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2013/08/04

 

夢を描いてくれたおかえしに

 

113名が描いた夢を大切な人に伝えるお手伝い

 

 

キャリア教育後…(詳細はこちら①  更にこちら②

 

 

みんなが描いてくれた夢を一度預かり

裏にちょっとしたコメントを書かせていただき

 

2週間後 の卒業式前日に もう一度小学校を訪れ

教室で描いた夢を持っての写真撮影

それを…

 

 

 

全員の夢がちゃんと見えるようにプロに編集していただき

 

 

 

113名の夢を1枚の写真にまとめ

 

 

 

卒業式の日 教室の前に貼っていただきました

 

 

 

お母さんお父さん おじいちゃんおばあちゃん

 

たくさんの人に見ていただくことが出来ました

 

 

 

『子どもたちに夢を持つ大切さを伝えたい』

 

 

そんな想いで 活動を続けてきました

 

しかし 常々自問自答してきたのは

 

それは本当に彼らのためになっているのだろうか? ということ

 

 

親や先生、周りの大人が理解し 応援してくれなければ

 

やはり彼らが夢を持ち続けることは難しい

 

 

それをパッと来て「夢っていいよ」って話して

 

期待だけ持たすのは少し無責任ではないか

 

 

偉そうに夢を持つことをすすめるなら

 

夢を持つキッカケづくりだけでなく

 

夢を持ち続けられるための環境づくりについても考えるべきではないか

 

 

今回はそんな想いからの試み

 

 

「自分の子がこんな夢を持っているなんて知りませんでした」

 

親御さんから そんな声を聞くことも少なくありません

 

「知っていればもっと応援してきたのに」なんて声も

 

だからまずは一番の理解者であり

 

一番のファンやスポンサーをつくるお手伝い

 

 

まだまだ理想の形とは ほど遠いですが

 

理想の形を目指して 少しずつ続けていきたいと思います

 

 

これから社会がどうなるかとか

 

日本の経済がどうなるかとか

 

難しいことはわかりませんが

 

 

子どもたちが胸を張って夢を語れる

 

そんな世界ってなんかいいんじゃないかな

 

なんて想いつつ…

 

11:25 | yuta | 小学6年生のキャリア教育のに招かれて fin はコメントを受け付けていません
2013/07/01

 

28度目の誕生日を迎えることが出来ました。

お祝いのメッセージや贈り物を頂いたみなさま、

本当にありがとうございます。

 

ただ、“産まれた日”ということで、

「おめでとう」と言ってもらえるなんとも嬉しい日。

それにより、普段なかなか気づけないところでも、

多くの人に支えられて生きているということを

実感することが出来る一日。

 

 

また、必ず一年に一度、誰しもが歳をとります。

お金をたくさん手に入れた人も、失った人も

努力した人も、しなかった人も

社会に貢献した人も、他人に迷惑をかけた人も

歳をとらない年はありません。

 

だから、人との競争ではなく、

自分がどう歳を重ねていきたいかが大切なのではないでしょうか。

人と比べたところで、自分の人生の主人公は自分でしかないので。

 

 

人に支えられて生きていることに感謝しながら、

自分の歳の重ね方について考える日。

 

いつも各々の素敵な人生の主人公でありながら、

「安藤の充実した人生」に助演頂いているみなさまに

心より感謝申し上げます。

 

そして、誕生日というシステムを考えた人にも、感謝申し上げます。

 

 

12:06 | yuta | 誕生日ありがとうございます。 はコメントを受け付けていません
2013/05/31

 

夢を描くお手伝い

 

 

小学校にお邪魔する際、お話やパフォーマスをさせて頂く。

 

おそらく、それ自体にはあまり意味がない。

 

大切なのは、最後に子どもたち自身に夢を描いてもらうこと。

 

夢は与えられるものではなく、自分で描くものだから。

 

あくまで自分が出来ることは、そのちょっとしたお手伝い。

 

 

小学生でも、自分の夢を人前で話すことを恥ずかしがる子どもも少なくない。

 

だから私が夢を叶えた話をすることで、彼らの羞恥心が少しでも薄まればと思う。

 

『一輪車の世界チャンピオンになりたい』

 

高収入の職業に就くことでもなく、優秀な大学に進学することでもない。

 

そんなもので世界一になることに、どれだけの価値があるのか疑問に感じられるもの。

 

