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ついにこの日がきてしまった。
今まであえて避けてきた、
日本の大きな問題について語らなくてはならないこの日が。
事件はスーツを着た大人たちが、ゾンビのように歩き回る、
新橋の深い時間に起きた。
そう、普段は会社に飼われていることを示すための首輪を、
はちまきのように頭に巻き、顔を真っ赤にし、
大きな声で「自由」を主張している。
その勢いは、昼間の姿からは想像もつかない。
ただ、早く気づいてほしいことがある。
あなたが自由を勝ち取る相手は、目の前の郵便ポストではないということ。
しかしそんなことは、親のまた親の時代から変わらない話だろう。
私がここで話したいことは、そんな繰り返される歴史ではない。
粉雪が舞う街中で、歴史が繰り返されているさなか、
あるつけ麺屋に入ったときのことだ。
暖まりたい一心でラーメン大盛りを頼むと驚愕の事件が起きた。
なんと、ラーメンの大盛りには追加料金がかかると言うのだ。
もう、驚きが隠せない。
つけ麺は並盛り、中盛り、大盛りと同じ料金で選べる。
しかし、なぜラーメンの大盛りは別料金なのか。
そもそも、つけ麺とはなんなんだ。
麺と汁を分けるという極悪非道な行為。
もしそれが人間だとしたら、心と身体を分けるようなものではないか。
はたまた茶碗蒸しだとしたら、海老や銀杏などを別皿に用意し、
ただのプリンみたいなものにくぐらせて食べることになる。
そんなことがあっていいのだろうか。
人間や茶碗蒸しが比較対象外というのであれば、同系食物の蕎麦。
温かい汁につかった蕎麦もあれば、
ざる蕎麦のように汁につけて食べるものもある。
そう思うと、一見つけ麺と同じように思われるが、
それは初めて上京してきた人が、
東京メトロと都営地下鉄の違いに気づかない現象と同じだ。
そこには似て非なるものがある。
ざる蕎麦は、冷たい麺を冷たい汁につけておもいっきり吸いこむ。
とにかく冷たい麺が食べたいときの、苦肉の策なのだ。
それに対して、つけ麺はどうだ。
熱いつけ汁に、冷たい麺。
もうなにがしたいのか意味がわからない。
予想通り途中から、汁も冷めてしまう。
このつけ麺文化というものには本当に理解に苦しむ。
名古屋発祥だと誇り高く主張しながら、
『台湾ラーメン』と名付けられたご当地グルメくらい理解出来ない。
だから、最後にズバリ言わせて頂きたい。
「そんなつけ麺が私は大好きです。」
世の中理屈じゃない。
つけ麺屋に入ってラーメンを食べようという倫理に反する行為に反省し、
結局、大人しくつけ麺大盛りを食べたことは言うまでもない。
そして食べ終わり、店を出て痛感した。
目の前で郵便ポストと肩を組んでいる中年男性はとても誇らしげであった。
やはり、世の中理屈じゃない。