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2012/03/09

東日本大震災から1年。『絆』を考える1年となりました。

人の力ではどうやっても抵抗することのできない天災の脅威を多くの日本人がはっきりと認識することになったわけですが、それは、人の命がとても儚いものであり、いつか訪れる「死」という現実を直視するきっかけにもなりました。

いつ、どこで、どのように、人は死を迎えるのかはわからないということ。

必ずしも自分の愛する人やかけがえのない家族・仲間に看取ってもらえるとは限らないということ。

突然に「死」という孤独の瞬間を迎える可能性が誰にでもあるという現実は、人と人との絆を再確認しようとする行動に人々を駆り立てました。

夫婦の絆、家族の絆、恋人の絆、友人の絆、仲間の絆…等々、自分自身を取り巻く様々な絆をより強固なものにしたいと願う人が増えるようになりました。

レインボーサポートネットにも、恋人との関係をより強固なものにしたいので、パートナーシップ契約を結びたいとか、養子縁組の手続きをしたい、結婚式をするので結婚誓約書を作成して欲しいなどの相談やご依頼が多く寄せられました。

この1年間は、そうした恋人との関係をより強固なものにするための相談や手続きの依頼が例年の2倍近くにもなりました。逆に、恋人との関係を清算したいといった相談は減少しました。

人が人を想う気持ちというのは、とても尊いことだと思います。自分のためだけではなく、自分の愛する人のために万が一の事態に備えておこうという行動は、それ自体が愛情であるとも言えるでしょう。

「備えあれば憂いなし」と言いますが、いわゆる『終活』や『老いじたく』は、セクシャリティを問わず重要な事です。

日頃は滅多に考えない自分の死について、私たちは1年前の大災害を教訓に現実問題として考えるきっかけを得たのです。

いずれは終わりの来る人生だから、今出来ることは、今しておかないといけない。最期のその時に後悔しないために、生きていられるうちに何ができるかを真剣に考えなければなりません。

刹那的に生きている多くのLGBTの中には、東日本大震災を経験したり、目の当たりにしたりすることで、生き方が変わった方が少なくありません。

12:01 | nakahashi | 震災後1年の変化 はコメントを受け付けていません
2012/02/24

今回は、ゲイのノブさん(41歳・仮名)と中橋の対談です。

中「ノブさんは、海外でゲイリブ活動に携わっておられるそうですが、具体的にどのような活動をされているのですか?」

ノブ「私はアメリカの某都市で暮らしているのですが、その街にあるゲイコミュニティのスタッフとしてボランティア活動をしながら、セクシャルマイノリティの権利向上のための政治的なアクションに加わったりしています。具体的には、政治家や役所に対する陳情や請願などの取りまとめとか、各種のアンケート調査の実施、会合のセッティングなどです」

中「忙しく活動されているようですが、そういう活動をするきっかけは何だったのですか?」

ノブ「きっかけは大した事ないので恥ずかしいのですが、彼氏がそういう活動をしている人で、その活動を手伝っているうちに、のめり込んでいくようになりました(笑)」

中「日本ではゲイリブ活動に参加したことはあるのですか?」

ノブ「ありません。私は大学生の時からアメリカで過ごしていまして、19歳から現在まで基本的にアメリカ生活です。日本へは年に1回帰国すればよい方ですから(焦) 日本のゲイリブについてはよく知りません」

中「日本でも、パレードが行われたり、LGBTについて啓発するようなイベントが行われたりはしていますが、ノブさんの話に出てくるような、強力に組織立った感じではまだないような気がします。政治でも、国政レベルではまだまだでしょうね」

ノブ「アメリカは、宗教上の理由もあって、ゲイはバッシングされやすい立場にあります。だから、自分たちできちんと集団を作っていないと、身が持たないというか、仲間意識が強いような気がします」

中「意外ですね。アメリカでは、セクシャルマイノリティに対する世間の受入れは良いのではないかと思っていましたが…」

ノブ「もちろん、偏見のない人もいます。でも、アンチが非常に多いのも特徴です。徹底して嫌ってきますね。いくら説明しても理解を求めても、宗教上の理由だとか言われたらお手上げですしね」

