今日は中国旧正月の大晦日。
マレーシアで一番勤勉でお休みを取らない中国人が唯一みんなお休みする旧正月。
街中赤だらけ。
さすがに今日は日本で言う大晦日なので、中国人が少なくて街は少し静か。
近隣の国では、ほとんどのお店が閉まってしまうようだけど、マレーシアは意外にも開いてるお店が結構ある。
多民族国家のこの国はよくできていて、中国人がお休みの時はマレー人とインド人が働く。
とは言え、学校は民族に関わらずどこもお休みなのでここから1週間のバカンス。
みんながどこかウキウキしている様子がして、私まで関係ないのにウキウキしちゃう。
大晦日の今日は、家族で揃ってご飯を食べて、爆竹と花火で盛大に祝う。
明日から20日間ほど、街中のショッピングモールやコンドミニアムでは獅子舞のダンスが繰り広げられる。
賑やかを通り越して、耳が痛いくらいに騒がしい数日間がやってくる。
多民族国家ならではの騒がしさ。私はたまらなく好きだっ。
マレー人の友達と久しぶりに会って、開口一番言われたこと。
「Tomoko、イスラム教嫌いにならないでね。本当にごめんなさい。」
あまりにも唐突で驚きすぎて、どんな顔をしたかすら覚えてない。
「??なにかあった?」って返したら、「ISILによる悲しいニュースを目にして、同じイスラム教徒として恥ずかしかったし、怒りが湧いてきたし、申し訳ない気持ちでいっぱいになったから。」って話してくれた。
マレーシアに住むようになって、宗教や人種というものについて考えさせられることが多くなった。
この国には、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、キリスト教が恐ろしく自然に根付いていて、みんながそれぞれの宗教を肯定もしなければ批判もしない。
ある意味、絶妙な距離感を持ってお互いがお互いを邪魔しないように生きている感じがする。
それはこの国に住む多民族多国籍な人種構成にも言えることで、マレー人、インド人、中国人、欧米人、韓国人、日本人、インドネシア人、その他の出稼ぎ労働者の人たち・・・みんながそれぞれのアイデンティティを守りながら、絶妙な距離を持って生活している。
アメリカなんかでもそうだけど、人種や宗教は現実的には決して融合しているわけではなくて、ただ共存しているだけなんじゃないかと思う。
お互いがお互いを邪魔しないように距離を持って、それぞれの価値観や信仰を大切に生きている。
そして、肯定もしないし批判もしない。
たぶんマレーシアに存在する多民族の平和さは、きっとこの共存ゆえの平和さなんだろう。
世界には沢山の宗教があるけれど、キリスト教もイスラム教も仏教も他の宗教も、時代と共に派生してそれぞれの宗派にわかれていった歴史がある。
それはまるで細胞分裂のようで、生物であれば必然としかいいようがない出来事なんじゃないかと思う。
悲しいニュースを見ながら、もっともっと宗教やそこにある歴史を知らなきゃいけないと思ったし、イスラム教全部が危険で恐ろしいという誤解が広がらないで欲しいと心から思った。
先週、マレーシアではヒンドゥー教徒のお祭り「タイプーサム」が行われました。
きっと世界でもこんなに過激で痛いお祭りって珍しいんじゃないかと思います。
ヒンドゥー教の国インドでは危険過ぎるためこのお祭りを禁止しているほどの痛いお祭り「タイプーサム」
どんなお祭りかと言うと、苦行をすることで神を崇拝することを目的として、体中に太い針というか串を刺しながら歩くというもの。
数ヶ月前から断食をし、ココナッツを割って身体を清め、散発をして、当日頬や舌、背中など体中に太い鉄の串を刺して歩くこのお祭り。
インドで禁止されているということで、このお祭りを実施しているシンガポールやマレーシアには他の国からお祭りに参加するヒンドゥー教徒が沢山います。
