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浮気問題は、セクシャリティも既婚・未婚も問わない全人類的な問題です。
というと何だか大袈裟ですが、カップルの数だけ浮気問題はあり得るという事です。
ただ、男女のカップルは結婚という法制度があり、結婚後の浮気は不法行為として夫婦間であっても損害賠償責任を負わなければなりませんし、既婚者だと知って浮気(不倫)に応じた相手方も不法行為責任を負う事になります。犯罪というわけではないですが、民事上の不法行為として、浮気の代償を金銭で支払う必要性が出てくるということです。
さて、結婚前のカップルに関しては、道義上の責任は問われるでしょうが、自由恋愛が原則ですから、結婚の約束(婚約)をしていなければ、法的責任を問われることはありません。「そういう相手」と付き合ってしまったという自己責任のような結論になってしまいます。
ゲイやレズビアンなど、セクシャルマイノリティには法的に結婚することはできませんから、男女の自由恋愛状態と言えるでしょう。
例え、パートナー契約や同性婚(日本では法的には無理ですので、私的にという意味です)をしていたとしても、浮気を不貞行為としてパートナーに対して不法行為責任を問うのは無理でしょう。
浮気はしないという契約を交わしていれば、契約上の責任(債務不履行)を問えるのではないかと考える方もおられるかもしれません。
しかし残念ながら、いくら契約を結んでいたとしても、その内容が法的に保護する価値がある(裁判において救済する余地がある)と認められるようなものでなければ、相手方に債務不履行責任を問うのは無理なのです。
ゲイやレズビアンのカップルは、私的に結婚式を挙げていたとしても、それは法律上の夫婦とは認められません。男女の夫婦でも結婚していなければ認められない不貞行為に対する損害賠償請求権は、とてもハードルの高い権利だと言えます。契約でそれに近づけようとしても、裁判で損害賠償を命じてもらえるほどの強い権利とはならないのです。
そもそも、浮気=不貞行為は、なぜダメなのでしょうか?
そこには、道徳や倫理、家族観などが影響しています。
ゲイやレズビアンといったセクシャルマイノリティは、そうした道徳や倫理、家族観においてどのように解釈されているのでしょうか?
現在の日本の法律では、セクシャルマイノリティの存在を否定してはいないものの、想定外のままである部分が多いのが現状です。
まずは存在を認めるための法整備から行わなければなりません。
それが例えば、売春禁止法で女性の売春が禁止されているのを、いわゆる男娼も禁止するとか、強姦罪に男性の性的被害についても規定するとか、「性」の保護概念を男女の性別を問わないものに変えていかなければなりません。
想定外から、想定内への変革。それが最初の一歩と言えるでしょう。
多様なセクシャリティの認識は、男・女という二面性だけで想定し続けて来た我が国の法制度や権利の考え方を、より現代的で実態や国民のニーズに応えたものに変革していく原動力にもなり得るということです。