中「確かに日本では、あまり宗教上の理由でセクシャルマイノリティが差別される事は少ない気がします」

ノブ「日本のLGBTの皆さんは、それは差別を受けることも多々あるのかもしれませんが、ある意味で欧米よりも過ごしやすい環境にいるのではないでしょうか?」

中「バッシングの程度でいうと、欧米の過激なバッシングや宗教的な疎外度で比べれば、日本はLGBTに寛容な国かもしれませんね。意外な再発見ですが。。」

ノブ「ぬる~い感じですかね。だから現状でもイイヤっていう当事者も多いのではないですか?それが結局、日本でゲイリブが活発にならない理由かもしれません」

中「いわゆる抵抗とか反発とか、そういうニュアンスが根底にあって、権利擁護運動というのは発生するものだと思います。だとしたら、その抵抗や反発のさらに根底にある疎外感や孤独感といった負の感情がさほど強くなければ、ゲイリブの行動へと駆り立てる原動力自体が弱くなってしまうわけですね」

ノブ「そうでしょうね。人は皆、平等だから、LGBTを差別してはいけませんよ。といった教科書的な理論の理解だけでは、ゲイリブを大きく展開していくのは無理でしょう。感情的に込み上げてくるものを共有できるほどの過激な心理状態が、権利擁護運動の大きな原動力となるはずです。その点では、日本のLGBTの皆さんは、幸か不幸か恵まれた環境にいるのではないでしょうか?」

中「アメリカには、過激なゲイリブ活動の歴史がありますよね。映画MILKで描いていたような」

ノブ「そうですね。一種の闘争だったわけで、今でもその精神は続いています。日本には日本的な権利擁護運動のやり方があるのかもしれませんが、静かなる闘争に火が着く火が来ればいいですね」

中「当事者の方にも色々な意見があるので、それを集約していくのは難しいでしょうが、問題意識の共有や解決に向けたアクションを期待します」

ノブ「当事者からの社会への働きかけの方法も色々あると思いますので、日本式でそれを着実に実行していけば、きっと良い結果が期待できると思います」

中「そうですね。貴重なご意見をありがとうございました。また帰国された際には、是非お話をお聞かせ下さい」

ノブ「こちらこそ、よろしくお願いします」

12:07 | nakahashi | 日米のゲイリブ比較(ある対談・21) はコメントを受け付けていません
2012/02/10

浮気問題は、セクシャリティも既婚・未婚も問わない全人類的な問題です。

というと何だか大袈裟ですが、カップルの数だけ浮気問題はあり得るという事です。

ただ、男女のカップルは結婚という法制度があり、結婚後の浮気は不法行為として夫婦間であっても損害賠償責任を負わなければなりませんし、既婚者だと知って浮気(不倫)に応じた相手方も不法行為責任を負う事になります。犯罪というわけではないですが、民事上の不法行為として、浮気の代償を金銭で支払う必要性が出てくるということです。

さて、結婚前のカップルに関しては、道義上の責任は問われるでしょうが、自由恋愛が原則ですから、結婚の約束(婚約)をしていなければ、法的責任を問われることはありません。「そういう相手」と付き合ってしまったという自己責任のような結論になってしまいます。

ゲイやレズビアンなど、セクシャルマイノリティには法的に結婚することはできませんから、男女の自由恋愛状態と言えるでしょう。

例え、パートナー契約や同性婚(日本では法的には無理ですので、私的にという意味です)をしていたとしても、浮気を不貞行為としてパートナーに対して不法行為責任を問うのは無理でしょう。

浮気はしないという契約を交わしていれば、契約上の責任(債務不履行)を問えるのではないかと考える方もおられるかもしれません。

しかし残念ながら、いくら契約を結んでいたとしても、その内容が法的に保護する価値がある(裁判において救済する余地がある)と認められるようなものでなければ、相手方に債務不履行責任を問うのは無理なのです。

ゲイやレズビアンのカップルは、私的に結婚式を挙げていたとしても、それは法律上の夫婦とは認められません。男女の夫婦でも結婚していなければ認められない不貞行為に対する損害賠償請求権は、とてもハードルの高い権利だと言えます。契約でそれに近づけようとしても、裁判で損害賠償を命じてもらえるほどの強い権利とはならないのです。

そもそも、浮気=不貞行為は、なぜダメなのでしょうか?