お祭りに参加する人たちは、夜通し8~10時間ほど鉄の串を刺した状態で寺院まで歩き、針のサンダルを履いて寺院の長い階段を登りお参りをします。
もうこの鉄の串を刺している姿が痛すぎて、実は私は写真を撮るのを忘れてしまいました。
刺激が強すぎるこの串刺しの様子を見てみたい方は、ぜひ「タイプーサム」と検索してみてください。
200万人が参加すると言われるこの痛すぎるお祭り。
ここはインド?っと思うほど、インド人だらけのマレーシアでした。
このお祭りが終わると、街は一気にチャイニーズニューイヤーになります。
っというわけで、ただ今マレーシアは街中が赤一色に包まれています。
次回はチャイニーズニューイヤーについて書こうと思います。
マレー語の先生がテレビで日本の少子化についての番組を見たらしい。
少子化とは無縁なマレーシア人には考えられない社会現象らしくて、「いったい何が原因なの?」っと先生は興味津々。
マレー人は、5人兄弟というのも全然珍しくなく、第二夫人がいる方なんかは10人くらい子供がいたりする。
マレーシアは女性の社会進出も進んでいて、女性の管理職・経営者率は日本の倍以上。
だから働きながら子供を育てるワーキングマザーは当たり前。
しかも驚くことに、産休は2ヶ月ほど。
臨月まで働いて、産前1ヶ月、産後1ヶ月休んで復帰するのが当たり前。
「日本は産休の制度が整っているのにどうしてみんな子供を産まないの?」とマレー人の先生は不思議そうでした。
マレーシアは、高校まで学校無料、医療費無料ということもあって、経済的な理由による少子化には全く無縁。
出産しても働くのは当たり前で、仕事や育児環境の理由による少子化にも無縁。
だからマレー人には少子化という社会現象が全然理解できないんだとか。。
インド人や中国人は、子供の教育に力を注ぐために子供の数が少ないそうで、マレーシアのインド人や中国人は日本の少子化という社会現象は理解できるらしい。
どこにいっても子供だらけのマレーシア。
ホテルやレストランでも誰もが子供に優しいマレーシア。
経済的には日本よりもまだまだ遅れているけれど、出産や子育てでは日本よりも先進的。
次回はマレーシアの出産医療事情を書こうと思います。
明けましておめでとうございます。
日本は今日から仕事初めでしょうか。
南国マレーシアは、中国の旧正月がメインなので、1月1日のみお休みということでお正月感はゼロです。
私はというと、お隣タイのプーケットでの年越しでした。
今年は、マレーシアでの出産も控えており、海外での妊娠生活、出産、子育てについても書いていけたらと思っています。
本年もどうぞよろしくお願いします。
南国マレーシアにもクリスマスらしさがやってきた。
景気が上向きのマレーシアは、ショッピングモールの飾りもド派手。
ショッピングモールの中に観覧車やメリーゴーランドが設営されて、みんなクリスマス気分でウキウキ。
ASEAN諸国の中でも多民族国家のマレーシア。
国が宗教としてイスラム教を定めているマレーシア。
そんなマレーシアなのに、他の宗教に寛大だということが面白い。
他のイスラム国家と比べると驚くほど他の宗教に寛容なこの国。
長い歴史の中で、幾度となく宗教間で争いをしてきた世界の中で、こんなにも他の宗教に寛大なイスラム国家があるのだろうかと思ってしまう。
頭をスカーフで覆ったイスラム教徒の女性たちが、楽しそうにクリスマスツリーの前で写真を撮っている姿を見ながら、宗教の垣根について考えた。
宗教の垣根は、たぶん小さな頃からの教育によるものだと思う。
キリスト教徒だったら、小さな頃から日曜日に教会に行く。
イスラム教徒だったら、小さな頃から一日5回のお祈りをする。
仏教徒だったら、お寺に行って手を合わせる。
ヒンドゥー教徒だったら、寺院に行ったりその家ごとに信仰する女神を崇める。
無宗教という日本人でも、小さい頃から当たり前のように頂きますの時には手を合わせるし、お正月には神社に行くし、年上を敬うという儒教的な価値概念を教え込まれる。
