Model/Yuki 2011.
新作での写真展の作品構成も完成して
告知や自分にとって大切な人たちへ向けて
案内を送付させていただいている時間は
すごく充実している時間です.
もしかするとこの時が一番安らいでいるときかも..
このまま学園祭の前日感がずっと続いたなら…
と地道な脚での配布と封筒詰めなどをしながら
しみじみと感じたりしています.
その傍らで、空いた時間にPCの中にある写真を
何気に見ていると撮っていながらも
発表していない、する機会の無かった
一群の作品たちが眼に留まりました.
あらためて見て思うのは、写真展として
展示される作品たちはそのカットが飛び抜けて
良かったのではなくて、時期とタイミング
人との出逢い、結びつき…それぞれが
紙一重のところにあるのかもしれないってこと.
この2009から2011年にかけて撮られた、
Yukiさんを捉えた作品たちは、
それまでフィルムとデジタル、並行して撮っていた
自分の作品が、デジタルに移行しようとしてた
模索の中のときだったと記憶しています.
掲載したカットは、その時のものを
今の最新の編集ソフトでリファインしたもので
技術的にRAWとか現像とかほとんど何も考えてなくて.
ロケーションや距離感のイメージとか
稚拙な部分とかもほとんど変わってなくて..
自分でもびっくりするくらいです.
少し違うなーと思うのは、
被写体さんへのアプローチというか
遠近みたいなものが、今よりずっと自由で
そこに強気な自分が感じられること.
なんて言うか、踏み込むチカラが今よりも
力強い感じ…フィルム時代ほど強引でもなく
今ほど自信無さげでもない、程よい感じで
それでも逃すことなくそこに在った「想い」を
捉えているような気がして来ます.
作品としてそんなしっかり軸のあるものを
撮りながら、この写真たちが発表できずに
いたこと、そんな状況になってたこと…
逆にそのことの方が自分にとっては難しくて
根深かったのかなって思います.
そこで撮られた想いは、この夏に出す作品たちと
何ら遜色のない、真っ直ぐなもの.
それを出す機会を逸してしまったことは
自分自身の弱さの指針でもあって、
この後「写真展」として結び付けるのに
さらに3年ほど必要になります.
もしかすると今よりもいろんな部分で
きつくて重い日々だったし
余裕のない時期でもあったけれど
この頃の僕がこうして撮ることを
ストップさせてしまっていたら
こうしてコラムを書かせてもらってることも
新宿や年ごとに新作で写真展することも
出来なかっただろうって思います.
しっかりとした強いものを捉えていながら
自分自身の脆さ、弱さのせいで
陰に回ることになった「想い」たちのために
今の自分が出来ることは何だろう…
より真っ直ぐに、写真や想いと向き合うことか
より的確なバランスで距離を計って
アプローチすることか…
「そんなふうに難しくなんないことだよ」
と聞き覚えのある声が聞こえたような気がして
取り戻せない時間のことを考えながら
封筒詰めと住所を書き記す作業に戻る.
またいつもみたいに少し情緒のバランスを欠いた、
写真展前の一日が過ぎるのでした.
5月の始まりは夏日.
もう再来月には写真展が始まります.
そんな晴れ渡った5月の初日、写真展の広報活動
ポストカード・フライヤーの配布を今日から始めました.
2013年の写真展「深入り」のときもそうだったように
今回の「化身」でも、一方の被写体さんである
えりかさんが暑い陽射しの中、同行してくれることになりました.
まずは待ち合わせ..というのも彼女とは
実に1年振りくらいの再会で.
その理由はいろいろあるのだけど
作品創りしてく中で、自分の許容できる以上の
「感情」とか「想い」といったものを発露させるとき
それは撮っている僕でさえ想像も出来ないような
負荷がかかったり、深く刺されるような痛みが
ずっとあったことと思います.
そんなときいつも僕は、「痛み」や「想い」と
軽く口にするけれど、決してそれはそんな簡単で
気軽に触れ得るものではないことを思い知らされます.
そうしてく中で、えりかさんとの作品創りは
そこでストップすることになりました.
そんなこの日の再会で、今回の写真展「化身」の
作品を綴じたポートフォリオを彼女に初めて
見てもらうことが出来ました.
そこに写る、かつての自分自身と
もう一人の被写体さんで構成された作品たち.
ページをめくるえりかさんの眼差しは真剣で
初めは少し、そのページをめくることを
怖がっているようにも見えました.
食い入るように何度も同じページを見返すことを
繰り返しながら、こんなに長い時間をかけて
一冊のポートフォリオを見てもらえたことがあっただろうか…
と考えていると、彼女から出た言葉は
…「悔しい」…でした.