そこには、道徳や倫理、家族観などが影響しています。

ゲイやレズビアンといったセクシャルマイノリティは、そうした道徳や倫理、家族観においてどのように解釈されているのでしょうか?

現在の日本の法律では、セクシャルマイノリティの存在を否定してはいないものの、想定外のままである部分が多いのが現状です。

まずは存在を認めるための法整備から行わなければなりません。

それが例えば、売春禁止法で女性の売春が禁止されているのを、いわゆる男娼も禁止するとか、強姦罪に男性の性的被害についても規定するとか、「性」の保護概念を男女の性別を問わないものに変えていかなければなりません。

想定外から、想定内への変革。それが最初の一歩と言えるでしょう。

多様なセクシャリティの認識は、男・女という二面性だけで想定し続けて来た我が国の法制度や権利の考え方を、より現代的で実態や国民のニーズに応えたものに変革していく原動力にもなり得るということです。

 

12:01 | nakahashi | 想定外から想定内へ はコメントを受け付けていません
2012/01/27

先日、ある宗教指導者が「同性婚は人類の未来にとって脅威だ」と発言し、欧米で同性婚が合法化されてきている流れに一石を投じました。

なるほど、世の中の人々が次々に同性婚していけば、少子化が進み、やがて人類は滅亡してしまうかもしれません。

そう考えると、同性婚は人類を滅亡へと向かわせる危険な制度といえるでしょう。

ん?でも、同性婚が制度化されたとしても、それを利用する事が義務付けられるわけではありませんよね。

同性婚したい人がすればいい話で、同性愛者でない人には、そもそも同性婚は関係ない話のはずです。

同性愛は趣味趣向とは異なります。好んでその道に進むのではなく、本能的に自然になるものです。

同性愛者は、同性婚制度があろうが無かろうが同性愛者であるはずです。

マイノリティが権利を獲得する時、大多数の非マイノリティの人々は自分たちの世界を侵食されるような危機感を覚えるのかもしれません。

ただ、セクシャルマイノリティに限って言えば、同性婚制度を導入したからと言って、それをヘテロセクシャル(異性愛者)が利用するわけではないので、人類存亡への脅威とはならないでしょう。

また別の観点として、「家庭」というものの基本が、結婚した男女により子供を持つことで構成されると考えて、この古来からの家庭観が同性婚により歪められてしまうという懸念を脅威と捉えているのかもしれません。

倫理や道徳は、人それぞれが人間的成長の中で独自に習得していくものです。その指針が宗教や教育であることは否定できませんが、同性愛者として生きていくことを強いられている人々をまるで忌み嫌うように突き放すような考え方は真の人類愛と言えるのでしょうか?

好きで異性愛者になっているわけでもなく、同性愛者になっているわけでもないのです。

それは、生まれつきのアイデンティティーと言っても良いくらい、本能的で自分の努力で変えられるようなものではありません。

ヘテロセクシャルがセクシャルマイノリティを必要以上に忌み嫌う理由に、正当なものはないような気がしてならないのです。危険や脅威は本当に存在するのでしょうか?

12:05 | nakahashi | 同性婚は人類の未来にとって脅威か? はコメントを受け付けていません
2012/01/27

先日、ある宗教指導者が「同性婚は人類の未来にとって脅威だ」と発言し、欧米で同性婚が合法化されてきている流れに一石を投じました。

なるほど、世の中の人々が次々に同性婚していけば、少子化が進み、やがて人類は滅亡してしまうかもしれません。

そう考えると、同性婚は人類を滅亡へと向かわせる危険な制度といえるでしょう。

ん?でも、同性婚が制度化されたとしても、それを利用する事が義務付けられるわけではありませんよね。

同性婚したい人がすればいい話で、同性愛者でない人には、そもそも同性婚は関係ない話のはずです。

同性愛は趣味趣向とは異なります。好んでその道に進むのではなく、本能的に自然になるものです。

同性愛者は、同性婚制度があろうが無かろうが同性愛者であるはずです。

マイノリティが権利を獲得する時、大多数の非マイノリティの人々は自分たちの世界を侵食されるような危機感を覚えるのかもしれません。

ただ、セクシャルマイノリティに限って言えば、同性婚制度を導入したからと言って、それをヘテロセクシャル(異性愛者)が利用するわけではないので、人類存亡への脅威とはならないでしょう。