日々目にするニュースでも、宗教の垣根は生まれていく。
日本は、「イスラム国」という呼称で、あるイスラム一派の暴力的な悲惨な出来事を報道する。
そうして知らないうちに、イスラム教=恐ろしいという概念が出来上がって宗教の垣根が生まれていく。
いくら宗教に寛容なマレーシアでも、やはり宗教の垣根は存在する。
それぞれの民族はそれぞれのコミュニティを築き、それぞれの宗教を大切にしながら生きているという点では見えない垣根は日々の中に確実に存在している。
でも宗教の違いということをそれぞれが受け入れているという点が他の国と違うのかもしれない。
批判的に見れば、他の宗教に関わらないように距離感を保っているということかもしれないけれど、それでもやはりその距離感こそが寛容さなんだと思う。
マレーシアの人たちは、自分と違う宗教のお祭りも楽しむという寛大さがある。
だから、キリスト教徒のお祝いであるクリスマスもしっかり楽しむし、仏教徒のお正月もしっかり楽しむ。
肌の色、言葉、宗教、文化が違うということが当たり前の日々の中にあって、その違いを無くして一緒にしようと思わない寛大さ。
そのマインドが、この国のごちゃごちゃ感を生んでいるし、この国の面白さを生んでいるのかもしれない。
1ヶ月の日本旅行から帰ってきたアメリカ人の友人。
友達のお土産話を聞こうということになって、いつものインターナショナルなメンバーで集まった。
この日はそれぞれの国の定番のピクニックお弁当を持ち寄ろうということだったけど、雨季のマレーシア。
朝からスコールの予感がしたので、結局インド人の友人宅でベジタリアンインド料理会。
友人からは日本食手作り会にしようと発案があったけど、ベジタリアンがいるのでお野菜だけで作る日本食が思いつかなくて申し訳なかったな。
魚・お肉はダメ、魚の出汁もダメ、卵もダメ・・・定番の日本食しか作らない日本人にはベジタリアン向け日本食のメニューって思い浮かばないものです。
インド人直伝のビリヤニはそれはそれは美味しくて、今までレストランで食べていたビリヤニなんて目じゃないくらいに美味しかった!
ベジタリアンチキンという豆から作られたチキンもどきのカレーも美味しくて、一同感動!
美味しい料理を食べながら、話は日本旅行の思い出話。
彼女は毎年1ヶ月ほど日本に行くほど日本が大好き。
何度も日本に行っているけれど、やっぱり今回も感動だらけだったそう。
私の紹介でベジタリアンを受け入れてくれる箱根の旅館に泊まった彼女。
小鉢で出てくる夕食に相当驚いたらしくて、品数をカウントしながら食べたらしい。
「15種類だよ!15種類もお皿が出てくるんだよ。ベジタリアンじゃない夫のお膳と私のお膳はメニューも違っていて、しかも数種類づつサーブされるんだよ!」
大興奮でみんなに語る様子を見て、日本人の私は何だかとてもくすぐったい感じがした。
温泉にも初挑戦らしく、火山によって熱せられたお湯に入ったんだって話してて面白かった。
大涌谷で温泉卵にも挑戦したらしく(本当は卵を食べないベジタリアンだけど、どうしても食べたくて食べてしまったらしい)、ボルケーノの熱で卵を茹でて、真っ黒な卵を食べるんだよ!ってこれまた大興奮。
1ヶ月、のんびりと大阪・京都・箱根・東京と旅してきた彼女。
今回の驚きや発見は何?っていう話題で一同大盛り上がり。
「日本のトイレってどうしてあんなにキレイなの?」
「日本のトイレって、いっぱいボタンがあって、初めて入るとしばらく興奮して出てこれないよね?」
「日本のトイレって、自動で蓋が開いたり閉じたりするんだよ!?そこまでオートマティックを追求するのってスゴイよね」
っとしばらくトイレの話が続き・・・
話は日本人のマナーの良さについて・・・
彼女が朝の新宿駅で見た様子を語りだしたら、他のみんなも興味津々。
