こんばんは、酒井孝祥です。
前回、次回コラムの予告をしてから随分経ってしまいましたが、ようやくコラム連載再開です。
結婚披露宴の進行にあたって司会者はかかせない存在であります。
そして、司会を依頼する方法は、大きくわけて3つあります。
1つは、披露宴を行なう会場側にお任せして、専属の司会者を手配してもらう方法。
もう1つは、フリーで活動しているプロ司会者などから、自分のイメージに合う人を探して申し込む方法。
そして、自分の個人的な友人に司会をお願いするという方法があります。
さて、もしも司会経験のないあなたが、突然友人から結婚披露宴の司会をやってくれと頼まれたら、まず何をしたらよいでしょうか?
やはり、全く何も知識のない状態で司会をしようとしても無理だと思います。
本屋の実用書コーナーに行って、司会のやり方の本を購入するのもよし。
もし出来れば、家族や友人が披露宴を挙げたときのビデオ映像を借りて見ることが望ましいです。
新郎新婦が入場して、プロフィールを紹介して、主賓の挨拶があって、乾杯の発声があって…という前半の流れと、新婦が手紙を読んで、花束を贈呈して、謝辞があって…という後半の流れは、どの披露宴でもそれほど大きく変わることはありません。
そういったお決まりの進行の際のコメントについては、本やビデオをそっくりそのまま真似て使ったとしても支障はないと思われます。
そして、当然のごとく友人司会というのは、会場側からしてみれば、新郎新婦同様にお客様なわけです。
お二人が事前にプランナーさんと打ち合わせするときに同席すれば、親切にアドバイスをもらえる筈ですし、もしかしたら、会場側から司会のノウハウのようなものを伝授してもらえるかもしれません。
特に、お二人がプランナーさんと当日の進行を打ち合わせする様な機会には、極力同席することが望ましいです。
披露宴当日だって、プロ司会が何かミスをすると、会場のキャプテンはピリピリしてくるものですが、お客様である友人司会であれば、キャプテンはとても親切に接してくれます。
音響さんも親切に接してくれます。
プロ司会者が、たまに自分の友人の披露宴のときに友人司会者として会場に入ると、普段の仕事のときとの待遇の違いに感動するものです。
友人司会者は、会場側にとても気を遣ってもらえるという事実に、安心して司会に臨むことが出来るでしょう。
プロ司会であれば、当日の進行表というものは、司会者が作るものですが、友人司会であれば、会場側がつくってくれると思います。
進行表が出来上がったら、頭から最後まで、喋る内容を全て原稿に書き起こしてみるのがよろしいかと思います。
そして、友人司会の大きなメリットとして、プロ司会の場合はお二人と打ち合わせする機会が基本1回なのに対し、必要があれば何度でも打ち合わせが出来ますし、都合がつく限りは、どんなに長くなっても支障がないということがあります。
打ち合わせの機会に実際に作った原稿をお二人の前で読んでみて、それで大丈夫なものかお互いに確認していく作業を行なっておけば、本番も緊張せずに済むことでしょう。
素人の友人司会は、基本的にミスをしても赦されることが多いかと思います。
プロの司会者だったら使ってはいけない、「割れる」だとか「戻る」といったような忌み言葉を使ったとしても、それに苦言を述べる人もあまりいないと思います。
しかし、どうしても間違えてはいけないことがあります。
それは、主賓の挨拶をされる方や乾杯の発声をされる方のお名前と肩書きです。
事前にお二人に確認しておくことはもちろんですが、披露宴当日、お二人が入場する前に、必ずご本人に直接、間違いがないかどうか確認する作業は絶対に必要です。
挨拶の方のお名前や肩書きを間違えてしまうのは、当人にとってもお二人にとっても大変失礼にあたることです。
ともあれ、プロ司会がどんなに頑張ったとしても、お二人との距離の近さ、お二人に対する思い入れの強さは、友人司会に適う筈もないことです。
お二人に幸せになってもらいたいという気持ちが伝われば、たとえ進行技術が未熟であったとしても、その披露宴はとても良い披露宴になることでしょう。
次回は、「JunkStageアワード副賞受賞によせて」(古典芸能)をテーマにしたコラムをお届けします。
こんばんは、酒井孝祥です。
コラムの更新がすっかり滞っており、申し訳ありません。
今度の舞台の稽古が想像以上に大変で、本公演に参加する前の段階で2月23日は稽古NGを出していたにも関わらず、結局稽古を休む余裕がなく、先日のジャンクステージ総会に出席が適いませんでした。