しかし、良い歳した人が、そんな夢を叶えた喜び、

叶える過程で得たものを、胸を張ってみんなの前で話す。

 

話を聞いて、夢なんてなんでもいいんだって思ってもらえれば。

 

 

最初は誰も発表してくれなかった夢も、最後には楽しそうに描いてくれる。

 

大きな夢を描くための小さなキッカケになったらいいなと思い、常に彼らの前に立つ。

 

 

 

彼らがそれぞれ想い想いに夢を描いている姿を見ているとき、

 

『時の流れに組み込まれながら生きている』という実感が沸く。

 

これも生きる幸せのひとつ。

 

 

11:45 | yuta | 小学6年生のキャリア教育に招かれて② はコメントを受け付けていません
2013/04/30

 

身体が重い。気分も重い。

 

そんなときに思い出す写真。

 

 

スイスのジュネーブで、

 

言葉も通じない中、

 

一輪車という共通言語だけを頼りに1ヶ月。

 

 

一輪車仲間の家に泊めてもらい、

 

一輪車に明け暮れ、野外フェス、リンゴ狩り、お寿司。

 

無償の優しさに浸り、とにかく楽しんだ。

 

 

 

無邪気に飛び込む。

 

そこに新たな出会い、新たな喜び、

 

新たな世界が待っている。

 

 

I CAN FLY

 

2006.8.11 in Geneva

11:53 | yuta | I can fly はコメントを受け付けていません
2013/03/31

 

先週の水曜日、杉並区の小学校に行ってきました。

卒業生のキャリア教育として、

6年生113名とお話をさせて頂きました。

これから中学生になり、大人に向かう門出に、

彼らの前に立たせて頂く、大変貴重な機会となりました。

 

「これはもう社会の厳しさをとうとうと説くしかない」

 

と意気込んで行きましたが、結局楽しく身の上話や雑談をしてしまい、

あっという間に3,4時間目の90分が過ぎてしまいました。

 

その後はクラスで一緒に給食をいただき、

話題はやはり好きな子の話。

 

「オレも誰が好きか言うから、おまえから言えよ〜。」

「オレみんなに勝手に決められただけだし〜。」

 

卒業を間近にした彼らは、完全に浮き立っています。

恥ずかしがりながらも、行動に移したくてうずうずしている感じは、

“小学生”という限られた時間を惜しんでいる様子。

自分のときもそんなんだったのかな〜と思いつつ、

都会っ子ゆえに少しおませなのかな、なんてことも思いつつ。

 

給食後は、みんなと別れ、

校長室で校長先生とティータイム。

 

校長先生にいれていただいたお茶をありがたく味わいながら

お話ししていると、お茶を吹き出しそうになる事実が。。

 

なんと6年生の半分以上が中学受験をして、

約6割が学区の公立ではなく私立や国立に進学。

 

私が小学生だった頃は、

クラスに1人いるかいないかくらいだったので、

思わず耳を疑いました。

 

教育熱心な親が多いことはとてもいいことですが、

子どもたちは求められるものも大きいようで、

自信を持てない子どもも多いようです。

 

「(小学)3年生になったのに受験について考えていない」

 

なかには、こんな相談を先生にする親も。

高校3年になっても考えていなかった自分には信じられず

「小学校の3年生ですか?」と

小学校の校長先生に聞き返してしまいました。

 

小学生の頃から勉強の成績だけで判断されてしまうのは、

子どもからするととても辛いことかもしれません。

 

数年前に移動してきて、この現状を目の当たりにした校長先生は、

朝の集会などで、地域のスポーツクラブや

課外活動で良い成績を残した生徒を表彰するようにしたそうです。

 

『がんばったことは認められる』

勉強でも勉強でなくても

学校内でも学校外でも

 

反対意見もあったそうですが、校長先生ご自身が、

「校長の話」をなくしていいから表彰は行うと押し切ったそうです。

 

 

なるほど、彼らが浮き立っていたのは、ただおませなだけでなく、

“別々の中学への進学”のためだったのかと少し納得しつつ、

『教育とは何か』ということを考えさせられる一日となりました。

 

勉強が出来ないことで自己否定してしまわないように

勉強が出来なくても自己肯定出来るものを見つけられるように

勉強が出来るようになる楽しみを得られるように

 

素敵な出会い、素敵な一日をありがとうございました。

10:38 | yuta | 小学6年生のキャリア教育に招かれて① はコメントを受け付けていません
2013/02/28

 

