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3月11日から半分の時間が止まったままご無沙汰しました。命の尊さを感じ続ける1年になりました。来年は、より多くの人が安心して健康に暮らせるようになる事を祈ります。
以下は3月11日以前に書いてあったものに手を加えたものになります。
キネマ旬報1977年3月下旬号(No.704)の114ページから118ページまで、インタビュー記事があります。石上三登志氏がサム・ペキンパー監督とジェームズ・コバーンと話した記事。(カッコ内が記事からの引用です。)
「サム・ペキンパーがやってきた!15年前の『荒野のガンマン』と『昼下がりの決斗』の二本を見て以来、会う人ごとにペキンパーを語り続け」た石上氏が念願叶い、監督と対面したのです。「彼に殴られたらスロー・モーションでぶっ倒れなければならないのだろうかと、真剣に考えて」取材に臨んだ氏ですが、実際に会ってみると「ペキンパーは、ポツポツと、しかしよく通る声で、一語一語考えながらのように話す。やさしい眼をした、やさしいおじさん」だったそうです。
以下、少し抜粋。
ペキンパー監督(好きな監督を聞かれ)
「ミスター・シーゲル。ミスター・フォード。でも、一番尊敬するのはクロサワだ。『ラショモン』は素晴らしい作品だ。」
石上氏
「でも黒澤監督はフォードを尊敬していますよ。」
ペキンパー監督
「フォードとクロサワじゃ、ケタが全然ちがうよ。フォードは好きだけど、クロサワは尊敬してるんだ。とても会いたい。クロサワからはずいぶん盗ませてもらった。今じゃみんな僕の映画から盗むけど…。」
石上氏
「あなたの映画には時々東洋的なものを感じます。」
ペキンパー監督
「そう、自分でも思う。僕にとって東洋は“心のふるさと”なんだ。離れたくない。昔、中国にいたとき、中国人の女性と恋をした事があるし、五歳の日本の女の子を熱烈に愛した事もあるよ。1945年のクリスマスだったけど、僕はその子の家のガードだったんだ。海兵隊だったので、中国の暴徒から日本人を守らなければならなくてね。雪が降ってた。すると、その子が家から出てきて、僕に“ありがとう”っていったんだ。とってもきれいな子だった。僕はもう、すごく感動してしまってね、思わず彼女に捧げ銃をした…。」
サム・ペキンパーは1945年から46年にかけて中国で多くの日本人と友達になったと言う。
「中国を引き上げて佐世保に向う日本人の家族たちのために、僕は日本人と一緒に働いた。それはもう、その時の海兵隊の仲間を代表していうんだけど、みんな日本人に対して好意と尊敬と愛を感じたよ。だから今(初来日して)、やっと日本に帰ってきたっていう気持なんだ。」
石上氏
「(『荒野のガンマン』の日本のポスターを出して)これがあなたの名前です。ピキンファーとかいてある。当時あなたの名前の読み方がわからなかったんです。」
ペキンパー監督
「中国ではね、ポンチモーと呼ばれてた。山から来た男っていう意味だそうだよ。ピキンファーでもいいよ。」
彼はカリフォルニアで肌の色が違う子供達と遊びながら育った。一番のガキ大将はアイボウという日系の男の子。
「お互いの家に行ったり来たりしながら大きくなっていったんだ。だが…18歳になった時に…あっという間に18歳だったな…そしたら、悲しい時代がはじまった。『戦争のはらわた』で僕が言いたかったのは、その事なんだ。」
この後、ペキンパー監督は「戦争のはらわた」のエンディングのセリフに込めた思いも語ります。
これはペキンパー監督が「戦争のはらわた」のプロモーションで来日した時の記事です。僕も本作を翻訳をしました。(2000年2月のリバイバル公開用でバンダイビジュアルからDVDとVHS版で発売されましたが現在は廃盤です。)それでこの記事について書いているのですが、とても興味深いインタビューです。5ページあるので、ここでの抜粋はごく一部です。図書館などでぜひキネマ旬報のバックナンバーNo.704を探して全文を読んでもらえたらと思います。素晴らしいインタビューを記録してくれた石上三登志氏に心から感謝します。
さて、「戦争のはらわた」は劇場初公開時のフィルム、VHS(キングレコード版)、LD(ワーナーホームビデオ版)、DVD(2社=バンダイビジュアル版、ジェネオン・ユニバーサル版)と、5種類ほどの字幕があると思います。フィルム版は簡単に見られるものではないし、もう存在しないかもしれませんが、他の4種類はオークションなどでも出回る事があるので、見る事が可能だと思います。
僕は軍事用語に詳しいわけでもなく、国ごとに違う階級もいちいち調べながら訳します。この作品を訳した時は、幸いにして戦争映画に詳しいファンの人達が集まりアドバイスしてくれたのが心強かったものでした。僕の中でも印象の強い仕事です。ただ、印象が強いとは言っても自信をもって「最高の字幕です」なんて言えるわけではありません。「精一杯やった」とは言えますが。「精一杯」でも不十分なものは不十分で、発売版のソフトの字幕ってイヤです。廃盤になろうとずっと残りますから。
そして、僕が訳した後、改めてジェネオン・ユニバーサルからDVDとして発売になったのですが、その字幕は評判が悪いようです。僕は見ていないのですが、wikipediaでは「其の字幕翻訳内容は、誤訳が多く言語としても成立していない箇所が多い」という事らしいです。
ペキンパー監督はピキンファーでもポンチモーでもいいという大らかな人なので、それほど気にしないのかとも思いますが、もうちょっとしっかり仕事をしてくれ、と多くのファンは思うでしょう。(僕の訳に対しても、もっとしっかり仕事をしろ、と言う人もいるでしょうが。)
もしかするとペキンパー監督自身、天国で最新の日本語字幕版を見て「オー、シット」と言っているかもしれません。
ペキンパー監督は怒らないかもしれないけど、彼の想いは熱く、本人が亡くなってしまったからと言って、その作品に込められた想いを台無しにすべきではないと思います。今後、改めてソフト化される時には、じっくり作り込まれた字幕になる事を願います。