皆さん、ご無沙汰しております。前回の投稿から1年近くになりますが、この間、沖縄県那覇市の桜坂劇場で毎月1回、1日だけ、1回限りの上映で旧作の上映をやってきました。(最初の数回は複数回の上映もありました。)
この投稿の1つ前、1年前の投稿でも少し概要を書きましたが、ガチバーン映画祭(まつり)というイベントです。毎回トークイベントや作品の関係者からのビデオメッセージの上映などを交えて好評を得ています。これまでの12回で上映した作品は23作、そのうち20作は自分で字幕を作った作品でした。字幕翻訳をする時、見る人、観客を意識して原稿を作るのは当然ですが、僕の場合、DVDやブルーレイソフトに収録される字幕が大半で劇場の銀幕で皆さんに見てもらう機会が少ないのです。それで「皆に見てもらいたくて字幕を入れているのだし、いっそ自分で劇場で上映できるお膳立てをしよう」という思いから、この映画祭を続けています。
地元の新聞やラジオ局の応援、そして本映画祭の上映会場である桜坂劇場の協力もあり、回を追うごとに来場者数も増えています。「映画館で映画を見る」というのはじつは大事な意味があると思います。映画の宣伝で「ぜひ映画館で見て下さい」といったメッセージを耳にすることがありますが、そもそも映画は映画館で見て初めて映画なのです。作品がかかっていない映画館は真っ暗闇で外界の音も遮断され、客席と壁のスクリーンだけの殺風景な空間です。作品が投射されて映画館は初めて意味を持つ。そこに身を置く観客は映画に集中するしかありません。
言い換えれば映画館は万能細胞であり、映画が始まる瞬間、その作品の世界に変貌するのです。さらに言うと偶然居合わせた他の観客の気配が、その作品の世界にリアリティを加える。その作品の息吹として観客1人1人の存在が映画という装置の一部として機能し合う。そんな条件が揃っている映画館で映画を見る。映画の世界に没頭できる。今は映像を再生するメディアがどこにでもあり、「物語を追う」という意味で映画を捉えるのであれば手のひらでも映画を楽しめます。この進歩は仕方ない事ですが、そうした手軽な見方をするにしても「映画館で映画を見る」という経験をしていれば、場合によっては「この作品は映画館で見たかったな」と想像しやすくなります。
ジェットコースターの映像をテレビや携帯電話で見るだけで実際に乗った事がない人にはジェットコースターで急降下する時の一瞬の無重力感は分かりません。でも、一度でもその経験がある人なら、それをテレビなどで見た時に「このジェットコースターはすごいだろうな」という比較ができるはずです。
とはいえ映画館に行くというのはお金も時間もかかる。かなりの投資です。テレビや携帯電話の気軽さには敵いません。そこでこの映画祭では上映前や後に見どころ解説をしたり、見た後に客席の皆さんと印象に残ったシーンの再確認をするようなトークイベントを開催しています。これで単なる映画の上映にライブ感が加わる。客席の一体感が生まれる。これも映画の上映の仕方の1つの形かなと思っています。
最近、「週刊ファミマガ」(沖縄ファミリーマート)というサイトの取材を受けました。これを読んでもらえると映画祭の概要がイメージしやすいと思います。→ https://www.okinawa-familymart.jp/article/detail.html?aid=10572
「字幕.com」では、これから時々、この映画祭をやっていて思ったこと、そして映画祭の公式サイトでは書ききれない、字幕へのこだわりなどを書こうと思います。
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久しぶりの更新です。「スタークラッシュ 超・特別版」Blu-ray。
なんと「ゆるい映画劇場0012」に続いてキャロライン・マンロー姐の連続主演(!)