ついにこの日がきてしまった。

 

今まであえて避けてきた、

 

日本の大きな問題について語らなくてはならないこの日が。

 

事件はスーツを着た大人たちが、ゾンビのように歩き回る、

 

新橋の深い時間に起きた。

 

そう、普段は会社に飼われていることを示すための首輪を、

 

はちまきのように頭に巻き、顔を真っ赤にし、

 

大きな声で「自由」を主張している。

 

その勢いは、昼間の姿からは想像もつかない。

 

ただ、早く気づいてほしいことがある。

 

あなたが自由を勝ち取る相手は、目の前の郵便ポストではないということ。

 

 

しかしそんなことは、親のまた親の時代から変わらない話だろう。

 

私がここで話したいことは、そんな繰り返される歴史ではない。

 

粉雪が舞う街中で、歴史が繰り返されているさなか、

 

あるつけ麺屋に入ったときのことだ。

 

暖まりたい一心でラーメン大盛りを頼むと驚愕の事件が起きた。

 

なんと、ラーメンの大盛りには追加料金がかかると言うのだ。

 

もう、驚きが隠せない。

 

つけ麺は並盛り、中盛り、大盛りと同じ料金で選べる。

 

しかし、なぜラーメンの大盛りは別料金なのか。

 

 

そもそも、つけ麺とはなんなんだ。

 

麺と汁を分けるという極悪非道な行為。

 

もしそれが人間だとしたら、心と身体を分けるようなものではないか。

 

はたまた茶碗蒸しだとしたら、海老や銀杏などを別皿に用意し、

 

ただのプリンみたいなものにくぐらせて食べることになる。

 

そんなことがあっていいのだろうか。

 

人間や茶碗蒸しが比較対象外というのであれば、同系食物の蕎麦。

 

温かい汁につかった蕎麦もあれば、

 

ざる蕎麦のように汁につけて食べるものもある。

 

そう思うと、一見つけ麺と同じように思われるが、

 

それは初めて上京してきた人が、

 

東京メトロと都営地下鉄の違いに気づかない現象と同じだ。

 

そこには似て非なるものがある。

 

ざる蕎麦は、冷たい麺を冷たい汁につけておもいっきり吸いこむ。

 

とにかく冷たい麺が食べたいときの、苦肉の策なのだ。

 

それに対して、つけ麺はどうだ。

 

熱いつけ汁に、冷たい麺。

 

もうなにがしたいのか意味がわからない。

 

予想通り途中から、汁も冷めてしまう。

 

このつけ麺文化というものには本当に理解に苦しむ。

 

名古屋発祥だと誇り高く主張しながら、

 

『台湾ラーメン』と名付けられたご当地グルメくらい理解出来ない。

 

 

だから、最後にズバリ言わせて頂きたい。

 

 

「そんなつけ麺が私は大好きです。」

 

 

世の中理屈じゃない。

 

 

つけ麺屋に入ってラーメンを食べようという倫理に反する行為に反省し、

 

結局、大人しくつけ麺大盛りを食べたことは言うまでもない。

 

 

そして食べ終わり、店を出て痛感した。

 

目の前で郵便ポストと肩を組んでいる中年男性はとても誇らしげであった。

 

やはり、世の中理屈じゃない。

 

11:55 | yuta | 日本の社会問題について考える① はコメントを受け付けていません
2013/02/20

 

先月、名古屋のお隣、安城市に行ってきました。

高校の同級生が勤める幼稚園へ2年ぶりの訪問。

 

 

1月のお誕生日の子たちを祝う会に招いて頂き、

立派な遊技室で300人ほどの子どもたちを前に、

パフォーマンスしたり、お話したりで30分。

 

 

「好きな食べ物は?」

「好きな遊びは?」

「好きな先生は?」

 

そんな問いかけをすると、

 

「ぶどう!」

「てつぼー!」

「ゆーたろーせんせー!!」

 

子どもたちはみんな元気に手をあげて答えてくれます。

ピンッと伸びた腕と、答えたくてアピールする顔は、

太陽に向かって伸びるヒマワリのようでした。

 

そんなQ&Aが、

誰かのパフォーマンスよりも盛り上がったことは、ここだけの話。

 

 

『好きなことをがんばる』

 

伝わったかどうかはわかりませんが、

30分間は座って観て聞いてくれていたので、

あとは祈りましょう。

 