また別の観点として、「家庭」というものの基本が、結婚した男女により子供を持つことで構成されると考えて、この古来からの家庭観が同性婚により歪められてしまうという懸念を脅威と捉えているのかもしれません。

倫理や道徳は、人それぞれが人間的成長の中で独自に習得していくものです。その指針が宗教や教育であることは否定できませんが、同性愛者として生きていくことを強いられている人々をまるで忌み嫌うように突き放すような考え方は真の人類愛と言えるのでしょうか?

好きで異性愛者になっているわけでもなく、同性愛者になっているわけでもないのです。

それは、生まれつきのアイデンティティーと言っても良いくらい、本能的で自分の努力で変えられるようなものではありません。

ヘテロセクシャルがセクシャルマイノリティを必要以上に忌み嫌う理由に、正当なものはないような気がしてならないのです。危険や脅威は本当に存在するのでしょうか?

12:05 | nakahashi | 同性婚は人類の未来にとって脅威か? はコメントを受け付けていません
2012/01/27

先日、ある宗教指導者が「同性婚は人類の未来にとって脅威だ」と発言し、欧米で同性婚が合法化されてきている流れに一石を投じました。

なるほど、世の中の人々が次々に同性婚していけば、少子化が進み、やがて人類は滅亡してしまうかもしれません。

そう考えると、同性婚は人類を滅亡へと向かわせる危険な制度といえるでしょう。

ん?でも、同性婚が制度化されたとしても、それを利用する事が義務付けられるわけではありませんよね。

同性婚したい人がすればいい話で、同性愛者でない人には、そもそも同性婚は関係ない話のはずです。

同性愛は趣味趣向とは異なります。好んでその道に進むのではなく、本能的に自然になるものです。

同性愛者は、同性婚制度があろうが無かろうが同性愛者であるはずです。

マイノリティが権利を獲得する時、大多数の非マイノリティの人々は自分たちの世界を侵食されるような危機感を覚えるのかもしれません。

ただ、セクシャルマイノリティに限って言えば、同性婚制度を導入したからと言って、それをヘテロセクシャル(異性愛者)が利用するわけではないので、人類存亡への脅威とはならないでしょう。

また別の観点として、「家庭」というものの基本が、結婚した男女により子供を持つことで構成されると考えて、この古来からの家庭観が同性婚により歪められてしまうという懸念を脅威と捉えているのかもしれません。

倫理や道徳は、人それぞれが人間的成長の中で独自に習得していくものです。その指針が宗教や教育であることは否定できませんが、同性愛者として生きていくことを強いられている人々をまるで忌み嫌うように突き放すような考え方は真の人類愛と言えるのでしょうか?

好きで異性愛者になっているわけでもなく、同性愛者になっているわけでもないのです。

それは、生まれつきのアイデンティティーと言っても良いくらい、本能的で自分の努力で変えられるようなものではありません。

ヘテロセクシャルがセクシャルマイノリティを必要以上に忌み嫌う理由に、正当なものはないような気がしてならないのです。危険や脅威は本当に存在するのでしょうか?

12:05 | nakahashi | 同性婚は人類の未来にとって脅威か? はコメントを受け付けていません
2012/01/13

今回は、中橋とゲイのヨシノブさん(仮名・35歳)との対談です。

中「明けましておめでとうございます。ヨシノブさんとの対談が新年1発目ですよ。今年の抱負を教えて下さい」

ヨシ「いきなりプレッシャーですね(笑) 今年は、ゲイの親友を作ろうかなと思います。。かな(笑)」

中「ゲイの世界に親友はいないのですか?」

ヨシ「仲の良い友達はいますよ。でも、親友とはちょっと違いますね。どうしてもウワベの付き合いになってしまって、楽しくは過ごせるんだけれども、どこかで境界線を引いているというか、心を完全には許せないんです。自分を守る最低限のラインを引いてしまうんですよ」

