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何でも、
だって前にあったじゃないか・・・とか、
以前こういう例があって・・・と、
都合のよい引出を開ける。
前提ありきで考える人、人、
人、。。。。。。たくさんいる、が、
とかいう自分も、
どうこう頭の中では予防線を張っている。
矛盾を抱えながら、時間は過ぎていく。
近頃、一人の時間が多い。
考える事が偏る。
例えば本を選ぶにしても、
本屋で買いたいタイムリーな内容は無い、
ならばと図書館に向かい、静かに言葉を選ぶ。
表紙の言葉からピンときた本に手が伸びる。
要は今、
自分が対話したい言葉がそこにあるから。
そこで見つけた、というかピンときた言葉が2,3日、
自分に寄り添う、
「前提を疑え」
決まり、定めのないこの世で、
支配されることなく己を生きる、
誰だって守りたい何かがある、
僕の場合は特にモノへの固執がない分、
それは自分への執着であろう。
今、新しいモノを創造している最中である。
おそらく自然とそれは成り立ち、
ひとつのブランドとして形になると思う。
過去それは1,000円ないと出来ないと言ってた事が、
100円あれば十分できると言い換えられる程に、
スマートに時は運ぶ。
それは神のみぞ知ると、背中をポンポン叩いてみては、
間違いでない時間軸を歩いているんだなと、確認し、実践している。
右左向けばたくさんの人だかり、電波の渦の中で混線している日もある。
大自然を夢観て、少し緑の奥を彷徨いたくなる日もある。
名前も知らない野草が先ごろ活き活きと眼を開いている、
この凛とした姿、輝き、今を精いっぱいに、
咲かせて咲かせて、
そして朽ちる。
短い生命なる生物もあれば、
人間のようにある程度寿命の解る生物もいる。
奇跡とは夢でもないし幻でもない、
自らが引き起こした事象であって、
自分にしか解りえない事象、
それらを通して、きっと道は開けると、
想い願い続けた日々の数だけ、
事は起こりやすい。
前提に踊らされてはならない、
自分が前提と化すからこそ、
それこそが奇跡という痕跡になるのだと思う。