彼女自身、自分の心身と戦いながら
敗北を認めるしかなかったあのときの自分を
おそらく誰よりも悔しく思っていたのではないでしょうか.
それはやっぱり続けておけば…という類いものではなくて
あの時、あの時点で限界だったことを
受け入れなければならなかったことへの悔しさなんです..と
えりかさんはそんなふうに表現してくれました.
でも、僕がそんな彼女を見て思うのは
あのとき敗れた自分自身を認める勇気..
それを振り絞って未知のページをめくること、
今回の写真展へ望むこと、それが彼女にとっての
「前へ進めた」ということなのではないかと感じました.
あのとき留まった、途絶えものが全てじゃなくて
今日ここまで、或いは7月1日から18日まで
そこまでが彼女との一つの作品創りであり
物語なのではないか..とも思うのです.
写真展での、ポストカードに託したものの重要さは
ずっと変わらないものだけど、2013年からそして今日
そこに写る被写体さんその人がポストカードの配布に
同行してもらえることが実はすごく大切なことだと
あらためて実感しました.
手から手へ、また自分の脚で伝え歩く時間の
出逢う人や場所との触れ合いの中で
撮っただけ、撮られただけでは解らなかったものが
初めて見えたり、感じたりすることが出来ます.
ポストカードに託されたものを伝えていく時間の中に
「深入り」のときも、今回も、そこに被写体さんが
いてもらえる..ということに心から感謝しています.
7月開催の写真展、その告知活動は初夏の中
汗をかきながら一歩ずつ進みます.
一日でそんなにたくさんの場所を巡ることは
出来ないけれど、訪れた先々での時間は
かけがえのない時間です.
そんな一歩一歩は小さなものだけれど
実はその先で大きなものと繋がっていた…
ということもきっとたくさんあります.
写真展「化身」の初めての配布の日
あのときと同じ、初夏の陽射しの中で感じたことは
きっと、全部は繋がったまま進んでいたのだということ.
置いていただいた場所から手に取ってくれた方、
またそれを大事にしてくれる方.
そして7月1日を楽しみにしてもらえる方.
あの日撮影を始めたときも
あの時作品創りを止めてしまった時も
それはほんとは一本に紡がれ、繋がっていたもので
留まっていたのではなく、続いていたのだと僕には思えます.
留まったり、途絶えてしまったり..
そのたびに痛くて、キツイ思いをしたり.
そう見えて、実は繋がっていたり、その続きがあったり.
そんなふうにしながら、一つの作品、そして写真展は
形作られていくのかな..とも感じられて.
配布の、一息ついたときのえりかさんの
作品中とはまるで別の表情にかつて見せなかった
柔和で、そしてこれから来ることに向けて
僕と同じように胸を高鳴らせていることが感じられて
今日まで撮り、創って描いて来た今回の写真展が
良いものになるかもしれないと思えて
またひとつ写真の、人の想いのチカラを
見せてもらえたように思いました.
今日感じたことをまたひとつ、ポストカードに託して
次の街へ配布へ向かいたいと思います.
2015.写真展「化身」ポストカード.
両面カラー/アラベール スノーホワイト200kg/1000部
前回フライヤーのご紹介させていただいて
今回は写真展「化身」のフライヤーの紹介です.
ん..なんだか例年、4月末から5月にかけて
こんな感じのコラム書いてるような
気がしてますが…
結局のところ、写真を撮って展示して..
こんなカタチでしかやってけないのかなと
妙に得心がいったりもしてて.
新作写真展のポストカードに使う紙ですが
今回は最終的にもう一つのファインペーパーである
ヴァンヌーボVGとどちらにするか少し迷いながら
昨年夏の新宿のときに使った
アラベール・スノーホワイト200kgに決めました.
あの時のポストカードがすごく評判良かったことと
この紙を使って福岡での写真展の配布したかったこと
その中で、ぜひ手に取って触れてもらいたくて、この紙にしました.
カラーでのアラベール・スノーホワイト…
仕上がりちょっと楽しみです.
いつものようにフライヤーとポストカードで1セットです.
フライヤーもそうですが、僕の写真展としては珍しい
横位置での制作物です.
写真はタテ位置を2点配置、というのもすごく珍しいです.
一番初めに構想していた、Wキャストである被写体それぞれで
1作ずつのポストカードを制作する..という作戦は
ギャラリーサイドからの、かえって効果が薄くなるとの
アドバイスもあって、1作にまとめることにしました.