中「自分を守る最低限のラインとは何ですか?」

ヨシ「例えば、本名を名乗らないとか、実家の住所までは教えないとか、職場を教えないとか、ですね。個人情報の核心的な部分を隠してしまうんです。いわゆる源氏名で交流出来てしまう世界なんですよ。ゲイの友達って」

中「まあ、無理に本名や住所などを教える必要はないとは思いますが、そんなに警戒する理由は何ですか?」

ヨシ「ゲイって、信用できないんですよ。以前に仲良くなった友達に、住所や職場の事を教えたら、勝手に言いふらして、行きつけのゲイバーに行ったら、私の個人情報がトークのネタにされていました(焦) それでいて、その友達は、自分自身の個人情報は嘘ばかり言っていたんです。皆に全然違うプロフィールを教えていたので、何が本当なのかわからない奴でした」

中「嫌な思いをされたのですね。でも、それはたまたまの出来事ではないのですか?相手が悪かったというか…」

ヨシ「確かにそうかもしれませんが、ゲイの世界では、源氏名で友人付き合いをする事が普通ですし、最初から一定の壁を作って人づきあいを始めるんです。そういう独特の文化というか慣習に、抵抗感を覚えるんです。でもそれは、ゲイの世界で活動するには、自分を守るためにしなくてはならない最低限の防御策でもあるんです」

中「敵は味方にあり。みたいな感じですかね?」

ヨシ「大げさに言うとそうかもしれません。ゲイであるという事を世間的に大ぴらっけには出来ないので、その秘密を守るためには、同じゲイ同士であっても、個人的な情報は伏せて付き合っていきたいんです。恋愛関係になれば別ですけどね」

中「なるほど。カミングアウトをするのが容易な世の中になれば、ヨシノブさんの抱いているゲイの世界への不信感も払拭されるのかもしれませんね」

ヨシ「現実的にはなかなか難しいと思いますが、本当に心を許せる友達をゲイの世界で見つけたいと思います」

中「おそらくそれはとても大切な事だと思います。当事者の心境は、当事者しか理解できないことが多くあると思います。共に悩み、支えあえる友人を見つけて下さいね」

ヨシ「これでも少しはマシになったんですよ。以前は、自分自身がゲイであること自体を受け入れていなかったので、ゲイ自体が嫌いだったんです。ゲイのゲイ嫌いですよ(笑)」

中「それは複雑な心理状態ですね。ゲイなのにゲイが嫌いっていうことは、恋愛出来なかったのではないですか?」

ヨシ「それが、恋愛はできました。でも友達は作りたくなかったんです。自分勝手な青春時代でした(焦)」

中「その心境はどう変化したのですか?」

ヨシ「年齢を重ねると、自分自身のことが客観的に見えてきます。私も少しずつ、ゲイである自分を自分自身で受け入れることができるようになりました」

中「なるほど。人間的に成長されたのですね」

ヨシ「そんなにたいそうなものではないかもしれませんが、私はゲイの世界で生きていくんだという覚悟ができました」

中「他者との関わりを考える上で、自分自身の人間的な成長は重要な要素かもしれません。親友と呼べる人が現れる2012年であって欲しいですね」

ヨシ「はい。ありがとうございます。出来たら恋人もね(爆)」

中「ヨシノブさんにとって、幸せな2012年になるといいですね。今日はありがとうございました」

12:35 | nakahashi | ゲイのゲイ嫌い?(ある対談・20) はコメントを受け付けていません
2011/12/30

2011年最後のレインボーノートとなりました。今年もお読み頂いて誠にありがとうございました。

今年、読者の皆さんにはどのような1年となったのでしょうか?