2次会だけでも顔を出すことが出来たのが幸いでした。
毎日の稽古において、自分の俳優としての無能さを思い知らされております。
無能な人間が良くなるための第一歩は、自分が無能であることを認めることであり、そこから先に進むには、その無能である自分に絶望しないことが必要と感じている日々です。
コラムに関しては、公演終了まで掲載することが出来ないと思われる状況で、誠に恐縮でありますが、本番が間近となりましたので、再度告知をさせて下さい。
土曜日の昼の回などは残席数がかなり少なくなっておりますので、お早めのご予約をお待ちしております。
お時間とご興味がございましたら、是非劇場まで足をお運び下さい。
新宿サニーサイドシアター企画3月公演「友達」
作・ 安部公房
演出・ 坂田俊二
2013年
・02月27日(水)19時
・02月28日(木)19時
・03月01日(金)19時
・03月02日(土)14時
・03月02日(土)18時
・03月03日(日)14時
(全6回)
※受付/開場は開演の30分前より
【会場】
新宿サニーサイドシアター
【チケット料金】
前売2,800円/当日3,000円
【ご予約】
以下のアドレスから酒井 孝祥の扱いでご予約いただけます。フォームに必要事項をご記入下さい。
連絡先をご存知の方は、酒井への直接連絡でも結構です。
http://481engine.com/rsrv/webform.php?s=gqcxmpz1rdr1i71i
※当日清算でお願いいたします。
新宿サニーサイドシアター
http://www8.ocn.ne.jp/~sunnyway/
【公演情報・内容等のお問い合わせ】
予約管理 s_s_t_001@live.jp
≪配役 ※一部Wキャスト≫
男・山本啓介
父・原田達也
母・河野晴美
祖母&婚約者・川上智帆
長男・酒井孝祥
次男&刑事・森章吾&荒井啓汰
長女・小林咲子
次女・加藤久美
末娘&婚約者・蛸谷歩美
元記者・モリタモリオ
「友達」は、三島由紀夫が絶賛し、谷崎潤一郎賞を受賞した名作品です。
新潮文庫で読むことの出来る作品ですが、今回は文庫収録版とは登場人物も若干異なる初演時の台本を用います。
ジャンルとしては、不条理劇、あるいはブラックコメディと言ったものに分類されるかと思います。
独り暮らしをする平凡な商社マンの部屋に、ある晩突然、謎の8人家族が押しかけてきて、“隣人愛”を語りながら、無理矢理に共同生活を始めてしまいます。
警察を呼んでも“被害なし”と取り合ってもらえず、婚約者までもがたぶらかされてしまう。
果たして家族の真の目的は何か…?物語は驚くべき結末を迎えます。
かなりテーマの深い作品ではあるものの、基本的には不条理なコメディなので、お気軽にお楽しみいただけると思います。
酒井は、元探偵で元スリの、家族の中で一番頭の切れる長男を演じます。
こんばんは、酒井孝祥です。
今度出演する舞台の告知をさせていただきます。
酒井にとっては数年ぶりの現代劇です。
新宿サニーサイドシアター企画3月公演「友達」
作・ 安部公房
演出・ 坂田俊二
2013年
・02月27日(水)19時
・02月28日(木)19時
・03月01日(金)19時
・03月02日(土)14時
・03月02日(土)18時
・03月03日(日)14時
(全6回)
※受付/開場は開演の30分前より
【会場】
新宿サニーサイドシアター
【チケット料金】
前売2,800円/当日3,000円
【ご予約】
以下のアドレスから酒井 孝祥の扱いでご予約いただけます。フォームに必要事項をご記入下さい。
連絡先をご存知の方は、酒井への直接連絡でも結構です。
http://481engine.com/rsrv/webform.php?s=gqcxmpz1rdr1i71i
※当日清算でお願いいたします。
新宿サニーサイドシアター
http://www8.ocn.ne.jp/~sunnyway/
【公演情報・内容等のお問い合わせ】
予約管理 s_s_t_001@live.jp
≪配役 ※一部Wキャスト≫
男・山本啓介
父・原田達也
母・河野晴美
祖母&婚約者・川上智帆
長男・酒井孝祥
次男&刑事・森章吾&荒井啓汰
長女・小林咲子
次女・加藤久美
末娘&婚約者・蛸谷歩美
元記者・モリタモリオ
「友達」は、三島由紀夫が絶賛し、谷崎潤一郎賞を受賞した名作品です。
新潮文庫で読むことの出来る作品ですが、今回は文庫収録版とは登場人物も若干異なる初演時の台本を用います。