「ここまで、来てみろ」
少し扇情的な一文を添えていますが
作品そのものとはあまり繋がりはなくて.
フライヤー、ポストカード、そしてプリント…
と来て、遠近互い違いがありながら
中心には一線引いて、やはり最後まで二つの写真が
くっつくことはありませんでした.
どちらが、どらちに向けた言葉なのか
比較するのかされるのか
単に逆効果となるのか…
そういう部分も含めての一文.
観て、触れていただいた方が、
いろんなふうに考えてもらえればと
思っています.
間もなく手元に届いて、
フライヤーとポストカードのペアで
福岡市内を初めとして
各所へ配布をさせていただくことになります.
2015年の夏に向けて季節が移って行く中で
その空気を身体で感じながら、
新しい写真展の案内を自分の脚で
そして自分の手で、お渡し出来ること
僕はそれをすごく幸せなことだと感じています.
そしてその中で巡り会う風景と
出逢うだろう人たちに胸が高鳴る感じです.
新しく迎える夏の陽射しと
新しい自分の写真展とで歩く街.
それをどこか懐かしく感じるのは
きっと「あの夏」が今も続いているから…
そしてそれが終わらない夏で
もう少し続くということを
確かに感じていられるからなのだと.
今年の夏まで、あと少し.
あの夏の続きまで、あと少し.
いつもの通りですがコラム、読んでいただいている
ご希望の方へ写真展「化身」
ポストカードプリント・フライヤー
1セット、送料無料にてお送りします.
ブログから、または掲載画像にある
アドレスまでメールいただければと思います.
遠方でもお気軽に、どうぞよろしくお願いします.
2015.写真展「化身」フライヤー.
A4サイズ/マットコート紙110kg
両面カラー/2つ折り加工/1000部.
違う二人
知らない二人
異なる気持ち.
継ぎ接ぎして通された
軸の両輪から聞こえる
軋み、歪み、揺らぎ.
繋ぎ合わされても
通い合うことのない
触れ得ないものたち
何者にもなり得なかったのは
果たして誰か.
あのとき留まっていたら
あそこで断てたから
導き出された想いと決めたことと
それがもたらしたもの.
そして残されたものたちの
ほんとうは見るはずのなかった
あるひとつの結末.
昨年もちょうどこの時期の公開だったでしょうか
2015年7月の個展「化身」の先行フライヤー
初公開です.
なんだか昨年と同じことをしている..
と、思うけれど、これってすごく恵まれていることだと
感じています.
こんなふうに、新しい作品を撮れて、創れて
そして展示が出来る場所がある…
それは作家として、すごく幸せなことだと思うから.
呼吸をするように写真を撮って展示して
もう少し楽にやれたら良いな..と思うし
ただひたすら苦しいことばかりのような
気がするけれど
次第に一つの展示の全貌が輪郭を帯びだしたときの
胸の高鳴りは、やっぱり隠すことは出来ないし
そういうのに身を任すのも、悪くはないと思うから.
今回のフライヤーはA4サイズで
2つ折りにしていて、表面の真ん中で折ると
A5サイズの程よい厚みのある
カードっぽいフライヤーになってます.
デザインはほぼコンセプトアートと同じ.
いつものように裏面はキャプションと
開催日時とかの情報です.
僕にとっては約15年振りになる
カラー作品で、全30点くらいの構成になります.
カラー作品にしたことでモノクロでの作品よりも
少し楽になったのは確かです.
だから超大作、というよりも小粒…
でもすごくデリケート..そんな作品に
なりそうな感じです.
撮影そのものも、この1年くらいの期間で
撮ったもので、二人の被写体、Wキャストで
となったのも、撮影の結果そうなった…
という感じなので、
そうなることを見越していたのではありません.
とはいえ、そうなったらなったで
いざ作品構成してく段階…
今回はここがすごく錯誤したところです.
残滓
一言で言うなら、これに尽きます.
今までの写真展、その時点での自分の出来ることを
「やり切った」という気持ちになるのだけど
どちらかというと今回の「化身」では
余力を残して…というか
もっとやれたかもしれない…
そんなところで自分を制してる部分があります.
もちろんそれにはいろんな理由もあるのだけれど
二人が持つもの、互い違いの想い、考え
そして二人それぞれから出された「応え」…
それを思うとき、この作品は此処までの
ところで成り立たせるべきものだと感じました.
時間が経って移ろう中で
いろんなことが途切れたり
絶たれたりする中で
ここ、というところを切り取って
今回の写真展は成り立っています.