今年は何といってもやはり、東日本大震災の記憶が大きく残りました。未だに深く残る震災の傷跡は、2011年という年を当分の間忘れられない年にしてしまいました。

「絆」という言葉が、2011年のテーマのように使われてきましたが、人の命が儚いものであるという事をあらためて実感することになった今年は、人と人との絆の大切さを否応なしに実感させられました。

レインボーサポートネットには、震災後から、同性のパートナーとの関係をより強固にするために、パートナーシップ契約の作成のご相談や遺言書作成のご相談、成年後見制度利用に関するご相談など、万が一の事態やいずれは訪れる「死」を想定した手続についての問い合わせが多くありました。

LGBTの方の中には、人との「絆」をわざと断っているような方も多くいらっしゃいます。それは、LGBTであることの「生きにくさ」を人間関係の中に持ち込むことを避けているためだと思われます。

そうした人が、今回の震災をきっかけとして、人と人とのつながりや絆に関して、考え方を変えたというケースがみられるのです。

中には、このお正月に、久しぶりに実家に帰って、セクシャリティについてカミングアウトして家族の理解を求めるという相談者もおられました。たとえ理解が得られなくても、ありのままの自分を、せめて家族には知らせてあげたいというのです。

絆の大切さを実感するという事は、ある意味、自分自身とその周囲の人との関係性を見つめ直すということでもあるのです。

「人は1人では生きてはいけない」と言いますが、それは、物理的・経済的な観点のものではなく、精神的・環境的な観点からの格言でしょう。

何につけても便利なこの時代、何でも割り切って、自分の思うままに生きていくことも可能ではありますが、そういう自分本位の生き方だけでは得ることのできないものの正体が、「絆」の中に隠されているのかもしれません。

2012年は、あらゆる人々が、自分を取り巻く数々の絆をより強固なものにして、あらゆるマイノリティに対して、どこかの絆でつながっているような社会へと発展していくことを願うばかりです。

どうぞ、良い年をお迎え下さい。来年もレインボーノートをよろしくお願い申し上げます。

01:12 | nakahashi | 2011年を振り返って はコメントを受け付けていません
2011/12/16

※今回は、性的な表現が多数ありますので、了承頂ける方のみ読み進んで下さい。

12月1日は、『世界エイズデー』でした。今年も、エイズに関する正しい理解と行動を

啓発するための様々な活動が、各地で行われました。

毎年、この時期になると、エイズで亡くなった方々の事を思い出します。(過去の記事をご参照下さい)

そしてやはり、同性間での性的接触によるエイズ感染が減らない現状に、危機感を覚えるのです。

先進国の中で唯一、我が日本だけが、新規のHIV感染者が毎年増えています。

その根本的な原因は、セーフセックスをしていない人が多いということです。

そういったリスキーな人たちが多く集まってしまう場所の一つが、有料ハッテン場です。

有料ハッテン場とは、お金を払って店舗の中に入り、店内で客同士が性行為に及ぶ所で、その様子は店内の不特定多数の客が容易に観れるような構造になっています。性的な高揚感を高めるために、設備やサービス面での工夫がなされ、その内容は年々過激になっています。

ある方は、まるで麻薬のような場所で、最初は罪悪感を感じながらも一度行くとなかなか止められず、いつしか感覚が麻痺し、次第にどんどん過激な行為にのめり込んでいくとおっしゃっていました。

こういった場所は、ゲイカルチャーの一つだから、ゲイライフには欠かせない場所であると豪語していた方もおられました。

確かに、こうした場所を利用するかしないかは自己責任の問題で、そこに通って病気になったとしても、結果責任は自分で負うしかないわけです。

もちろん、ハッテン場の中で、セーフセックスをしているから大丈夫という人もいるでしょうし、店側としては、コンドームは無料配布して、セーフセックスを啓蒙していると主張されるかもしれません。

しかし、極めてリスキーな人が集まる環境を、公衆衛生上良しとする理由にはなり得ません。

しかも、不特定多数の客同士の性行為の場所を提供するという行為は、公然わいせつ罪の幇助になるでしょうし、客自身は公然わいせつ罪に問われる事になります。

有料ハッテン場は、存在そのものが違法な施設であって、そこを利用して性行為を行うこと自体が違法行為であるということを認識して欲しいのです。意外と、これを知らない当事者が多いのです。

昨今は、違法薬物売買の温床ともなっており、ゲイカルチャーの負の要素満点な場所です。

権利を主張するなら、義務を果たさなければなりません。ゲイの皆さんは、自らを律して、自浄作用を発揮する事はできるのでしょうか?