「今回朝のラッシュの時間に、新宿駅に撮影に行ったの!日本のラッシュが見てみたくて。そしたら、ドアが閉まらないくらい人が電車に乗っていてビックリした。それにあんなに混んでるのに、みんなキレイに2列に並ぶんだよ。信じられる?」
「それから、時間ピッタリに電車がやって来るの。1分遅れたらごめんなさいってアナウンスが流れて思わず笑っちゃった。1分だよ!1分でも遅れたら謝らなきゃいけないんだよ。」
「それからね、あんなに混んでてみんな忙しそうなのに、駅のホームで立ってたら駅員さんが大丈夫ですか?って声かけてくれたんだよ。普通しないよね?忙しいんだから。。それにね、駅員さん電車に向かってお辞儀してたよ。誰も見てないし、忙しいのに、そんな時にも礼を重んじるのが日本人なんだよね。」
ここから話は盛り上がって、日本の朝のラッシュの映像を検索し出すフランス人。
こんなに混んでて、みんな辛そうなのに、それでも遅れずに頑張って電車に乗って会社に行くという日本人の真面目さがみんな信じられないみたいで、しばし笑ったり感心したり・・・。
「日本人ってどうしてあんなにキレイな列を作れるの?どこかで習うの?」というインド人の質問に・・・
「日本人は小学生の頃に、前に習えっていう動作を教えられるんだよ。前の人に基準を合わせて、自分が前の人と同じ位置に並んでいるのか確認する練習を何度もやるんだよ。」って教えたら、一同大爆笑!!!!
「何それーーーー!?何のためにするの?将来通勤電車で並ぶため?」っと聞かれて困ってしまった(笑)
「ついでにお辞儀の仕方も習うんだよ。」って言ったら、これまた大爆笑!!!!
「それも何のため?将来お店とか仕事とかで頭下げるために習うの?」っと言うではないか。。
謝ったら負けというアメリカ人からは到底考えられない教育らしい。
日本のデパートの店員さんの礼儀正しさとラッピングの凄さにも感動したらしい。
「新宿の伊勢丹に行ったの。そしたら恐ろしくゴージャスで、しかもブルジョワ階級とかじゃなくて、普通の人が普通にそこで買い物してるんだよ。」
「洋服買ったら、店員さんがすごーーーくキレイに洋服畳んで、薄い紙に包んで、さらに箱に入れて、さらにショッピングバッグに入れてくれるんだよ。」
「しかもね、よくわからないんだけど、狭い店内の入り口までそのショッピングバッグ持ってついてくるの。それで丁寧にお辞儀してありがとうって言ってくれるんだよ。高級ブランドとか買ってるわけじゃないのに、セレブになった気分だったよ」
これには、ベトナム人が大興奮で、彼女も日本に行った時に店員さんの丁寧な態度を見て驚いたそうだ。
コンビニの店員さんまでもが頭下げてくるんだよって言う話でしばし盛り上がる。
マレーシアだったら、どんなに長い行列が出来ていても、レジのスタッフが急ぐことはないし、スタッフ同士のおしゃべりだって止めない。
「ねー、急いでるんだ。レジやってくれない?」って言おうものなら、露骨に嫌な顔して、ふてくされてのんびりレジを打ち始める。
頭を下げられることなんて絶対ないし、買った商品が壊れていてクレーム言っても「何で確認して買わなかったの?」って怒られる。
そういう文化になれてしまったら、日本の接客のクオリティにはただただ感動するらしい。
私の友達は日本大好きということもあるけれど、日本の素晴らしさについて語りだすと収拾がつかない。
何度も旅しているアメリカン人は、やっぱり来年も日本に行くという。
そして日本に行きたくて仕方がないインド人は、来年こそは絶対に日本旅行をするんだと言う。
異国の地で、こんなにも日本に興味を持ってくれて、日本を評価してくれる人たちと語り合えるなんて思ってなかった。
10月22日。ヒンドゥー教の新年Diwaliのお祭り。
お米を色づけして作られた装飾が街中にあって、本当にキレイな季節。
この模様が、小さなお米から作られているなんてちょっと信じられない。