二人の想いを写して、そして…
と語り出すその遙か手前で
作品に写る彼女たちよりも
何より作家である僕自身が
「留まることしか出来ない」
「此処でしかいられない」
何者にもなれなかった自分..というものを
突き付けられる作品になるのかもしれない.
そうなったときの怖さを、「余力」というものに
転化させているような…
撮っているときには気が付かなかったこと
或いは気付かなくてもよかったことに
作品を展開させながら嫌でも気付かされる.
それでも懲りずに未だこうしていられるということは
きっともう少し先、続きがあるのかなと
そんなふうに思っています.
写真展「化身」先行告知フライヤーは
4月下旬完成、福岡市内、近郊に配布します.
追って制作するポストカードと共に
また自分の脚で配布出来ること
そこで出逢うものたちを楽しみにしています.
「入り口の道」
峠の国道から少し脇に逸れたところ.
そこにそれがあることを
把握しているつもりでいても
その場所が制御や支配、自律など
到底出来るものではないことを
喉元まで突き付けられて
また刺すような痛みに捉われそうになる.
「路とセックスしている」
そう呟くのを聞いた気がするけれど
漏れる吐息と、温度の暑さ寒さとが
何処か遠くに感じてしまうのは
きっと外ならぬ自分が怯えているから.
ここで、この場所で自分がこれから綴る物語の、
その結末を知ることも、知らないことも
ただひたすら怖がり、いつも怯えている.
峠の国道から少し脇に逸れたところ.
いつもそれはここにある.
Model/mayu-ko.
3月も後半.
「MONOCHROME SHOW」も間もなく閉幕.
お知らせしたいこととか書き記しておきたいこととか
いろいろあるけれど、閑話休題.
観てもらえるとすぐ解ることだけど
僕の作品はほぼ全て、屋外でのものがほとんどです.
特にそれを意識して撮っているわけでもないし
室内でのライティング構成とかを不得意に
しているわけでもないですが
やっぱり作品として発表するものは
屋外、それも廃墟などのいかにもロケ地然としている
場所でもなくて、どこにでもある道の、路地の
ほんの少し逸れたところ…そういう場所をいつも
探しながら作品撮影をしています.
その場所が被写体を演出して映えさせることよりも
被写体を放り込むことでその場所を引き出させる..
というかそこで撮ったことによって
傷とか爪跡となって残り、意味を持つようになる…
ちょっと伝えにくいけれどそんな感覚です.
日々当たり前に往来する道の
そのほんの少し、逸れたところ
そこに被写体を放り込むことで
産まれ出て立ち上がって来る空気みたいなもの…
温度、湿度、寒さ、暑さ、苦しさ、痛さ..
そういうものにすごく惹かれます.
だから、作品撮影の移動している時間
被写体との交わす言葉から相手の想いを汲みながら
そこから繋がり、撮れる場所を見つけ出すまでの
短く、長い時間は、自分の感覚が
一番鋭く研ぎ澄まされている時なのかもしれません.
そしてそうやって見出した場所から放たれる気配は
いつも自分が予想する以上のものを孕んでいて.
こんなものをどうやって受け止めて撮るのかと
怯えながら茫然とするし、自分の手に負えそうも無いと
感じてしまうけれど、
そこで撮ることこそが何かを紡ぎ出すものだと思うから
また、この路の上に来てしまう.
それこそはきっと「入り口の道」なのだと思います.
前は解らなかったけれど今なら解る…
そんな気がしています.
それが例え、出口や結末の見えないものだとしても.
そしてそんな物語の続きはまた、もう少し後のことだけど.
「Kの槽」
デジタル/モノクロ銀塩プリント
グロッシー/アクリルフォト加工10mm厚
作品サイズ270×270mm
「Kの槽」
-いつもそれは見えにくいものだから
切り口を透明にしてみたのです
そうすればきっと…-
3/4より博多のギャラリー、WALD ART STUDIOにて
「MONOCHROME SHOW」が開催中です.
「モノクロームの槽の中の透明度.」の回でも
書いたけれど、出展作品は2点.
アクリルフォト加工、裏面遮光シート仕上げの作品で
参加させてもらっています.
開幕から7日ほど経っていることと
僕は会場で直に観てもらうこととネット越しに
観てもらうこと、伝わるものは全く別物だと思っているので
あえて作品の全体像をコラムにだけ、掲載したいと思います.
最終的な展示用作品では、アクリルの厚みは
試作での5mm厚から、その倍の10mm厚にしました.
裏面の木枠が透けないように遮光シートで仕上げて
やはり重みは増したので、シリコンでパネルに貼り込みしています.
結果としては、10mm厚にしたことは大成功でした.