ジャンルとしては、不条理劇、あるいはブラックコメディと言ったものに分類されるかと思います。
独り暮らしをする平凡な商社マンの部屋に、ある晩突然、謎の8人家族が押しかけてきて、“隣人愛”を語りながら、無理矢理に共同生活を始めてしまいます。
警察を呼んでも“被害なし”と取り合ってもらえず、婚約者までもがたぶらかされてしまう。
果たして家族の真の目的は何か…?物語は驚くべき結末を迎えます。
かなりテーマの深い作品ではあるものの、基本的には不条理なコメディなので、お気軽にお楽しみいただけると思います。
酒井は、元探偵で元スリの、家族の中で一番頭の切れる長男を演じます。
作品の内容そのものが持つ面白さだけに頼らない様、演出・役者陣一同、2月1日から本番までの間、ほぼ休みの日がないという過密稽古に励んでまいります。
お時間とご興味がございましたら、是非いらして下さい。
こんばんは、酒井孝祥です。
歌舞伎に出演するのは男性のみで、女性の役も男性の俳優が演じることは周知のことかと思います(子役の場合、女の子が出演することもあります)。
余談ですが、映画の「恋に落ちたシェイクスピア」で描かれるように、シェイクスピアが活躍した時代の演劇も、女性役含めて全て男性が演じるスタイルだったようですね。
では、歌舞伎というのは、そういう風に男だけが演じる芸能として生まれたものかと言えば、それは全くもって逆の話です。
京都の河原でかぶき踊りを始め、歌舞伎の創始者といわれる出雲阿国(いずものおくに)は女性です。
当初は、男だけが出演するどころか、女性が男の格好をしていたわけですから、今の歌舞伎とは全く逆ですね。
むしろ、今で言う宝塚歌劇団の様なところもあったかもしれません。
歴史的な流れを言えば、阿国が始めたかぶき踊りを遊女達が真似て、それが売春目的で行なわれるようになりました。
当時の歌舞伎は、旦那衆が気に入った遊女を見つけるための、言ってみれば、売春婦のショーケースの様な役割を果たしていたようです。
さすがにそれは風紀上問題があるということで、女性が歌舞伎に出演することがお上から禁止されます。
すると今度は、男色家をターゲットに、若衆歌舞伎と言われる、若いゲイボーイばかりが出演する歌舞伎が発展しましたが、やはりそれも風紀を乱すということで禁止されます。
その結果生まれたのが、現在の歌舞伎の原型となる、野郎歌舞伎なわけです。
酒井が生まれて初めて生で観た歌舞伎は「佐倉義民伝」という作品です。
将軍に直訴に行こうとする宗吾が、妻のおさんと4人の子ども達に涙ながらの別れを告げるシーンが描かれ、酒井が初めて目にした歌舞伎の女形は、宗吾の妻おさんです。
どの役者さんが演じていたかは記憶が定かではありません。
最初に女形を見たときは、正直、戸惑いました。
女性の姿形をして、高い声色を使っていながらも、明らかに女性とは違う存在であり、台詞が発せられる度に違和感がありました。
しかし、最初は“女形=女を象った男”として認識していたものの、歌舞伎を繰り返しみているうちに、舞台上にいる女形の存在が、女性の存在としてしか認識出来なくなりました。
ただ、女性の存在として認識しながらも、本物の女性の持つ、生の女性らしさとは異なるタイプの女性らしさを感じます。
仮に、本物の女性が歌舞伎の衣装を来て女形の役を演じたとしても、男が演じる女形の様にはならないでしょう。
以前、劇団のレッスンで歌舞伎の台本を用いた際、女形の役の台詞を女が読むことがありましたが、逆に違和感がありました。
歌舞伎を観たことが無い人の中には、なんとなくのイメージだけで、女形をオカマの様なものと解釈している人もいるかと思います。
しかし、それはだいぶ違います。
テレビのバラエティ番組などで、お笑いタレントさんが女装してお姉言葉を使っているのを見たり、二丁目で真性の方を目にしたりしても、やはりそれは、女の振りをしている男、あるいは、中身が女の男という風に認識される様に思います。
しかし、歌舞伎を観てその世界に浸っていると、女形の役者さんから、その人が男であるという印象が感じられなくなります。
そもそも、本来は女が演じるべきであろう女の役を、男がやらざるを得なくなったという時代背景があったからこそ、いかにして男のごつい身体を女の様に華奢に見せるか…現実的には華奢にならなくとも、華奢な印象を与えるか、工夫に工夫が重ねられたものと思います。
首の角度、身体の傾き、指づかい、声の抜け方…事細かなところまで神経が使われています。