作っている様子を眺めていると、根気の無い私には絶対無理だと思う。
ヒンドゥー教の女神ラクシュミーを祝うお祭りで、この女神は美と幸福を司るので女性は特に大切にしている女神なんだそう。
去年までは、ただこの装飾を眺めてキレイだなぁ~なんて思っていたけど、今年はインド人の友人にこのお祭りのことを色々聞けて少しだけこのお祭りの見方が変わった。
お祭りの日は家族で集まって儀式をして、夜はキャンドルを灯すので光のフェスティバルと呼ばれているんだそう。
ヒンドゥー教の寺院にあるような、茶色の陶器にギーやオイルを入れて作ったアルコールランプみたいなものに灯りを灯すのが一般的なんだとか。
お友達はこのお祭りをとても楽しみにしているそうで、お洋服も新調するらしい。
日本にも独特な新年の文化があるように、違った国・宗教にはそれぞれ大切な新年の儀式がある。
多民族国家ならではだなぁっと思うのは、みんな違う宗教のお祭りも尊重しているし、楽しんでいる。
マレー人の友人に「このDiwaliのお祭りの意味とか詳しい内容って知ってる?」って聞いたら、「もちろん知ってるよ!だって気になるじゃん。だからインド人の知り合いに聞いたり、習ったりして知ってるよ。」って言われた。
日本人は、クリスマスとかハロウィンとか意味も知らずに祝い事を楽しむ。
別にそれも悪いことじゃないと思うけど、違う文化や宗教を理解するという意味で、お祭りや祝い事についての正しい知識って大切だなと思う。
ハロウィンて大盛り上がりの今日、そんなことを思った。
住みたい国8年連続No.1のマレーシア。
最近、親子留学先としても人気。
キャサリン妃が通っていた英国の名門マルボロカレッジのマレーシア校があったりすることで、物価の安さ以外にも教育水準の高さも評価されるマレーシア。
私の知人も小学生の娘とお母さんとシンガポールとの国境の町ジョホールバルで親子滞在をしている。
そして首都クアラルンプールでも、親子留学を検討している親子と見られる下見ツアーの団体を見かける。
先日たまたま声をかけられて、親子留学を検討している親子にマレーシアで住むメリットについて聞かれた。
私はただの駐在員なので、留学としての良さというのは正直わからない。
私が通っている英語の語学学校や中国語の学校に来ている短期留学の若者たちを見て思うことは・・・
・生活費が安い
・教育費が欧米よりも安い
・多民族の友達が出来る
・英語以外の言語も当たり前に飛び交っている
ということが利点なんじゃないかと思う。
アメリカよりも多人種と会えるんじゃないかと思えるほど、マレーシアには本当に沢山の人種がいる。
特に語学学校では、中近東やロシアなど普段接することの無い国の人たちが留学生として滞在していることは子供にとって意味があると思う。
実際私も、シリア・イラクなどの戦争をしている国の友達に出会うことが出来て、世界の見方や平和に対する思い、宗教に対する偏見など沢山の学びがあった。
英語の語学学校の先生にこんなことを言われた。
「マレーシアは沢山の人種が学びにくることで、多くのアクセントの違いを知ることが出来て、国際的な場で働く際に大きな意味を持つことになると思う。世界には英語がネイティブな人はわずが5,6%しかいないのだから、非ネイティブの人たちが持つ訛りに慣れておくというのは実は意味があることなんだと思う」
もしかしたら、こうした一見マイナスなポイントも良い学びになるのかもしれない。
小さい頃から多人種の人たちと触れ合うというのは、グローバル化が進む現代においては大きなメリットになる気がする。
肌の色、宗教、言語が違っても、みんな心は同じだし、楽しいことは楽しいし、悲しいことは悲しいんだという当たり前のことを子供のうちから学べるのは素晴らしい体験になるんじゃないかと思う。
私も子供が生まれ、機会があったらマレーシアに親子留学に来たいと思ったりする。