一点豪華ではなく、十点豪華のイタリアの大作です。
2016年2月26日に発売されたソフトですが、同日、沖縄県那覇市の桜坂劇場で特別上映を行ないました。
「映画はできるだけ予備知識なしで見て楽しみたい」という人にはお勧めできない本作。上映前にネタバレ、矛盾点、破綻ぶりなどを分かりやすく説明して、皆でクスクス笑いしながら見ました。「あ、周囲の席の人も同じところでクスクスしてる」を感じながら、この壮大な宇宙空間を堪能したのでした。こういう作品こそ、映画館という空間でのんびり楽しむべきものだと実感しましたが、1978年の完成以来、日本の劇場では一度も上映された事がなく、この日も1回限りの上映で、我ながらとても貴重な体験になりました。(この特別上映は「ガチバーン映画祭(まつり)」という、毎月1本、レアな作品を桜坂劇場で2年間上映するという企画の1本目。2本目は3/25-3/27の「スウィート・スウィートバック」。3本目は4/29-5/6で「ワイルド・ギース」を上映します。)
さて、いよいよ本題のブルーレイ盤。このソフトの楽しみ方を説明しましょう。「映画はできるだけ予備知識なしで見て楽しみたい」という人には、お勧めできない楽しみ方ですが、(1)何も知らずにメインコンテンツ(アメリカ公開版本編92分)を見る。(2)そのままオリジナル版本編97分を最初の30分見る。(3)そのまま思わず97分版を最後まで見る。(4)監督のインタビューを40分くらい見る。(5)特撮担当者のプロモ映像(のようなもの)を25分くらい見る。(6)音声解説1を聞きながら92分版を見る。(7)音声解説2を聞きながら92分版を見る。(8)キャロライン・マンローのインタビューを75分くらい見る。(9)撮影当時に撮られた8ミリフィルムのホームムービーを20分くらい見る。(10)残りの特典を色々見る。
面倒臭そうですね…。休みなく見てもだいたい9時間(もっとか…)。でも、このソフトを手にしたら、(1)と(2)までは、騙されたと思ってやってみて下さい。(1)と(2)なら2時間で済みます。(1)と(2)を見ると、あら不思議。たぶん(3)まで自然に行きます。(3)まで自然に行けば…。という事です。これは噛めば噛むほど何とやらという味わい深い作品なのです。
冒頭に書いた「十点豪華」は、まず音楽。007の有名なテーマ曲の生みの親ジョ・バリーです。ワクワクします。作品の中の宇宙空間は(フルカラーで色んな色の星が輝き、安っぽく見えますが)、高さ15メートル、幅30メートルにもなる黒い壁に豆電球を仕込んだもの。それもイタリアの有名なスタジオ、チネチッタのサウンドステージに作られたもので、低予算のB級映画なら到底実現不可能な規模での撮影でした。主人公の女宇宙海賊ステラ・スターに襲いかかる穴居人は唐突に飛びかかる描写ばかりで、本編の映像では、彼らが3メートルもジャンプしているなど、本当に体を張ったプロのスタントを見せているのが伝わりませんが、穴居人役の彼らは一流のスタントマンばかり。皇帝の旗艦は後半の浮遊都市と同じくらい安っぽく見えますが、まだ予算があったので細かく作り込まれていて、大きさも軽トラックの荷台に収まるかどうかくらいありました。浮遊都市は残念ながら実際に安っぽい作りだったようですが、それも軽トラックの荷台に近い大きさがありました。そもそも浮遊都市というのが、あまり都市に見えないという問題もありますが…。皇帝役は「サウンド・オブ・ミュージック」の大佐クリストファー・プラマー(「スタートレック」でクリンゴンを演じる前)。「ナイトライダー」でブレイクする事になるデヴィッド・ハッセルホフも出ています。ストップモーション撮影も多く……。こうした「壮大」な要素が、なぜか画面からあまり伝わってこないという、これはすごい作品です。製作は十点豪華でやっていたのに「トンデモB級映画」と言われる仕上がりっぷり。ひどい時には「低予算のトンデモB級映画」呼ばわりです。確かに脚本も二転三転し、92分版、97分版どころか、削除シーンもたくさんあり、そもそも「スタークラッシュ」というタイトルは途中でプロデューサーが言い出したもので、それに合わせてエンディングを変えたとか、イタリア語版では穏やかな性格だったキャラAが英語版制作時にカウボーイか保安官みたいなキャラになってっいったり…。