加工の元になるプリントも本番用に
あえて少し青味を足して焼いてもらいました.
厚みが増した分だけ「少し遠くに写真がある」
そんなふうな見え方をしてくれる作品になっています.
浮き上がって来るし、深く沈んでもいる.
また各側面の切り口から作品を
脇に回って観たりすること、そんな見方も
してもらえればと思っています.
写真は平面作品だけど、ちょっと遠くに置いてみる
ギャラリーのスポットライトが、また外光が差し込んで
反射したり通過したり、また閉じ込められたりもする.
今の僕なりの「モノクローム」の見せ方、見え方…
2点の中でまとまったかなと思います.
その辺りの感触は、ぜひ会場で観ていただければと
思っています.
遠くにあったり、近くに見えたり
透明で平面なのに遠近感と陰影…
そんな感じが伝われば何よりです.
それから、いつもWALDでの展示を観させてもらって
作家の皆さんがすごく素敵な過去の作品を
ファイルに綴じているのを観ていて
僕自身の活動記録はポジとかプリントとかネガが
ごちゃ混ぜに保管箱の中に入ったっきりに
なっているような状態だったので
こんな素敵な方々とのグループ展はまたとない機会と思って
バタバタと活動記録を作成してみました.
取り急ぎで作ったものなのでちょっと雑なのですが
WALDへ置いてもらっています.
開催は3/21まで.
このコラムを読んで頂いている福岡やお近くの方
また福岡へ来られる方…
よかったらWALDへ脚を運んでもらえたら嬉しいです.
参加されている作家の方々の想う「モノクローム」
素敵な展示になっています.
MONOCHROME SHOW ー白と黒の間に
3月4日(水)〜3月21日(土)
12:00〜18:00
■休み:日、月、火曜日
■料金:入場無料
■場所:ヴァルト アート スタジオ
[092-633-3989 福岡市博多区千代4-12-2]
何者でもない人たち
何者にもなれない人たち.
何者かになりたくて
何者にもなれなくて.
留まったもの
留まらなかったもの.
声が聞こえますか
姿は見えていますか.
車軸で繋がる両輪に在って
ぶつかり合うのは
私たちの中の「けもの」.
今回はこの前コラムで発表させてもらった
来る2015年7月の博多WALDでの写真展「化身(けしん)」の
コンセプトアート、これが初公開です.
写真に文字を置いたりするのは
あまり好きではないので
ポストカードやフライヤー以外で
こんなふうにデザインするのは
着想段階で指針になるものを
ギャラリーや被写体さんへ伝える必要もあるから.
二人の被写体を並べて展開させるという
コンセプト的なものは、初めからそうしようと
考えていたのではありません.
ひとつのことを終え、新しいものへ向かい始める.
そしてもう少し先へ..と写真を撮ってく中で、
誰かと繋がったり、かと思えば切れたりもする.
流れや潮目が変われば、当然ですが
新しい作品として、どう結実させていくのか
変化するし、それはいつも移ろいの中にあります.
そしてこの2月、7月の本展示まで
半年を切ったところで、ひとつの方向として
このカタチへと結び付いた…という感じです.
二人は全くの他人同士で見ず知らず.
その他人同士を僕という作家…
それを車軸として通すことで両輪に置き
無理矢理だけど繋げようとする.
置くというか並列させてぶつけ合わせていく..
相容れないものに軸を通すことから
発生する軋み、歪み、虚実…
どこまでが作り話でどこまでが真実か
もうそれは創る僕自身にも、
被写体となった二人にもわからない.
どちらにとって、誰にとって
それが相応しいことなのか
より残酷なことなのか.
創る側の僕としては、わりとフラット.
並列させて展開してく中で
どちらがどういう役割を…
とかそういったものはありません.
ただ思うのは、翻ってそれは残酷で
意地悪なことをしている..
という自覚もあります.
前作「深入り」で露出が…とか
見える見えない云々と言われたけれど
それは見えないだけで、それよりずっと
エグイことのような気がしています.
並列させてくと決めたなら
とことんまで意識して並列させていく.
決して触れ合わせることはしない.
例えばいつものように
ポストカードを創ることにしても
それを今回では「二人分」2種類を制作します.
もしかしたら、いつもの感想ノートも
「二冊」用意するかもしれません.
ただ、僕の意図はどうあれ
二人を撮った作品は同じ空間で
向かい合わされることになります.
誰と誰を比べ、比較するのか
どちらからどう感じて
肩入れするのか
撥ね付けるのか
それがどういう結末をもたらすか.