客席に対する身体の向き方を、股間の膨らみが見えないようにする工夫などもされている様です。
酒井が歌舞伎を観ていて、女形の芝居にぞくっとしたシーンを一つ挙げると、「籠釣瓶」という作品のラストの方で、花魁の八ツ橋が最後に斬られるシーンです。
斬られて死んでいくその姿が妙に美しく、妖艶な魅力を感じさせられました。
ともすれば、男が女を装うことで気持ち悪い印象を与えかねないものを、いかに色っぽく魅せるかということが、長い長い年月をかけて、研究され、積み重ねられたきたのです。
歌舞伎の女形は、云わば、女性の魅力の権化の様な存在かもしれませんね。
次回は、「友人司会を頼まれたら…」(ブライダル)をテーマにしたコラムをお届けします。
こんばんは、酒井孝祥です。
たとえ、それがどんなに出来の悪い内容の公演であったとしても、劇団の主催者、関係者は、少なくとも表向きには、その公演のことを高評価します。
営業上、ごく当たり前のことです。
自分の劇団の公演を悪く言うなんて、自殺行為もいいとことです。
それに、お客様の中には、その公演を楽しむことが出来た人だって、いるかもしれません。
極端な話、目の前で役者が動いているというライブ感覚だけでなんとなく高揚して、作品の内容如何に関わらず、楽しむことが出来たお客様だっているかもしれません。
そのお客様が、劇団関係者が自分達の作品を批判しているのを耳にしてしまったら、折角楽しむことの出来た気持ちに水をさすことになります。
関係者である以上、仮にとんでもなくつまらない作品であったとしても、そのことを口外すべきではありません。
自分達自身で内容が良くないと自覚し、その事実を公表していながらも、お金を取ってお客様を呼ぶなんてことがあったら、失礼もいいところです。
しかしながら、あからさまにつまらない内容の公演を観て、その後で主催者が「今回の公演は、各方面から多大なご評価をいただき、大成功に終わりました。」などと、過大とも言えるほどに評価しているのを聞くと、複雑な気持ちになります。
まず思うのは、主催者は本気で言っているのか…?建前で仕方が無く言っているのか…?ということです。
例えば、「今回の公演も、皆様の暖かいご声援の中、無事に幕を降ろすことが出来ました。今後とも、より良い作品を作り上げていくよう精進してまいります。」などと、言い回しとして、決して公演内容を非難するようなニュアンスが含まれず、かといって、大絶賛しているわけでもなく、次回以降への期待を促すようなコメントであれば、ああ、本心では良くなかったと思っているんだ…とうかがい知ることが出来ます。
そうであるならば、今回の反省を踏まえて、次は良い作品を作ろうという意志が見えるから、次の公演に期待することが出来ます。
しかし、そんな様子も見られずに、頭ごなしの大評価であったとします。
それが建前上、今後の営業のことを考慮した上で言っているのだとしたら、それはそれでありかもしれません。
ですが、もし心の底からそう思って言っているのだとしたら、主催者の感性がおかしいのか、あるいは観ている自分の方の感性がおかしいのかということになります。
そして、どちらの意図で言っているのか、まさか主催者本人に尋ねるわけにもいきませんから、残念なことに、明確に判断する方法はないのです。
本気で言っているのだとしたら、今後、その劇団の公演を観に行くこと自体が不安になってしまいます。
劇団関係者が自分の劇団の公演を良く言うのは当然ですが、それは、観にいったお客様にだって同様なことが言える場合があります。
お友達が出ているから観に言った公演だとしたら、面と向かってお友達に悪いことを言えはしません。
マスコミ関係やスポンサー関係の人などだって、わざわざその劇団との関係性を悪くするようなことは、なかなか言えないと思います。
そうやって、虚構の評価が一人歩きしてしまい、どうしようもなくつまらない内容の作品が、過大に評価され、それを観たことがない人に対してでさえ、良作品としてのネームバリューを与えてしまうことだってあると思います。
そう考えると、何を基準に作品の良し悪しを考えればいいのか分からなくなってしまいます。
たとえば、個人のサイトで観劇感想をアップしている、コアな演劇ファンの意見を尊重するという方法だってあるかと思います。
でもそれだって、個人の主観で書いていることですから、その人の感じ方と自分の感じ方が必ずしも一致するわけではありません。
