新たな自分の中の引出しが増えた気がした。

今の自分を形成する、ひとつの要素でもある、

時間という神の仕業。

06:23 | nishikawa | 「時が過ぎ去ってから解ることがある。」 はコメントを受け付けていません
2011/11/19

 

ここが一番私らしく居られる場所なんです、
と、
メールの掲示板をずっと覗き込む少女。
人ごとではない、自分もこの時世に生まれていたなら、
完全に否定はできないと思う。
価値観もそれなりに違ったであろう。

来年は宇宙旅行が可能になるとか、
予期できたこと、時代の進化、情報の発達、
できなかったこと、天の災い、
誰のせいでもない「自然ノ事」・・・。

さて、
「見てわかる、キッチン断捨離」
マガジンハウスからムック本にて発売。
今、大好評の断捨離シリーズ。

ムックの第2弾は、断捨離の基本であるキッチンに注目!で、
やました家の台所を徹底公開しながら、
キッチン断捨離の極意をわかり易く解説。
さらにやましたさんが「断捨離食堂」と公認する
「湯島食堂」いわゆる「国境なき料理団」の食堂ですね。
メインで登場します。
「美味しくって、楽しいのがいちばん」
野菜まるごと料理、雑穀、捨てる部分を利用したパーティ料理など、
楽しい本に仕上がってます。

ま、ここの空間中の隅っこに、
机を置いて、僕、こちょこちょと作業してるんです。

奇跡という言葉があるが、言葉があるからにはその出来事は存在する。
それが大きかれ小さかれ、奇跡であるならば大いに祝福すべきである。

僕が居る、「湯島食堂」においても多々その奇跡は起こる。
一体どうしてなのかと不思議に思えたりするのだが、
これも、
何度か慣れてくると、「あ~何だそういうことだったのか」という
「気づき」であったり、「同じこと考えてた」なんてこともざらにある。

今、生きている国・・・変わった国だな~。
この国、八百神、800もの神が存在していたのか、
いつしか数えるほどの信仰にまでになったが、
それだけ神は行き来を繰り返した。
文献も多々、自論他論、種々にして。
そんな中、僕は、
何を信じて生きているんだろうね・・・。

次回は、人生の一部 大暴露します。

08:22 | nishikawa | 「 『間』 違った居場所 」 はコメントを受け付けていません
2011/11/19

 

ここが一番私らしく居られる場所なんです、
と、
メールの掲示板をずっと覗き込む少女。
人ごとではない、自分もこの時世に生まれていたなら、
完全に否定はできないと思う。
価値観もそれなりに違ったであろう。

来年は宇宙旅行が可能になるとか、
予期できたこと、時代の進化、情報の発達、
できなかったこと、天の災い、
誰のせいでもない「自然ノ事」・・・。

さて、
「見てわかる、キッチン断捨離」
マガジンハウスからムック本にて発売。
今、大好評の断捨離シリーズ。

ムックの第2弾は、断捨離の基本であるキッチンに注目!で、
やました家の台所を徹底公開しながら、
キッチン断捨離の極意をわかり易く解説。
さらにやましたさんが「断捨離食堂」と公認する
「湯島食堂」いわゆる「国境なき料理団」の食堂ですね。
メインで登場します。
「美味しくって、楽しいのがいちばん」
野菜まるごと料理、雑穀、捨てる部分を利用したパーティ料理など、
楽しい本に仕上がってます。

ま、ここの空間中の隅っこに、
机を置いて、僕、こちょこちょと作業してるんです。

奇跡という言葉があるが、言葉があるからにはその出来事は存在する。
それが大きかれ小さかれ、奇跡であるならば大いに祝福すべきである。

僕が居る、「湯島食堂」においても多々その奇跡は起こる。
一体どうしてなのかと不思議に思えたりするのだが、
これも、
何度か慣れてくると、「あ~何だそういうことだったのか」という
「気づき」であったり、「同じこと考えてた」なんてこともざらにある。

今、生きている国・・・変わった国だな~。
この国、八百神、800もの神が存在していたのか、
いつしか数えるほどの信仰にまでになったが、
それだけ神は行き来を繰り返した。
文献も多々、自論他論、種々にして。
そんな中、僕は、
何を信じて生きているんだろうね・・・。