1回見たら十分の作品とはワケが違います。「1回見たら、また見たくなるけど、しばらく後でいいや」という作品とも違います。オチが分かってしまうと緊張感が無くなって2回目以降は1回目ほど楽しめない、なんてありません。元からそれほど緊張感がありません。でも、ワクワク感は減りません。間違ってリピート再生して惰性で「ながら見」をしても、クスクス笑いのポイントは不動です。(1)と(2)をクリアした人は、最後まで見たくなる可能性が高いです。このソフト1本で週末どころか3連休いけるかもしれません。これで4,968円。
「映画は娯楽の王様」と言われた時代がありました。こういう作品を見ていると、しみじみとそれを実感できる気がします。
字幕って語尾が「を」(または「を?」)で終わっていることが時々あります。字数的な制約から「どうしてもそうなっちゃうのよね」という場合も、確かにあります。
たとえば、とある旅客機内でCAが乗客に「新聞を?(お読みになりますか?)」「コーヒーを?(お飲みになりますか?)」なんて状況にしましょう。
これ、両方とも「いかがですか?」でもよかったりします。新聞でも雑誌でもコーヒーでもお茶でも、CAが乗客に話しかけているという雰囲気を出しているだけならば。
でも「新聞を?」は4文字。「いかがですか?」は7文字。「を?」最強です。でもコーヒーに関しては「コーヒーを?」でも6文字。「いかがですか?」(7文字)から「か」を取って「いかがです?」にすれば6文字。同点。
さらに「新聞を?」と言われた乗客が新聞を受け取った場合は、元から「どうぞ」にしてしまう方法もあります。3文字。「どうぞ」の勝ち。
まあ、「色々あるぞ」と言いたいだけなのですが、「を」で終わる会話というのは、字幕以外ではそれほど多くありません。
字幕の「を」に影響されて、「を」(または「を?」)で終わる表現が使われることもありますし、全否定する気は僕もありません。僕自身も字幕の原稿を書いていて時々使います。
では次の場合どうでしょうか。
「奴らがいないか確認を」
これは
「奴らがいないか確認だ」
ではダメでしょうか…。
話した人が女性なら「を」の方がいいかもしれないけど、それなら
「奴らがいないか確認よ」
の方が合うかもしれない。
「を」が語尾にくると字数を減らせる事が多いのですが、上記の「確認を」「確認だ」のような場合は字数は関係ないわけです。
制約の多い字幕なので、とにかくできるだけ多くの表現を考えてみる事が大事じゃないかと思います。もしかすると語尾を「を」にするのは字幕翻訳家の職業病かもしれません(笑)。でも、それなら病気を自覚して対処すればいいだけで、この職業病は軽症でしょう。
いずれにせよ字幕を作っている人間として、上記のような字幕に出くわすと「この字幕作ってる人、1文字1文字考えながら原稿作っていなさそうだなぁ。脚本書いてる人は1語1語、言葉を選んで原稿を作っているだろうにね」と思う事があります。
また喋りまくってきました。色んな委員会を作ろうと言い放って参りました。
「2012年2月17日「シネマラボ突貫小僧の金曜キネマ探偵團」
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昨日、ユーストリームの番組で喋りまくってきました。
話していて思いましたが、映画っていいです。
出来が良くても悪くても、作り手の思いが詰まっているもの。
それを伝える手伝いができる字幕翻訳を仕事にできるのは幸せな事だと、改めて思いました。
3月11日から半分の時間が止まったままご無沙汰しました。命の尊さを感じ続ける1年になりました。来年は、より多くの人が安心して健康に暮らせるようになる事を祈ります。
以下は3月11日以前に書いてあったものに手を加えたものになります。
キネマ旬報1977年3月下旬号(No.704)の114ページから118ページまで、インタビュー記事があります。石上三登志氏がサム・ペキンパー監督とジェームズ・コバーンと話した記事。(カッコ内が記事からの引用です。)