後のことはもう、全部観てもらえた
人たちの中に何かがあれば、
それで良いと思っています.
冒頭で書いたキャプションも
前々から考えていたものでもなくて
撮ったものを現像編集してく中て
降って来たように浮かんだ言葉…
それを走り書きして並べているだけです.
ただ、言えるのはこうして並べた
二つの写真の隙間が接近したり
離れたりはしながらも作品たちが
決して繋がることも接触することも
ないだろうということ.
留まってしまったこと
留まらずに進むこと
選択したことの意味と結末.
隣り合わすけれどくっつかない
むしろその間隙にこそ意味がある.
僕は写真作家であって
精神分析学者でも偉大な批評家でもないから
せめて出来ることといえばこれくらい.
二人分の想いを並べていこうすることさえ
大それたことだと感じてしまうのだけれど.
ともあれ、写真展は7月.
昨年の新宿も7月でした.
また少し、騒々しくて忙しくなるだろうと
思っています.
それはやっぱり余裕とか無いし
物心ともにすごく苦しいし痛い…
だけど、僕はこうして行くしかない.
応えてくれるものを求めてはいないけれど
届きたいってところが未だ消えてはいないと
胸の鼓動が教えてくれるから.
2月.
ここJUNKSTAGEさんの方もリニューアルされるとのこと.
それに応じてコラムの連載形式も変わるとのことで
大きな変化の中で、これからも僕のコラムがここに在ること
そこで果たしてちゃんと応えられるものが書けるのか
ちょっと不安だったりしているところです.
告知の写真の方が先に来てしまいましたが
「MONOCHROM SHOW」開催まで1ヶ月切りました.
作品の方はほぼ完成、という感じです.
なので今回は「MONOCHROM SHOW」出展作品について
少し話したいと思っています.
テーマは「モノクロであること」とギャラリーWALD指定の
270mm×270mmの木製パネルを使用すること.作品は2点.
掲載したポストカードにもありますが
写真だけではなく絵画やオブジェあらゆるものから
作品を創り出しておられる、福岡アートシーンの
錚々たる作家の方々が参加出展されています.
並んだお名前見るだけでドキドキしてしまいます.
ていうかぼくも出展作家なのですが…
こっからはJUNKSTAGE限定、このコラムでしか
書かない「MONOCHROM SHOW」出展作品の
制作にまつわるお話です.
僕の作品はというと、やはり写真なのですが
暗室時代からデジタルと、ずっと自分自身の
「モノトーン」というものを追いかけてきて
このグループ展で何が出せるのか、写真だからこその
写真でしか出せないモノクロームがあるのか..
と考えてみて、ひとつだけ、昨年の夏に東京で出逢って
試してみたかったもの.
それが「アクリルフォト」でした.
写真ていうのは平面作品なわけだけど
僕が出逢った分厚いアクリルの向こうに見えた写真と
その映像世界は果てしなく透明で、平面であるのに
まるでこちらへ浮き上がって来るみたいな感覚があって
ギャラリーのスポット照明が、その厚いアクリルの槽に
入った後その中で角度を変えながら反射したり、
透過したりしながら作品を浮かび上がらせているようで.
透明度の高いアクリル、その向こうに貼られた写真
通過して出て行った光、閉じ込められた光…
たくさんの「光」「像」そのものがアクリルと写真の間にあるみたいで
それを「アクリルフォト」加工と聞いたときから
いつか機会があればやってみたいと思っていました.
それが僕が今回「MONOCHROM SHOW」へ出展する作品になります.
・・・で、これが生半可な加工ではないと
制作を始めてから色々解って来たのですが…
まずいつものようにお世話になってなっている
プリント、仕上げの職人さんに作品のプリントをお願いして
アクリル仕上げ前提なので僕の作品には
珍しい光沢での仕上げになり、プリントの方は順調に完成.
ここから写真前面に厚いアクリルを被せて仕上げるのですが
これが福岡、九州どこにもそれをやっているとこがないと.
作品そのものに重いアクリルを乗せる作業というのが
ものすごくデリケートで、ほんの小さなゴミやホコリの
混入も許されないシビアな作業となり、
リスクを考えるととても受けられない加工とのことでした.
じゃあどうしよう..どこもやってないからと
やっぱり諦めたくはない..どうにか実現させたい.
そこでやっぱり新宿で写真展したことって
こんなときに活きるんですね..
アクリルフォトをやっていて、信頼できるところを
東京の方から教えていただくことが出来ました.
そういうわけで270×270のプリントを2点
まずは試作として3mm厚と5mm厚を試してみました.