次回は、人生の一部 大暴露します。

08:22 | nishikawa | 「 『間』 違った居場所 」 はコメントを受け付けていません
2011/11/13

「ア・レンジするな、人のことは言えんが・・・」

この頃よく想うことがある。
確実に自分たちを取り巻く環境は「変化」し、さらに、
明らかに善からぬ「飽和」に向かっている。
誰かがまとめようとしても誰かが分解してしまう。
独占することなく消費者を想い、
それぞれに試行錯誤しながら、
身勝手な「自己傑作」を表現している。
仕方がないというのか。

要素・・・繰り返し言っていくが、
生きていく中で「食」は欠かせない。
色んな雑誌・書籍の表紙を見ながら、
いい加減、うんざりしている。
中身が一緒、そんな事わかっとるわい、
何だよカタカナ文字でプロぶりやがって。
レンジで何ちゃら・・・それもいいけど、
電磁波の事を少し書いてあげてさ、
極力控え目に、お年寄りの多い国だし、
お手軽だからいいってものでもない。
そういう気持ちの人は、
僕以外にも大いにいらっしゃることでしょう。

世に出ない、
出さない実力者=本物もいることを購読者は忘れないで。

そんなこんないいながらも、
そんなこんないいながらも、
・・・・・・・・・・・・、
たまたま僕は運が良かった、
だから、今、こうして、文章露出している。

日本、
全てが回復したわけじゃないのに、
世の中うまく回ってるわけじゃないのに、
自由ではないと、わがまま言ってやがる、
自分の中の何者かが。
また、自分の中の何者かが言ってくる、

「善人ぶるな 禅ぶるな」と・・・。

奇遇な出会いが、
日々様々に心の狭間を埋める。
遅くもない早くもない
そんな出会いが理想郷に向けた活動をさらに躍動させる。

想えば、教育って一方通行だった。
でも共育ならば、互いに学びあえる。
そこで想いを共有し固い絆で新たに結ばれたのが、
ここ、
文京区湯島「湯島食堂」を基地とした
「国境なき料理団」である。

「食」については様々に未解決だったり、統制できない問題も多い、
これに限ったことではないが、何より生活するうえで欠かせない、
「食するということ」。ここに意識を集中する。

コンニャクのように、
しなやかに柔軟にして、
時に強くあなたを燃え上がらせる。

さて、
閣議で決められたことが行政を通して民間に届いていない、
大事な制定があったりする。
例えば学校給食、
・いい加減「コッペパン」はいいだろう。
・嫌なのに無理に牛乳飲ませるなよ。
・嫌いな素材は、今は嫌いでもいいじゃんか。
若干皮肉めいているが、自己責任にてここは書く。

この4月、とある縁で、
「某区」の小学校の跡地への被災者受け入れの話を聞き、
某企業が炊き出しをして伺ったところ、
100人いますよと確認していたところ、
・・・どころか、人けが無い。
某区のhpでは掲示されてはいるのだが、
受け入れてる事自体が被災地に知られていない、
連動が取れていない、
形だけ、口だけ、言うだけ、多分、恐らく、それだけ。
こちらは内心怒りますわな、しかし、
御得意の口述「耐久年数が・・・」
「建物の構造上・・・」、モノのせいにする方々。
気づいたらその記事、web上から削除されてるし、
うまくできてますね~世の中。

国境なき料理団の理念。
基本、個々の持つ愛、垣根をはらい、
潜在能力を最大限に引き出し世界を「食」で結ぶ。
日本には「御結び(オニギリ)」という、
これ以上にない、真心のこもった料理がある。
何か難しいことしようって思っちゃいない、
そんな出来やしないし。
だけど出来ることがあった、
それがここにあった。初文にて理念は掲載。

看脚下。
雑念・煩悩が唸り狂い、諦め彷徨う大人たちへ、
「看脚下」あ~でもないし、こ~でもないんです。
あなたの気持ちを言葉にして相手に伝えてほしい。
生きていく要素、あなたにふさわしい要素、元素、
どうせと言って死んでしまうなら、
一時間だけ真剣に考えてみてくれませんか、
日本の自殺者予備軍の方々へ。
苦しい涙じゃなくて喜びの涙を出してみませんか。

この国を救う人はあなたなのかもしれないんだから。

充分にわかった、知らされた、
生きてるだけで、どれほどありがたいことなのか。
それは忘れてはならない。今一度誓う。

見えないストレスに晒されて疲弊する、
そりゃ身体の調子もおかしくなるし、
内臓器官にも不具合が発生する。
さて、どうやってこの危機、乗り切ろうか、
「断捨離」ですか、砂落としですか、
デトックスですか、ダイエットですか、
薬ですか、何ですか。
まずは、「意識」、
この頭の中、考え方から改めましょう。