「サム・ペキンパーがやってきた!15年前の『荒野のガンマン』と『昼下がりの決斗』の二本を見て以来、会う人ごとにペキンパーを語り続け」た石上氏が念願叶い、監督と対面したのです。「彼に殴られたらスロー・モーションでぶっ倒れなければならないのだろうかと、真剣に考えて」取材に臨んだ氏ですが、実際に会ってみると「ペキンパーは、ポツポツと、しかしよく通る声で、一語一語考えながらのように話す。やさしい眼をした、やさしいおじさん」だったそうです。
以下、少し抜粋。
ペキンパー監督(好きな監督を聞かれ)
「ミスター・シーゲル。ミスター・フォード。でも、一番尊敬するのはクロサワだ。『ラショモン』は素晴らしい作品だ。」
石上氏
「でも黒澤監督はフォードを尊敬していますよ。」
ペキンパー監督
「フォードとクロサワじゃ、ケタが全然ちがうよ。フォードは好きだけど、クロサワは尊敬してるんだ。とても会いたい。クロサワからはずいぶん盗ませてもらった。今じゃみんな僕の映画から盗むけど…。」
石上氏
「あなたの映画には時々東洋的なものを感じます。」
ペキンパー監督
「そう、自分でも思う。僕にとって東洋は“心のふるさと”なんだ。離れたくない。昔、中国にいたとき、中国人の女性と恋をした事があるし、五歳の日本の女の子を熱烈に愛した事もあるよ。1945年のクリスマスだったけど、僕はその子の家のガードだったんだ。海兵隊だったので、中国の暴徒から日本人を守らなければならなくてね。雪が降ってた。すると、その子が家から出てきて、僕に“ありがとう”っていったんだ。とってもきれいな子だった。僕はもう、すごく感動してしまってね、思わず彼女に捧げ銃をした…。」
サム・ペキンパーは1945年から46年にかけて中国で多くの日本人と友達になったと言う。
「中国を引き上げて佐世保に向う日本人の家族たちのために、僕は日本人と一緒に働いた。それはもう、その時の海兵隊の仲間を代表していうんだけど、みんな日本人に対して好意と尊敬と愛を感じたよ。だから今(初来日して)、やっと日本に帰ってきたっていう気持なんだ。」
石上氏
「(『荒野のガンマン』の日本のポスターを出して)これがあなたの名前です。ピキンファーとかいてある。当時あなたの名前の読み方がわからなかったんです。」
ペキンパー監督
「中国ではね、ポンチモーと呼ばれてた。山から来た男っていう意味だそうだよ。ピキンファーでもいいよ。」
彼はカリフォルニアで肌の色が違う子供達と遊びながら育った。一番のガキ大将はアイボウという日系の男の子。
「お互いの家に行ったり来たりしながら大きくなっていったんだ。だが…18歳になった時に…あっという間に18歳だったな…そしたら、悲しい時代がはじまった。『戦争のはらわた』で僕が言いたかったのは、その事なんだ。」
この後、ペキンパー監督は「戦争のはらわた」のエンディングのセリフに込めた思いも語ります。
これはペキンパー監督が「戦争のはらわた」のプロモーションで来日した時の記事です。僕も本作を翻訳をしました。(2000年2月のリバイバル公開用でバンダイビジュアルからDVDとVHS版で発売されましたが現在は廃盤です。)それでこの記事について書いているのですが、とても興味深いインタビューです。5ページあるので、ここでの抜粋はごく一部です。図書館などでぜひキネマ旬報のバックナンバーNo.704を探して全文を読んでもらえたらと思います。素晴らしいインタビューを記録してくれた石上三登志氏に心から感謝します。
さて、「戦争のはらわた」は劇場初公開時のフィルム、VHS(キングレコード版)、LD(ワーナーホームビデオ版)、DVD(2社=バンダイビジュアル版、ジェネオン・ユニバーサル版)と、5種類ほどの字幕があると思います。フィルム版は簡単に見られるものではないし、もう存在しないかもしれませんが、他の4種類はオークションなどでも出回る事があるので、見る事が可能だと思います。