写真ではわかりにくいと思いますが
透明感とアクリルの切断面に至るまで
結果は完璧な仕上がり.
あとはギャラリー指定のパネルに貼り込むだけ…
アクリルの5mm厚ともなるとかなりの重さになるので
重みに耐えられるような接着方法があるのか
テストを兼ねて合わせてみましたが問題無さそうだと.
これで貼り付ける目処もたち、これならば10mm厚も
大丈夫そうだということで、最終的に10mmもの厚さのある
アクリル加工の作品になりました.
「MONOCHROM SHOW」というタイトルなだけに
モノクロの仕上がりには完璧を期すことがまず基本.
過日の写真展ではラスター無光沢プリントの
ギャラリーの照明に依って赤味が出て見えることで
すごく悩まされました.
なので、今回事前にプリントしたものを
WALDの照明下で見てみることも、すごく大切なことでした.
その結果、今回のプリントのモノトーンの仕上がりは
ほんとすごく良いトーンが出ていて赤味も無し.
参加される作家の方々のレベルを考えると
それなりに自分に出来る手は尽くして
創れたとも思うのですが、やっぱり怖いものは怖い…
だけどこのアクリルの槽の中には被写体さんや
完璧なモノトーンをプリントしてもらったラボの方
デリケートなアクリル加工を仕上げてもらえた
東京の製作所の方..たくさんの最高の人たちの手を経て
それを凝縮したように閉じ込めているものだから
そこのところは、胸を張って出せるかなと思っています.
後は実際展示するパネルに、イベントカラーと
クリアーを塗って仕上げます.ここでもWALDの森オーナーに
すっかりお世話になってしまいました.
マスキングテープを剥がしてパネルの準備は完了.
これにアクリル10mm厚で仕上げた作品を貼り込むだけです.
写真を額に入れての展示、ガラス越し
パネルにして生の感触での展示
それぞれ良さがあるけれど
今回初めてアクリルを使った加工をやってみて
写真と観る側との間に少し距離のある展示形式は
どんなふうに届くのかな..とすごく楽しみにしていて.
透明感と反射したり透過する光と
切り落とされたみたいな切断面と
浮き出るようでいて、閉じ込められもする.
正面から、横から..いろんな角度から
観てもらえたら良いなって思っています.
「MONOCHROM SHOW」出展作のタイトルは
「Kの槽」
-いつもそれは見えにくいものだから
切り口を透明にしてみたのです
そうすればきっと…-
タイトルの方はほぼ確定で「K」は僕の姓から..
だけでなくて、アクリルの向こうの被写体さんが
Keiさんだからというのもある感じです.
キャプションは多少いじるかもしれませんが
この文面である程度伝われば良いなと思っています.
作品のお披露目は・・・やっぱり3月4日です.
決して車軸の両輪のような関係には
なり得ない、むしろ互いに相反して
摩耗するものと知りながら.
それでもそうすることに
何らかの意味を持たせて
絡ませようと推し進めていくとき.
いつしかそれは、作品を形成するにおいて
互いに欠くことのできない、
密接な関係となるのかもしれない.
元日に更新すると随分間が開いてしまった
ようにも感じてしまいます.
今回はまだ少し先の話になるけれど
夏に向けてちょっとずつ自分の頭の中で
練られている作品展開について書こうと思います.
現段階で、次回の展示ではおそらく
二人の被写体さんを織り交ぜたカタチに
なると考えています.
「絡み」
と、ちょっと扇情的に書いたけれど
「深入り」では一人の被写体さんを
数年かけて撮り続けた流れと変遷の中で
そこに「距離感」というものを意識して
構成していました.
今まで写真展して構成した作品中に
複数人、別個の被写体さんがいたことはありましたが
特別それを意識したことはありませんでした.
けど今回はあえて二人の被写体さんがいる…
それをはっきり意識して創ろうと考えています.
「俯瞰した視点で」と言い表すこともあるけれど
僕はそういう神の視点的な切り取り方を
出来ないと思うので、どこまでも正面から、
それぞれが写ったカットを両軸の関係として
視よう、創ろうとする.
フォーカスする二人の被写体さんは他人同士.
僕が撮った、ということ以外に
何らかの繋がりがあるわけでもないので
そこに相容れないというか、
どこか無理が出てくるのは当然だったりします.
撮られた時間、場所…
そこには両者それぞれの気持ちと想いが
あって、それは二人だけが持っているもので
同じものは二つとは無い、柔らかいようですごく硬いもの.
そんな硬質なもの同士を(無理矢理)絡ませようとして
作品構成をしていくと、乱暴なやり方でありながら
そこに扇情的な匂いのするものが立ち現れていくようで.