そう考えていくと、結論として辿り着くのは、観にいった自分が楽しめたかどうかを真実とし、周囲の意見は気にしないということでしょうね。
虚構かもしれない評価に踊らされる必要はなく、お客として観にいった公演は、その劇団のものではなく、劇評家のものでもなく、観にいった自分自身のものです。
1つの公演を100人のお客様が観たとしたら、100種類の演劇がその場に生じることになるでしょう。
次回は、「女形の魅力」(古典芸能)をテーマにしたコラムをお届けします。
こんばんは、酒井孝祥です。
古典の踊りや歌を上達させるには、とにもかくにも、継続して稽古場に通わなければ話になりません。
師匠に見てもらう機会がないままに個人稽古をしてしまうと、かえって逆効果になることだってあります。
多少はスケジュール的に無茶をしてでも、可能であれば、稽古日には稽古に行くべきです。
ちなみに、酒井が通う日舞の稽古場のお弟子さんは役者さんが多いのですが、舞台の本番が終わったその足で稽古場に向かったり、翌日本番なのに稽古に来るなんて日常茶飯事です。
歌舞伎役者さんに至っては、昼公演の前半と夜公演の後半しか出番がない様な場合、その合間に稽古場に足を運ぶなんてこともあります。
月に6回稽古日があったとして、そのうち5回にどうしても都合がつかなかったとしても、残り1回だけでも稽古に行くのと、1度も参加せずに翌月まで持ち越すのとでは、やはりだいぶ違ってくると思います。
ちょっと体調が悪くて稽古場に足を運ぶのがしんどいと思っても、前回やったことを全然浚えていなくて、この状態で行ってもまた同じことを注意されるかもしれないという不安があったとしても、それでも強引に稽古に参加した後には、この1回の稽古を休まずに良かったと思えることが多いです。
しかし、時には無理をせずに休んだ方が良いことだってあります。
先日、殺陣の稽古で少し無茶をしたせいか、その翌日に腰が痛くてたまらないときがありました。
あまりにも痛いので、バイトを早退させてもらって鍼灸の治療に行き、家に帰ってから腰を暖めながらじっとしていました。
その翌日になって、多少はマシになったので、その日に予定された日舞の稽古に行こうかどうか迷いました。
しかし、結局稽古を休みました。
腰が痛い状態で日舞の稽古に参加したとしたら、当然、それをかばいながらの稽古になります。
先生に申告して、特に腰に負担のかかる様な動きを省いて稽古する方法だってあります。
もしも、本番が近ければ、そういう稽古も必要になるかと思います。
本番で、必ずしもコンディションが万全の状態で動けるとは限りませんから、そういうときを想定して稽古をすることも、役に立つかもしれません。
ですが、自身の技術を向上させる目的であれば、痛いところをかばいながら稽古するより、万全な状態で稽古した方が効果的であることは間違いありません。
本番が近いわけではないのなら、無理をして稽古をし、余計に症状を悪化させるより、我慢して休み、回復させることに全力を注ぎ、全快の上で稽古をした方が、高い成果が得られるはずです。
やはり、日本人の根底に根性論のようなものがあって、辛い状態であっても、それを試練として乗り越えることが美徳とされる要素があると思います。
しかし、無理に身体に負荷をかけてしまうことで、かえってこれまで出来ていた動きが出来なくなり、逆効果を生み出す可能性があります。
無理をすべきかしないべきか、本番の時期も踏まえた上で、冷静に判断することも必要です。
そして、休みと決めたら、回復を早めるために徹底的に休むのです。
次回は、「虚構の評価」(俳優道)をテーマにしたコラムをお届けします。
こんばんは、酒井孝祥です。
結婚披露宴における司会者の一番の聴かせ場はどこかと言えば、それは、プロフィール紹介の場だと思います。
一度も結婚披露宴に出席したことがない方向けに、プロフィール紹介がどの様なものか説明します。
そのスタイルも様々ですが、メインテーブルでご起立されているお2人の脇で、司会者の口から、新郎の家族構成や幼少期から現在に至るまでの経歴や、趣味や特技などに関することを話し、続いて、新婦の同内容を話した後に、お2人の出会いから結婚に至るまでの流れを説明することがオーソドックスです。
タイミング的には、お2人が入場されて、お一言、ウェルカムスピーチの挨拶をいただいた後が多いですが、主賓のご挨拶の後に、スタッフが乾杯酒を注いでいるタイミングで行なわれたりすることなどもあります。
結婚披露宴当日に集まるゲストの皆さんは、新郎新婦お2人の共通の友人を除けば、お2人のうちのどちらかに会うのが初めてという人がほとんどかと思います。