僕は軍事用語に詳しいわけでもなく、国ごとに違う階級もいちいち調べながら訳します。この作品を訳した時は、幸いにして戦争映画に詳しいファンの人達が集まりアドバイスしてくれたのが心強かったものでした。僕の中でも印象の強い仕事です。ただ、印象が強いとは言っても自信をもって「最高の字幕です」なんて言えるわけではありません。「精一杯やった」とは言えますが。「精一杯」でも不十分なものは不十分で、発売版のソフトの字幕ってイヤです。廃盤になろうとずっと残りますから。
そして、僕が訳した後、改めてジェネオン・ユニバーサルからDVDとして発売になったのですが、その字幕は評判が悪いようです。僕は見ていないのですが、wikipediaでは「其の字幕翻訳内容は、誤訳が多く言語としても成立していない箇所が多い」という事らしいです。
ペキンパー監督はピキンファーでもポンチモーでもいいという大らかな人なので、それほど気にしないのかとも思いますが、もうちょっとしっかり仕事をしてくれ、と多くのファンは思うでしょう。(僕の訳に対しても、もっとしっかり仕事をしろ、と言う人もいるでしょうが。)
もしかするとペキンパー監督自身、天国で最新の日本語字幕版を見て「オー、シット」と言っているかもしれません。
ペキンパー監督は怒らないかもしれないけど、彼の想いは熱く、本人が亡くなってしまったからと言って、その作品に込められた想いを台無しにすべきではないと思います。今後、改めてソフト化される時には、じっくり作り込まれた字幕になる事を願います。
JunkStageをご覧の皆様、こんにちは。
いつもJunkStageをご訪問いただき、ありがとうございます。
「字幕.com」のライター、字幕演出家の落合寿和さんですが、現在私事多忙のため9月末日までこちらの連載を休載とさせて頂いております。
ご愛読頂いております皆様には大変申し訳ございませんが、次回更新の際をお楽しみにお待ちくださいますよう、お願い申しあげます。
(JunkStage編集部)
THE CURSE OF THE WEREWOLF(1960) @IMDB
テレビ放映時タイトル:シニストロ城の吸血狼男
オリヴァー・リード。(後の「トミー」のお父さん。)ノーメイクで狼男っぽいじゃねぇか。と思いきや、21歳の若かりし日の彼は目がクリクリっとした骨太なおぼっちゃま。ノーメイクではそれほど狼男っぽくないです。このソフトは特典は少ないですが日本語吹替え版が収録されています。そこで少し困った事が発生しました。メインキャストの1人、「ドン・アルフレード」が吹替え版では「ドン・アルフレッド」になっているのです。スペイン語読みだとアルフレードが普通で、「ドンの後に続くのがアルフレッドはイヤだな」と思いましたが、話の舞台はスペインでもセリフは英語。さらに字幕で彼の名前が出るのは1回だけ。(吹替え版ではもう少し頻繁に出るそうです。)
僕自身、キャラクター名、地名、俳優名などは「どれが一番適当か」という判断はしますが、その判断時に「これは絶対こうじゃないと」という信念はありません。「この場合、どれが一番違和感がないか」「どれが一番、一般に馴染みがあるか」と見回します。ちょうど同じスペイン語の名前でGuillermoという役名が出てくる作品を訳していますが、Guillermoはギジェルモが音としては近いという話ですが、ギレルモ・デル・トロ監督の名前が比較的映画ファンには定着しているのもあり、ギレルモでいこうという事になりそうです。
余談ですが、バート・バカラックは「紳士泥棒大ゴールデン作戦」の公開当時のポスターではバート・バチャラッチと表記されています。これはさすがに…バチャラッチですが(?)、人名や地名は誰か(andどこか)特定できる事が一番重要なのは間違いなく、ピーターさんとピーターズさんが同じ作品に出てきたら、間違いなく使い分けなければいけないわけです。読んでいる人が混乱しないようにという事をいつも念頭に置いています。
最近ずっと書いている一連のホラー作品ですが、この作品も同じで奥が深いです。作品の構成として物語の舞台が大きく3つに別れるのですが、それぞれが短すぎてもったいない感じがします。「見た事ないから押さえておこう」という見方をした場合、「あっさりしすぎていて物足りない作品」で終わる可能性が高いです。でも製作に関わった人達の思いが詰まっている作品なのは確かで、じっくり見ると味が出てきちゃいます。歴史的な背景まで調べた日には、それこそ面白いでしょう。今から数えると250年ほど前のスペインの話ですが、日本だと江戸時代。当時に思いを巡らすと「緑豊かな四季の彩りのある日本」というイメージになりますが、スペインは砂ボコリで鼻が詰まりそうな感じ。封建的な様子も日本の悪代官の方が…。まあ、どっちも「お前もワルよのぅ」ですけど。
