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2011/11/26

告白しますが、
一度、
無実不起訴にて拘置所生活を過ごしたことがあります。

ついまだ半年も経ってないかな、・・・知ってる人からすると、
彼は何故、あのロン毛がトレードマークだったのにと
思ったかもしれません。
今だから笑い話です。
係る方々全てにおいて迷惑をかけたことに対しての断髪でございました。

どういうこと・・・、何で、
何が正しいんだろうか、解らない。
答えはあるのか、彷徨うばかりで、
陽の当らない地下の牢屋生活を経験しました。
もう二度とない経験、あり得ないと思っていたけれど、
まさか自分が、
未来が閉ざされるってこの感じかという程、
大粒の涙が零れおちました。

何年ぶりだっただろう、あれだけの涙を流したのは・・・。

人は栄養を摂取しないと爪が伸びませんね、
人は一週間以上歩かないと歩き方が不憫に感じますね、
人は他人の心は見えないけれど、何も無い場所に来ると、
自分の心がすっきりと日を追うごとに見えてきますね。

朝が来るのが有難くて感謝、
そして自分自身と向き合うが為に瞑想、
まるで修行僧のような生活であったが、
「更生」というのはこういうことなんだろう。

仕事ばかりの日々の中で、何もすることができない日々。
ただ・・・考えることしか。

だから考えていた。
番号で呼ばれる日々の時間の中で、
餌のように配給される食物を頂きながら、
この世の矛盾に従うか、
自らの真実を曲げることなく伝え続けるか、
弱き者はその言葉の裏にある駆引きに気付かずして、
真実を曲げ、他人に委ねる、正しいはずのことを主張できずに、
命と引き換えに、精神と引き換えに、心と引き換えに。

あれから5カ月は経っただろうか、
原因があるから結果がある、原因の元を辿れば、
答えが見つかる、OVERWORKから来ていたことも。
時が過ぎ去ってから解ることがあるということも。

適した時期に適した肥料を与え適した環境で素材を育む、
当たり前の事に改めて気付いた時、
新たな自分の中の引出しが増えた気がした。

今の自分を形成する、ひとつの要素でもある、

時間という神の仕業。

2011/11/26 06:23 | nishikawa | No Comments