でも、それって、大変ですよ。
それでもやってみる・・・
やってみませんか。

「生き直し」ってやつです。

12:37 | nishikawa | 「ア レンジするな、人のことは言えんが・・・」 はコメントを受け付けていません
2011/11/08

事後報告になってしまいますが、
「神保町漫楽園」におきましては、
御蔭さまをもちまして無事閉店となりました。

http://kanda.keizai.biz/headline/122/

http://manganight.com/

また、東京新聞(加藤様)、週刊新潮様、
及びfm tokyo様、各メディアの方々へ、
厚く御礼申し上げます。

しかしながら、漫画の灯は消えていません。

なぜなら・・・僕が漫画だからです。

さて、
「こんにゃく起業家」とは・・・
平たく言えば、
柔軟性と弾力性そして、
「独創性+α」を兼ね備えた者を指す。
暗い日陰や深い土中から立ちあがり日向へ這い上がる、
名もなき雑草、それは花ではなく「華~ハナ」のようにして、
強さとしなやかさを併せ持つ、極めて矛盾した世界で己を生き抜く、
予想できない成果を為し、身の程を知らない奇妙な前衛冒険術師をいう。
意味不明でかみ合わない問答を「こんにゃく問答」というが、

若干・・・違う。

12:28 | nishikawa | 「『こんにゃく起業家』とは」 はコメントを受け付けていません
2011/11/06

今、僕は湯島に居る。
湯島天神のすぐ三軒隣りにある秘密基地のような不思議な場所だ。
ここで、新たにこれからの自分がすべき使命(ミッション)を抱えながら、
自分らしく生きていくことに決めた。
前職からの流れの中で、様々な葛藤は勿論あった。
素直に、より素直になろうとしても、自分という存在、全てはコントロールできない。
逆にそれは「心の懐」を空っぽにし、自らを苦しめるという、善からぬもの
だったのだろう。簡単に云えば「いろいろ考えたあげく自然とこうなった」。

利他の心という言葉が、日々、脳裏を渦巻く。一時期、本も読めないくらい10月の
半ばまで引き籠ってしまっていた。しかし、今、こうして、ここに居る。それが全て。

「まずは、となりの人との国境をなくそう。
その思いは、遠く離れた国と国との国境もなくせるはず」

『国境なき料理団』は
「これからの世の中、もう国境なんていらないね」という考えのもとから生まれました。国境があるから、人間たちは自分たちの「取り分」を考え、所有欲や独占欲を生んでしま。自分たちが地球の一員だと思いさえすれば、そんな恐怖や不安にがんじがらめになることはありません。そして、どんなにいがみ合う人種も、美味しいごはんを共にすると、そこにはシェアの心が生まれ、いつしか笑顔で溢れています。これは人間の本能です。
「愛あるごはん」からは愛と平和しか生まれません。
だからこそ、私たちは「愛あるごはん」で国境をなくそうと活動を始めました。

・・・生きていくうえでかかせない「食」、自分が今日まで体得してきた経験を、この活動に準えて、新たに生成していきます。たくさんの仲間たち、想いを共有する方々との間に新たな「協働意識」を育みながら、一日一日を大切に精進していきます。

いろんな書籍・本が次々と発売されています。本の街に居た自分として、本から離れた活動を主に切り替えた際、気付いたことがありますが、似たような内容が多く、選択するに値するほど、個性が無いということ。出版関係は何がしたいんだろうと改めて思いました。
今、本当に必要とされる書は、何なんでしょうね、生まれる前の歴史が変わってきているという事象も起こっています。せめて、これだけは間違えないでほしいというもの、こと、それは個々の人生の中に存在しているのかもしれない、そんな中で、僕は、生き方を新たにし、「食」という大義、それはコミュニケーション・触れ合い・価値創造・様々な言葉に置き換えることができます。ここから如何なる進化を遂げ、御役に立てるのか、改めてこの場を借りて、拙い文章ではございますが再度始める次第です。論じながらも行動で示す、後にも先にもない、自分だけの人生を貫きたいですね。
御理解いただきましたJUNKSTAGE理事会の方々には心より感謝いたしております。
どうぞ宜しくお願いいたします。

01:19 | nishikawa | 国境なき料理団として はコメントを受け付けていません

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