「ハウリング」とはまるでタイプの違う、オーソドックスな狼男ものですが、250年前のスペインのイメージも興味深いです。
ジミー・スコット・ストーリー
Jimmy Scott: If You Only Knew (2002) @IMDB
Independent Lens (TV series documentary)
Original Air Date:22 July 2004 @PBS
カルマン症候群という遺伝性の成熟障害の結果、思春期の手前で成長がとまったジャズボーカリスト、ジミー・スコット。1925年7月17日オハイオ州クリーブランド生まれ。このドキュメンタリーの映像は2000年11月頃のマンハッタンから始まります。ジミー・スコットが飛行機に乗り、降り立つ先は東京…。
アメリカPBSのIndependent Lensというドキュメンタリーシリーズの1本として放送された作品です。監督のマシュー・バゼル自身がジミー・スコットの大ファンで、彼の記録を撮りたかった事が、この作品の出発点だったようです。70代(撮影当時)とは思えない力強い歌声。しっとりした空気を伝えてくれます。
彼の半生を振り返るドキュメンタリー作品としても興味深く、同時に彼の歌声もかなり楽しめます。オーディオコメンタリーも凝っていて、マシュー・バゼル監督自身が中心になって、本作の製作について語られていきますが、本編の曲の邪魔にならないようにコメントが乗っていて、実質的にコメンタリー版と本編と、両方が「作品」として楽しめるスタイルになっています。そしてコメンタリーの最後でも監督はこんな感じの事を言います。「僕もこれで前の自分に戻ります。ジミー・スコットの1ファンに。」この謙虚なスタンスが見事に作品になっているドキュメンタリーです。
字幕は本編、コメンタリーそれぞれが800枚くらい。ジミー・スコットはゆっくり話すので、字幕もゆったり。監督のコメンタリーもゆったり、もちろん曲もゆったりしていて、いわゆる大人の時間を愉しむような作品です。
PBS(Public Broadcasting Service)というテレビ局についても書きたい事が色々ありますが、ここでは省略。知らない人は調べてみると面白いです。良質なドキュメンタリーをたくさん作っている局です。
@allcinema
THE UNSEEN(1980) @IMDB
ビデオ発売時には「恐怖のいけにえ/呪われた近親相姦の館」と、サブタイトルがついていたようです。普段、こうして色々書いていると、あらすじの中で「死ぬ」とか「殺す」とか、特にホラー映画の場合、よく出てくるわけですが、実際の人の死は軽々しく話す事ではありません。
それなのに、慣れというか、フィクションの世界では気楽に使えてしまうものです。よくも悪くも、それは「死」というものが人の暮らしの中に常に存在しているからでしょうか。単に道を歩いているだけでも「ここで信号無視したら死ぬかも」と思う事があったり、「ここから落ちたら死ぬ」と思ったり。
という事で、この作品。これもフィクションなのでどんな事でも気軽に書けるかな、というと、そうでもない。ビデオ版のサブタイトルから連想できるように陰惨な要素も含まれています。なので、ここではあらすじは割愛。
この段階で「この作品はちょっとパス」という人が多いと思いますが、ここではこの「ソフト」について書きます。まず、またしても特典てんこ盛り。本編の字幕は90分で600枚弱なので少ないのですが、音声解説(オーディオコメンタリー)があり、これが1500枚くらい。さらに特典映像が100分近くあるので字幕の合計は3300枚近くになりました。先日の「悪魔の墓場」が2000枚少しで、それでも多いという感じでしたが、今回は1.5倍以上なので、本当に多いです。
