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Model/Yuki 2011.
新作での写真展の作品構成も完成して
告知や自分にとって大切な人たちへ向けて
案内を送付させていただいている時間は
すごく充実している時間です.
もしかするとこの時が一番安らいでいるときかも..
このまま学園祭の前日感がずっと続いたなら…
と地道な脚での配布と封筒詰めなどをしながら
しみじみと感じたりしています.
その傍らで、空いた時間にPCの中にある写真を
何気に見ていると撮っていながらも
発表していない、する機会の無かった
一群の作品たちが眼に留まりました.
あらためて見て思うのは、写真展として
展示される作品たちはそのカットが飛び抜けて
良かったのではなくて、時期とタイミング
人との出逢い、結びつき…それぞれが
紙一重のところにあるのかもしれないってこと.
この2009から2011年にかけて撮られた、
Yukiさんを捉えた作品たちは、
それまでフィルムとデジタル、並行して撮っていた
自分の作品が、デジタルに移行しようとしてた
模索の中のときだったと記憶しています.
掲載したカットは、その時のものを
今の最新の編集ソフトでリファインしたもので
技術的にRAWとか現像とかほとんど何も考えてなくて.
ロケーションや距離感のイメージとか
稚拙な部分とかもほとんど変わってなくて..
自分でもびっくりするくらいです.
少し違うなーと思うのは、
被写体さんへのアプローチというか
遠近みたいなものが、今よりずっと自由で
そこに強気な自分が感じられること.
なんて言うか、踏み込むチカラが今よりも
力強い感じ…フィルム時代ほど強引でもなく
今ほど自信無さげでもない、程よい感じで
それでも逃すことなくそこに在った「想い」を
捉えているような気がして来ます.
作品としてそんなしっかり軸のあるものを
撮りながら、この写真たちが発表できずに
いたこと、そんな状況になってたこと…
逆にそのことの方が自分にとっては難しくて
根深かったのかなって思います.
そこで撮られた想いは、この夏に出す作品たちと
何ら遜色のない、真っ直ぐなもの.
それを出す機会を逸してしまったことは
自分自身の弱さの指針でもあって、
この後「写真展」として結び付けるのに
さらに3年ほど必要になります.
もしかすると今よりもいろんな部分で
きつくて重い日々だったし
余裕のない時期でもあったけれど
この頃の僕がこうして撮ることを
ストップさせてしまっていたら
こうしてコラムを書かせてもらってることも
新宿や年ごとに新作で写真展することも
出来なかっただろうって思います.
しっかりとした強いものを捉えていながら
自分自身の脆さ、弱さのせいで
陰に回ることになった「想い」たちのために
今の自分が出来ることは何だろう…
より真っ直ぐに、写真や想いと向き合うことか
より的確なバランスで距離を計って
アプローチすることか…
「そんなふうに難しくなんないことだよ」
と聞き覚えのある声が聞こえたような気がして
取り戻せない時間のことを考えながら
封筒詰めと住所を書き記す作業に戻る.
またいつもみたいに少し情緒のバランスを欠いた、
写真展前の一日が過ぎるのでした.