ただ、親子留学の場合、どうしても親の熱意が強くて、子供の熱意とのギャップがある場合が多い気がする。
親は自分が出来なかったことをさせてあげたいと思って熱心になるけれど、学ぶのは子供自身。
子供にその熱意がなければ、きっとお金と時間の無駄だ。
実際私も学校で、裕福な家庭の子供が親に無理やり送り込まれてやってきたケースを見てきた。
彼らは裕福な家庭のため、親が苦労して留学させてくれているという気持ちもないし、一生懸命学んで将来仕事に役立てようという熱意もない。
ただ学校に来て、その時間をやり過ごし、同じような環境の友達と遊び、ずるずると留学期間を延ばし、贅沢な暮らしをし(彼らの多くは高級ホテルに1年間も滞在しているor親が所有している高級物件に住んでいる)、ただ楽しいことだけを目的に生活している。
なんとも贅沢で羨ましい限りだけれど、親の立場になってみると本当にもったいない。
そしてもう一つ、小さい頃から留学している子供達を見ていて不安なのは、母国語や母国の文化を知らないで育つということ。
私の知人のお子さんも、英語はネイティブ並だけど、日本語がたどたどしく、書くこともままならないんだそう。
将来、日本に戻らずに国際人として英語のみで生きていく場合には支障はないけれど、いざ日本に戻って生活したり、国際社会の中で日本人というアイデンティティを抱えながら生きていく場合にはきっと悩むことが多くなってくる。
親子留学が熱いマレーシアでそんなことを思った。
先日、マレーシアは犠牲祭(イード・アル・アドハ)と呼ばれるイスラム教徒の祝いの日があった。
メッカ巡礼の最終日とされるこの日、生贄を捧げて無事に巡礼が終わることを祝う。
生贄を捧げることから日本語では犠牲祭と呼ばれているイード・アル・アドハ。
もちろん、本当に生贄を捧げる。
ラクダ、牛、ヤギなどがモスクで儀式に沿って生贄となるこの祝いの日。
生贄という文化が失われた日本人にとっては、少々過激的なこの日。
グロテスクなので、モスクで見かける写真をアップするのは控えますが・・・
街中でも血だらけの牛の足を男性3人が抱えて家に入る姿を見かけたり、私には刺激的な光景。
イスラム教徒はこの祝いの日を大切にしているそう。
ラクダが一番高価で、一般的に牛が生贄とされるこの祝い。
マレーシアはヒンドゥー教徒もいるため、ヒンドゥー教徒にとって神聖とされる牛を生贄にするというのはこれまた何とも複雑で刺激的。
日本人にとって牛一頭を購入する機会というのは、恐らく一生ないと思う。
いったいいくらくらいするんだろう??
っと疑問に思ったので、マレー人の知人に聞いてみた。
マレーシアでは、生贄として捧げる牛は一頭8~9万円ほど。
もちろん一般家庭のマレー人には月収とほとんど変わらない金額なので手が出ないんだとか。
一般家庭の人は、一頭を7人で共同購入するらしく、一人1~1.5万円ほど出して購入するそうだ。
イスラム教徒にとって、この祝いの牛を食べる行為は死後に天国に行く時に牛に乗っていけるという意味合いもあるそうで、生贄後の牛を食べる行為もとても大切なんだそう。
お金持ちの人は、牛なら20頭ほどを購入し、ほとんどを貧しい人に分け与えるんだそう。
生贄を捧げるという習慣がない日本人にとっては、沢山の牛が殺されるということだけで刺激的でただただ怖い。
けれど、生き物を捧げることの大切さを知っている彼らにとって生贄というのは、ただ生き物が殺されるということではなくて、大切な祈りであり、大切な儀式であり、神への感謝であり、貧しい人への施しであり、人間が生きているという証なのかもしれない。
その昔、人間は人間を生贄として神に捧げていたという。
今は生贄の習慣があっても、動物を生贄として神に捧げる。
生きている物を神に捧げるという行為の奥深さ。
都合の良い時にしか神頼みをしない日本人にとっては、きっと知ることの出来ない何かがそこにあるんだと思う。