比較して比べようとするのか(何を?何と?)
同位置に置こうとするのか(何処と何処を?)
全く別個のものとして扱うか.(差をつける?つけない?)
そんな底意地の悪さと自己嫌悪とかもありながら…
それを考えていると、車軸という位置にいるのが
自分で、一人の作家として思うのは、
何もその両輪がいつでも円滑である必要はなくて、
むしろ両輪相反するものであったときに
問われるのは車軸となる者のチカラとか強さ.
それでも転がそうとするところに
作家のエゴを感じないわけではないけれど
そういうものを求めて新しい作品を創るのも
良いのではと、そんな感じで考えています.
複数の想い同士を絡ませて両輪として展開する…
またそんな難しくて深い領域に行こうとしてるくせに
いつも通り、自信なんて全くなかったりもして.
そもそもそういうことが写真で可能なのか
それもまた、今の自分には解らないけれども.
人の想いや痛み、感情というものの全てを
写真家、作家一人が制御出来たり動かしたり
把握出来たり、出来るつもりで何か達観したかのように
作品発表することはすごく大それたことだと思っていて.
ならばせめて、一作家として出来ること
それまで全く無関係だった人や物事の
感じたり抱えたりするものたちを
一人の作家を通して描き出していくことで
何かしら新しく産み出されたり
紡ぎ出されたりしてくものに仕上げていくこと.
これなら自分にも出来る可能性がある.
被写体さん始め、作品に関わり、触れてもらえた方々の中で
何か残せて、繋がればいいなと…
そういう関係性の中で、作家っていうのは
「車軸」となり得る存在だと思うから
ならなければならないと思うから.
少し複雑な作品になるので
導線となるような、キャプション的なものを
たとえば図録であったり、展示解説であったりと
綿密に考えてみたいとも思います.
あと、今回はたぶんカラー作品になります.
カラー作品は2001年の、湯布院での個展
「Freeze Blue」(於ギャラリーブルーバレン)以来です.
あのときは確かカラーとはいっても青しか無かったような気がします.
でもモノクロへの未練はもちろんあって
「あなたのモノクロが観たい」って言ってもらえるのは
すごく嬉しいけれど、今回は「色」を出してみようかと.
タイトルは…初発表で未だ仮称ですが
「化身(けしん)」(仮)
自信が無いのでグレー表記です…
次回はいよいよ3月に迫った「MONOCHROM SHOW」のこと
書きたいと思っています.
デザインその2.「それでも、もう少し先へ行こうと思う篇」
青いのは切なさか、とめどない冷たさか…そんなブルーです.
読者の皆様新年あけましておめでとうございます。
このコラムが掲載される頃
僕はちょうど東京から帰還している時間かな.
S氏..との再会は..新宿ロフトでの
2014年締めくくりと、
これから…これからのこととか
少し見えて来たりもしているでしょうか.
今年もまた、昨年同様に年賀状のネタバレから
2015年を始めたいと思います.
昨年はWALDでの写真展のご来場の感謝というか
サンクスレター含めて3種類の年賀状を
創りましたが、今年は2種類にしました.
デザインその1.「新宿・感謝を伝えたい篇」は
タイトル通り、新宿の写真展へご来場して
いただき、ご署名いただけた方々と
それを支えていただいた方々へ
ただただ感謝の気持ちを込めて出させていただきました.
デザインその2.「それでも、行こうと思う篇」
こちらは、やっぱり生きてくだけでも大変なのに
その上で作品創りしてくわけだから、
いろんなことあってそれに嫌気がさしたり
ぐったりしたりもするし、そのたびに疲れもするけど
でも、やっぱり胸の高鳴りがある限りは
頑張ってみたいよね..という想いを込めて
2014年にあったいろんな場面での
写真を使って作ってみました.
それぞれ、この方にはこれかな…
という感じで、色々想い描きながら
宛名書いて発送しました.
2014年、昨年このコラムに
それぞれの想いと
それぞれの行方と
切り拓きながら進む.
そんな2014年です.
と書いていますが
自分の写真が自分の写真で
ある限りは、大げさ、誇大と言われても
そこから離れられはしないということが
昨年よく解ったので.
じゃあそういう場所で作品撮る、創るときの
ワクワクとか、ドキドキとかの
どんな小さなことでも気付いていられるように…
それはきっと原点みたいなものだと思うので
そこを大事にしながら、大きくなくていい
もう少し、ほんの少しだけ先へ
自分の写真を持って行きたい..そんな感じです.
今年もまたどうぞよろしくお願いします.