権利擁護運動の後援者やゲイカルチャーの発信媒体が、有料ハッテン場の経営と深く関わりのある組織だとしたら、それを排除することができるのでしょうか?

日本のゲイメディアが健全な発展ができず、多くのゲイの支持を得られる事が出来ない現状があるとするなら、それはどこかに偏った業界自体に問題があるのではないでしょうか?

自律的な行動が未熟な若いゲイを守り、リスキーな人間によるHIVの拡散を防ぐためにも、警察は有料ハッテン場を摘発せよ!!

12:51 | nakahashi | 警察よ、有料ハッテン場を摘発せよ!! はコメントを受け付けていません
2011/12/02

今回はレズビアンのアヤさん(33歳・仮名)と中橋との対談です。

中「生粋のレズビアンだと自負しているアヤさん、よろしくお願いします」

ア「はい。生粋のレズビアンのアヤです。よろしくお願いします(笑)」

中「生粋のレズビアンってどういうことですか?」

ア「私は、ほぼ生まれた時から同性が好きで、異性に全く関心がありませんし、異性と性的関係を持ったことはありません。私の周りのビアンたちは、結構、男性との交際経験があったりする人が多いんですよ。だから、私は生粋のレズビアンを名乗っています(笑)」

中「生粋だと、モテるんですか?(笑)」

ア「あまり関係ないですね(焦) でも、バイセクシャル的なビアンも数多いる中で、私の存在は正統派といえるでしょう」

中「そうですか。アヤさんの中で、正統派とそうでない派があって、それを区別しながら人間関係を築いているのですね」

ア「そうです。やはり、恋人も生粋のレズビアンがいいですね。だって、男に取られて失恋するなんて嫌ですから」

中「そういう話は時々ありますね。彼女(彼氏)に彼氏(彼女)が出来たので別れを告げられたという話。同じセクシャリティの同士的な立場が一転して、裏切り者的な感覚に陥ってしまうわけですね」

ア「同じレズビアンに乗り換えられたなら、まだ救われますが、異性だと太刀打ちできませんからね。歯がゆさ倍増ですよ」

中「そういう経験をしたのですか?」

ア「まぁ・・・、そういうこともあったりしましたかね(焦)」

中「そうでしたか。それは何というかご愁傷さまでした」

ア「ずっと過去の話です(笑) 人間は傷ついて成長しますから大丈夫です」

中「前向きですね。ところで、恋人はいるのですか?」

ア「いますよ。出会って7年、交際して5年、同居して3年になる彼女がいます」

中「生粋な方ですか?」

ア「ほぼ生粋ですよ(笑)」

中「よかったですね。彼女さんとは上手くいっているのですか?」

ア「喧嘩もしますが、基本的にはラブラブですよ。でも、男女のカップルのように子供がいないのがちょっと残念です。二人とも子供好きなので」

中「子供を育てたいというゲイやレズビアンの方は多くいらっしゃいますね。でも、普通なら子供を持つ事自体が無理なので、諦めている人がほとんどでしょう」

ア「自分がお腹を痛めて産んだ新生児を、どこかに放置して捨てるような事件が時々報道されますが、ああいうニュースを見て、子供をそんな目に遭わせるのなら、私たちに預けてもらえればちゃんと育てるのにと思います」

中「そういう事件、時々ありますね。子供を欲しい人にとっては、歯がゆい事件でしょうね。皮肉なものです」

ア「自然な形で子供を持つ事が出来ないレズビアンやゲイのカップルは、やはり子供を持つ事は諦めた方がいいのでしょうか?」

中「現実的には諦めた方がよいでしょう。現在の日本では、レズビアンやゲイのカップルが子供をもつことは色々な意味で困難です。以前に異性と結婚していて、子連れで同性のパートナーと新しい生活を送っているというような事例はありましたが、特殊な例です」

ア「自然には同性同士では子供は作れませんしね。クローン技術に期待してます!」

中「生命倫理の議論はまた別の回でしましょう。今回はこの辺で。ありがとうございました」

ア「ありがとうございました」

12:05 | nakahashi | 生粋なレズビアン(ある対談・19) はコメントを受け付けていません

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