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先日、マレーシアは犠牲祭(イード・アル・アドハ)と呼ばれるイスラム教徒の祝いの日があった。
メッカ巡礼の最終日とされるこの日、生贄を捧げて無事に巡礼が終わることを祝う。
生贄を捧げることから日本語では犠牲祭と呼ばれているイード・アル・アドハ。
もちろん、本当に生贄を捧げる。
ラクダ、牛、ヤギなどがモスクで儀式に沿って生贄となるこの祝いの日。
生贄という文化が失われた日本人にとっては、少々過激的なこの日。
グロテスクなので、モスクで見かける写真をアップするのは控えますが・・・
街中でも血だらけの牛の足を男性3人が抱えて家に入る姿を見かけたり、私には刺激的な光景。
イスラム教徒はこの祝いの日を大切にしているそう。
ラクダが一番高価で、一般的に牛が生贄とされるこの祝い。
マレーシアはヒンドゥー教徒もいるため、ヒンドゥー教徒にとって神聖とされる牛を生贄にするというのはこれまた何とも複雑で刺激的。
日本人にとって牛一頭を購入する機会というのは、恐らく一生ないと思う。
いったいいくらくらいするんだろう??
っと疑問に思ったので、マレー人の知人に聞いてみた。
マレーシアでは、生贄として捧げる牛は一頭8~9万円ほど。
もちろん一般家庭のマレー人には月収とほとんど変わらない金額なので手が出ないんだとか。
一般家庭の人は、一頭を7人で共同購入するらしく、一人1~1.5万円ほど出して購入するそうだ。
イスラム教徒にとって、この祝いの牛を食べる行為は死後に天国に行く時に牛に乗っていけるという意味合いもあるそうで、生贄後の牛を食べる行為もとても大切なんだそう。
お金持ちの人は、牛なら20頭ほどを購入し、ほとんどを貧しい人に分け与えるんだそう。
生贄を捧げるという習慣がない日本人にとっては、沢山の牛が殺されるということだけで刺激的でただただ怖い。
けれど、生き物を捧げることの大切さを知っている彼らにとって生贄というのは、ただ生き物が殺されるということではなくて、大切な祈りであり、大切な儀式であり、神への感謝であり、貧しい人への施しであり、人間が生きているという証なのかもしれない。
その昔、人間は人間を生贄として神に捧げていたという。
今は生贄の習慣があっても、動物を生贄として神に捧げる。
生きている物を神に捧げるという行為の奥深さ。
都合の良い時にしか神頼みをしない日本人にとっては、きっと知ることの出来ない何かがそこにあるんだと思う。