プロフィール紹介は、そんなゲストに対し、初めて会う新郎または新婦がどんな人か、その人と成りを説明する場であります。
もちろん、既に知っているゲストであったとしても、お2人の幼少期から現在に至るまでの過程を全て知っている人はあまりいないわけで、改めて、お2人の人生を垣間見ることの出来る場です。
では、なぜそこか司会者の一番の聴かせ場かと言えば、わずか10分にも満たないような時間の中において、話術のみで、お2人のこれまで歩んできた道のりのビジョンをゲストの皆様に想像させる、司会者の独擅場だからです。
朗読劇や落語などで、声によってお客様にその作品世界をイメージさせるような技術が要求されます。
そして、もしそれが朗読劇などであったら、多少言葉を言い間違えたりしても、イメージが繋がってさえいれば、ある程度許容されることはあるかと思います。
しかし、プロフィール紹介においては、イメージを膨らませるだけではなく、ニュース原稿と同じ様な情報の正確さも要求されます。
例えば、新郎新婦の通っていた学校の名前を、若干言い間違えたりしてしまえば、同じ学校に通ってきた友人などに失礼にあたりますし、それがビデオ映像に残ってしまったら、そこを見返す度に残念な気持ちになってしまいます。
そして、単に声で表現する能力だけではなく、原稿を作成する文章能力も要求されます。
プロフィール紹介を行なうにあたっては、事前にお2人に書いてもらったプロフィール用紙をもとに原稿を作ります。
ギッチリ沢山のことを書いてくる方もいれば、箇条書き程度しか書かない方もいらっしゃいます。
そして、新郎と新婦で書いてある内容の量にあからさまに差があることもあります。
そんなプロフィール用紙をもとに、全部喋っていたらいくら時間があっても足りないようであれば、どの内容をピックアップして喋ることが、よりお2人の魅力を引き立てることになるのかを考え、いかにして一つの言葉を短い言葉で表現するかも考えます。
逆に、時間が持たないほどに内容が薄ければ、喋り方や表現方法で、いかにボリュームを出すかを考えます。
そして、新郎と新婦それぞれについて喋る量が同じくらいになるように調整します。
具体的なことを言うと、たとえば、“中学・高校時代にテニス部だった”ということを紹介するにあたり、他にも紹介する要素が沢山あって、極力時間を短縮する場合には、単純に、
「中学・高校時代はテニス部でご活躍され、そして…」
などと述べて次のエピソードに繋げますが、そのエピソードだけで持たせるようであれば、
「中学に入学し、テニス部に所属されてご活躍された〇〇さん。高校に入ってからも、テニスを続けられ、まさにテニスに明け暮れた青春時代を過ごされました。本日は、テニスコートで青春時代を共に過ごされたご友人方にもお越しいただいているようでございます。後ほどそのエピソードもお聞かせいただけますでしょうか?」
などという風に膨らませてみます。
プロフィール用紙は、打ち合わせでお会いしたときにお渡しして、後でFAXなどで送ってもらうこともありますが、僕の場合は、極力ですが、打ち合わせよりも前の段階でプロフィール用紙を送っていただき、打ち合わせのときに、その原稿内容をお2人にチェックしてもらうようにしております。
ベテランの司会者さんになると、プロフィール紹介の原稿を作らない方もいらっしゃるそうです。
原稿を作ることによって、文章を読むような語り口になるのを防ぐため、あえて、お2人のプロフィール用紙を見ながら、その場で自分の自然な言葉で喋るそうです。
正直、僕は到底そこまでは出来ないです。
しかし、どんなにこちらが苦労して原稿を用意して頑張ったとしても、ご友人のスピーチなどの方が遥かにお2人の魅力を引き立てることが多いのが事実ですね。
司会者のライバルは、お2人のご友人です。
次回は、「無理をする時、しない時」(古典芸能)をテーマにしたコラムをお届けします。
こんばんは、酒井孝祥です。
以前、個人的なサイトで、アルバイトの配膳ネタを沢山書いていたら、同じバイトをしている大先輩の俳優さんから、
「バイトのことなんか話題にしないで、役者なんてなぁ、“どうやって生活してるの…?”と思わせておけばいいんだ。」
と言われたことがあります。
確かにそうではありますが、現実問題として、アルバイトをしなければ生活出来ない役者さん…というよりも時間的にはアルバイトの方が生活のメインになっている役者さんの方が、そうでない役者さんよりも圧倒的大多数であることは事実でしかありません。