その後、給食を一緒に食べ、読書の時間をともに過ごしたら、

後はとにかく運動場で遊びまくり。

 

一輪車、かけっこ、なわとび、鉄棒、ドッヂボール etc…

もぉとにかく子どもたちは元気。

おかげで、こちらは1年分走り回りました。

 

なんだかんだで午後2時。

朝8時に来てから、早6時間。

子どもたちと遊んでいると、

本当に『あっ』という間でした。

 

 

そして、最後に皆の前で別れのあいさつをした後、

近づいてきてくれた子どもたち。

 

「わたしはピアノがんばる」

「ぼくは金曜にサッカーあるんだ」

「わたしはスイミングが好き」

 

と、別れを惜しみながら声をかけてくれました。

あんなに夢中に無心で走り回っていたのに、

よく覚えていたな、と少し感心しました。

そして、伝わっていたんだなと安心しました。

本当に来てよかった。

 

 

そして最後に、年少さんの女の子から一言。

「負けないからね」

 

安藤勇太27歳。

4歳からの宣戦布告。

 

おそらく彼女は本気だと思います。

 

年齢とか、身体の大きさとか、性別とか、

ちょっと人より上手なものがあるとか、

彼女にとっては、そんなこと一切関係ない。

 

目の前の人に、ただただ負けたくない。

理由などなく。

 

 

彼女に負けないように、

彼女が負けたくないとずっと思えるように

生きていきたいですね。

 

 

 

11:10 | yuta | 絶対に負けられない戦いが、そこにはある はコメントを受け付けていません
2013/01/25

 

山梨県の富士川町中部地区の活性化プロジェクトによる

鰍沢中部小学校のパンフレットの表紙に載せていただきました。

 

2年前に、一輪車を教えに行き、

1ヶ月後の運動会にも参加させていただいた鰍沢中部小学校。

 

「写真が学校の未来を象徴している」ということで

そのときの写真を使用していただいたようです。

 

自分も大好きな写真です。

 

現在、全校生徒11名。

だからひとりひとりが主人公。

でも、少ないからといって社会性が身に付かないわけではありません。

少ないからこそ、上級生は下級生のお手本に。

下級生は上級生に追いつけ追いこせ。

そんな中で、協調性や責任感を身につけていくのでしょう。

みんなとってもしっかりしていて、

頼もしかった印象が今でも鮮明に残っています。

 

パンフレットと一緒に2年生のだいきくんから手紙を頂きました。

2年前に教えにいったときには、まったく一輪車に乗れなかっただいきくん。

胸を張って一輪車に乗るだいき君の写真と

いろいろな技が出来るようになったことを丁寧に書いた強い筆圧の字からは、

“成長”と“自信”が伝わってきました。

 

そして、手紙の最後には、

「来年は1年生に、ぼくがいろいろ教えたいと思っています」

と締めくくられていました。

 

 

昨年は入学者0名でしたが、今年は新しく1名入学する予定です。

しかし6年生5名が卒業してしまいます。

7名では困難な学校の存続。

 

子どもたちの教育の場としての機能だけでなく、

地域の交流の場であり、災害のときには避難場所になる小学校。

そして、地域の希望の星である学校に通う子どもたち。

 

そんな学校の存続を強く願った、学校の先生や地域の方々、

そして子どもたちの思いが詰まったパンフレットです。

 

一度目を通していただけたら幸いです。

そして、都心での生活に疲れたり、

素敵な小学校で子育てをしたい方などいましたら、

是非、一度ご検討ください。

私もいつか子どもを持ったら通わせたい、そんな小学校です。

 

 

02:34 | yuta | いつか子どもを持ったら はコメントを受け付けていません
2013/01/10

 

明けましておめでとうございます。

今年もよろしゅうお願いします。

 

 

今年の抱負は、

 

「大胆に考え、丁寧に実攻」

⇨直感と熟考をつかいわけ、規定概念に捕われず

自分の中で良いと思うことを導きだす

⇨“なんとなく”でミスすることなく

抑えるところ抑えて丁寧に攻める

 

そして、

 

「自分のカラダとアタマの再構築」

⇨自分で決めて、自分の足で歩けば、その道のりは糧となる(前回の記事参照

⇨就職して2年

会社という環境に慣れるために、とにかく突っ走ってきましたが、

そのために、麻痺させて考えずにきた部分もある

今まで得てきたものもとりあえず、

プライドと一緒にどこかにしまい込んできた部分がある

必要ない無駄なプライドはそのまましまい込んだまま、

大事なものはもう一度再構築する

 

