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(前回の「夏休み」のつづき)
香港の中環(セントラル)駅で待っていたのは、
現在CAとして世界を飛び回っている、大学の同期。
大学を卒業して医療機器メーカーに勤めた彼女は、
3年弱で会社を辞め、一念発起でCAになった。
現在、香港をベースに仕事をしている。
前職では担当していた営業に適性を感じられず、
小さい頃からの夢に挑戦しようと決意をしたのが、
入社3年目の夏だった。
それまで仕事だけでも大変な毎日だった彼女。
しかし、次の理想の姿を描いてからは、
仕事後に英語を勉強し、土日はCAセミナーに通うため、
職場の富山から京都を往復した。
前職は仕事だけでも大変な毎日だったにも関わらず、
空いている時間をすべて次のステップのために彼女は費やした。
そんな現在に至る過程を聞き終わる前に、思わずつい聞いてしまった。
−− なぜそんなにがんばれたのか。
「自分で決めたから」
人にやれと言われていたらやめていたかもしれないけど、
自分でやりたいと思って決めたから、やめるわけにはいかなかった。
平然と答えた彼女。
飾る感じもなく自然と出てきた言葉は、
すっーと身体に染み渡った。
「親が勝手に…」
「本当はやりたくなかった…」
人に言われたことにはいくら言い訳出来ても、
自分で決めたことには、言い訳は出来ない。
それは自分を否定することになってしまうから。
だから“自分で決める” ということはとても恐いこと。
でも自分で決めたことを大切に出来れば、自分を大切に出来る。
そして自分の理想とする姿を手にすることが出来るのだろう。
仕事も宿題も勝手に与えられる、それが日本の会社や学校。
そんな中にいると〝自分で決める〟という作業を怠ってしまう。
すると自然と判断基準も他人任せ。
それはある意味楽であり、ある意味辛い。
“自分で決める”
彼女のように高い目標を決めることはもちろんだが、
低い目標を決めることだって、あっていいと思う。
周りから与えられたノルマや目標など、
判断基準を人にゆだねてストレスを感じるくらいなら、
自分で決めた目標を達成出来ればいいやって思えば良いのではないか。
たとえそれが人に与えられた基準や目標より低くても。
それは“妥協”ではなく、“決断”。
人によっては“妥協”と言うかもしれないが、
“決断”を放棄してストレスを感じるくらいなら、
“妥協”という“ 決断 = 勇気 ”を持って生きた方が
自分らしく生きられるのではないだろうか。
与えられた中で生きていくのは楽かもしれないし、
それで満足出来ればそれで良いと思う。
でも、それが辛いと思ったときに、
“自分で決める”という思考回路を、
いつでも取り戻せるようにはしておきたい。
“自分で決める”という行為は、
自分を高めるだけでなく、自分を守ることにもなる。
超えられるかわからない高い目標も、
なれるかわからない将来の理想像も、
自分で決めたなら大切に出来る。
たとえ理不尽な要求や判断を周りにされたとしても、
“自分で決める”ことで、自分を守ることが出来る。
自分で決めて、自分の足で歩けば、
その道のりは糧となり、人生を濃く味わい深いものとし、
魅力的な人間へと導いてくれるだろう。
もう一度、自分の頭と身体を取り戻そう。
そう思うことが出来た刺激的な旅となった。
いつも離れていても素敵な刺激を与えてくれる仲間に感謝。
旅の直前に購入したコンパクト一眼で撮影した1枚。
@Victoria Peak