そして、いかにして融通の効くバイトを見つけるかどうかというのは、役者としての活動を続けるにあたって非常に重要なポイントとなります。
役者を目指して東京に出てきて養成所に通い始めた…なんていう人は、もちろん、養成所のレッスンをきっちりこなすことが生活の最優先ですが、レッスンに支障がなく、なおかつそれなりに収入のあるバイトを見つけられるかどうかが、今後の道を左右しかねます。
バイトを見つけるにあたって、まず第一のポイントは、そのバイトに拘束される時間が、レッスンや稽古と重ならないか…
そして第二は、本番や稽古などで長期に休暇を取ることが認められるのか…
第三に、突発的にオーディションなどが入った場合に急遽欠勤することがどれだけ許容されるのか…
その三つがクリア出来て初めて、労働のジャンルや給与面など、仕事そのものの内容を選ぶことが出来ます。
実は、夜のお仕事が丁度良いという説があり(稽古などが深夜に及ぶことはあまりなく、給料も良いため…)、あるベテラン演出家がキャバクラに行ったら、店の女の子達に劇団の研究生などが多く、折角お店に来たのに仕事の世界に引き戻されて幻滅したなんて話を聞いたことがありますが、実際どうなのかよく知りません。
もし本当にキャバクラに勤めている役者志望の子が多いのであれば、そのうち笠原さんが「役者志望の女の子」をテーマにコラムを書いてくれるでしょうか?
水商売系でなくとも、24時間営業をしているコンビニや牛丼屋、スーパーや、朝まで営業している居酒屋やカラオケボックスなどで、稽古終了後の深夜以降の時間でバイトをするという方法もあります。
ただし、体力面ではきついかもしれません。
時間の融通面で言えば、登録制のバイトに勝るものはありません。
僕は随分長いこと、配膳会という、平たく言えば、プロのウェイターを派遣する組織に登録して、あちこちのホテル、宴会場、レストラン、結婚式場で仕事をしましたが、僕が登録した配膳会の場合、1週間単位のシフト提出で、何時から何時までと細かく時間を指定して仕事の希望を出すことが出来ました。
1週間に何日以上働かなければいけない…という様な縛りも一切ありませんでしたので、働けるときに働くという感じです。
しかも、仕事が確定するのが前日であるため、最初はシフト希望を出していなかったけれど、やはり働けることになったという日があった場合、電話1本で、「やはり入れるようになったのですが、仕事ありますか?」と尋ねて、仕事があればそのまま働くことが出来ました。
(※あくまで一例で、全ての配膳会がそうとは限りません)
しかし、配膳会の場合、仕事があるときとないときの差が激しいというデメリットがあります。
特に平日の夜と土日の終日が忙しいという仕事なので、丁度芝居の稽古などが入りやすい時間と重なります。
配膳会が暇なシーズンに平日夜間と土日メインで芝居の稽古が入ったりすると、まるで働けなくなる危険性もあります。
配膳会に限らず、時間の融通面は最高で、給料もなかなかであるものの、働きたいときに常に仕事があるとは限らないのが、登録制バイトです。
働きたいときに常に仕事があることを望むのであれば、登録制であちこちの現場で働くよりも、1つの勤務先に固定した方が良いでしょう。
ただし、そうなると時間的な縛りが強くなるのはやむを得ないことであり、長期に休むことを理由に解雇されてしまう恐れだってあります。
前述の第三の条件として述べた様な突発的な欠勤などは、役者活動とは関係のない病欠と変わらないといえば変わりませんが、その職場に大きなダメージを与えることになり得ます。
東京に出てきて一人暮らしをすれば、アルバイトで生計を立てるのはどうにも厳しく、かといって、正社員になったら稽古に参加するのが難しいです。
(正社員をやりながら芝居をやっている人もいますが…)
その中間で、派遣社員になるという手もあります。
もちろん拘束性は厳しくなりますが、有給なども発生しますので、有給や夏休みなどをうまく利用すれば、稽古や本番の期間を問題なく空けることが出来るかもしれません。
あと、個人的にお勧めなのは、コールセンターです。
土日も営業していて、さらに24時間営業だったりするところが望ましいです。
何かと条件が良く、役者の技術ではっきり喋ることが活かせます。
お客さんに顔を見せない電話応対だと、髪型なども比較的自由な可能性があります。