 

そして、今年の目標のひとつとして、

このコラムを滞納することなく、

2週間に1度ずつ更新して参りたいと思います。

 

まだ、誰かの役に立つために書いているというより、

アウトプットの練習で、自己満足にしかなっていないかと思われます。

 

それでも、たまにリアクションいただける方がいて、

少しコッパズカしい思いもありますが、それもまた活力になっております。

今年も、あたたかく見守っていただけると助かります。

 

本年も、宜しくお願い致します。

09:50 | yuta | ヘビよ、これがホーフだ。 はコメントを受け付けていません
2012/12/19

(前回の「夏休み」のつづき)

 

香港の中環(セントラル)駅で待っていたのは、

現在CAとして世界を飛び回っている、大学の同期。

 

大学を卒業して医療機器メーカーに勤めた彼女は、

3年弱で会社を辞め、一念発起でCAになった。

現在、香港をベースに仕事をしている。

 

前職では担当していた営業に適性を感じられず、

小さい頃からの夢に挑戦しようと決意をしたのが、

入社3年目の夏だった。

 

それまで仕事だけでも大変な毎日だった彼女。

しかし、次の理想の姿を描いてからは、

仕事後に英語を勉強し、土日はCAセミナーに通うため、

職場の富山から京都を往復した。

 

前職は仕事だけでも大変な毎日だったにも関わらず、

空いている時間をすべて次のステップのために彼女は費やした。

 

そんな現在に至る過程を聞き終わる前に、思わずつい聞いてしまった。

 

−− なぜそんなにがんばれたのか。

 

 

「自分で決めたから」

 

人にやれと言われていたらやめていたかもしれないけど、

自分でやりたいと思って決めたから、やめるわけにはいかなかった。

 

平然と答えた彼女。

飾る感じもなく自然と出てきた言葉は、

すっーと身体に染み渡った。

 

 

「親が勝手に…」

「本当はやりたくなかった…」

 

人に言われたことにはいくら言い訳出来ても、

自分で決めたことには、言い訳は出来ない。

それは自分を否定することになってしまうから。

だから“自分で決める” ということはとても恐いこと。

でも自分で決めたことを大切に出来れば、自分を大切に出来る。

そして自分の理想とする姿を手にすることが出来るのだろう。

 

 

仕事も宿題も勝手に与えられる、それが日本の会社や学校。

そんな中にいると〝自分で決める〟という作業を怠ってしまう。

すると自然と判断基準も他人任せ。

それはある意味楽であり、ある意味辛い。

 

“自分で決める”

彼女のように高い目標を決めることはもちろんだが、

低い目標を決めることだって、あっていいと思う。

 

周りから与えられたノルマや目標など、

判断基準を人にゆだねてストレスを感じるくらいなら、

自分で決めた目標を達成出来ればいいやって思えば良いのではないか。

たとえそれが人に与えられた基準や目標より低くても。

 

それは“妥協”ではなく、“決断”。

人によっては“妥協”と言うかもしれないが、

“決断”を放棄してストレスを感じるくらいなら、

“妥協”という“ 決断 = 勇気 ”を持って生きた方が

自分らしく生きられるのではないだろうか。

 

与えられた中で生きていくのは楽かもしれないし、

それで満足出来ればそれで良いと思う。

でも、それが辛いと思ったときに、

“自分で決める”という思考回路を、

いつでも取り戻せるようにはしておきたい。

 

“自分で決める”という行為は、

自分を高めるだけでなく、自分を守ることにもなる。

 

 

超えられるかわからない高い目標も、

なれるかわからない将来の理想像も、

自分で決めたなら大切に出来る。

 

たとえ理不尽な要求や判断を周りにされたとしても、

“自分で決める”ことで、自分を守ることが出来る。

 

自分で決めて、自分の足で歩けば、

その道のりは糧となり、人生を濃く味わい深いものとし、

魅力的な人間へと導いてくれるだろう。

 

 

 

もう一度、自分の頭と身体を取り戻そう。

 

そう思うことが出来た刺激的な旅となった。

 

いつも離れていても素敵な刺激を与えてくれる仲間に感謝。

 

 

 

旅の直前に購入したコンパクト一眼で撮影した1枚。

@Victoria Peak

07:13 | yuta | 「自分で決めたから」 はコメントを受け付けていません

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