本編自体は見る人を選ぶ作品ですが、コメンタリーの内容が興味深いです。まず、製作当時の人間関係。どうやら監督はスタッフの信望をあまり得ていなかった様子。コメンタリーの翻訳もこれまで色々やってきましたが、ここまで信望の薄い監督は珍しいのではないかという印象です。「ピーター・フォレグ」という監督の名前も実際はアラン・スミシーで、本当はダニー・スタインマンだそうです。
演出上のこだわり、セットへのこだわり、様々なこだわりがある中で仕上がった本作は、コメンタリーを聞く限りでは、「よくできたな」と思いました。個人的にはプロデューサーを務めたアンソニー・アンガーのコメンタリーの内容が興味深かったです。彼はピーター・セラーズとリンゴ・スター主演の「マジック・クリスチャン」を製作していて、その当時の逸話を披露し、さらに「ナバロンの嵐」での縁からバーバラ・バックに本作の出演を依頼したといった話も聞けます。この作品の撮影中にバーバラのところには「おかしなおかしな石器人」の出演依頼が来たとか、リンゴと出会う前の彼女の話とか、ピーター・セラーズとブリット・エクランドの話とか、こうした本作以外の話が、このソフトのオーディオコメンタリーには多く入っていて楽しいです。僕自身はピーター・セラーズが大好きなので、彼の性格についてアンガー氏が語るところが面白かったです。こうした情報がこの作品に入っているとは、それに興味がある人は知る由もなさそうなタイトルなわけですが…。もちろん、そればかりではなく本作の撮影裏話も色々語られ、そちらも興味深いものがありました。こうした周辺情報を知りつつこの作品を見るのと、何も知らずに見るのとでは大違いの作品です。(そういう見方が正しいのかどうかは微妙な面がありますが。)
それからタイトルロールを演じたスティーヴン・ファーストは、以前SFチャンネル用に僕が訳した「バビロン5」のモラーリ大使の部下役なのですが、彼の人柄が何だかほんわかしていてよい。(彼は「アニマル・ハウス」にも出ています。2人息子がいて、長男の名前はネイサン。兄さんなのにネイサン…。)さらに「カッコーの巣の上で」に出ていたシドニー・ラシックの逸話も楽しく。(この人も役柄とは違い実際に「いい人」だったそうです。)それからバーバラ・バックの妹役を演じたカレン・ラムの恋愛遍歴(ビーチ・ボーイズのデニス・ウィルソンと2回結婚し、本作の撮影当時は「トミー」のプロデューサーの1人でもあった、ロバート・スティグウッドだった)とか、何が言いたいのかと言うと、先に書いたように、こうした周辺情報を知りつつ見ると、この作品、不思議なくらい印象が変わってしまうのです。
さらに本編のストーリーとは関係ないのですが、カレン・ラムの本名はバーバラ。バーバラとカレンが演じた姉妹の名字がファースト。年をとったスティーヴン・ファーストはシドニー・ラシックにルックスが似ていて…。ってどんどん話が脱線していきますが、こういう情報を知りつつ本編を見ると、もはやホラーではなくなってしまったりします。
これは困った話です。実際、映画を見るというのは、そういう事ではないと思いますが、この作品に関して言えば、そんな見方をして楽しむのも一興かと思います。
ところで、この物語に出てくる町SOLVANGですが、字幕的に少し悩みました。カタカナ表記。スペルから考えるとソルヴァングになります。でも文字数を減らしたいのでソルバング。と、まず思うわけですが、この町は1911年にデンマーク系移民がカリフォルニアに作った町で、デンマークの伝統を今も守り続ける町。分かりやすく言うと町全体が長崎のハウステンボスみたいな、志摩のスペイン村みたいな、「デンマーク村」のような所です。20年近く前に僕も行った事がありますが、地元の人はソルバングよりソルバンクに近い発音をします。という事でソルバンクに落ち着きましたが、ネットで調べるとソルバングとソルバンクの両方とも使われている感じでした。(でも、これってソルマックっぽいよね…、と思いつつ。)
と、まあ、本当に取りとめもなく書いてしまいましたが、「ソフト」として見どころがいっぱいある作品でした。興味がある人はどうぞ。もちろん、ホラー映画としても十分陰惨な話です。