僕はやったことがありませんが、条件が良い仕事として耳にするものに、葬儀屋さんですとか、介護施設、ポスティングなどがあります。
いずれのアルバイトにしても、最もキーポイントとなるのは、雇う側の人間にどれだけ理解力があるかと、その人達といかに良好な人間関係を築いていくかだと思います。
舞台でも何でもそうですが、大切なのはいかに良い人と巡りあって、繋がっていくかということに尽きるでしょう。
次回は、「司会者の一番の聴かせ場」(ブライダル)をテーマにしたコラムをお届けします。
こんばんは、酒井孝祥です。
こんな舞台を観たことがあります。
内容は典型的な時代劇で、吉原の遊女に用心棒の先生、茶店の親父など、お約束のキャラクター達が沢山出てくる様な作品です。
開演してまず驚いたのは、衣装やかつら、メイクなどが、その規模の小さな劇場の公演としては考えられないほど立派だったことです。
小劇場で時代劇が上演されるときは、かつらを用意する費用がないため、髪型は現代のままで行なわれることが多く、用意したとしてもチープな感じのものが多いです。
そして、着物も持ち寄りで用意されるため、それっぽくは見えるものの、実はその時代背景とは合っていないものが着られていたりします。
そして、一番最初のコラム
http://www.junkstage.com/sakai/?p=6
で述べた様なおかしな着方をされていることが多いです。
その舞台では、小劇場の公演にも関わらず、大劇場での商業演劇に貸し出しを行なっているような会社から、衣装やかつらがレンタルされていました。
プロの着付けの人が入っていたのか、着方も立派なもので、劇中、ほとんど着崩れた光景を見ませんでした。
そして、プロの日本舞踊家が所作指導に入り、出演者の中にも日舞経験者が多く、細々としたところまで所作的な動きがつけられた跡が見られました。
しかし、何とも残念なことに、それほどまでに和物の演出にこだわり、衣装代などに相当な費用がかけられていたであろうにも関わらず、役者の口から発せられる台詞が、ほぼ全出演者において、完全に現代語の語感で喋られていたのです。
いっそのこと、完全に現代語におきかえて、格好は江戸時代のものだけれど、台詞のやりとりは現代劇という演出方法もあると思います。
ところが、その公演では、台詞の言葉の字面は時代劇調なのに、現代の日常語を喋るようなニュアンスでそれが喋られたため、聞いていて違和感がありました。
特にそれが顕著だったのが、吉原の遊女の台詞でした。
遊廓には廓詞(くるわことば)というものがあり、その特徴から“ありんす言葉”などと呼ばれることがあるようです。
テレビで時代劇を見ていて、遊女が台詞が喋るときに、「〇〇でありんす」と語尾に“ありんす”をつけることがあると思いますが、そういった喋り方は、遊女の出身地を誤魔化すために発生したようです。
地方から売られてきた遊女が、田舎言葉をまる出しで喋ってしまったら、お金を払って一夜の幻想を求めてきた旦那衆は興ざめしてしまいます。
それを防ぐべく、遊廓の中だけで用いられる、独特のニュアンスの言葉が生まれ、それを喋ることで、地方の農村で育った娘でも優雅な雰囲気をかもし出すことが出来たようです。
歌舞伎の女形は、京都風に訛って台詞を喋る傾向があり、高貴な遊女の役になると、さらにその傾向が強くなります。
抜けるような高い声で、京の都風に言葉を喋られれば、旦那衆は夢の世界へと誘われたことでしょう。
ところがどっこい、先日観賞したその舞台では、完全に現代の東京弁で「〇〇でありんす」と喋られていました。
舞台は京の島原ではなく、江戸の吉原だったので、京風の訛りにはならないという考え方もあるかもしれません。
僕も研究したわけではないので、実際の江戸の吉原で使われていた言葉が、歌舞伎などと同じ様に、京風な雰囲気だったかどうかは分かりません。
しかし、お芝居でやるのだったら、その方が遊廓の独特の雰囲気が出ます。
少年漫画のキャラクターが「〇〇でござる」とか「〇〇ざます」と言葉尻がパターン化するのと同じような感じで「〇〇でありんす」と言われてしまったら、聞いているだけで興ざめしてしまいます。
語尾に“ありんす”をつければ遊女っぽくなると思って、つけていたのかもしれませんが、取ってつけたように“ありんす”と言われても、逆に耳障りになってしまいます。
やはり、そういった雰囲気の言葉の扱い方を取り入れた歌舞伎などのニュアンスを参考にすべきと思います。
次回は、「役者のアルバイト事情」(俳優道)をテーマにしたコラムをお届けします。